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新潟地方裁判所 平成15年(ワ)335号 判決 2004年6月02日

原告 甲山A子

同訴訟代理人弁護士 坂東克彦

被告 株式会社第四銀行

同代表者代表取締役 乙川B夫

同訴訟代理人弁護士 古川兵衛

主文

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第1請求

1  被告は、原告に対し、400万円及びこれに対する平成15年6月20日から支払済みまで年6分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

第2事案の概要

本件は、被告が、原告になりすました氏名不詳者に対し、その請求に応じて400万円を支払った(内312万6531円は普通預金払戻し、87万3469円は総合口座取引に基づく当座貸越し)ことについて、原告が、被告の上記払戻しが原告に対抗できないことを前提に、消費寄託契約に基づき、預金400万円及びこれに対する本件訴状送達の日の翌日以降の商事法定利率での遅延損害金の支払いを求めた事案である。

これに対して、被告は、民法478条(類推適用)による免責を主張して原告の請求を拒んだ。

1  争いのない事実等(証拠を摘示しない事実は争いのない事実である。)

(1)  総合取引口座の開設

原告は、昭和24年○月○日生まれの女性であり(甲13)、昭和45年3月3日(乙1)、被告県庁支店において、被告との間で、いわゆる総合口座取引を行う旨の契約を締結し(口座番号<省略>、この口座を以下「本件口座」という。)を開設し、同支店から本件口座に係る預金通帳の発行を受け、現在に至っている。

(2)  通帳の喪失、事故届出

原告は、平成15年5月21日ないし同月23日ころ、本件口座に係る預金通帳(以下「本件通帳」という。)を、自宅に置いてあった通勤かばん内に入れておいたところ、同月23日の夕方ころ、本件通帳が何者かによって持ち出されているのに気付き、直ちにその旨を警察に連絡するとともに(甲16、原告本人)、被告県庁支店に対し同日午後7時ころにその旨を届け出た。

(3)  預金の払戻し

ア 原告の上記届出前の同日午前11時54分ころ、本件通帳を所持した氏名不詳の男性(以下「本件来店者」という。)が、被告南新潟支店を訪れ、本件通帳と預金払戻請求書(以下「本件請求書」という。)を提出して、400万円の預金の払戻しを請求していた。

本件請求書の「おなまえ」欄には、「新潟市<省略>」「甲山A子」「Tel.<省略>」と記載され(ただし新潟の「潟」の文字は正確には別紙の「請求書」「おなまえ」欄記載のとおり)、「お届け印」欄には「甲山」との印影(以下「本件印影」という。)があった。(証人丙谷、甲2、乙2)

イ これに対して同支店行員の丙谷(以下「丙谷」という。)は、被告の内部規定において払戻額が100万円以上である場合には本人確認を行うことになっていたこと、預金払戻請求者の氏名が「甲山A子」となっているのを女性名義であると考えたことなどから、「ご家族の預金ですか。」と尋ねたところ、本件来店者が「そうですよね。女性名義に思えますが、私、本人なんです。」と答えたため、運転免許証の提示を求めた。すると本件来店者は運転免許証は持っていないと述べ、代わりに国民健康保健被保険者証(以下「本件保険証」という。)を「私本人なんです。」と言って提示した。(証人丙谷、甲3、乙3)

ウ 本件保険証はピンク色の用紙でビニールカバーに入っていた(証人丙谷)。

本件保険証の住所欄には「新潟市<省略>ダイヤパレス<省略>」(ただし新潟の「潟」の文字は正確には別紙の「国民健康保険被保険者証」住所欄記載のとおり)、事業者名欄には「グレートサービス株式会社」、保険者名欄には「全国土木建築国民健康保険組合」とそれぞれ記載され、また本件保険証の「この証で療養給付を受けることができる被保険者の氏名」欄には「甲山A子」、「男女別」欄には「男」、生年月日欄には「昭和24年○月○日」と記載されていた(甲3、乙3)。

エ 丙谷は、ビニールカバーから出した本件保険証の紙の厚さや色などから真正なものであると判断した上で、本件保険証に記載された住所、氏名が本件請求書の記載と一致し、性別が「男」であることを確認し、さらに生年月日(昭和24年○月○日)から判断される年齢(当時53歳)と本件来店者の外見から判断される年齢が大体同じであると考えた。また、本件払戻し手続きに伴って本件請求書を機械に入れた際に、本件請求書上に被告に登録されている原告の届出電話番号が印字され、その印字された電話番号と本件請求書「おなまえ」欄記載の電話番号を照合したところ、これらが一致していたため、本件来店者が本件口座の名義人本人であると判断した。(証人丙谷、甲2、乙2)

