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新潟地方裁判所 平成14年(ワ)676号 判決 2004年1月22日

原告 X

同訴訟代理人弁護士 中村洋二郎

被告 株式会社第四銀行

同代表者代表取締役 A

同訴訟代理人弁護士 斉木悦男

主文

1  被告は、原告に対し、金320万円及びこれに対する平成14年12月13日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

2  原告のその余の請求を棄却する。

3  訴訟費用はこれを5分し、その2を被告の負担とし、その余を原告の負担とする。

4  この判決は、第1項に限り、仮に執行することができる。

事実及び理由

第1請求

被告は、原告に対し、金780万円及びこれに対する平成14年5月21日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。(附帯請求起算日は、不法行為日もしくは債務不履行日である。)

第2事案の概要

1  事案の要旨と主たる争点

平成14年5月20日ころ、原告は、被告新井支店に対する普通預金通帳を何者かに盗まれた。B(以下「B」という。)は、同月21日午前10時51分ころ、被告長岡支店に赴き、原告の預金460万円を払い戻した。次いで、Bは、同日午前11時59分ころ、被告長岡市役所前支店に赴き、原告の預金320万円を払い戻した。

本件は、原告が、この被告の各預金払い出し行為が被告の不法行為もしくは債務不履行であるとして上記払戻預金合計780万円の損害賠償と上記払戻日から支払済みまでの民法所定年5分の割合による遅延損害金を請求した事案である。

したがって、主たる争点は、被告の各払い戻し行為に過失があるか否かである。

2  前提事実(争いのない事実と後掲の証拠〔弁論の全趣旨を含む。〕により容易に認められる事実)

(1)  平成14年5月20日ころ、原告(昭和32年○月○日生)の前住所である新潟県長岡市<省略>所在の<省略>605号室にピッキング泥棒が侵入し、原告は、被告新井支店に対する預金通帳(口座番号<省略>、預金残高800万円以上であった。以下、この預金を「本件預金」と、この通帳を「本件通帳」と、各いう。)を窃取された。(甲17、原告本人、弁論の全趣旨)

本件通帳には、原告の本件預金の取引印による押捺がされてあった(この印影を以下「副印鑑」という。)

(2)  翌21日午前10時51分ころ、B(昭和23年○月○日生)は、被告長岡支店(新潟県長岡市<以下省略>所在)で、原告を装って本件預金から460万円の払い戻しを受け、同金員を受領した(この払い戻し行為を以下「本件払戻(1)」という。)。

同日午前11時59分ころ、Bは、被告長岡市役所前支店(新潟県長岡市<以下省略>所在)で、原告を装って本件預金から320万円の払い戻しを受け、同金員を受領した(この払い戻し行為を以下「本件払戻(2)」といい、本件払戻(1)と合わせて、「本件各払戻」という。)。

(以上、甲1、2、6、乙1、2、13、14)

(3)  原告は、同日午後2時40分ころ、新井市内のATMで本件預金から現金を下ろそうとしたところ、本件預金の残高が約20万円程度であることが分かり、本件各払戻が判明した。

(4)  Bは、本件各払戻にかかる預金支払請求書から同人の指紋が検出されて指名手配され、平成14年6月16日、逮捕された。

同年10月11日、Bは、新潟地方裁判所長岡支部において、本件各払戻行為について、有印私文書偽造、同行使、詐欺の罪名で懲役2年(未決勾留日数80日算入)の実刑判決の言渡しを受け、この判決は同月26日確定し、現在服役中である。(以上、甲3、4、6)。

3  原告の主張の要旨

(1)  被告の過失についての基本的視点

ア 被告の過失の有無は、その従業員が従来通りの通常の業務を遂行していたからという理由のみで決せられるものではない。

従業員が、使用者である被告の指示されたとおりのやり方で仕事をし、被告に対しては過失がないとしても、被告が顧客に対する関係で過失責任を免れない場合は存在し得る。

イ 平成10年ころからピッキング被害が激増し、しかもパソコン技術の発展に伴い、印影の偽造が容易にできるようになったこと、警視庁でも、平成11年11月に開催された「金融機関防犯連絡会」に出席した各業界団体の代表に、窃盗犯による預金引き出しが多発している現状を説明し、挙動不審者や見かけない人物が引き出しに来た場合は、印鑑だけでなく、会社に電話するなどの具体的な本人確認をするように求めたが、これに先立つ同年9月には、都銀各行に対して、同趣旨の依頼文を送付している。

また、銀行の責任を求める訴訟が相次ぎ、「預貯金過誤払被害対策弁護団」(以下「弁護団」という。)も結成され、平成14年12月9日には被害者のべ69人が27金融機関と3つの業界団体を相手として預金返還訴訟を東京などの5地裁に提訴し、弁護団には、平成15年6月までに250件、被害総額15億円もの被害相談が寄せられている情勢である。

都市銀行では、かなり前から通帳には副印鑑の押捺を廃止したり、そうでないところも、ホログラムによる防犯シールを施すようになってきたのも、その情勢の現れである。

こうした状況に鑑みて、本件各払戻の前である平成14年4月26日、「金融機関等による顧客等の本人確認等に関する法律」(平成14年法律第32号、施行日は平成15年1月6日、以下「本人確認法」という。)が公布され、この法律制定を巡って国会で議論されていた経緯もあるから被告がその情勢を知らないはずがない。

したがって、被告は、その情勢に対応したシステムを取るなり、少なくとも、払戻業務に当たる従業員には、もっと一歩進めた払戻に注意するやり方を取るように指導監督する義務があった。

特に社会的な業務を担う銀行としては、その注意義務の範囲と内容を判断するに当たっては、固定的な判断はできず、年月の経過と社会的な情勢の変化に対応して、責任の範囲と内容を判断されるべきである。

(2)  被告側の過失内容

ア 被告が、本件各払戻において、本人を確認するために取った実効性のある手段は、ただ一つ、通帳の印影と払戻請求書の印影が「平面照合」で同一に見られることに尽きると言っても過言ではない。

(ア) 被告の窓口担当の従業員であるC(以下「C」という。)とD(以下「D」という。)は、Bがスーツ、ワイシャツ、ネクタイを着用して怪しい様子はなかったと述べるが、このような姿の人間は沢山おり、詐欺をする人間が怪しまれない格好をするのは当然で、それを本人確認をする必要がないことの理由にすることはできない。

