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新潟地方裁判所 平成元年(ワ)374号 判決 2002年10月28日

平成元年(ワ)第374号 損害賠償請求事件(甲事件)

平成2年(ワ)第389号 損害賠償請求事件(乙事件)

平成4年(ワ)第389号 損害賠償請求事件(丙事件)

平成5年(ワ)第445号 損害賠償請求事件(丁事件)

主文

1  被告は,原告らに対し,別紙「認容額一覧」(略)の「認容額」欄記載の各金員及びこれらに対する同別紙の「損害金起算日」欄記載の各日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

2  原告らのその余の請求をいずれも棄却する。

3  訴訟費用は,これを4分し,その1を被告の負担とし,その余を原告らの負担とする。

4  この判決は,第1項に限り,仮に執行することができる。

事実及び理由

第1請求

被告は,原告らに対し,別紙「請求額一覧」(略)の「請求額」欄記載の各金員及びこれらに対する同別紙の「損害金起算日」欄記載の各日(いずれも被告への各訴状送達日の翌日である。)から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

第2事案の概要

本件は,宗教団体である統一協会の信者であった原告らが,被告による違法な入信勧誘・教化行為によって被告に入信,献身させられ,その後長期間にわたって被告の献身者として過酷な生活をさせられて信教の自由等を侵害され,また,献金及び合同結婚式への参加を強要されて財産権及び婚姻の自由を侵害されたとして,不法行為(民法709条)に基づく損害賠償(逸失利益及び慰謝料等の支払)を求めた事案である。

1  前提事実(争いのない事実並びに証拠〔略〕及び弁論の全趣旨により容易に認められる事実)

(1)  当事者

ア 「世界基督教統一神霊協会」は,昭和29年,大韓民国ソウルで設立された宗教団体で,教義創始者は韓国人のW8である。同会の教えは,昭和33年,H1(日本名はH2)によって日本にもたらされ,同会の教えを奉ずる信者らが,宗教団体日本統一教会を創立し,昭和39年,東京都知事から宗教法人法14条に定める規則を認証する旨の決定を受け,同年7月16日,被告が設立登記された。被告は,その規則(略)によれば,天宙の創造神を主神として,聖書原理解説の教義を広め,儀式行事を行い,信者を教化育成することを目的とする宗教法人である。

イ 原告らは,被告に入信していたが,その後脱会した。

(2)  被告の教義

被告の教義は「統一原理」と称され,旧約聖書及び新約聖書を教典とする。その教義解説書が「原理講論」(略)である。被告の教義の内容は,概ね次のとおりである。

ア 創造原理

神は,人間が個性完成(第1祝福),個性完成後の合性一体化による子女の繁殖(第2祝福),万物世界の主管(第3祝福)の3大祝福のみ言に従って地上天国を実現して喜ぶのを見ようと人間を創造した。神は人間を神に似せて創造したので,人間はそれ自身の責任分担を完遂して初めて完成されるように創造された。それは人間が神も干渉できない責任分担を完遂することによって神の創造性までも似るようにし,神の創造の偉業に加担し,神が人間を主管するように人間も創造主の立場で万物を主管できる資格を持つためである。

イ 堕落論

神が人間を創造する前,神の愛を一身に受けていた天使長ルーシェルは,神がアダムとエバを創造して愛を注いでいるのを見て愛の減少感を感じ,神の子女であるエバを誘惑して不倫関係を結び,霊的に堕落した。次いでエバは,未完成のうちにアダムと性的関係を結び,肉的に堕落した。堕落したルーシェルはサタンとなり,堕落した人間はサタンの子女となり,堕落性は,原罪として子孫に遺伝されることになった。そして,完成した人間が主管するはずであった万物世界は,人間が未完成のうちに堕落し,サタンが万物の主管主として創造された人間を逆に主管するようになったので,サタンは万物世界をも主管するようになった。アダムとエバは,堕落して人類の悪の父母となり,悪の子女を生み地上地獄を造った。人間の罪には,上記原罪のほか,血統的な因縁で子孫が受け継いだ祖先の罪である遺伝的罪,自身が犯した罪でもなく,また遺伝的な罪でもないが,連帯的に責任を負わなければならない連帯罪,自身が直接犯した自犯罪がある。

ウ 復帰原理

神は,堕落した人類を創造目的本然の罪のない立場に立ち戻らせようと中心人物を立て,復帰摂理を進めてきたが,それに応えることができず,摂理が延長されてきた。イエスキリストは,人間を神の創造目的に立ち戻らせるために降臨したメシアであるが,不信と裏切りによって肉的救いは失敗した。肉的救いを完成し,地上天国を実現するには,再臨のメシアを待たなければならない。イエスは韓国に再臨する。

2  争点

(1)  信者活動に対する被告の指揮・命令関係の有無

(2)  侵害行為

(3)  被侵害利益,違法性

(4)  責任原因(民法709条)

(5)  損害

3  争点に関する当事者の主張

(1)  争点(1)(信者活動に対する被告の指揮・命令関係の有無)について

ア 原告らの主張

被告は,伝道活動や霊感商法による資金獲得活動を組織的に指揮・命令し,その利益を得てきた。以下の(ア)ないし(エ)の事実にかんがみれば,霊感商法の手口による物品販売活動や献金,さらに貸金等の名目による資金獲得活動を,被告が自ら組織的に行っていることは明らかである。被告が,信者の組織であって,被告とは全く別のものであると主張する全国に組織づくられていた「ブロック-地区-店舗」の組織体系こそ,被告の教義に基づいて信者によって構成された伝道と資金集めの両面を上部の指示に従って組織的に展開する被告の組織そのものであった。ブロックの組織やこれを統括するH3に指揮される「中央本部」に統括される全国の地方組織は,被告の教義によって結束し,ホームに住む献身者達によってビデオセンターによる伝道活動や霊感商法等の手口による資金獲得活動をまさに組織的に一体となって展開してきたのである。

(ア) W8や被告の幹部は,被告が発行する機関誌である「成約の鐘」,「聖徒」,「ファミリー」,「祝福」において,再三にわたり信者に対して極限的な資金集め活動を命令している。説教からも,統一協会において「万物復帰」という概念が,実際には資金集めの意味で用いられていることは明らかである。被告の副会長を長く務めたH4(現被告代表者)は,被告の機関誌上で再三にわたり,日本の統一協会信者が「万物復帰」に全力をあげることを命じている。

(イ) 現に被告の信者が経済活動,特に霊感商法の商品である壺や人参茶等の販売を実施しており,被告はこれらの商品販売の実情及び商品販売を行うべきことを機関誌に掲載して信者を督励していた。

(ウ) 被告の伝道部門と経済部門とは人的一体性がある上,経済部門等への人事を被告が掌握していた。被告は,初期においては宗教法人でありながら経済局を持ち,その後も実質的には伝道部門と経済部門とは一体として組織活動を展開し,伝道部門と経済部門での人事交流が公然と行われていた。信者の中には2つの部門長の兼任の例もみられる上,経済部門の人事もW8及び被告が行っていた。

(エ) 霊感商法は,全国的に同種の手口で組織的計画的に遂行され,因縁トークも霊感商法を支える組織体制(実行者や関係者がいずれも信者である。)も,被告の教義と密接な関連を有していた。さらに,霊感商法は被告の伝道活動と連携して行われており,霊感商法による利益は被告に帰属している。

イ 被告の主張

宗教法人としての被告と信者組織である「全国しあわせサークル連絡協議会」(以下「連絡協議会」という。)ないし信徒会とは,法律上別個の法主体であり,活動も別個である。被告と信者は信仰を通して関係を持つにすぎず,被告は,信者がいかなる伝道活動をしているか,いかなる企業を経営し経済活動を行っているかなどについて知る立場にはない。原告らの主張する信者の伝道活動・経済活動や教育プログラムは全て連絡協議会の活動であって,被告は何ら関知していない。

(ア) 被告には中央本部はない。被告の本部はa本部といい,中央本部とは名称も場所も異なる。中央本部とは連絡協議会の本部のことである。連絡協議会の事務所の場所と教会の場所は別々で,職員も別で,行事や活動も全く無関係に行われていた。

(イ) 被告は,昭和58年3月,唯一の収益事業であった出版業を分離独立させ,株式会社光言社としてスタートさせた。そして,これ以後,被告は現在まで一切の収益事業を行っていない。いわゆる霊感商法と呼ばれる壺・多宝塔などの販売行為はもとより,定着産業,献金勧誘行為や,借入金名目による資金借受などの行為などは一切行っていない。

(ウ) 被告は,東京都からの指摘もあり,昭和58年からは組織を明確にするために職員制度を採用し,職員に対する給与体制を確立した。その結果,教会の職員と一般信者の区別が明確になり,被告組織における使用者,被用者の関係が明確になった。原告ら及び原告らに関与した信者らは,当時,いずれも連絡協議会や信徒会に所属していたが,被告の職員ではなかった。したがって,被告は原告らとその関与者らとの関係については与り知らぬことであり,また,知り得る立場にもない。

(エ) 被告は印鑑,高麗人参濃縮液,壺,多宝塔,釈迦塔などを販売したことはない。これらの商品は,株式会社ハッピーワールドが輸入して各販社に卸し,更に各販社が各特約店に卸し,各特約店が委託販売員により訪問販売や展示場販売で売却していた。株式会社ハッピーワールド以下の各会社は登記簿上も独立した法人であり,上記各会社を設立したのが被告の信者であるとしても,宗教法人である被告とは法律上全く別の法主体である。被告が上記各会社に出資をしたり上記各会社を経営していることの証拠は何もないし,上記各会社の売上げが被告に入ったとする証拠もない。

(オ) 以上のとおり,被告と連絡協議会ないし信徒会とは,その設立の時期,設立の経緯,組織内容,構成員が信者であるかどうかの有無,人事の方法,伝道活動の違い,経済活動の有無,職員制度の有無などの観点からみて,法律上,別個の法主体である。本件の関与信者らの原告らに対する行為も連絡協議会ないし信徒会の一員としての行為であって,被告とは何ら関係がない。

(2)  争点(2)(侵害行為)について

ア 原告らの主張

(ア) 総論

被告による教化プログラムは,時代と地域によって若干の違いと変遷がある。また,被勧誘者が学生であるか,勤労青年であるか,壮年壮婦であるかによっても違いがある。ビデオセンターがなかったころは,統一協会であることを名乗り,街頭で黒板を使って統一原理の講義をしながら伝道し,そこから修練会などの一連の教化プログラムへと誘導することもあった。被告の霊感商法や伝道活動に対する社会的非難が強まると,全国各地にビデオセンターが設置され,協会員は,被勧誘者に統一協会であることを隠して接近するようになり,教化プログラムの最初の入り口は,ビデオセンターにおけるビデオ受講となった。

被告の教化プログラムでは,堕落した罪深い人間であるという自己意識を持たされると同時に,神に選ばれた人類の中のエリートという特権意識(選民思想)も植えつけられ,この腐り切った世界を地上天国に創り変えていくという大きな使命感を与えられ,自分たちの行動の一つ一つが世界を動かしているという認識を持たされる。

a ビデオセンター設置以前

ビデオセンター設置以前の基本的な教化プログラムは,次のとおりであった(以下,「スリーデイズセミナー」等の修練会は,「セミナー」を省略し,「スリーデイズ」等という。)。

スリーデイズ⇒7日間トレーニング⇒21日間トレーニング⇒セブンデイズ(又は上級スリーデイズ,学生の場合は学生12日修練会)⇒実践メンバー⇒献身

この当時の教化プログラムは,被勧誘者に統一協会であることを隠して勧誘することはなかったが,統一協会の実態については,実践メンバーになるまでの間明らかにしなかったし,ビデオセンター設置以後に比べて統一性,洗練性は欠いていたものの,信者の獲得という観点から,教化プログラムが既に構築され,同プログラムに従った入教勧誘が行われていたことに本質的な違いはない。

b ビデオセンター設置後

(a) ツーデイズ・フォーデイズ方式

霊感商法や伝道活動に対する社会的非難が厳しくなり,昭和57年夏以降の教育プログラムは全面的に変化した。それは被勧誘者に対して統一協会であることを隠して接近し,一連の教化プログラムに誘い込む方法である。その結果,被勧誘者は,統一協会の入教勧誘であることを知らされないまま,一連の教化プログラムに誘導され,ライフトレーニングの終わりの段階でようやく勧誘している主体が統一協会であることやメシアがW8とされていることを明かされ,さらにフォーデイズでW8の詳しい路程(主の路程)を明かされるようになった。統一協会では,統一協会の名前を出さないで統一原理の講義を行うツーデイズを一般ゼミ,統一協会の名前を明かした上で,メシアがW8であることやその路程を詳しく講義するフォーデイズを主ゼミと呼んでいる。この教化プログラムの流れは次のとおりである。

ビデオセンター⇒ツーデイズ⇒ライフトレーニング⇒フォーデイズ(又は上級ツーデイズ,同スリーデイズ)⇒新生トレーニング⇒実践トレーニング⇒実践メンバー⇒献身

(b) スリーデイズ・フォーデイズ方式

ツーデイズ・フォーデイズ方式は,ビデオセンターが導入された後の全国的なスタイルであったが,関東ブロックにおいては昭和60年6月ころから,次のようなスリーデイズ・フォーデイズ方式の教化プログラムを採用した。もっとも,これらの教化プログラムも,各地の実情やその後の年代によって違いがあり,東京以外の関東ブロックでも,新生トレーニングと実践トレーニングを一体化し,実践トレーニングとして行っていた地方もある。このスリーデイズ・フォーデイズ方式では,スリーデイズの段階で統一協会の名前を出し,メシアがW8であることを明かすので,スリーデイズが主ゼミとなる。

ビデオセンター⇒スリーデイズ⇒ライフトレーニング(初級トレーニング)⇒フォーデイズ⇒新生トレーニング⇒実践トレーニング⇒実践メンバー(献身)

(イ) 各論

a 原告Aの主張

(a) 原告Aは,昭和55年4月,専門学校に進学し,学校近くにアパートを借りて生活していた当時,統一協会の信者であるH5からアンケートを求められ,統一協会のc教会に来るよう勧誘された。その後,堕落論の講義を受け,執拗に勧誘され,同年5月,スリーデイズに参加し,全ての行動を管理されて集中的に講義を受けさせられた。スリーデイズ後にはウェルカムパーティーで迎えられ,翌日からは執拗な勧誘によって7日間トレーニングに参加させられ,繰り返し原理講論の講義を聴かされた。7日間トレーニングで睡眠不足の中,原告Aは,統一協会が霊感商法を行う団体であることを知らされないまま,同年に,21日間トレーニング,実践メンバー,学生12修練会(メシアがW8であると教えられた。),お茶の訪問販売,学生部のホーム生活(電化製品等を献品させられた。),上級スリーデイズ,昭和56年には,3日間断食,水行,学生21修練会(お茶の訪問販売を含む。),再度の21日修練会,セブンデイズ,伝道大会への参加,ホーム生活の開始,勝共カンパ等の組織的,系統的な教化プログラムに取り込まれた。

(b) 原告Aは,昭和57年3月,専門学校を卒業し,一旦就職したが,夜に伝道活動を続け,同年5月ころに献身を勧められ,献身後の具体的な活動内容を知らされないまま,同年6月,退職して統一協会に献身し,本部教会員となった。献身後は,同年8月から印鑑販売をし,第5期研修隊(ビデオ伝道,路傍講義及び勝共カンパ)に参加し,同年11月から93期21日修練会(講義とお茶の訪問販売)に参加した。昭和58年4月からは機動隊の印鑑部隊に配属され,カンパ活動にも従事させらたが,活動に対する自信を喪失し,同年9月に両親の元に一旦戻った。

(c) 原告Aは,昭和58年12月,両親の反対を振り切ってセブンデイズに参加して統一協会に再献身した。長岡支部でのホーム生活で伝道活動をし,伝道機動隊長,ビデオセンター所長,支部長代理を経て,昭和59年10月,浦和の埼玉研修センターに配属され,伝道と印鑑販売の研修を受けた。その後,同年12月に21日修練会(お茶の訪問販売)を経て,昭和60年1月に群馬県高崎市のセールスセミナーセンターに配属され,珍味や印鑑販売に従事した。同年2月に学習塾の営業活動をし,同年3月から山梨の教育部長,同年12月から水戸支部のビデオセンター等に配属された。昭和61年10月と11月には,統一協会中央本部からの指示で経済活動に専念した。昭和62年元旦,同年6月にカンパ活動をし,同年7月からはビデオセンターのトーカー等として活動した。昭和63年7月に宇都宮支部に配属となり,教育部長となった。

(d) 原告Aは,昭和63年9月,長岡市内で開催されたファミコン(信者の家族を動員して統一運動を理解してもらうためのファミリー懇親会)に参加した際に両親らに保護され,ホテルで牧師らから脱会の説得を受け,同年10月,統一協会を脱会した。

b 原告Bの主張

(a) 原告Bは,昭和55年4月(当時高校2年生),親戚のH6から統一協会を紹介され,キリスト教に関心があったことから,統一協会上越支部の日曜礼拝やサークル活動に参加するようになったが,統一協会の信者の活動内容を隠されたままであった。原告Bは,2,3か月後,統一原理の講義を受けるようになり,同年11月,強く勧誘されて新潟市所在の統一協会の施設で行われたスリーデイズに参加し,創造原理,堕落論,復帰原理,歴史の同時性,W8がメシヤであるという主の証等の講義を受けたが,信者から参加したことを両親や知人に話さないよう指示され,アベル・カインの教えを受けた。原告Bは,スリーデイズから帰って約1週間後の同年11月20日,統一協会に入会したが,当時,信者の義務として,伝道活動及び日曜礼拝しか説明を受けなかった。

原告Bは,昭和57年3月,高校を卒業して就職した。同年10月,原告Bは,信者から誘われてビデオセンター「ニューカレント」に行き,受講料を支払って13巻のビデオによる原理講義を受講した。まだ,同月,原告Bは,因縁トークによって21万円で印鑑を購入させられた。

(b) 原告Bは,昭和58年,ビデオセンター所長から「この道を行かなければ永遠の地獄に行く。」などと執拗に勧誘され,両親に相談しないまま献身を決意した。また,所長からの指示で当時交際していた男性と別れた。原告Bは,同年4月,統一協会に献身するために退職し,新潟支部でのホーム生活を開始し,献金や献品をした。このころ,原告Bは,統一協会が「万物復帰」という教義のもとに霊感商法等の経済活動を行っていることを初めて知った。同年5月のフォーデイズで献身の決意表明をさせられた。

献身後,原告Bは,統一協会新潟支部に所属し,ノルマを課され,統一協会の名称を隠した独身者を対象としたビデオセンターへの勧誘活動や開運講演会のチケット販売をした。また,同年7月,天望閣でのセブンデイズに参加し,同年8月から関東ブロックのマイクロ隊に所属し,過酷な珍味販売に従事した。同年10月から昭和59年9月までは,群馬県高崎市のニューワールドで厳しいノルマを課され,過酷な印鑑販売,壺や多宝塔の展示会活動を行った。この間,原告Bは,通常の販売活動を続けつつ,祝福を受ける条件である1週間の「成約断食」(7日断食)をした。また,同年11月,千葉市のad研修所での21日修練会に参加し,軍隊さながらの生活を送り,教義に絡めて献身の重要性を強調された。原告Bは,同年10月1日から昭和60年4月末日まで長野市の経済店舗である有限会社天興堂に配属となり,販売班長として印鑑販売,壷,多宝塔等販売のための展示会等を開く活動に従事した。さらに,同年5月1日から同年7月末日まで干葉県船橋市の一幸商事で同様の活動をした。

原告Bは,同年8月1日から昭和61年4月末日まで,高崎市所在の関東卜ーカー団のトーカーとして,壺や多宝塔を因縁トークを使って販売した。その後も,印鑑販売の営業課長等や,統一協会に入会した婦人の指導・育成,壼や多宝塔を高額で購入した客からのクレーム防止・勧誘,絵画・着物・宝石の販売等の活動を経て,昭和63年7月1日から同年10月28日まで千葉県市原市のビデオセンター所長兼教育部長として配属された。

(c) 原告Bは,祝福修練会で,祝福の意義と価値についての講義を受け,祝福献金や昭和63年2月のコンフェッション(祝福予定者の罪を許す儀式),断食を経て,同年10月,現金150万円の入った封筒を持たされ,韓国人を相対者とする合同結婚式に参加した。

原告Bは,合同結婚式後の韓国滞在中の同年11月13日,母が自殺したことを聞かされて帰国した。その際,家族や知人から被告の違法な活動実態を指摘され,昭和64年1月7日,被告を脱会した。

c 原告Cの主張

(a) 原告Cは,昭和55年3月に高校を卒業して就職した。原告Cは,昭和56年12月,以前職場の同僚で統一協会の信者であったH7から,統一協会の主催であることを隠されたまま勧誘され,クリスマスパーティーに出席した。そこで手相を見てもらい,聖書の話しに感銘を受けた原告Cは,H7から勧誘され,統一協会新潟教会に通うようになった。生きがいのない生活をしていた原告Cは,聖書の教えに感動し,昭和56年1月,どのような団体であるかを全く知らされないまま,統一協会に入教した。

(b) その後,原告Cは,昭和57年2月及び3月の2回のツーデイズセミナー(両親に嘘をついて参加。),同月の17日間トレーニング(万物復帰の講義があった。),同年5月の上級スリーデイズセミナー(原理講義のほかに信仰生活,教会史,国際情勢などの講義を受け,路傍演説をした。),その後の50日間トレーニング,同年8月のセブンデイズセミナー(厚木修練所)等,統一協会の組織的・系統的な教化プログラムに取り込まれ,統一協会から離脱することが次第に困難になった。セブンデイズセミナーでは,班長面接で献身の勧誘を受け,信仰を捨てれば,生き地獄の状態になると考え,献身を決意した。原告Cは,同年10月,親の反対を押し切り,会社を退職した。

(c) 原告Cは,同年11月22日,両親に買い物に行くと偽って,家を出て,そのまま上京して統一協会に献身し,栗田尚実という偽名を用いて東京第3地区に所属し,世田谷区のマンションで生活するようになった。同年12月20日から新潟支部で街頭募金(インチキ募金)等をし,昭和58年1月7日から山梨地区で伝道隊(因縁トークによる印鑑販売)をし,同年2月から再び新潟地区に戻り,ビデオセンターの食事当番をした。その後,同年3月から8月まで,新潟地区の第一店舗で印鑑販売等に関与した後,店舗関係者の食事当番を担当した。同年7月には21日間修練会(千葉中央修練所)に参加した。原告Cは,同年9月から11月まで,新潟支部で青年サークル伝道(霊感商品を買った独身者を対象とした伝道)をし,同年10月からはビデオセンターに所属した後,同年12月から昭和59年5月まで新潟地区の地区本部(新潟教会)で食事当番を担当した。その後,同年6月から昭和60年11月まで上越地区(新潟第3地区)に配属され,ビデオセンターの運営,壺等の展示会(霊感商法)を担当した。昭和60年12月には再び新潟支部で初級トレーニングを担当し,昭和61年3月から千葉地区で伝道や霊感商法への動員をした。

(d) 原告Cは,昭和63年2月19日,統一協会a本部でのコンフェッション(男性と肉体関係等を持ったことを告白する儀式)に呼び出され,祝福候補者に選ばれ,その後,2日間断食をするよう指示された。同年10月26日,統一協会から,「祝福が決まった」との連絡を受け,同月29日,韓国に渡航した。原告Cの相対者は24歳の日本人で,聖酒式に一緒に参加し,同月30日,原告Cは相対者とメッコール工場で6516双の一組として合同結婚式を挙げた。

(e) 原告Cは,同年11月3日,韓国から帰国し,相対者を原告Cの家族に紹介するため,平成元年1月12日,新潟県五泉市に帰省した。原告Cは,その際,家族に統一協会からの脱会を促されたり,統一協会の違法な活動実態を指摘され,統一協会のマインドコントロールの状態から抜け出すことができ,同年2月15日,統一協会を脱会することができた。

d 原告Dの主張

(a) 原告Dは,昭和58年11月,風邪で勤務を休んで1人で寝ていたところ,H8の訪問を受け,弟の死亡にまつわる因縁トークによって24万円で印鑑を購入させられ,その後,さらに展示会に連れて行かれ,50万円の壺を購入させられた。昭和59年1月,原告Dは,H8から霊石を授かった証を聞きに感謝会に参加するように誘われ,統一協会であることを隠されたままこれに参加した。そこで,H8は,「真理の行」をするよう原告Dに勧め,大宮教育ビデオセンターに勧誘した。ビデオセンター所長は,受講内容が宗教ではないといっていたが,実際には統一原理のビデオを見せられ,他のビデオセンターに通う人とは一切話をさせられることなく,1対1でカウンセリングを受けることにより,被告の教義を教え込まされていた。その後,原告Dは,所長からツーデイズ(堕落論等の講義)を勧誘され,被告の教義であることを知らされないまま,同年6月,これに参加した。ツーデイズ後,ウェルカムパーティーで迎えられ,そこで真理の行の続きとして12トレーニング(W8がメシアであると説明される。)への参加を勧誘されたが,この際にも,統一協会やその関係者がやっているということについて一切説明を受けなかった。さらに,原告Dは,信者から勧誘され,同年7月26日のフォーデイズに参加し,班長から献身の決意の面接を受け,献身の決意があると答えた。その後,同年8月の21トレーニング(埼玉第2教会)で信仰生活の基本路程の講義を受けた。

(b) 昭和59年8月30日,原告Dは,会社に辞表を提出し,埼玉第2教会(北浦和教会)に献身したが,献身生活の具体的な内容や経済活動については知らされず,その時点では説明がなかった。原告Dは,同年9月から大宮駅前で2週間,街頭アンケート伝道を行い,同年10月から11月にかけてS展(壺展),M展(人参茶展)の客を送迎する車の運転手をさせられ,その際,霊感商法の実態を見てショックを受けた。同年11月7日から同月23日までのセブンデイズを経て,同年12月,原告Dは,埼玉研修センター(SKC)で印鑑訪問販売の訓練を受けて実際に印鑑の訪問販売と伝道を行った。その後,昭和60年1月から2月にかけて,千葉研修センター(CKC),同年3月から群馬研修センター(SSC)に配属され,深夜から早朝まで印鑑の訪問販売をして回った。同年4月からは,原告Dは,高崎市のだるま堂という代理店で印鑑,壺,多宝塔の販売を行った。その間の6月,原告Dは,千葉修練所の21修練会に出席し,統一原理の講義を受け,万物復帰路程として日本茶の販売をさせられた。同年8月には浦和市の株式会社鶴美(呉服部,絵画部,健康部の3部)の健康部に配属させられ,車内で仮眠しかとれない状態で,違法なセールストークで遠赤外線低温サウナの販売に従事させられた。原告Dは,被告に献身してからは給料はもらえず,月1万1000円の小遣いをもらっていただけであり,思想だけでなく,経済的にも被告によって管理されていた。さらに,昭和61年9月から10月にかけて,原告Dは,マイクロフラワーチーム(MFT)に配属され,早朝から深夜まで珍味販売を行った。昭和61年11月,原告Dは,それまでの被告関東ブロック所属からブロック外人事面接を統一協会のH9巡回師に受け事業団本部所属になり,その中の株式会社シービーの開発課に配属され,ネクタイの販売責任者として大阪に移り住んだ。給料は支給されず,被告の指示で社会保険や年金も打ち切られ,支給されるのは被告からの1か月1万1000円(途中から1万5000円)の小遣いのみであったため,病気になっても充分な治療を受けることができず,医者に診てもらう必要のある場合は,他人の保険証を借りてその人の名前を騙って受診するよう指示された。

(c) 昭和63年8月30日,原告Dは,韓国において行われた6516双の祝福に参加した。原告Dは,平成元年7月,家族等の強い説得により,ようやく被告を脱会することができた。

e 原告Eの主張

(a) 原告Eは,昭和63年4月に,大学4年次に進級し,教員採用課程を選択していた。同年7月17日午前,旧友のI1から宗教団体であることを隠されたまま強く勧誘され,東京都中野区にあるニューグロリア中野ビデオ教育センターに通うようになった。スタッフの女性からは,幸福な人生を得るために個人の問題から世界情勢に至るまで幅広く学ぶ青年サークルであるとの説明を受けた。原告Eは,同月末ころまでの間に6回程,週約2回のペースで,ビデオセンターに通い,カウンセリングを受けた。原告Eは,ビデオを途中までしか視聴していない段階でツーデイズへの参加を勧誘され,同年8月に東京都八王子市郊外で行われたツーデイズ(創造原理,堕落論,復帰摂理,イエス路程,歴史の同時性等の講義内容)に参加した。講義中は質問や他の受講生との住所交換が禁止された。また,講師はクリスチャンと紹介されが,講師は,被告の献身者であり,一般には教育部長やビデオセンター所長が兼任し,被告の教化プログラムにおける役割分担ないし担当の一環としてツーデイズの講師を務めていた。講義ではメシアの存在だけが説明され,それが誰であるかは説明されなかった。また,ツーデイズ後は,ウェルカムパーティーに参加した。

その後,原告Eは,ツーデイズ終了の翌日からライフトレーニング(泊まり込みで創造原理,堕落論,復帰摂理緒論,世界大戦について,再臨論等の講義を受けるもの)に参加し,最後の講義でメシアがW8であると明かされた。原告Eは,同年8月,新潟市で教員採用試験(第二次)を受験した後,フォーデイズに参加した。フォーデイズの際には,被告の伝道活動,経済活動の実態には一切触れられず,通常なされる(内的)献身についての話もなかった。原告Eは,ツーデイズに参加して以降,1日の間もなく,連日にわたり被告の教義について教え込まれ,私的な時間の全てを被告によって管理されていた。

同年9月からの新生トレーニングでは,原理講義の復習のほか,信仰生活講座,祈祷学,伝道学,万物復帰の意義と価値という講義がなされ,街頭演説,珍味販売及び伝道活動を実践した。原告Eは,危険な団体といわれていた「原理研究会」と自分が所属している団体が同じであり,社会一般から批判的な目で見られている団体であると認識したことから,相当の躊躇をおぼえたが,自分一人だけが拒絶することはできない雰囲気のまま,実践をした。

原告Eは,新生トレーニングの班長面接で勧誘され,同年10月,実践トレーニング(新生トレーニングB)に参加し,講義内容は,それまでの理念的なものだけでなく,実践活動のための具体的なものとなり,公式7年路程,万物復帰の意義と価値,伝道学,展示会思想,対策,祝福の意義と価値等であった。また,原告Eは,路傍伝道,FF伝道,ハンカチ販売,展示会等の実践活動をした。

(b) 原告Eは,同年12月から実践メンバーとして活動した。原告Eは,家族の反対が予想され,葛藤を覚えたが,強い説得と勧誘を受け,平成元年2月から献身の準備を行い,同年3月1日,大学の卒業式が行われる直前に統一協会に献身した。

原告Eは,献身と共に,他の献身者の住む中野のホームに移転し,同年3月1日から同年5月ころまで研修隊,同年6月ころから同年8月まで伝道機動隊に所属して早朝から深夜まで路傍伝道や物品販売を行った。原告Eは,同年9月から同年12月中旬ころまで統一協会西東京ブロック杉並支部教育部進行係となり,ツーデイズに班長として参加した。その後,献身者を対象とする21日修練会への参加,杉並支部教育部,実践トレーニングの班長,トレーニング生のリストチェックや献身の方向づけ,トーク・マニュアルの作成,展示会やHGの電話動員活動の指導,修練会やトレーニングの際の面接などを行った。さらに,その後,杉並支部研修隊及び伝道機動隊の隊長,同支部教育部の講師,八王子支部教育部長兼伝道部長代理を歴任した。

(c) 原告Eは,平成4年1月4日,柏崎市にある実家に帰省した際に両親から保護された。原告Eは,そのころ,深く統一原理を教え込まれている状況にあり,また対策の講義を受けていたことから,すぐに両親らの説得に耳を傾けることができなかったが,父が職場に辞表を出して,また他の親戚縁者も普段の生活を犠牲にして,原告Eと統一協会の問題についてじっくりと語り合おうとの姿勢を示してくれたことや,原告E自身も,統一協会から距離を置いてゆっくりと自分の頭で考える時間的余裕を与えられたことなどから,統一協会の教えと活動の誤りに気付くに至り,同年2月1日,自らの意思で,統一協会を脱会するに至った。

f 原告Fの主張

(a) 原告Fは,昭和61年3月,高校を卒業し,同年4月,新潟県職員(臨時)に採用され,ak課に勤務した。原告Fは,同年11月10日,新潟市bの路上で,高校の先輩にあたるI2からアンケートへの回答を求められ,統一協会のビデオセンターに勧誘された。将来について悩んでいた原告Fは,普通の青年サークルであると思い,ビデオセンターで受講するようになった。ビデオの中で聖書が用いられたり,神・霊界などの宗教に関する話が出てきたため,原告Fは,I2に宗教のサークルかと尋ねたが,I2は否定した。

