新潟地方裁判所 昭和59年(行ウ)8号 判決 1996年3月19日
原告
小山正明
同
荻野喜夫
同
佐々木信義
同
横川一樹
同
富樫昌作
同
丸山勉
同
石井保男
同
高山弘
同
渡部貢
同
遠山辰四郎
同
菊池紀
同
渡辺英明
同
中島義紘
同
本間勝
同
中原雅司
同
中山惺哉
同
松倉俊治
原告ら訴訟代理人弁護士
馬場泰
同
近藤正道
同
遠藤達雄
同
江森民夫
同
森川金寿
同
佐伯静治
同
尾山宏
同
立木豊地
同
高橋清一
同
柳沼八郎
同
戸田謙
同
芦田浩志
同
新井章
同
重松蕃
同
雪入益見
同
北野昭式
同
深田和之
同
谷川宮太郎
同
佐伯仁
被告
新潟県教育委員会
右代表者委員長
古川徹
右訴訟代理人弁護士
秋山昭八
同
平井二郎
右指定代理人
宮沢稔
外三名
主文
一 原告らの請求をいずれも棄却する。
二 訴訟費用は原告らの負担とする。
事実及び理由
第一 請求
被告が原告らに対し、昭和五九年二月二三日付でした別紙原告目録処分内容欄記載の各懲戒処分を取り消す。
第二 事案の概要
一 前提事実
1 当事者
原告らは、請求の趣旨掲記の処分当時、別紙原告目録勤務校欄記載の新潟県立高等学校に勤務していた教職員たる新潟県(以下「県」という。)の地方公務員であって、いずれも新潟県高等学校教職員組合(以下「新潟高教組」という。)に所属し、別紙原告目録組合役職名欄記載のとおり役員の地位にあった。新潟高教組は、新潟県教職員組合とともに新潟県教職員組合連合会を結成し、同連合会は日本教職員組合(以下「日教組」という。)に加盟している。
被告は、原告らの任命権者である。
2 懲戒処分
被告は原告らに対し、昭和五九年二月二三日付で、昭和五七年一二月一六日及び同五八年一〇月七日の各争議行為(以下「本件争議行為」という。)につき、別紙処分理由記載の理由をもって、別紙原告目録処分内容欄記載の各懲戒処分(以下「本件処分」という。)をした。
3 審査請求
原告らは、本件処分につき、昭和五九年三月二四日、新潟県人事委員会(以下「県人事委員会」という。)に不利益処分の審査請求を申し立てたが、審査請求をしてから三か月(昭和五九年六月二三日)が経過した。
二 争点
(被告の主張―本案前の主張)
本件処分は、原告らが本件争議行為をしたことを理由とするところ、原告らはいずれも争議行為をしたことを認めている。したがって、原告らは、地公法三七条二項の規定により、県に対し、任命上または雇用上の権利をもって対抗することができない。
よって、本訴は不適法であり、却下されるべきである。
(被告の主張―本件処分の適法性)
本件処分は、後記のとおり、昭和五七年一二月一六日及び同五八年一〇月七に日教組の指令によって行われた全国統一行動の一環として実施された本件争議行為につき、原告らが、新潟高教組の執行委員会を構成する者として、争議行為を共謀企画し、右委員会会議に提案してその旨の決定させ、組合員らに実施させたことに対してされたものであって、適法である。
なお、原告中山惺哉は、昭和五八年一〇月七日の争議行為が企画、遂行された時点で、その共謀に加わっていたと認められなかったため、同争議行為は処分の理由としていない。また、原告松倉俊治は、昭和五七年一二月一六日の争議行為が企画、遂行された時点で、その共謀に加わっていたと認められなかったため、同争議行為は処分の理由としていない(よって、以下「原告ら」から、原告中山惺哉については昭和五八年一〇月七日の争議行為を、原告松倉俊治については昭和五七年一二月一六日の争議行為を除く。)。
1 本件争議行為当時の原告らの身分
本件争議行為当時、原告らは、いずれも新潟高教組の役員であり、その役職の内容は、次のとおりであった。
原告小山正明及び荻野喜夫―執行副委員長として執行委員長を補佐し、執行委員長に事故あるときは、これを代理する。
原告佐々木信義―書記長として正副執行委員長を補佐し、書記局運営の責任を負い、組合業務を処理する。
原告横川一樹及び富樫昌作―書記次長として書記長を補佐し、書記長に事故あるときは、これを代理する。
原告丸山勉、石井保男、高山弘、渡部貢、遠山辰四郎、菊池紀、渡辺英明、中島義紘、本間勝、中原雅司、中山惺哉及び松倉俊治―執行委員として執行委員長に協力し、業務を分掌する。
なお、新潟高教組には、大会、県委員会及び執行委員会の三つの機関が置かれている。このうち執行委員会は、正副執行委員長、書記長、書記次長及び執行委員で構成される執行機関であり、その権限は、決議機関(大会、県委員会をいう。)から与えられた事項の執行に関すること、大会及び県委員会に提出する議案に関すること、組合の会計業務に関すること、組合の業務執行上必要な支部・分会代表者会議などの諸会議の開催に関すること、緊急事項の処理に関すること、などである。
2 昭和五七年一二月一六日の争議行為について
原告らは、昭和五七年六月一日から二日にかけて、新潟高教組第三三回定期大会を開催し、「人勧完全実施のたたかいを強化します。そのため、勧告前及び確定期にはストライキを含むねばり強いたたかいを組織してたたかいます。」とする運動方針を提案し、議決させた。
原告らは、同年九月一〇日、新潟高教組第五六回定期県委員会を開催し、人事院あるいは人事委員会の勧告(以下「人勧」という。)の完全実施と早期支給を要求するため、「確定の重要段階では、ストライキを含む公務員共闘、日教組の全国統一行動を組織してたたかいを強力に展開します。」とする争議行為の実施方針を提案し、議決させた。
原告らは、同年一〇月二六日、新潟高教組第三四回臨時大会を開催して、「人勧凍結撤回、人勧完全実施のたたかいの山場には日教組の方針によるストライキ戦術を配備してたたかいぬきます。」、「ストライキの批准投票は一一月九日〜一一日にかけておこな」うとの提案をし、議決させた。
そして、原告らは、同年一一月二日付けの新潟高教組の機関紙である「新潟高教組」速報で、組合員に対し「圧倒的にスト批准を成功させよう」としてストライキに賛成の投票するよう情宣し、そのとおりに批准投票を成立させたうえ、同年一二月一〇日付けの「新潟高教組」速報で、組合員に対しストライキ実施の決定を伝えた。
そこで、被告は、同年一二月一五日、教育長名で、新潟高教組の執行委員長に宛てて、「いうまでもなく、公立学校教職員の職務は公共性の極めて高いものであり、公務員たる教職員がその目的のいかんを問わず争議行為を行うことは法律で厳に禁止されているところであります。それにもかかわらず、あえて違法な争議行為を行うことは、学校の正常な運営が阻害され、児童生徒の教育に著しい影響を与えることになり、ひいては父母及び県民の信託に背くことになり、その責任は重大です。貴組合においても、このことに思いをいたし、今次争議行為を中止するよう強く申し入れます。なお、万一争議行為が実施された場合は、関係法令に照らし、厳正な措置をとらざるを得ないので、このような違法行為を行わないよう警告します。」との警告文を発したが、原告らは、各分会にストライキ突入指令を発し、同年一二月一六日に争議行為を実行させた。
3 昭和五八年一〇月七日の争議行為について
原告らは、昭和五八年六月一七日から一八日にかけて、新潟高教組第三五回定期大会を開催し、人勧の完全実施をめざすため、勧告期から閣議決定期のたたかいを重視するとし、閣議決定期の山場には、日教組の戦術に基づいてたたかうこととし、このストライキの批准投票を七月七日から九日にかけて行うことを提案し、議決させた。
そして、原告らは、批准投票を成立させたうえ、同年八月二七日付けの「新潟高教組」速報で、組合員にストライキの体制づくりと参加を呼びかけた。
そこで、被告は、同年一〇月六日に教育長名で、新潟高教組の執行委員長に宛てて、前回と全く同文の警告文を発したが、原告らは、各分会にストライキ突入指令を発し、一〇月七日に争議行為を実行させた。
4 本件処分について
被告は、原告らの右行為が、地方公務員法(以下「地公法」という。)三七条一項の規定に違反し、同法二九条一項一号の規定に該当するものと認め、昭和五九年二月二三日付けで、別紙処分理由記載のとおりの理由をもって、小山正明、荻野喜夫及び佐々木信義に対して減給処分(減給一〇分の一、三か月)を、横川一樹、富樫昌作、丸山勉、石井保男、高山弘、渡部貢、遠山辰四郎、菊池紀、渡辺英明、中島義紘、本間勝、中原雅司、中山惺哉及び松倉俊治に対して戒告処分を行った。
新潟高教組の規約によれば、執行委員会は執行機関であって前記のとおりの権限をもっており、原告らは前記の各地位にあった。そうすると、本件争議行為実施のための定期大会、定例県委員会及び臨時大会の開催、運動方針案の提案、決議から、本件争議行為の実施に至るまでの一連の経過においては、原告らが指導的役割を果たしたことは明らかである。
以上のとおり、本件争議行為における原告らの各行為は、いずれも地公法三七条一項の規定に違反するものである。
(原告の主張―本件処分の違法性)
1 地公法三七条一項の憲法二八条違反
(一) 公務員と憲法二八条
公務員が労働者であることは明らかである。そして憲法は、労働者一般に労働基本権を保障しており、公務員を特別扱いしていない。
もっとも、公務員の労働基本権、なかんずく争議権については、若干の配慮をする必要がある。すなわち、
① 公務員は公共的な職務に従事することが多いため、具体的な職務や争議権行使の態様等によっては、他の人権と衝突し、公共の福利を大きく害する結果、多数の人権を損なうおそれがある。かかる場合には、争議権行使とこれによって損なわれる人権とを比較衡量し、両者が調和するように調整することが必要となる。
② 公務員の勤務条件は法律で定められ、政府等の行政当局は法律に従うことが求められる。また、公務員の勤務条件は国家財政あるいは地方財政の支出を伴うから、この面でも議会のコントロールを受ける。よって、行政当局は、法律や予算の裏付けがなければ、労使間の合意を実現しえない。議会は、労働基本権保障の趣旨に鑑み、できる限り労使交渉の結果を承認すべきであり、その否定や制限は原則として許されないが、なお行政権に対する控制上、間接的に労使合意の実効性にかかわってくることは否定できない。
しかし、以上のような配慮は、あくまでも消極的であるべきであり、労働基本権と他の人権との調整の具体的なあり方、あるいは、労働基本権と議会の権能との関係の具体的なあり方が問題である。
(二) 労働基本権と他の人権の調整
労働基本権、特に争議権は他の人権との調整の必要が大きく、その行使の制約もありうる。しかし、労働基本権は生存権に由来し、資本主義社会において健康で文化的な生活を実現するために不可欠の権利であること、争議権はその中核的権利であることに照らすと、その制約は慎重になされるべきである。
① この制約は、複数の人権相互間において内在することを余儀なくされる制約と考えるべきである。労働基本権は、場合によって所有権など古典的な人権を修正すべきものとして、あるいは、他の人権と両立すべきものとして生成し、承認されてきた。よって、労働基本権の制約は、複数の人権相互間に内在せざるを得ない関係として判断されるべきであって、労働基本権に対し、他の人権が一方的に優越するものとして、いわば外在的にその制約が論じられてはならない。このことは、労働基本権の行使が国民多数に影響を及ぼす場合も、同様である。国民多数への影響ゆえに当然に制約が肯定されるとするならば、そもそも労働基本権がいわば第三者の迷惑を克服することによってのみ認められてきた歴史的経緯を没却してしまうからである。
② その制約の程度・方法は、他の人権との具体的な比較衡量のうえ、厳格に行われねばならない。公務員の公共性は、その職務によって様々であり、その一時的停廃が他の人権に与える影響の程度は、争議行為の態様によっても異なり、決して一様ではない。よって、一律的な禁止が許されるのは、個別的な規制では賄えず、常に一般的に禁止する必要のある職務についてのみに限られるべきである。
③ その制約は、合理的な必要最小限度に止められるべきである。争議行為のもたらす国民生活に対する障害の質・程度は様々であって、国民の生命・身体の安全、あるいは健康に直ちに危険をもたらすことが類型的に予想される場合もあれば、そのような危険をもたらすおそれのない場合もある。また、制約の方法が多様に存在する場合には、より制限的でない方法がとられなければならない。したがって、争議行為の全面禁止は、権利の剥奪であり、よほどの場合でなければ許されないのであるから、争議行為が直接、国民の生存、生命あるいは身体の安全と健康をおびやかすことが類型的に予想される場合で、かつ、それを避けるためには他の方法では賄えない場合のみに限られるべきである。