(イ) 筆跡の照合や確認は何もしていないことは、C及びDも自認するところである。

イ 被告の注意義務違反の具体的内容

(ア) 原告の預金・払戻取引関係

原告のそれまでの預金・払戻取引関係を見ると、

a 全てATM機械を使用したキャッシュカードによる払戻であり、通帳を使用しての払戻はなく、異例な通帳による払戻の場合に、窓口従業員としては当然確認しているはずであり、

b 金額も、20万ないし30万円程度で、本件各払戻のように個人としてみての大口金額ではなく、

c 取引のあった被告新井支店ではなく長岡市内の支店で、すなわち、「他店払い」の方法でなされたもので、原告としてはもちろん、一般でも例の少ない払戻であり、

d 立て続けに2回、それも本件預金のほとんど全部を払い戻すという、通常の預金払戻詐欺の常套手段でやられていること、

以上の点で、極めて異例であり、当時の社会情勢からしても、何らかの不審を感じて当然であり、少なくとも念のため、一歩進んだ本人確認をすべきであった。

(イ) 被告は、本来、上記の社会情勢からして、個人としては、通常とは異なる大金である払戻の場合、銀行のシステムとしては、本人確認の具体的方策を取り、従業員にも本人確認のための指導・監督を徹底しておくべきであった。しかし、被告は、少なくとも、より注意して被害の発生を未然に防止すべき義務を怠った。被告側は原告の電話番号や生年月日を分かっているから、払戻請求者に電話番号や生年月日、さらには住所を記載させるくらいは簡単にでき、それだけで、大半の犯行は未然に防止できる可能性があった。不審な素振りがなかったとしても、念のために、このような確認はすべきであり、それは簡単なことである。

被告もその程度の注意をするように従業員教育をすべきであった。

本来、被告は、顧客の大切な財産を預かり、その利益を保護すべき窓口従業員に対し、個人としては大金の払戻で前記のaないしdの事情がある場合の払戻には、払戻請求者の運転免許証や健康保険証等の身分確認できるものの提示を求めたりするように指導監督し、そのようなシステムを取るべきであった。被告は、銀行としては債権の準占有者に対する弁済として責任がないという安易な考えで旧態依然としたシステムを取り続けてきたことに本件発生の原因があり、一つの公的機関として顧客の財産を保護する義務があるということを軽視していたものと言わざるを得ない。

(ウ) 被告は、300万円以上の他店払いのものは、その取引支店に確認することになっており、本件各払戻でも確認したという。

しかし、これは、顧客が海外旅行中とか、死亡したとか、貸金があるとか、銀行サイドの利益のための業務上の確認に過ぎず、顧客の預金保護のためにどの内容の確認がなされたか不明であり、被告が義務を果たしたと言うことはできない。このような場合は、被告でも用心せざるを得ない事情があることを自認しているものであり、だからこそ、そのような場合は、払戻請求者に一歩進んだ確認をすべきなのである。

(エ) 被告は、300万円を超える金額の払戻は、日常的にあったと主張する。

しかし、その統計は、法人と個人を同じ統計で見ているし、個人が日常的にこのような金額の払戻をしているとは信じ難いし、まして、通常、20万円や30万円の金額をキャッシュカードで引き出している個人が、わざわざ他店にまで来て、他店の通帳で通常とは異なる大金を払い戻すのは異例のことであろう。仮にあっても、被告窓口従業員は少しでも不審を感じるべきで、念のため、一歩踏み込んだ確認をすべきなのである。

なお、Dは、本件払戻(2)において、不審を感じて「使途について聞かねばならない」など何らかの確認をしようとしたことは明らかである。しかし、Dは、Bが、きつい顔つきで威圧感を感じたため、声に出して尋ねられなかったのであり、このことは、被告自身が顧客の預金保護のために従業員教育を徹底してなかったことを示しており、被告の責任は免れない。

(オ) 副印鑑とホログラムについて

金融機関の通帳から副印鑑が撤去されている社会情勢にあるとき、副印鑑を押捺している通帳を使用する以上は、銀行としてもっと注意を加重すべきであった(原告の株式会社三和銀行に対する預金通帳は、預金高が少なかったとはいえ、副印鑑が押していなかったことから盗難に遭わなかったことも、その意味が示されている。)。

被告は、本件通帳の副印鑑にはホログラムカバーをしていたと主張するが、被告窓口従業員の記憶はあいまいであり、本件通帳にホログラムカバーがあったとの根拠がない。ホログラムがしてあれば、していない預金通帳の単純な副印鑑の平面照合に比べて容易でなく、CもDもその明確な記憶がないというのは、ホログラムカバーがなかったことを物語っており、被告がホログラムの有無について明確な注意をするように指導が徹底しておらず、窓口従業員が記憶を持たない程度の注意しかしていなかったことを示している。

(カ) 被告は、預金通帳に依然として偽造の容易な副印鑑を押捺したものを使用しており、ホログラムカバーを付ける指導も徹底を欠いており、前記の社会情勢や印影の偽造の技術の発展について配慮せず、本件発生前に本人確認法が公布されるという情勢にマッチしたシステムすなわち、身分証明書の提示を求めたり、住所・生年月日、電話番号等の確認をするシステムも採用せず、その指導もしなかった。

このように金融機関として、当然に払うべき注意のシステムの欠如、従業員に向けての指導監督の欠如・不作為が顧客である原告の貴重な財産を滅失させる原因となった。

(3)  したがって、被告の過失責任と債務不履行責任は免れない。

4  被告の主張

(1)  預金の払戻等における銀行の印鑑照合における注意義務

ア 最高裁昭和46年6月10日判決(以下「46年判決」という。)

46年判決は、銀行が当座勘定取引契約に基づき手形・小切手を支払うに際して印鑑照合を行う場合の銀行の注意義務に関して、特段の事情のない限り平面照合の方法で足りるとし、「銀行が、当座勘定取引契約に基づき、届出の印鑑と手形上の印影とを照合するにあたっては、照合事務担当者に対して社会通念上一般に期待されている業務上相当の注意をもって慎重に行うことを要し、右事務に習熟している銀行員が右のような相当の注意を払って熟視するならば肉眼で発見しうるような印影の相違が看過されて偽造手形が支払われたときは、その支払による不利益を取引先に帰せしめることは許されない。」と判示し、肉眼で「発見しうるような印鑑の相違」という基準を示した。

イ 最高裁平成10年3月27日判決(以下「10年判決」という。)

(ア) 10年判決は、「銀行の預金払戻等の事務を担当した者が、払戻請求書に押捺された印影と届出印及び預金通帳に押捺された印影(副印鑑)とが異なっていることに気づかなかった場合であっても、その両印影が、大きさが同一で、字体もほぼ同一であり、文字全体の印象は極めてよく似ていて、一部に認められる相違も、使用条件の変化等によって生じ得る範囲内のものといえるなど判示の事情の下においては、右担当者のした印影の照合に過失はなく、その払戻等は有効である」という銀行の担当者の印影の照合に過失がなかったとの原審判決(東京高裁平成9年9月18日判決、以下「9年高裁判決」という。)の認定判断を是認した。

