新潟地方裁判所 昭和37年(ワ)112号 判決 1967年12月26日
原告 新潟県
右代表者知事 亘四郎
右訴訟代理人弁護士 石田浩輔
同 伴昭彦
被告 みい子こと 田中ミイ
右訴訟代理人弁護士 小野謙三
同 涌井鶴太郎
主文
被告は原告に対し、別紙目録記載の土地につき昭和三七年二月二一日付売買を原因とする所有権移転登記手続をせよ。
原告の本位的請求(買戻の特約にもとづく請求)を棄却する。
訴訟費用は被告の負担とする。
事実
(当事者の申立)
一、原告 主文第一、三項同旨の判決を求める。
二、被告 「原告の請求を棄却する。」との判決を求める。
(請求の原因)
一、原告は土地区画整理法(当時は都市計画法および耕地整理法)にもとづき新潟都市計画事業、新新潟駅前土地区画整理計画を樹立し、昭和二九年二月五日右計画を公告した。右計画によれば事業施行に要する費用は分賦にかえて替費地を設定し、その処分代金をもって充当するというのであった。
二、右計画に則り、原告はそのころ造成されるべき替費地につき買受人を公募したところ、被告は右公募に応じて買受の申込をし、昭和二九年八月三〇日原告被告間で要旨つぎのような売買契約が成立した。
(一) 目的物 右事業により造成されるべき替費地の一部であって、後日原告被告間で協議決定された位置および地積の土地。
(二) 使用目的 被告は(一)の土地上に地下一階地上五階建、建坪二三一坪二合五勺、延坪一、三八七坪五合、屋上九坪とする鉄筋コンクリート造のビルディングを築造存置する。
(三) 売買代金 (一)の土地が確定した日を基準日とし、原告が決定する。
(四) 買戻特約
(1) 原告は、(一)の土地の引渡の日から二年の期間に左記の事由が生じたときは、代金および契約に関する費用を提供し、右土地の買戻をすることができる。
イ、買受土地の使用目的に違背する使用を行ったとき。
ロ、土地の使用に関し法令に違反したとき。
ハ、売買差額による利益を得ることを目的として他に転売したとき。
ニ、その他原告が都市計画上必要と認めたとき。
(2) 原告は右の買戻権を行使するには、その旨を被告に通知し、通知の日から起算して五日を経過した日からその所有権移転登記の手続をするものとする。
(3) 原告は前項の所有権移転登記の完了した日から、三〇日以内に提供すべき代金および費用を原告の任意の方法により、被告に返還する。原告が期限までに返還を怠ったときは買戻権を失うものとする。
三、そして、原告は昭和三〇年一二月六日造成された替費地のうち別紙目録記載の土地(以下、本件土地という。)を被告に引渡す方針を決め、昭和三五年二月二五日これを被告に引渡し、且つ昭和三五年三月七日被告に対し本件土地の所有権移転登記を履行した。なお、引渡当時本件土地は登記簿上、新潟市東大通二丁目四五番二七〇坪四合七勺と表示されていたが、その後被告によって別紙目録記載のとおり分割された。
四 1. その後被告は昭和三五年三月二〇日訴外株式会社戸田組(以下、戸田組という。)より、弁済期昭和三七年三月二〇日利息金一〇〇円につき日歩二銭八厘、利息支払期毎年一二月二五日、遅延損害金金一〇〇円につき日歩五銭の約で、金一、七四一万四、〇〇〇円を借入れたとし、同債務を担保するため、前記分割後の本件土地のうち四五番一の地上に抵当権を設定するとともに、戸田組に対し、借賃一ヶ年金三五万円、借賃支払時期毎年一二月二五日、存続期間昭和三五年三月二〇日から昭和五六年三月二〇日までとする賃借権を同地上に設定し、昭和三五年三月二四日右抵当権および賃借権についてそれぞれ設定登記を経由した。
2. 戸田組はその後間もなく右賃借地を訴外日興不動産株式会社に転貸し、同会社は昭和三五年一一月ころ右地上に平家建約七〇坪の建物を築造存置している。
3. また被告は昭和三五年一二月二〇日戸田組の姉妹会社である訴外千代田土地株式会社(以下、千代田土地会社という。)より、弁済期昭和三八年一月三〇日、利息金一〇〇円につき日歩二銭二厘利息支払期元金弁済期と同じとする約で、金一、六六七万〇六〇〇円を借入れたとし、同債務を担保するため、前記分筆後の本件土地のうち四五番二の地上に抵当権を設定し、昭和三六年一月一一日右抵当権の設定登記を経由した。