以上のことを本件についてみるに、原告らはいずれも高校の教職員であるから、その職務の公共性は高いといえる。しかし、争議行為に伴う職務の一時的な停廃が、国民生活に直接的かつ重大な打撃を与えるものとは到底いえない(ちなみに、戦後初期の立法においては、教員についての争議権の制約は全くなかったし、ILOの見解及びILO・ユネスコ勧告も、教育労働者の争議権を認めている。そして、私立学校の重要性と公共性は公立学校のそれに劣ることはないのに、私立学校の教職員の争議行為には、全く制約がないことからすれば、仮に、公務員たる教職員の争議行為を制限すべき場合があるとしても、その制限の程度・方法は、職務の特質との関係において十分に検討されなければならない。)。すなわち、教育は綿密な計画をたてて実施され、一時的に職務の中断があっても、長期的な過程においてこれを補うことのできる弾力性を有する。よって、教職員の争議行為の制約が許されるのは、長期にわたり中断の影響を回復することができないか、または、そのおそれが生じた場合に限られ、かつ、その段階において争議行為の中止を命じることをもって足りるというべきである。
以上のとおりであるから、争議行為を全面的一律に禁止する地公法三七条一項が、憲法二八条に違反することは明らかである。
(三) 労働基本権と財政民主主義等との関係
憲法七三条四号は、勤務条件法定主義を定めているが、その趣旨は、公務員の勤務条件に関する事項は、国民主権の原則に基づき法律の定める基準によらなければならないとするとともに、その反面において公務員の身分を保障し、公正かつ合理的な公務員制度を維持することにある。したがって右規定は、労働基本権を制限する趣旨のものではなく、むしろ、勤務条件の基準を法律事項とすることによって、公務員の身分保障を強めるものである。そもそも議会は、基本的人権の確立・保障のためにこそ存在するのであるが、労働基本権は、その特質に鑑み、最大限の尊重を要する。よって、労働基本権に関わる問題については、議会による行政権の監視・控制は慎重になされるべきである。
憲法八三条は財政民主主義を定めているが、その趣旨は、財政処理の根幹を国民の代表である議会に行わせることにある。それは、財政に対する議会の控制という一般的な制度であって、本来、労働基本権とは直接関係がなく、もとより労働基本権を制限する趣旨のものでない。
労働者である公務員の具体的な勤務条件の決定過程と議会との関係は、本来、次のような形であるべきである。
① 憲法上、公務員は使用者たる内閣等の行政当局と団体交渉ができ、当局は誠実に交渉に応じなければならない。しかし、当局には意に反する合意をする義務があるわけではなく、当局に課せられるのは、団交応諾と誠実交渉の義務である。
② 労使が協議を尽くしてもなお合意に達しない場合、公務員は争議行為を行うことができる。その場合、当局は行政の一部・一時的停廃に伴う政治責任を、公務員は争議行為による賃金の喪失とその行使による社会的責任を、それぞれ負担する。当局は、自らの政治責任において公務員と交渉し、許される範囲で対抗手段をとって有利な妥結をめざすものであるが、他方、公務員の争議権行使にも大きな社会的責任が伴うのであって、担当する職務の内容によっては、国民生活に相応の影響を与えることは否定できない。そしてまた、その要求水準と交渉経過は議会や国民の監視下にあるから、不当要求、不誠実な交渉態度や過大な争議行為に行うことは、財政に与える影響、争議行為の国民生活や行政事務の円滑な処理に与える影響などと相まって、国民の厳しい批判を招来し、当局からかち得た要求が議会によって認められず、再度当局と交渉しなおさねばならないこともありうる。このように、公務員の争議行為には大きな圧力が伴い、安易な行使は厳しく社会的責任が問われるが、当該公務員の職務の性質、争議行為の規模、態様、影響などによって、他の人権と衝突して、それを損なうおそれがある場合は相応の調整が図られ、そのようなおそれのない場合は、争議行為は許容されなければならない。
③ 労使間の合意が成立した場合、当局はこれを法律案あるいは予算案の形で議会に諮るのであるが、法律または予算が成立しなければ、勤務条件に係る財政支出ができない。当局は、予算案等を議会に提案しようとする場合、できるかぎり事前に公務員の合意を取りつけるように努力すべきであるが、それを尽くしても合意に至らない場合には、そのまま議会に提案することもあり得る。
④ 提案を受けた議会は、それが労使間の合意をうけたものである場合は、できるかぎりこれを尊重すべきである。労働基本権が生存権に直結するものであり、労使間の合意は、対等かつ自由な取引によって決定された、適正かつ合理的なものと考えるべきだからである。ただ、それが、著しく不合理であって、労働基本権尊重の立場からしても容認しえない場合、その修正や否決はやむをえない。労使間の合意を伴わない提案である場合は、議会はできる限り労使の交渉を促すべきであって、議会自らが、労使の対等・自由な取引を離れて当局による提案の適正・合理を判断することは適当でないが、なお合意が成立しないときは、議会は当局の提案について判断せざるをえないことになる。
⑤ 労使間の合意に基づく提案が議会によって否決された場合、当局には重大な政治責任が生じる。しかし、法律あるいは予算案がない以上、労使間の合意に副う勤務条件は実現できないから、労使は再度交渉して議会の承認を受けうるような合意をめざすことになる。勤務条件決定の遅滞は、労働者にとって大きな圧力であるが、他方、当局にとっても労使交渉が長期化し労働紛争が長く続くことは、少なくない負担となる。なお、公務員の合意を伴わない当局の提案が可決されたとき、当局はその内容に従って公務員を説得すべき政治責任を負う。このとき公務員は、成立した法律あるいは予算を受け入れるか、なお当局との間で団体交渉を詰め、場合によっては争議行為を行うかどうかの岐路に立たされるが、重ねて争議行為を行うことは、世論や議会との対応に大きな負担と圧力を受け、大きな決断を要する。
以上のように理解すべきであるから、一部論者が主張するように、公務員労働者の争議行為が議会の審議を歪めるというのは当たらない。行政事務の停滞は好ましいことではないが、労働基本権を認め、国民大多数の社会的生存を図ろうとする以上やむをえないことであり、主として公務員を適正な合意をするように説得できない使用者たる行政当局の政治責任の問題というべきである。
以上のとおり、労働基本権、なかんずく争議権は、勤務条件法定主義や財政民主主義と、論理上も事実上も相容れないものではない。労働基本権は、国民の大多数を占める労働者に保障され、その社会的生存をはかる唯一かつ最も合理的な制度である。そして争議権は、その中枢をなし、それによってのみ労使の対等かつ自由な取引が可能となる。他方、財政民主主義は、国民が政治権力を監視し、これに国民の意思を反映するための手続であって、行政権をチェックし、国民各自の人権の確立とその福利の増進を図る手段の一つである。したがって、労働基本権の行使は、議会の行政権に対するコントロールである財政民主主義と本来対立するものではなく、問題は、争議権の行使と他の人権との調整にある。財政民主主義や勤務条件法定主義そのものと労働基本権との調整ではない。
2 代償措置欠如による地公法三七条一項の憲法違反
(一) 労働者が公正な労働条件を獲得するためには、使用者と対等な力関係に立つことが必要であるが、使用者と実効性のある団体交渉を行うためには、争議権の裏付けを持つことが必要である。すなわち、争議権を伴わない団体交渉権はその実質を欠くからこそ、憲法二八条は、勤労者に団結権、団体交渉権と併せて、争議権を保障するのである。
ところで、労働条件の中でも最も切実なものは、賃金である。よって、仮に争議権を制約する場合は、賃金額の決定に関して、争議権に代わるような強力な代償措置を設けることが必要である。しかし、わが国の人勧制度は、手続面の不備、拘束力の欠如という点において不完全であり、代償措置としての価値を有しないといわざるをえないものである。
(二) 代償措置に求められる要件
代償措置は、労働基本権の制約によって奪われる労働者の利益を保障するための措置であるから、当然、右制約に見合うものでなければならない。そして、憲法二八条が労働基本権を保障する趣旨は、二五条の生存権保障を基本理念として、労働者に対して人間に値する生存を全うさせるために、二七条によって労働の権利及び労働条件の基準の法定を保障したことと併せて、使用者に対して劣位に立つ労働者に対し実質的自由と平等とを確保し、使用者と対等の立場に立って雇用契約を締結し、その労働条件を決定する手段を保障することにある。したがって、労働基本権制約の代償措置は、労働者の実質的自由・平等を実現するに足りるものでなければならないのである。
ところで、争議権は、前述のように、それを背景とすることによってのみ、労働者が使用者と実質的に対等となりうるという重要な権利である。したがって、争議権制約の代償措置には、次のような要件が求められる。①実質的に対等な労使交渉に代わりうる制度であって、その公正さが確保され、当事者の参加が保障される。②決定された結論は、使用者をも拘束し、確実に実施されねばならない(国際労働機関も、右代償措置の要件につき、公平な機関によるものであること、調停仲裁の手続きであること、当事者の参加が保障されていること、裁定が両当事者を拘束し完全かつ迅速に実施されること、を要求している。)。
(三) 以上に照らすと、わが国の人勧制度は、労働基本権、とりわけ争議権の全面的一律禁止に見合う代償措置とは到底認められない。
まず、人事院あるいは人事委員会は中立公平な機関ではない。国家公務員法(以下「国家法」という。)は、人事院は人事官三名で組織し(四条一項)、人事官は両議員の同意を経て内閣が任命するものとし(五条一項)、地公法は、人事委員会は三名の委員をもって組織し(九条一項)、委員は議会の同意を得て地方公共団体の長が任命するものとしている(同条二項)。しかしながら、労使紛争解決のための公正な機関というためには、政府当局、労働者(労働組合)及び使用者(使用者団体)の三者構成によるべく、仮にそうでないとしても、少なくとも構成員の選任について、労働者団体の意見が十分に反映される仕組みとなっていることが不可欠の条件である。しかるに人事官あるいは人事委員の選任は、国会や議会の同意を要件としているものの、実質的には行政当局、ひいては与党の意向によって決せられるといわざるをえず、結局は行政当局による一方的任命と異なるところはない。労働者団体が選任について意見を述べる機会は、法的にも実際上も全く与えられていない。
次に、人勧は人事院あるいは人事委員会が独自の立場で行う勧告であって、労使双方の調停仲裁の制度ではない。のみならず、勧告作成の過程に当事者の参加の道が確保されていない。現行人勧の制度においては、労使の当事者、なかんずく公務員組合がこれに参加して意見を述べる手続的保障は全く法定されておらず、勧告給与額の算出過程も非公開である。
最後に重要なのは、人勧の拘束性、すなわち完全実施が全く保障されていないことである。わが国の人事院あるいは人事委員会の権限は単に勧告をなすことに尽き、右勧告には法律上の拘束力が与えられていないのであって、当局が勧告を完全に実施しなくても、単に政治責任を問われるにとどまるのである。
(四) なお、人勧制度以外の代償措置として、①身分、任免、服務あるいは給与その他に関する勤務条件について、周到詳密な規則が設けられていること、②公務員は、法律によって定められる給与準則に基づいて給与を受けるが、その給与準則には俸給表のほか法定事項が規定されること、③公務員は、人事院に対し、その勤務条件につき行政措置要求をし、不利益処分を受けたときは審査請求をする途も開かれていること、などがあると主張されている。