(イ) 9年高裁判決は、盗まれた預金通帳及び届出印とは異なる印章により押捺された払戻請求書によってされた預金の払戻等につき銀行担当者の印影照合に過失があったか否かが争われた事案である。

9年高裁判決は、「1 銀行の印鑑照合担当者が、払戻請求書に使用された印影と届出印の印影等を照合するに当たっては、特段の事情がない限り、折り重ねによる照合や拡大鏡による照合までの必要はなく、肉眼による平面照合の方法をもってすれば足りると解され、この場合、担当者は、銀行の印鑑照合担当者として、社会通念上一般に期待される業務上の相当の注意をもって照合を行うことが要求され、通常の事務処理の過程で、相当の注意を払って照合するならば肉眼をもって別異の印章による印影であることを発見し得るのに、それを看過した場合には、民法478条はもとより、右免責条項の適用もできない。2 本件印影と本件副印鑑とを比較対照すると、その大きさは同一で、字体もほぼ同一で、折り重ね照合をしてもほとんど相違が感じられない。字の特徴も概ね一致していることから、全体の印象は極めて似ている。より詳細に対照すると、「泉」の文字の4画目の「白」の中横線部分の末端の太さ、同6画目の「水」の縦棒部分の長さ、同9画目の「水」の右側の「払い」の部分の太さに相違があるが、さほど目立たない微妙な違いであり、同一の印章によりながら、使用条件の変化等(印章の使い込み、欠損等による印章自体の変化、朱肉の種類ないしその付き具合、押捺の仕方及び紙質の違い)によって生じる相違とみる余地がある。そうすると、右相違は、印鑑照合事務に習熟している銀行員が相当の注意を払って慎重に平面照合をしたとしても、別異の印章によるものであることを容易には発見し難いものである。3 したがって、Eが平面照合によって本件印影と本件副印鑑との相違が別の印章によるものであることに気づかなかったとしても、Eには過失がない」と認定判断した。10年判決は、9年高裁判決を是認し、上告を棄却したものである。

ウ 46年判決及び10年判決と本件払戻における被告担当者の印影照合の過失の有無

(ア) 被告長岡支店の担当者Cは、入社後通算約6年間、預金の払戻・受入等の窓口業務を担当していたが、本件払戻(1)以前に払戻を巡るトラブルの経験は一度もなかった。

Cは、提示された本件通帳に押捺された副印鑑と払戻請求書に押捺された印影(乙1)が、大きさも同一で、字体も同一で、文字全体も同一であることを確認の上、460万円の払戻に応じた。

(イ) 被告長岡市役所前支店の担当者Dは、入社して16年後である平成3年12月に一旦退職し、翌平成4年1月にパートとして同支店に再び勤務した者であるが、窓口業務を通算22、3年間担当し、この間、本件払戻(2)以前には預金の払戻を巡るトラブルの経験は一度もなかった。

Dは、提示された本件通帳に押捺された副印鑑と払戻請求書に押捺された印影(乙2)が、大きさも同一で、字体も同一で、文字全体も同一であることを確認の上、320万円の払戻に応じた。

エ したがって、C及びDともに印影の照合には全く過失はなく、本件各払戻が有効であることは明らかである。

(2)  払戻請求者が無権限者であると疑わせる「特段の事情」の不存在

本件各払戻では、払戻請求者が無権限者であると疑わせる「特段の事情」は全く窺えなかった。以下検討する。

ア 払戻請求者に挙動不審な点がなかったこと

挙動不審とは、一般の顧客に比して不審な風体(サングラス、マスク、帽子を目深くかぶる等)及び行動・態度(おどおどして落ち着かない等)を指すと考えられる。

本件各払戻請求に際し、請求したBにはこのような不審な点は全く見られなかった。すなわち、Bが、セカンドバッグを所持し、スーツ、ネクタイ、ワイシャツのサラリーマン風の服装であったこと、被告長岡支店担当者のCは、Bは相当上の地位にあるサラリーマンと認識したこと、Bは、いくぶん反り返った姿勢で堂々とした格好で歩いていたと見られること、Bの供述によると、怪しまれないように平静を装って窓口に行き、払戻手続が完了するまでロビーの椅子で雑誌等を読むふりをしていたこと(被告長岡支店の防犯カメラにこのBの様子が撮影されている。)、Cが「Xさん」と呼んだ際もすぐに窓口に来たこと、Cがサービス袋と一緒に現金を渡したところ、Bが自分でその袋に現金を入れたこと、Cが「気をつけてお帰り下さい」と言ったところ、Bは「はい」と答えたこと、Bが被告長岡市役所前支店に来店した際も、Bは上記と同じサラリーマン風の服装であったこと、Bの供述によると、やはり怪しまれないように平静を装って窓口に行き、払戻手続が完了するまでロビーの椅子で雑誌等を読むふりをしていたこと、同支店担当者のDが現金を渡す際、「袋に入れましょうか」と聞くと、Bが「はい」とうなずいたこと、及び、Bはいずれの支店でも急いで払戻を求めているような形跡がなかったこと、以上からすれば、Bに挙動不審な点がなかったことが明らかである。

イ 氏名が一致していること

払戻請求においては、原告の氏名「X」名義の本件通帳と「X」と署名された払戻請求書(乙1、2)の提示を受け、C及びDが「X」という氏名が一致していたことを確認した。

ウ 性別が一致していること

最高裁昭和42年4月15日判決は、性別の違う者に対する払戻についても過失がないと判示するところであり、性別が一致していたか否かは必ずしも「特段の事情」の要件ではないが、本件各払戻請求では、Bと原告の性別が一致していたことが明らかであり、C及びDは、いずれもBが原告と同じ年代の男性と認識した。

エ 320万円及び460万円の払戻

(ア) 日常の預金払戻取引において、払戻額はさまざまであって、金融機関は払戻請求があれば、支払可能残高の限度内で請求に基づいて支払う義務がある。単に高額の払戻であることが「特段の事情」に当たると言うことはできず、払戻金額の多寡はそれ自体「特段の事情」の存否の要件ではない。また、そもそも高額払戻の「高額」とは、いくらを言うのかも疑問である。

したがって、被告は、普通預金規定に従って通帳と記名押印された払戻金額の記載のある払戻請求書の提出を受けて印影を照合する義務は負っているが、金額の多寡によって手続を変えなければならない注意義務はない。

(イ) 被告における普通預金の100万円以上の払戻金額

a 本件各払戻日を含む平成13年1月1日から同年12月31日までの間の被告における100万円以上の金額の払戻件数を調査した結果は、以下のとおりである。すなわち、100万円以上で25万4853件、300万円以上で6万9482件、1000万円以上で1万3225件の膨大な件数であり、また、本件各払戻の範囲内である300万円以上400万円未満の金額が2万5340件、400万円以上500万円未満の金額が1万1848件である(乙10の1)。