また、本件通帳に貼付された副印鑑票の印影(原告が本件口座開設時に届け出た印鑑をもとに作成されたもの)(以下「本件副印鑑」という。)と本件印影を平面照合の方法で照合し、同一の印影であると判断した(乙1、7、証人丙谷)。

オ 丙谷は、本件来店者の払戻請求額400万円が本件通帳の残高(原告の当時の普通預金の残高)312万6531円を超えていたため、定期預金を担保として貸出しを行うことになるが、どうするかと尋ねた。すると、本件来店者が、しばらくの間貸越しにすることを希望したたため、超過分の87万3469円について定期預金を担保にした当座貸越しの手続を行った(証人丙谷、甲1、乙7)

カ 丙谷は、以上の諸手続を終えたころに、他の客に対応しなければならなくなったため、手続を被告行員丁沢(以下「丁沢」という。)に引き継いだ。丁沢は、独自に本件副印鑑と本件印影を照合してこれを同一であると判断し、400万円の払戻手続を継続した。その際、通帳発行支店以外の支店で300万円を超える預金を払い戻す場合には通帳発行支店から代払承認を得ることを求める、被告の内部規定に従って、本件通帳発行支店である被告県庁支店からの代払承認を得た上で、本件来店者に400万円を支払った(以下「本件支払い」という。)。(証人丙谷、乙7、弁論の全趣旨)

(4)  原告の口座解約、被告の相殺処理

被告は、原告から、平成15年7月10日、本件口座に係る総合口座取引契約の解約申出があったため、本件支払いに伴う当座貸越しに係る原告に対する貸金債権と本件口座に係る定期預金払戻債務とを相殺した(以下「本件相殺」という。)上で、原告に対し、預金残額36万6907円を払い戻した(甲18の1ないし8)。(なおこの口座解約、相殺処理については、当事者において明示的に主張されていないが、原告が定期預金分の支払いまで求めていること、本件支払いに伴う当座貸越しが総合口座取引によるものであること、当座貸越しの相殺部分の免責の可否は普通預金の準占有者弁済の成否と判断の基礎となる事実が同一になることから、当事者において黙示的に主張しているものと解し、以下判断する。)

2  争点及び当事者の主張

本件の主たる争点は、本件払戻しの際に、被告が本件来店者を本件口座名義人と考えたことについて過失があるか否かである。

(被告の主張-被告の無過失)

預金払戻しにおいて金融機関は、取引通念上払戻請求者が正当な受領権限を有しないことを疑わせる特段の事情がない限り、払戻担当者が、払戻請求書に押捺された印影と届出印の印影を対照し、業務上相当の注意をもって印鑑の照合を行い、同一と判断したことに過失がない限り、免責されるというべきである。

本件来店者は、被告南新潟支店に来訪してから退出するまでの間、その風体、挙動に不審を抱くべき点は全く認められず、正当な受領権限を有しないことを疑わせるに足りる特段の事情も認められず、被告行員による印鑑照合にも過失はないから、被告には過失はない。

(1)  印鑑照合上の無過失

本件印影と原告届出印の印影は一致する。

本件支払い時には、事務に習熟した被告行員が、本件印影と本件副印鑑とを平面照合の方法で肉眼による熟視により照合した。また、両印影には事後的に観察しても同一性を疑うほどの相違は認められない。

よって、被告行員が、上記両印鑑を同一と判断したことに過失はない。

(2)  本件来店者について正当な受領権限を有しないことを疑わせるに足る特段の事情がないこと等

ア 本件来店者が男性で、本件口座名義人が「A子」であったことについて

(ア) 本件口座名義人は「A子」で、一般的には女性名と受け取られる名前であるのに対して本件来店者は男性であった。

しかし、丙谷は、この点に疑問を持ち、「ご家族の預金ですか。」と問いかけ、本件来店者から極めて自然に「そうですよね。女性名義に思えますが、私、本人なんです。」と言われ、提示を受けた本件保険証(金融機関等による顧客等の本人確認等に関する法律(通称「本人確認法」)施行規則3条の本人特定事項が記載された、本人にしか交付されない公的証明書)に男性と明記されているのを見て、また、「A子」という名前は絶対に男性名ではあり得ないというほど明白な女性名とはいえないことから、本件口座名義人を「A子」という男性と判断したものであり、丙谷のこの判断に過失はない。

(イ) 原告は、本件保険証は、住所が「ダイヤパレス」と誤記されており、また、建築国保組合は平成8年以降法人の加入を認めていないのであるから、本件保険証をチェックすれば本件来店者が正当な受領権限を有していないことを見抜くことができたと主張する。