しかし、①の公務員の身分等に関して詳細な法定をする趣旨は、確かに身分保障という面もあるが、本来は、全体の奉仕者という公務員の地位及び職務の特性から、猟官性を排除して国民のための公務員制度を確立しようとするものにほかならないし、②の給与等の勤務条件法定主義は、憲法二七条二項に基づき労働条件の基準の法定を公務員について定めたものにすぎないから、これが直ちに争議行為禁止の代償として機能するとはいえず、③の不利益処分等に対する審査請求は、一般的な行政処分に対する行政不服審査制度を公務員に対する不利益処分について規定したものであって、公務員から争議権を剥奪したことと直接の関係はない。これらは、昭和二三年の国公法改正による国家公務員の争議権剥奪以前から存在していたものであり、同法改正による争議行為禁止の前後を通じて条文上何らの変化もなかったのであって、公務員の争議権剥奪と本来無関係のものであることは、多言を要しない。
念のため付言すれば、憲法二八条の労働基本権の制約は、個別労使関係の問題ではなく、集団的労使関係の問題であって、労働基本権が究極的には労働者個人の地位向上に還元されるとはいえ、その支配する価値は異なっている。したがって、労働基本権制約の代償の問題を議論するのに、沿革的にも存在理由も全く異質な個別労働の保護規定を持ち出すのは、無意味といわねばならない。
(五) 以上のとおり、わが国の人勧制度は、公務員の争議権制約に見合う代償措置としての要件を欠いており、到底代償措置といえるものでない。よって、現行の人勧制度の存在等を根拠として、公務員の争議権を厳しく制約している地公法三七条一項が憲法二八条に違反しないという主張は、明らかに失当である。
3 地公法三七条一項の憲法九八条違反
地公法三七条一項は、国際労働機関(以下、「ILO」という。)が宣明する結社の自由の原則と相容れないものであって、わが国が締結した条約及び確立された国際法規の誠実な遵守を定めた憲法九八条二項に違反し、無効である。
(一) ILO憲章及びその附属書であるILOの目的に関する宣言(いわゆるフィラデルフィア宣言)は結社の自由の原則を宣明しているところ、ILO八七号条約及び九八号条約(以下、単に「八七号条約、九八号条約」という。)は、右結社の自由の原則をさらに具体化して保障している。わが国は、昭和二六年にILO憲章上の義務の履行を受諾してILOに再加盟し、かつ、ILO憲章は国会の承認を得て公布され(昭和二七年条約一号)、八七号及び九八号条約もそれぞれ批准され、国会の承認を得ている(昭和四〇年条約七号、昭和二九年条約二〇号)。
(二) ILOはベルサイユ条約に基づき大正八年設置され、国際的な労働基準の設定とその監視統制を任務としているところ、ILOが定める基準は、先進工業国と発展途上国を含む世界中の国が受け入れることができるよう配慮されて設定されており、国際的な「最低基準」と呼ぶべきものである。そして、ILOが採択した条約や勧告についての各国の実施状況は、その恒常的な機関、すなわち条約勧告適用委員会、実情調査調停委員会及び結社の自由委員会により監視統制されており、これらの委員会の報告は一種の判例法を形成している。
(三) なお、九八号条約の六条は、「この条約は、公務員の地位を取り扱うものではなく、また、その権利又は分限に影響を及ぼすものと解してはならない。」と規定している。しかし、同条にいう「公務員」は、同条約の正文の一つである英文において、「国の行政にたずさわっている公務員」(public ser-vant engaged in the administration of the state)となっているとおり、公務員全般を指すのではない。
(四) 結社の自由の原則と争議権の保障
八七号条約は、採択当時、ストライキ権に言及しない条約として締結されたが、その後のILO諸機関の検討を通して、ストライキ権保障を含むものと理解されている。ILOの今日的な基準は、①八七号条約は争議権を保障している、②ストライキを禁止しうる範囲は、不可欠業務に携わる者及び公権力の機関として行動する者に限られ、教職は右職務に当たらない、③ストライキ禁止にともなう制裁は最小限度とする、④ストライキ禁止が許される場合にも、適切な代償措置が設けられなければならない、というものである。
そしてILOが示している代償措置の内容・要件は、極めて明確であり、かつ一貫している。すなわち、①公平なものであること。そのためには機関の人的構成が公平なものであり、当事者に信頼されるものでなければならない。②調停仲裁手続であること。調停仲裁手続でなければならないのは、公務員を含むすべての労働者の労働条件は、労働者ないし労働組合の参加のもとに決められるべきだからであり、そのことによって初めて、労働者の利益が保障されるからである。③当事者の参加。代償であるためには、右の調停仲裁手続のあらゆる段階に、当事者が参加することが認められていなければならない。この要件も、前述のような労働条件の決定には労働者ないし労働組合の参加が保障されていなければならないという基本原則から導かれる。④両当事者の拘束と完全実施。代償措置であるためには、裁定は両当事者を拘束するものであり、完全かつ迅速に実施されなければならない。このことは、争議権という基本的権利の制限の代償である以上、極めて当然のことである。
以上のILOの見解に基づけば、本件争議行為当時、公務員労働者について代償措置は制度的に不備であり、仮に百歩譲って制度としては不備でなくても、正常な機能を発揮していなかったことは否定する余地がない。
(五) 以上のとおりであって、わが国の公務員法制が、争議行為制約の範囲において極めて広範なこと、代償措置とされる人勧制度が制度上も運用上も不備なこと、争議行為に対する制裁が過酷であることなどの点においてILOの基準に合致しないことは明らかである。
よって、地公法三七条一項は、ILO憲章、八七号及び九八号条約、さらにはILO諸機関によって確立された結社の自由の原則と相容れないものであって、憲法九八条二項に違反し、無効である。
4 地公法三七条一項の適用違憲
(一) 公務員の労働基本権が制約されているにもかかわらず、その代償措置が迅速公平に機能しない場合は、違憲状態が生ずる。したがって、賃金改善に関して唯一の代償措置とされる人勧制度が機能しない場合に、その機能回復を求めて行われた争議行為に対し地公法三七条一項を適用して懲戒処分を課すことは、憲法二八条に違反するといわねばならない。
本件争議行為は、昭和五七年の人勧凍結、同五八年の人勧一部実施に対する、全国統一闘争の一環として行われたものである。これらは、直接には国の人勧の完全実施を目的としたものであったが、究極の目的は県人勧の完全実施である。そして人勧制度は、当該年度に完全実施されてこそその本来の機能を発揮するといいうるところ、県は、昭和五七年は人勧を凍結し、翌五八年には一部を不実施としたが、このような状況を、代償措置が本来の機能を発揮していないというべきことは当然である。もっとも、県人勧が完全実施されなくても、県が誠実に可能最大限の努力を尽くしたと認められる場合は、代償措置が機能していないとはいえないかもしれない。しかし、当時の県の財政事情からは、昭和五七・五八年の各人勧の完全実施は可能であった。そして、もとより県は、国や他県の状況に従うことを法律上義務づけられているわけではないから、地方自治の原則に基づいて、独自に人勧を実施すべきであって、本件争議行為は、代償措置が本来の機能を果たしていない状況下で行われたものにほかならない。
(二) 代償措置の不機能と適用違憲
(1) 争議権の制約と代償措置
人勧制度が適切な代償措置と認められる場合でも、これがその本来の機能を果たしていない場合は、公務員の労働基本権の制約は合理性を有していないこととなる。したがって、公務員が、代償措置の本来の機能の回復を求めて、相当と認められる手段・態様で争議行為をしても、それは憲法上保障された争議行為であり、これに対し国公法や地公法を適用して懲戒処分をすることは、結果として憲法二八条に違反する。そして、代償措置が機能しているというためには、公務員の労働基本権、とりわけ争議権の保障によって実現されるべき労働者の経済的地位の向上を、現実に保障することが必要である。
(2) 人勧と本来の機能の発揮
公務員の賃金の向上を図る唯一の代償措置である人勧制度が、公務員の経済的地位の向上を現実に保障しているというためには、人勧がそのまま実施される必要がある。この点について、代償措置には公務員の勤務条件法定主義(条例主義)等もあり、人勧制度が実際に機能していなくても、全体としての代償措置が機能していないとはいえないとする見解がある。しかし、公務員の賃金の改善に関する代償措置としては、人勧制度が唯一の制度であるといわねばならず、人勧が行政当局及び議会において尊重され、勧告に従った給与改訂が迅速かつ完全に実施されてはじめて、代償措置としての人勧制度が機能を発揮しているということができ、公務員の争議権制約の合理性が肯定されるのである。
その意味で、人勧は完全実施が原則であるにもかかわらず、戦後長期にわたり、本来の機能を発揮しなかった。しかし、政府も昭和四五年に至り、国会において、財政事情その他の事情に関わりなく人勧を完全実施することをルールとして確立するとの運用方針を明らかにし、地方公共団体当局も右ルールを確認した。これらを総合すると、次のように要約できる。
① 災害等により予期せぬ支出が生じても、人勧内容の如何にかかわらず、人勧の完全実施をまず実行する。
② 財政事情その他の理由により、今後特殊な措置はとらない。
③ 人勧完全実施により財源不足が生じた場合は、補正その他の財政上の手段をとる。
④ これは人勧完全実施のルールを確立するものであり、政府の国民・国会に対する約束である。
右は、人事院総裁の国家公務員法改正の要望に対する回答でもあり、政府が国家公務員法の解釈として、人勧の完全実施努力義務を明確にしたものであった。右経緯からも、人勧が完全実施されてはじめて、代償措置が本来の機能を発揮しているというべきである。
(三) 県の財政事情と県人勧実施の可能性
(1) 県の過去の財政状況
県の決算収支は、昭和四〇年代から昭和五〇年代にかけて相当の変動があり、単年度収支及び実質単年度収支において欠損の年度が多数を占めていたが、昭和五一年度から同五七年度にかけての実質収支は約六億円ないし七億円の黒字で、確実な収支を計上していた。また、昭和五〇年度に赤字補填のため財政調整基金をほぼ全額取り崩したが、同五一年度から五六年度末までの六年間に、一九四億八三四〇万円を積み立て(財政調整基金の取崩し理由も、一般会計に充当したのは昭和五六年度の六〇億円のみであり、県庁舎建設基金の創設等、他の基金の創設のために取り崩されたものがほとんどである。)、昭和五六年度末の基金全体の現在高は、四二六億五一一九万円余の巨額に達していた。ちなみに県庁舎建設基金は一四九億八二四五万円余であるが、使途が特定されない財政調整基金が昭和五六年度末で一九四億円余も存在したことは、この六年間は実質単年度収支において相当の黒字を計上していたことを意味する。
(2) 県の昭和五七年度の財政
新潟県は、昭和五七年度当初予算において、歳入総額を七一四億二〇〇〇万円と見込んだ。これは、前年度当初予算比で7.6パーセントの伸び率であって、積極型の歳出を企図する余り、歳入を過大に見積もったものである。例えば、昭和五七年度当初予算における県税収入は一一二億七七〇〇万円とされているが、これは前年度より約8.5パーセントもの伸びを見込んだものである。しかし、結果は、県民税及び法人事業税が前年度に比して合計約一九億六三八五万円の減収となった。また、県は、昭和五七年度当初予算において、地方交付税額を一八九五億円見込んでいたが、これは前年度当初予算における地方交付税額との対比で14.2パーセントの伸びとなる。しかも、右五六年度の交付税額は、算定の基礎となる基準財政収入額の計算過誤により過大なものだったのであり、県は五七年度予算を策定した段階でこれを明確に認識していたのであるから、昭和五七年度地方財政計画で示されている地方交付税の対前年度比の伸び率(7.0パーセント)の二倍を越える14.2パーセントという大幅な伸びは、明らかに無謀で達成困難な歳入であった。
歳出は、消費的経費は前年度比で5.4パーセントの増加としたものの、人件費の一般歳出に占める割合は、前年度の33.9パーセントから33.0パーセントに減少している。また、投資的経費の伸びは僅かに止められたのに対して、県単独事業は前年度の約一九〇億円から約二一七億円に増額された。