同期間の被告長岡支店においては、100万円以上で3390件、300万円以上で867件、1000万円以上で57件であり、本件各払戻の範囲内である300万円以上400万円までが414件、400万円以上500万円までが231件である(乙10の2)。

同期間の被告長岡市役所前支店においては、100万円以上で1587件、300万円以上で488件、1000万円以上で45件であり、本件各払戻の範囲内である300万円以上400万円未満までが143件、400万円以上500万円未満までが93件である。

b 以上のとおり、本件各払戻のような320万円または460万円の普通預金の払戻金額は、被告においては日常的にみられるところである。

c 上記の調査は普通預金のみの調査であり、被告長岡支店では直近に北越銀行本店、大光銀行本店、長岡郵便局等があり、日頃から大きな金額の預入、払戻があり、被告長岡市役所前支店では、駐車場が広いことや長岡市南部工業団地に近いところにあるため、他の支店の口座を持っている個人等や法人等が多数出入りし、地主の顧客も多く大きな金額の預入、払戻がなされており、C、Dとも、大きな金額の預入、払戻がなされる当座預金、定期預金の預入、払戻も担当していることから、いずれも320万円または460万円という額の払戻については日常的になされているとの認識であった。

(ウ) 「高額の払戻」と払戻請求者が無権限であると疑わせる「特段の事情」の有無に関する判例

a 東京地裁平成10年7月28日判決(以下「東京地裁平成10年判決」という。)は、払戻請求当日午前9時30分ころ300万円を、同日午前10時ころ300万円を各払戻請求され支払った事案について、「300万円は今日の銀行業務に鑑みて特に高額ではない」と判示した。

大阪地裁平成14年2月14日判決は、800万円の払戻請求事案で、「800万円と決して少額とはいえない額の払戻であることのみでは、疑わしい事情とはいえない」旨判断している。

東京高裁平成12年10月30日判決(以下「東京高裁平成12年判決」という。)は、払戻請求当日午後12時26分ころ500万円を、同日午後12時50分ころ730万円を各払戻請求され支払った事案について、「預金の払戻は日常的に多数頻繁に繰り返される銀行業務であり、預金口座の残高や払戻の金額は様々であり、小額の払戻であっても預金の大部分を払い戻す行為であることもあれば、その逆に高額の払戻であっても預金高のわずかな一部にすぎない場合もあるから、高額の払戻であるからというだけで直ちに不審な払戻であるとすることはできず、払戻金額により払戻の不審性を判断することの合理性は見出すことはできない。」と判示した。

b 以上のような判例の判断枠組みからしても、本件各払戻金額自体から払戻請求者が無権限であると疑わせる「特段の事情」があったと言うことはできない。

c 原告は、法人と個人の払戻請求で違いがあることを前提に、個人の場合はより慎重に払戻をする注意義務があると主張するが、そもそも個人と法人を区別することはしていないし、また現実に無理であるのでその前提を欠くものである。

オ 他店による払戻

(ア) 口座開設店以外での入出金取引は、日常的に頻繁に行われている預金取引であり、これを可能としたのが副印鑑制度である。払戻手続について、預金通帳、払戻請求書の提示と印影照合手続は、口座開設店であろうと、他店であろうと変わらず、相違点は、払戻請求書の印影と照合する対象が印鑑届か副印鑑の違いだけであり、何ら通常の払戻手続と変わらない。したがって、副印鑑制度を利用した他店での払戻請求が疑わしい事情にならないことは明らかである。

(イ) 口座開設店に代払承認を求めるのは、たとえば預金者が死亡してその情報が口座開設店に入ったがいまだコンピューター操作していないタイムラグがあるとか、海外旅行に行っている、現在入院中である、極端に言うと現在窓口に来店中であるとか、口座開設店が払戻時点で知る得る情報により不正な払戻を防ぐためのシステムに過ぎず、原告が主張するような「本人確認」のためのシステムではない。

カ 被害の多発を認識していなかったこと

(ア) そもそも被告の担当者が本件のような被害の多発を認識していたことが過失の要素となるものではない。仮にそう解釈するとしても、被告担当者は、本件各払戻当時、副印鑑制度を悪用した酷似印鑑による預金払戻の被害が多発していることを知らなかった。

(イ) 仮に、被告担当者がピッキングという言葉を一部知っていたとしても、このことだけで、無権限者による払戻請求と疑うべき事情であるとすると、金融機関はいかなる払戻請求に対しても、本人の権限に基づいていると判断できる程度に積極的に本人確認等を行わなければ無過失を認定されなくなり、本物の預金通帳と印鑑を持ってきた人も全員泥棒だと疑ってかからなければならなくなり、そうなると、大量の事務を迅速に処理する金融機関にとって、全ての預金払戻請求者の本人確認を行わなければならなくなり、金融機関に無用の負担をかけることになるのみならず、顧客の払戻に対する期待にも反することになる。

したがって、酷似印鑑による被害の多発の認識を持ちながら本人確認等を怠れば過失となるのではなく、このような認識を持つことにより、何らかの疑わしい事情を知り得たときに初めて問題となるのであり、本件各払戻においては、前記のとおり全く疑わしい事情はなかったのであるから、その前提を欠くことになる。

キ 使途を聞かなかったこと

原告は、使途を聞かなかったことを問題視するが、使途を聞くのは被告がセールスにつながる情報を得るためであって、払戻請求者が無権限者であるか否かを確認するためのものではない。

被告長岡市役所前支店のDは、払戻請求書(乙2)の「定期残高」欄が「0」と表示されたことから、普通預金を払い戻しされるのであれば、被告の定期預金でも預け入れてもらいたいとの趣旨でセールスにつなげられないかと考えたが、払戻請求者(B)が「きつい顔つきで威圧感を感じたため、声に出して尋ねることができませんでした」と、払戻請求者が原告本人か否か疑問を持ったのではなく、上記のような理由でセールスにつなげようとしたが、原告は被告新井支店のお客であり、被告長岡市役所前支店の実績にならないこともあり、尋ねることを止めたにすぎない。

ク 1日に2回の払戻請求であったこと

(ア) 日常の預金払戻取引において、払戻回数、頻度は様々であって、金融機関は払戻請求があれば、支払可能残高の限度内で請求に応じて支払う義務がある。したがって、単に1日に2回の払戻請求であること自体が「特段の事情(疑わしい事情)」に当たると言うことはできない。