しかし、国民健康保健被保険者証(以下単に「保険証」という。)を提示された行員は、その場でその真偽を判断し、短時間のうちに迅速に払戻事務を処理しなければならない職責を負っている。こうした行員が、保険証の真偽を判断する場合には、その紙質、色、記載の外形から判断すれば足り、記載内容を逐一確認する義務はないというべきである。保険証まで偽造した事例は被告にとっては初めて経験する事例であり、本件当時は全国的にも極めてまれで、公表された報告文書には記載されていない事例と思われ、こうしたことからすれば、外形上真正に作成されたと見られる保険証を提示されればこれを信用してしまうのは当然であり、それを当初から偽造の疑いをもって確認するように義務づけるのは、大量の事務を迅速に処理しなければならない窓口担当者に対しあまりにも過大な注意義務を課すものであって不当である。

仮に、記載内容を確認すべき義務があるとしても、「ダイヤパレス」の誤記に気付くことは困難である。また、建築国保組合の加入制限は、事後的に調査した結果、初めて知り得た事実であって、保険証を提示された行員が常に認識していなければならない事実ではないから、この制限の存在に気付かなかったことをもって担当行員に注意義務違反があったとすることはできない。

イ その他本件請求書について

(ア) 本件請求書に記載された新潟の「潟」の字について

新潟の「潟」の字は、正しく記載されないことが多い。全く異なる漢字を記載しているなら格別、本件のように、似た形の誤字を記載している場合は、払戻請求者の識字能力の低さを示す事由にとどまり、払戻請求者の受領権限に不審を抱くべき事由には当たらない。

(イ) 被告には払戻請求書の筆跡につき、筆跡照合をする義務はない。

ウ 本件通帳発行支店と本件支払いを行った支店の相違、支払金額が高額であることについて

銀行預金は、通帳発行支店のみならず全店舗で払戻しを受けることができる。実際、通帳発行支店以外で預金の払戻しを受けることは日常的に行われており、払戻しを行う支店が通帳発行支店と異なることは何ら不審を抱くべき事由には当たらない。

また、本件支払いによって支払われた400万円は高額ではあるが、この程度の金額の払戻しは日常頻繁に行われており、この金額を以て、不審を抱くべき事由とはいえない。

(3)  その他原告の主張について

原告は、払戻担当者が原告の職場、本件通帳発行支店に電話をして原告の払戻しの意思の有無を確認すべきであると主張する。しかし、取引通念上、払戻請求者が正当な受領権限を有しないことを疑わせる特段の事情が認められない本件においては、原告の主張するような義務が生じていない。

(原告の主張-被告の過失)

次の各事実からすれば、被告には、本件支払いにつき過失がある。

(1)  本件請求書について

ア 本件請求書は、書かれた筆跡が原告のものと異なるのはもとより、本件印影と原告の届出印の印影も異なっている。

イ 新潟の「潟」について誤字が記載されていた。

(2)  本件来店者は、男性でありながら通常女性名の「A子」を名乗った。

(3)  本件保険証について

ア 本件保険証は国民健康保健被保険者証であるが、原告は国民健康保健に加入していない。

イ 本件保険証には、性別「男」、生年月日「昭和24.△.△」と記載されており、原告の性別、生年月日と異なっている。

ウ 事業者名が「グレートサービス株式会社」とあるが、原告はそのような会社と関係がない。

エ 原告の住所も「ダイアパレス」が「ダイヤパレス」と誤記され、新潟の「潟」も誤記されている。

オ 本件支払いに使用された建築組合国民健康保険(建築国保)証は、零細な建設業者が加入する健康保険である。健康保険法13条1項は強制適用被保険者(強制適用事業所)を5人以上の従業員を使用する事業所、法人事業所としている。建築国保組合では、平成8年以降、法人の加入を認めていないから、本件保険証をチェックするだけでも本件来店者が偽者であることを見抜くことができたはずである。

(4)  被告県庁支店が原告の職場の取引先であること

原告の職場は被告県庁支店が主な取引先であり、原告の職場に立ち寄った同支店次長において、原告が、平成15年5月21日から23日まで出張で留守であることを、原告の職場事務所の女性に確認していた。

したがって、被告南新潟支店担当者が、原告の職場あるいは被告県庁支店に電話をして、原告の払戻意思の有無を確認しようとしていたならば、本件支払いを止めることができた。