そして、県は、一二月の補正で人件費予算を一億二二四六万円余削減し、更に二月補正で九億四四二九万円余を削減した。この補正により、当初予算段階で人件費として確保されていた額のうち一〇億円以上の財源が他の財源に回されたのであるが、右人件費の減額補正と反比例するように、積立金が増額補正され、決算においては当初予算より四八億四一五三万五〇〇〇円も増額した。なお、一億円の予備費は、当初予算から計上されていたが、最終予算の段階においても支出されなかった。
歳入の補正については、繰入金(すなわち特別会計ないし基金から一般会計への繰入れ)は、二月の補正で一二億五〇四〇万円余の減額をし、決算において一一億五七六一万円を一般会計に繰り入れなかったが、歳入不足をいいながら繰入金の減額補正をすることは甚だ不合理であって、当初予算どおりに繰入れをして財源を確保することは十分に可能であったといわねばならない。そして、昭和五七年度末の基金残高は、三七五億九五二八万円余であり、うち、使途の限定されない財政調整基金が一〇七億五四四九万円余も存在した。
昭和五七年度の決算によれば、繰越金を除外した実質収支は七億四五〇〇万円の黒字であり、結果的にも、財政上の余剰金が存在したことが明らかである。
被告は、財源不足を主張するが、歳出補正における人件費約一〇億円の減額、積立金約四八億円の増額、予備費一億円の不支出、歳入補正における繰入金の約一二億円の減額補正、及び、財政調整基金の年度末残高が約一〇七億円であったことからすれば、約九三億円の人勧実施財源が存在しなかったとは到底いえない。
(3) 県の昭和五八年度の財政
県は、昭和五八年度、当初景気は前年度並みであったにも拘わらず、前年とは異なり、堅調な予算を策定した。のみならず、九月に前年度繰越金が確定し、当初予算一億円から八億二九六三万八〇〇〇円に増額されたほか、年度途中から県税収が順調に増加して当初予算比で二七億〇八〇〇万円の増、地方交付税が当初予算比で一一二億五四六〇万八〇〇〇円の増となり、これらによって当初予算を一三九億六二六〇万円も超過する歳入を確保できたため、他の歳入項目である起債を約一九億円縮小し、財政調整基金等からの一般会計繰り入れも約四七億円縮小し、一方、歳出としても県債の繰上げ償還財源に約一二億円、積立金に約七億円を回すなどの措置をした。これらは財政の余裕を示す以外の何ものでもない。なお、昭和五八年度末における基金残高は、三一六億〇八五五万円余であり、うち、使途の限定されない財政調整基金が八五億一〇六八万円余存在したが、これを取り崩しえない理由は全くなかった。
(4) 結論
以上のような財政状況からすれば、唯一の代償措置としての人勧実施につき、県は、誠実に可能な限りの努力を尽くしたとは到底認められないから、本件争議行為が憲法二八条により許容されるべきことは明らかである。
(四) 国の財政事情と人勧実施の可能性
(1) 昭和五七、五八年度の人勧と実施状況、凍結一部不実施の理由
昭和五七年度人勧は同年八月六日になされ、対前年度引上額は金一万〇七一五円、引上率は4.5パーセントであった。その完全実施に要する額は三三八〇億円であるところ、当初予算に給与改訂費一パーセントが計上されていたので、所要の追加財源は二七〇〇億円であったが、同勧告は完全に凍結された。昭和五八年度人勧は同年八月五日になされ、対前年度引上額は金一万五二三〇円、引上率は6.4パーセントであった。その完全実施に要する財源は四五〇〇億円であったが、2.30パーセント分が実施されたのみで、残る三一〇〇億円分は実施されなかった。
右凍結及び一部不実施の中心的理由は、政府によれば、五七年度は未曾有の危機的な財政事情、五八年度は異例に厳しい財政事情であるとされている。
(2) 昭和五七、五八年当時の国の財政状況
国の主要な歳入財源は租税印紙税収入であるが、同収入は昭和五三年度から同六五年度まで順調に増加しつつ推移しており、五七、五八年度も、他の年度と大体同じような割合で増加しているが(前年度に比して、五七年度は一兆円程度、五八年度は二兆円弱、それぞれ増加していた。)、予算の概算要求の最高限度(いわゆるシーリング)は、五七年度は前年度に対する伸びゼロ、五八年度は前年度に対しマイナス五パーセントとされ、いずれも以前より厳しくなっている。
国債発行残高は、五七年度は九六兆余円、五八年度は一〇九兆余円に達し、それぞれの時点で最高を記録していた(しかし同残高はその後も累積をつづけ、再び人勧を完全実施した六一年度には一四五兆余円に膨らみ、平成四年度は一七四兆余円に達しており、後になるほど厳しい状況であった。)。国債償還に充てる国債費も、五七年度に七兆余円、五八年度に八兆余円に達した(しかしこれも、六一年度には一一兆余円(一般会計の二〇パーセント)を超え、平成四年度には一六兆余円(同22.8パーセント)まで達している。)。なお、政府は、昭和五七年、二年後には赤字国債発行額をゼロとする財政再建を達成することを目標とし、それが同年度人勧凍結の理由とされた。しかし、財政再建計画は固定的・確定的なものではないから、財政再建計画はそもそも人勧凍結・値切りの理由とはなりえない。
政府は、五七年度に六兆円(当初予算に対する割合で一七パーセント弱)の税収不足・歳入欠陥を生じたことを人勧凍結の理由としている。しかし、例えば五〇年度には四兆円強(当初予算に対する割合では二二パーセント)を超える欠陥が生じたし、五六年度も三兆円強の欠陥が生じたが、五〇年度人勧は完全実施され、五六年度も人勧凍結などされていない。なお、五七年度の税収不足・歳入欠陥は当初から想定されていたのであるから、給与改訂費を取り崩してまで人勧を凍結する理由とはなりえない。しかも、税収不足を理由に人勧を凍結しながら、五七年度は人勧完全実施所要額をはるかに超える七五六二億円の決算剰余金が生じ、五八年度も一部不実施分をはるかに超える一兆円以上の決算剰余金が生じているのである。
(3) 政府の努力の欠如
政府は、昭和五七年度の歳入確保のため、企業の貸倒引当金、退職給与引当金あるいは企業交際費等に対し七〇〇〇億ないし一兆円規模の課税強化政策を計画していたが、財界からの強い反対に押されてその実施はいずれもゼロないし大幅に減少され、結局三四八〇億円程度の課税強化に止まり、税収不足・歳入欠陥の大きな原因のひとつとなった。
のみならず、仮に当年度に税収不足を生じたとしても財政上のやりくりの方法は十分にあった。例えば、大蔵省証券、国債整理基金、外国為替資金特別会計あるいは資金運用部特別会計の一時的な一般会計繰入れなどは大蔵大臣の裁量で処理することができるし、また、住宅金融公庫への利子補給金を一時繰り延べ、前年度の決算調整基金の取崩し、自動車損害賠償責任再保険特別会計の一般会計繰入れなど、やりくりは十分に可能であった。しかしながら、五七年度はこのような努力は全くされていない(五八年度は「昭和五八年度の財政運用に必要な財源の確保を図るための特別措置に関する法律」、いわゆる財源確保法を制定し、前年度に比べれば財源確保に努めたと認められる。)。更に、両年度とも国債を若干上積みして人勧実施の財源に充てることも可能であった(五七年度の人勧凍結額は三〇〇〇億円であり、五八年度の一部不実施額は三一〇〇億円であるが、これは、当時の国債残高(五七年度九六兆円、五八年度一〇九兆円)に対して僅か0.3パーセント前後の額にすぎない。)。
昭和五七年度の当初予算は給与改訂費として一パーセントを計上していたにもかかわらず、補正予算は、一方で右給与改訂費を削減し、他方で、災害復旧費及び社会保険費を増額した。また、昭和五八年度も、人勧を三一〇〇億円分を不実施としておきながら、同じ補正予算で一五〇〇億円の所得税減税をしたが、右補正予算と平行して編成審議された五九年度予算では九三二〇億円の減税が見込まれていたのであるから、これを前倒しすれば、五八年度の人勧は完全実施できたはずである。
ちなみに、同じ国家公務員であり、かつ、争議行為を禁止されていた当時の三公社五現業職員は、両年度とも代償措置である仲裁裁定が完全実施されたが、このうち国鉄と林野は完全赤字事業であり、一般会計から、赤字を埋める支出を受けているのであるから、人勧のみが完全実施されないのは明らかに不当である。
(4) 結論
以上のとおり、昭和五七、五八年当時の財政事情等に照らすと、人勧の完全実施は可能であったにもかかわらず、政府は、そのための最大限の努力をしていないのである。
(五) 地公法三七条一項の適用違憲
本件争議行為は、地方公務員の争議行為禁止の代償措置である県人勧が完全実施されず、その本来の機能が発揮されていない中で行われたものであるうえ、県が、人勧完全実施に向けて最大限の努力をしていないことは前述のとおりである。かかる場合に、代償措置の本来の機能の回復を求めて相当の手段・態様によってなされる争議行為は、憲法上保障されたものであり、これに関して地公法三七条一項を適用して懲戒処分を課すことは、憲法二八条に違反する。のみならず、本件争議行為は、単純不作為のもので、その規模も僅か早朝二時間(定時制の場合は始業時間前一時間)にすぎず、手段・態様において相当なものである。そしてその影響も、後日回復できないほど重大な教育上の支障を与えるものではない。すなわち、県高校の教職員の業務は、私立学校のそれと異なるところはないが、教育は本来弾力性を有しており、一年間に二時間程度の争議行為があっても、年間の教育目標が達成できないというようなものではなく(普通高校の年間授業時間は三五週を基準とすることが、学習指導要領で規定されているが、それ自体、十分な余裕を見て設定されている。)、まして、県高校教職員の場合は、勤務時間以外においても、生徒の進学、進路指導、部活動指導あるいは生活指導等を献身的に行っているのであるから、僅か二時間の争議行為によって、教育に重大な支障を及ぼすことはありえない。
ちなみに、代償措置が機能していないと認められるためには、将来への明確な展望もなく、長期間人勧が完全に実施されないといった事態が生ずる必要であるという見解を前提にしても、本件争議行為が行われた時点では、代償措置は機能していないといわざるをえない。すなわち、当時の行政当局の発言は、将来への明確な展望を示しているとは到底いえない。例えば、五七年の人勧凍結の時点において、組合員には、その穴埋めは将来もなされないのではないかとの不安や、凍結が何年も続くのではないかとの危倶があったが、これに対する政府当局の明確な発言はなかった。また五八年についても、組合員の人勧の一部不実施が何年も続くのではないかとの懸念に対し、政府当局の明確な発言はなかった。県においても同様であって、県知事をはじめとする県当局は、終始自らの主体性を発揮することなく、国の方針に追従して責任のある発言をしなかった。
また、人勧不完全実施は、昭和五四年における指定職の人勧一部不実施に始まり、昭和五六年には一般職公務員の期末手当が旧ベースで支払われるという異例の措置がとられたのに続いて、昭和五七年、五八年に至って凍結あるいは一部不実施となったのである。そのような意味において、実に五年間にわたって異例の措置が続いたのであるから、本件争議行為当時、人勧不完全実施は数年間にわたっていたというべきである。
(六) まとめ
以上のとおり、本件争議行為当時、代償措置が本来の機能を発揮していたとはいえないから、代償措置本来の機能を求めて相当な手段・態様によって行われた本件争議行為に対し懲戒処分を課すことは、憲法二八条に違反する。
5 懲戒権の濫用
(一) 公務員の懲戒処分と懲戒権の濫用
地公法二七条一項は、懲戒処分の決定が公平適正にされるべきことを規定し、懲戒処分権者の裁量が恣意にわたらないように制約を課している。
(二) 本件処分における懲戒権の濫用
本件処分の適否は、以下の各事情を総合的に判断すべきである。
① 本件争議行為の目的の正当性。本件争議行為は、争議行為禁止の代償措置である県人勧が、数年にわたって完全実施されず、ついに昭和五七年に凍結、五八年に一部不実施となったという事態に対し、県人勧の完全実施を要求する争議行為であって、このように正当な目的の争議行為に関し懲戒処分を課すことは許されない。
② 本件争議行為の影響。本件争議行為は、わずか二時間という短時間のものであり、教育活動への影響は皆無といってよい。