(イ) 東京地裁平成10年判決は、払戻請求当日午前9時30分ころ300万円を、同日午前10時ころ300万円を各払戻請求され支払った事案であり、東京高裁平成12年判決は、払戻請求当日午後12時26分ころ500万円を、同日午後12時50分ころ730万円を各払戻請求され支払った事案である。

(ウ) 実務上、1日に2回払戻請求することは、窓口業務で通常あり得ることである。たとえば、現金を持ち歩くことが危険であることや、当初の支払条件が変更し急遽また払い戻す必要性が生じたこと、一度に大金を払い戻すと払戻の際にいろいろ聞かれるのが嫌であることなどである。

(3)  その他原告の主張に対する反論

ア ホログラムカバーが本件通帳に貼付されていないとの原告主張について

原告は、平成13年4月19日、被告直江津西支店で繰越し手続をした際、本件通帳にホログラムカバーの貼付を受けた。また、本件各払戻を担当したC及びDは、当時ホログラムカバーが貼付されていない普通預金通帳が提示された場合には、必ずホログラムカバーを貼付するように指導を受け、必ず貼付することにしていたところ、本件各払戻の際提示された本件通帳に貼付した記憶がないことから、本件通帳にホログラムカバーが貼付されていたことは明らかである。

イ 原告は、窃盗犯人に盗まれなかった原告の三和銀行に対する通帳は副印鑑が剥がされていたことから、副印鑑制度自体を問題視するかのようである。しかし、同通帳には直近の履歴が記帳されていなかったことから、使用していない通帳と見られたものと推認され、上記通帳は、副印鑑がなかったというより、当時使用されておらず、残額が小額であったことから、窃盗犯人が盗まなかった考えるのが合理的である。

ウ 身分証明書の提示や暗証番号等による確認など簡単にできることをしなかったとの原告の主張について

既に述べたとおり、被告担当者が疑念を抱く事情はなかったものであり、キャッシュカードによるか通帳によるかという過去の払戻履歴の内容についてまで逐一その都度確認しなければならないとすれば、預金払戻事務の円滑かつ迅速な処理を阻害する結果となる。

東京高裁平成14年12月17日判決(以下「東京高裁平成14年判決」という。)は、平成11年3月8日午前9時20分ころ、東京都四ッ谷支店で900万円、同日午前9時40分ころ、麹町支店で500万円が各支払われた事案で、預金者が、「平成10年6月5日に500万円というまとまった入金があった以降、一度の払戻を除き全て入金であり、Bによる払戻請求は預金残高ぎりぎりの500万円という大金であり、かつ他店で、しかも四ッ谷支店からわずか1キロメートル、徒歩でも10分程度の距離の麹町支店で払戻請求すること自体が不自然であり、払戻請求者の権限の正当性に疑念を抱かせるに十分であったから、Eは、500万円の資金使途を確認することにより、上記のような払戻請求をする特別の事情があるか否かを確認する必要があった上、Bが払戻請求書に記載した住所は王蘭ビルの「蘭」が「欄」と記載されていたから、D、Eは当然これに気付くべきであるなど、払戻請求に窓口に来ている者が口座名義人本人でないと疑うに十分であったのであるから、Eとしては、再度、住所を確認する、あるいは住所以外の確認方法である資金使途・生年月日・暗証番号を問い質す、身分証明書の提示を求める等を取るべき義務があり、これらの処置を取ることなく安易に払戻を許可した行為には重大な過失がある」と主張したのに対し、裁判所は、「口座の出し入れの履歴から(中略)500万円の払戻を請求したことをただちに不審な行動とみるべきであるともいえない」と判示した。

本件各払戻の460万円や320万円という金額の払戻は、通常見られる金額であること、原告は日常的に被告新井支店を利用しているものではないこと、長岡市内の異なる支店を約1時間という時間内に払戻を受けたことは特に異とするものではないこと(東京高裁平成14年判決は、20分という時間内に払戻を受けた事案)等からすれば、被告に本人確認義務はない。

(4)  免責特約による免責

被告の普通預金規定には、以下の免責特約(以下「本件免責特約」という。)がある。すなわち、

ア 通帳や印章を失ったとき、または、印章、名称、住所その他の届出事項に変更があったときは、直ちに書面によって当店に届け出てください。この届出の前に生じた損害については、当行は責任を負いません。

イ 払戻請求書、諸届その他の書類に使用された印影を届出の印鑑と相当の注意を以て照合し、相違ないものと認めて取り扱いましたうえは、それらの書類につき偽造、変造その他の事故があってもそのために生じた損害については、当行は責任を負いません。

(5)  結論

したがって、被告には過失がなく、本件各払戻は、本件免責特約もしくは民法478条の債権の準占有者に対する弁済として有効であって、原告に損害を賠償する責任はない。

第3証拠

本件記録中の書証目録及び証人等目録各記載のとおりであるから、これを引用する。

第4争点に対する判断

1  前提事実に<証拠省略>並びに弁論の全趣旨を総合すれば、以下の事実が認められる。

(1)  平成14年5月20日ころ、原告(昭和32年○月○日生)の前住所である新潟県長岡市<省略>所在の<省略>605号室にピッキング泥棒が侵入し、原告は、被告新井支店に対する本件通帳を窃取された。本件通帳には、同月1日現在で残高801万9585円であり、副印鑑が押捺されていた。

なお、本件預金の銀行印は、原告本人が所持していたため盗まれず、原告が現在も所持している(この銀行印が甲19である。)。

(2)  B(昭和23年○月○日生)は、東京都新宿駅西口等でいわゆるホームレス生活をしていた者であるが、平成14年5月20日の夜、顔見知りだが名前も知らない40歳位の男(以下「F」という。)から、銀行で預金を下ろす仕事をしないかと誘われ、「盗んだ等したいわゆるヤバイ方法で手に入れた通帳を使用して預金を下ろす」ことだと分かりながらこれを了承した。

翌21日早朝、Bは、持っていた長袖ワイシャツと紺色の背広を着用し、斜めの縞模様のネクタイを締め、セカンドバッグを持って、Fと約束した公園に行くと、Fから中国人か韓国人のような50歳過ぎ位の男(以下「G」という。)を紹介され、Gと2人で上越新幹線に乗って長岡駅に行くことになった。新幹線の車内で、Gから「X」の名前、同人の住所、生年月日、年齢及び勤務先の会社名が記載されたメモ用紙を渡され、間違わないように覚えて書けるように言われて暗記した。また、Bは、Gから、「銀行員から印鑑を貸してくれと言われたら、家に置いてあるなどと言って『そんな面倒なことを言うなら今日は下ろさない』と言って帰ってくるように」と言われた。