(5)  その他不審事由

ア 原告が本件通帳の発行を受けた支店は被告県庁支店であるが、本件支払いが行われたのは被告南新潟支店と異なる支店であった。

イ また、本件来店者の払戻請求額は400万円と高額であった。

ウ 本件来店者は、本件支払いのころ、被告南新潟支店内にいた者が、皆長袖シャツを着ていたのに半袖シャツを着ており、目立つ指輪をはめていた。

(6)  本人確認の不十分さについて

本人確認というからには、被告南新潟支店において、本件来店者が甲山A子本人として提示した全てについて確認する必要があり、それを行っていたならば、本件保険証による勤務先及び性別の照会で、本件来店者が甲山A子本人でないことは明白の事実となり、今回の被害は未然に防止することができたはずである。

第3争点に対する判断等

1  本件支払いは、本件口座名義人であると称する本件来店者に対して、312万6531円は普通預金の払戻し、87万3469円は当座貸越しとして行われたものであり、普通預金の支払いについては民法478条、当座貸越しについては事後の相殺処理(本件相殺)に関して民法478条類推適用の可否が問題になることから、被告の過失の判断基準をまず検討するに、次のとおりである。

(1)  普通預金の払戻しについて

大量の事務処理が予定される銀行窓口における払戻事務の円滑・迅速処理は、一般的に、預金者及び銀行双方の利益に資するものであるから、普通預金の払戻しにおいては、銀行は、預金払戻請求者から払戻請求書と預金通帳の提出を受け、その請求書に押捺された印影と預金者の届出印の印影を取引通念上銀行として当然要請されるべき注意を以て照合し、両印影を同一と判断して払い戻したときには、他に払戻請求者の無権限を疑わせるような特段の事由(以下「特段事由」という。)がない限り、当該払戻しは有効というべきである。

そして特段事由がある場合には、その状況に応じた適切な確認措置をとることが必要となり、これを怠れば、当該払戻しに当たって注意義務を尽くしたとはいえず、過失が認められることになると解するのが相当である。

(2)  当座貸越しについての事後的な相殺処理について

総合口座取引に基づく当座貸越しを伴う払戻しは、法的には定期預金を担保とする貸付けであり、その後定期預金の払戻し時に貸越残額と定期預金の返還債務とが相殺されるものであるが、銀行において一定額までの貸越しが義務づけられるとともに、その範囲内では定期預金を普通預金と同じ簡易な手続きで即座に利用し得るのと同様の便宜を預金者に与えることが予定・期待され、貸付けは外形上普通預金の払戻しと同様の形態をとるものであるから、総合口座取引において、銀行が権限を有すると称する者からの普通預金の払戻しの請求に応じて貸越しをし、これによって生じた貸金債権を自動債権として定期預金の払戻請求債権と相殺した場合に、銀行が上記のように普通預金の払戻しの方法により貸越しをすることについて、銀行として尽くすべき相当の注意を用いていたときには、民法478条の類推適用により、上記相殺の効力を真実の預金者に対抗することができると解するのが相当であるとともに、その注意義務の程度は、概ね普通預金の払戻しの場合と同程度というべきである。

2  本件請求書上の印影と原告の届出印の印影の照合について

そこでまず、本件請求書上の印影と原告の届出印の印影の照合の適否について検討するに、原告の届出印の印影(乙1左側の用紙に押捺されたもの)と本件請求書に押捺された印影(甲2、乙2)とは大きさ、字体が相当程度近似しており、にわかに異なる印によるものとは認めがたい。

そして、本件支払いに際しては、印鑑照合の業務経験を約10年間有する丙谷が、本件印影と本件副印鑑とを肉眼で熟視して平面照合を行い(証人丙谷、乙7)、さらに丁沢においても印鑑照合を行い、両印影を同一と判断したことが認められ、これら認定事実によれば、本件支払いに係る普通預金の払戻し、本件相殺のいずれとの関係においても、被告の印鑑照合事務に過失は認められない。

3  特段事由、被告の本人確認行為

(1)  しかし、男性である本件来店者が「A子」を自称したことについては、片仮名の「A子」という名は一般的には女性の名である可能性が高いと考えられ、丙谷も本件時に同様に考えたものであって、本件来店者と本件口座名義人(「甲山A子」)との性別の不一致、ひいては本件来店者と本件口座名義人の同一性が一定程度疑われるところである。また、本件請求書の「おなまえ」欄に記載された新潟の「潟」の字は、正確な「潟」の字に比して旁の型が不正確であり、これら事実は他の事情との相関によって特段事由に当たる余地がある事実といえる(なお、原告は、本件請求書の筆跡の原告の筆跡との不一致をも、被告の過失の一根拠としているが、銀行業務において預金者に筆跡を確認するに足る資料を提出させるような取扱いが一般的に行われていると認めるに足る証拠はなく、また筆跡の照合は困難であって、大量迅速な処理が求められる預金払戻事務において、一般的に筆跡確認を窓口担当者の義務とすることはできないから、この点は本件において被告の過失の評価根拠事実にも、特段事由の要素にもならない。)。