原告Fは,ビデオセンターに通っているころ,ワンデイ(一般ゼミ)に参加するよう誘われて参加した。講師から,ビデオと同様の講義を受けるものであった。その後,原告Fは,同月のスリーデイズ(最終日にメシアがW8であると説明される。)に参加したが,会社や家族に旅行に行くと嘘をついて参加した参加者のために,スタッフがおみやげまで用意していた。また,班長面接で,フォーデイズへの参加を求められた。また,スリーデイズから帰って3日すればサタンが入るので,その前に初級トレーニングを受けるようにと言われ,フォーデイズの前に初級トレーニングにも参加することを求められた。被告の原告Fに対する教化プログラムにおいては,スリーデイズの時点においては,W8については明かすが,宗教勧誘であることは秘し,宗教勧誘であることを隠している以上当然のことではあるが,被告の教義の本音にわたる部分,すなわち,信者の生活や実践活動に関連する話は一切なかった。

原告Fは,同月25日から同年12月30日までの間,初級トレーニングを受けた。また,初級トレーニングを受けていた最中の同月ころ,原告FはI3から姓名判断を勧められ,I4という女性から先祖の因縁を精算するには印鑑を購入するしかないといわれ,3万円で印鑑を購入した。

原告Fは,同月31日から昭和62年1月3日まで,両親に友人の実家に遊びに行くと嘘をついてフォーデイズに参加した。原告Fは,連日の班長面接で献身を強く勧められ,一旦は家庭の事情を理由に断ったが,執拗な勧誘で献身を了承した。原告Fは,この時点で,被告の活動内容の実態や献身生活の具体的内容について何も説明を受けていなかった。被告が霊感商法をはじめとする経済活動を行っており,経済活動が信者の義務とされていることや献身者が24時間被告の活動に奔走し,苛酷な生活を余儀なくされることなどについては一切知らされていなかった。

(b) 原告Fは,昭和62年1月から2月にかけて,伝道や印鑑等の展示会への動員を行う実践トレーニングに参加し,アパートを出て,実践トレーニングを受けていたI5と共同生活をするようになり,同年3月から,新潟教会等でホーム生活をするようになり,新潟支部の勤労青年となった。アベルの指示に基づいて,実践活動を繰り返すうち,原告Fは,実践活動を行うことが信者の義務であり,その道を進むことが救いの道であると思い込まされるに至った。そのような経緯を経て,原告Fは,同年6月30日に新潟県庁を退職し,同年7月1日に被告に献身し,献身後は,新潟支部の機動隊(珍味販売や勝共カンパ,伝道活動,原理講論の学習)や,ビデオセンターでのお茶出しをした。

(c) 同年11月上旬,原告Fは,交通事故(追突事故)を起こし,両親に連絡してその処理を頼んだことがきっかけで,同月28日に両親に保護され,統一協会を脱会するよう説得を受けたが,脱会を装って親を安心させ,親の隙を見て逃げ出し,同年12月14日,再び統一協会に戻った。

その後,原告Fは,新潟教会の食当(献身者の食事係),千葉市の研修センターでの21日修練会,長野県の松本支部での機動隊(印鑑販売等),統一協会の会員の救出に尽力しているI6牧師に対する刑事告訴の準備,新潟支部のビデオセンター会計,新潟支部の伝道総務,教育部,大阪での選挙応援,高崎市にある関東ブロックのハルナ(伝道局)での食当,マイクロ隊(珍味販売),霊感商法の教育訓練所等の活動を経て,平成3年9月,新潟ブロックの新潟店舗(念珠の訪問販売)に配属された。

(d) 平成3年10月23日,原告Fは,I7専務(当時,新潟ブロックのI8ブロック長の補佐を務めていた)から,家庭復帰のため1日だけ両親のもとに帰るように指示され,翌24日,自宅に戻った際,両親から統一協会を脱会するよう説得を受けた。ようやく統一協会の教えが間違いであることに気づいた原告Fは,同年12月中旬ころ,統一協会を脱会する旨の手紙をI9店長あてに書き,統一協会を脱会することができた。

g 原告Gの主張

(a) 原告Gは,am専門学校2年生であった昭和59年4月15日ころ,駅前を歩いていた際,自分が統一協会員であることを隠したJ1から,生活意識アンケートへの回答を求められ,聖書に関心があると回答した。J1は,青年サークルと称してビデオセンターに原告Gを勧誘した。原告Gは,ビデオセンターで,現代の社会問題を取り上げた「生きがい」というビデオを見せられた。このビデオは,これらの社会問題を解決し,理想社会を建設する道があると断言し,残りの13巻のビデオを見るよう勧める内容であったため,原告Gは,13巻のビデオを見ようと考え,その場で受講料の一部を支払い,ビデオセンターに通うようになった。堕落性本性という講義では,アダムとエバの原罪から話が始まり,自己中心的な気持ちや他人に対する恨みや好みなどの人間の醜さを指摘されたことに原告Gは強く共感した。原告Gは,ビデオ講座の最後で「いま再臨のメシアが来ている。」と言われ,再臨のメシアは誰か明らかになることを期待した。

原告Gらビデオセンター受講生の情報は一つの様式にまとめて管理されており,J1らスタッフは,それらを利用し,受講生の様子や教え込みの度合いについて緊密に情報交換し合いながら,一人一人の受講生の性格や関心事に合わせてビデオの内容やその後の話合いでの話題を提供し,受講生が気づかされないままに,被告の教義や統一原理の教化を進めて行った。

(b) 原告Gは,同年7月下旬の上級2日修練会で過密かつ批判を許さない雰囲気の中で講義を受け続けているうちに,原告Gは次第に社会を堕落から救うために自分も何とかしなければという気持ちを強くして行った。講義の最後で,原告Gは,「再臨のメシア」がW8であると初めて聞かされた。

その後,原告Gは,同年9月の21日間トレーニング,同年10月末からの実践トレーニング(主に,統一協会を名乗らず真の目的を話さないまま街頭アンケートと称してビデオセンターに誘う活動)に参加した。原告Gの様子がおかしいことに気付いた同原告の両親が,同年秋ころから,原告Gの行動に強く反対するようになったが,教化の進んだ原告Gは,両親が反対するのは背後には悪魔(サタン)がいるからだと信じ込んだ。

原告Gは,同年の年末から昭和60年の年始にかけて,高崎市で開催された4日修練会という合宿に参加し,班長面接で,内的献身(大学卒業後は献身し,統一協会の教祖W8とその妻を支えるために人生を捧げること)を決意し,その後,両親の反対を押し切ってホーム生活を開始し,他の献身者たちと寝食を共にしながら,理想世界実現のためと称して霊感商法や,ビデオセンターへの勧誘活動をした。昭和61年4月,原告Gは統一協会長岡支部の学生部長となり,an大学内で学生を勧誘をしたり展示会の動員などをした。

(c) 昭和62年4月,原告Gは,大学を卒業すると共に統一協会に献身し,統一協会長岡支部の建物で共同生活をしながら,街頭などで勧誘活動や経済活動を実践し,統一協会内部では統一協会の教義を教え込む教育係を担当した。

同年5月,原告Gは,両親や親戚らにより保護され統一協会を辞めるように説得されたが,脱会を装って両親を安心させ,隙を見て逃げた。再度保護されることを避ける目的もあり,同年6月初めころ,高崎支部に異動させられ,そこで教育部に所属し統一協会員に対する初級トレーニングの講師や,街頭での伝道活動と称して正体や目的を隠したビデオセンターへの勧誘,有限会社鶴美が主催する展示会に人を動員し,詐欺的行為で着物や宝石を買わせるなどの活動に従事した。その後,兵庫県宝塚市での21日修練会,長野県松本支部教育部での講師,統一協会員のJ2の指示による「対策」活動に従事した。「対策」とは,統一協会に反対し統一協会に入った子を脱会するよう説得しようとする親やそれに協力する牧師や協力者の活動を妨害したり,説得のために保護された統一協会員を奪回するための活動をいう。

(d) 昭和63年10月30日,原告Gは合同結婚式に参加した。この合同結婚式後に,説得により脱会する会員が増加したため,原告Gは,J2の指示で,脱会した会員を奪回する「捜索活動」に従事した。その後,宇都宮支部教育部での実践トレーニング講師,国際勝共連合関東管区でのカンパ,選挙の応援(戸別訪問)等に従事した。

(e) 原告Gは,いわゆる氏族メシアの方針に従って家族を統一協会に入会ないし支援させるため平成5年1月に実家に帰った。その後,両親に保護され,同年2月中旬ころ脱会を決意し,同年4月に統一協会に脱会届を出した。

イ 被告の主張

(ア) 総論

統一協会の信者組織である連絡協議会が,その教義を紹介する目的で,ビデオセンター,セミナー,トレーニング等を行っていることは認めるが,被告が行っているのではないし,争点(3)に関する被告の主張で後述するように,勧誘方法に違法はない。

(イ) 各論

a 原告Aについて

原告Aの供述内容等は,拉致・監禁の上,棄教させられた結果,被告に反対する立場からの内容であり,当時の事実をありのまま述べているとは,到底措信できない。当時のことを脱会後の心境で振り返り,脱会後の心境を交えた意見が多く,予断と偏見をもたらすものである。

原告Aは,被告の役・職員になったこともなく,会社その他団体の運営に携わったこともないのに,全て被告の行為として,目的,活動,あるいは資金の流れまで供述しており,到底措信できない。また,原告Aは,被告がマニュアルをもって,信者らを管理したかのごとく主張をするが,事実に反する。

b 原告Bについて

原告Bは,入信当時,主体的に活動に取り組み,特に経済活動においては熱心に活動していた。しかし,拉致・監禁されて強制改宗させられた結果,被告に対する敵対心を植え付けられ,自分自身も他の信者の改宗活動に加担するようになった結果,自分が納得して行っていた経済活動を,霊感商法とか,詐欺的な販売などと言って,脱会後の評価ばかり述べ,当時の事実のままを述べていない。このような原告Bの態度は,祝福に関しての供述でも顕著である。

c 原告Cについて

原告Cは,勧誘の際に,「統一教会」との被告の名前を知らされ,それをはっきり認識していたのであり,「被告が正体を隠した不当な方法で勧誘し,入教に関する自由な意思決定を阻害した」という主張に全く反している。自己の主体的意思によって新潟教会に通い,熱心に勉強し,感動し,教えを受け入れた結果,統一教会に入会したことは明らかである。原告Cが献身したり,経済活動などを行ったことも,それを知った時点で,これを受け入れるかどうか選択を行い,自己の主体的意思によって献身し,経済活動などの活動を行ったのである。原告Cは,献身後の状況を手紙でしばしばQ4に伝えていたが,それによれば,原告Cが熱心に,喜んで活動していた。

d 原告Dについて

原告Dは,両親や反対牧師のI6牧師らによって拉致・監禁され強制改宗させられて,脱会した者であるが,監禁中に被告に対する強い反発心を植え付けられた結果,脱会後には,I6とともに,自らも被告の信者に対する違法な拉致・監禁による強制改宗に加担している。本人尋問の時点で,原告Dは職業的反対活動家に近い立場にあったのである。そのため,4回にわたって行われた尋問では,事実を歪曲して,反対派としての評価に終始し,自分に不利な事実を指摘されると,真実を述べず,たびたび非合理的な論理を繰り返したり,証言を拒否し事実を隠蔽するなどの言動を取っている。

原告Dが自己の意思に反してビデオセンター受講を強制されるような状況はないし,その後のセミナー等に勧誘された状況に何ら違法性はなく,原告Dは自己の主体的意思によって参加していることが明らかである。また,原告Dは,活動していた当時,救いを信じて,身を投じて活動してきたのであり,連絡協議会の活動に意義を感じて,自己の主体的意思によって活動していたことが明らかである。

e 原告Eについて

原告Eにとっては,ビデオセンターへの勧誘時やライフトレーニング等で,統一教会やW8師を明かされるか否かは,特に重要ではなかったのであり,原告Eは自己の主体的意思によって,ビデオセンターに来場し,受講を決定して,受講を続けた。ビデオセンター受講者のうち,最終的に信仰を持つようになる者はごくわずかであり,受講を止めることは自由であった。その後のセミナーやトレーニングへの参加についても参加について,断る自由があったのであり,自由意思を阻害された事実はない。原告Eは「保護」されなければ脱会できないように述べているが,原告Eの霊の親(入教への勧誘者)であるI1は自分から脱会しており,脱会の自由があったことは明らかである。

f 原告Fについて

原告Fは,自分を変えたいと考え,勧誘された日のうちにビデオセンター受講をすることを決めており,自己の主体的意思によって受講を決定している。また,原告Fが,宗教だと知った上で再び初級トレーニングを受講していることは,宗教であることを知っていれば受講しなかったとの主張が事実に反していることを示している。献身についても,強く勧められたというが,原告Fは,一人っ子であるという理由で,一旦断っているのであり,献身するかどうかは個人の自由であり,自由意思を阻害された事実はない。

献身後,青年支部(新潟支部)の機動隊に所属し,地上天国建設という理想を持って経済活動や勧誘活動を行ったが,原告Fが,これらの活動を強制された事実は一切ない。

g 原告Gについて

原告Gは,J1からアンケートを受けた時すでに聖書や宗教に関心があり,自らの意思でビデオセンターに行った。また,修練会において,スタッフらの修練会を充実させる努力はみられるも,修練会参加者を強制的に管理した事実はない。原告Gは,実践トレーニング当時,J1に,手紙で頑張っていることを報告している。

献身についても,先のことを知る必要はさしてなく,統一教会とか統一原理に出合ったことにより農家を継がない口実ができて献身してもよいという気持ちになった。

原告Gは,教化の過程において,段階ごとの決断においては,それら活動が宗教上有意義なものであると信じて自らが決めておこなったのであり,決断に際し,被告の役・職員からの働きかけはなかった。

(3)  争点(3)(被侵害利益,違法性)について

ア 原告らの主張

被告の入教勧誘と教化の「目的」「方法」「結果」を総合的に判断すれば,目的の特異性や悪質性,方法の詐欺・強迫的なシステム化された組織性や悪質性,結果の重大性が顕著であり,これらの事実を総合考慮すれば重大な違法性を有することは明らかである。

(ア) 入教勧誘・教化の目的

被告の究極の目的は,万物復帰の教義に基づいた巨額の資金集めにある。教義上,日本は「エバ国家」として「アダム国家」(韓国)に絶対服従し,人材と資金の供給をしなければならないとされているので,日本の統一協会(被告)は,W8の指示により,人材を供給し,資金を送金する責任を負わされており,それが被告の活動目的の中心となっている。被告は,資金集めと人集めの活動に絶対的に服従して,指示どおり従事する信者を大量に必要とするのである。しかもW8の送金指示は,「摂理」の名の下に次から次に巨額の送金を求めるという異常なものである(例えば「月に100億円を送金せよ。」といったもの)。被告はこの送金指示を実行するために高度に組織化された集金システムを構築して様々なマニュアルに従って稼働しており,この集金システムの中で信者らに霊感商法や違法献金など手段を選ばぬ活動を展開させている。

(イ) 方法

a 被告による入教勧誘と教化のシステム化は,極めて巧妙なシステムとして組織だってなされている。被告は長年に及ぶ活動の経験に基づいて一連の入教勧誘・教化プログラムをシステム化している。特に全国的にビデオセンターを設置した後は,ビデオセンターへの誘い込み,ツーデーズ,スリーデーズ,ライフトレ,フォーデース,新生トレ,実践トレといった献身に至るコースをシステム化し,その各段階毎に目標や役割をもたせ,およそ勧誘される者が想像できない種々の巧妙な働きかけを行っており,正体を隠し,先々の予定を隠し,嘘を言い,脅しもする。また,ことさら優しく言葉をかけて対象者の悩みや社会的環境等を聞き出して,スタッフに馴染ませるとともに,泊まり込みの研修などにより一般社会から引き離していくなど,組織からの離脱を困難とする環境設定も行う。これらのシステムは,各段階毎に緻密なマニュアルが蓄積・準備されており,そのマニュアルに従って実行される。これらは,社会的相当性を逸脱する違法な方法である。

b 被告の入教勧誘と教化は,単に一般教団のように,その教義を信じさせる目的にとどまるのではなく,教団のために全てを投げうって人材集めと資金集めに奔走させるという重大なものであり,そのような目的をもって勧誘する以上,それに即した説明義務が信義則上ないし条理上認められるべきである。にもかかわらず,被告の入教勧誘と教化行為は,被勧誘者に誤った認識を与えたまま重大な変化への道を選択させるものであって,そのような入教勧誘・教化は違法と判断されるのは当然のことである。

(ウ) 結果

a 原告らは被告信者の入教勧誘・教化で統一協会に入教し献身させられたことにより,以前には思いもしなかった被告の教義を受容し,確信するに至っているが,その教義内容は現実世界をサタンの支配する世界として敵視するなど,それまでの価値観とは全く乖離し対立するものであり,かつそれを絶対的世界観とするものである。また,生活面でも被告の指示に無条件で従うことを義務づけられてこれに従い,従前の住居を出てホームでの集団生活に入り,24時間被告の指示に従い,極めて過酷な経済活動や伝道活動に奔走する生活に入っている。家族との関係も断ち,男女関係や知人・友人との交流も厳しく制限され,これを実行している。

b このように,献身(あるいは正式入教)した段階で,原告らは「絶対信仰」「絶対服従」の生活に入っており,被告の組織から離脱することが困難な状況となっている。その理由は,①被告による教化の方法が極めて巧妙かつ緻密であるために教え込みの深度が深いこと,②被告の教義が現実社会を敵視する絶対的世界観を内容とするために,一旦受容されると自らの思考だけでこれを否定し切ることが困難になるという精神的拘束力を内包していること,③教義を絶対的なものと信じているため,その教義を用いた脅迫が極めて有効に機能すること,④常に被告の指示に従った睡眠不足と疲労の限界を超える過酷な生活条件下での活動に奔走させられ続けていること,等にある。

c また,入教勧誘と教化によって原告らにもたらされた結果は,献身時における結果に止まるものではなく,その必然的結果としてさらにその後長期間にわたって原告らを被告の支配下に置き,被告のための経済活動や伝道活動に無償で従事させるという重大な結果をもたらした。原告らはマイクロ隊や機動隊をはじめ,教育担当やビデオセンターの所長を含むスタッフ,ホームの食当,展示会の接待やトーカー,対策,その他さまざまな任務を与えられ,被告の指示に無条件で従い,長期にわたってこれらの活動に奔走させられてきた。これは,被告による入教勧誘・教化の目的が原告らを被告の指示に無条件で従う人材として育成することにあったことの必然的結果である。このことによって貴重な青春期を被告の利益のために不毛に消費され人生の歯車を狂わされるという重大な結果が原告らに生じてしまった。また,原告らと家族等の関係は断絶し,家庭の平穏が長期にわたり破壊されるという重大な結果が生じている。

d 原告らの中には,教化の過程で,高額な印鑑を購入させられたり,それまでに蓄えていたお金をほとんどすべて被告に献金させられたり,所持品を献品させられている。また原告らの中には,被告の一方的指示により,会ったこともなく,意思疎通すらできない外国人の異性,あるいは好きにもなれない異性との合同結婚に参加させられている。これもまた被告による入教勧誘と教化により原告に発生した重大な結果である。これについては,優越的地位の濫用として独立した不法行為が成立する。

e 被告の入教勧誘と教化によってもたらされたこれら原告らに対する重大な結果は,それ自体適切な情報に基づいて宗教を適切に選択する権利を侵害したという意味で宗教選択の自由を奪うものである。また長期間の拘束をもたらし,更には婚姻の自由までをも奪うという重大な違法行為であり,これらの結果は入教勧誘・教化の方法の違法性の総合評価についても重要な違法要素として評価されなければならない。

イ 被告の主張

(ア) ビデオセンターは,被告への入会・献身の入り口ではなく,被告の一部の信者らがW8の提唱する統一運動を支援するために自主的に組織した連絡協議会が設置し,運営・管理していたものであり,貸借名義人は連絡協議会所属の信者が個人名義や信者が経営する会社名義であった。ビデオセンターに始まる各種セミナーやトレーニングで学んだ者の中で,連絡協議会が目的とする統一運動の支援に賛同し,その活動に関わっていこうと自ら主体的に決断した者が連絡協議会の組織に献身したものであって,被告に献身したのではない。連絡協議会においてビデオセンターは一般教養的内容を学ぶカルチャーセンターとして設立,運営されており,また,そこでビデオを学んでその内容に共鳴した人に統一運動に参加又は支援してもらうことを目的としていたものであるし,勧誘方法も宗教団体一般が採用するものにすぎず,何ら違法性はない。

(イ) ツーデイズは連絡協議会の各ブロックの青年支部が主催し,通常,土曜,日曜日に行われる2泊3日の合宿セミナーで,その目的は,講師の講義による統一原理の紹介と受講生の理解及びその後のライフトレーニングとフォーデイズへの参加の意思確認と参加の決定であり,基礎的観念を植え付けることなどではない。また,ビデオセンターのスタッフらは,受講生にツーデイズがビデオ受講の内容を講師から直講義形式で学ぶものであることを伝えており,受講生はビデオ受講の内容が創造原理,堕落論,復帰原理であることを知っているのであるから,受講生らはツーデイズについて与えられた情報を自ら検討,判断し,出欠を決めていることは明らかである。

(ウ) また,その後の,ライフトレーニング,フォーデイズ,新生トレーニング,実践トレーニング等についても,受講生が自分の判断で参加しているのであり,勧誘方法に何ら違法性はない。

(4)  争点(4)(責任原因)について

ア 原告らの主張

(ア) 組織的一体性を有する法人に属する多数の自然人の行為が,複合して特定の目的達成のための「1つの行為」として評価される場合には,行為主体は,独立の社会的作用を担っている法人であり,そのような法人自体の行為,故意・過失を認めるのが妥当であるから,個人の具体的行為を問題とせず,法人に民法709条の不法行為責任を負わせるのが妥当である。こう解しても,民法44条1項,715条1項には,各条文ごとの存在意義がある。

(イ) 被告は,組織的一体性を有し,複数かつ不特定の自然人の行為によって,一定の目的達成のために宗教法人としての社会活動を営んでおり,個々の理事・幹部,その他の構成員の行為を超えた,法人としての意思を有し,その意思を実現する法人としての行為をなし得る。被告の信者らは,上司,組織,W8に対する絶対服従の原理に従い,万物復帰の名のもとに被告の手足となって違法な伝道活動,霊感商法等による資金獲得活動を担わされたのであり,被告は,違法行為について直接民法709条による賠償責任を負う。

イ 被告の主張

(ア) 民法709条を適用するには,「故意・過失」が必要であるが,「故意・過失」は,自然人の精神的発露であり,法人には観念できない。法人は,機関の存在を不可欠とし,機関を通じて行動するよりほかにないから,法人の不法行為については,民法44条1項,宗教法人法11条又は民法715条1項によってこれをみるよりほかなく,民法709条を適用することは妥当ではない。法人自体に民法709条を直接適用することを認めると,715条1項の適用範囲は極めて限定されたものになってしまう。

(イ) 民法709条による不法行為の構成が可能だとしても,本件訴訟においては,公害裁判のごとく,自らの意思に基づかず多大な肉体的,精神的被害を被った被害者が多数発生し,かつ被害者になることについて何らの落ち度もなく,その悲惨さゆえにその救済が社会的に強く要請される事案とは全く性質を異にする。

(5)  争点(5)(損害)について

ア 原告らの主張

(ア) 原告Aの主張

原告Aは,次のとおり,aないしdの合計988万円の損害を被った。

a 献品及び献金による損害  49万円

(a) 原告Aは,ホーム生活を始めるに当たり,所持品を被告に献品するようJ3から指示され,昭和55年10月ころ,所有していた冷蔵庫(時価2万円相当),ラジオカセット(時価8万円相当),ステレオ(時価10万円相当),食器類(時価2万円相当),テレビ(時価3万円相当),布団類(時価1万円相当)を献品した。時価の合計は26万円である。

(b) 原告Aは,昭和55年8月から昭和57年6月までの23か月間,被告に毎月1万円以上の献金(合計23万円以上)をさせられた。

b 逸失利益  350万円

原告Aは,昭和57年6月10日ころ勤務先を退職し,被告を一時脱会するまでの1年3か月間及び再献身した昭和59年1月下旬から家族に保護された昭和63年9月23日までの4年9か月間(通算5年10か月間),一般の勤務に従事することができなかった。原告Aに対する違法な入教勧誘は不法行為に該当するから,この不法行為と原告Aが上記期間,一般の勤務に従事することができなかったこととの間には相当因果関係がある。一般の勤務に従事していれば原告Aが得られたはずの賃金は,少なくとも月額10万円を下らず,生活費控除を50パーセントとすると,原告Aの逸失利益は,次のとおり,350万円となる。

10万円×0.5×70か月=350万円

c 慰謝料  500万円

以下の原告Aの精神的苦痛に対する慰謝料は500万円を下らない。

(a) 信教の自由を侵害されたことによる損害

原告Aは,被告の正体・目的を隠した一連の組織的な勧誘・教化行為により,被告の教義や信者の活動実態を知らされないまま被告に入教させられ,少なくとも原告Aが献身する時点においては,自らの力で離脱することが極めて困難な状態に置かれた。これは原告Aの信教の自由に対する重大な侵害である。

(b) 人間関係を破壊されたことによる損害

原告Aは,被告の勧誘・教化により,離脱困難な精神状態をもたらされたことの必然的結果として,それまでの人間関係や社会とのつながりを破壊され,脱会後も元統一協会の献身者という否定的評価を受けるという損害を被った。

(c) 献身による損害

原告Aは,献身期間中無償労働をさせられ,奴隷的ともいえる苛酷な生活と活動を強いられ,かけがえのない青年期を有害無益な活動に費やしたという精神的苦痛を受けた。

d 弁護士費用  89万円

以上aないしcの合計金額は,899万円である。原告Aは,本件提訴をするにあたり,原告代理人に対して弁護士費用としてその合計額の1割にあたる89万円(1万円未満切捨て)を支払うことを約した。

(イ) 原告Bの主張

原告Bは,次のとおり,aないしdの合計1377万円の損害を被った。

a 献品及び献金による損害  412万円

原告Bは,次のとおり印鑑を購入したり,献金をした。

(a) 昭和57年10月,被告の新潟支部の関係者から,21万円で印鑑を購入させられた。原告Bが印鑑を購入したのは,「先生」と呼ばれていた40歳位の女性(J4)で,その女性は原告Bの手相を観た後,「あなたには双子のもうひとりの方が亡くなられているでしょう。亡くなった姉さんは短命で終わっている。双子のあなたにも苦労する相がある。亡くなった双子の姉さんの分まで生きなければならない。この印鑑は亡くなった人のためにも供養になるし,あなたのこれからのお守りにもなる。これを授かって強く生きるように。」と述べ,原告Bの不安を偏り,印鑑を購入させたものである。

(b) 昭和58年4月27日から新潟支部でホーム生活を始めるにあたり,預金40万円と退職金11万円の合計51万円を被告に献金させられた。

(c) 昭和62年10月に「祝福」があるから,40万円から120万円の献金がすぐ必要であると言われ,実家から40万円をもらい,同年4月29日,被告に献金した。

(d) その他にも何度か「祝福」のための献金を迫られたため,昭和62年7月,8月ころ,客からのカンパ金等から少なくとも300万円を被告に献金した。

b 逸失利益  340万円

原告Bは,昭和55年5月に献身して,昭和64年1月に被告を脱会するまでの5年8か月の間(68か月間),一般の勤務に従事できなかった。原告Bに対する違法な入教勧誘は不法行為に該当するから,この不法行為と原告Bがこの間一般の勤務に従事することができなかったこととの間には相当因果関係がある。

原告Bが得られたはずの賃金は,少なくとも月額10万円を下らず,生活費控除を50パーセントとすると,原告Bの逸失利益は340万円となる。

10万円×0.5×68か月=340万円

c 慰謝料  500万円

以下に述べる原告Bの精神的苦痛に対する慰謝料は500万円を下らない。

(a) 信教の自由を侵害されたことによる損害

原告Bは,被告の正体・目的を隠した一連の組織的な勧誘・教化行為により,被告の教義や信者の活動実態を知らされないまま被告に入教させられ,さらに被告の一連の教化により,自力で離脱が極めて困難な精神状態に置かれた。これは,原告Bの信教の自由に対する重大な侵害である。

(b) 人間関係を破壊されたことによる損害

原告Bは,被告の正体・目的を隠した勧誘・教化により,それまでの人間関係や社会とのつながりを破壊された。特に,原告Bの母は,原告Bが合同結婚式に参加したことを苦にして自殺を遂げた。また,脱会後も元統一協会の献身者という否定的評価を受けた。

(c) 献身による損害

原告Bは,献身期間中無償労働をさせられ,奴隷的ともいえる苛酷な生活と労働を強いられ,かけがえのない青年期を有害無益な活動に費やしたという精神的苦痛を受けた。

(d) 合同結婚による精神苦痛

原告Bは,合同結婚式に参加させられ,個人の尊厳と婚姻の自由を侵害され,将来に禍根を残すことになった。

d 弁護士費用  125万円

以上のaないしcの合計金額は,1252万円であるが,原告Bは,本件提訴をするにあたり,原告代理人に対して弁護士費用としてその合計額の1割にあたる125万円(1万円未満切捨て)を支払うことを約した。

(ウ) 原告Cの主張

原告Cは,次のとおり,aないしdの合計1069万1000円の損害を被った。

a 献品及び献金による損害  97万1000円

(a) 原告Cは,昭和57年5月23日,因縁トークにより,35万円で印鑑セットを購入させられた。

(b) 原告Cは,昭和60年3月,統一協会関係者から,神の摂理のためと言われ,クリスチャン・ベルナールのダイヤの指輪を5万円で購入させられた。

(c) 原告Cは,昭和57年10月から昭和63年12月までの間,合計57万1000円を次のとおり統一協会に献金した。

① 原告Cは,昭和57年10月限りで退社し,同月31日,慰労金として3万円を支給され,同日,これを被告に献金させられた。

② 昭和58年4月から同年11月にかけて6回にわたって失業保険金合計34万9000円を被告に献金させられた(同年5月11日7万9000円,同年4月30日9万円,同年5月31日10万円,同年6月11日2000円,同年6月29日7万円,同年9月30日8000円)。

③ 昭和63年8月,オリンピック勝利のために3万円を献金

④ 昭和63年9月,献身者全員が強制的に1万円を献金

⑤ 昭和63年11月,祝福献金として7万円を献金

⑥ 昭和63年12月,摂理のため7万円を献金

⑦ 昭和57年から昭和60年にかけて毎年12月に蕩減献金として毎年3000円ずつ合計1万2000円を献金

b 逸失利益 375万円

原告Cは,被告の教え込みにより,昭和57年10月31日に勤務先を退職し,その後統一協会に献身して平成元年2月15日に統一協会を脱会するまでの6年3か月(75か月)余りの間,一般の勤務に従事することができなかった。

原告Cが得られたはずの賃金は,少なくとも月額10万円を下らず,生活費控除を50パーセントとすると,原告Cの逸失利益は375万円となる。

10万円×0.5×75か月=375万円

c 慰謝料  500万円

以下に述べる原告Cの精神的苦痛に対する慰謝料は500万円を下らない。

(a) 信教の自由を侵害されたことによる損害

原告Cは,被告の正体・目的を隠した一連の組織的な勧誘・教化行為により,被告の教義や信者の活動実態を知らされないまま被告に入教させられ,さらに被告の一連の教化により,自力で離脱が極めて困難な精神状態に置かれた。これは,原告Cの信教の自由に対する重大な侵害である。

(b) 人間関係を破壊されたことによる損害

原告Cは,被告の正体・目的を隠した勧誘・教化により,それまでの人間関係や社会とのつながりを破壊された。また,脱会後も元統一協会の献身者という否定的評価を受けた。

(c) 献身による損害

原告Cは,献身期間中無償労働させられ,奴隷的ともいえる苛酷な生活と労働を強いられ,かけがえのない青年期を有害無益な活動に費やしたという精神的苦痛を受けた。

(d) 合同結婚による精神苦痛

原告Cは,合同結婚式に参加させられ,個人の尊厳と婚姻の自由を侵害され,将来に禍根を残すことになった。

d 弁護士費用 97万円

以上のaからcの合計金額は,972万1000円であるが,原告Cは,本件提訴をするにあたり,原告代理人に対して弁護士費用としてその合計額の1割にあたる97万円(1万円未満切捨て)を支払うことを約した。

(エ) 原告Dの主張

原告Dは,次のとおり,aないしcの合計869万円の損害を被った。

a 逸失利益  290万円

原告Dは,昭和59年9月1日から平成元年6月末までの4年9月余の間献身し,一般の勤務に従事することができなかった。

原告Dが得られたはずの賃金は,少なくとも月額10万円を下らず,生活費控除を50パーセントとすると,原告Dの逸失利益は,290万円である。

10万円×0.5×58か月=290万円

b 慰謝料  500万円

以下に述べる原告Dの精神的苦痛に対する慰謝料は500万円を下らない。

(a) 信教の自由を侵害されたことによる損害

原告Dは,被告の正体と目的を隠した勧誘により,霊感商法による被害を受け,ビデオセンター,ツーデイズ,12トレーニング等の一連の組織的,詐欺的,脅迫的な違法行為により,主体性を喪失させられ,一般社会生活を送るうえで必要な社会常識な善悪の判断能力を奪われ,霊感商法や非人間的な商品販売活動等を行わせる被告に入教させられ,信教の自由が侵害された。