同日9時30分ころ、長岡市に到着し、Bは、Gに命じられ、公衆電話の電話帳から「第四銀行」の支店名及び所在地を3か所ほどメモした上で、2人でタクシー乗り場まで行くと、被告長岡支店の看板を見つけたため、2人で同支店に赴くことになった。途中、Bは、Gに命じられて原告方に電話をしたが、誰も電話に出なかった(Bは、Gから「原告が電話に出たら、無言で電話を切り、今日は預金を下ろすことを中止する」と言われた。)。

2人は新潟県長岡市<以下省略>所在の被告長岡支店1階に着くと、Gは、Bに本件通帳を渡してキャッシュコーナーのATMで記帳するように命じ、Bが記帳手続をした結果を見て、Gは、Bに対し、本件通帳と原告名義の印鑑(何者かが本件通帳の副印鑑から偽造したものと推測される。)を使用して同支店で本件預金から460万円を下ろすことを命じた。その際、Gは、Bに印鑑は強く押さないように注意した。

(3)  Bは、被告長岡支店2階に入り、黒色ボールペンで払戻請求書用紙に予め練習していた原告の氏名である「X」と「日付(14 5 21)」、「口座番号<省略>」及び「金額(4600000)」を記載し、預かった原告名義の印鑑を押捺して、同日午前10時43分ころ、同支店窓口担当者であるCに提出した(この払戻請求書を以下「本件払戻請求書(1)」という。)。本件払戻請求書(1)に押捺された印影は、約90度左側に傾いていた(本件払戻請求書(1)は、別紙(1)のとおりである。)。

Cは、被告入社後通算約6年間窓口業務を担当していたが、本件払戻請求書(1)に押捺された印影が上記のとおり曲がって押されていたので、提示された本件通帳に押捺された副印鑑を横向きにして本件払戻請求書(1)に押捺された印影と比較対照したが(平面照合)、大きさ、字体が同一で、文字全体も同一であり、特に異常な点は見られないことを確認した。Cは、払戻請求者であるBが45ないし50歳位に見え、セカンドバッグを所持し、スーツ、ネクタイ、ワイシャツのサラリーマン風の服装であり、特に不審な点も窺えなかったため、同人を原告本人であると思った。Cは、本件払戻請求書(1)を機械に通したところ、本件預金の開設は被告新井支店であり、被告において、他店(他の支店等のこと)の預金で300万円以上の払い出しの場合は、役席を通じてその店に連絡し、承認を得た上で払い出す決まりになっていたので、CはH支店長代理にその旨を連絡し、同支店長代理が、被告新井支店のI次長に電話して払い出しの承認を得た。同日午前10時49分ころ、本件払戻請求書(1)を機械に通した上で、460万円(100万円の束4個とバラの1万円札60枚)が用意され、同日午前10時51分ころ、Cは、2度「Xさん」と呼び、ロビーの椅子に腰掛けて雑誌を読んでいる風のBが窓口に来たので、同人に460万円とサービス袋を渡した。Bは、自分で現金を袋に入れて被告長岡支店を出た。

(4)  Bは、同支店の外で待っていたGに現金460万円入りの袋と本件通帳を渡した。Gは、Bに「もう1回本件預金を下ろす」と言って、2人でタクシーに乗り、新潟県長岡市<以下省略>所在の被告表町支店に行ったが、同支店が被告長岡支店に近すぎる場所でまずいということで、再びタクシーに乗って長岡市役所付近まで行き、被告長岡市役所前支店の看板を見つけたため、同支店に行くことになった。Gは、Bに対し、同支店で本件預金325万円を下ろすことを命じて本件通帳を手渡した。

(5)  Bは、新潟県長岡市<以下省略>所在の被告長岡市役所前支店に入り、黒色ボールペンで払戻請求書用紙に前記と同様に予め練習していた原告の氏名である「X」と「日付(14 5 21)」、「口座番号<省略>」及び「金額(3200000)」を記載し(金額については、Bが間違え5万円少なく記載した。)、預かった原告名義の印鑑を押捺して、同日午前11時50分ころ、同支店窓口担当者であるDに提出した(この払戻請求書を以下「本件払戻請求書(2)」という。)。本件払戻請求書(2)に押捺された印影は、約90度左側に傾いていた(本件払戻請求書(2)は、別紙(2)のとおりである。)。

Dは、被告に入社して16年後である平成3年12月に一旦退職し、翌平成4年1月にパートとして被告長岡市役所前支店に再び勤務した者であり、本件払戻(2)のころまで窓口業務を通算22、3年間担当していたが、本件払戻請求書(2)に押捺された印影が上記のとおり曲がって押されていたので、提示された本件払戻請求書(2)を横向きにして本件通帳の副印鑑と比較対照したが(平面照合)、大きさ、字体が同一で、文字全体も同一であり、印影で欠けている部分(「田」の字の左横上部分)も同じであり、特に異常な点は見られないことを確認し、払戻金額320万円は本件預金残額を約20万円(20万4941円)残した金額であることも確認した上で本件払戻請求書(2)をオペレーターのJ(以下「J」という。)に回した。Dは、払戻請求者であるBについて、性別も年齢も原告と合致し、セカンドバッグを所持し、スーツ、ネクタイ、ワイシャツのサラリーマン風の服装であり、特に不審な点が窺えなかったため、原告本人であると思った。Dは、本件預金の開設は被告新井支店であり、前記のとおり、被告では、他店の預金で300万円以上の払い出しの場合は、役席を通じてその店に連絡し、承認を得た上で払い出す決まりになっていたので、K支店長にその旨を連絡し、同支店長代理が、被告新井支店のI次長に電話して払い出しの承認を得た。同日午前11時57分ころ、Jは、本件払戻請求書(2)を機械に通した。その際、Jは、Dに対し、「この人、同じ日なのに長岡支店でも下ろしているけど、またこっちに来たね。お金が足りなかったので、またここで下ろしていくのかな」などと言った。Dも、同日、被告長岡支店で460万円を払い戻し、また320万円を払戻請求するという普通預金からの大口払戻であったことから、現金を渡すときにその使い道等を聞かなければならないと思った。Dは、320万円(100万円の束3個とバラの1万円札20枚)を用意し、同日午前11時59分ころ、「Xさん」と呼び、ロビーの椅子に腰掛けて雑誌を読んでいる風のBが窓口に来たので、同人に対し、「お確かめ下さい。袋に入れましょうか」と言うと、Bが「はい」と頷いたので320万円をサービス袋に入れて渡した。その際、Dは、現金の使い道を聞くつもりでBの顔を見たところ、Bが、きつい顔つきで威圧感を感じたため、声を出して尋ねることができなかった。Bは、間もなく現金を持って被告長岡市役所前支店を出た。