(2)  丙谷の本人確認行為

ただ、丙谷は、第2、1、(3)、エのとおりの状況で、本件来店者が本件請求書に記載した電話番号が原告の被告への届出電話番号に一致していることを確認するとともに、本件保険証に記載された住所、氏名と本件請求書の記載が一致し、性別が「男」とされていることを確認し、さらにそこに記載された生年月日(これは実際の原告の生年月日に一致している)から判断される年齢と本件来店者の外見から判断される年齢との整合性を確認して本件来店者と本件口座名義人を同一と判断しており、保険証が何ら無権限の第三者が所持していることが一般的には想定されない公的書類であること、本件保険証に外形上一見して偽造であることが疑われるような不自然な点が証拠上認められないこと、本件来店者の外見が本件保険証に記載され生年月日から判断される年齢(当時53歳)にそぐわないものではなかったこと(甲17、乙6)、「A子」という名前が男性の名前としてあり得ないものとまでは言えないこと、本件請求書「おなまえ」欄の「潟」の字が正確な「潟」の字と全く異なる字形のものというわけではなく、本件来店者において杜撰に表記したと考える余地がある程度の差違であることを併せ考えると、丙谷の前記の本人確認行為は、普通預金支払い及び総合口座取引における当座貸越しの業務処理として、状況に応じた適切な確認措置をとったものと評価でき、同人が本件来店者と本件口座名義人を同一と判断したことには過失がないというべきである。

(3)  原告主張の本件保険証の不審点について

ア 原告は、本件保険証については、第2、2、(原告の主張)、(3)アないしオのとおりの不審な点があったと主張しているが、これらによって、丙谷、ひいては被告の過失を認めることはできない。

即ち、原告が国民健康保険組合に加入していないこと、女性であること、本件保険証に記載された事業者と関連を有しないこと、原告の住所が「ダイヤパレス」ではなく「ダイアパレス」であることなど、本件保険証に真実に反する記載があるとする点については、日々大量に生じる預金払戻事務を迅速・円滑に処理すべき社会的、経済的要請を担っている銀行において、保険証での本人確認を行う際に、その内容を逐一調査すべき義務があるということはできず、また、丙谷において、これらの事実を知っていたとも証拠上認められないから、上記のような真実に反する記載があったことを理由に、丙谷が、保険証によって本人確認を行い、本件来店者と本件口座名義人を同一と判断したことに過失があったということはできない。

また、生年月日が異なっていた、新潟の「潟」が誤記されていたとの主張については、乙4に照らし、生年月日が異なっていたとは認められない(甲3の生年月日の記載が不鮮明なのはファクシミリ通信を経て不鮮明になったものと認められる。)し、「潟」の文字については誤字であることが証拠上明白であるとはいえない上、誤字であったとしても丙谷において強く不審を感じるのが相当という程のものではない。

本件保険証が建築国保組合のものであることを前提にする主張は、本件保険証が全国土木建築国民健康保険組合のものであることから前提を欠くし、仮に建築国保組合のものであったとしても原告主張のような事実関係についてまで普通預金払戻し時に金融機関担当者が知っていなければならないものではない。

イ また原告は、第2、2、(原告の主張)、(4)ないし(6)のとおりの主張も行っているところ、同(4)(6)については、本件事実関係の下で、大量の預金払戻事務を円滑・迅速に処理することが予定されている被告窓口担当者である丙谷において、原告の職場、被告県庁支店に電話をするなどして原告の預金払戻しの意思や性別などを逐一確認すべき義務は認められず、これを行わなかったことを丙谷、ひいては被告の過失ということはできない。

同(5)のうち、ア、イについては、通帳発行支店以外の支店で相当額の払戻しが行われることが通常の銀行業務において非常に特徴的なこととは直ちに認められないから、他の事情と相まって、無権利者への預金払戻しを行った銀行の過失を認める事情の一つになる場合があるにしても、本件の事実関係においては、丙谷、ひいては被告に過失が認められないとの前記判断を覆しうる事情とはいえない。ウについては本件来店者と本件口座名義人との同一性を疑わせるような事由とはいえない。

4  以上からすれば、被告の本件支払いのうち、普通預金の払戻しについては民法478条により、貸越し分の相殺(本件相殺)については同条類推適用により、被告はいずれも原告にその有効性を主張できるから、原告の請求には理由がない。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判官 齋藤大)

<以下省略>

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