(b) 人間関係を破壊されたことによる損害

原告Dは,被告の正体・目的を隠した勧誘・教化により,それまでの人間関係や社会とのつながりを破壊された。また,脱会後も元統一協会の献身者という否定的評価を受けた。

(c) 献身による損害

原告Dは,献身期間中無償労働させられ,奴隷的ともいえる苛酷な生活と労働を強いられ,かけがえのない青年期を有害無益な活動に費やしたという精神的苦痛を受けた。

(d) 合同結婚による損害

原告Dは,合同結婚に参加させられ,個人の尊厳と婚姻の自由を侵害され,将来に計り知れない禍根を残すことになった。

c 弁護士費用  79万円

原告Dは,代理人らに以上a及びbの合計損害額790万円の1割に当たる79万円を支払うことを約束した。

(オ) 原告Eの主張

原告Eは,次のとおり,aないしdの合計774万9000円の損害を被った。

a 献金,参加費等による損害 34万9000円

原告Eは,次のとおり被告に支払った。

(a) 昭和63年11月下旬,10万円を,同年12月下旬,5万円を信者献金として

(b) 同年10月から平成元年2月までの間,合計4回にわたって,各3000円,合計1万2000円を名節記念献金として

(c) 平成元年3月から平成3年12月まで,合計12回にわたって,各1000円,合計1万2000円を名節記念献金として

(d) 昭和63年8月,ビデオセンター入会費及びツーデイズ参加費として3万5000円

(e) 同年8月下旬,ライフトレーニング及びフォーデイズ参加費として3万円

(f) 同年9月下旬,新生トレーニング参加費として6万円

(g) 同年10月から平成元年2月まで,毎月1万円ずつ合計5万円をトレーニング参加費として

b 逸失利益  170万円

原告Eは,平成元年3月1日に被告に献身し,少なくとも大学を卒業して勤務が可能であった同年4月1日から平成4年2月1日に被告を脱会するまでの34か月間,一般の勤務に従事することができなかった。原告Eに対する入教勧誘行為は不法行為であるから,この不法行為と原告Eがこの間一般の勤務に従事することができなかったこととの間には相当因果関係がある。

原告Eが得られたはずの賃金は,少なくとも月額10万円を下らず,生活費控除を50パーセントとすると,原告Eの逸失利益は,170万円となる。

10万円×0.5×34か月=170万円

c 慰謝料  500万

以下に述べる原告Eの精神的苦痛に対する慰謝料は500万円を下らない。

(a) 信教の自由を侵害されたことによる損害

原告Eは,被告の正体・目的を隠した一連の組織的な勧誘・教化行為により,被告の教義や信者の活動実態を知らされないまま被告に入教させられ,少なくとも原告Eが献身する時点においては,自らの力で離脱することが極めて困難な状態に置かれた。これは原告Eの信教の自由に対する重大な侵害である。

(b) 人間関係を破壊されたことによる損害

原告Eは,被告の勧誘・教化により,離脱困難な精神状態をもたらされたことの必然的結果として,それまでの人間関係や社会とのつながりを破壊され,脱会後も元統一協会の献身者という否定的評価を受けるという損害を被った。

(c) 献身による損害

原告Eは,献身期間中無償労働させられ,奴隷的ともいえる苛酷な生活と活動を強いられ,かけがえのない青年期を有害無益な活動に費やしたという精神的苦痛を受けた。

d 弁護士費用  70万円

上記aないしcの合計額は704万9000円であるところ,原告Eは,本件訴訟を原告代理人らに依頼するに当たり,原告代理人らに対し,弁護士費用として請求額の約1割に当たる70万円を支払うことを約した。

(カ) 原告Fの主張

原告Fは,次のとおり,aないしdの合計843万円の損害を被った。

a 印鑑購入による損害  3万円

原告Fは,昭和61年12月ころ,霊の力があると称するI4から因縁話を聞かされて3万円で印鑑を購入させられた。

b 逸失利益  265万円

原告Fは,昭和62年7月に被告に献身し,平成3年12月中旬に脱会するまでの約4年5か月間(53か月間),一般の勤務に従事することができなかった。原告Fに対する入教勧誘行為は不法行為であるから,この不法行為と原告Fがこの間一般の勤務に従事することができなかったこととの間には相当因果関係がある。

原告Fが得られたはずの賃金は,少なくとも月額10万円を下らず,生活費控除を50パーセントとすると,原告Fの逸失利益は,265万円となる。

10万円×0.5×53か月=265万円

c 慰謝料  500万円

(a) 信教の自由を侵害されたことによる損害

原告Fは,被告の正体・目的を隠した一連の組織的な勧誘・教化行為により,被告の教義や信者の活動実態を知らされないまま被告に入教させられ,少なくとも原告Fが献身する時点においては,自らの力で離脱することが極めて困難な状態に置かれた。これは原告Fの信教の自由に対する重大な侵害である。

(b) 人間関係を破壊されたことによる損害

原告Fは,被告の勧誘・教化により,離脱困難な精神状態をもたらされたことの必然的結果として,それまでの人間関係や社会とのつながりを破壊され,脱会後も元統一協会の献身者という否定的評価を受けるという損害を被った。

(c) 献身による損害

原告Fは,献身期間中無償労働させられ,奴隷的ともいえる苛酷な生活と活動を強いられ,かけがえのない青年期を有害無益な活動に費やしたという精神的苦痛を受けた。

d 弁護士費用  75万円

上記aないしcの合計額は768万円であるところ,原告Fは,本件訴訟を原告代理人らに依頼するに当たり,原告代理人らに対し,弁護士費用として請求額の約1割に当たる75万円を支払うことを約した。

(キ) 原告Gの主張

原告Gは,次のとおり,aないしfの合計1031万8000円の損害を被った。

a 献金  10万8000円

原告Gは,内的献身を宣言した後の昭和60年4月から脱会する直前である平成4年12月まで,月例献金として毎月1000円を統一協会に献金し(合計9万2000円),同じ期間に,W8が決めた七大名節と称する祝い日の特別献金として,1年に7回,毎回1000円ないし3000円を献金しており(少なくとも合計3万5000円),合計で少なくとも12万7000円を献金した。うち10万8000円を請求する。

b 印鑑購入費用  3万円

原告Gは,昭和61年春ころ,3万円で認め印1本を買わされた。

c セミナー等の参加費用  5万円

原告Gは,ビデオセンター,上級2日修練会,4日修練会にそれぞれ参加させられ,ビデオセンター受講料として3万円,上級2日修練会参加費として1万円,4日修練会参加費として1万円,合計5万円を支払った。

d 逸失利益  420万円

原告Gは,昭和61年4月の大学卒業後,就職しないまま献身し,平成5年4月に脱会するまでの約7年間(84か月間),一般の勤務に従事することができなかった。統一協会の違法な勧誘・教化行為に遭わなければ原告Gは通常の勤務に従事していたはずであり,少なくとも月額10万円の賃金を得ることができた。生活費控除を50パーセントとすると,逸失利益は420万円となる。

10万円×0.5×84か月=420万円

e 慰謝料  500万円

(a) 信教の自由を侵害されたことによる損害

原告Gは,被告の正体・目的を隠した一連の組織的な勧誘・教化行為により,被告の教義や信者の活動実態を知らされないまま被告に入教させられ,少なくとも原告Gが献身する時点においては,自らの力で離脱することが極めて困難な状態に置かれた。これは原告Gの信教の自由に対する重大な侵害である。

(b) 人間関係を破壊されたことによる損害

原告Gは,被告の勧誘・教化により,離脱困難な精神状態をもたらされたことの必然的結果として,それまでの人間関係や社会とのつながりを破壊され,脱会後も元統一協会の献身者という否定的評価を受けるという損害を被った。

(c) 献身による損害

原告Gは,献身期間中無償労働させられ,奴隷的ともいえる苛酷な生活と活動を強いられ,かけがえのない青年期を有害無益な活動に費やしたという精神的苦痛を受けた。

f 弁護士費用  93万円

上記aないしeの合計額が938万8000円であるところ,原告Gは弁護士費用として原告Gの代理人らに対し,その1割にあたる93万円の支払いを約した。

イ 被告の主張

原告らの主張は争う。献品,献金の具体的態様における違法性の立証がない。逸失利益や精神的苦痛に対する慰謝料についても,原告らが自由意思で判断して信仰心に基づいて活動したものであり,何ら違法性がない。

第3争点に対する判断

1  争点(1)(信者活動に対する被告の指揮・命令関係の有無)について

(1)  証拠(略)及び弁論の全趣旨によると,次の事実が認められる。

ア 統一協会に入信するまでのプロセスの概要

(ア) 統一協会の信者が,統一協会に入信するまでのプロセス(統一協会の信者が新規の信者を勧誘する伝道の方法)は,地域によって多少の違いがあるが,時期によって大きく分けると,昭和57年に全国的にビデオセンターが導入された前後によって区別することができる。なお,宗教法人としての被告は,一時期,伝道推進目的で,ビデオセンターの開設を準備し,施設の維持費,人件費等を賄うために受講生から受講料を徴収する方法を検討したが,収益事業とみなすとの東京都の指導により,結局,被告を直接の主体とするビデオセンターの設置を断念したことがあった。

(イ) ビデオセンター導入前の勧誘方法は,街頭で生活意識調査等の名目でアンケート活動を行い,回答者の関心事に宗教関係のものが含まれていると,話を聞きに教会へ来ることを勧誘し,その後に,セミナー(修練会)に参加させるという方法や,聖書学習会やクリスマスパーティーを端緒として,知人・親戚等に直接教会へ来るよう勧誘し,さらにセミナーへの参加につなげていくといった方法が中心であった。セミナー参加後のプロセスについては,ビデオセンター導入後と概ね同様である。

(ウ) ビデオセンターを通じて統一協会に入信するまでは,概ね,ビデオセンターにおける統一原理に関するビデオ講座の受講,ツーデイズ,スリーデイズ,ライフトレーニング,フォーデイズ,新生トレーニング,実践トレーニング,献身(会社勤務等の通常の勤労生活をせず,統一協会の伝道活動や物品販売活動に専従すること。)という過程をとる。ビデオセンターへの勧誘方法としては,街頭アンケートで初対面の通行人を勧誘する路傍伝道,知人や親族等を勧誘するFF伝道,商品(壺,多宝塔等)の販売展示会(以下「展示会」という。)を契機とする方法等がある。

ビデオセンターにおける学習は,ビデオ視聴形式を中心とした統一原理に関する講義受講(有料)の方式が採用される。ツーデイズ等のセミナーは,合宿形式で講師が統一原理等に関する講義をする有料のセミナー(修練会)であり,講師以外のスタッフも統一協会の信者が務める。ライフトレーニングは,集中研修であり,新生トレーニング及び実践トレーニングは,ホームに泊まり込んで信者が集団生活をする長期の研修である。

上記の各研修過程においては,統一原理等の講義が繰り返される。また,概ね,スリーデイズ又はライフトレーニングあるいは,トレーニング後のセミナーまで,被告の名称や統一協会がW8をメシアと考えていることは明かされない。また,上記の各過程では,受講生等(段階により修練生とも称する。)は,ビデオセンターのスタッフ等によって,その私的な悩みごと,関心事,問題意識等(これらを「ニード」と称していた。)や,成長度(統一原理等の理解度や,信仰の程度)を確認され,次の研修のスタッフ等に情報が引き継がれる。ただし,街頭で声をかけられた者のうち,実際にビデオセンターに通うようになる者の割合は,数パーセント程度であり,ビデオセンター受講者やセミナー参加者のうち,セミナー等における勧誘に応じて献身の段階にまで到達する者の割合は更に低く,途中で相当数の受講生等がやめていくのが通常である。

イ 統一協会の信者の組織及び活動

統一協会の信者は,地区と称される部署に属し,各地区の下には,青年支部,店舗及び壮婦部と呼ばれる部署があった。青年支部の下には,ビデオセンターから新生トレーニングまでの研修過程を担当する教育部,実践トレーニングが終了した学生が所属し,卒業までの間,伝道活動や物品販売活動を行う学生部,実践トレーニングの終了後,仕事を続けながら伝道活動や物品販売活動を行う信者が所属する青年部があった。学生部及び青年部に所属する信者も,いずれは献身するよう説得された。

ウ 献身後の信者の活動等

献身後の信者は,退職金等を献金としてホームの会計担当者に渡し,ホームの会計から1か月に数千円から1万5000円程度の小遣いの支給を受けることになる。また,統一協会の関連企業の印鑑や宝石を購入する者もいる。献身後の信者は,伝道機動隊に所属してビデオセンターへの誘い込みをしたり,展示会への動員活動や物品(ハンカチ,茶,宝石,珍味,印鑑等)の販売活動等に従事し,また,教育部に所属してビデオセンターや各種セミナー等のスタッフになったりする。また,マイクロ隊に所属して,6,7人のチームを組み,改造したマイクロバスやワゴン車に寝泊まりしながら,各都道府県を回り,連日,戸別訪問して珍味等を販売する信者もいる。上記各活動には達成日標が設定され,献身者は,これを達成すべく活動に励む。

献身者は,被告の信者としての成長段階に応じて,被告が主催する21日修練会や合同結婚式(祝福)等に参加する。また,事業団と称し,信者の経営する企業へ配属される者もいる。

(ア) ビデオセンター及びセミナー

献身者は,ビデオセンターに来場した受講者の関心事項,職業や資産状況,悩みごとや家族の抱える問題(ウイークポイント)等の情報管理を管理し,その後のセミナー等への参加を勧誘していた。また,セミナーでは,自らスタッフとして参加者を献身に勧誘していた。

伝道の対象者からは,実践メンバーとしてやっていけない者,身体の不自由な者,病人,時間のない者を排除するよう指導されていた。

(イ) 展示会

壺や多宝塔などの展示会では,1回ごとに明確な売り上げ目標が立てられる。トーカーと呼ばれる霊能者役を演じる信者がおり,顧客の私的な悩みごと,家系,資産状況等を予め把握しておき,あたかも霊能力があることで顧客の悩み等を言い当てたかのように振る舞い,その悩みを解決するためには霊石と呼ばれる壺や多宝塔を購入する以外の方法がないと信じさせて購入に導く。展示会のスタッフとしては,他に,トーカーへの具体的な指示を出すタワー長,顧客を会場まで運ぶドライバー,接待係,会場係,総務,会場まで顧客に同行し,ともにトーカーの話を聞く担当者等がいた。

壺や多宝塔は,株式会社ハッピーワールドが輸入販売元となっていたが,統一協会信者によるいわゆる霊感商法として大きな社会問題となったため,昭和62年3月に輸入が停止された。

(ウ) マイクロ隊

マイクロ隊の隊員は,朝早くから深夜まで戸別訪問を繰り返して珍味等を販売し,目標が達成できるまでは車には帰らず,帰っても,再度深夜の飲屋街に訪問販売に出掛けるなど,過酷な生活を送る。その結果,健康を損ねたり,居眠り運転で交通事故に遭うこともあった。

(2)  以上の認定事実を前提に,争点(1)について検討する。

被告は,統一協会の信者らによる伝道活動・経済活動や教育プログラムは全て信者組織である連絡協議会の活動であって,被告は何ら関知していない(被告と信者の活動との間に指揮・命令関係はない。)旨主張する。

ア しかしながら,前記(1)に認定した事実によれば,ビデオセンターへの勧誘等から始まる一連の勧誘・教化過程においては,統一協会の信者獲得のため,被告の教義の教化行為が組織的かつ不断に行われており,その結果献身に至った信者も,被告の教義の実践活動として伝道活動や経済活動に励んでいるものということができる。また,(1)ア(ア)に認定したとおり,被告は,ビデオセンターの設置による伝道を検討していたが,収益事業に当たるとの東京都の指摘によってこれを断念したというのであるから,東京都の指摘がなければ,宗教法人としての被告自身の活動としてビデオセンターの設置が行われたと推認することができる。

イ さらに,証拠(略)によれば,被告は,株式会社光言社から中和新聞を発行しているところ,同新聞には,被告自体の活動と特に区別することなく,ビデオセンターによる伝道活動の報告や,地区ごと伝道数を競わせる伝道大会等の記事が掲載されていることが認められ,この事実からすれば,被告としても,上記活動を認識し,積極的に推奨していることが明らかである。そして,後記認定のとおり,研修等の過程では,被告に対する献金も行われているのである。

ウ 以上によれば,前記(1)に認定した一連の被告への入信勧誘・教化行為や,それに続く献身者等による経済活動は,形式上は統一協会の信者組織あるいは個々の信者が主体となって行っていたものであったとしても,宗教法人としての被告の活動として明示的(少なくとも黙示的)に許容されており,実質的には信者組織あるいは個々の信者に対する被告の指揮・命令が認められるというべきであり,被告の上記主張は採用することができない。

なお,宗教法人としての被告が,いわゆる信者組織及び個々の信者による伝道活動及び経済活動に対して指揮・命令関係を有していたことを前提に,以下の認定・判断においては,宗教法人としての被告及び信者組織の両者を含めた意味で「統一協会」という用語を用いることとする。また,「教会」,「研修所」,「支部」等の各固有名詞についても,特に断らない限り,「統一協会の」との意味で用いる。

2  争点(2)(侵害行為)について

(1)  原告A関係

証拠(略)及び弁論の全趣旨によると,原告Aにつき,次の事実が認められる。

ア 勧誘

(ア) 原告Aは,昭和36年12月27日に生まれ,昭和52年4月,新潟県柏崎市の高校へ進学した。原告Aは内向的な性格や虚弱体質を直したいと思い,ヨガを試すうちに仏教や人間の存在を超えた神の存在,霊界等に関心を持つようになった。

(イ) 原告Aは,昭和55年3月に高校を卒業し,同年4月,東京都大田区cにあるao専門学校公害工学科に進学し,学校近くにアパートを借りて生活するようになった。原告Aは,同月29日の夕方,帰宅途中の駅の構内で統一協会信者であるH5(当時24歳)から青年意識調査に関するアンケートへの回答を求められた。アンケートは,原告Aの関心事が何か,神や霊界の存在を信じているか,真理を知りたいと思わないかといった内容であり,原告Aは,日頃思っていたことを回答すると,H5は,「新しい真理の話を聞いてみましょう。」という趣旨が記載されたパンフレット(「統一協会」との表示のあるもの)を原告Aに交付し,被告のc教会で話を聞くことを勧誘した。

(ウ) 原告Aは,夕食後,H5にc駅西口(c6丁目)のc教会に案内され,約2時間にわたり,H5と共にJ3と名乗る講師の講義を受けた。その講義の内容は,二性性相(陰と陽)と霊界に関するもので,神の存在と霊界の存在を肯定し,地上界で悪を行うと地獄に行く,というものであった。

講義後,J3は,同年5月3日から5日までスリーデイズという合宿形式での修練会への参加を原告Aに勧めた。原告Aは,一旦断ったが,J3とH5から「永遠の生命がかかっているのですよ。」と執拗に勧められたため,スリーデイズに参加することにした。

(エ) それから約2日後,原告Aは,c教会の関係者から堕落論の講義を受けた。講義内容は,「人類始祖の堕落の原因は淫行であり,その後全人類が血統的に罪を背負っている。あなたも罪を背負っている。」という趣旨のものであった。原告Aは,スリーデイズの出発に先立って講義の本を購入し,H5から手作りのブックカバーをプレゼントされて感激した。

イ スリーデイズへの参加

(ア) 昭和55年5月3日,スリーデイズの参加者がc教会の礼拝堂に集合し,マイクロバスで神奈川県のd研修所に向かった。参加者は約200名であった。スリーデイズでは,朝6時に起床し,洗面,食事の後に開講式があり,食事,レクレーション等以外は,当時の東京第2地区長であるJ5による統一原理の講義が1日10時間程度行われた。睡眠時間は1日6時間であったため,講義中,居眠りをする参加者もいた。自由時間は少なく,食事中も班長から感想を聞かれたりしたため,他の参加メンバーとの会話はほとんどできなかった。原告Aは,講義を受けることにより,神や霊界が存在すること,人間の堕落は淫行であり,全人類が血統的に罪を背負っていること,イエスキリストの十字架は失敗であったこと,歴史は繰り返され現代は再臨のメシアが来る時であることを繰り返し聴かされた。

(イ) スリーディズ終了後,c教会の礼拝堂に戻ると,H5や他の統一協会の信者が原告Aら参加者を出迎え,ウェルカム・パーティー(歓迎会)を開催した。

(ウ) 原告Aは,スリーデイズ参加後から,アパートで一人になると,部屋中に霊が充満しているようで恐怖を感じるようになり,聖書を読みたいという衝動にかられ,創世紀第1章の天地創造を読むと身体中が熱くなり,涙がとめどもなく溢れるという体験をした。

ウ 7日間トレーニングヘの参加及び入信

(ア) 原告Aは,スリーデイズから戻った翌日,c教会に行くと,H5から,7日間の通いのトレーニングへの参加を勧誘された。原告Aは,友人との約束を理由に一旦断わったが,H5から,トレーニングへの参加は神様の願う大善であり,友人との約束は小善であると述べて参加を勧めたので,原告Aは,トレーニングに参加することにした。また,アルバイトを始めようと考えていたが,真理を学んだ方がためになると説得され,始めないことにした。

(イ) 7日間トレーニングは5月中旬から下旬にかけて,東京都大田区eにある一軒家で行われた。スタッフは,講師のJ6のほか,班長と食当(食事当番)がいた。参加者は7,8名程度で,ほとんどが先のスリーディズの参加者であった。午前6時に起床,体操,朝拝,祈祷会や説教があり,朝食後は学校へ行き,午後8時から10時まで講師の原理講論の講義があった。講義中は,私語,質問は許されていなかった。講義後,講義についての感想文を書かされ,就寝は12時近くで睡眠不足に悩まされた。また,ベンハー,クオバディス,天地創造といったキリスト教に関連した映画を鑑賞した。

(ウ) 原告Aは,7日間トレーニングの期間中,寝入りばなに2回程強烈な金縛り(眠りについてしばらくすると自分の意思に反して身体が動かせなくなる状態)に遭ったので,講師に相談したところ,講師は,「会場にサタンが入りやすい状態なので金縛りに遭ったのではないか。」と回答した。

(エ) 7日間トレーニングも終わりに近づいたころ,原告Aは,J6講師から統一協会への入信を勧められ,キリスト教の1宗派と思って統一協会に入信した。この当時,原告Aは,統一協会の教祖がW8であり,再臨のメシアとされていることや,ホーム生活や献身があることを知らされていなかった。

エ 21日間トレーニングへの参加

(ア) 原告Aは,統一協会に入信した後,21日間トレーニングに参加するよう勧められ,昭和55年5月下旬から6月下旬にかけて参加した。場所とスタッフは7日間トレーニングと同じであったが,参加者は少し減っていた。

(イ) 講義内容は,原理講義,主の路程,祈祷学,伝道学で,伝道実習として統一協会出版の雑誌「新天地」の訪問販売があり,他に祈祷会,和動会,スポーツ大会等があった。生活は7日間トレーニングと同様であったが,伝道実習として行われた「新天地」の訪問販売では,訪ねたことのない家庭を一軒ずつ訪問して販売をするというものであり,原告Aにとって初めての体験であった。

オ 実践メンバー

(ア) 原告Aは,21日間トレーニング終了後,実践メンバー(実践活動に従事するメンバー)として扱われるようになった。原告Aは,親からの仕送り(月額7万円)以外の収入はなかったが,学生12修練会への参加を勧めにアパートを訪ねてきたJ3とJ7から,仕送りの中から10分の1を献金するよう求められて献金をすることにした。原告Aは,実践メンバーとして扱われていたため,これを拒否することができず,結局,昭和55年8月から献身する昭和57年6月までの23か月間,少なくとも毎月1万円以上(合計23万円以上)を統一協会に献金した。

(イ) 原告Aは,そのころから,統一協会信者が経営する会社の製品であるジンセンアップ(朝鮮人参の入った健康飲料水)の訪問販売をするようになり,毎日のように他の信者とペアを組んでアパートを中心に訪問販売を行った。原告Aは,購入者が支払った代金が統一協会への献金となる(神のみ旨に貢献する)と信じていたが,統一協会を名乗らずに販売していた。

カ 学生12修練会(メシアの証し)

(ア) 原告Aは,入信前から21日間トレーニングに至るまでの間,創造原理,堕落論,復帰原理について繰り返し講義を受け,創造主の存在や堕落の原因,堕落による罪の意識,霊界の存在を信じ,堕落した人類を救済する再臨のメシアを迎える時が来ていると信じるようになった。

(イ) 原告Aは,昭和55年7月,学生部の所属となり,J3が学生部長となった。原告AはJ3から学生12修練会(12日間)への参加を勧められていたので,これに参加することにした。修練会は同月20日から31日にかけて神奈川県厚木市にある統一協会の修練所で開かれた。講師はJ8で,班長はJ9であった。J8は,講義の中で,参加者らに対し,再臨のメシアがW8であること,今,参加者らが再臨のメシアと共に生きており,家族や親族だけでなく,死んで霊界に行った先祖も含めて氏一族の代表(氏族のメシア)としてこの真理を聞いていること,氏族の救いは参加者らにかかっていること,参加者らが人類に先がけて神に選ばれた選民であることを述べた。これを聞いた原告Aは,感激し,統一原理を信じていく道しかないと考えるに至った。

(ウ) 原告Aは,この修練会で,J8の講義のほかにK1の講義,K2地区長の祈祷学の講義を受け,さらにK3会長(被告の当時の会長)が神の啓示を受けたという神奈川県fでの深夜祈祷会や,街頭演説(g),街頭伝道(横浜駅前)に参加した。

キ 万物復帰の実践

(ア) 原告Aは,J3学生部長から学生12修練会後に万物復帰と称するお茶の販売活動(被告では「マイクロ隊」とも呼ばれていた。)に参加するよう指示されていたので,昭和55年8月上旬から中旬にかけてこれに参加した。これはワゴンの改造車に参加者7ないし8名が乗り込み,J3をキャプテンとして約2週間にわたってお茶を販売するために東北と北海道を回るもので,c-大宮-郡山-仙台-盛岡-十和田-青森-函館-小樽-札幌-旭川-稚内-網走-帯広-苫小牧-八戸-cという行程であった。

(イ) 出発前には結団式があり,原告Aら参加者は,J3から,お茶を買った人は無意識に統一協会に献金し,神に貢献することになり,その人も救われることになると説明を受け,「統一協会」の名前は出さず,単なるアルバイトでお茶を売っていると言うよう指示された。

(ウ) この期間,原告Aら参加者は,朝5時に起床し,午前7時から午後9時までお茶売りの訪問販売をし,2時間に1回電話で販売の実績を報告するように指示され,昼食代として500円を与えられた。夕食は午後10時で,その後反省会や祈祷会があり,就寝は午後12時か翌日の午前1時ころ,就寝場所は車の中の寝袋であった。

(エ) 参加者らは,神が予め購買客を用意しているから,売上実績が信仰の深さを証明すると説明され,1日に3万円のノルマを課された。原告Aは,1日に約1万円の実績しか上げられなかったが,この共同生活を通じて参加者らに対して連帯感や親近感を抱くようになり,初めての家を訪問することに抵抗感を感じなくなっていった。

ク ホーム生活

(ア) 専門学校の2学期も始まり,昭和55年9月に入ってから原告Aを含む学生部の信者は,c駅でアンケートによる街頭伝道を始めた。学生部の信者らは,J3学生部長から,信仰を保つために学生同士で生活することを勧められ,同年10月から4名の学生(J7ホーム長,W3,W4,原告A)だけの共同生活(ホーム生活)をc駅西口近くのアパートで開始した。原告Aは,ホーム生活を始めるにあたり,J3から所持品をすべて献品するよう指示され,同年10月ころ,冷蔵庫,ラジオカセット,ステレオ,食器類,テレビ,布団類を献品した。

(イ) 原告Aら4名は,厳しい条件を自分に課し,実践していくことが神のためになると教えられ,毎日競争して条件を立てあい,聖書,原理講論,統一原理,勝共理論等を読み,祈祷,水行などをこなす生活を送った。同年11月からは,J7ホーム長の指示で,4名で世界日報(被告の発行していた日刊紙)を配達するようになった。午前5時に起床し,世界日報を配達した後で水行をし,学校に行き,夕方から街頭伝道を行い,聖書,原理講論,統一原理,勝共理論を読んだり祈祷をしたりして,午後11時から12時に就寝する生活を続けた。

(ウ) 原告Aは,学校に行っている時以外は,常にメンバーと行動を共にし,自由時間はなく,J7ホーム長に報連相(報告,連絡,相談)をしなければならなかった。このような生活で,原告Aは,学校では居眠りばかりしていた。

ケ 一連の教育プログラム

(ア) 原告Aは,昭和55年の年末,川崎市dで行われた上級スリーデイズという修練会に参加し,W8がメシアであることを再度教えられた。また昭和56年1月25日から27日にかけて3日間断食,同年2月には水行を行った。これらは冬の寒い時にしなければ意味がなく,それをすることでサタンを分別することができると言われて行った。このころ,学生ホームで壺の展示会が行われ,原告Aはその手伝いをしたが,その際,K4支部長に70万円の壺を買うように言われたが,学生で金がないという理由でこれを断った。

(イ) 原告Aは,同年3月,アベルの指示で千葉県ad町所在の中央修練所で行われた学生21日修練会に参加した。勝共理論,統一原理の講義の他,万物復帰と称するお茶の訪問販売が行われた。訪問販売は1日3万円がノルマだったが,原告Aは1度も達成できず,K5進行役(修練会の進行役)に「1日3万以下の実績しか上げられない奴は人間じゃない。」と怒鳴られた。訪問販売は午前7時から午後9時までマイクロバスで移動しつつ行われ,2時間ごとにK5進行役に報告をした。就寝時刻は午後12時か午前1時であり,出先のホームなどで寝泊まりした。

(ウ) 原告Aは,同年4月,2年生に進級した。ホームは,以前住んでいたアパートの近くに変わり,勤労青年と共同生活をするようになった。

原告Aは,同年7月,大田教会c支部のK6支部長から,再度21日間トレーニングに参加するよう指示された。さらに同年8月,アベル(上司)の指示でセブンデイズに参加し,このころ,元の教会の礼拝堂がホームとなった。原告Aは,新しい仲間もできたため,ホーム生活にも喜びを感じるようになった。

(エ) 原告Aは,同年9月,伝道大会(コンテスト)に参加するため,c支部のメンバーと共に,大井埠頭での深夜祈祷会に出席した。深夜祈祷会では,聖歌58番(丹心歌)を全員で大きな声で歌い,年内(昭和56年中)に3名の霊の子女を伝道する決意をした。原告Aは,同月18日,c駅前でアンケートを求めてK7を勧誘し,その後,統一協会に入信させた。

(オ) 原告Aは,毎年年末年始に行う勝共カンパで山梨県に行くことになり,同年12月25日から昭和57年1月5日まで,10日間の日程で参加した。

コ 献身

(ア) 原告Aは,専門学校を卒業した後,献身するか就職するか悩んだが,K6支部長から,就職するよう指示されたこともあり,1年間働いてから献身することとした。昭和56年12月には,apという会社に就職することが決まった。

(イ) 原告Aは,昭和57年3月,専門学校を卒業し,apに就職して社会人となった。礼拝堂近くのマンションがホームとなり,職場も近くにあった。朝は早くから世界日報の新聞配達,昼は職場での勤務,夜は深夜までの伝道をするという生活が続いた。

(ウ) 原告Aは,同年5月,K6支部長に献身を勧められ,共に活動をしていたメンバーが次々と献身していったことから,献身を決意し,同年6月10日ころ,会社に辞表を提出し,統一協会に献身した。原告Aは,当時,統一協会の信者が献身後,印鑑,壺などの販売をすることは知っていたが,それは広くは地上天国実現のため,また個々には救いのためと教えられていた。

サ 印鑑販売と伝道活動

(ア) 原告Aは,本部会員試験に合格し,昭和57年6月21日,本部教会員となり,同月下旬には印鑑販売に用いる姓名判断の学習をした。当時,原告Aは,印鑑購入者は,代金の支払によって神に貢献し,売った者はそのことを通して購入者を救いに導いたのだと教えられていたため,印鑑販売に罪悪感はなかった。同年7月中は毎日午前9時から午後3時まで横浜方面で印鑑販売をし,夕方はcで伝道し,就寝は午前1時という生活をした。印鑑の売上実績は,3日目に3万円,7日目に28万円,月末に15万円だった。

(イ) 原告Aは,同年8月,店舗で印鑑の販売をするように指示され,本格的に印鑑販売をするようになった。この月はあまり実績が上がらなかったため,原告Aは,神にすまないとの気持ちを抱いた。