(6)  Bは、同支店の外で待っていたGに現金320万円入りの袋と本件通帳及び原告名義の印鑑を渡した。GとBは、同日午後0時30分過ぎの上越新幹線で東京に帰り、Bは、Gから東京駅の便所で20万円を貰い別れた。

(7)  原告は、平成14年5月21日午後2時40分ころ、新井市内のATMで本件預金から現金を下ろそうとしたところ、本件預金の残高が約20万円程度(20万4941円)であることが分かり、本件各払戻が判明した。

(8)  被告における普通預金の100万円以上の払戻金額

本件各払戻日を含む平成13年1月1日から平成14年7月31日までの1年7か月間の被告における100万円以上の金額の払戻件数を調査した結果は、以下のとおりである。

ア 被告の全店合計の100万円以上の払戻金額

100万円以上が39万4842件、300万円以上が10万7381件、1000万円以上が1万9182件の件数であり、また、本件各払戻の範囲内である300万円以上400万円未満の金額が3万9833件、400万円以上500万円未満の金額が1万8443件である(乙10の1)。

イ 被告長岡支店の100万円以上の払戻金額

100万円以上が5476件、300万円以上が1435件、1000万円以上が93件であり、本件各払戻の範囲内である300万円以上400万円未満が702件(1か月あたり約37件)、400万円以上500万円未満が378件(1か月あたり約20件)である。

ウ 被告長岡市役所前支店の100万円以上の払戻金額

100万円以上が2441件、300万円以上が750件、1000万円以上が65件であり、本件各払戻の範囲内である300万円以上400万円未満が224件(1か月あたり約12件)、400万円以上500万円未満が156件(1か月あたり約8件)である。

以上のとおり認められる。

2  主たる争点(被告の本件各払戻行為に過失があるか否か)について。

(1)  まず、銀行である被告が、民法478条に規定する債権の準占有者に対する弁済として免責されるためには、被告に過失がなかったと言えなければならず、被告の主張する免責特約も債権の準占有者に対する弁済規定の要件を緩和したものではなく、預金の払戻に関して債権の準占有者に対する弁済規定を具体化したものと解するのが相当である。そして、過失の判断基準は、以下のとおり解するべきである。すなわち、何らかの契機で、被告の窓口で預金の払戻請求をしている者が正当な受領権限を有しないのではないかと疑わしめる事情(特段の事情)が存在した場合には、本人か代理人かを尋ね、本人であれば、その住所、生年月日、電話番号等本人であれば即座に答えられるような個人情報を尋ね、場合によっては身分証明書の提示等を求め、請求者が正当な受領権限を有することを確認しなければならない。また、代理人であれば、その氏名、本人との関係・立場等を尋ね、場合によっては、本人に電話するなどして、窓口に来店している払戻請求者が正当な権限を有することを確認しなければならない。さらに、ピッキングによる空き巣事件が平成11年ころから増えはじめ、パソコン等で預金通帳に貼付された副印鑑等から印影を偽造する技術も横行している昨今の事情(以上、甲7、8、弁論の全趣旨)に鑑みると、制度上簡便な手続で払戻がされることが要請されている普通預金においても、上記「特段の事情」の判断には相当の慎重さを要求されると解するべきである。

以下、この観点から判断することにする。

(2)  本件払戻(1)について

上記1の認定事実(特に(3)の事実)を前提に検討する。

ア まず、被告長岡支店窓口担当者Cは、被告入社後通算約6年間窓口業務を担当していたので、印鑑照合事務に習熟している銀行員と言うべきであること、Cは、本件払戻請求書(1)に押捺された印影が曲がって押されていたので、提示された本件通帳に押捺された副印鑑を横向きにして本件払戻請求書(1)に押捺された印影と比較対照したこと(平面照合)、その結果、印影の大きさ、字体が同一で、文字全体も同一であり、特に異常な点は見られないと確認判断したこと、以上が認められる。

イ 本件通帳に押捺された副印鑑(原告が被告新井支店に届出した印鑑届〔乙3、4〕と同じもの)と本件払戻請求書(1)に押捺された印影(甲1、乙1)を比較対照すると、印影の大きさ、字体及び文字全体がほぼ同一と認識でき、印影で欠けている部分(「田」の字の左横上部分)も同じであり、肉眼で「発見しうるような印鑑の相違」はなかった。したがって、Cの行った上記印鑑照合事務は社会通念上一般に期待されている業務上相当の注意をもって慎重に行ったと認められるから、その印鑑照合事務には特段の過失はないと言うべきである(なお、本件払戻請求書(1)に押捺された印影が約90度左側に傾いていたが、このようなことは通常、経験するところであって、このこと自体を特に問題とすべきではないと解される。)。

ウ 次に、Cは、払戻請求者であるBが45ないし50歳位に見え、Bが、セカンドバッグを所持し、スーツ、ネクタイ、ワイシャツのサラリーマン風の服装であり、特に不審な点も窺えなかったため、同人を原告本人であると思ったこと、Cが本件払戻請求書(1)を機械に通したところ、本件預金の開設は被告新井支店であり、被告において、他店の預金で300万円以上の払い出しの場合は、役席を通じてその店に連絡し、承認を得た上で払い出す決まりになっていたので、CはH支店長代理にその旨を連絡し、同支店長代理を通じて被告新井支店から払い出しの承認を得た上、460万円(100万円の束4個とバラの1万円札60枚)を用意したこと、そして、Cは、2度「Xさん」と呼び、ロビーの椅子に腰掛けて雑誌を読んでいる風のBが窓口に来たので、同人に460万円とサービス袋を渡し、Bは、自分で現金を袋に入れて被告長岡支店を出たこと、以上が認められる。

以上によれば、Cは、Bには一般の顧客に比して不審な風体や行動・態度には思えなかったことから払戻請求者であるBの本件払戻(1)に応じたことが認められ、Bの本件払戻(1)が正当な請求であることを疑うに足りる「特段の事情」は認め難いから、Cに住所、生年月日、電話番号等の本人確認をする注意義務はない。

なお、原告は、「窓口担当者はキャッシュカードによるか通帳によるかという過去の払戻履歴の内容について確認すべきである」と主張するが、その点を逐一その都度確認しなければならないとすれば、制度上簡便な手続で払戻がされることが要請されている普通預金の払戻事務の円滑かつ迅速な処理を阻害する結果となり、被告窓口担当者には、そこまでの確認義務はないと言うべきである。

エ したがって、Cやその他の被告長岡支店窓口担当者らに過失がないと認めるのが相当である。

オ なお、原告は、本件通帳に貼付されていた副印鑑にはホログラムカバーが貼付されていないと主張する。しかし、<証拠省略>及び弁論の全趣旨によれば、原告は、平成13年4月19日、被告直江津西支店で繰越し手続をした際、本件通帳にホログラムカバーの貼付を受けたと認められ、ホログラムカバーが貼付されていないことを前提とする原告の主張は失当である。