③ 指導行為処分の問題点。本件処分は、当時の新潟高教組役員に対する懲戒処分であり、いわゆる指導責任を問うものである。しかし、本件争議行為は、組合員の民主的討議に基づくものであって、新潟高教組があらゆる手段で人勧の実施を求めたにもかかわらず県当局が誠意ある対応をしなかったため余儀なくなされたものであるから、こうした争議行為に対し指導責任を問うのは不当である。
④ 県及び県教育委員会の態度。被告は、県人勧を実施できない理由として、県の財政事情のほか、国や他県の事情の考慮をあげる。しかし、県には県人勧の実施財源が十分あり、また県当局は、これまで全国の公務員労働者の勤務条件水準を考慮せず、一方的に県教職員の勤務条件を切り下げてきたのであるから、国や他県の人勧不実施を理由として人勧を完全実施しないことは許されない。このような本件争議行為の背景ないし経過を一切考慮せずになされた本件処分は、不当である。
⑤ 本件闘争と世論の支持。県人勧の完全実施は県民も等しく望んでいたものである。
⑥ 本件処分の過酷性。本件処分は現在及び将来への不利益を伴う過酷なものであり、許されない。
以下、詳論する。
(三) 本件争議行為の目的の正当性
地方公務員の争議権制約の代償として設けられた人勧の制度は、地方公務員の給与を改善する唯一の制度であるのに、県当局はこれを無視した。これによって県高校教職員が受けた打撃は重大であって、自らの生活の擁護のために争議行為を行うことは当然の権利として許されるべきである。
ちなみに、人勧凍結分につき一生回復措置がとられない場合の経済的損失は、毎年の給与の減額分や諸手当への影響はもちろん、退職金や年金への跳ね返りをも考慮すると、極めて甚大なものである。
過酷な勤務条件の下で教育の充実のために努力している原告らが、教職員の最低限の勤務条件の確保をめざして人勧の完全実施要求に立ち上がることは当然であり、それに対し懲戒処分を課すことは許されない。
(四) 本件争議行為の影響
本件争議行為の態様は、わずか二時間の単純な不作為にすぎず、デモンストレーションの域を脱していない。県高校教職員の業務は私立学校のそれと異なるところはないが、右程度の争議行為は私立学校では適法とされていることと比較すると、本件争議行為が回復できないような重大な影響を及ぼしたと評価するのは誤りである。教育は弾力性を有しており、災害による休校等の突発的な事故により通常の授業が実施されなくても、年間を通じては教育目標を達成しているのであって、二時間程度の授業中止によって教育目標が達成できないことはない。制度的にも、例えば普通全日制は学習指導要領により三五週を基準として教育過程を編成されているから、時間的に十分な柔軟性を有している。のみならず、本件争議行為の参加者は、争議行為中のホームルームや授業について生徒に細かい指示を与えているのであって、日常の教育努力と生徒との信頼関係からすれば、本件争議行為によって教育が中断しているとはいえない。
(五) 本件争議行為と指導責任
被告は、本件処分の該当事由として、原告らによる会議の開催や議案の提案を問題にする。しかし、本件争議行為は参加者各自の自主的な判断により行われたのであるから、組合本部役員が一般参加者と比較して特段大きな責任を問われるのは不当である。
ちなみに、新潟高教組の争議行為は、全組合員の秘密投票による批准を得て行われるが、本件争議行為の賛成率は、昭和五七年の場合は全組合員の80.4パーセント(参加人数は92.47パーセント)であり、五八年の場合は、81.89パーセント(参加率は92.72パーセント)であった。
(六) 県当局の人勧実施努力の放棄
人勧は、地方公務員の賃金水準改善のための唯一の制度であるから、県当局にはこれを実施するために最大限の努力をする義務があるにもかかわらず、昭和五七年・同五八年の県人勧完全実施のための最大限の努力をしていない。
当時の県財政事情は、昭和五七年の人勧を凍結し、五八年の人勧の一部不実施とするほど逼迫した状況ではなかった。また、県は、独自財政でどこまで県人勧が実施できるか否かの検討もせず、国に対し人勧の実施を求める働きかけもしていないし、他の地方公共団体と人勧実施のための共同の努力もしていない。県のいう努力とは、結局、国や他の都道府県の状況の情報収集のみであった。
県は、それまで教職員について国や他の都道府県の基準を下回る賃金抑制政策をとってきたが、それについては他の動向を考慮せず、県独自の判断を強調していたのであるし、とりわけ、昭和五〇年には、財政健全化を図るとして人事委員会に圧力をかけ、国の人事院勧告より一号低い勧告を出させている。このような経緯からすれば、県は、昭和五七年、五八年にはなお、一層、県人勧の完全実施のための努力をすべきであった。
(七) 県教育委員会の職責と本件処分の無効
地方教育行政の組織及び運営に関する法律二九条は、教育権の独立という観点から、地方公共団体の長は、教育関係予算の作成に際し、教育委員会に対し意見を求めるべきことを規定する。したがって被告は、県人勧の不実施が好ましくないと考えるならば、積極的に県知事に対し意見を述べるべきであるのに、そうした意見具申を一切していない。ちなみに、新潟高教組は、校長らに対し、人勧不実施についての見解を被告に意見具申するように要請し、多くの校長が意見具申をすることを明らかにしたが、被告はかかる校長らの対応を非難するばかりで、教育現場の声を聞こうとする誠実な態度を示さなかった。のみならず被告は、本件処分にあたり考慮すべき、本件争議行為の目的、その影響や原告らの役割を一切考慮せず、争議行為は違法であるという態度に終始した。
このように被告は、本件処分にあたり考慮すべき点を無視したのみならず、人勧の完全実施にむけて当然に期待される職責を果たさなかったのであるから、本件処分の効力は否定されるべきである。
(八) 本件争議行為と世論の支持
本件争議行為は人勧凍結及び一部不実施に反対する闘争であり、本件争議行為への県民世論の支持は強かった。かような本件争議行為に対し、あえて本件処分を課す社会的必要性はない。
人勧凍結あるいは一部不実施は、公務員のみに止まらず他の県民に対しても重大な影響を与えるものであり、これに反対する声は県民の中でも強く、民間労働者も含む県評の大会においていち早く人勧完全実施の決議がなされ、各地域で民間労働者を含めた集会も開催されている。こうした県民の声を反映して、県議会でも人勧完全実施を求める決議がされ、地方議会の人勧凍結解除決議は四五町村に及んだうえ、人勧凍結等に対するマスコミの批判が大きかったことは周知である。
(九) 本件処分の苛酷性
本件処分は、軽いもので戒告処分、重いものは減給一〇分の一・三か月というものである。戒告処分そのものによる経済的損失はないが、県では、その後の昇給期間が三か月延ばされることが例外なく行われており、この昇給延伸は、その後の給与や退職金・共済年金の額に大きく影響する。このように原告らの経済生活に重大な影響を及ぼす本件処分は、本件争議行為の目的・態様に照らすと、余りに苛酷というべきである。
(一〇) 結語
以上のとおり、仮に本件争議行為が形式的には違法であるとしても、その目的、影響、原告らの行為の指導性の欠如、県及び被告の人勧実施に向けた努力の欠如、世論の動向、新潟高教組のこれまでの活動、原告らの日常の教育努力、本件処分の苛酷性などに鑑みれば、本件処分は懲戒権を濫用してなされたものというべきである。
(被告の反論)
1 地公法三七条の法令違憲について
(一) 憲法二八条違反について
公務員は、自己の労務を提供して生活の資を得ている点において一般の労働者と異なるところはなく、憲法二八条にいう勤労者にあたる。しかしながら、国民はその自由ないし権利を濫用してはならず、常に公共の福祉のためにこれを利用する責務を負うのである。この理は、労働基本権についてもそのまま妥当するのであり、公共の福祉、すなわち、国民ないし地方公共団体の住民全体の共同の利益の見地に基づく制約を受けねばならない(最大判昭和四八年四月二五日刑集二七巻四号五四七頁・全農林警職法事件判決)。そして、そもそも労働基本権は、労働者の生存権保障の手段として認められた権利であって、それ自体が目的とされる絶対的なものではない。したがって、労働基本権といえども、他の憲法上の要請との調整を図る合理的理由が存し、かつ、労働者の生存権を実効あらしめるための代償措置が用意されている場合には、一定の制限を受けることは憲法上許されるのである。
ところで、公務員は、国民ないし地方住民全体の奉仕者として、国ないし地方公共団体の事務を担当し、その公共的な政策を遂行することによって、実質的な使用者である国民ないし地方住民全体の利益・幸福のために活動する職責を有する。これを地方公務員についていえば、その使用者は、実質的には地方公共団体あるいはその機関でなく、地方住民というべきであり、地方公務員はこれに対し労務提供義務を負い、その職務は直接、公共の利益のための活動の一環をなすという公共的性質を有している。したがって、地方公務員が争議行為を行うことは、右のような地位の特殊性及び職務の公共性と相容れないばかりでなく、公務の停廃をもたらし、地方住民全体の共同利益に重大な影響を及ぼすおそれがあることは明らかである。
憲法は、議会制民主主義、及び、その財政面における帰結としての財政民主主義の原則を規定しているが(憲法四一条、八三条)、このような国の財政に関する憲法上の原則は、事の性質上必要な修正を加えつつ、そのまま地方公共団体の財政にも妥当する。公務員の勤務条件の中には、給与のように国ないし地方公共団体の経費支出と直結するもの、勤務時間・休日のように所要人員への影響をつうじて経費支出と関連するもの、経費支出との関連性がより薄いものなど、様々のものがあるが、それらは等しく財政処理と関連する。そして財政処理の権限は地方議会に属するから、これら地方公務員の勤務条件を決定する権限も、当然に地方議会に帰属する。そして給与の支給が地方住民ないし国民からの税収等によって賄われることからすれば、勤務条件の決定に当たっては、地方公共団体における政治的・財政的・社会的、その他諸般の事項について合理的な配慮がなされるべきである。この場合、私企業の労働者のように団体交渉による労働条件の決定という方式は当然には妥当しないから、公務員の争議権は、団体交渉の裏付けとしての本来の機能を発揮する余地に乏しいものである。また、私企業における労働者の要求は、企業自体の存立を維持しなければならないという面からの制約を免れず、争議行為についてもいわゆる市場の抑制が働くのに反し、公務員の場合は、このような制約や抑制が作用する余地がほとんどないから、公務員による争議権の行使は、地方議会の民主的手続によるべき勤務条件の決定に対し、不当な圧力を加え、これを歪めるおそれがあるといわなければならない。
その反面、地方公務員は、法定事由がなければ免職等をされないとの身分保障を有し(地公法二七条二・三項)、給与・勤務時間その他の勤務条件は条例によって法定され(同法二四条六項)、これらは任命権者が独自に変更できない建前になっており、地方公共団体は勤務条件が社会一般の情勢に適応するように随時、適当な措置を講じなければならないとされている(同法一四条)など、法令による保障を受けている。また、第三者的立場から地方公務員の勤務条件に係る利益を保障するための機関として、人事委員会または公平委員会が設けられており、地方公務員は勤務条件に関し、これらに対して措置要求をすることができる(同法四六ないし四八条)ほか、不利益処分を受けたときは審査請求をすることもできる(同法四九条の二)。人事委員会は地方公共団体の長から独立した第三者的機関であって、多くの権限を有し、その委員は議会の同意を得て県知事が選任するものである(確かに、人事委員会が行う給与勧告には法的強制力はないが、勤務条件の決定は、他の公共的要請との調和を図りつつなされなければならない、高度に政治的・政策的なものであるから、それにふさわしい能力と資格をもった議会が、その政治的責任において行うのが民主主義に合致する。)。したがって、現行の人事委員会は、生存権保障の見地からする代償措置としての要件を十分に充たしているというべきである。
以上のとおり、地方公務員の労働基本権は、その地位の特殊性、職務の公共性及び財政民主主義という憲法上の要請から、地方住民ないし国民全体の共同の利益と調和するように制約されてもやむを得ず、かつ、現行法上よく整備された生存権保障のための代償措置が設けられているから、地公法三七条一項は、憲法二八条に違反しない。