シ 第5期研修隊の活動

(ア) 原告Aは,昭和57年8月20日ころ,伝道と勝共カンパを目的とする第5期研修隊に参加することになり,神奈川県の厚木修練所へ集合するよう指示された。そこには東京都内や関東各地から約100名の信者が集まり,2日ないし3日間の修練会が行われた。修練会の中でK8部長は,信者に対し,「やる気のないやつは今のうちに帰れ。」と言った。

(イ) 研修隊のメンバーは,東京10地区,神奈川,宇都宮,新潟と10数か所,各地区8名程度の隊員に分けられ,隊長とチームマザーが決められ,それぞれの地区に出発した。原告Aは,K9隊長,L1チームマザーを中心に男6名,女5名の11名のチームに配属され,東京第3地区(h中心の世田谷地区)を担当した。

(ウ) このころは,統一協会が全国的に進めていたビデオセンターの開設時期でもあった。原告Aは,東京第3地区で,原理講義や講話を聴いた後,ビデオ伝道の出発にあたり,ビデオを採用して伝道実績を挙げたビデオセンターにおけるチケット販売による伝道方法を教えられた。この際,アベルから,今後は全国の統一協会の看板を下して,ビデオセンターを拠点とした伝道をして行く旨の話を聞いた。

(エ) 東京第3区でのビデオ伝道の最初の3日間は街頭での講義を行った。8月下旬の暑い中,原告Aを含む参加者は,午前9時から午後9時まで昼食も食べずに小さな黒板を各自が持って街頭講義をした。原告Aは,人通りの多い場所で,大声で講義をしたが,立ち止まって聞く人はいなかった。その後,チケット販売をしたが,3日間,原告Aだけ実績が出なかった。4日目から渋谷で伝道を始め,チケットが売れ始め,約1か月半で10人をビデオセンターに通わせた。

(オ) 原告Aは,同年9月ころ,K9隊長からビデオセンターにおける勧誘のマニュアル(甲113)を受け取った。そのマニュアルには,ビデオセンターの来場者は人生に希望がない等の問題を抱えた「堕落人間」であり,来場者の弱みにつけ込んで勧誘すべきことが説明されていた。

(カ) 研修隊の活動内容は,同年10月に入って勝共カンパとなった。この活動では,1日平均2万円以上の実績を出さないと各支部へ戻されるということになっていたが,原告Aは最初の2日間はノルマを達成できなかったが,最後の3日間は1日4万円以上の実績を挙げた。最後の2日間は,深夜まで新宿iでカンパ活動をした。

ス 21日修練会と国際機動隊

(ア) 原告Aは,昭和57年11月,千葉中央修練所で開かれた第93回21日修練会に参加するよう指示され,そこでL2,J9の両講師から講義を受けた。修練会は,毎日,午前8時から午後9時まで原理講義8日間,勝共理論3日間,統一思想3日間の講義を受けた後,万物復帰と称するお茶売りを5日間,伝道を3日間行った。

(イ) 同年12月,原告Aを含む21日修練会卒業者(93期生)全員が国際機動隊(マイクロ隊)として活動することになった。93期生は勝共カンパ部隊となり,原告Aは東北部隊に配属された。この部隊は100名以上のメンバーが20名位ずつに分かれた大部隊だった。原告Aは,東北部隊の本部のある泉市(現在は仙台市)に行き,L3隊長に挨拶してマイクロバスに乗り込んだ。L4キャプテンを中心に隊員5名で,任地の山形に向かった。L4キャプテンは,隊員に,カンパを1000円単位で貰うこと,戦争反対や北方領土返還等の名目でもらうことを指示した。原告Aらの部隊は,最初に山形県東根市でカンパ活動を行い,1日1万4000円程度を集めた。

(ウ) この間,原告Aは,午前5時半に起床し,祈祷,朝食,洗顔(近くの駅や公園で行う。)をして出発した。また,常に野外で用便をしていた。午前6時半ないし7時からカンパが始まり,午後9時ないし12時まで行われた。夕食は午後11時ないし12時で,その後祈祷会があり,就寝は午後12時ないし午前1時だった。常に睡眠不足の状態で,朝,昼の食事はパンで(昼は1人500円が支給される。),夜は弁当であった。カンパ活動の間は,走ったり歩き通しであった。

(エ) 同年12月後半,原告Aの任地は山形県から岩手県に変わった。原告Aがj町でカンパ活動を始めたところ,警察から呼び出しを受け,2時間程説教をされた。同月31日,原告Aは,盛岡市内の神社で立ちカン(街頭募金の名目は恵まれない子に愛の手をというもの。)を行なうことになり,八幡神社の境内で徹夜で立ちカンをした。冷え込みのせいで原告Aの両手は霜焼けでただれ,耳はあかぎれ,頬も霜焼けとなり,赤く腫れ上がった。昭和58年正月の4日間,原告Aは,盛岡市内の街頭で一日中立ちカンを行い,霜焼けが悪化した。

(オ) 同年2月に入り,秋田県に任地が変わり,原告Aは,大雪の中,霜焼けの痛みと足の怪我をこらえ,足を引きずりながら歩き,カンパを続けた。同年3月,北海道を苫小牧から札幌に回り,同月下旬再び山形県下に戻った。

セ 印鑑部隊及び難民カンパ

(ア) 機動隊では,昭和58年4月から,I(印鑑),S(壺),T(多宝塔)の販売をすることになり,マイクロ部隊と印鑑部隊に分けられた。原告Aは印鑑部隊に配属された。

(イ) 印鑑部隊は,宮城県石巻市に新しいホームを借り,L5隊長のもと30名位の隊員が集まり,石巻,k等を2週間程かけて回ったが,原告Aは実績をあげられず,3万円の印鑑を1本売っただけであった。7,8名の男性隊員も同様に実績を挙げられず,男性だけで再びカンパ部隊を作ることになり,原告Aはそのキャプテンとなった。カンパ部隊は約2週間で,原告Aは1日平均約4万3000円位の実績をあげ,そのころ行われていた全国大会の最高額を記録した。

(ウ) 原告Aの部隊が活動を終えて石巻市に戻ると,印鑑部隊が獲得した客に対するS展(大理石壺の販売)が開かれ,カンパ部隊はその手伝いをした。タワー長は,ゲスト(顧客)に対し,「もし,これ(壺)を授からなければ,1年以内にあなたの位牌が立つ。」といったトークをメンバーに言わせていた。

(エ) S展が終わり,原告Aは,再びカンパをするようL5隊長に指示された。原告Aは,キャプテンとして任地を見つけるため,全国各地の勝共連合(勝共連合も行なっていたため,カンパ活動をする場合には各地の勝共連合の承認を必要とした。)に電話をしたが,見つけることができず,L5隊長やL6総団長から,「全国で1日カンパすれば,何百万円と復帰できるんだ。1日でも大切にしろ。」と厳しく叱責された。夕方,岩手県の勝共連合から許可が出たため,原告Aはすぐに岩手県に出発し,1か月間カンパ活動を行った。

(オ) 同年6月中旬,機動隊の渡米メンバーの面接が行われた。渡米メンバーは販売やカンパ等で実績のない者を中心にすることになっており,原告Aは,カンパ活動で実績があったため,渡米せずに国内で活動することになった。

(カ) 原告Aは,同年6月末に青森のL7隊に編入され,難民カンパに従事したが,1週間程で拒否症状が現れ,訪問カンパができなくなり,L3隊長の許可を得て泉市の本部に戻った。その後,原告は,L3隊長から牧会(カウンセリング)を受け,2,3日,仙台市内で訪問カンパをし,再びL7隊に戻った。

(キ) 同年7月に入り,L3隊長に代わって,L8隊長が原告Aのアベルとなった。原告Aは,7月下旬に入ると無気力となり,1日連絡もせずカンパ活動をしなかった。原告Aが夕刻,隊長に電話すると叱責され,蕩減として3日間連続で1日当たり210軒訪問するか,3日間断食をするかの選択を迫られ,原告Aは3日間の断食をした。原告Aは,断食中も水を飲んだだけでカンパ活動を行った。

(ク) 同年8月中旬,L7隊は群馬県に行くことになり,L7キャプテンに行動を共にするよう求められたが,原告Aは活動に対する自信を喪失し,泉市の隊本部に残った。原告Aは活動に参加しないことが負い目となって食事が喉を通らなくなった。原告Aは,L8隊長から,「帰るなら自分で交通費を作って帰れ。」と言われたため,3時間位かけて歩いて仙台まで行き,3泊4日のアルバイトで交通費を貯め,同年9月初旬,帰路についた。原告Aは,このまま献身生活を続けることができず,再度東京に戻るか長岡に行って勤労青年として再出発したいという気持ちが強くなっていた。

ソ 再献身と長岡支部での活動

(ア) 原告Aは,献身以後初めて,約2年ぶりに柏崎市内の実家に戻った。原告Aは進路について悩んだが,日増しに統一協会に戻りたいとの思いを強めた。

(イ) 原告Aは,昭和58年10月下旬,上越市の支部長をしていたH5から電話を受け,H5と会うことになった。原告Aは,H5から,長岡支部のL9支部長を紹介され,長岡市にある教会に通うようになった。

(ウ) 原告Aは,改めて原理講義のビデオを1巻から視聴し,同年11月下旬に1泊の週末ゼミ,同年12月初旬に2日ゼミに参加し,その後,ホームに泊まるようになった。原告Aは,L9支部長から年末年始のセブンデイズを勧められ,両親の反対があったがこれに参加した。原告Aは,同年11月から12月にかけて,進路について両親や親戚に相談したが,気持ちが再献身へと傾いた。

(エ) 原告Aは,昭和59年1月,セブンデイズから帰ると,周囲の反対を押し切って長岡支部でホーム生活に入り,再献身した。再献身後,毎日のように長岡市厚生年金会館の前などで伝道活動をし,同年1月は41名の勧誘に成功した。原告Aは,同年2月,長岡支部伝道総務の責任者を命ぜられ,ビデオセンターのトーカーとなった。ビデオを視聴した人に対してカウンセリングをし,原理の話や修練会への参加を勧めたりした。同年4月と5月は伝道機動隊長も兼任し,同年7月からはビデオセンターの所長と支部長代理をも兼務し,新潟支部と合同の上級ツーデイズの進行などもした。

タ SKCでの活動

(ア) 原告Aは,昭和59年9月末ころ,新潟教会のM1教会長から指示され,同年10月,和田という女性信者と共に埼玉県浦和市所在のSKC(埼玉研修センター)という研修隊に所属した。そこに関東各地から献身して間もない信者が集まり,2か月間,伝道と印鑑販売の研修を受けた(昼は印鑑販売,夕方から伝道)。SKCの所長はM2次長であった。原告Aと共に浦和市に来たM3は班長で,原告Aは普通の班員だった。

(イ) SKCは,男女(統一協会では「男女」を「アダムとエバ」と称していた。)の分別が厳しく,生活は別々に行われた。午前6時に起床し,体操,清掃,祈祷会,講義,朝食,印鑑販売をし,夕方にビデオセンターに集合し,川口市,蕨市,浦和市などで伝道し,午後9時ころに帰着して夕食,風呂(3日に1回程度),祈祷会を済ませ,就寝は午後12時に完全消灯であった。

(ウ) 同年10月は,班長はM4で,原告Aは伝道も経済活動(印鑑販売)も実績が上がらなかった。同年11月は,班長がM5で,原告Aが班長代理であった。このころ,原告Aを含むSKC所属の信者に,「霊の子を愛するマニアル」という書面(甲115)が配布された。その書面には,ビデオ受講から修練会,トレーニングを通し,勧誘者(霊の親)が被勧誘者(霊の子)に対し,少なくとも6か月間にわたって手紙,電話,訪問等の方法で頻繁に勧誘を継続すべきことや,勧誘の際の身だしなみ,勧誘の際の会話内容の具体例等が詳細に記載されていた。

(エ) 原告Aは,同年11月17日から同月23日までの7日間,合同結婚をする条件である成約断食を行った。断食中もそれまでのスケジュールをこなしたため,7日間で7kg体重が減少した。断食後は制限された食事となり,7日間,重湯やお粥のみを食べた。

(オ) 原告Aは,同年11月,印鑑を2件(15万4000円セットと3万円の単品)売ったが,伝道の実績は上がらなかった。

チ 第129回21日修練会

(ア) 昭和59年12月,原告Aに対し,一旦はSSC(セールスセミナーセンター)への人事異動が発表された。SSCは,群馬県高崎市l町にあり,印鑑販売などの店舗へ行く前の研修店舗であった。すぐに人事が変更され,原告Aは第129回21日修練会に行くことになった。原告Aにとって,第93回以来の2度目の21日修練会であり,原告Aは,もう一度原理を学び,神観,罪観,メシア観を整理できるという期待を抱いて参加した。

(イ) 万物復帰(お茶売り)は長野県で行われ,原告Aは,実績を上げることができた。

(ウ) 原告Aは,修練会を終えて,同年12月末にSKCに戻り,年末年始は立ちカンを行った。昭和60年の元旦は大宮市の氷川神社で立ちカンをして過ごした。

ツ SSCでの活動

(ア) 昭和60年1月,原告Aは改めてSSCに異動となった。最初の3日間は,珍味販売に従事し,1日平均3万円程度の売上を出した。

(イ) その後,原告Aは,印鑑販売のため任地の伊勢崎に行き,駅近くの町中で販売活動を行った。1か月間の販売実績は2件(単品と15万4000円のセット)であった。ここでは5日間連続で売上がないと,1日1万円の実績を上げるまで珍味販売をすることになっており,原告Aは1度珍味販売をした。

テ 群馬支部及び桃太郎塾における活動

(ア) 昭和60年2月,関東ブロックのM6ブロック長(当時)を迎えてSSCの閉所式があり,原告Aは群馬支部に異動となった。原告Aは,夕方,高崎教会で,M7次長から,今後はビデオセンターを担当し,将来は所長をしてもらいたいと言われた。しかし,その直後,原告Aは東京でやっている学習塾の手伝いを指示された。当時,統一協会グループは,桃太郎塾という学習塾を東京や浦和などに3校開校しており,塾生募集時期であったため,東京と関東地区から約12名の信者が応援に行くことになっていた。

(イ) 原告Aはmの桃太郎塾の寮に集合し,説明会に参加した。応援メンバーのほとんどが学生で,献身者は原告Aだけであった。その年に新たに3校を増やすために原告Aらがその営業部隊として派遣された。原告Aはこの部隊のアベルとなり,ポスター貼りやビラ配り,個別訪問,電話による勧誘などを行った。

ト 山梨支部での活動

(ア) 原告Aは山梨に異動となり,昭和60年3月下旬,山梨に行った。当初は教育部長を命ぜられたが,時間的な余裕があったので,原告Aは毎日伝道に出た。山梨支部には店舗の組織がなく,地区の責任者はM8教会長であった。

(イ) 同年5月,ビデオセンター所長としてM9,CM(チームマザー)としてその夫人が熊谷から山梨に来た。原告Aは同年10月から前線の隊長となった。同年11月,M8教会長が手術のために入院し,M9夫妻は教会で寝泊まりしていたので,原告Aが支部をまとめることになった。

ナ 水戸支部における活動

(ア) 原告Aは,異動により,昭和60年12月3日,水戸支部(茨城第1地区)に着任した。水戸支部では着物展が行われていた。当時の支部の責任者は,N1本部長,N2次長,N3教会長であった。原告Aは,年末年始,「恵まれない子に愛の手を」との名目で立ちカンを行った。原告Aは,昭和61年元旦,N2次長から,埼玉(浦和)の塾で営業をするよう人事発令を受け,同年1月6日ころ,南浦和の桃太郎塾へ行った。原告Aは,SKCをホームとして,N4塾長のもと,4月初旬まで,約3か月間活動した。

(イ) 原告Aは,同年4月6日,水戸支部に戻り,ビデオセンターのトーカーとして活動した。また,同年5月3日から同月5日まで行われた関東ブロックの3デイズセミナーに班長として参加した。さらに原告Aは,同年8月中旬,新しいビデオセンターの所長(受講者の受講状況の確認,受講者増,修練会への参加についての責任者)となった。このころ,原告Aは,N2次長から「VCの接待の仕方」と題する文書(甲114)を受け取り,ビデオセンターでの勧誘に役立てた。同年9月には,N2次長が人事異動でいなくなり,新しくN5次長が赴任した。N5は兄弟姉妹(信者)の復興(志気の高揚)を目的として週1回の和動会を開催した。

(ウ) そのころ,中央本部から,昭和60年10月と11月は,3年路程(1986年ないし1988年)の初年度にあたり,1度でも「TV(Total Victory)100」を勝ち取る(全国で100億円を集める。)という指令があったため,原告Aも伝道を休止して経済活動に専念した。茨城ではある母子家庭の親子から8億円の土地を寄付させたため,全国で最高の成績であった。また,ビデオセンターには多数の来場があった。昭和61年の暮れには,100億円が達成された。

(エ) 原告Aは,昭和62年元旦,スリーデイズにスタッフで参加し,同月2日は神社でカンパを行った。そのころ,原告Aは,母親が病気(胃潰瘍)であることを知り,柏崎の実家に戻って勤労青年として働いたほうが,家族や氏族を復帰できるのではないかと考え,悩んだ。

(オ) 同年2月,水戸支部ではN5次長が人事異動となり,新しく足利からN6夫妻が次長,CM(チームマザー)として赴任し,それまでCMだったN7がビデオセンター所長となり,原告Aは青年部担当となった。原告Aは勤労青年のアベルとして伝道,経済活動の実践を指導し,展示会の動員の仕方を教えたりした。そのころ,統一協会では,サークル活動と称して人を集め,次第に統一協会に勧誘する方法が注目されるようになり,水戸支部でも,スポーツ,映画,英会話,着付け教室などのサークル作りをすることになり,原告Aもそれに関与した。

(カ) 同年6月,水戸支部では,サタン数六数克服のための勝共カンパ部隊が組織された。統一原理では6はサタンの数であり,サタンが最も侵入し易い数であるとされ,6月はサタンの月とされていた。原告Aは茨城隊の隊長(カンパ実績の責任者)として,2,3日の研修の後,1か月間,関東ブロックの部隊として支部のワゴン車を借りて出発した。隊員は,地図や国際勝共連合の会員証,文具を揃え,ワゴン車で茨城県内を回ったが,原告Aは,毎日3,4時間程度の睡眠時間であった。

(キ) 同年6月下旬,原告Aは,父親と妹から,母親が子宮筋腫のため,同月30日に手術を受けるので帰るようにとの電話連絡を受けた。原告Aは心配したが,カンパ活動で神に尽くせば母に神の御加護があると考えてカンパ活動を続けた。原告Aは,同年7月,長岡赤十字病院に入院していた母を見舞い,2日間程柏崎の実家に滞在し,水戸支部に戻った。

(ク) 同年7月から8月にかけて,原告Aはビデオセンターのトーカーとして活動した。同年9月には教育部,中級トレーニング主任を命ぜられ,女性信者のN8を補佐に,N3教会長(教育部長兼任)のもと,トレーニング生の教育に携わった。教育部では,「免疫講座」と称し,統一協会への反対活動への対策の講義も行った。

(ケ) 同年12月には水戸支部でCB展(クリスチャンベルナール宝石展)が行われた。原告Aは,昭和63年正月,フォーデイズの班長を務めた。

(コ) 原告Aは,同年7月まで,中級トレーニングの主任を務めた。同年4月ころ,父親から母の病状が思わしくないとの連絡が入ったが,原告Aは,長岡でファミコン(「ファミリー懇親会」,信者が家族から統一協会の活動に賛同してもらうために親睦を図る会)が近々あるので,それに両親と参加してから柏崎の実家に寄ろうと考えた。

ニ 宇都宮支部における活動

(ア) 原告Aは,昭和63年7月3日から宇都宮支部(青年支部)で教育部長をすることになり,同月20日,教育部の会議に出席した。同年8月には,ジャンピングフェスティバルがあり,お盆はスリーデイズ参加者の送迎をした。

(イ) 原告Aは,同年9月4日,トレーニング生を統一協会の尾瀬霊園に連れて行った。また,同月13日から16日には関東ブロック主催のパルパル修練会に参加した。これは関東ブロック内で親が統一協会の反対派につながっていると思われる信者を集め,その対策を中心とした修練会であった。また,同月21日から23日はCB展が行われた。

(ウ) 原告Aは,同月22日,支部の許可を得て長岡市で開催されたファミコンに参加するために宇都宮を出発し,翌23日,長岡駅待合室で両親と会った。

ヌ 脱会

(ア) 原告Aは,昭和63年9月23日,ファミコンに両親を誘って出席した後,長岡市に住む叔母と従兄弟から車で柏崎の実家に送ってあげると言われ,両親と共に車に乗った。原告Aを乗せた車は,柏崎ではなく新潟市のホテルに向かった。原告Aは,統一協会からの脱会を説得されると思ったが,絶対に説得されない自信があったため,逃げようとは思わなかった。

(イ) 原告Aは,ホテルで両親や親族に,統一協会が霊感商法を行っていると告げられ,それに対して反論し,話し合いは平行線となった。

(ウ) 原告Aは,ある日,原告A両親の理解を少しでも得るため,両親の申し出に応じて牧師や統一協会の脱会者と話をすることを承諾した。数日後,ある脱会者の知人が原告Aの部屋を訪ね,韓国での統一協会の実態等について話した。

(エ) その後,原告Aは,脱会者の知人や牧師,そして脱会者の話に耳を傾けるようになり,「原理講論」や「み旨と世界」(W8の説教集)が引用する聖書の記述に疑問を持つようになり,脱会を決意した。原告Aは,同年10月30日,宇都宮のビデオセンターやホームに置いてあった荷物を引き上げ,ホームのW5団長の机の上に脱会書を置き,統一協会を脱会した。

(2)  原告B関係

証拠(略)及び弁論の全趣旨によると,原告Bにつき,次の事実が認められる。

ア 日曜礼拝及びサークル活動

(ア) 原告Bは,昭和55年4月,親戚のH6(献身はしていないが,現在も統一協会の信者である。)から統一協会を紹介された。当時原告Bは,上越市内の私立ae高校2年生であった。原告Bは,キリスト教に関心があり,友人からプロテスタントの教会を紹介され,そこに通うつもりでいた。原告BがH6の家に行った際にそれを話したところ,H6から,これ以上の教えはないと統一協会を紹介され,教えの内容に興味を抱いた。

(イ) 原告Bは,次の日曜日,H6とその娘のN9の3人で上越市n町にある統一協会の上越支部に行った。そこには統一協会の看板が出ていたが,十字架や鐘がない6畳2間の一軒家であったため,原告Bは,ここがキリスト教の教会かと疑ったが,信者が温かくH6や原告Bを迎えてくれたため,親近感を感じた。

(ウ) その後,原告Bは統一協会が行う日曜礼拝やサークル活動に参加するようになった。日曜礼拝は統一協会の歌を歌って説教者が聖書の言葉を語ったり,祈りを捧げるものだった。説教者は当時の統一協会上越支部のO1支部長で,統一原理の内容が礼拝で語られることはなかった。またサークル活動は,信者同士のコミュニケーションを深めると共に信者の勧誘をすることが目的であり,実践婦人(原理の教えを受け入れて勧誘や展示会を行う婦人)と独身信者が一緒に,バレーボールやハイキング,登山の計画を立て,若者を誘い,統一原理の講義を聞かせて,入信勧誘をしていた。

イ スリーデイズ

(ア) 原告Bは,統一協会上越支部に行くようになって2,3か月後,総序や創造原理などの統一原理に関する黒板を使った講義を受けるようになったが,講義内容を十分に理解することができなかった。

(イ) 原告Bは,昭和55年11月,O1支部長の後任として支部長に着任したO2上越支部長から勧められ,新潟市内で行なわれたスリーデイズ(3日間の修練会)に参加した。スリーデイズの日は高校の学園祭と日程が重なっており,原告Bはクラス委員を務めていたので,当初は参加できないと断わったが,O2支部長は原告Bに,スリーデイズに参加することは,先祖や多くの霊を代表して講義を聴くということであり,原告Bにはその使命があると説得した。

(ウ) スリーデイズは,新潟市afの海辺に近い「ニューホープセンター」という統一協会の施設で開かれた。原告Bや上越からの参加者は,一旦上越支部に集合し,何人か一緒に車に分乗して会場に向かった。参加者は20名程度であった。午前5時半起床,午後10時ころ就寝であった。講義の内容は,創造原理,堕落論,復帰原理,同時性,W8がメシヤであるという主の証で,聖書と原理講論を使って講師が黒板で講義をした。講義の合間にレクリエーションとしてバレーボールをした。

(エ) 堕落論の講義では,人類の始祖であるエバがサタンと淫行したことでサタンの血統を受け継ぐことになった,原告Bらも罪人であり,アダムとエバの罪の血統を生まれもって背負っていると聞かされ,原告Bの印象に残った。またこの時,男女の自由恋愛は原罪であるとされ,大学生の男性(現在の夫であるO3)と手紙で交際していた原告Bは,3日目に女性の班長から心情チェックを受けた際,男性と交際中であることを話した。班長は,罪の根源はアダムとエバから来ている,今の交際はやめたほうがよいと言われた。

(オ) 参加者は,いずれも原告Bと同じ位の年齢であった。3日間の共同生活で,原告Bは温かい雰囲気と新しい出会いを感じた。また,O4講師から,「天の神様」,「お父様(W8)」というように声を出して祈祷するように指導された。

(カ) 原告Bは,スリーデイズ終了直後,O2支部長から,両親や知人に修練会に参加したことを話すとサタンが入り,学んできたことをサタンに奪われてしまうと注意された。

ウ 入会

(ア) スリーデイズ参加直後,原告Bは,O2支部長から「自分の気持ちを整理できなかったら,信者の上級者であるアベルと相談するように。それでも整理できなければ,あなたの心がカイン的になっていることの表れだ。カインはアベルを通じてしかメシアに通じることはできない。アベルによってしか救われないのだから,絶対にアベルを不信してはならない。」と指導された。

(イ) 原告Bは,昭和55年11月20日,O2支部長から伝道活動に積極的に参加すること,日曜礼拝に必ず来ることを求められ,統一協会への入会を勧められた。原告Bは,両親に相談することなく,入会を申し込んだ。原告Bは,入会時,ホーム生活を送ったり,退職して献身したり,経済活動に従事したりする信者がいることの説明を受けなかったが,高校卒業前の時点で,信者が高麗大理石の壺や高麗人参の展示即売会を行っていることを知った。

エ ビデオセンター

原告Bは,昭和57年3月,高校を卒業し,同年4月,新潟市内のaqに就職した。就職してから半年後の同年10月,原告Bは統一協会の信者であるO5に誘われて新潟市o町にあったビデオセンター「ニューカレント」に行った。原告Bは,最初に受講料を支払い,約3か月間,週に1,2度くらい通所し,原理講義のビデオ13巻を視聴してはその都度感想文を書いたり,スタッフと感想を話し合ったりした。

オ 印鑑の購入

(ア) 原告Bは,昭和57年10月,「先生」と呼ばれる40歳位の女性(J4)から手相を見られたことを契機に21万円で印鑑を購入した。J4は,原告Bの手相を見て,原告Bの双子のもうひとりの方が亡くなられていることを指摘した。原告Bは,驚いて双子の姉が死んだことを話すと,J4は,「亡くなった姉さんは短命で終わっている。双子のあなたにも苦労する相がある。亡くなった双子の姉さんの分まで生きなければならない。この印鑑は亡くなった人のためにも供養になるし,あなたのこれからのお守りにもなる。これを授かって強く生きるように。」と言った。そのため原告Bは不安になり,印鑑を購入した。

(イ) 当時原告Bは,J4に霊的能力があると思ったが,実際には,原告BがO5に話していたことを事前にO5から聞き,あたかも自分が霊能者であり,そのことを霊能力で知ったかのように装ったものであった。

カ 献身の説得

(ア) ビデオセンター「ニューカレント」は,O6所長以下,スタッフ全員が統一協会の信者であった。O6所長らは,昭和58年,「1985年に世界は統一され,すべてが統一協会の勝利に終わる。この間のわずか2年間,あなたはW8先生のためにみ旨を歩むべきです。神に愛されているから導かれたのです。」と言って,原告Bに献身を勧めた。原告Bは就職して1年に満たない時期で,仕事にやりがいを感じていたが,O6所長は,「あなたには今その仕事をするよりも,もっともっと大きな仕事がある。この時に献身しなければ,あなたは一生後悔する。自分自身のためだけではない。先祖も応援しているし,教示し,期待している。」と説得した。O6所長は,さらに,「聞いてしまった以上,この道を行かなければ永遠の地獄に行く。あなたは氏族の代表であり,聞いてしまった以上,この道を行かなければあなたの先祖も地獄から救われない。」,「み旨は,あと2年で完成する。今この時,わずかな時間を頑張れば,あとは自由になれる。」と献身を勧めた。原告Bはその言葉を聞き,わずかな期間,統一協会に献身して懸命に活動することが自分の使命であれば,そうするしかなく,それを果たさなければ自由になれないと考えるようになった。また,新潟支部の信者たちも,原告Bに対し,献身することが使命であると献身を勧めた。原告Bは,次々と若い信者が献身していくことから,献身を決意した。原告Bは,この時点で,統一協会には,W8が相手を決める「祝福」という結婚があることを知っていた。

(イ) O6所長は,献身の準備として,原告Bが当時交際していた男性と別れるように指示した。O6所長は,「今あなたが愛している人との交際は,神の願いではない。その人を不幸にするだけだ。一緒に堕落の道,地獄への道を行くのですか。」と述べ,「アダムとエバの蕩減を果たさずに一緒に地獄に行くか,神のみ旨を果たして彼を救っていくか,二つに一つしかない。」と選択を迫った。原告Bは,当時付き合っていたO3と別れなければ,原告Bだけでなくその先祖や交際相手も救われず,地獄に行くことになるという恐怖を感じ,O3に離別の手紙を書いた。

キ 献身及び献金等

(ア) 原告Bは,昭和58年4月21日,統一協会に献身するためにaqを退職した。退職時の原告Bの給与月額は,額面で約11万5000円,賞与が夏冬合わせて2.5か月分であった。

(イ) 原告Bは同月27日から新潟支部でホーム生活を始めた。ホーム生活を始めるにあたり,信者から,「あなたは神の子になろうとしている。あなたの持ち物も全部神に返すように。あなたが必要と思う物は,まず神に捧げるように。」と指示され,原告Bは,預金していた40万円と退職金11万円の合計51万円を,ビデオセンターのスタッフであるO7という女性に交付し,統一協会に献金した。また原告Bが持っていたふとん,衣類県外の鏡台,ガラステーブル,箪笥,カセットテープレコーダー,食器類等を献品した。

ク フォーデイズでの献身宣言

(ア) 原告Bは,O6所長から指示され,昭和58年5月2日から5日まで軽井沢で開かれたフォーデイズ(修練会)に参加した。参加者は約100名であったが,講義が終った5月5日,参加者全員が集合させられ,1人ずつ大声で自分の名前を叫び,「献身致します。」と言って献身の決意表明をした。この時点では,原告Bは,統一協会が「万物復帰」という教義をもとに経済活動を行っていることを知らなかった。

(イ) 原告Bは献身することを両親に相談しなかった。退職時,原告Bは,O6所長から家族には転職したと言うようにと指示されため,献身してフォーデイズに参加した後,家族には「サンライズアソシエーション」(アンケートの際に勧誘者が被告の名を隠して名乗った団体名)で奉仕活動をするという手紙を書いたところ,これに驚いた両親から何度も電話があった。そこで,原告Bは帰省し,両親に転職したとの報告をした。

ケ 新潟支部での生活(約2か月)

(ア) 原告Bは献身して統一協会新潟支部に所属した。ビデオセンター「ニューカレント」への勧誘(伝導)活動が最初の活動であった。ニューカレントに勧誘するため,生活意識調査というアンケート用紙を持って街頭に立ち,通行人を呼び止める活動であった。勧誘者は,アンケートに際し,「サンライズアソシエーション」と名乗り,統一協会であることは明かさないよう指示されていた。アンケートを契機にビデオセンターへ運れて行ったり,用紙に記入された名前や住所をもとに手紙を書いたりし,受講が決定するまで勧誘をした。伝道の対象は,独身の勤労者であった。

(イ) 原告Bは,アンケート以外に,運勢に詳しい先生が幸運について語ってくれると言って1000円の開運講演会のチケットを訪問販売した。講演会の内容は,運勢の話や原理の序論の内容で,後の経済店舗の展示会(印鑑,壺,多宝塔)に連れていくためのきっかけとなるものだった。

(ウ) 原告Bは,伝道しながら経済活動も行った。経済活動のノルマは,ブロックや地区,さらに店舗等によって異なったが,月ノルマと1日のノルマを課された。アンケートなどで勧誘しながら,同時に代理店で展示会があるときに動員をかけ,壺や印鑑を購入させ,統一原理を勉強することを勧め,後に修練会へと勧誘した。

コ セブンデイズ参加

原告Bは,アベル(上位の信者)の指示で,昭和58年7月,埼玉県秩父市にある統一協会の研修所である「天望閣」で行われた東京都を除く関東圏の信者が集まるセブンデイズに参加した。この修練会は,スリーデイズと同様,参加者が寝食を共にし,朝は5時半起床,夜は10時ころ就寝で,講義の内容は,創造原理,堕落論,復帰原理,現代摂理,主の路程,巡回師講座,映画会「塩狩峠」上映,ミニオリンピックと称するマラソンなどであった。