(3)  本件払戻(2)について

上記1の認定事実(特に(5)の事実)を前提に検討する。

ア まず、被告長岡市役所前支店窓口担当者Dは、被告に入社して16年後である平成3年12月に一旦退職し、翌平成4年1月にパートとして被告長岡市役所前支店に再び勤務した者であり、本件払戻(2)のころまで窓口業務を通算22、3年間担当していたので、印鑑照合事務に習熟している銀行員と言うべきであること、Dは、本件払戻請求書(2)に押捺された印影が曲がって押されていたので、これを横向きにして本件通帳の副印鑑と比較対照したが(平面照合)、その結果、大きさ、字体が同一で、文字全体も同一であり、印影で欠けている部分(「田」の字の左横上部分)も同じであり、特に異常な点は見られないと確認判断し、払戻金額320万円が本件預金残額を約20万円残した金額であることも確認した上で本件払戻請求書(2)をオペレーターのJに回したこと、以上が認められる。

イ 本件通帳に押捺された副印鑑(原告が被告新井支店に届出した印鑑届〔乙3、4〕と同じもの)と本件払戻請求書(2)に押捺された印影(甲2、乙2)を比較対照すると、印影の大きさ、字体及び文字全体がほぼ同一と認識でき、上記のとおり印影で欠けている部分も同じであり、肉眼で「発見しうるような印鑑の相違」はなかった。したがって、Dの行った上記印鑑照合事務は社会通念上一般に期待されている業務上相当の注意をもって慎重に行ったと認められるから、その印鑑照合事務には特段の過失はないと言うべきである(なお、本件払戻請求書(2)に押捺された印影が約90度左側に傾いていたが、このようなことは通常、経験するところであって、このこと自体を特に問題とすべきではないと解される。)。

ウ 次に、Dは、払戻請求者であるBについて、性別も年齢も原告と合致し、セカンドバッグを所持し、スーツ、ネクタイ、ワイシャツのサラリーマン風の服装であり、特に不審な点が窺えなかったため、原告本人であると思ったこと、Dは、本件預金の開設は被告新井支店であり、前記のとおり、被告では、他店の預金で300万円以上の払い出しの場合は、役席を通じてその店に連絡し、承認を得た上で払い出す決まりになっていたので、K支店長にその旨を連絡し、同支店長代理が、被告新井支店の払い出しの承認を得たこと、そこで、Jが本件払戻請求書(2)を機械に通したところ、Jは、Dに対し、「この人、同じ日なのに長岡支店でも下ろしているけど、またこっちに来たね。お金が足りなかったので、またここで下ろしていくのかな」などと言ったこと、Dも、同日、被告長岡支店で460万円を払い戻し、また320万円を払戻請求するという普通預金からの大口払戻であったこと(上記のとおり本件預金残金約20万円となることもDは既に確認していた。)から、現金を渡すときにその使い道等を聞かなければならないと思ったこと、Dは、320万円(100万円の束3個とバラの1万円札20枚)を用意し、「Xさん」と呼び、ロビーの椅子に腰掛けて雑誌を読んでいる風のBが窓口に来たので、同人に対し、「お確かめ下さい。袋に入れましょうか」と言うと、Bが「はい」と頷いたので320万円をサービス袋に入れて渡したが、その際、Dは、現金の使い道を聞くつもりでBの顔を見たところ、Bが、きつい顔つきで威圧感を感じたため、声を出して尋ねることができず、Bは、間もなく現金を持って被告長岡市役所前支店を出たこと、以上が認められる。

以上の認定事実によれば、Dは、Bには一般の顧客に比して不審な風体や行動・態度には思えなかったことから払戻請求者であるBの本件払戻(2)に応じたことが認められる。しかし、Dは、本件払戻(2)の請求が、同日、被告長岡支店で460万円を払い戻した後(約1時間余後)、また320万円を払戻請求するということから、多少ながら不審感を抱いて、「使途について聞かねばならない」など何らかの確認をしようとしたことが認められる(Dは、払戻請求者であるBに対し定期預金のセールスをするつもりで使途を確認しようと思ったと証言するが、そういうセールスの意図もあったと認められるが、何らかの不審感を抱いたものと推認できる。)。

既に説示したとおり制度上簡便な手続で払戻がされることが要請されている普通預金においても、昨今の、ピッキング泥棒が横行している事情やパソコン等で印鑑の偽造が比較的容易に可能である時代においては、「特段の事情」の判断には相当の慎重さを要求されると解するべきである(窓口担当の個々人がこのことについて明確な認識を有しているか否かは無関係であり、銀行全体がこういった事情を認識すべきであると解する。)。そうすると、上記の本件払戻(2)のような場合、Bの本件払戻(2)が正当な請求であることを疑うに足りる「特段の事情」がないとは言えないから、銀行の窓口業務担当者としては、念のため、払戻請求者に対して今一歩踏み込んだ本人確認等をすべきであると認められ、具体的には、Dにおいて、320万円の使途、460万円との関連、そして応答やその態度によっては、住所、生年月日、電話番号等を尋ね、場合によっては身分証明書の提示を求める等の注意義務があったと認めら、このような本人確認等を実施すれば、払戻請求したBにおいて払戻請求を断念する可能性があり、ひいては、本件払戻(2)が防止できた可能性が十分にあると推測できる。

さらに、上記1の(8)の認定事実によれば、被告長岡市役所前支店の平成13年1月から平成14年7月までの1年7か月の期間中、本件払戻(2)の範囲内である300万円以上400万円未満の件数は、224件(1か月あたり約12件)であると認められ、その内、同じ日に別の被告支店において100万円以上の金額を払い戻した件数はさらに限られることになると推認されるし、窓口担当者は一人ではなく数名で担当するのであるから、一人当たりの件数はまたさらに限られた数字になるものと言えるから、上記のような本人確認等の義務を被告窓口担当者に課しても、それほど無理を強いたり、被告の銀行業務全体の円滑かつ迅速な処理を阻害するものであるとも言えない。

エ 以上を総合考慮すれば、本件払戻(2)についてはDら被告長岡市役所前支店の担当者に過失があると認めるのが相当である。

第5結論

以上の次第で、原告の請求は主文第1項掲記の範囲内で理由があるから、主文のとおり判決する(なお、被告の本件払戻(2)の行為は、原告に対する不法行為とは直ちに認め難いが、被告の債務不履行であることが明らかである。したがって、遅延損害金の起算日は、原告から支払催告があったことが明らかな訴状送達日の翌日である平成14年12月13日であると解される。)。

(裁判官 片野悟好)

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