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新潟地方裁判所 平成12年(ワ)272号 判決 2002年7月18日

主文

1  原告らの請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実及び理由

第1請求

1  被告は,原告Aに対して2856万1963円及びこれに対する平成12年6月7日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

2  被告は,原告B,同C及び同Dに対して,それぞれ951万7321円及びこれに対する平成12年6月7日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

3  訴訟費用は被告の負担とする。

4  第1,第2項につき仮執行宣言

第2事案の概要

本件は,E(昭和28年6月14日生まれ。死亡時46歳。)が転移性脳腫瘍を発症し死亡したのは,被告が設置経営するF病院(以下「被告病院」という。)の医師が胸部X線撮影の読影を誤り,異常を見落として原発巣である左肺扁平上皮癌の発見が遅れたためであるなどとして,Eの相続人である原告らが,同医師の使用者である被告に対し,不法行為に基づき,慰謝料・逸失利益等の損害賠償を求めた事案である(附帯請求は訴状送達の日の翌日から支払済みまで民法所定年5分の割合による遅延損害金)。

1  前提となる事実(以下の事実のうち,証拠を掲記したもの以外は当事者間に争いのない事実である。)

(1)  当事者

原告AはEの妻であり,原告B,同C及び同DはいずれもEの子である。

被告は,被告病院を設置経営しているものであり,Eの胸部X線撮影像の読影に当たったG医師の使用者である。

(2)  Eの被告病院における健診

Eは,平成9年8月8日,被告病院で成人病健診を受診した。この健診で撮影されたEの胸部X線間接撮影像(以下「本件間接撮影像」という。)の読影に当たったG医師は,異常陰影を発見し,Eに対し,二次健診を受けるよう指示した。

上記指示を受け,同年9月1日,被告病院でEの胸部X線直接撮影(正面像及び側面像が撮影された。以下,この撮影像を「本件直接撮影像」という。)が実施され,本件直接撮影像の読影に当たったG医師は,本件間接撮影像でみられた左肺門部の異常陰影は肺動脈であったと判断して,異常なしと診断した。

(3)  Eのその後の診療経過等

Eは,平成10年3月5日,H病院を受診し,MRI検査の結果,右頭頂葉に腫瘍が発見された(甲7,9)。

Eは,同月27日に,I病院脳外科において上記腫瘍を摘出する手術を受け,腫瘍は,病理診断の結果,同年4月15日,扁平上皮癌の脳転移であると診断された(甲3,7)。その後,同年5月20日ころ,肺のCT検査の結果,Eの左肺前上葉区(S3)に結節性の病変が認められた(甲7,9,19)。

(4)  Eの死亡

Eは,平成12年2月27日,J病院において死亡した。Eの死亡診断書の「直接死因」の欄には「左肺扁平上皮癌」との記載がある(甲2)。

2  争点及び当事者の主張

原告らは,Eが死亡したのは,G医師が過失によって,本件直接撮影像の読影を誤り,肺癌を早期に発見できなかったためである等と主張し,被告はG医師にはそのような過失はなかったと主張する。したがって,本件の争点は,本件直接撮影像の読影におけるG医師の過失の有無等であり,争点に関する当事者の主張は以下のとおりである。

(1)  原告らの主張

ア Eは,左肺扁平上皮癌が原因で死亡したものであるが,本件間接撮影像ではEの左上肺野に約15ミリメートル程度の結節影と左肺門部に異常陰影が確認できる。Eの死亡原因となった左肺扁平上皮癌は,この結節影が確認された部分を原発巣とするものである。

したがって,G医師が間接撮影像に異常所見があると判断し,Eに対して二次健診を指示したこと自体は正しい判断であった。

イ 二次健診の際撮影された本件直接撮影像は,階調処理の問題があったものの,G医師は,本件間接撮影像で認められた結節影が明らかな病変を示し,肺癌を強く疑うべきものであったから,本件間接撮影像をも参照して,左上肺野及び左肺門部に何らかの異常があると判断すべきであった。したがって,本件間接撮影像を参照せずに本件直接撮影像から異常なしと診断したG医師には過失がある。