サ 珍味販売のマイクロ隊生活

(ア) 原告Bは,昭和58年8月20日から同年9月末まで,関東ブロックのマイクロ隊に所属し,運転者兼隊の管理責任者(キャプテン)の25歳位の男性O8某と女性6名でマイクロバスに乗り,埼玉,群馬及び長野の各県に行き,1か月半くらい車内で寝泊まりし,イカ,昆布,帆立等の珍味を1袋2500ないし3000円で訪問販売した。珍味販売は「日訪販関東」という会社名で行った。

(イ) 生活は,朝5時起床,夜11時位まで販売活動で,売上があがらない場合は,飲み屋街を深夜1時,2時まで売り歩いた。売上を伸ばすため,家から家を走るよう指示され,売上が伸びないと途中でバスから降ろされ,「もう1時間まわってこい。」と怒鳴られた。

(ウ) 午前中に1度キャプテンO8に売上を報告し,売上金を交付することになっており,売上の中から昼食代として400円程度を渡された。売上が少ない場合,キャプテンが昼食代をカットした。売上金は少なくとも毎日全員で20万円程度あり,キャプテンが集め,マイクロバス隊が月に1度埼玉県に集まる際にブロックの会計に渡していた。食事は,スーパーの惣菜や弁当が多く,入浴は通りがかりの銭湯に週1,2度行くだけであった。

シ ニューワールドでの活動

(ア) 原告Bは,昭和58年10月1日から昭和59年9月末日まで,群馬県高崎市所在の印鑑訪問販売のための代理店「ニューワールド」に配属となった。原告Bは,O9店長の命令で,朝8時から夜7,8時,遅いときは夜11時から12時まで訪問販売をし,特に月末は売上ノルマ(本部からブロックに指示し,ブロック長が各責任者に指示をする。)を達成するために徹夜したり,朝4時ないし6時まで売り歩いた。印鑑販売は,字画・画数等の姓名判断を用いて,霊界の存在や因縁を話して顧客の不幸や弱みにつけ込み,印鑑を売るというものだった。多いときは原告B1人で1日100万円程度の売上があった。

(イ) 20人程度の販売員に対し,月額1億円という金額をノルマとして「決断式」が行われたりした。「決断式」とは,壺や多宝塔の展示会(毎月1,2回定期に)を行う際に目標を立てて1人ずつ決意表明を述べる儀式であり,展示会を行うメンバーやトーカー団が,意識統一するために聖歌を歌い,その目標に対する決意を大声で宣言して祈祷するものであった。壺や多宝塔の販売も,霊界の存在や因縁を話して顧客の不幸や弱みにつけ込むものであった。

ス 成約断食

ニューワールドに所属していた昭和59年2月,原告Bは,祝福(結婚)を受けられる条件の一つである1週間の「成約断食」をした。原告Bは,献身後,折にふれて上司から早めに成約断食をするよう指示されていたため,同月初め,所属のO9店長に相談すると,同月13日から19日までの7日にすることが認められた。原告Bは,断食中も印鑑販売を通常どおり行い,終了時には体重が約5キログラム減少しており,終了後に体調を崩した。

セ 21日修練会

(ア) ニューワールドに所属していた昭和59年11月,原告Bは千葉市内にあるad研修所で行われた21日修練会に参加した。そこでの生活は,午前5時に起床,ラジオ体操,マラソンをし,日本と韓国及び統一協会の旗に向かって敬礼の訓練をし,講義を受けるというものであった。講義内容は,創造原理,堕落論,復帰原理等で,講師は,「人間が救われるためには償いをするしかない。そのためにはこの献身の道しかない。」ことを強調した。

(イ) 最後の1週間は,「伝道学」であり,お茶販売の実践だった。原告Bら参加者は,1000円から2000円の茶をパック詰めしてマイクロバスで福島県内等に売りに出かけた。参加者は約120名であり,原告Bが参加者中で売上が最高額であった。

ソ 天興堂と一幸商事での活動

(ア) 原告Bは,昭和59年10月1日から昭和60年4月末日まで,長野市所在の経済店舗である有限会社天興堂に配属となり,販売班長として印鑑販売,壺,多宝塔等販売のための展示会等を開く等の活動に従事した。ここでの活動はニューワールドと同様の活動であった。

(イ) 原告Bは,昭和60年5月1日から同年7月末日まで,干葉県船橋市の一幸商事に配属となった。本部長がP1某,店長がP2で,原告Bは班長であった。原告Bはここでもニューワールド,天興堂での活動と同様に印鑑販売,壺,多宝塔等販売のための展示会等の活動に従事した。原告Bは,班長として,売上実績がない日は店長から叱責された。月末で月ノルマ達成をできない場合には,「完徹路程」といって,徹夜で印鑑販売をした。

タ トーカー(霊能者役)時代

(ア) 原告Bは,P2店長の人事発令により,昭和60年8月1日から昭和61年4月末日まで,高崎市所在の関東卜ーカー団に所属した。関東トーカー団(約30名が所属)は,東京都を除く関東ブロック(新潟を含む)を所管し,関東ブロックの店舗が展示会を行う際に巡回した。1回の展示会(開催期間は3ないし4日間)で1億円の売上が目標とされていた。原告Bは,霊名と称して,「若月心栄」という名前をM6ブロック長から付けられ,タワー長から1か月3000万円のノルマを課された。

(イ) 原告Bは,当時22歳とトーカーとしては若年であったが,霊能者としての雰囲気を出すため,ロングドレスを着,厚化粧をして霊能者役になりきった。ドレスは,卜ーカー団に配属が決まり,高崎市に集合する際,ドレス代として渡された4ないし6万円から購入した。

(ウ) 1か月に1度行われたトーカー団の研修会(教育)では,P3タワー長又はP4団長が,家系図や原理講義の話,トーカーとしての姿勢やゲストの弱みの握り方を話し,具体的なトークの練習をした。原告Bは,3日ないし5日のサイクルで東京都内を除く関東甲信越地区を回ったが,月額売上は1人で3000万から4000万円を下らなかった。中には多宝塔を10億円で買う顧客もいた。

チ 有限会社千葉商会,千葉サークル会,FD課,富士美術での活動

(ア) 原告Bは,昭和61年5月1日から昭和62年3月末日まで,千葉県柏市にある有限会社千葉商会の店舗に第一営業部の営業課長として配属された。営業部は,印鑑を販売した後の顧客を管理する第一営業部と,壺や多宝塔等の霊石を販売した後の顧客を管理する第二営業部に分かれていた。原告Bは,販売員がアンケート,チケット,印鑑販売等で接触した人に対し,さらに壺,多宝塔等の展示会に誘うために古印供養(古くなった印鑑を清める儀式)をしたり,家系を詳しく聞き出して家系図を作成し,その人の弱みを聞き出したり,アンケートの方法で資産調査をして,展示会に誘ったりした。展示会トークマニュアルに従い,原告B自身は着物を購入していないのに購入した旨の嘘を言って顧客に買わせた。

(イ) 原告Bは,昭和62年4月1日から同年5月末日まで,干葉県木更津市にある有限会社千葉商会の店舗に,第二営業部の部長として配属された。主に壼,多宝塔の購入者のうちビデオセンターに勧誘できなかった者が,後にキャンセルしないよう,霊能者役の使いの者と称してクレーム防止等の活動をした。当時,霊感商法についてテレビ放送があったが,高額の顧客に対して信者である婦人たちが各家庭に電話をかけて長電話をしたり,外に誘い出して,テレビを見せないようにしたこともあった。

(ウ) 原告Bは,同年6月1日から7月末日まで,千葉市の千葉サークル会に配属された。千葉サークル会は,結婚後統一協会に入会し,販売活動をしている婦人の集まりであった。原告Bは,婦人らと共に販売活動及びキャンセル防止等の活動をした。

(エ) 原告Bは,同年8月1日から12月末日まで,千葉市内にある有限会社千葉商会に第二営業部長として配属され,壼,多宝塔のクレーム防止及び展示会までの勧誘の活動に従事した。

(オ) 原告Bは,昭和63年1月1日から3月末日まで,千葉市をエリアとするFD(不動産)課に配属となり,千葉市内のFD及び壼,多宝塔購入者等の高額客を専門に,クレーム防止,勧誘等の活動に従事した。

(カ) 原告Bは,同年4月1日から6月末日まで,千葉市をエリアとする有限会社コスモコーポレーション富士美術の霊石以外の一般商品の物品販売をする部署に配属となった。そこは,内部で定着部と呼ばれていた。原告Bはこの部署で,絵画,着物,宝石等の高額商品の購入者を対象に,統一協会の一組織である「アジア婦人連合」(勝共の著名人や資産家を集め,幅広い活動をしていることを社会に広めるための会で,代表巡回師が中心に活動していた。)やP5等の著名人の講演会に勧誘したりした。

ツ 市原ビデオセンター

原告Bは,昭和63年7月1日から10月28日まで,千葉県市原市にある市原ビデオセンターに所長兼教育部長として配属された。このビデオセンターは,原告Bが中心になって設置手続きなどをしたもので,原告Bは,このビデオセンターに所属する実践婦人に対し,販売に対する講義やアフターケアの分担,ビデオセンターでの講話等を行い,壼等の購入者を統一協会の会員にするまでの責任者であった。

テ 合同結婚式(祝福)

(ア) 原告Bは,昭和58年5月に献身する際,新潟市のP6心霊巡回師から男女間の肉体関係及び祝福を受ける意思の有無を聞かれた。心霊巡回師とは,信者の悩みの相談を受け,祝福を受けさせるまで責任者の立場にある婦人である。原告Bは,その後,昭和62年4月に千葉市内で女性10名位と共に心霊巡回師と面接した。

(イ) その後,原告Bは,千葉市内にある千葉教会,東京都文京区pにある「愛勝会館」等で3,4回位開かれた祝福修練会に参加した。修練会の講義の内容は,祝福の意義と価値,血統転換が必要な理由,原理でいう罪の根源を取り除き無原罪の立場を与えるのが祝福である,メシアが選んだ相手が永遠の理想相対である,相手が120パーセント合わないタイプであってもそれを受け入れるのが信仰である,というものであった。講義が終わると,罪の告白ということで,白い用紙に過去の異性関係を書かされた。

(ウ) 原告Bは,その年の10月に祝福があるから,40万円から120万円の献金がすぐに必要であると言われ,千葉商会木更津店の店長であるP7から許可を得て帰省し,親から40万円をもらい,昭和62年4月29日,統一協会に献金した。結局,その年は祝福は行われなかった。

(エ) 原告Bら信者は,その年に祝福が行われなかった理由が信者が責任を果たさなかったからであると責められ,同年10月から,小遣いを月額1万円から5000円に減額された。また,原告Bは,経済活動や水行,断食をし,睡眠時間が3ないし5時間程度となった。

(オ) 昭和63年2月,原告Bを含む祝福対象者に,渋谷区aの統一協会東京本部でコンフェッションを行うので集まるようにとの指示があった。これはW8の代理としてブラックR5なる人物が,献身後に教義に反して男女の肉体関係を持つ罪を犯した対象者にその罪を告白させ,その罪を許す儀式であった。コンフェッションは,ブロックごとに行われ,当時統一協会副会長であったH4(被告の現代表者)が通訳として立ち会った。原告Bを含めた祝福の対象者は,男女別に別会場に集められ,H4から男女関係の有無等を質問された。告白をした1人の女性は,ブラックR5から首を捕まれてステージに上げられ,殴打された。その女性は泣き出し,相手の名前と部署を聞かれ,後で別室に移るよう指示された。告白の儀式が終わったのは午前4時すぎであり,コンフェッションの後,全員が2日間の断食をするように指示された。

(カ) 昭和63年10月26日,原告Bは,千葉市のP8巡回師から祝福の相手方(相対者)の氏名,住所,年齢を知らされた。相対者は,27歳の韓国人であり,韓国に永住するよう指示された。原告Bは,それまでの活動記録や顧客の住所,売上の金額,商品の種類等が記載された顧客名簿,トークのマニュアル集等を処分するよう指示され,シュレッダーにかけた。

(キ) 原告Bは,支度金として千葉教会のP9総務部長から30万円を持たされ,韓国側に渡すものとして150万円の入った現金封筒を持たされて,同月29日,飛行機で韓国に出発した。150万円の現金はナンバリングされており,到着後,祝福会場であるメッコール工場に入る際,封筒を回収された。

(ク) 入場後,原告Bは,出発前に知らされていた祝福番号に該当する相手方の写真を受け取った。写真には相手方の氏名,年齢及び学歴が記載されており,呼ばれたら挙手するよう指示された。入場して約1時間後,原告Bの番号が呼ばれ,相手方が原告Bに歩み寄った。原告Bの相手方の男性は,27歳のQ1であった。その後,聖酒式の会場へ向かった。聖酒式では,6515組のペアが一同に会し,小さなグラスに入った聖酒と呼ばれる薄紫の飲物を,まず女性が飲み,次に男性が飲み,お互いを祝福しあう儀式であった。聖酒には,W8夫妻つまり真の父母の「愛の象徴」が入っているという説明であった。聖酒式が終わると,男女のペアが手を重ね合い,「祝祷」というW8の祈りを受けた。さらにW8が約4時間にわたって日本と韓国の関係,祝福の価値等の演説をし,翌30日午前4時ころまで続いた。その後,参加者は,メッコール工場の廊下,地下室,階段,トイレの前などで眠った。

(ケ) 同日午前10時半からメッコール工場で結婚式が行われた。男女のペアがウェディングドレスとスーツの正装をし,工場外のグラウンドに整列し,工場内に入場する際にW8とQ2夫婦が聖水を振りまいた。被告のK3会長等が祝辞を述べた後,男女のペアが1組ずつ写真撮影をした。その後,同日午後2時ころから午後6時ころまで,歌や踊りのオープニングセレモニーが行われた。

(コ) 同日午後6時か7時ころから午後10時ころまでの間,蕩減俸の儀式が行われた。この儀式は,野球のバット位の太さと長さの木の棒で,祝福の相手方のお尻を3回思いきり強く叩きつけるもので,まず男性が女性を,次に女性が男性を叩くというものであった。叩く力が弱いと判断されると,幹部が蕩減俸をとりあげ,代わって叩きつけるというもので,立ち上がれない者,腰を骨折して入院する女性もいた。原告Bは,2週間程度青あざが消えず,腰を下ろすのに苦労した。

(サ) 同日夜,解散となり,ペアごとに2枚ずつの毛布が支給され,相手の指示に従って行動するよう言われた。その夜,原告BとQ1,韓国の男性と日本の女性のペアの4名で近くのホテルに入り,40日聖別期間の教えから,男性同士,女性同士で宿泊した。

ト 母の死と帰国

(ア) 祝福から1週間後,祝福参加者がソウル市内のリトルエンジェルス会館に集められ,各協会に配属された。原告Bは,ソウル市内の協会に配属され,その後はソウル市内の一和(統一協会の経営する高麗人参やメッコールの販売会社)の部長W7の私邸に預けられた。

(イ) 韓国に来て約2週間後の同年11月13日,原告Bは,母が自殺したことを知らされた。H6から帰国するよう連絡を受けた原告Bは,婚姻届出をしないまま,その日のうちに帰国した。

ナ 脱会

(ア) 帰国した原告Bは,母の葬儀に出席した後,東京都文京区のpカルチャーセンター等に行き,実家に戻った。自宅には統一協会から電話があったり,訪問を受けたため,家族との話し合いをするため,昭和63年12月下旬,上越市内のホテルに移った。

(イ) ホテルには,元信者3,4名,父,親戚が出入りし,家族や知人から統一協会が違法な活動をしていると指摘し,原告Bに説明を求めた。原告Bは,被告について家族や親戚,元信者と話し合い,改めて聖書を学習した。

(ウ) 原告Bは,統一協会を脱会することを決意し,昭和64年1月7日,脱会した。原告Bは,平成元年2月,O3と再会し,同年5月18日,O3と婚姻した。

(3)  原告C関係

証拠(略)及び弁論の全趣旨によると,原告Cにつき,次の事実が認められる。

ア クリスマスパーティ

(ア) 原告Cは,昭和36年9月10日,新潟県五泉市に生まれ,昭和55年3月に高校を卒業し,新潟市内の株式会社新潟くみあいビジネスに勤務するようになった。

(イ) 原告Cは,昭和56年12月初旬ころ,以前職場の同僚であったH7から,クリスマスパーティーに誘われ,同月20日に新潟市内の万代シティーで開かれたクリスマスパーティにH7と一緒に参加した。主催者は「新潟市民クリスマス実行委員会」となっていた。原告Cは,会場で20歳後半の女性から手相を見てもらい,「あなたは目立たない性格だが芯が強く,隠された使命を持っている。」と告げられた。パーティでは講師のQ3から,キリストが目の見えない人の目に泥をつけて目が見えるようにしたという聖書を引用した話があり,その後,聖書劇や音楽演奏があった。当時,原告Cは,H7が統一協会の信者であることを知らず,統一協会自体についても知らなかった。原告Cは,手相を見た女性が霊的な能力を持っており,原告Cの将来を予言したと感じ,再度その女性と会い,隠された使命が何であるかを教えてもらおうと期待した。

イ 聖書学習会

(ア) 原告Cは,昭和57年1月9日,H7と映画を見た帰り,H7から,統一協会の新潟教会に通って聖書の勉強をすることを勧誘された。原告Cは,新潟教会に興味を持ち,手相を見た女性と再会でき,隠された使命の謎を知ることができるのではないかと期待した。

(イ) 原告Cは,同月10日,H7と共に統一協会の新潟教会に行き,聖書の講義を受けた。講師はQ4で,原告Cの高校時代の部活動の先輩の姉であった。この聖書学習会はハーフデイと呼ばれていた。この時,原告Cは,手相を見た女性が統一協会の会員で,Q3が統一協会本部の伝道局長であることを知った。

(ウ) 原告Cは,新潟教会で受けた最初の講義で,神が存在し,真の親であると教えられた。このころ,原告Cは,職場での人間関係になじめず,毎日同じことの繰り返しで喜びが感じられないでいたが,兄弟姉妹との交わりも神を中心に結ばれていると教わり,深く感動した。以後,原告Cは,勤務後,教会に寄って聖書の講義(原理講義)を受けるようになり,日曜日ごとに新潟教会で行われる聖日礼拝に参加するようになった。

ウ 入会及びツーデイズ

(ア) 新潟教会に通うようになってから約10日後の昭和57年1月21日,原告Cは,Q4から統一協会への入会を勧められ,入会申込用紙に署名した。

(イ) 入信後,原告Cは新潟教会のQ5教育部長をはじめ数人の講師から統一原理に関する講義(原理講義)を受けた。創造原理で神の存在を教えられ,堕落論で人類はサタンの血統を受け継ぐ罪の子だと教えられ,神のもとへ再び帰る道として復帰原理を教えられた。それは神は理想世界を実現するため人類を創造したが,人類の始祖であるエバがサタンと淫行をしたことで人類はサタンの血統を受け継ぐ罪の子となったこと,現代の社会問題の原因はここから生じており,この問題を解決するには再臨のメシアが必要であるというものだった。原告Cはこの講義を聴いて,再臨のメシアとはどんな人なのか興味を持つようになった。

(ウ) 昭和57年2月ころ,原告Cは,Q6という献身者の女性から,2月下旬のツーデイズへの参加を勧誘された。参加するには1日会社を休まなければならなかったが,Q6は,「あなたが会社を休めば,会社にとってマイナスかも知れないが,あなたにとってはとても大切な1日だ。多少の犠牲があっても,その分恵みが多いはずだから,頑張って参加したらいい。今は大事なときだ。嘘をついて会社を休むことは悪いことだが,神のためなら天の知恵と言って善と認められる。心苦しい気持は人情であり流されてはいけない。天情を優先させなさい。」という趣旨の発言をしてツーデイズヘの参加を強く勧めた。原告Cは参加することを決め,両親に嘘をつき,有給休暇を取得してツーデイズに参加した。

(エ) ツーデイズは合宿形式で,新潟市qにあるニューホープセンターで行われた。参加者は,原告Cを含めて4名であった。家庭的な雰囲気で楽しく,原告Cはイエスの話に感動した。同年3月下旬ころ,原告Cは再びQ6から強く勧められ,2回目のツーデイズに参加した。参加者は30名で,このうち,後に献身したのは3ないし4名であった。講義は最初のツーデイズと同様のものであった。

エ 17日間トレーニング(メシアの証)

(ア) 原告Cは,2回目のツーデイズの直後から,新潟教会での17日間トレーニングに参加した。原告Cは,会社の勤務終了後に教会に通って受講した。参加者は約10名で,講義の内容は信仰生活,勝共理論,教会史(主の路程)等だった。原告Cは,この時に初めて原理講論を読み,購入した。

(イ) 講師のQ5教育部長は,講義の中で,「再臨のメシアが今この時代に地上に来ている。その方はW8先生である。」と説明した。原告Cは,それまでの原理講義や2回のツーデイズの中で,神の存在を教えられ,神は理想世界を実現するため人類を創造したが,人類の始祖であるエバがサタンと淫行をしたことでサタンの血統を受け継ぐ罪の子となったこと,現代の社会問題の原因はここから生じており,この問題を解決するにはメシアが必要であること,統一協会の掲げている目的は個性を完成させ,地上天国を実現させることであり,この目的を実現するために再臨のメシアが必要であると教えられおり,それが真理だと信じるようになっていた。そのような中でQ5教育部長の講義を聴いたため,原告Cは,再臨のメシアが地上に現れた時代に自分も生きていると思い,感動した。

(ウ) 信仰生活の講義では,人類の始祖のエバが,善悪を知るの木の実を食べてはならないとの神の忠告に反して堕落したこと,復帰の道はその逆であり,神の言葉,神によりアベル(信仰上の上位者)の言葉に従わなければならないこと,人間の心の中にはサタンが入っており,間違いを犯すことがあるので,何事もアベルに相談してからしなければならないことを教えられた。

(エ) 万物主管の講義の中に万物復帰の説明があった。これは,人間が堕落し,万物よりも劣る立場になったので,お金を捧げ,万物を神の前に捧げることで,より神に近づくことができるという内容であった。

オ 上級スリーデイズ(講義と路傍演説)

(ア) 原告Cは,昭和57年5月3日から5日にかけて,Q6の指示で上越教会での合宿形式の上級スリーデイズセミナーに参加した。参加者は約20名で,原理講義のほかに信仰生活,教会史,国際情勢などの講義を受け,路傍演説を行った。

(イ) 国際情勢の講義では,講師から,「個人,家庭,社会,国家,世界に至るまで全ての問題を解決させるにはメシアが必要であり,今再臨のキリストが来ている。その方はW8先生である。皆さんはまだ原理を知らない人に原理を教えなければならない。」と説明された。

(ウ) 路傍演説は,上越市の中心街で午後から行われ,セミナーの参加者1人1人が街頭で,通行人に原理の教えを大声で訴えるよう指示された。原告Cは,最初は抵抗を感じたが,「堕落性を脱ぐためにがんばりなさい。」と言われ,少しでも罪を取り除き,神に近づき,神の役に立ちたいという気持ちで演説をした。

カ 50日間トレーニング,印鑑購入,実践メンバー

(ア) 昭和57年5月,原告Cは,50日間トレーニング(参加者約15名)に参加した。会場は新潟教会で,原告Cは,勤務終了後に会場に通った。伝道のための講義練習(黒板講義)が中心であったが,実際に街頭で若者にアンケートをし,統一協会の名称を明らかにして新潟教会に来るよう勧誘した。原告Cは,このころ,統一協会に献身というものがあることを知った。

(イ) 原告Cは,昭和57年5月中旬ころ,新潟支部のQ7から手相を見てもらい,より詳細に運勢を判断してもらうよう勧誘した。原告Cは,同月23日,新潟市rにある和晃殿に連れて行かれ,オリエンタル商事株式会社(信者が経営)のQ8から姓名判断を受けた。Q8は,原告Cに対し,「あなたの先祖は武士で殺傷因縁がある。殺傷因縁の家系はガンで亡くなる人が多いが,それはあなたの先祖が因縁によって霊界で苦しんでいるからだ。あなたの先祖はあなたから因縁を断ち切ってもらうことを願っている。あなたには先祖の霊を救う使命があり,そのためには徳を積まなければならない。徳を積むには,陰徳善行といって,隠れた徳を積むことが大事である。お金の使い方には2つの道があり,生き金と死に金がある。生き金とは先祖のために使うことで,死に金とは病気や事故で出て行く見返りのない金のことである。この印鑑は天運守護印といって,この印鑑を使えばお金も生きている。またこれを持つことによってあなた自身も守られ,先祖の霊も救われます。」と告げた。原告Cは,先祖の霊を救おうと考え,35万円で印鑑セットを購入した。

(ウ) 50日間トレーニング終了後,原告Cは実践メンバーになり,勤務が終わると毎日のように教会に行き,街頭アンケートに出て伝道活動をするようになった。

キ セブンデイズ

(ア) 原告Cは,昭和57年8月9日から15日にかけて,統一協会の施設である神奈川県の厚木修練所で開かれたセブンデイズのセミナーに参加した。原告Cが両親に嘘をついて参加することが心苦しいとアベルに話すと,アベルは,「それは試練だから,サタンに負けてはいけない。」と説得した。原告Cは,東京にいる友人のところに遊びに行くと両親に嘘をついて参加した。

(イ) セブンデイズには全国から150名の勤労青年が参加し,合宿形式で行われた。参加者は朝6時に起床して屋外で体操をし,朝食をとって聖歌を練習し,午前9時から講義を受けた。昼食時に2時間のレクリエーションがあり,午後3時から夕食をはさんで午後10時まで講義が続き,その後,講義の感想を手記にまとめるよう指示された。その後,班長のQ9との面接で献身の勧誘を受けた。

(ウ) 講義では原理講義,勝共理論や教会史の講義が繰り返された。原告Cは,それまで献身をあまり考えていなかったが,国際情勢やW8の路程を繰り返し聞くうちに,「メシアであるW8とともに生きよう。」と思うようになり,班長面接でQ9から,「自信がなくても,神様がいつも導いて下さるという確信があれば大丈夫。」と言われて献身を決意した。原告Cは,最終日の閉講式で,進行係のR1に指名されて献身の決意表明をした。

ク 統一協会への献身

(ア) 原告Cは,セブンデイズの後,新潟教会に戻った際に,R2支部長の面接を受け,献身のために昭和57年10月末で会社を辞め,統一協会に献身して教会で生活をすることについて両親から許可を得るように指示された。原告Cが両親にそのことを話したところ,両親は強く反対したが,原告Cは,アベルに反対する親の背後にはサタンがおり,人情に従ってはならないと指導されていたため,献身の決意は変わらなかった。原告Cは,同年10月31日,勤務先を退職し,自宅で待機した。両親が献身を認めなかったため,原告Cが断食をしたところ,この行動に驚いた両親は,原告Cを精神病院に入院させようとした。そのため,原告Cは断食を止めた。

(イ) 原告Cが両親の目を盗んで統一協会に電話連絡したところ,統一協会からは,「教会には行かない素振りを見せて親を騙し,家出をするように。」との指示があったので,原告Cは,同年11月22日,両親に買い物に行くと偽って家を出て,そのまま上京して統一協会に献身し,世田谷のマンションで生活するようになった。

ケ 東京第3地区

原告Cは,昭和57年11月22日,上京し,同日,「栗田尚実」という偽名を使って東京第3地区に所属し,同年12月20日までの間,入信対象者のトレーニングの手伝いをした。

コ 新潟支部

(ア) 原告Cは,昭和57年12月20日から新潟支部に所属し,街頭募金活動をした。原告Cが経済活動に関与したのはこれが最初であった。原告Cは,昭和57年大晦日から翌年正月にかけて,新潟市内の白山神社や繁華街で街頭募金をした。「トキの会」という名称で,「恵まれない子に愛の手を。」と叫びながら募金を訴えた。募金は10万円以上に達したが,そのうち5000円が福祉施設に寄付され,残りは統一協会への献金になった。原告Cは,当時,地上天国を実現できるのは統一協会だけであり,天国ができれば恵まれない子供達も救われると考えていたため,罪悪感はなかった。

(イ) 原告Cが両親に連絡を取ったところ,両親は直ちに自宅に帰るよう言ったため,統一協会の許可を受け,昭和58年1月1日に自宅に戻った。その時,自宅には親戚が入れ代わり来て,原告Cに統一協会から脱会するよう勧めたが,原告Cは,反対されればされる程,統一協会に戻りたいと思うようになり,同月3日,再び新潟教会に戻った。

サ 山梨地区(印鑑展)

(ア) 昭和58年1月7日,原告Cは,山梨地区に配属となり,甲府市内で生活するようになった。山梨地区では伝道隊に所属し,朝5時に起床し,祈祷,マラソン体操,講義練習をした後で朝食を摂り,午前中から弁当を持参して訪問伝道をした。目標地域の家を一軒一軒訪問し,訪問先で,手相と姓名判断のチケットの購入を勧め,購入した人をホテルに誘うという伝道方法であった。ホテルでは印鑑展(I展)が開かれており,I展で因縁の説明を受けて印鑑を購入した人は,さらにビデオセンターで原理講義の受講を勧められることになっていた。

(イ) 原告Cはこのような伝道をした後,午後9時まで街頭伝道をし,その後で夕食を摂った。原告Cは,印鑑展といった経済活動に疑問を抱き,アベルに質問したところ,アベルは万物復帰の教えを説き,祈っているだけでは地上天国は実現できない,1円でも多くサタン世界から神側に復帰しなけれなばらない,印鑑展で印鑑を購入した客も救われることになると言った。

シ 新潟地区での活動(印鑑販売,壼展)

(ア) 原告Cは,昭和58年2月,新潟地区の青年支部である新潟支部へ戻り,新潟市内のビデオセンター「ニューカレント」の食事当番(食当)をした。その後,同年3月から8月まで,新潟地区の第一店舗(W6店長)に配属となり,1か月間,有限会社大善の印鑑販売等に関与した後,店舗関係者の食当を担当した。このころ,原告Cは,店舗の部署で印鑑などの訪問販売が行われていることを初めて知り,印鑑などが原価の数倍以上の値段で売られていることを当初は不思議に思ったが,信者から,購入者にとって霊的価値は測り知れないと説明され,納得した。このころ,統一協会では,W8から「1985年(昭和60年)8月15日までに経済,人材の基盤を作るように。」という「荒野40年路程」の指示があったことで多くの信者が経済活動に奔走していた。

(イ) このころ,原告Cは,沼垂白山神社の和晃殿で開かれたS展(壺や多宝塔の展示会)の接客係をした。S展開催の1週間位前に動員決断式があり,開催前日には関東ブロックのスタッフや霊能者役をするトーカー団も参加した決断式があり,ドライバー,接待,受付,会場係,会計,担当者,タワー長が紹介された。原告Cが担当する接待は,聖霊の役とされた。午前中から昼ころまで,昼から午後3時まで,午後3時から夕方までと1日を3ラウンドに分け,顧客に因縁の話をして購入を勧誘した。顧客を脅かしてでも壺を購入させるため,原告Cがタワー長から指示され,担当者とゲストしかいない部屋に駆け込み,「大変です。先生(トーカー)が祈祷室で倒れました。」と言い,あたかも霊能者が祈祷中に顧客の先祖の霊と交流するうち,その霊から打たれたかのように演じたこともあった。原告Cは,壺を高額で購入する客を不思議に思い,R3販売部長に聞いたところ,R3は,「1975年に5万人の献身者と50万人の教会員を目標としていた伝道の摂理が失敗したので,その蕩減として経済が中心になった。」という摂理の説明をした。原告Cは,摂理と聞き,統一協会に献金するため,いかなる手段を使っても,財貨をサタン世界から復帰させる経済活動を成功させなければならないと考えた。

(ウ) 原告Cは,昭和58年7月,千葉中央修練所での21日間修練会に参加し,同年8月,新潟地区の第一店舗に戻った。このころ,原告Cは,自分を統一教会に勧誘した霊の親であるH7や,そのH7の霊の親であるR4が統一教会を脱会したことを知り,精神状態が不安定となった。原告Cは,同年9月から11月まで,新潟地区の新潟支部に所属し,青年サークル伝道(霊感商品を買った独身者を対象とした伝道)を担当した。原告Cは,同年10月からは新潟支部のビデオセンターに所属し,スタッフの一員としてビデオセンターに来所した青年(独身者)を相手とした新規トーカー(受講させるトーカー),アフター(受講者に対するアフターケア),食当を担当し,印鑑販売のトーカーもした。さらに原告Cは,同年12月から昭和59年5月まで,新潟地区の新潟教会の食当を担当した。

ス 上越地区での活動

(ア) 原告Cは,昭和59年6月から昭和60年11月まで,上越地区(新潟第3地区)に配属となり,同地区の支部責任者(唯一の献身者)としてビデオセンターを運営し,壷や霊石を販売する展示会(S展)に動員するなど霊感商法に関与した。当時上越地区では,ひとつのビデオセンターを青年の支部と壮婦が一緒に運営していた。この間,経済活動の実績が伸びず,タワー長(展示会の際に関東ブロックから派遣されるトーカー団の責任者)から叱責された。