(二) 憲法九八条二項違反について
八七号条約及び九八号条約が公務員の争議権を保障しているとの原告らの主張は、その前提において誤っている。のみならず、原告らは、ILOの諸機関の報告あるいは勧告が、あたかも法的拘束力を有するかのように主張するが、それらは国による批准を伴わないものであって、法的拘束力を持たないことは多言を要しない。
ILO第三〇回総会は、昭和二二年、「結社の自由ならびに団結権および団体交渉権の保障に関する決議」をしたが、その第一部は結社の自由に関するもの、第二部は団結権及び団体交渉権の保障に関するものであり、その内容は、結社の自由に関し、第一部は国の不当な干渉からの自由を保障し、第二部は使用者の不当な介入からの自由を保障するものであった。しかしながら、八七号条約は、第一部の結社の自由については具体的に条文化したが、第二部の団結権の保障については一般的規定のみを置く形で、昭和二三年の第三一回総会で採択された(右使用者からの自由に関する原則を具体化しその適用を定めたものが九八号条約であり、昭和二四年の第三二回総会で採択された。)。
八七号条約は、争議権に関する明文の規定を置いておらず、争議権の保障を目的とするものではないのであって、このことは、同条約のわが国における締結および批准の経緯からしても明らかである。そもそも、条約の締結および批准に際しては、憲法あるいは法令等の国内法規との間に矛盾や抵触が生じないか慎重な審議がなされ、矛盾あるいは抵触がある場合には、条約の一部分を留保するか、国内法規を改正することになる。ところで、八七号条約の締結および批准に際しては、地公法を一部改正して調和を図ったのであるが、その際、国会においては、八七号条約は争議権の保障を含むものではないことが前提とされていたのである。
また、九八号条約は、公務員の争議権を保障したものではない。すなわち、同条約の第六条は「この条約は、公務員の地位を取り扱うものではなく、また、その権利又は分限に影響を及ぼすものと解してはならない」と明記している。原告らは、右条文の英語の正文を根拠に、国の行政に従事する公務員あるいは管理職的地位にない教育公務員は、適用を除外されていない旨主張するが、やはり同条文の正文であるフランス語では、「fonctionaires pub-lics」(英語の「pubic servants」に当たる。)とあるから、同条は、日本語文どおり「公務員」と理解されるべきであり、原告らの右主張は失当である。なお、同条約が公務員を適用除外しているのは、公務員の労働条件は法令によって定められるべきだからであって、九八号条約の締結および批准に際しても、同条約が公務員に適用されるものではないことが当然の前提とされており、国内法の改正もされていない。
2 地公法三七条の適用違憲について
(一) 争議行為の目的と代償措置との関係
原告らは、人勧が完全実施されないことをもって、直ちに代償措置は機能を喪失すると主張する。しかしながら、代償措置には、公務員の身分保障あるいは勤務条件の法定等も含まれるのであり、人勧制度が唯一の代償措置ではない。そしてこれらを総合してみれば、代償措置は制度上適切に整備されているということができるから、原告らの右主張は失当である。
そして、議会がその政治的責任において行った裁量判断の結果として、人勧の全部または一部が実施されない事態が生じたとしても、それは財政民主主義の建前上やむを得ないことであり、これを捉えて直ちに代償措置が機能を喪失したというのは相当でない。
(二) 国及び県の財政事情について
(昭和五七年度の人勧凍結について)
昭和四八年一〇月及び同五三年一二月の二度にわたる石油ショック後の世界的な不況下において、政府は、積極的な財政運営に努めたが、高度成長期のように十分な税収を確保することはできず、財源の多くを国債に依存することとなった。その結果、国債残高は年々累積し、昭和五七年度末の国債残高は約九七兆円(同年度の予算総額の約二倍)に、補正後の予算における国債依存度は実に30.2パーセントに達し、他国に比べ極めて高い状況であった。
このような財政事情の急激な悪化に伴い、景気対策をはじめとする国の重要施策を機動的に実施することが困難であるのみならず、昭和六〇年度からは赤字国債の大量償還が始まるという状況下においては、国の財政を赤字国債依存体質から脱却させ、財政基盤を健全化することが、緊急かつ最大の国民的課題であった。そして、当時の世論は、増税に反対であり、まず財政支出の削減に最大の努力を払うべきであるとするのが大勢であったのである。このため政府は、歳出削減や合理化等の努力を重ね、特に一般歳出の増加率を、昭和五〇年度から五四年度までの平均一八パーセントから、五五年度は5.1パーセント、五六年度は4.3パーセント、五七年度にはわずか1.8パーセントに抑制した。
にもかかわらず、五七年度には、全税収の一七パーセントにあたる六兆円を超える巨額の税収不足が見込まれるという、かつてない危機的状況が生じたので、内閣総理大臣は九月一六日、「財政非常事態」宣言をし、財政再建のため一層徹底した歳出削減及び受益者の相応の負担について、国民各層に協力を訴えるに至った。
そのほか、政府は、五七年八・九月に発生した台風その他の災害の早期復旧のために史上最大規模となった追加経費を捻出する必要から、歳出及び歳入を全般にわたって見直し、当初予算から三兆三〇〇〇億円の一般財政経費を削減するとともに、なお不足する歳入に充てるため、国債の発行予定額を当初予算の約一〇兆円に三兆九〇〇〇億円追加すること等を内容とする、補正予算を提出し可決させた。
また、わが国の財政を、歳出の徹底した削減を中心として再建し、行財政運営の基盤を確立するためには、抜本的な行財政改革を推進することが必要であるとするのが当時の世論であった。そのため政府は、昭和五五年一二月に成立した臨時行政調査会設置法に基づいて、五六年三月に同調査会を発足させ、行財政改革のあり方を諮問したところ、調査会は、五八年三月までに五次にわたる答申をし、これに基づき、政府は行財政改革に取り組んだ。
ところで政府は、人勧についてはこれを尊重するとの基本方針を従来より堅持しており、悪化する財政状況の下においても、あらゆる努力を尽くしてこれを実施してきた。しかし、昭和五七年度は、前述のようにかつてない危機的な財政状況となったので、政府は、やむを得ず同年度の人勧凍結を決定したのである。この決定に際しては、財政非常事態に対応するためには抜本的な行財政改革を推進しなければならず、それが広く国民各層に苦痛をもたらすものである以上、公務員にもその痛みを分かち合うよう求めざるをえないということも考慮された。
ちなみに人事院は、民間企業と国家公務員の賃金実態を詳細に調査・比較し、国家公務員の賃金が社会一般の情勢に適応するように差額の引き上げを勧告するのであって、その際、国の財政事情は考慮に入れられていない。財政事情が悪化し、財政需要に対して財源が枯渇するという異常事態に陥った昭和五七年については、政府は国政全般との関連を考慮して人勧凍結を決定し、国会もそれを是とした。
(昭和五八年度の人勧一部不実施について)
昭和五八年一〇月二一日、次のような閣議決定がなされた。
① 一般職の職員の給与に関する法律の適用を受ける国家公務員の給与については、去る八月五日に人事院勧告が行われたところであり、労働基本権の制約、良好な労使関係の堅持等に配慮しつつ、慎重に検討を進めてきたところであるが、現下の経済社会情勢、異例に厳しい財政事情、国民的課題である行財政改革が推進されている中における国民世論の動向等を総合的に勘案し、昭和五八年四月一日から平均二パーセントの改定を行うものとし、その配分については、人事院勧告の趣旨に沿って措置するものとする。
② 特別職の国家公務員については、概ね①の趣旨に沿って、その給与の改定を行うものとする。
③ 前記の給与改定の実施財源については、目下のところ必ずしも目処が立っていない状況にあるが、既に留保措置を講じている行政経費について節約を行う等、今後引き続き、各般にわたる財源捻出に努めるものとする。
また、人件費の累増を抑制するため、次の各般の措置を講ずるものとする。
・第六次定員削減計画を強力に推進すると共に、新規増員を厳しく抑制するほか、定年制度の施行に伴う離職者の発生状況の変化を勘案しつつ、適切な定員管理を行うこととし、国家公務員数の一層大幅な純減を図る。
・行政事務・事業の整理、民間委託、人事管理の適正化等行政の合理化、能率化を積極的に推進すると共に、これに伴い定員の合理化に努める。
・地方公共団体に定員の増加を来し、人件費の累増をもたらすような施策を厳に抑制する。
このような国の措置にならい、各都道府県は、昭和五七年度は四七都道府県の全てが給与改定を見送り、翌五八年は、四六都道府県が1.5パーセント以上2.5パーセント未満の給与改定率(残りの一つは四パーセント以上の改定率)という状況となった。
地公法二四条三項には、「職員の給与は、生計費並びに国及び他の地方公共団体の職員並びに民間事業の従業者の給与その他の事情を考慮して定めなければならない」と規定されている。県が、昭和五七年度及び五八年度の人勧について、他都道府県と同様の措置をとったことは、右規定の趣旨に従ったものであり、相当である。
(三) いわゆる画餅論について
当時の新聞報道の、人勧凍結等の措置は財政上やむを得ないものであり、一年限りであるなどの論調から明らかなとおり、当時、人勧制度そのものが画餅に帰していた状況であったとは、到底いえない。
また、本件争議行為のうち昭和五七年の争議行為は、人勧凍結が確定された昭和五七年度補正予算の成立時(昭和五八年三月一九日)より前にされている。しかし、右補正予算成立時までは、例えば総務部長・地公労交渉など、人勧の実施に向けた努力がされていたのである。したがって、右争議行為は、スケジュールに従って実施されたのであって、人勧凍結を受けてやむを得ず行われたものではない。現に岩手県教組や同県高教組など、同日の争議行為を中止している教職員団体もあったことに留意すべきである。
また、昭和五八年度の争議行為も、当時既に二年連続の凍結は避け、財政事情が許す範囲で実施することが見込まれており、人勧は右争議行為後に出されたことからしても、これまた決められたスケジュールに従って実施されたものであり、人勧の一部不実施を受けてやむを得ず行われたものではないのである。
3 懲戒権の濫用について
(一) 懲戒処分に対する司法審査
公務員に対する懲戒制度は、公務員に法令違反等があった場合に、公務員関係の秩序維持を目的として行われるものであるが、地公法は、二九条一項各号所定の事由がある場合にすることができる旨を規定するのみである。したがって、懲戒処分をするか否か、いかなる処分を選択すべきかは、懲戒権者の幅広い裁量に委ねられているのである。そして裁判所は、合理的な裁量の範囲内の処分は取り消すことができず、裁量の範囲を超え、その濫用があった場合に限って、これを取り消すことができるにすぎない。すなわち裁判所は、懲戒処分の適否を審査するにあたっては、懲戒権者と同一の立場に立って懲戒処分をすべきであったか又はいかなる処分を選択すべきであったかを判断し、その結果と懲戒処分とを比較して処分の当否を論ずべきではなく、懲戒権者の処分が社会観念上著しく妥当を欠き、裁量権を濫用したものと認められるか否かという観点から判断すべきである。
(二) 本件処分の適法性
まず、本件争議行為が人勧の完全実施を目的として行われたことが、争議行為を正当化する根拠とならないことは、前述のとおりである。
次に、本件争議行為の及ぼした影響は重大なものであった。いうまでもなく教育は、これを受ける者各自の利益はいうに及ばず、わが国が文化国家・福祉国家として存立し反映していく基盤となる意味においても非常に重要な事業であり、教育公務員は、かかる重要事業を通じて国民全体に奉仕する重要な職責を負っている。そして学校教育は、感受性豊かな成長期にある児童生徒の人格の完成を目指してなされるものであり、その場面に携わる者の片言一句・一挙手一投足は児童生徒の人格形成に重大な影響を及ぼす力を有するのであるから、単なる知識の切り売りや技能の教示のように、仮に授業の遅れを生じたとしても後にこれを回復することによって完遂できるというような性質のものではなく、人と人、心と心の触れ合いの中で、教育に携わる者の全人格的対応を通じてされるべきものである。この意味において、学校教育に携わる者が行う争議行為の影響は重大なものがあるといわざるをえない。まして、本件争議行為は、校長の警告を無視して強行されたものであり、授業への影響はいうに及ばず、かねて遵法精神を説きながら自らは違法な争議行為を敢行することによって、児童・生徒に遵法精神を歪曲した形で教える結果になるとともに、教職員に対する信頼感を失わせ、純真無垢な児童・生徒に精神的動揺・学習意欲の減退等の計り知れない支障を与えたものであり、その結果は、児童・生徒の利益はもちろん、住民ないし国民、ひいては国家の利益に対して、重大な悪影響を与えたといわなければならない。