4. 被告の右行為中、賃借権の設定の点は、前記二の(四)の買戻特約(以下、本件特約という。)の(1)の各号事由中イ、すなわち買受土地の使用目的に違背する使用を行ったときに該当することは明らかであり、また抵当権設定の点も同事由中ハ、すなわち売買差額による利益を得ることを目的として他に転売したときに該当するというべきである。けだし、原告が被告に売渡した際の本件土地の代金は金一、一五二万二、〇二二円(三・三平方米当り金四万二、六〇〇円)であったのに、同地上に設定されている抵当権の被担保債権の合計額は右金額をはるかに上廻る金三、四〇八万四、六〇〇円であること、さらに本件土地のうち四五番一については買受後幾許も経ない時期に用益権までも戸田組に設定し、同用益権は現に同会社よりさらに転貸を受けた千代田土地会社によって現実に行使されていることおよび被担保債権の弁済期が到来している今日になっても債務の弁済がなされていないことなどを総合するならば、被告の前記抵当権、賃借権各設定の一連の行為は、利益を得てなされた転売行為を隠蔽する目的の仮装行為であるか、あるいはこれとえらぶところのない実質関係を具えているものであるから、信義則と本件特約の目的に徴し、右事由に牴触するものと解すべきである。
≪以下事実省略≫
理由
(契約の締結)
一、≪証拠省略≫によると、原告は昭和二九年ごろ新潟市内の新潟駅を現在位置に移転する計画を具体化し、右移転に伴い、当時は未だ湿地帯であった新新潟駅前に、県都の玄関たるにふさわしい街区を造成する必要から、都市計画法および耕地整理法(現行は土地区画整理法)にもとづく新潟都市計画事業、新新潟駅前土地区画整理計画を樹立し、同年二月五日その旨公告したこと、右事実施行に要する費用の一部は、公費で負担するが、他の一部は分賦にかえて替費地を設定し、これを処分して充当することにしたことを認めることができ、これを左右するに足りる証拠はない。
二、そして、原告は、右計画に則りそのころ造成されるべき替費地につき買受人を公募したところ、被告は右公募に応じて買受申込をし、昭和二九年八月三〇日原告、被告間で請求原因二記載のような売買契約を締結し、と同時に本件特約すなわち、
(1) 原告は、後日原告被告間で協議決定された位置および地積の土地の引渡の日から二年の期間に、左記の事由が生じたときは、代金および契約に関する費用を提供し、右土地の買戻をすることができる。
イ、買受土地の使用目的に違背する使用を行ったとき。
ロ、土地の使用に関し法令に違反したとき。
ハ、売買差額による利益を得ることを目的として他に転売したとき。
ニ、その他原告が都市計画上必要と認めたとき。
(2) 原告は右の買戻権を行使するには、その旨を被告に通知し、通知の日から起算して五日を経過した日からその所有権移転登記の手続をするものとする。
(3) 原告は、前項の所有権移転登記の完了の日から、三〇日以内に提供すべき代金および費用を原告の任意の方法により被告に返還する。原告が期限までに返還を怠ったときは買戻権を失うものとする。
との合意をなしたこと、原告は昭和三〇年一二月六日造成された替費地のうち、当時の登記簿上の表示が「新潟市東大通二丁目四五番」となっている土地を右契約上の本件土地として被告に引渡す方針を定め、翌昭和三一年中被告と協議のうえ正式決定して被告に引渡し(その時期が、いつであるかは別として)、昭和三五年三月七日被告に対し本件土地の所有権移転登記を履行したこと、その後被告は本件土地を別紙目録記載のとおりに分筆登記をしたこと、
以上の事実は当事者間に争いがない。
(特約の法的性質)
三、ところで、原告は前記争いのない本件特約をもって本位的に民法第五七九条の買戻権を定めたもの、予備的に停止条件付再売買の一方の予約を定めたものである旨主張し、被告もこの点に関する限り原告の本位的主張と同様に主張するところであるが、右のように本件特約が民法上の買戻であるか、あるいは再売買の一方の予約であるかは、本件特約の法的性質に関するいわば法律行為の解釈問題であるから、裁判所は右当事者の法律上の陳述には拘束されないものというべきである。よって、本件特約の法的性質につき判断する。