(イ) 昭和59年7月,上越地区に店舗(経済部署)が設置され,有限会社大善の名前で印鑑などの販売活動をすることになり,献身者7,8名が配属された。原告Cは,支部責任者の立場でビデオセンター来場者やその友人に対し,手相を見てもらったり,姓名判断をしてもらうよう勧め,店舗の関係者に紹介するなどして印鑑販売の協力をした。

(ウ) 原告Cは,同年11月,埼玉県の天望閣で開かれた特別指導者修練会(10日修)に参加した。原告Cは,同年12月,その年の7月20日からW8がアメリカのダンベリー刑務所で服役したのを契機に7日間の成約断食に入った。

(エ) 原告Cは,昭和60年3月ころ,統一教会関係者から「クリスチャン・ベルナール(CB)の宝石を買うことは,ユダヤ人復帰のための摂理である。」と言われ,指輪の購入を勧められた。原告Cは,神の摂理のため,ダイヤの指輪を5万円で購入した。

セ 新潟地区での再びの活動

原告Cは,昭和60年12月,再び新潟支部に異動となり,初級トレーニングを担当し,スリーデイズで主(W8)の証しをされた信者のアフターケアをした。

ソ 千葉地区での活動

(ア) 原告Cは,昭和61年3月,船橋市を中心とする千葉地区の千葉1支部に配属された。同年3月から5月まで青年部に所属し,献身前の信者に献身を勧めたり,系統伝道(FF伝道)や万物動員(霊感商法への動員)を企画した。同年6月から7月まで同支部の教育部に所属し,フォーデイズ後の上級トレーニングを担当し,フォーデイズで献身を決意した対象者の退職時期,献身時期を決めさせた。同年8月から同支部の教育青年部に所属し,フォーデイズ後のトレーニングの段階でも献身を決意しない信者にビデオ等を使って教育したり,系統伝道をさせたりした。同年9月から12月まで再び同支部の教育部に戻り,統一協会が運営する船橋トレーニングセンター(FTC)で,スリーデイズ参加後の信者の初級トレーニングを担当し,フォーデイズへの参加を勧誘した。

(イ) 原告Cは,昭和62年1月から千葉地区の千葉2支部(木更津支部)に配属となり,教育部を担当した。同年2月から同支部のチームマザーとして支部長の相談役となり,伝道や経済活動(霊感商法)に関与し,同年9月には珍味販売にも参加した。

タ 店舗での活動

(ア) 原告Cは,献身以来,上記の活動中,小遣いとして月1万1000円を支給された他,報酬は受領しなかった。また,店舗で経済活動に従事した際は,朝5時30分に起床し,40分の祈祷があり,朝食後8時に出発式があり,それぞれの任地に向かい,昼と夕方に電話報告をして午後7時ころまで印鑑販売を行うという生活であった。1か月の目標と1日の目標があり,出発式では,「個人が勝利せずして全体の勝利はなく,限界を超えてこそ神に出会える。責任のない自由はない。実績のない自由はない。」といった言葉が発せられた。また,店舗には,毎日,ブロック本部からファックスが送信され,前日の実績が一目で分かった。

(イ) 店舗では,月初めに決断式(前月の功労者を表彰したり,当月の目標を立てる。)を行って決意を固め,中旬を過ぎたころからS展やM展の準備に入った。概ね月末にS展があり,印鑑の訪問販売の時点からS展を意識し,高額客を動員した。また,月末になると,実績を上げるため,集金を確実に行った。

チ コンフェッション及び祝福

(ア) 原告Cは,昭和63年2月19日,統一協会のa本部に呼び出された。原告Cを含めて約1000名の女性献身者は,上着を脱ぎ,ヘアピン,アクセサリー,ベルト等を外すように指示され,a本部のビルの2階にある礼拝堂に連れていかれた。原告Cが礼拝堂に入ると,「ウェルカム・R5様」と書かれた看板があった。R5は,W8の既に死亡していた二男で,当時は興進の霊が乗り移ったと称する黒人(ブラック・R5)が来ていた。原告Cは,コンフェッション(告白式)が始まることを告げられた。コンフェッションでは,統一協会幹部が,フォーデイズ以降,男性と肉体関係を持ったことがある者は挙手するよう指示した。挙手した信者を退室させた後,幹部は,その場に残った女性信者に,祝福候補者として選ばれたことを伝え,同月20日と21日の2日間断食をするよう指示した。

(イ) 原告Cは,昭和63年10月26日,統一協会から祝福が決まったとの連絡を受けた。原告Cは,献身以来,W8が選んだ相対者と祝福を受けることで原罪のない子女を産むことができると教えられていたため,祝福を待ち望んでいた。

(ウ) 同月29日,原告Cは成田空港から韓国に渡航した。渡航の際に祝福予定者は統一協会から現金の入った封筒を渡され,韓国に着いたら統一協会関係者にそれを渡すよう指示された。同日午後9時すぎ,原告Cは,ソウル郊外のメッコール工場で,W8が決めた相対者と初めて対面した。相対者は24歳の日本人で統一協会の会員だった。その後,聖酒式に一緒に参加し,聖酒を交わした。同月30日,原告Cは相対者とメッコール工場で6516双の一組として合同結婚式を挙げた。同月31日から同年11月2日にかけて合同結婚式に関連する諸行事(蕩減棒,記念撮影等)があり,原告Cはそのまま韓国に滞在した。この間,聖別期間の教えから,原告Cと相対者は記念撮影の時以外は握手をすることもできなかった。

ツ 脱会

(ア) 原告Cは,昭和63年11月3日,韓国から帰国し,同年12月25日,宮城県にある相対者の実家を訪れ,家族に挨拶をした。その後,相対者を原告Cの家族に紹介するため,平成元年1月12日,相対者を連れて五泉市に帰省した。

(イ) 相対者は帰され,原告Cは自宅に残った後,ビジネスホテルに連れて行かれた。ホテルでは,家族や知人,牧師から統一協会の脱会を促されたり,統一協会の活動が違法なものであると指摘された。最初,原告Cは家族や牧師の説得に反発し,また,統一原理を聞いて脱会すると,事故死や自殺などの不幸が訪れると聞かされていたため,脱会をする意思を持たなかったが,次第に説得を受け入れるようになり,統一教会での活動に疑問を持ち始めて2,3日後,脱会を決意するに至った。

(ウ) 原告Cは,同年2月15日,統一協会を脱会した。

テ 献金

原告Cは,昭和57年10月から昭和63年12月までの間,次のとおり,合計57万1000円を統一協会に献金した。

(ア) 原告Cは,昭和57年10月限りで退職し,会社から慰労金として3万円を支給された。原告Cは,献身の際は所持金を全部献金するよう指示されていたため,同日,3万円を全額統一協会に献金した。

(イ) 原告Cは,「あなたは献身のとき少ししか献金しなかったので,神の摂理のために失業保険がもらえるなら献金しなさい。」と言われた。そこで,原告Cは退職後,新たに勤務する予定はなかったが,昭和58年2月,職業安定所を訪ね,失業保険受給の手続をした。原告Cは,昭和58年4月から同年11月の間,6回にわたって失業保険金合計34万9000円を献金した(昭和58年4月30日9万円,同年5月11日7万9000円,同月31日10万円,同年6月11日2000円,同月29日7万円,同年9月30日8000円)。

(ウ) 昭和63年は韓国でオリンピックが開催されることになっており,原告Cは,統一協会関係者から,「このオリンピックは摂理的に重要な意味があり,W8を中心としたオリンピックにしなければならない。それを成功させるために韓国はとてもお金を必要としており,その援助のために世界の母としての立場である日本がお金を送ってあげなければならない。」と言われた。そのため原告Cは,知人から3万円を送ってもらい,同年8月,それを献金した。

(エ) 昭和63年9月ころ,霊感商法に対する社会的な非難が強まり,霊感商法による売上が悪化していたため,被告は献身者全員に1万円ずつ献金するよう指示し,原告Cも1万円を献金した。

(オ) 原告Cは,昭和63年10月,祝福(合同結婚)を受けるように言われ,祝福のために140万円を統一協会に献金するよう指示された。原告Cは,両親に事情を話すことができなかったため,同年11月,自分の貯金からの4万円と知人から援助してもらった3万円の合計7万円を統一協会に献金した。

(カ) 原告Cは,昭和63年12月,「1988年最後の月として経済の目標を絶対勝利しなければならない。」と言われ,既に脱会していたH7から4万円を借り受け,同月25日に祝福を受けた相対者の家に行った際に結婚祝いとして受け取った3万円の合計7万円を献金した。

(キ) 蕩減献金は,3数の金額を4回行う献金である。原告Cは,「祝福を受けるために必要な条件であり,献身者は必ず全員するように。」と言われ,昭和57年から昭和60年にかけて4年間,毎年12月に蕩減献金として3000円ずつの合計1万2000円を献金した。

(4)  原告D関係

証拠(略)及び弁論の全趣旨によると,原告Dにつき,次の事実が認められる。

ア 印鑑及び壺の購入

(ア) 原告Dは,昭和34年8月4日に生まれ,昭和54年4月,arに入社し,ピアノ調律師として勤務し始めた。

(イ) 昭和58年11月ころの平日,原告D(当時24歳)は,軽い風邪をひき,arの勤務を休んで埼玉県岩槻市の自宅で1人で静養していたところ,有限会社サンヘルス(以下「サンヘルス」という。)の印鑑委託販売員であったH8の訪問を受けた。H8は,昭和53年に統一協会に入信し,昭和54年に勤務していた会社を退社し,伝道活動に専念するようになった信者である。H8は,当時,信者組織である関東ブロック埼玉青年支部に所属し,大宮のホームに居住していた。H8は,サンヘルスからの販売手数料は全てホームの会計(サークル会の運営費となる)に交付しており,1か月2万円の昼食代や必要な時に個別に支給される被服費等以外は1万5000円の小遣いを支給されただけであった。また,小遣いの中から,1か月2000ないし3000円を統一協会に献金をしていた。

H8は,原告Dに対し,姓名鑑定士の名刺を出し,無料で姓名判断(個人の姓名によって運勢を占うこと)をすると申し出たため,原告Dはそれに応じた。その際,H8は,自分が統一協会の信者であることを原告Dに説明しなかった。H8は,原告Dに氏名を書かせ,家系を聞き出し,同人に武士の因縁が働いていると告げた。原告Dが,自分が落武者の家系であり,生後間もなく弟が亡くなっていることを話すと,H8は,長男である原告Dの代わりに弟が亡くなったのであり,弟の死亡は原告Dにも同様のことが起こる前兆であるから,名前を変えるか守護印を購入するしかないとして,印鑑の購入を勧めた。勧誘の途中で原告Dの母が帰宅したため,H8は,翌日また来ると告げて帰った。翌日,原告Dは,H8とR6の訪問を受け,3本セットの印鑑を40万円で購入する契約を締結したが,高額すぎることから,2日後位に,H8に電話で契約の解約を申し出た。H8は,印鑑を買わないと因縁から守られないと説得し,原告Dは,24万円の印鑑1本を購入した。原告Dは,印鑑を購入した事実を家族にあかすと,魔が入ると言われたため,家族には購入の事実を告げなかった。

(ウ) 同年12月,原告Dは,H8から,自分が鑑定について師事した霊界を見ることが出来る偉い先生が全国を巡回しており,埼玉に来る予定なので,会いに行くよう勧誘され,次の日曜日の夜に会うことを約束した。この時点では,壺や多宝塔の展示会に連れて行かれることや,それが統一協会信者による展示会(S展)であることは原告Dに告げられなかった。

約束日の夜,原告Dは,浦和駅からH8に車で浦和市民会館の近くの会場に案内された。午後6時ころ,会場(H8が「霊場」と称した場所)に到着した原告Dは,ビデオ室に案内され,5人位の人たちと一緒に霊の宿った壺から火が出る内容のビデオを見させられた。原告Dは,ビデオを見た後,H8から,祭壇があり,正面に多宝塔,両側に壺が飾られている別室に案内された。しばらくして,先生と呼ばれる女性が現れた。原告Dが,H8の指示で予め作成していた家系図を示したところ,先生は,お祈りをすると言って家系図を持って部屋を出て行った。また,原告Dは,資産内容について,H8から,「財が流れてゆくことを防ぐためにお祈りしてもらいましよう。」と言われ,預金や生命保険,車,不動産等を記載する項目のある用紙を渡され,記入し封筒に入れてH8に交付していた。先生は,部屋からの出入りを何度か繰り返し,先祖や亡くなった弟が霊界で苦しんでおり,因縁から解放するには出家するか大先生が霊山にこもり,霊界の因縁を解決するためにお祈りしながら彫った壺を購入するしかないと告げた。原告Dは,因縁から解放されるには壺を購入するしかないと考えたが,提示された80万円を支払えないというと,先生は,これが最後の機会であると述べて50万円を提示したため,原告Dは,その金額で壺(輸入販売元が株式会社ハッピーワールド)を購入した。原告Dは,30万円しか預金がないと言ったところ,先生は,原告Dに借金の方法を教えた。原告Dが,展示会から帰宅の途についたのは,午後11時30分ころであった。

翌日,H8は,原告Dが銀行から預金を下ろし,また保険会社に借入れに行くのに同行し,午後3時ころに展示会の会場に連れて行き,50万円を半紙に包み,お盆に載せ,祭壇の多宝塔の前に捧げ,塩を振ってお清めした。H8は,壺を持って帰ると家族が驚くので,祈祷院に預かってもらうよう勧め,原告Dは,預かり証に署名をした。

イ ビデオセンター

(ア) 昭和59年1月,原告Dは,H8から勧誘され,霊石を授かった証を聞くための感謝会(大宮市で開催)に参加した。感謝会は,統一協会の青年支部が主催していたが,H8はそのことを原告Dに告げなかった。約30名が参加していたが,原告D以外は全て女性であり,手品や歌が演じらた。催物が終わると,H8から,先生からの伝言として,和紙に「40日間真理の行をして下さい。」等と墨書してあるものを渡された。原告Dが,「真理の行」が何であるかを尋ねると,H8は,ビデオセンターであることを隠したまま,大宮で勉強できる場所があるのでそこに行くように勧誘した。原告Dは,H8の案内で大宮教育ビデオセンターに行き,ビデオを見せられ,1対1のカウンセリングを受けた。原告Dは,所長に宗教かどうか尋ねたが,所長は否定し,学んでいけば分かると回答した。ビデオセンターには,創造原理,堕落論,復帰原理について説明した全13巻のビデオの他,ベンハー,塩狩峠,スターウォーズといった一般的な映画のビデオも用意されていた。

(イ) その後,原告Dは,仕事が忙しく,同年6月までの間に3回程度しかビデオセンターに行かず,3巻までしか視聴できなかった。その間,2日に1回程度の頻度で複数の信者から来所の勧誘の電話があった。

ウ ツーデイズ

(ア) 原告Dは,所長から,多忙な人が集中的に勉強できる2日間の修練会があると言われ,群馬県高崎市のsセンターでのツーデイズに参加することにした。その際にも,それを主宰しているのが統一協会関係者であることや,講義内容が統一協会の教義であることの説明を受けなかった。

(イ) 原告Dは,昭和59年6月3日に行き,4日,5日と参加した。班に分けられ午前6時に起床し,午前に2回の講義,午後にレクレーションと講義があり,夜には面接が行われた。班長はR7であった。堕落論の講義では,人間は罪人としてその償いの道を歩まなければいけないと教えられた。

(ウ) 最終日の深夜に大宮のビデオセンターに戻った大宮からの参加者3名は,その場で解散になると考えていたところ,15名程の見知らぬ人達から,「2days参加おめでとうございます」と記載された横断幕を掲げられて出迎えられた。ウェルカムパーティでは,飲食物が用意され,原告Dは,「2days終了おめでとう」と寄せ書きされた色紙を贈られた。原告Dは,「真理の行」は終わると思っていたが,続いて12トレーニングがあると知らされ,担当者のR8とR9を紹介された。

エ 12トレーニング

(ア) 原告Dは,ツーデイズから戻った日の夜,大宮所在のマンション(トーサンマンション)の一室に案内され,R8やR9から12トレーニングを受けた。原告Dは,R9から,1日1回夜に罪を犯さなかったかどうか報告するように言われた。また,悩みごとや教義や組織に関する疑問,質問については,直接上の人に聞き,受講者どうしでは相談や質問はしないように指示された。

(イ) 原告Dは,12トレーニングで,W8がメシアであり,「世界基督教統一神霊協会」という宗教団体の教えであるとの説明を受け,初めて宗教活動であることを明確に認識した。14巻以降のビデオが28巻まで用意されていたが,原告Dは,18巻のビデオ(合同結婚式についてのもの)はまだ見てはいけないと言われていた。

オ フォーデイズ

(ア) 原告Dは,R8からの勧めで,昭和59年7月26日から同月29日までの間,埼玉県秩父にあるホテル天望閣での修練会(フォーデイズ)に参加した。原告Dは,すでに購入していた原理講論(被告の教義解説書)を持参してフォーデイズに参加した。また,家族には,旅行に行くと説明していた。フォーデイズでは,統一原理により,人類の原罪は人類始祖アダムとエバが神の望まない性的関係により堕落したためであるとし,現在の家庭崩壊,フリーセックス等々,多くの罪がはびこる終末の時が来ているといった内容の講義を受けた。また,献身して神に仕えることで,自分だけでなく,両親はじめ兄弟親戚一同等の血縁関係にある一族,そして亡くなっている先祖の全てを天国に導くことができる(氏族の霊界を解放することができる)「氏族のメシヤ」として,教えに従って生きるべきだと教えられた。また,「主の路程」では,W8が1935年4月17日にイエスキリストから啓示を受けたという説明を受けた。原告Dたち参加者は罪人なので,罪人同志で話し合ってもよい発想は出てこないということで,参加者同志では議論をしないように言われていた。夕食後には,1人1人面接を受けた。

(イ) 7月28日(修練会3日目)の夜,参加者は1名ずつ班長との献身の決意の面接を受けた。原告Dは,印鑑及び壺を購入したときの心境を確認され,「再臨のメシアが到来しており,もし,貴方の生涯の仕事がメシアであるW8の靴磨きという責任分担であってもやってゆく決意がありますか。」と聞かれ,原告Dは,あると答えた。そして,面接が終わった後,真っ暗にした大広間に蝋燭を立てた薄明かりの中で,W8夫婦の写真が飾ってある祭壇の前で献身の宣誓をした。終了後,大宮に戻るとウェルカムパーティが準備されており,原告Dは献身を決意した。

カ 21トレーニング

原告Dは,献身の準備として,8月2日から同月24日まで21トレーニングに参加した。埼玉第2教会(北浦和青年支部,S1支部長)に行き,信仰生活の基本路程や共産党対策等の講義を受け,自分の財産の全てを献金・献品した。実際に行われる経済活動については一切説明を受けなかった。原告Dは,両親に相談することなく勤務していたarを退社した。原告Dが献身について両親に伝えたところ,両親は反対したが,原告Dの意思は変わらなかった。

キ 献身

昭和59年8月30日,原告Dは,arを退社し,埼玉第2教会(北浦和教会)に献身し,教会に隣接する北浦和マンション(「ホーム」と称していた。)に住むようになった。原告Dは,この時ではP会員(未登録会員)であり,献身生活の具体的な内容や経済活動については知らされなかった。

ク 街頭伝道と展示会のドライバー

(ア) 昭和59年8月末に埼玉第2教会で献身した原告Dは,同年9月から大宮駅前で2週間,街頭アンケートによる伝道を行った。

(イ) 同年10月から11月にかけての約1か月間,原告Dは,統一協会埼玉第2教会のS1支部長の指示で,S展(壺の販売展示会),M(マナ)展(人参茶の販売展示会)の客を送迎する車の関東ブロックにおける運転手となった。運転業務に対する報酬はなかった。原告Dは,トーカー団(M展において霊能者役をする集団)の中心人物であるS2タワー長の手伝いを指示された。印鑑を購入した客を担当者と共に訪問し,展示場に連れてくる役目がドライバー隊の原告Dの役割であった。

(ウ) 原告Dは,展示会では,事前に勧誘の対象者から資産状況を記載した書面を提出させ,個別の対象者ごとに目標の売上金額を設定し,対象者の家系の弱点を把握してトーカーが対象者との会話内容を逐一タワー室にいるタワー長に報告し,指示を仰いで購入の勧誘をするという実態を初めて知った。原告Dは,対象者の資産の大部分を支払わせることを目標とする販売手法に疑問を抱き,S2にその疑問をぶつけたところ,S2は,万物復帰教義からすると,仮に対象者が経済的に行き詰まっても,対象者の本当の救いにつながるから,社会的には罪でも神様に認められた善なることである(「人情」を捨てて「天情」に立つことである。)と説明した。

ケ セブンデイズ

原告Dは,S1支部長からの指示により,昭和59年11月11日から23日までの間,セブンデイズという講習を受けた。講義は,S3を講師とし,被告の教義についてのものであった。

コ 印鑑の訪問販売

(ア) 昭和59年12月,原告Dは,S1支部長の指示により,埼玉研修センター(SKC,主管者はM2次長)で桑名式姓名判断等,印鑑訪問販売の訓練を受け,ペアを組んで川口市を回り,印鑑の訪問販売と駅前等での街頭アンケートによる伝道活動(ビデオセンターへの勧誘)を行った。伝道活動においては,「統一協会」といった名称を伏せるよう指示されていた。また,同月,埼玉研修センターで被告の本部教会員試験を受けて合格し,本部教会員の資格を取得し登録会員となった。

(イ) 原告Dは,M2次長の指示により,昭和60年1月から2月にかけて,千葉研修センター(CKC,主管者はS9次長)に配属された。ここでは,7日間の成約断食を行った。

(ウ) 同年3月,原告Dは,群馬セールスセミナーセンター(SSC,S4所長)に配属され,印鑑の訪問販売における姓名判断の実地訓練を受けた。1人で高崎市,前橋市の周辺を印鑑の訪問販売をして回った。

(エ) SKCからSSCにかけての原告Dの生活は,朝5時ころ起床し,祈祷会と称して販売目標を確認し,交通費,電話代,昼食代を持って出発,早朝から印鑑の訪問販売と伝道を行い,午後8時か午後9時ころ帰着し,食後に販売実績の報告をするというもので,小遣いとして1か月に1万1000円が支給された。原告Dは,印鑑販売に良心の呵責を感じつつ,販売金額が少ないと信仰が足りないと追及を受けて反省した。

サ だるま堂及び21日修練会

(ア) 昭和60年4月から,原告Dは,高崎市のだるま堂という代理店(S5地方本部長,S6販売部長)に配属され,印鑑,壺,多宝塔,人参茶の販売を行った。だるま堂の祈祷室にある祭壇には,W8の写真が飾られ,祭壇のテーブルの前には訪問販売の方法(姓名判断や因縁トーク)を論じた書籍が置いてあったり,販売目標達成のための心得が祈祷室の壁に貼られていたりした。毎月の売上目標がブロックの本部から本部長を通じて伝達され,店長又は本部長が原告Dを含む末端の販売員に個別の目標を示していた。

(イ) 同年6月,原告Dは,千葉修練所での21修練会(21日間の修練会)に参加し,統一原理の講義を受け,万物復帰路程として供養茶と称して日本茶の販売をした。原告Dは,「清水港の次郎長」の歌を歌いながらお茶の販売をしたが,販売実績は上がらなかった。

シ 株式会社鶴美でのサウナの販売活動

(ア) 昭和60年8月から約1年間,原告Dは,浦和市の株式会社鶴美(呉服部,絵画部,健康部の3部)の健康部に配属され,遠赤外線低温サウナ(商品名「アセデール」)の販売に従事した。原告Dは,大宮市の寮にほとんど戻らず,ワゴン車に見本のサウナを積み,関東ブロック各地で講演会や展示会を開催し,各地区の信者が人を集めて販売した。一つの展示会が終了すると,深夜12時ころ次の会場へ出発して朝に到着し,展示までの時間をワゴン車に積んだサウナの横の約40センチメートルの隙間に横になって仮眠をとる生活が続いた。また,原告Dは,購入客へ2トントラックに6台のサウナを積んで納品する作業も行った。

(イ) 統一協会系病院である一心病院(東京都t)で子宮ガンの手術に成功して2児の出産をしてテレビ報道されたS7(信者)やホリステックメディカル・クリニックのS8が講師となって健康講演会が開かれた。原告Dは,遠赤外線治療器(電気サウナ)がガンの治療に使われていると説明し,ガンやアトピー性皮膚炎が治ると説明して販売した。

ス 珍味販売

(ア) 昭和61年9月から10月にかけて,原告Dは,マイクロフラワーチーム(MFT)に配属され,珍味の販売を行った。高崎市の日本訪問販売株式会社関東営業所(略称「日訪販関東」)に配属され,珍味販売の女性隊のキャプテン(隊長)となり,ワゴン車の運転手兼管理として,6ないし8名の女性を乗せて各地を野宿して販売活動を行った。

(イ) MFTの1日の生活は,概ね次のとおりであった。

改造したワゴン車の床下に販売用の珍味を入れ,6人の女性を乗せ,原告Dが運転して販売先へ移動し,公園や公衆便所の辺りにワゴン車を止め,車の中で眠る。入浴は週2回銭湯に行き,洗濯は週1回コインランドリーがあれば行うが,夏でも2日に一度着替えができればよい方であった。朝5時ころ起床してパンを食べ,1軒残らず訪問し,昼食は,キャプテンの原告Dが弁当や電気を無断使用して炊飯した米でおにぎりを作って待ち合わせ場所でとる。午前中の売上金を回収し,珍味(1名約10キログラム)を補充して出発する。タ方から原告Dが販売員の女性を捨い集めて,午後7時半から8時ころ,食事のできる学校,公園,川原へ連れて行き,夕食をとらせた。夕食後,午後9時ころから「B街」と称する飲食街に女性を送り込み,スナックやバーに珍味販売に行かせた。暴力団員や酔っぱらいに絡まれることもあり,身の危険を感じつつ,また改造車であったため警察の目を気にしながら販売活動した。原告Dが午後11時半ころに販売員の女性を拾い集め,帰ってからワゴン車で販売実績を報告させた。ノルマは,1名につき,1日3万円,1月100万円であり,達成できない者には食事を与えないという制裁があった。原告Dは,1人ずつ面接をし,報告を受けると共に,販売実績が上がらない者には念入りにカウンセリングした。原告Dは,高崎の本部に1日の実績を報告した後に,深夜に次の販売地ヘワゴン車を運転して移動し,到着後仮眠をとった。キャプテンの立場にいた者は,疲労,寝不足,実績追求によるプレッシャー等により,ガードレールに接触する等の自動車事故を頻繁に起こしていた。販売員の逃亡対策として,個々人には金を所持させず,生活に必要な金は本部からキャプテンに支給された。原告Dは,月末に高崎市の日訪販に戻った。販売員らは,生理不順,腰痛,その他の病気になったり,精神障害やそれに近い状態になる場合もあった。

セ 事業団への配属

(ア) 昭和61年11月,原告Dは,これまでの関東ブロック所属からブロック外人事面接を受け,事業団本部の配属となった。面接者は,統一協会のH9巡回師(会員のカウンセラー。協会内部では「霊的な主管者」とされていた。)であった。

(イ) 原告Dは,株式会社シービーの開発課に配属され,高麗貿易大阪がコリアプラザを設立し,一宝産業(韓国企業)がその1ブースの権利を取得し,シルクネクタイの販売店を出店した際,株式会社シービーが代行した。原告Dは,販売責任者として大阪に移り住んだ。株式会社ハッピーワールドが一宝産業からネクタイを輸入し,株式会社シービーに卸し,株式会社シービーが販売た。

(ウ) 昭和62年4月,原告Dは,株式会社ハッピーワールドの国際部海外開発2課へ配属され,コリアプラザ担当となったが,その業務内容はシービーに配属されていた時と同様であった。給与明細はあったものの,実際の支給は1か月1万5000円であり,残額は「献金」と称して支給されなかった。

(ウ) 平成元年3月,原告Dは,シービー本部長T1の発令により,統一協会の内部的な役職である韓国商品流通本部催事部長に就任した。この時は1万5千円のみを支給され,給与明細は平成元年4月ころから配付されるようになった。原告Dは,月に1回経理室に行き,給与受取として押印したが,額面と受領額の差額は献金した。また,出張書類上認められる交通費,宿泊費以外の手当は書類上は計上し,実際には支給されていなかった。

(エ) 原告Dは,社会保険等を打ち切られたため,病気になっても充分な治療を受けることができず,診察が必要な場合は,他人の保険証を借りて受診するよう指示された。

ソ 合同結婚式

昭和63年10月30日,原告Dは,韓国で行われた6516双の祝福に参加した。原告Dは,韓国に150万円を持参した。ほとんどの場合,結婚する人達は会場の出会いの広場で番号順に並び,初めて結婚の相手を知ることになり,その直後に合同結婚式が挙行された。原告Dの相手は,ハッピーワールドで面識のあったT2であった。

タ 脱会

(ア) 原告Dは,平成元年6月10日以降,統一協会との連絡を絶ち,ビジネスホテルに泊まり込んで両親や親戚と話し合いをもった。原告Dは,統一協会から,親に捕まったときには逃げるよう指導されていたため,5階にあるホテルの部屋から3階の屋根に飛び降り,第一腰椎圧迫骨折をして動けなくなった。原告Dは,両親や親戚との話し合いや牧師の説得により,統一協会から脱会することを決意し,同年8月7日,統一協会に脱会届を提出した。

(イ) 原告Dは,昭和58年に購入した印鑑(24万円),壺(50万円)の代金につき,販売担当者であったH8に対して返還請求し,平成2年4月25日,和解契約が成立し,74万円の返還を受けた。

(5)  原告E関係

証拠(略)及び弁論の全趣旨によると,原告Eにつき,次の事実が認められる。

ア ビデオセンター

(ア) 原告Eは,昭和41年7月29日,新潟県柏崎市で生まれ,昭和60年3月に新潟県立ag高校を卒業し,同年4月,ah大学外国語学部英語科英文学科に入学し,アパートで一人暮らしを開始した。原告Eは,昭和63年4月,大学4年に進級し,教員採用課程を選択していたが,進路について悩む日々が続いた。ah大学には原理研究会があり,キャンパス内には,「原研に注意せよ」「洗脳されるな」などの立て看板があり,原告Eも友人らと「危ないところだな。」という会話を交わしていたが,原理研究会と統一協会の関係については知らず,「統一協会」という名称も聞いたことがなかった。

(イ) 原告Eは,昭和63年春に教育実習を終え,7月後半の教員採用一次試験が迫っていた同月17日午前,幼稚園からの旧友で当時ai大学教育学部3年生に在籍していたI1から電話を受けた。原告Eは,I1から,ニューグロリア中野ビデオ教育センターへの勧誘を受けた。原告Eは,誘いを一旦断ったが,I1から,原告Eのアパートまで迎えに行き,電車代も負担すると言われて断り切れなくなり,I1にアパートに来てもらうことを了承した。原告Eは,同日午後2時ころ,I1の訪問を受け,ビデオセンターのパンフレットを見せられた。そのパンフレットには,「人生,世界,結婚,仕事,教育…」と様々な分野の勉強ができるとの記載があったが,「統一協会」の記載はなかった。原告Eは,同日,I1に連れられて,ビデオセンターに出掛けることになった。

(ウ) 原告Eがビデオセンターに着くと,コーヒーとお菓子でもてなされ,簡単なアンケートを書かされた。ビデオセンターは明るい照明の喫茶店風の造りで,ビデオルームに聖書が置かれていた以外に,宗教や統一協会を認識させるようなものはなかった。アンケートは,関心事や趣味,住所と連絡先を記入するものであった。関心のある事柄の項目の欄の選択肢の一つに宗教があった。アンケート終了後,原告Eは,I1と一緒に,I1がビデオセンターの先輩であると紹介した女性と面談をした。その女性(新規トーカー)は,パンフレットを見せて項目ごとに原告Eの興味や個人的な事柄を質問し,「ここは幸福な人生を得るために個人の問題から世界情勢に至るまで幅広く学ぶ青年サークルです。」と説明した。その女性は,ボランティアで手伝っており,普通に勤めの仕事をしていると言ったが,実際には実践トレーニングの班長を務めている献身者のスタッフであった。女性は,原告Eに対し,「受講料は3万5000円で,ビデオ13巻の受講と,そのまとめとしての2泊3日のセミナーの代金が含まれています。その他にも,映画など様々なビデオがあるので,来たいときに来て,見たいときに見てもらって,ライブラリーのように活用して下さい。」と説明した。原告Eは,進路について悩んでいた時期でもあり,旧友が入会を勧める以上,悪い場所ではないと考え,受講をすることにした。原告Eは,所持金がなかったため,受講料3万5000円の内金5000円をI1から立て替えて払ってもらい,残りの3万円を,8月上旬ころに支払った。