次に、原告らは本件処分の苛酷性を主張するが、懲戒処分にともなう昇給延伸措置は、懲戒処分自体の効果ではなく、給与制度上の措置にすぎない。すなわち、県の「一般職の職員の給与、勤務時間等に関する条例」一二条一項は、「職員が現に受けている号給を受けるに至った時から、一二月を下らない期間を良好な成績で勤務した時は、一号給上位の号給に昇給させることができる」と規定しているのであるから、昇給は、職員の当然の権利として認められているのではない。したがって、懲戒処分を受けた職員が、勤務成績が良好であることの証明を得られないものとして最短期間の昇給を得られなかったとしても、なんら不合理はないのである。
最後に、県において人勧の完全実施が不可能であった事由は、以下のとおりである。
昭和五七年度は、国が未曾有の危機的財政状況にあるとして人勧を凍結することとし、一一月二六日招集の臨時国会において、一般会計歳出予算に計上した国家公務員の給与改善費の減額補正をするとともに、地方交付税特別会計についても、地方公務員の給与改善財源として予定されていた交付税の減額補正をしたのを受けて、都道府県で人勧を実施したものは皆無であった。県人勧は職員一人当たり平均4.57パーセントアップの給与改定を求める内容であったから、県においてこれを完全実施するためには約九三億円の財源を必要とする。しかしながら、給与改定に充当すべき地方交付税額は右のとおりであり、県税収入は当初に比べ約八七億円の減収が予想され、財政調整基金も年度当初において既に一一〇億円を取り崩してしまったので残高約一〇八億円にすぎず、次年度以降の財政事情を勘案すれば、その流用は困難であった(次年度に七五億円の取り崩しが予定されていた。)。
昭和五八年については、国は、経済情勢、厳しい財政事情及び行財政改革が推進されている下における国民世論の動向等を総合的に勘案して、給与改定を平均2.03パーセントアップに決定・実施し、他の都道府県も、国に準じた改定を実施した。県人勧は職員一人当たり平均6.49パーセントアップの給与改定を求める内容であったから、県においてこれを完全実施するためには約九八億円の財源を必要とする。しかし、これだけの財源を県独自で確保することは不可能な状況であり、国もそのための財源措置をしないことを決定したので、県は、平均2.04パーセントアップの給与改定に止めたのである。
以上のとおりであるから、原告らが主張する懲戒権濫用の根拠はいずれも失当であり、本件処分は適法である。
第三 当裁判所の判断
一 本案前の主張について
被告は、原告らが本件争議行為をしたことを自認している本件においては、地公法三七条二項により、任命上又は雇用上の権利をもって被告に対し対抗できないから、本訴は不適法である旨主張する。
地公法三七条二項は「職員で前項の規定に違反する行為をしたものは、その行為の開始とともに、地方公共団体に対し、法令又は条例、地方公共団体の規則若しくは地方公共団体の機関の定める規程に基いて保有する任命上又は雇用上の権利をもって対抗することができなくなるものとする。」と規定するが、その趣旨は、同条一項(職員の争議行為等の禁止)を受け、これに違反して争議行為等をした場合、職員はその分限及び懲戒において不利益取扱いを受ける可能性があることを規定することによって、公務員の争議行為禁止の趣旨をより明らかにしたものであると解するのが相当である。すなわち、具体的には、同項は、任命権者は、争議行為を理由として降任・免職あるいは懲戒処分をすることができることを意味するのみであって、同項から直接特定の法効果が生じる訳ではない。被告の主張は、争議行為の存在に争いがない場合、それを理由とする不利益処分についての司法審査の可能性を否定することに帰し、到底採用できない。
二 本件争議行為の処分事由該当性について
1 本件争議行為当時、①原告らが、新潟高教組において、いずれも被告主張のとおりの役職にあり、各役職の職務権限が被告主張のとおりであること、②新潟高教組の執行部が、本件争議行為に関し、被告主張のとおりの日時に、定期大会・定期県委員会あるいは臨時大会を開催し、被告主張のとおりの内容の提案をし、大会等において被告主張のとおりの議決がなされたこと、以上の事実は当事者間に争いがない。
2 右当事者間に争いのない事実及び甲あ一の一・二、六〜八、九の一・二、一〇、一一の一・二、一二〜二二の二、二七〜三八、三九の一・二、四〇の一〜四、四一〜五三、五五、五六〜六一、甲い五、六、一一、一六、三四、甲う二の一・二、三、四、六、一三、二三、二四、乙一〜四、六、八〜一三、一六、一七、一九、二一〜二三、二六、三二〜五五、五七の一〜三、五八の一・二、六〇〜六八、七八、七九、八一、九二、九三、九八、一〇二、一〇六の一・二、一〇八、一一五、一一六の一・二、一二一、証人大西厚生、同木村毅、同槇枝元文、原告本人小山正明、同丸山勉、同渡辺英明によれば、以下の事実が認められる。
(昭和五七年度の争議行為について)
(一) 原告らは、昭和五七年度の運動方針案としての一つとして、「春闘を中心とする大幅賃上げ、制度・生活要求実現のたたかい」を掲げ、その中で人勧に関し、「人勧完全実施のたたかいを強化します。そのため、勧告前および確定期にはストライキを含むねばり強いたたかいを組織してたたかいます。」との内容を運動方針とする旨決定し、六月一日から二日にかけて新潟高教組第三三回定期大会を開催、右運動方針案を提案し、右運動方針案は、議決された。
(二) 政府は、逼迫した財政事情から、公務員の給与による歳出を抑制する姿勢を示していたところ、人事院は、八月六日、国会及び内閣に対し、平均4.58パーセントの賃上げを主な内容とする人勧をした。しかし、政府部内では、右人勧がされた後も公務員給与の抑制論が大勢を占めており、右人勧を完全実施すると地方財政が大きく逼迫するとの自治省の試算も示された。
(三) こうした中、原告らは、人勧の完全実施・早期支給を要求するため、九月一〇日の新潟高教組第五六回定期県委員会における議案として、同年度の「たたかいの具体的なすすめ方」、「確定の重要段階では、ストライキを含む公務員共闘、日教組の全国統一行動を組織してたたかいを強力に展開」する旨の実施方針を決定し、右委員会はこれを議決した。
(四) 九月一六日、内閣総理大臣鈴木善幸が、国の財政事情は危機的状況にあるとして事実上の「財政非常事態宣言」を行って、人勧の凍結を示唆し、このような異例の措置を辛抱してほしいなどと発言したのを受けて、同月二〇日、給与関係閣僚会議は同年度の人勧を凍結する旨を決定し、同月二四日、公務員の給与改定を見送る旨の閣議決定がなされた。なお、同決定では、地方公務員についても、国家公務員に準じた措置を講ずべきであり、その旨地方公共団体に要請するものとされ、同日、同趣旨の自治事務次官通達が発せられた。
(五) 県の人勧は、一〇月一六日、平均4.57パーセントの賃上げを主な内容としてなされた。新潟高教組は、人勧の完全実施を求めて県当局と交渉したが、県当局は、国の人勧凍結決定を受けて、完全実施に難色を示した。
(六) このような状況を受けて、原告らは、一〇月二六日の新潟高教組第三四回臨時大会における議案として、「たたかいの具体的すすめ方」、「人勧凍結撤回、人勧完全実施のたたかいの山場には、日教組の方針(日教組執行部原案は午前半日)によるストライキ戦術を配備してたたかいぬきます。(中略)ストライキ批准投票は、一一月九日〜一一日におこない、一一月一三日一一:〇〇からの支部・分会代表者会議で確認し、確立します。」との内容を決定し、これを右臨時大会に提案し、右議案は議決された。
(七) 原告らは、組合員らに対し、「圧倒的多数でストライキ批准を成功させよう」と題し、日教組が最重要段階には午前半日のストライキ戦術をとる方針を決定したことを知らせ、ストライキへの賛同を呼びかけることを内容とする一一月二日付け新潟高教組の機関紙「新潟高教組」速報を配布し、ストライキ批准(ストライキ戦術への賛成投票)が圧倒的高率でなされるよう情宣した。そして同月中に行われたストライキ批准投票は、80.4パーセントの賛成率であった。
(八) 原告らは、組合員らに対し、日教組が公務員共闘の統一ストライキ決定を受けてストライキ第一波を一二月一六日に決定したことを知らせ、各分会においてストライキ体制を確立することを呼びかける内容の一二月一〇日付け「新潟高教組」速報を配布し、ストライキ実施決定を伝えるとともに、ストライキに備えることを呼びかけた。これに基づき、各支部・分会ではオルグ活動が展開された。
(九) 新潟高教組と県当局との間では、人勧実施への交渉が断続的に続けられていたが、県当局の対応は、原告らの希望する方向にはなかなか向かわなかった。
(一〇) 被告は、一二月一五日、県教育委員会教育長名で新潟高教組の執行委員長に宛てて、争議行為を行わないよう警告文を発した。しかし、原告らは、各分会にストライキ突入指令を発し、一二月一六日に本件争議行為が実行された。
(一一) しかしながら、結局、県当局は、給与改定の措置をとらず、県の人勧は凍結された。なお、同年度は地方公務員の給与改定を行った都道府県は、一つもなかった(一市町村だけが独自に実施した。)。
(昭和五八年度の争議行為について)
(一) 原告らは、昭和五八年度の運動方針案の一つとして、「人勧完全実施をはじめとする、生活・制度要求実現のたたかい」を掲げ、人事院勧告の完全実施をめざすため、人事院勧告から閣議決定にいたる時期を中心に、ストライキを含むねばり強いたたかいの展開をはかること、及び、前年度のストライキに対する賃金カットと今年度の人勧完全実施のための闘争とを結合することなどを運動方針とする旨決定し、また、たたかいの具体的すすめ方として、「当面、人事院勧告期から閣議決定期のたたかいを重視し、全力をあげてたたかい(中略)閣議決定期のたたかいの山場には、日教組のストライキ戦術(早期二時間、夜間終了前一時間)にもとづいてたたかいぬき(中略)ストライキ批准投票は七月七日(木)〜九日(土)におこな」うことを決定し、六月一七日から一八日にかけて新潟高教組第三五回定期大会を開催、右運動方針案を提案し、同案は議決された。
(二) 七月中に、ストライキ批准投票が実施され、開票の結果、ストライキの賛成率は81.89パーセントであった。
(三) 臨時行政改革審議会が同年度の人勧の実施につき慎重な提言をするなか、人事院は、八月五日、国会及び内閣に対し、平均6.47パーセントの賃上げを主な内容とする人勧をした。しかしながら、政府は、二年間連続の凍結はありえないものの、実施時期あるいは金額の点で人勧の抑制をするとの方針を示した。
(四) このような状況のもと、原告らは、人勧の完全実施の要求を貫徹させるべく、八月二七日付け「新潟高教組」速報で組合員に対し、ストライキの体制づくりとそれへの参加を呼びかけた。これに基づき、各支部・分会でオルグ活動が展開された。
(五) 被告は、一〇月六日に県教育委員会教育長名で新潟高教組の執行委員長に宛てて、争議行為を行わないよう警告文を発した。しかし、原告らは、各分会にストライキ突入指令を発し、一〇月七日、本件争議行為が実行された。
(六) 一〇月一七日、平均6.49パーセントの賃上げを主な内容とする県の人勧が出された。
(七) 政府は、一〇月二一日、人勧(平均6.47パーセントの賃上げ)を圧縮して、平均二パーセント賃上げの給与改定をすること、地方公務員の給与改定もこれら国家公務員に準ずるべきである旨の閣議決定をし、同日、同趣旨の自治事務次官通達が発せられた。