≪証拠省略≫によると、原告、被告は前記売買契約を締結する際、契約書(甲第二号証)を作成したが、右契約書の中で本件特約は「買戻」なる文言で表現されていること、右売買契約にもとづく本件土地の所有権移転登記と同時に、買戻の特約の附記登記がなされていることが認められ、さらに前記のとおり本件土地の買戻代金が売買代金と同額であること、存続期間の定めがあることなどの事情から、本件特約が民法上の買戻権を定めたものと一応考えられないことはない。
しかし、他面、本件特約はその(2)及び(3)により強行法規である民法第五八三条に反し買主(被告)の不動産返還義務の先履行、売主(原告)の代金後払を定めているから、この点からみれば、本件特約をもって民法にいう買戻とみるならば、当事者は本件特約により法律上実現不能の合意(不動産返還の先履行、代金後払の方法によっては買戻は実現し得ない)をしたこととなり、そうなれば、後記のような本件特約が企図する目的は達成することはできず、ひいては都市計画の進行にも影響を及ぼす結果を招来しかねない。もっとも、前記のとおり本件特約につき民法にいう買戻であるとして登記が経由されているが、右は後記認定のような当事者、特に原告側係官の不完全な法的知識に由来するものであるから、登記の存在を理由に、直ちに本件特約をもって民法にいう買戻であると即断することはできない。しかして、≪証拠省略≫によれば、原告は、前記一の目的で替費地を売却したのであるが、県都新潟市の玄関口にふさわしい新街区を造成するために、都市計画上新新潟駅前附近でとくに重要な個所として本件土地を含む三ヶ所を選定し、これら替費地の買受人に対しては右の趣旨にそった使用目的による制限を求めたこと、そのため本件土地の売却にあたっても通常の公売処分によらず、買受人として応募した者からその資力、信用等を調査、検討したうえ被告を選び、同人ととくに随意契約の方法をとって売買契約を締結したこと、そして被告に対しては、売買代金を時価に比較して低廉にする一方、使用目的を制限して本件土地を投資、投機売買の対象にすることを禁じ、原告の意図する新新潟駅前の街区造成に協力を求め、また右趣旨に反するような事態が被告の行為によって生じた場合には、それを条件として原告は本件土地の所有権を再取得し得る権利を留保する意思のもとに被告と本件特約を合意したこと、ただ原告が地方公共団体である関係上、右のような条件が成就したとしても、新潟県規則、条例にもとづく契約の相手方先履行、代金後払の原則などの内部的手続の制限があるので、前記契約書作成を担当した原告の係官は、「買戻」という名の下に、その法的性質については充分研究することなく、ただ右内部的手続に都合の良い本件特約(2)、(3)のような条項を入れたこと、以上の事実を認めることができこれを覆すにたりる証拠はない。
以上の認定によれば、当事者双方は被告が一定期間内に一定の行為をした場合には本件土地を原告に返還し、その際原告が被告に代金を返還するという点においては完全に合意が成立し、その前提の下に本件特約付の本件土地売買契約がなされたもので、右売買契約までの経緯、本件特約によって達成しようとした目的、売買代金の同額性、存続期間の定めがなされたことなどに徴すれば、当事者双方は本件特約により、右合意実現の方法として(それが民法にいう買戻とは解せられない以上)予め一定の事項の発生(本件特約(1))を停止条件として、本件土地につき再売買の一方の予約をしたものと解するのが相当である。
なお、原告は民法第五八三条第一項は任意法規である旨主張するが、採用することができない。けだし、同条項は買戻が債権担保制度の一種として利用されることが多いことに鑑み、買戻代金を「代金および費用」のみに規制することによって売主(債務者)を保護するとともに、その反面右代金等が「期間内に提供」されることを買戻実行の要件として買主(債権者)に確実な代金回収の途を法的に保障することによって、無資力あるいは不誠実な売主から買主(債権者)を保護し、これによって両者の均衡を計ろうとする強い公平の理念の要請に基づく強行規定と解するのが相当だからである。そして、この理は債権担保を目的とする場合に限らず、他の事項の目的達成の手段として「買戻」が利用される場合であっても同様であると解すべきである。また、原告は地方自治体であるから、よもや代金の支払をしない虞れは全くない旨主張するが、地方自治体が一般に約定日時に買戻代金の支払をなし得る資力と誠意を有することを認めるに足りる証拠はないので売主が地方自治体であるがために、とくに例外的な解釈をしなければならない理由はない。