(エ) 原告Eは,同年7月末ころまでの間,6回程,週2回程度の頻度で,ビデオセンターに通った。原告Eは,帰る際に,カウンセラーと称するT3某(男性)から出来るだけ日程を開けずに通うように言われ,次回の来場日を確認されたほか,帰宅後は,I1から電話で感想を尋ねられたりした。最初の受講日には,30分程度の導入ビデオを視聴した。導入ビデオの内容は,戦争や飢餓や性の氾濫など,現代社会の歪んだ部分を影像にしたものであった。ビデオルームはブース形式で区切られており,一人ずつヘッドホンで音声を聞き,モニターで影像を見る方式であった。ビデオ視聴後は,感想アンケートがあり,その後,T3からビデオの感想を尋ねられたり,今までの生き方を振り返るような内容の質問を受けた。

2回目以降も,スタッフから指示されたビデオを視聴し,視聴後に感想文を書かされ,T3からカウンセリングを受けた。そのビデオは原理講義のビデオで,神や霊界についてT4講師が講義をするものであった。原告Eは,数本のビデオを視聴するうち,内容が少し宗教的であると感じたが,T3から,「固定観点を持っていると,物事を完全には理解できない。一つのことを様々な角度から見ることにより,はっきりと知ることができる。」「人生の幸福を考えるための根本になるものは何か。それを勉強するのが目的です。その土台を学んでから,あなたの希望する分野でその土台を生かして活躍して下さい。その土台とは,社会では一般に,根本概念とか,主要原因とか,第一原因とか,起源とか,神とか呼ばれている。このビデオではそれを仮に神と呼んでいるのです。」といった説明を受けて納得した。

イ ツーデイズ

(ア) 原告Eは,同年7月下旬ころ,ビデオセンターで全13巻のビデオのうち5巻位しか視聴していない段階で,T3から,ツーデイズへの参加を勧められ,ビデオは参加後にも視聴できると説明されたため,ツーデイズに参加することにした。

(イ) ツーデイズは,昭和63年8月5日から同月7日まで,約40名の参加者で東京都八王子市郊外の「夕やけ荘」で行われた。同日の夜の開講式では,参加者に対し,講義中の質問禁止,他の受講生と住所交換をしてはいけない,班長に無断で外部に電話をかけてはならない,禁酒・禁煙,貴重品はスタッフに預けるなどの指示がなされた。ツーデイズのスタッフには,講師,修母(修練会の母),進行係,聖歌指導,班長,食当,総務がいた。

(ウ) 2日目の8月6日から講義が行われたが,講義内容は基本的には,ビデオセンターのビデオと同一であった。進行係は,統一協会の献身者である講師のことをクリスチャンであると紹介した。講義は,創造原理,堕落論,復帰摂理,イエス路程,歴史の同時性まで進んだ。歴史の同時性の講義では,「悲惨な現代社会を救う,イエスの後に来る救い主としての位置がメシアであり,そのメシアは現在まだ生きている。自分たちと一緒に生存している。」「そのメシアは,日出づる国から生まれ,1910年から1930年までの間に生まれた人である。」と語られ,メシアの名前が明かされないまま講義が終了した。

(エ) 講義の合間や夜には,個人又は班単位で,ミーティングが行われ,講義の感想や理解度を確認されたり,個人生活における悩みを尋ねられた。原告Eは,T5班長の班に所属し,班長面接の際,T5から,ツーデイズの後に,ライフトレーニング,フォーデイズセミナーがあるという説明を受け,参加を勧誘された。原告Eは,同年8月24日の教員採用試験の第二次試験の準備中であったことや,ツーデイズ終了後にビデオセンターで勉強ができると考えていたことから,すぐには参加を了承しなかったが,その後も説得された。

(オ) ツーデイズが終了し,受講生が車でビデオセンターに送られ,ビデオセンターに入った途端,「お帰りなさい!」とビデオセンターのスタッフ,参加者の勧誘者などから盛大にウェルカムパーティに迎え入れられた。原告Eは,ビデオセンターで軽食が用意されているという程度の説明しか受けていなかったため,盛大に迎え入れられことに驚き,ウエルカムパーティの際に行われた個人面接で,T3やI1から,ツーデイズの感想を尋ねられたり,ライフトレーニング,フォーデイズへの参加を勧誘され,メシアが誰であるかを知りたい気持ちもあり,参加することにした。

ウ ライフトレーニング

(ア) 原告Eは,ツーデイズが終了した翌日の昭和63年8月8日から同月23日まで,杉並区u所在の一興会館で開かれたライフトレーニングに参加した。このころは,すでに大学卒業に必要な単位は取得していたため,大学には週1度のゼミに出席するために行くだけとなっていた。ライフトレーニングには原告Eを含めて7,8名の受講生がおり,泊まり込みで講義を受けた。スタッフには,講師,班長,その他一興会館のスタッフがいた。平日は午後7時半から午後9時半ころまで講義が行われ,期間中,4,5回程度,夜に班長面接が行われた。休日には,映画を見に行ったり,ゲームやレクリエーションがあった。

(イ) 講義には,創造原理,堕落論,復帰摂理緒論,世界大戦について,再臨論があり,その講義の中では,世界大戦について,世界は常に自由と共産という二つの勢力により二分されてきたこと,それを愛によって一つとし,世界を救うのがメシアの役目であるという内容が語られた。原告Eは,メシアが誰であるか早く教えてもらいたいと班長に申し出たが,十分講義内容を把握した上で最後に聞くのが望ましいと言われた。

(ウ) 最後の講義である再臨論で,メシアがW8であること,統一協会という宗教団体であることが初めて明らかにされた。原告Eは,当時統一協会の名前を聞いたことがなく,当時大学で問題になっていた原理研究会との関連を認識することができなかった。

エ フォーデイズ

(ア) 原告Eは,昭和63年8月24日,新潟市で教員採用試験を受験し,当日中にフォーデイズに参加するため八王子に向かい,同日夜,「夕やけ荘」での開講式に出席した後,翌25日から28日までフォーデイズに参加した。フォーデイズの参加者は80名前後で,スタッフには,講師,進行役,班長,修母,聖歌指導者,食当,総務がいた。ツーデイズと同様,貴重品はスタッフに預け,禁酒・禁煙,講義に集中するようにとの理由から,外部とは接触しないように注意がなされた。

(イ) 会場にはW8夫妻の写真が額に飾られており,講義の前後や食事の前に祈祷を捧げることが求められた。講義のほか,原理講義の復習としてのクイズや体を動かすゲームや大演芸大会と題する班対抗の寸劇の披露会などがあった。休憩時間や就寝時間などの休息時間にも,班長による面接,寸劇の練習があり,入浴や睡眠の時間が十分に取れず,睡眠不足と疲労のため,講義中に眠る者も続出した。眠った者は,講師や進行役から,「神の尊いみ言を聞く姿勢になっていない!」と叱責された。

(ウ) 2日間程度をかけて,W8の半生についての講義が行われ,いかにW8が全世界の人類を救い,平和のために苦労し,神に祈りながら生活してきたのかということが強調された。講義は,創造原理,堕落論,復帰摂理緒論,アダム・ノア・アブラハムの過程を中心とする復帰摂理,メシアの降臨とその目的,主の路程,現代の摂理,国際情勢に分かれていたが,最終日には,ビデオ講師のT4が特別講話に訪れ,「君たち,やるのやらないの。こんなに素晴らしい原理が嘘だったら大変どころか詐欺だよ。騙されたと思って2,3年やってみなさい。」と受講生に語った。

(エ) 班長面接は2,3回行われた。原告Eは,3日目の講義終了後,T6班長(当時一興会館のライフトレーニング班長)の面接を受け,新生トレーニングに参加するよう求められた。新生トレーニングは,フォーデイズで学んだことを日々の生活に活かしていくためのトレーニングであるという説明を受けた。

(オ) フォーデイズの終盤では,スタッフが,「神と人類,神とW8先生のために頑張るぞ。」という高揚感のある雰囲気を作ったため,原告Eは,最終日に,統一協会の会員になるという宣誓文を書き,新生トレーニングに参加することを承諾した。

オ 準備トレーニング

(ア) 原告Eは,昭和63年8月29日から9月4日まで,一興会館で開かれた準備トレーニングに参加した。これは新生トレーニングに参加する準備段階としてのトレーニングであり,通所であった。

(イ) 原告Eは,講師からアベル・カインの教えをはじめとする生活指導を受けた。アベル・カインとは,聖書の中に登場する人物の名前を用いたもので,統一協会においては,スタッフ(アベル)は,受講生よりも神に近い位置にいるため,受講生はアベルを通じてしか神に近づけず,スタッフの言葉を神の言葉として受け止めなければならないというものだった。

(ウ) 原告Eは,講師から,「W8をメシアとして受け入れたフォーデイズ以降は天法(神の意思)にひっかかるタバコ,酒,女性関係は一切禁止する。」と厳命され,禁煙することとした。また,I1から,新生トレーニングに参加することを知人や家族に教えないように勧められた。

カ 新生トレーニング

(ア) 原告Eは,昭和63年9月5日から10月3日まで,一興会館で宿泊形式で開かれた新生トレーニングに参加した。スタッフには,講師,進行,班長,トレ母(トレーニングの母),食当(食事当番)がいた。禁酒,禁煙,女性関係の禁止のほかに,一興会館内にある祈祷室で毎日祈祷するよう命じられた。また,このころから,「報・連・相」(報告・連絡・相談)の徹底が指示され,朝一興会館を出てから戻るまでの間に,昼食時と他に1回の合計2回,電話連絡を義務づけられ,その都度,「神を感じるようなことはあったか。」といった質問を受けた。

(イ) 原理講義の復習のほか,信仰生活講座,祈祷学,伝道学,万物復帰の意義と価値といった講義がなされた。講義の後に30分程度視聴した統一運動に関するビデオには,W8の呼び掛けで著名な元大学長や世界的な宗教学者が集まって会議をしている様子が収められており,そのメンバーの中にah大学の学長も含まれていた。原告Eは,これを見て驚き,統一運動が大きく世界展開されているものと考えた。

(ウ) 原告Eは,班長から,2週目には街頭演説,3週目には珍味販売,4週目にはビデオセンターへの勧誘活動の実践を各1日ずつ命ぜられた。これら実践活動の具体的な内容については新生トレーニングに入る前には説明がなかったため,原告Eにとって予想外のものであり,また,原理研究会が統一協会の関係団体であることを認識したため,実践には躊躇を覚えた。

(エ) 周囲のトレーニング生は一生懸命やろうとの様子であり,原告Eだけが拒絶することができないまま,当日を迎えた。街頭演説では,渋谷駅前で,「世界統一神霊協会」と表示された大きな看板を背に,統一協会の歌を歌いながら,一人5分程の演説を行った。原告Eも,友人に見られることを心配しながら,支離滅裂な内容の演説をした。

(オ) 3週目には,「一刻も早く統一協会主導の世界を作り上げるためには,統一協会を知っている人だけではなく,知らない人からもピーナッツやハンカチを買ってもらうことで,その人が徳を積むことになるし,統一協会に貢献することになる。」との班長による説明のもと,珍味販売の実践が行われた。原告Eは,目標は7個販売であると班長から指示され,それを達成するまで,時間を延長してでも,一軒一軒くまなく訪問し,「アルバイトです。」「会社の研修です。」といった嘘を付いて販売するよう指示された。原告Eは,夜,雨の降る中で7個目の販売を達成したときには,これは自分の力ではなく神の力であると感じた。

(カ) 4週目の勧誘活動の実践は,一番救いたいと思う人をリストアップするよう指示され,それに基づいて班長と面接し,具体的な勧誘方法の指示を受け,友人に電話をかけて誘い出し,ビデオセンターを紹介するというものであった。原告Eは,勧誘した友人から,「俺,それ知っているよ。E,そんな危ないところに入っているの。やめた方がいいよ。」と言われたこともあった。

(キ) 原告Eは,新生トレーニング中に班長らの面接を受け,実践トレーニング(新生トレーニングB)に参加するよう説得された。原告Eは,際限なくトレーニングが続くために,支部の教育部のチームマザー(教育部の女性リーダー)との面接の際に,「自分は統一協会の理論を受け入れながら,教員の道を歩みたいし,そのために今は英語を(トレーニングよりも優先させて)もっと勉強したい。」と訴えたのであるが,「英語は,統一協会で神の為に活動する中で将来的にいくらでも活かせるから,そうしてほしい。」と説得された。原告Eは,新生トレーニング中に教員採用試験(第二次)の不合格通知を受けた。

キ 新生トレーニングB(実践トレーニング)

(ア) 原告Eは,昭和63年10月4日から同年12月4日まで,杉並区vにあるvユニティーセンター(AUC)に移動し,同所で行われた新生トレーニングB(STB)に参加した。宿泊形式のトレーニングであり,受講生は40ないし50名程度であった。スタッフは,隊長,チームマザー,班長,食当がいた。原告Eは,実践トレーニングの参加費を支払うため,うどん屋でのアルバイトをした。

(イ) 講義は,それまでの理念的なものから実践活動のための具体的な内容となり,公式7年路程,万物復帰の意義と価値,伝道学,展示会思想,対策,祝福の意義と価値などで構成されていた。公式7年路程の講義は,統一協会員としての訓練期間が最低7年間は続き,その間,経済活動と伝道活動を行わなければならないというものであり,万物復帰の講義は,これまで万物を神のもとに捧げるという抽象的な説明であったものが,統一協会のためにどのように経済活動を行うのか,どのように資金調達を行うのかという実践的なものとなった。展示会思想の講義は,統一協会が行う経済活動の一つである展示会の目的やゲストの集め方,販売方法に関する実践的なものであった。また,初めて祝福についての講義がなされ,信徒は,W8が選んだ相対者と合同結婚の方法でしか結婚することが許されず,統一協会では,理想家庭の実現には祝福を受ける方法以外にはあり得ないと教えられた。献身についても初めて説明を受けた。

(ウ) 実践活動が中心であり,原告Eは,路傍伝道,FF伝道,ハンカチ販売,展示会を実践した。FF伝道では,「救いたい,導きたいと思う人」300名を目標に書き出すよう指示され,家族・親戚から始まり,小学校ないし大学までの友人・知人約200名の氏名,家庭状況,財産関係を書き上げ,電話動員大会と称して,電話で勧誘した。電話のかけ方についてはマニュアルが小冊子の形でまとめられており,それをもとに練習をし,実際に電話をかけるときにアベルが電話口の側につき,電話中,逐一メモをしたり会話の内容を指示するなどし,勧誘方法を具体的に指示した。原告Eは,初めてビデオセンターへの勧誘に成功した際,アベルから神に感謝するように言われ,自分の力ではなく,神のおかげであると感じた。

(エ) 大学の夏休み終了後は,実践トレーニングのために友人との交流が制限されるようになった。夕方の7時に中野の公園に集合して歌を歌って出発式を行い,路傍伝道を行った。また,原告Eは,ホーム生活となり,横浜のアパートに帰ることが少なくなったため,家族から不信を抱かれないよう,他人から献品された留守番電話を借りて設置し,ホームからでも親や友人からのメッセージが聞けるように配慮した。原告Eは,他のトレーニング生とホームに集まって真夜中まで反省会を行い,深夜2時就寝,午前5時半起床という生活を続けた。

ク 実践メンバーと献身

(ア) 原告Eは,昭和63年12月5日から平成元年2月末ころまで,AUCで宿泊しながら実践メンバーとして活動した。知人から借金して統一協会の活動資金にするHG(「早く現金」の略)やSK(信者献金)もした。このころ原告Eは,激しい活動による疲労と睡眠不足に悩まされていた。

(イ) 原告Eは,毎月初めに行われる人事(スタッフの変更等)の発表の際に,会社をやめたり,学校を卒業しながら就職しないで信者が統一協会の様々な部署に配属になっているのを見て,献身がどのようなものであるかを初めて認識した。原告Eは,それまでの活動の中で,大学卒業後は献身することが当然のようにアベルから言われ,献身を受け入れる考えに傾いていた。原告Eは,家族が献身に猛反対することが目に見えており,葛藤を覚えたが,「我々は,家族はもとよりその先祖など全てを救うために,又神のためにこの活動をしているのだから,家族も今は分かってくれなくても将来は必ず理解することになるから,今は苦しくても我慢しなさい。」と言われ,献身を勧められた。

(ウ) 原告Eは,平成元年2月から献身の準備を行い,平成元年3月1日,大学の卒業式が行われる直前に統一協会に献身した。献身によって友人との関係は悪化した。平成元年春から妹が上京し,同居する予定であったが,原告Eは,献身によって同居できなくなるため,家族に手紙で,献身したことを知らせた。そのころ,母方の祖父に不幸があり,原告Eは,チームマザーや団長(地区の総括者)から,新潟は統一協会に対する反対活動が強いので葬式で帰省することを反対されたが,日帰りで葬式にだけ出席し,その日の夜にホームに戻って再び実践活動に参加した。数日後,原告Eは,妹のアパートで両親と3日間にわたって脱会について話し合ったが,原告Eは,既に講義で,「これは将来の救いのためで,今は誤解されても,絶対に後で感謝される。」「親の背後にはサタンがいて,こうさせている。」といった「対策」の指導を受けていたため,両親の説得に応じなかった。

ケ 研修隊及び伝道機動隊

原告Eは,献身者の住む中野のホームに移転し,平成元年3月1日から5月ころまで研修隊,同年6月ころから8月末日まで伝道機動隊に所属して活動した。研修隊,伝道機動隊に所属していたころは,朝5時20分に起床して,朝から深夜まで路傍伝道や万物復帰(珍味やハンカチの販売)の活動を行い,その後は反省会に出席して午前3時に就寝するという毎日を送った。

コ 杉並支部

(ア) 原告Eは,平成元年9月から12月中旬ころまで,統一協会西東京ブロック杉並支部教育部進行係に配属となり,修練生の生活指導とトレーニングの進行,街頭演説等による伝道活動,万物復帰の指導,実践補助を行った。この時,原告Eは,2,3回,夕やけ荘で開かれたツーデイズに班長として参加し,修練生がライフトレーニングやフォーデイズに参加するよう勧誘した。

(イ) 原告Eは,平成元年12月中旬から平成2年1月にかけて,千葉修練所で開かれた21日修練会に参加した。この修練会は献身者を対象とするもので,朝は5時50分に起床し,深夜12時に就寝するという毎日を送り,うち7日間は日中から夜間にかけて万物復帰の実践(お茶の販売)を行った。

(ウ) 原告Eは,平成2年1月中旬から同月末にかけて,再び杉並支部教育部に配属されて活動した。その後,同年2月から8月末日まで実践トレーニングの班長となり,トレーニング生のリストチェックや献身の方向づけをしたり,トーク・マニュアルの作成,展示会やHGの電話動員活動の指導,修練会やトレーニングの際の面接などを行った。

(エ) 原告Eは,平成2年9月から平成3年4月末まで,杉並支部研修隊及び伝道機動隊の隊長となり,伝道や経済活動の責任者として電話動員やビデオセンターに連れて来られた対象者に対して勧誘を行った。

(オ) 原告Eは,平成3年5月から6月末まで,同支部教育部の講師に人事となり,ビデオセンターで,ツーデイズ後の受講生に対して講義,面接,カウンセリングを行い,フォーデイズへの方向づけを行った。

サ 八王子支部

原告Eは,平成3年7月から8月末まで,八王子支部教育部に配属され,教育部の段階にいるトレーニング生に対する講義やカウンセラーの補佐をした。同年9月から教育部長兼伝道部長代理となり,教育部の運営と八王子支部全体の実質的責任者として支部の活動の企画や指導にあたった。また,この間,統一協会が全国規模で開催するセミナーにも参加した。原告Eは,これらの教育部署での活動を通じて,一貫して伝道に関する目標やノルマが課せられており,その達成のための活動を行った。

シ 脱会

原告Eは,平成4年1月4日,同年8月に予定されていた祝福についての報告をするため,アベルの許可を得て柏崎市にある実家に帰省した。両親は,原告Eを新潟市内のマンションに連れて行き,統一協会を脱退するよう説得した。原告Eは,すぐに両親らの説得に耳を傾けることができなかったが,父が職場に辞表を出し,他の親戚も普段の生活を犠牲にして原告Eの説得を続けた。

原告Eは,同年2月1日,統一協会を脱会した。

ス 献金及び参加費

原告Eは,被告に対し,次のとおり献金をした。これらの献金は,月例献金とは異なり,被告の特別の記念日であるとか,W8の指示(摂理)によるものとして指示された献金であった。

(ア) 献金

a 昭和63年11月下旬,10万円の信者献金

b 同年12月下旬,5万円の信者献金

c 同年10月から平成元年2月までの間,合計4回,各3000円合計1万2000円の名節記念献金

d 平成元年3月から平成3年12月まで,合計12回,各1000円,合計1万2000円の名節記念献金

(イ) 参加費等

原告Eは,アベルの指示で,次のとおり入会費や参加費の名目で支出した。

a 昭和63年8月,ビデオセンター入会費及びツーデイズ参加費として3万5000円

b 同年8月下旬,ライフトレーニング及びフォーデイズ参加費として3万円

c 同年9月下旬,新生トレーニング参加費として6万円

d 同年10月から平成元年2月まで,毎月1万円ずつ合計5万円をトレーニング参加費として

(6)  原告F関係

証拠(略)及び弁論の全趣旨によると,原告Fにつき,次の事実が認められる。

ア ビデオセンター

(ア) 原告Fは,昭和42年4月26日に生まれ,昭和61年3月,新潟県立aj高校を卒業し,同年4月,新潟県職員(臨時)に採用され,ak課での勤務を始めた。原告Fは,大学進学を断念して県庁に就職してから,自分が何をしたいのか,これからどう生きていくのかについて悩んでいたところ,昭和61年11月10日午後8時ころ,新潟市bの路上で,高校の1年先輩にあたるI2から「アンケートに答えてほしい」と声をかけられた。アンケートの内容は,趣味や将来の希望,関心についての一般的なものであった。原告Fは,I2から,「幸せって何だと思いますか。」と普段から悩んでいたことを質問された後,「そういうことを考えている仲間が集まっているところがある。」「ビデオ図書館のようなところである。」「若い人たちがたくさん集まっている青年サークルのようなところである。」と説明され,新潟市alの「ニューカレント」というビデオセンターに来るように勧誘され,行くことにした。

(イ) ビデオセンターには,I2の他に佐藤と名乗る女性(本名T7)がいた。T7は,原告Fの心情を良く理解し共感できるといったことを言ったため,原告Fは嬉しく感じ,勧められてビデオセンターでの受講を決め,約1万5000円の受講料を支払った。原告Fは,当時,統一協会という団体を知らず,勧誘の際に説明もなかったため,宗教の勧誘を受けているという認識はなかった。

(ウ) 原告Fは,毎日のように勤め帰りの午後6時ころからビデオセンターに通うようになった。原告Fは,受付係からビデオを交付され,ブース付きのビデオ室で一人で視聴し,その後I8という男性やT9という女性から1対1のカウンセリング(和動)を受け,午後10時ころに新潟市xのアパートに帰宅する生活となった。ビデオは,統一原理についてのT4講師のビデオ13巻や霊界に関するドキュメントのような内容であった。2,3回通った後,ビデオの中で聖書が用いられたり,神・霊界などの宗教に関する話が出てきたので,原告Fは,I2に,宗教のサークルかどうかを尋ねたが,I2は,宗教ではないと否定した。

(エ) 原告Fは,ビデオセンターに通っているころ,T9からワンデイ(ビデオセンターで行われるゼミ)に参加するよう誘われて参加した。内容は,1日にわたり,U1講師がビデオと同様の内容の黒板を用いて講義するというものであった。

イ スリーデイズ

(ア) 原告Fは,ビデオセンターのカウンセラーのT9から,悩みをすべて解決できると言われ,昭和61年11月22日から24日まで,高崎市内のsセンターで開かれたスリーデイズに参加した。参加者は約70名であった。スリーデイズ後に初級トレーニングやフォーデイズなどが用意されていることについては説明がなかった。

(イ) スリーデイズは合宿形式の泊り込みの修練会で,朝6時ころに起床し,夜11時ころまで主として講義を受け,その後班長面接が行われるというものであった。参加者には,会社や家族に旅行に行くと嘘をついて参加した者もいたため,スタッフが土産を用意していた。

(ウ) 講義は,主にビデオと同一内容であったが,最終日の「主の路程」の講義では,メシアがW8であり,W8が大変苦労した偉大な人物であると教えられた。ただ,この時点でも,統一協会という名称は明かされなかった。原告Fは,講義後の面接で,班長から,「あなたは,メシアを知ったばかりなので,これからもっと勉強をしていくことで統一原理を実践することができる。知なくして情はありえない。まず知ることから始めるように。」と言われ,フォーデイズへの参加を求められた。また,「スリーデイズから帰って3日すれば,サタンが入る。その前に初級トレーニングを受けるように。」と言われ,フォーデイズの前に初級トレーニングにも参加することを勧められた。原告Fは,スリーデイズの後に初級トレーニングやフォーデイズというプログラムがあることについてこの時点で初めて知った。

ウ 初級トレーニング

(ア) 原告Fは,昭和61年11月25日から12月30日まで,ニューカレントの3階で初級トレーニングを受けた。アパートから通いながら講義を受けるというものであった。原告Fは,U2講師(男性)から,「私たちは統一協会の会員ですが,あなたもこの初級トレーニングで統一原理の勉強をしてみませんか。」と言われ,この時点で,統一協会という宗教団体から勧誘を受けていることを認識した。

(イ) 原告Fは,2,3回通った後,宗教色が強く,ビデオで視聴した講義が繰り返されるだけだったので,通うのをやめようと思い,1週間程度,初級トレーニングに通うのをやめたことがあったが,U2講師とビデオセンターでシスターと呼ばれていたI3が原告Fのアパートに来て説得したため,再び初級トレーニングに通うようになった。

エ 印鑑の購入

初級トレーニングを受けていた昭和61年12月ころ,原告Fは,I3から,知人が姓名判断をするので会うように勧誘され,新潟市wのマンションに連れて行かれた。原告Fは,マンションでI4を紹介され,同女は霊的な特別の力があると説明された。I4から家族関係や先祖のことを詳しく質問された後,「あなたのお母さんは,苦労が報われなかった人です。それは先祖の因縁によるもので,あなたもこのままではお母さんと同じ道を辿ることになります。因縁を清算して,自分の道を切り開くには,印鑑を買って運勢を変えるしかありません。」と言われ,原告Fは,3万円で印鑑を購入した。

オ フォーデイズ

(ア) 原告Fは,昭和61年12月31日から昭和62年1月3日まで,埼玉県の秩父にある天望閣で開かれたフォーデイズ(4日間の合宿形式)に参加した。原告Fは,I3からの助言で,両親に対しては勤務先の友人の実家に遊びに行くという嘘をついて参加した。参加者は80名程度で,新潟からは7,8名が参加した。

(イ) 朝6時ころに起床し,夜11時ころまで講義が続き,その後班長面接が行われた。連日,長時間にわたって統一原理についての講義があった。原告Fは,班長面接で,U3班長から,「すべてを捨てて,神とW8先生に身を捧げるように。」と献身を勧められ,統一協会に献身という制度があることを初めて知った。原告Fは,一人っ子であり,両親の面倒を見なければならないことを理由にこれを一旦断ったが,U3班長は,「あなたが面倒を見なくとも,あなたが神のために働いていれば,両親はきっと護られる。」と勧誘したため,原告Fは献身を了承する返事をした。原告Fは,この時点では,献身の具体的な内容を知らされなかったが,UCグループとしての一和やワコム,魚屋などの会社が紹介されたため,信者が本人の希望で関連企業に就職することができると考えていた。

カ 実践トレーニングと青年部

(ア) 原告Fは,昭和62年1月から2月にかけて,U3班長の指示で実践トレーニングに参加した。実践トレーニングの途中から,I3から勧められ,それまで居住していたアパートを出て,共に実践トレーニングを受けていたI5と新潟市y町のマンションの一室で共同生活をするようになった。さらに同年3月から,新潟支部のU4の指示で,ホーム生活をするようになり,新潟市z町にある統一協会新潟教会や,新潟市aaにあるロイヤルハウスで他の統一協会の会員と共に生活するようになった。このころは,ホーム生活の家賃を支払っていた。同年2月からは,新潟支部の青年部(勤労青年)に所属するようになった。また,原告Fは,同年2月か3月ころ,試験に合格して統一協会の本部教会員となった。

(イ) 実践トレーニングでは,講義の他,電話による友人への勧誘,街頭の伝道,統一協会が主催するパーティーなどのイベントへの動員,印鑑展や絵画展,CB展への動員などを行った。勤務が終わった午後6時から午後11時ころまで活動した。統一協会の名前を伏せて勧誘を行い,恥ずかしさを捨てるため,出発の時に5人位でパチンコ屋に入り,見ず知らずの客の前で,「グー・キョキ・パー」という幼稚園の遊戯のような踊りをしたこともあった。知識人の講演会や,ビデオセンターのパーティーなどのイベントに両親や友人を動員したりした。このころは,1か月に小遣いとして1,2万円程度が支給され,その中から10分の1を献金していた。

(ウ) 新潟支部の勤労青年としては,街頭アンケートや自宅訪問などの伝道活動をするようになり,さらに絵画展や印鑑展への動員も行った。

キ 献身

アベルの指示で実践活動を繰り返すうちに,原告Fは,実践活動を行うことが信者の義務であり,その道を進むことが救いの道であると考えるようになり,昭和62年6月30日に新潟県庁を退職し,同年7月1日,献身した。献身後は,ホーム生活の家賃を支払わなくてよくなった。

ク 機動隊(新潟青年支部)

原告Fは,昭和62年7月1日から,新潟の統一協会青年支部の機動隊に所属して活動をした。機動隊では,午前中は珍味販売や勝共カンパと伝道の実践を行い,実践がないときは,み言(ことば)学習(主に原理講論の学習)を行った後,午後2時から10時ころまで新潟市bで街頭伝道(アンケートによるビデオセンターへの勧誘)を続けた。

そのころ,原告Fの霊の親であるI2が親に保護されて統一教会を脱会したという情報が入ったため,原告Fも脱会をさせられるかもしれないということで,急遽ビデオセンターの配属となり,お茶出しや若者との和動を担当した。

ケ 偽装脱会

昭和62年11月上旬,原告Fは,交通事故(追突事故)を起こし,両親に処理を頼んだことを契機に,同月28日に両親に保護され,統一協会を脱会するよう説得を受けた。しかし,原告Fは,統一協会からの脱会を勧める者はサタンなので耳を貸さないように指導されていたため,脱会を装って親を安心させ,隙を見て逃走し,同年12月14日,再び統一協会に戻った。

コ 食当(新潟教会)及び21日修練会

統一協会に戻った後,原告Fは,しばらく新潟教会で食当(献身者の食事係)をしていた。そのころ,関東ブロックのハルナ(伝道局,つまり青年の伝道を司る機関)で対策部長をしていたJ2と出会った。間もなく,昭和63年1月15日から2月9日までの間,千葉市にある研修センターで開かれた21日修練会に参加した。

サ 機動隊(松本支部)

21日修練会から帰った後,原告Fは再び新潟教会で食当をしていたが,昭和63年3月10日,高崎市のsセンターに呼ばれ,長野県の統一協会松本支部の機動隊に所属することになった。松本支部の機動隊では,午前中は,印鑑販売や展示会の動員,珍味販売といった経済活動を行っていたが,原告Fは,経済活動は行わず,専ら伝道活動に従事した。そのころ,J2対策部長がしばしば松本支部を訪問した。J2は,新潟県内で統一協会会員の脱会活動を支援していたI6牧師を刑事告訴する準備をしていたため,原告Fは,同年5月から6月にかけて,J2の指示で検察庁に提出する上申書を作成する作業をした。

シ 再度の新潟支部

原告Fは,昭和63年11月,再び新潟支部に戻り,ビデオセンターで会計や和動の手伝いをしていたが,平成元年1月からは新潟教会の食当をしたり,新潟支部の伝道総務の仕事や,教育部やビデオセンターの会計の仕事もしていた。このころ,J2からの指示で,新潟支部のビデオセンターや教育部の帳簿を「信徒会」の会計と名付けてファックスで関東ブロックのJ2対策部長に送ったことがあった。また,原告Fは,昭和63年11月28日から12月13日まで,親によって新津市のマンションに拘束され,I6牧師から統一協会を脱退するよう説得を受けた。原告Fは,平成元年6月22日,対策学習会の一環として,霊感商法の違法性が争われた事件の裁判傍聴をした。

ス 選挙応援(大阪)

(ア) 平成元年8月,原告Fは統一協会新潟支部のU5団長から「マルエス」(選挙)の応援をするため大阪に行くよう指示され,平成2年2月に行われる総選挙で大阪3区から立候補するU6の選挙応援をすることになった。U6は自民党から立候補した統一協会の会員であった。

(イ) 平成元年8月5日,原告Fを含めて全国から派遣された100名程度の会員が新大阪駅の近くの建物に集められ,U7総隊長ら幹部が紹介された。U7隊長は,「今回の選挙は,W8先生の日本入国がかかっている。U6さんが突破口になって食口がどんどん国会に入っていくための選挙だ。」と訴えた。原告Fらは,W8の入国のために選挙に勝利する必要があると思い,後援会に勧誘するために有権者を戸別訪問する活動を行った。当初,大阪での活動は2か月の予定であったが,原告Fは,投票日まで応援活動を続け,その後新潟に戻った。