ウ 仮に,直接撮影像の読影の際に間接撮影像そのものを参照すべき義務がないとしても,間接撮影像の異常所見を記録に残し,直接撮影像の読影の際には,その記録を参照すべきであるから,G医師には過失がある。

エ さらに,間接撮影像は直接撮影像よりも肺癌の存在診断に適しているのであるから,G医師は,本件間接撮影像を読影した時点で肺癌の存在を強く疑い,胸部CT検査等の検査を実施すべきであった。

オ 仮に本件直接撮影像の階調処理が不適切であったとすれば,適正な階調処理を怠った被告に過失が認められるというべきである。

(2)  被告の主張

ア G医師は,本件間接撮影像に左肺門の腫大と左上肺野に淡い結節と思われる陰影を認めた。本件間接撮影像からは,一義的に癌であるとは断定することができず,G医師は,癌のみならず,いかなる病変があるのかを診断するために直接撮影を指示したものである。

本件直接撮影像では,明確な異常陰影を指摘するのは困難であり,本件直接撮影像を読影したG医師が異常なしと診断したことは適切であった。原告らは,本件直接撮影像の読影にあたって本件間接撮影像を参照すべきであると主張するが,間接撮影像と直接撮影像とでは後者がより確実な所見を提供すると思われているので,間接撮影像を参照しなかったことに問題はない。

イ また,G医師が本件直接撮影像を読影した平成9年9月1日の約6か月後である平成10年3月にH病院で行われた胸部X線単純撮影(直接撮影)及び胸部CT撮影において,放射線診断学の専門の学者(元大学教授)により異常所見無しという診断が行われている。

したがって,そもそも本件間接撮影像の異常陰影が癌であったかどうか疑わしい。また,仮に,これが癌であったとしても,このような専門の学者の判断以上の診断が一般内科医であるG医師にできるとは考えられない。

ウ さらに,I病院における胸部CT撮影の結果,腺癌と思われる病巣が見つかっているが,この腺癌が扁平上皮癌に転移したかどうかは疑問がある。

エ 仮にG医師が直接撮影後すぐにCT撮影をし,当時すでに病巣が存在したとしても上記診断の6か月も前であるから病巣は極めて小さく,病巣と判断するであろうことは期待できない。そうすると,仮にG医師がCT撮影を行ったとしても病巣が存在するという診断はできなかったと考えられるから,G医師にEの死亡についての責任はない。

第3当裁判所の判断

1  前記第2の1記載の事実に証拠(甲2ないし5,7ないし9,19,20,乙1,2,3の1及び2,4ないし6,7の1ないし8,8,証人G,証人K,原告A,鑑定の結果)及び弁論の全趣旨を総合すると,以下の事実が認められる(以下の()内は,認定に用いた証拠である。)。

(1)  Eは,平成9年8月8日,被告病院で成人病健診を受診した。この健診で撮影された本件間接撮影像の読影にあたったG医師は,左肺門部の腫大と,その上部の陰影を発見し,左肺門部に異常陰影が存在すると診断した。そして,被告病院を通じて,Eに対し,二次健診を受けるよう指示した。

G医師は,本件間接撮影像の読影にあたって,異常陰影が存在する場所をスケッチするなどの形で記録に残すことはしなかったが,「事業所健診 判定表(胸部XP用)」の「部位」欄の「14 左肺門部」,「所見」欄の「01 異常所見あり・要精検」,「診断」欄の「03 異常陰影」にそれぞれ丸印をつけた(乙8)。また,健診二次検査指示書の「胸部X線」の欄にも,「左肺門部 異常所見あり」との記載がある(乙1)。

(2)  上記指示を受けて,同年9月1日,被告病院で本件直接撮影像の撮影が行われた。なお,直接撮影では,正面像と側面像の2枚が撮影された。

本件直接撮影像の読影に当たったG医師は,本件間接撮影像でみられた左肺門部の異常陰影は肺動脈及び静脈の重なった陰影であって病変ではないと判断した。また,G医師は,本件直接撮影像の全体を検討したうえで,異常所見は認められないと判断した。G医師は,Eに対し,肺動脈がレントゲンに写っただけであり癌ではないと説明した。