したがって、原告の本位的請求は、この点において理由がない。
(土地の引渡時期および条件成就)
四、≪証拠省略≫を総合すると、原告は昭和三四年九月三〇日ころ被告および本件契約と同種の契約をした買受人らから代金納付の申出を受けたが、その契約書(甲第二号証)第六条第一項によれば、原告は土地の代金を受領した日から一〇日以内に買受人に対し土地の引渡をすることとなり、同第二項によれば右土地引渡の日から一〇日以内にその所有権移転登記手続をなす義務を負担することになっているところ、当初より区画整理事業、換地処分が遅れて原告にその所有権保存登記さえもできていない状況であって、右第六条第二項がある限り代金受領ができなかったので、そのころ被告と協議のうえ「本件土地の引渡の時期を原告の所有権保存登記完了後、原告、被告が協議する。」旨の変更契約を締結し、代金受領を本件引渡の時期と切り離したうえ、昭和三四年一二月一一日ころ被告から代金納付を受けたこと、そして原告は本件特約に再売買契約予約完結の期間の定めがあることから、その引渡時期を明確にしておくことを考慮し、引渡証書(甲第三号証)を被告に送付して昭和三五年二月二五日本件土地を引渡したことを認めることができる。≪証拠判断省略≫
また、被告は昭和三五年三月二〇日本件土地の四五番一につき、戸田組から請求原因四の1のとおり、金一、七四一万四、〇〇〇円を借入したとし、同債務を担保するため抵当権を設定するとともに、同人に対し同項のとおりの期間二一年の賃借権を同地上に設定し同月二四日それぞれ設定登記を経由したこと、そして戸田組は日興不動産株式会社に転貸し、同会社は昭和三五年一一月ころ右四五番一の地上に平家建約七〇坪の建物を築造存置していること、さらに被告は昭和三五年一二月二〇日本件土地四五番二につき戸田組の姉妹会社である千代田土地会社から請求原因四の3のとおり、金一、六六七万〇、六〇〇円を借入したとし同債務を担保するため抵当権を設定し昭和三六年一月一一日その設定登記をしたこと、以上の事実は当事者間に争いがない。
そこで右被告の行為が本件特約(1)の各号にあたるかどうかについて判断するに、証人間英太郎の証言によれば被告は昭和三四年暮か昭和三五年一月ころ不動産仲介業者に本件土地を売却したい旨の意思を表明しており、とくに大和土地株式会社とは売却値についても交渉し、結局売買は成立しなかったが、右会社に謝礼として金八〇万円を支払っていることが認められ(る。)≪証拠判断省略≫。さらに、≪証拠省略≫によると、被告が原告から買受けた際の本件土地の買受代価は金一、〇二〇万六、五二九円と確定したことが認められるところ(右認定に反する証拠はない。)同地上に設定されている抵当権の被担保債権の合計額は、前記のとおり右金額をはるかに上廻る合計金三、四〇八万四、六〇〇円であり、したがって被告は右抵当権の実行を受けることがあっても、本件土地につき右差額金二、三八七万円以上の利益を得られること、しかも、被告は本件土地の移転登記を受けた直後、四五番一の土地について、長期間の賃借権を設定してその登記をし、転借人が同地上に前記平家建約七〇坪の建物を築造した結果、被告が同地上に本件土地売買の使用目的(請求原因二の(二))にしたがった鉄筋コンクリート造のビルディングを築造することはほとんど期待し得なくなったこと、以上の諸事情に前記三認定の本件特約の趣旨を併せ考えると、右被告の行為は本件特約(1)のイに規定する禁止事項に牴触するものと解すべきことは明らかであるのみならず、その実質においては巧に本件特約(1)のハを潜脱して同様の目的を達したものと認めて差支えないから、右ハに規定する禁止事項にも牴触するものと解するのが相当である。