セ 関東ブロック

原告Fは,平成2年3月から平成3年3月まで,高崎市にある統一協会関東ブロックのハルナに配属され,食当やU8事務局長の補佐を担当した。また,J2対策部長の下で反対牧師対策の手伝いをした。また,平成2年の夏ころ,統一教会からの脱会を援助していたI6牧師を攻撃するため,J2対策部長と共に街頭宣伝車で新津市内を回り,I6牧師を誹誇する宣伝をしたり,ビラを配ったりした。

ソ 新潟支部

原告Fは,平成3年3月,統一協会新潟支部に配属となり,新潟教会で働いたり,新潟支部の伝道総務の仕事を手伝ったり,街頭伝道や戸別訪問による伝道活動をした。同年5月,原告Fはマイクロ隊に配属され,5,6名でマイクロバスに乗って,長野県や岐阜県で珍味販売をした。同年7月,原告Fは高崎市にあるSSCという教育訓練所に配属され,姓名判断や因縁トークを使って念珠を販売する方法を教わった。

タ 店舗(新潟)

(ア) 原告Fは,平成3年9月,新潟ブロックの店舗に配属された。このころは統一協会関東ブロックが細分化して,新潟市と新発田市とで新潟ブロックと呼ばれていた。当時の新潟ブロックの店舗の店長はI9という男性であった。当時,新潟の店舗に所属する会員は,有限会社由縁堂(当時の本店所在地は新発田市)の従業員という名目で念珠の訪問販売をしていた。原告Fは,新潟市ab町にある統一協会のホームで他の会員と共同生活をしながら,新潟市やその近郊で念珠の訪問販売をしたが,販売実績は上がらなかった。このころは,小遣いとして1か月に数万円を支給されていた。

(イ) 念珠の販売で客を獲得した場合,新潟市のカルチャーセンター新潟で受講するように勧誘した。カルチャーセンター新潟のスタッフは,受講者から獲得する1か月の献金額の目標を立てており,目標にされた受講者の名前が店舗に貼り出され,原告Fは献金が成功するよう毎日祈祷をした。

チ 脱会

(ア) 原告Fは,平成3年10月23日,I7専務(新潟ブロック長の補佐)から,1日だけ両親のもとに帰るように指示され,同月24日,自宅に戻った。原告Fは,その際,両親から統一協会を脱会するよう説得を受けた。

(イ) 原告Fは,2か月弱の期間拘束され,統一協会の教えが間違いであると考えるようになり,同年12月中旬ころ,統一協会を脱会する旨の手紙をI9店長あてに書いて統一協会を脱会した。

(7)  原告G関係

証拠(略)及び弁論の全趣旨によると,原告Gにつき,次の事実が認められる。

ア ビデオセンター

(ア) 原告Gは,昭和39年7月23日に新潟県小千谷市で生まれ,昭和58年4月,新潟県立am専門学校(後の国立an大学)に入学した。

(イ) 原告Gは,am専門学校2年生であった昭和59年4月15日ころ,当時の国鉄長岡駅前にある長岡厚生会館前の歩道を歩いていたところ,統一協会員のJ1から「生活意識アンケート」に答えて欲しいと呼び止められ,アンケートに応じた。原告Gは,戦争,男女の性の乱れといった当時の社会問題に関心があり,社会問題の解決方法として聖書に興味を持っていたので,アンケートに対し,聖書に関心があると答えた。J1は,アンケートを途中で切り上げ,「聖書について詳しく勉強するところがあるから,来てみないか。」と言って原告Gをビデオセンターに勧誘した。原告Gは,J1に伴われて「セントホープ」というビデオセンターに行った。

(ウ) ビデオセンターは,ビルの2階にあり,喫茶店のような雰囲気で,統一協会の施設であることを示す表示は全くなかった。J1は,「ここは青年のサークルで,あなたと同じ学生も来ている。」と説明した。原告Gは,受付けで住所,氏名,電話番号を書かされ,J1から「生きがい」というビデオを勧められ,ビデオルームで視聴した。そのビデオは,当時の社会問題の実例を取り上げ,それらの問題を解決して理想社会を建設する方法があると断言し,視聴者に13巻のビデオを見るよう勧める内容であった。原告Gは,残りの13巻のビデオを見ようと考え,その場で受講料の一部を支払った。

(エ) ビデオセンターには,J1の他に,所長,スタッフがおり,全員が統一協会の信者であったが,そのような説明はなかった。ビデオルームは,一つの部屋を衝立てで3つに仕切った小さな場所にそれぞれ机と椅子があり,机の上にビデオセットが置かれ,各人が椅子に座ってそのモニター画面を見ながらヘッドフォンで音声を聴くというものであった。

(オ) 原告Gは,以後3,4週間,ほぼ毎日学校の授業が終るとビデオセンターに通い,1時間半から2時間程度ビデオを見,その感想文を書き,それに基づいてJ1やスタッフらと話合いをし,合計3時間くらいそこにいた。13巻のビデオの内容は,創造原理,堕落論,復帰原理から構成され,T4講師が聖書を用いながら話すもので,原告Gは,聖書を勉強する良い機会であると思いビデオを見続けた。また,堕落性本性という講義で,アダムとエバの原罪から話が始まり,自己中心的な気持ちや他人に対する恨みや妬み等,人間の醜さを指摘されたことに共感した。ビデオ視聴後のJ1らスタッフとの話は,ビデオの内容だけでなく原告Gの家庭環境や学校生活のこと等に及び,原告Gは次第にスタッフらと信頼関係を持つようになった。J1らスタッフは,人当たりも良く,手紙やプレゼントを渡したため,原告Gは,ビデオセンターに行かないと悪いと思うようになった。

(カ) 原告Gは,ビデオ講座の最後で「今,再臨のメシアが来ている。」と言われ,再臨のメシアが明らかになることを期待した。

イ 上級2日修練会

(ア) 原告Gは,昭和59年7月下旬ころ,上級2日修練会に参加した。参加者20人弱の集団合宿で,金曜日の夜に集合してオリエンテーションを受け,土曜日の朝6時に起床してすぐ体操と掃除をした。朝食後,午前中は黒板による講義を受け,昼食後はバレーボール等のレクリェーションをし,その後夕食まで講義を受け,夕食後さらに講義を受け,最後に感想文を書いて夜10時ころ就寝となった。翌日の日曜日もほぼ同様の生活を送った。

(イ) 修練会では,予め,禁酒禁煙,時間厳守のほか「単なるサークルの遊びではなく人生の勉強をする重要な修練会なのだから,参加者同士の交流よりも講義に集中しなければならない。参加者同士で住所や電話番号の交換はしないように。」との注意があった。

(ウ) 講義を受け続けているうちに,原告Gは次第に社会を堕落から救うために自分も何とかしなければという気持ちを強くした。講義の最後に,原告Gは,ビデオセンターでは明かされなかった「再臨のメシア」がW8であると初めて聞かされた。その際,U9講師が,W8が脱税で投獄されたのは自分が至らないために起きた宗教迫害であると悔いた様子で涙ながらに語ったのを見て,原告Gは,感動し,これ程まで人を心酔させるW8は偉大な人物であると考えた。

ウ 21日間トレーニング及び実践トレーニング

(ア) 原告Gは,昭和59年9月ころ,21日間トレーニングに参加した。これは,3週間にわたって毎日ビデオセンターに通い,信者から直接講義を受けるものであった。原告Gは,ビデオセンターの隣の部屋で,V1というan大学の学生から継続して信仰生活についての講義を受けた。原告Gは,学校が終れば毎日のようにビデオセンターに通う生活となり,毎日ビデオを視聴したり,スタッフと話し合ったりした。原告Gの当時のアベル(信仰上の上司)は,統一協会長岡支部長のL9で,霊の親はJ1であった。

(イ) 21日間トレーニングの後,原告Gは引続き同年10月末から実践トレーニングに参加した。これは,主に,統一協会を名乗らないまま街頭アンケートと称してビデオセンターに勧誘する活動であった。原告Gの誘いに応じて実際にビデオセンターに行った者もいた。

(ウ) 同年秋ころ,原告Gの両親が統一協会での活動に強く反対するようになったが,原告Gは,L9支部長から,「正しいことは始めるときには迫害を受けるものだ。」「統一協会は神の御旨を行っているからサタンから迫害を受ける。」と教えられ,両親が反対するのは背後には悪魔(サタン)がいるからだと考えるようになっていた。

エ 4日修練会と内的献身宣言

(ア) 昭和59年12月31日から昭和60年1月3日まで,原告Gは,高崎市で開催された4日修練会という合宿に参加した。講義内容は上級2日修練会とほぼ同様で,講師は,神と人間の関係を親と子の関係に例えて「子供が親を慰めるように,私たちは神と真の父母W8夫妻を慰め解放しなければならない。」と参加者に説明した。その説明を聞いた原告Gは,班長面接で,大学卒業後は献身し,W8とその妻を支えるために人生を捧げると決意した(内的献身)。

(イ) 4日修練会の最終日に行われた決意表明の儀式は,明かりを消して真っ暗になった部屋の中に参加者全員が入り,3,4名ずつまとまってW8夫婦の写真の前に進み出て,一人ずつ献身の決意表明をするというもので,部屋全体が興奮状態となる雰囲気で行われた。

オ 原理講論と実践活動

(ア) 原告Gは,献身の準備として,両親の反対を押し切ってホーム生活を始めた。他の献身者たちと寝食を共にしながら,仲間意識を持って,理想世界実現のためと称して,霊感商法や宝石毛皮絵画などの展示会へ動員,アンケート活動を装ったビデオセンターへの勧誘活動をした。街頭アンケートに対し批判的な態度を取る者もいたが,原告Gは,迫害があるのは当然で,迫害する人はサタンの影響で真理を知らないでいる可哀相な人であると考えた。

(イ) 昭和60年5月,原告Gは統一協会の本部教会員の試験を受け合格した。原告Gは,ホーム生活を始めてから原理講論を読み始め,1日に読むページ数を蕩減条件として自らに課した。原告Gは,同年秋,大学の同級生だったV2をティーパーティという名目でビデオセンターに勧誘した。同人は後に統一協会に献身した。

(ウ) 原告Gは,昭和61年2月ころ,街頭アンケートで障害をもつ息子のことで悩んでいた女性を見つけ,アベルと共にその女性宅を訪問し,霊場と称する展示会の会場に誘った。霊場では,霊能師役の献身者が,息子の障害は先祖の因縁であり,それを絶つためには念珠が必要であると話して,その女性に40万円の念珠を購入させた。

(エ) 同年4月,原告Gは,長岡支部の学生部長となり,an大学内で学生を勧誘したり展示会の動員などをした。原告Gの当時のアベルであった長岡支部長のV3は,原告Gに対し,身障者トークと称して,足を引きずり,身体障害者の振りをし,言葉を吃らせ,同情を買ってボールペン等を販売する方法を教えた。

カ 献身

昭和62年4月,原告Gは,大学を卒業すると共に統一協会に献身し,長岡支部の建物で共同生活をしながら,街頭などで勧誘活動や経済活動をし,統一協会内部では統一協会の教義を教える教育係を担当した。

キ 両親らによる拘束と偽装脱会

昭和62年5月,原告Gは,両親や親戚らにより拘束され,統一協会を脱会するよう説得されたが,脱会を装って両親を安心させ,隙を見て逃走した。当時,統一協会信者が保護されるケースが多発していたため,原告Gら信者は,「これは統一協会と信者に対する迫害であって,信者の拉致,監禁行為であり,刑事犯罪である。」と指導されていた。

ク 教育部での活動

(ア) 原告Gは,再び両親から拘束されることを避ける目的もあり,昭和62年6月初めころ,高崎支部に配属となった。そこで教育部に所属し信者に対する初級トレーニングの講師や,街頭での伝道活動としてビデオセンターへの勧誘,有限会社鶴美が主催する着物や宝石の展示会への動員を行った。

(イ) 原告Gは,同年9月,兵庫県宝塚市の研修センターでの21日修練会に参加し,その後,松本支部に配属となり,教育部で講師をした。

ケ 対策活動及び「信教の自由を守る会」

(ア) 原告Gは,昭和62年11月,J2(統一協会の「対策」部長)の指示で,新潟市内で「対策」活動の拠点となるアパートを探し,「対策」活動に従事するようになった。「対策」とは,統一協会に反対し統一協会に入った子を脱会するよう説得しようとする親やそれに協力する牧師等の活動を妨害したり,説得のために拘束された信者を奪回するための活動である。J2はその責任者であり,原告Gのほか数名がJ2の指示で活動した。

(イ) 原告Gは,J2の指示によって約2週間マイクロ隊の一員となって長野方面で個別訪問しながら珍味販売をした。

(ウ) 同年12月,原告Gは再び高崎支部に配属され,教育部や青年部で講師などをしたが,昭和63年5月,J2の指示で,I6牧師等を刑事告訴する準備のため,東京都港区acにあった国際勝共連合の法規対策室へ行き,統一協会員で同室室長のV4某の指導のもと,告訴のための上申書の作成に取り組んだ。統一協会を批判し脱会活動に協力する牧師や支援者を刑事告訴することは,当時の統一協会の全国的方針であった。

(エ) 同年6月29日,原告Gは他の偽装脱会者2名と共に,反統一教会の立場で活動していたI6牧師と支援者V5を,逮捕監禁及び強要未遂罪で新潟地方検察庁に刑事告訴したが,不起訴処分となった。刑事告訴後,原告Gは,J2の指示により,説得を受ける可能性のある統一協会員に対する「対策」教育や統一協会に反対している親たちを直接訪問して刑事告訴をほのめかす活動をした。さらに,J2の指示で,「対策」の活動と並行して「信教の自由を守る会」という団体の活動にも従事した。「信教の自由を守る会」の活動は,統一協会の活動に賛同する世論を作り上げることで,統一協会を批判する牧師らの活動を妨害することを目的とするものであった。

(オ) 同年9月13日から16日,原告Gは,天望閣でのパルパル修練会に参加した。これは,関東ブロック内で親が統一協会の反対派につながっていると思われる信者を集め,その対策を中心とした修練会であった。

(カ) 同年10月30日,原告Gは合同結婚式(祝福)に参加し,V6という日本人女性が相対者となった。合同結婚式後に,脱会する会員が増加したため,原告Gは,J2の指示で,脱会した会員を奪回する活動(これを「捜索活動」と称した。)に従事した。具体的には,長野教会で会計担当をしていたV7の場合は,実家前の路上に車を停め,車の中から望遠カメラなどを使って張り込みをした。また,卜ーカー団のリーダーだったV8の場合,実家に盗聴器を仕掛けて盗聴行為をした。さらに,統一協会に反対する新潟福音教会のV9牧師については,トランシーバーを使って尾行した。

コ 国際勝共連合での活動

(ア) 原告Gは,平成元年10月,宇都宮支部の配属となり,教育部に属して実践トレーニングの講師をした後,平成2年5月,国際勝共連合関東管区に配属となった。原告Gのアベルは,統一協会幹部で同管区事務局長のW1だった。

(イ) 国際勝共連合では,マイクロ隊の隊長となり,勝共カンパと称して反共産主義を訴え,北関東各地をワゴン車に寝泊まりしながらカンパを募った。カンパはすべて関東管区の会計担当に交付され,活動資金となった。

(ウ) 原告Gは,政界に統一協会の影響力を広げる目的で,平成2年秋に尼崎市長選挙,平成3年1月に山形県知事選挙,平成3年春に日立市長選挙において,それぞれ統一協会関係候補の応援に行き,戸別訪問などをした。その他の選挙のない期間は,勝共カンパ活動を続けた。

(エ) 原告Gは,同年4月ころ,国際勝共連合関東管区の総務部長となった。

サ 脱会

原告Gは,いわゆる氏族メシアの方針に従って家族を統一協会に入会ないし支援させるため,平成5年1月に実家に帰った。その後両親に拘束され,同年2月中旬ごろ脱会を決意し,同年4月に統一協会に脱会届を出した。

シ 献金等

(ア) 原告Gは,昭和60年4月から平成4年12月まで,月例献金として毎月1000円,合計9万2000円を統一協会に献金した。また同じ期間に,W8が決めた七大名節と称する祝日の特別献金として,1年に7回,毎回1000円ないし3000円,少なくとも合計3万5000円を献金した。

(イ) 原告Gは,昭和61年春ころ,長岡支部の経済担当であったW2から,「認め印の1本でもいいから買って欲しい。」と言われ,3万円で認め印1本を購入した。

(ウ) 原告Gは,ビデオセンター,上級2日修練合,4日修練会に参加し,ビデオセンター受講料として3万円,上級2日修練会参加費として1万円,4日修練会参加費として1万円の合計5万円を支払った。

3  争点(3)(被侵害利益,違法性)について

(1)  一般に,宗教を広めるために勧誘・教化する行為,勧誘・教化された信者を各種の活動に従事させたり,献金させたりする行為は,それが社会的に正当な目的に基づき,方法,結果が社会通念に照らして相当である限り,宗教法人の正当な宗教活動の範囲内にあるものと認められる。

しかし,その行為が,目的,方法,結果を総合的に判断して,社会的に相当な範囲を著しく逸脱している場合には,法律上,違法であるとの評価を受けるというべきである。そして,このことは,仮に勧誘された信者が,表面的には宗教法人の教義を信仰してその信仰心に基づいて入信した場合であっても同様であり,それらの勧誘,教化を受け,現実にその宗教の伝道活動に従事し,献金等を行った信者に対しても不法行為が成立するというべきである。

(2)  まず,原告らに対する一連の勧誘・教化行為の方法について検討する。

前記2の(1)ないし(7)に認定の各事実によれば,原告らに対する勧誘・教化行為は,原告ごとに時期や地域が様々であるため,個別的な相違点は若干認められるものの,原告らが献身を決意するに至る過程をみれば,いずれも,原告らの関心事や私的な悩み等を利用して言葉巧みに原告らに近付き,徐々に被告の教義への関心を持たせつつ,段階を踏んだセミナー(修練会)やトレーニング等に参加させ,統一原理に対する理解を徐々に浸透させ,さらには教義の実践と称して具体的な伝道活動や経済活動に従事させ,その過程で自らが勧誘された過程や,自らが現に行っている活動に多少の疑問を呈するようになっても,信仰を止めることによって自己及び一族全員の現世での救済が得られなくなるという心理を持たせることによって統一協会からの離脱を困難にする契機を有するものであったということができる。

(3)  次に,被告の勧誘・教化の目的及び結果について検討する。

被告の勧誘・教化の目的が,被告の新規信者の獲得にあることは明らかであるが,前記2の(1)ないし(7)に認定した各事実によれば,被告の献身者は,伝道活動や経済活動に当たり,アベルと称する信仰上の上司から過酷なノルマを常に課され,ほとんど無償に近い報酬で被告の教義とは直接関係がない珍味販売等の商品販売活動に奔走させられたり,マニュアルに従って姓名判断や家系図に基づく因縁話をして印鑑,壺,多宝塔等を販売するよう指示されていた。そして,伝道の対象者からは,実践メンバーとしてやっていけない者,身体の不自由な者や病人(これらの者は,宗教の本来の目的からすれば,まさに伝道の対象とされるべき者と考えられる。),時間のない者を排除するよう指導されていた。

そうすると,原告らに対する被告の伝道活動は,被告の教義を広めることを目的としたものではあるが,結局は,勧誘された者を被告の教義から離脱することを困難にしつつ,信仰が深まった者に,献身という名の被告の実践活動家になるよう勧誘し,献身後は献金及び無償での物品販売活動等の経済活動を文字どおり献身的に行わせ,さらには,献身者による伝道活動によってそのような経済活動及び伝道活動をする献身者を拡大再生産し,経済的利益を上げるという宗教の本来の目的から大きく逸脱した極めて不当な目的を持つものであるといわざるを得ない。そして,この不当な目的による被告の勧誘・教化によって,原告らは献身者として,別紙「献身期間等一覧」のとおり,相当長期間にわたって,はなはだ過酷な無償労働に専従させられ,婚姻の実態はなく,婚姻の届出の手続もとってはいないものの,自らの意思で選択した者ではない相手との結婚式を挙げさせられ,両親ら家族との接触も断つという重大な結果が生じているということができる。

(4)  以上によれば,原告らに対する被告による勧誘・教化行為は,極めて不当な目的に基づく著しく社会的相当性を逸脱した方法であり,結果として原告らの自由意思を阻害したものといわざるを得ず,原告らの信教の自由や婚姻の自由を侵害する違法な行為というべきである。また,献金(ビデオセンターの受講料やセミナー等の参加費を含む。)や印鑑等の購入についても,個別的に見れば,いわゆる因縁トークといわれるものが行われていないものもあるが,いずれの献金等や購入についても,被告による違法な勧誘・教化行為が大前提となっているのであるから,被告が当該違法行為によって,原告らの財産権を侵害したと評価することができる。

4  争点(4)(責任原因)について

以上において認定・説示したところを総合すれば,各原告らに対して入信,献身を勧誘し,献身の前後を通じて伝道活動及び経済活動に従事させた統一協会信者らもしくは信徒会の各行為は,被告が経済的な利益を追求するという目的のもとに被告の活動として許容され,かつ,上記信者らもしくは信徒会が,統一協会の創始者であり被告やその信者に対して絶大な影響力を持つW8やその配下というべき被告の幹部らの意を受けてその指揮・命令の下に実行された結果と認められ,結局,上記信者らもしくは信徒会のなした上記の各行為は,全体として,原告らに対する,法人としての被告自身の故意に基づく違法行為であると評価することができる。

したがって,被告は,民法709条に基づいて,その違法行為によって原告らに生じた損害を賠償する責任を負う。

5  争点(5)(損害)について

各原告らの認容額,認容額のうちの慰謝料額のまとめは,別紙「献身期間等一覧」(略)に記載のとおりである。

(1)  原告A関係  233万円

原告Aは,前記3及び4に認定・判断したとおり,被告から違法な目的及び方法で勧誘され,被告を脱会するまでの間,被告の教義から離脱することが困難な状態に置かれ,経済活動や伝道活動として,被告の資金獲得を目的とする過酷な活動に,ほとんど無償で従事させられ,献身期間中,通常の社会生活を送ることができなかった。

ア 献品及び献金  23万円

(ア) 前記3の(1)のク,(ア)に認定のとおり,原告Aは,ホーム生活を始めるにあたり,J3から所持品をすべて献品するよう指示され,昭和55年10月ころ,冷蔵庫,ラジオカセット,ステレオ,食器類,テレビ,布団類を献品した事実が認められるが,それらの時価については客観的な証拠がないから,主張する時価相当額の損害を認めることはできず,慰謝料額算定の一事情として考慮されるにとどまるというべきである。

(イ) 前記3の(1)のオ,(ア)に認定のとおり,原告Aは,実践メンバーとして,昭和55年8月から献身する昭和57年6月までの23か月間,少なくとも毎月1万円以上(合計23万円以上)を統一協会に献金したから,被告の違法な勧誘によって23万円の損害を被ったということができる。

イ 逸失利益  0円

原告Aは,献身期間中の逸失利益を被告の違法行為による損害であると主張するが,交通事故や医療事故等が原因で労働能力が喪失することによって認められる場合とは異なり,被告の違法行為によって著しく脱会が困難であったとはいえ,献身期間中,原告Aの労働能力もしくは一般の勤務をする意思が完全に奪われていたとまではいえないから,原告Aが一般の勤務をすることができなかったことを被告による違法な勧誘行為等との間に相当因果関係のある損害ということはできない。この点は,慰謝料額の算定において斟酌することができるにとどまるものと解される。本件で被告に対して逸失利益の賠償を求めることができないことは,その余の原告らについても同様である。

ウ 慰謝料  190万円

原告Aは,被告の違法行為によって相当の精神的苦痛を被ったということができ,入信勧誘の経緯,献身期間の長さ(別紙「献身期間等一覧」のとおり。),献身中に従事した活動の過酷さ等,本件に顕れた一切の諸事情を考慮すれば,これを慰謝するには,190万円の支払を被告に命ずるのが相当である。

エ 弁護士費用 20万円

弁護士費用は,20万円が被告の違法行為と相当因果関係のある損害であると認められる。

(2)  原告B関係  312万円

原告Bは,前記3及び4に認定・判断したとおり,被告から違法な目的及び方法で勧誘され,被告を脱会するまでの間,被告の教義から離脱することが困難な状態に置かれ,経済活動や伝道活動として,被告の資金獲得を目的とする過酷な活動に,ほとんど無償で従事させられ,献身期間中,通常の社会生活を送ることができなかった。また,W8によって選ばれた相対者との婚姻を義務付けられることによって,婚姻の相手を自らの意思で選択する自由を違法に侵害されたということができる。

ア 献品及び献金  112万円

(ア) 前記3の(2)のオのとおり,原告Bは,昭和57年10月,被告からいわゆる因縁トークによって違法に印鑑を購入させられたというべきであるから,購入額である21万円相当の損害を被ったということができる。

(イ) 前記3の(2)のキ,(イ)及びテ,(ウ)のとおり,原告Bは,昭和58年4月,ホーム生活を始めるに当たって,預金40万円及び退職金11万円を被告に献金させられ,昭和62年4月29日,祝福献金の名目で40万円を被告に献金させられた。これらは,被告の違法な勧誘によるものであるから,原告Bに献金相当額の損害が認められる。

原告Bは,その他にも,客からのカンパ等から300万円を被告に献金したと主張するが,これを認めるに足りる的確な証拠はない。

イ 慰謝料  170万円

原告Bは,被告の違法行為によって相当の精神的苦痛を被ったということができ,入信勧誘の経緯,献身期間の長さ(別紙「献身期間等一覧」のとおり。),献身中に従事した活動の過酷さ,合同結婚式への参加を余儀なくされたこと等,本件に顕れた一切の諸事情を考慮すれば,これを慰謝するには,170万円の支払を被告に命ずるのが相当である。

ウ 弁護士費用 30万円

弁護士費用は,30万円が被告の違法行為と相当因果関係のある損害であると認められる。

(3)  原告C関係  317万1000円

原告Cは,前記3及び4に認定・判断したとおり,被告から違法な目的及び方法で勧誘され,被告を脱会するまでの間,被告の教義から離脱することが困難な状態に置かれ,経済活動や伝道活動として,被告の資金獲得を目的とする過酷な活動に,ほとんど無償で従事させられ,献身期間中,通常の社会生活を送ることができなかった。また,W8によって選ばれた相対者との婚姻を義務付けられることによって,婚姻の相手を自らの意思で選択する自由を違法に侵害されたということができる。

ア 献品及び献金  97万1000円

前記3,(3)のカ,(イ),ス,(エ)及びツのとおり,原告Cは,昭和57年5月23日に被告の信者によるいわゆる因縁トークによって35万円で印鑑セットを購入させられ,昭和60年3月,被告の信者によってダイヤの指輪を5万円で購入させられ,さらに昭和57年10月から昭和63年12月までの間,合計57万1000円を被告に献金した。これらは,いずれも被告による違法な勧誘と相当因果関係があると認められるから,その合計額が損害であると認められる。

イ 慰謝料  190万円

原告Cは,被告の違法行為によって相当の精神的苦痛を被ったということができ,入信勧誘の経緯,献身期間の長さ(別紙「献身期間等一覧」のとおり。),献身中に従事した活動の過酷さ,合同結婚式への参加を余儀なくされたこと等,本件に顕れた一切の諸事情を考慮すれば,これを慰謝するには,190万円の支払を被告に命ずるのが相当である。

ウ 弁護士費用 30万円

弁護士費用は,30万円が被告の違法行為と相当因果関係のある損害であると認められる。

(4)  原告D関係  165万円

原告Dは,前記3及び4に認定・判断したとおり,被告から違法な目的及び方法で勧誘され,被告を脱会するまでの間,被告の教義から離脱することが困難な状態に置かれ,経済活動や伝道活動として,被告の資金獲得を目的とする過酷な活動に,ほとんど無償で従事させられ,献身期間中,通常の社会生活を送ることができず,また,W8によって選ばれた相対者との婚姻を義務付けられることによって,婚姻の相手を自らの意思で選択する自由を違法に侵害されたことによって相当の精神的苦痛を被ったということができる。

ア 慰謝料  150万円

原告Dの入信勧誘の経緯,献身期間の長さ(別紙「献身期間等一覧」のとおり。),献身中に従事した活動の過酷さ,合同結婚式への参加を余儀なくされたこと等,本件に顕れた一切の諸事情を考慮すれば,これを慰謝するには,150万円の支払を被告に命ずるのが相当である。

イ 弁護士費用 15万円

弁護士費用は,15万円が被告の違法行為と相当因果関係のある損害であると認められる。

(5)  原告E関係  134万9000円

原告Eは,前記3及び4に認定・判断したとおり,被告から違法な目的及び方法で勧誘され,被告を脱会するまでの間,被告の教義から離脱することが困難な状態に置かれ,経済活動や伝道活動として,被告の資金獲得を目的とする過酷な活動に,ほとんど無償で従事させられ,献身期間中,通常の社会生活を送ることができなかった。

ア 献金,参加費等  34万9000円

原告Eは,前記3の(5),チ,(ア)及び(イ)のとおり,昭和63年11月下旬以降,平成3年12月までの間,信者の指示によって合計17万4000円の献金をし,昭和63年8月から平成元年2月にかけて,修練会等の参加費等として,信者の指示によって合計17万5000円を支払った。これは,被告の違法な勧誘と相当因果関係があるから,支出相当額の損害があると認められる。

イ 慰謝料  90万円

原告Eは,被告の違法行為によって相当の精神的苦痛を被ったということができ,入信勧誘の経緯,献身期間の長さ(別紙「献身期間等一覧」のとおり。),献身中に従事した活動の過酷さ等,本件に顕れた一切の諸事情を考慮すれば,これを慰謝するには,90万円の支払を被告に命ずるのが相当である。

ウ 弁護士費用  10万円

弁護士費用は,10万円が被告の違法行為と相当因果関係のある損害であると認められる。

(6)  原告F関係  158万円

原告Fは,前記3及び4に認定・判断したとおり,被告から違法な目的及び方法で勧誘され,被告を脱会するまでの間,被告の教義から離脱することが困難な状態に置かれ,経済活動や伝道活動として,被告の資金獲得を目的とする過酷な活動に,ほとんど無償で従事させられ,献身期間中,通常の社会生活を送ることができなかった。

ア 印鑑購入  3万円

前記3の(6)のエのとおり,原告Fは,昭和61年12月ころ,信者のいわゆる因縁トークにより,3万円で印鑑を購入させられたから,被告の違法行為により,購入費相当額の損害を被ったということができる。

イ 慰謝料  140万円

原告Fは,被告の違法行為によって相当の精神的苦痛を被ったということができ,入信勧誘の経緯,献身期間の長さ(別紙「献身期間等一覧」のとおり。),献身中に従事した活動の過酷さ等,本件に顕れた一切の諸事情を考慮すれば,これを慰謝するには,140万円の支払を被告に命ずるのが相当である。

ウ 弁護士費用  15万円

弁護士費用は,15万円が被告の違法行為と相当因果関係のある損害であると認められる。

(7)  原告G関係  218万8000円

原告Gは,前記3及び4に認定・判断したとおり,被告から違法な目的及び方法で勧誘され,被告を脱会するまでの間,被告の教義から離脱することが困難な状態に置かれ,経済活動や伝道活動として,被告の資金獲得を目的とする過酷な活動に,ほとんど無償で従事させられ,献身期間中,通常の社会生活を送ることができなかった。

ア 献金  10万8000円

原告Gは,前記3の(7)のシ,(ア)のとおり,昭和60年4月から平成4年12月までの間,少なくとも12万7000円を被告に献金しており,献金相当額が損害と認められる。

イ 印鑑購入  3万円

原告Gは,前記3の(7)のシ,(イ)のとおり,被告の信者から印鑑購入を求められ,3万円でこれを購入した。これは,被告の違法行為と相当因果関係のある損害と認められる。

ウ セミナー等の参加費用  5万円

原告Gは,前記3の(7)のシ,(ウ)のとおり,ビデオセンター,上級2日修練合,4日修練会に参加し,ビデオセンター受講料として3万円,上級2日修練会参加費として1万円,4日修練会参加費として1万円の合計5万円を支払った。これは,被告の違法行為と相当因果関係のある損害と認められる。

エ 慰謝料  180万円

原告Gは,被告の違法行為によって相当の精神的苦痛を被ったということができ,入信勧誘の経緯,献身期間の長さ(別紙「献身期間等一覧」のとおり。),献身中に従事した活動の過酷さ等,本件に顕れた一切の諸事情を考慮すれば,これを慰謝するには,180万円の支払を被告に命ずるのが相当である。

オ 弁護士費用  20万円

弁護士費用は,20万円が被告の違法行為と相当因果関係のある損害であると認められる。

6  結論

以上の次第で,原告らの本訴請求を主文第1項の限度で認容し,その余の請求はいずれも理由がないから棄却することとする。

(裁判長裁判官 片野悟好 裁判官 飯塚圭一 裁判官 和田健)

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