(3)  ところが,Eは,平成10年2月下旬ころから頭痛がし,微熱が続いた。そして,同年3月5日の朝に,出張に出かけようとしたところ,ネクタイの締め方を忘れ,ボタンの掛け間違いや靴下の履き間違いをするなどの状態がみられたため,同日,H病院を受診した。

Eは,H病院でMRI検査などを受けた結果,転移性脳腫瘍であると診断され,同月6日から同月23日まで,同病院に入院し,抗浮腫療法を受けた(甲7,20,乙4)。

同病院に入院中,胸部CT撮影及び胸部X線単純撮影が実施されたが,同月11日に,いずれも異常所見は認められないと診断された(乙4,証人山崎岐男)。

Eは,同月23日に,H病院からI病院へ転院し,同月27日に脳腫瘍摘出手術を受けた(同年4月7日に退院)。摘出された腫瘍は,病理診断の結果,同年4月15日に,扁平上皮癌の脳転移であると診断された(甲3)。

そして,同年5月20日ころ,肺のCT検査の結果,Eの左肺前上葉区(S3)に結節性の病変が認められた(甲7,9,19)。

(4)  Eは,平成12年2月27日,J病院において死亡した。Eの死亡診断書の「直接死因」の欄には「左肺扁平上皮癌」との記載がある(甲2)。

2  G医師の過失の有無について

(1)  鑑定人は,「本件間接撮影像には左肺野内側に結節状の異常陰影が認められる。本件直接撮影像は側面像において気管前壁と胸骨後面との間の肺野に極めて不明瞭な結節影があるようにも見えるが,異常ととらなくても不自然でない程度のものである。」との鑑定結果を呈示していて,本件直接撮影像から,明確な異常陰影を指摘するのは困難であるところ,証拠(甲18,証人Kの証言及び鑑定の結果)によれば,当時,胸部X線間接撮影像に異常所見がみられた場合には,精密検査として胸部X線直接撮影を行うことが一般に行われていたことが認められるから,G医師が,本件直接撮影像を読影した結果,異常所見がないと診断したこと自体には,過失は認められない。

(2)  そこで,原告らは,G医師は本件直接撮影像の読影にあたって本件間接撮影像を参照すべき義務を負っていたのであり,本件間接撮影像を参照すれば左上肺野及び左肺門部に何らかの異常があると判断できたのであるから,G医師には過失があると主張する。

ア しかし,間接撮影像を直接撮影像の読影において参照することが必ずしも一般的に行われているとは認め難く,鑑定の結果によれば,通常は間接撮影像と比較して直接撮影像の方がより確実な所見を提供すると考えられていること,間接撮影像に異常所見がみられたことにより精密検査として直接撮影が実施された場合には,病変の存在する可能性をより強く意識して一層慎重に読影する傾向があることが認められるから,必ずしも間接撮影像を参照しなくても病変の有無を診断することが可能であると考えられ,直接撮影像の読影に当たる医師が当然に間接撮影像を参照すべき義務を負っているとはいい難い。

したがって,本件でも,G医師が本件直接撮影像の読影にあたって,本件間接撮影像を参照すべき義務を負っていたということはできない。

イ もっとも,直接撮影が間接撮影において異常所見がみられたことを受けて実施されていることにかんがみると,直接撮影の読影に当たる医師は,間接撮影において異常所見がみられたことを十分認識して読影に当たるべきであって,さらには,間接撮影においてみられた異常所見の具体的な部位をも十分認識したうえで読影にあたることが望ましいことはいうまでもない。