(予約完結の意思表示)
五、そして、原告が昭和三七年二月二一日到達の内容証明郵便をもって、被告に対し本件土地につき本件特約にもとづく買戻権行使の名の下に意思表示をしたことは当事者間に争いないが、右意思表示もその文言にかかわらず再売買の予約完結の意思であると解すべきことは前記三に説明のとおりであるから、原告はこれによって本件土地の所有権を取得したというべきである。
(被告の主張に対する判断)
六、被告は前項の意思表示をなすには、売買代金および契約費用を事前に提供しなければならない旨主張するが、前記三に認定したとおり、本件特約は代金等後払による停止条件付再売買の予約であると解すべきであるから、右主張は理由がない。
七、また被告は前記五の意思表示は本件特約(1)の期間を徒過した後になされたものであるから、無効である旨主張する。
1、しかし、本件特約による再売買予約完結の意思表示が所定期間内になされたことは前記五に認定したとおりである。被告は本訴における原告側の訴訟上の主張をとらえて種々抗争するが、既に右のように実体上の意思表示が存する以上、本訴にあらわれた原告側の訴訟上の主張によっては未だその効力が左右されるものとは認められない。
2、さらに、本件特約の趣旨は、再売買契約成立後五日を経過した日から、被告は原告に対し本件土地の所有権移転登記義務を負い、原告は右登記を受けた日から三〇日以内に被告に対し代金等の支払義務を負うことを定めたのであって、右代金等支払までを本件特約(1)の期間内になすべきことを定めたものでないことは、本件特約の文言上明らかであるから、被告主張二の2の主張は理由がない。
3、また被告は本件土地の引渡を受けたのは、昭和三四年一二月一一日であって、前記五の意思表示は本件特約(1)の期間経過後になされたものである旨主張するが、前記四に認定のとおり本件土地引渡の時は昭和三五年二月二五日であるから右主張は採用できない。
八、被告主張三の1につき、請求原因二の(二)の建築物の建築工事を新新潟駅の営業開始までに開始しなければならない旨の特約があったこと、その主張の日時に新新潟駅の営業開始がなされたことは当事者間に争いがなく、本件土地が新新潟駅営業開始後に引渡されたことは前記四認定により明らかであるが、前記本件特約の趣旨に照らすと右約定は本件土地の買受人である被告に対し可及的速やかに前記建物の建築工事に着手すべきことを命じたいわゆる訓示的意味をもつ規定であると解すべきところ、≪証拠省略≫によれば本件土地の引渡が遅延したのは新駅の規模が昭和三一年末ころまで決定しなかったこと、本件土地を含む区画整理区域内に旧鉄道線路が通っていて軌道の撤去、駅舎の撤去などに時間を要したこと、本件土地附近に国道の造成など国の事業も平行してなしていたところ、これらが遅れたことなどに基因することが認められるので、被告に本件特約にもとづく義務の履行を求めることが公平の理念に反することもなく、また信義則に反するものでもない。その他本件特約の条項を制限変更しなければならない事情変更を認めるに足りる証拠はないから、右主張も採用できない。
九、さらに、被告は民法第一三〇条の類推により、原告が買戻権を行使できない旨主張するが、前記のとおり新駅営業開始までに建築着工しなければならない旨の特約は訓示的なもので条件とは解せられないし、また本件土地引渡が遅延した理由が原告の怠慢によるものとも認められないから、右主張は理由がない。
(むすび)
一〇、以上説示のとおり、原告は本件土地の所有権を取得したところ、前記五の意思表示が被告に到達した日から五日を経過しているから、被告は原告に対し本件土地の所有権移転登記手続をなす義務がある。
よって、原告の本位的請求については理由がないのでこれを棄却し、予備的請求については理由があるのでこれを認容することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 松野嘉貞 佐藤歳二 裁判長裁判官吉井省己は定年退官につき署名捺印することができない。裁判官 松野嘉貞)
<以下省略>