これを本件についてみるに,前記1(1)のとおり,G医師は,本件間接撮影像の読影に当たって,異常陰影が存在する場所をスケッチするなどの形で記録に残すことはしなかったが,「事業所健診 判定表(胸部XP用)」の「部位」欄の「14 左肺門部」,「所見」欄の「01 異常所見あり・要精検」,「診断」欄の「03異常陰影」にそれぞれ丸印をつけており,カルテの平成9年9月1日(G医師が本件直接撮影像の読影に当たり,また,Eに対して,本件直接撮影像の診断について説明を行った日)の部分に「検診 左肺門部異常所見」としていること(乙1)からすると,本件直接撮影像の読影に際して,G医師は間接撮影像に異常所見が存在したこと及び具体的に左肺門部に異常所見が認められたことを認識したうえで本件直接撮影像の読影を行ったことが認められる。

これに対し,G医師が本件直接撮影像の読影にあたって,本件間接撮影像の左肺野内側にみられた結節状の異常陰影の存在を具体的に認識していたとは認め難く,G医師は,この点についても十分認識したうえで本件直接撮影像の読影を行うべきであったとはいえるが,前記1(2)のとおり,G医師は,本件直接撮影像の全体を検討したうえで異常所見は認められないと判断したこと,本件直接撮影像には明確な異常陰影を指摘するのは困難であることに照らすと,G医師がこのような認識を欠いていたことをもって直ちに過失があるとまでいうことはできない。

(3)  また,原告らは,本件間接撮影像に異常所見がみられたことから直ちに胸部CT撮影などを実施すべきであり,これを実施しなかったG医師には過失がある旨主張する。

しかし,間接撮影において異常所見がみられた場合に精密検査として直接撮影を行うことは一般的に行われていたのであって(例えば,甲18の100ページには,「RPで異常所見や疑わしい所見がある者については精密検診を指示して行うが,その方法としては・・・肺癌検診では直接写真の撮影と喀痰細胞診の・・・二つがある。」との記載があるし,鑑定人も,「間接撮影の所見が直接撮影でも確認されたら,さらに胸部CT撮影を行うのが現在では通例である。」としている。原告らの指摘するように,甲13の21ページには,「胸部X線検査の背腹正面像で肺癌疑いの精検はらせんCTを含む精密検査を行う。」との記載があるが,同18ページには「胸部X線検査は間接撮影,直接撮影,digital radiography(DR),らせんCTのいずれかで実施する」と記載されていることを受けて「らせんCTを含む精密検査」と記載されていると考えられることや,前記の甲18等に照らすと精密検査として直接撮影を行うことが不合理と認めることはできない。また,証人Kの証言によると,間接撮影で怪しい病巣が直接撮影で消えてしまうことがあり,最近は間接撮影で異常が疑われた場合にはすぐにCT撮影を実行するということが行われつつあることが認められるが,CT撮影を行った場合の費用や被曝線量の問題もあり,G医師が本件間接撮影像及び本件直接撮影像を読影した平成9年当時において,間接撮影において異常所見がみられた場合に直ちにCT撮影を行うべき注意義務があったとはいい難い。),精密検査として直接撮影を行うことが合理的である以上,本件間接撮影像の異常所見を認めたG医師が精密検査として直接撮影を指示したことに過失があるということはできず,本件直接撮影像に異常所見がみられなかったのであるから,さらにCT撮影等をすべき義務があったとはいい難く,原告らの主張を採用することはできない。

(4)  さらに,原告らは,本件直接撮影像にはCR階調処理が不適切であり,適正な階調処理を怠った被告に過失がある旨主張する。

しかし,鑑定の結果によると本件直接撮影像のCR階調処理は,胸部撮影としては一般的なものであり,著しく不適切な点はみられないと認められる。結果的にみれば本件直接撮影像について,異なった階調処理が行われていれば病変を認識することができた可能性もあるが,上記のとおり,一般的な階調処理が行われている以上,被告に適正なCR階調処理を怠った過失があるということはできない。

(5)  以上のとおり,本件直接撮影像の読影にあたって,G医師ないし被告に過失があるということはできない。

第4結論

よって,原告らの請求は理由がないからこれを棄却することとし,訴訟費用の負担について,民事訴訟法61条を適用して,主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 犬飼眞二 裁判官 大野和明 裁判官 加藤聡)

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