3 右認定事実によれば、原告らは、本件争議行為当時、執行機関である執行委員会の構成員として、本件争議行為の実施を内容とする運動方針案等を決定し、定期大会、定例県委員会あるいは臨時大会を開催して右運動方針案等を提案し、議決された運動方針等に従って本件争議行為突入の指令を発したのである。このような本件争議行為の実施に至るまでの原告らの一連の行為は、本件争議行為を企て、その遂行を共謀したものであるとの評価を免れることはできず、いずれも、地方公務員法三七条一項の規定に違反するというべきである。すなわち、争議行為を企てるとは、争議行為の実行計画の作成、その議決のための会議の開催など、争議行為発生の具体的危険を生じさせる行為を指し、遂行の共謀とは、争議行為実行のための具体的計画の謀議行為を指すと解されるところ、原告らは前記のとおり、日教組が決定したストライキ戦術を新潟高教組の具体的運動方針とするため、前記各会議を開催して右運動方針を提案し、議決された運動方針を組合員らに周知徹底させ、かつ、その実行に向けてオルグ活動を呼びかける文書を作成、配布しているのである。原告らのこれらの行為は、実質的には、争議行為実施の日時・態様等を具体的に企画し、それに向けて組合員らを組織化するものであって、争議行為実施を惹起する具体的危険を有する行為、いわば争議行為の原動力又は支柱となる行為というべきであるから、地公法三七条一項の規定に違反する行為に該当することは明らかである。
三 地公法三七条一項と憲法二八条について
公務員も、勤労者として自己の労務を提供することによって生活の資を得る労働者にほかならず、したがって憲法二八条が規定する労働基本権の保障が及ぶことは論をまたない。
しかしながら、労働基本権は、理念的権利である生存権を背景とし、労働者の経済的地位の向上のための手段として認められたものであり、それ自体絶対的なものではありえないから、国民全体の公共の利益と調和するように制約されることがあるのは当然の事理である。これを地方公務員についてみれば、地方公務員は住民全体の奉仕者として公共の利益のためにのみ労務を提供しなければならないのであるから(地公法三〇条)、その職務は、地方公共団体の行政運営の一環をなすという特殊な性格を有する。したがって、地方公共団体の行政が円滑かつ能率的に運営されるためには、地方公務員すべてが、その担当する職務内容に関わりなく、それぞれの職務を完全に遂行することが必要不可欠である。それゆえ、地方公務員が争議行為を行って職務を放擲することは、その職務の特殊性と相容れないものであって、争議行為によって行政の運営に停廃を来すことは、住民全体の利益に重大な影響を及ぼすおそれがあることは多言を要しない。また、地方公務員の勤務条件は、法律及び地方公共団体の議会が制定する条例によって定められ、とりわけ、その給与は地方公共団体の税収等の財源によって賄われるのであるから、専ら地方議会が、その地方公共団体の政治的・財政的・社会的その他諸般の事情を合理的に配慮して決定すべきものであって、地方公務員の争議行為が使用者としての県当局に対して行われると、県当局自体では解決できない問題に直面することになる。このように公務員については、民間における労働者のように団体交渉による労働条件の決定という方式は当然には妥当しないから、争議権も、団体交渉の裏付けとしての本来の機能を発揮する余地に乏しいといわざるをえないのである。
しかしながら、その反面、前記のとおり公務員も憲法により労働基本権が保障されているのであるから、この保障と、住民全体の利益の擁護との間の均衡が保たれる必要がある。したがって公務員の労働基本権を制限する場合には、この間の均衡を保つような代償措置が必要であるが、地方公務員については国家公務員とほぼ同様に、その任免、服務その他の勤務条件に関し利益保障の詳細な法律(地公法)の定めがある上、人事院制度に対応する人事委員会又は公平委員会の制度が設けられているから(人事委員会又は公平委員会の職務権限は、人事院のそれと若干異なるけれども、中立の第三者的立場から公務員の利益を保障すべき機構として必要な職務権限を有するといえる。)、制度上、前記の均衡を保ちうるような最小限の代償措置は講じられているとみるべきである。
この点について原告らは、代償措置は、①実質的に対等な交渉に代わるものとして、当事者の参加が認められること、②決定された結論は、使用者を拘束し、確実に実施されることが必要であるとして、わが国の人勧制度は、到底右要件を具備しているとは認められないと主張する。
しかしながら、人勧の制度は、公務員の給与、勤務時間その他の勤務条件について、民間労働者の実態の調査に基づいた、いわゆる情勢適応の原則(地公法一四条)により、第三者的立場から議会あるいは行政当局に対する勧告または報告を義務づけているのであり、このような制度を通じて、公務員の労働基本権の制約と全体の利益の擁護との均衡を保とうとしているのであって、実質的に対等な労使間の交渉そのものに代替すべき制度として設けられているのではない。したがって、原告らが主張する各要件を具備していないからといって、直ちに、現行の人勧制度が公務員の労働基本権の制約と全体の利益の擁護との均衡を保つための制度たりえないということはできない。
原告らは、人勧制度以外の代償措置とされるものについて、公務員の身分等に関する詳細な法定は、元来、全体の奉仕者という公務員の地位・職務の特性から、国民のための公務員制度を確立しようとしたものにほかならず、給与等の勤務条件法定主義も、憲法二七条二項に基づき、労働条件の法定基準を公務員について定めたもので、争議行為禁止の代償と結びつくものではなく、また、不利益処分等に対する審査請求の制度は、一般的な行政処分に対する行政不服審査制度を公務員に対する不利益処分について規定したものであり、いずれも公務員の争議権を制約したこととは無関係である、などと主張する。
しかしながら、これらの制度が、法律事項に反する行政当局の行為を覊束するという形を通じて、事実上公務員の勤務条件を保障する機能を果していることに疑問の余地はなく、少なくとも民間労働者の労働条件の保障と同程度の保障機能を果していることは明らかというべきである。
よって、原告らの右主張は採用しない。
以上のとおり、地公法三七条一項は、地方住民全体の利益の見地からみてやむをえない制約であり、憲法二八条に違反するとはいえないと解するのが相当である(最高裁昭和四八年四月二五日大法廷判決・刑集二七巻四号五四七頁、最高裁昭和五一年五月二一日大法廷判決・刑集三〇巻五号一一七八頁参照)。
四 地公法三七条一項と憲法九八条について
原告らは、地公法三七条一項は、ILOの宣言する結社の自由の原則、これを具体化した八七号、九八号条約に反し、よって、憲法九八条二項に違反して無効であると主張する。
そして、ILO憲章及びその附属書であるいわゆるフィラデルフィア宣言が結社の自由の原則の保障をうたっていること、これを受けて八七号及び九八号条約は結社の自由の原則をさらに一層具体化して保障していること、わが国がILOに加盟し、同憲章は国会の承認を得て公布され、八七号及び九八号条約もそれぞれ批准され、国会の承認を得ていることは当事者間に争いがない。
しかし、甲お一一によれば、八七号条約は結社の自由及び団結権の保障を規定したものであり(団結権については抽象的な規定を置くのみである。)、九八号条約も団結権及び団体交渉権の保障を規定したものにすぎず(団体交渉権については抽象的な規定を置くのみである。)、いずれも争議権を保障したものではない(最高裁平成元年九月二八日第一小法廷判決・集民一五七巻六五五頁参照)。
原告らは、八七号条約は、採択当時、争議権に言及しない条約として締結されたものの、その後のILO諸機関の検討を通して、争議権保障を含むものと理解されている旨主張する。しかしながら、条約の解釈につき、ILOの関係諸機関の解釈は尊重すべきことは当然であるが、それに当事国たるわが国が拘束される理由はないばかりでなく、右ILO諸機関の解釈は、そもそも、八七号条約締結後に示されたものであるから、それによって、当初争議権に言及していなかった条約の効力がこれに及ぶということは、理論的に失当である。
原告らの右主張は失当であり、採用しない。
五 地公法三七条一項の適用違憲について
原告らは、人勧制度がその本来の機能を果たしていない場合は、公務員の労働基本権の制約は合理性を有していないことになる結果、相当と認められる手段・態様でする争議行為は憲法上保障されるべきであるから、これに対し地公法を適用して懲戒処分をすることは、憲法二八条に違反する旨主張する。
前述したように、公務員の労働基本権は、適切な代償措置が講じられることとの均衡において制限されているのであるから、仮にその代償措置が迅速に機能を果たさず、実際上画餅に等しいとみられる事態が生じた場合には、公務員が代償措置の正常な運用を要求して、相当と認められる範囲を逸脱しない手段・態様で行う争議行為は、憲法上保障された争議行為であると考えられる(前掲最高裁大法廷判決における裁判官岸盛一、同天野武一の追加補足意見参照)。
そして、代償措置としての人勧制度は、勧告の名宛人である国会及び内閣をはじめとする当局がその実施に向けて誠実な努力をすることを予定しており、かような当局の誠実な努力があってはじめて、代償措置としての機能が果たされることはいうまでもない。とすれば、人勧がその本来の機能を果たさず実際上画餅に等しいとみられる事態が生じた場合とは、何らの合理的な理由もなく、あるいは、将来への明確な展望を欠いたまま相当の期間実施されないなど、当局に誠実な努力がされていないと認められる場合を指すと解すべきである。
原告らは地方公務員であるが、前述のように、地方公務員の代償措置の構造は国家公務員のそれとほぼ同様であるから、以上の理は地方公務員についても妥当する。
かかる観点から、以下、本件争議行為が憲法上許容されるものであるか否か検討する。
前掲証拠、甲え一〜八、二二の一〜三、二三〜二七、三〇、四六、四七、四九、五一〜六〇、六一・六二の各一、二、六三〜六五、八二、八三、乙三〜五、九、一一、二二、六八、七二、七三、七八、七九、九二〜九六、九八、一〇〇の一〜七、一〇一、一〇二〜一〇八、一一五、一一六の一〜三、一一七の一・二、一一八、証人厚地武、同小川義男、によれば、以下の各事実が認められる。
1 人勧の実施状況
人勧は、人事院が設置された昭和二三年から同四四年を通じて次第に完全実施へ向かい、制度として定着するに至った。すなわち、昭和二三年は完全に実施されたものの、翌年は実施されず、昭和二五年から同二八年までは、金額の圧縮、実施時期の繰り延べがされ、昭和二九年は人勧自体が留保された。しかし、同三〇年から同四四年までは、内容的には給与水準の引き上げが留保されたり、実施の時期は遅らされたものの、その余は勧告どおりの実施がされた。昭和四五年には完全に実施され、当時の総理府総務長官は、①今後、人勧は完全実施していく、②財政事情その他によって特殊な措置はとらない、というルールを国民の前に明らかにしたいと述べ、当時の内閣総理大臣佐藤栄作は、人勧を尊重し、今後も完全実施したいと述べた。その後、人勧は昭和五五年までほぼ完全実施され、政府は、人勧制度は慣熟した制度として代償機能を果たしてきたと言明し、人勧は制度として定着した。
しかしながら、昭和五四年からは指定職について実施時期が遅らされ、同五六年には、財政状態逼迫を理由に指定職・管理職について実施が一年遅らされるとともに、一般職の期末・勤勉手当も据え置かれた。そして昭和五七年、政府は、危機的な財政状況を理由に人勧の実施を凍結した。地方自治体も同様に人勧の実施を凍結し、あえて実施したのは一自治体のみであった。同五八年の人勧は実施されたが、その内容は、6.47パーセントの給与引き上げを内容とする人勧を、2.03パーセント引上げに止めたものであった。
2 国の財政状況
昭和五七年度の国の決算は、租税印紙税収入が前年度に比して一兆円程度増加したものの、結果的には約六兆円の税収不足・歳入欠陥を生じ、公債発行残高も九六兆余円に達し、とりわけ特例公債(いわゆる赤字国債)は四〇兆余円(対GNP比で35.4パーセント)を記録し、いずれも過去最高であった。そして、国債償還に充てる国債費も七兆余円に達し、これも過去最高であった。昭和五八年度の予算編成も、歳入不足が見込まれ、大型増税をしないことを前提とすると、予算の概算要求基準(いわゆるシーリング)は前年度に対する伸びゼロとせざるを得ない状態であった。政府は、既に、昭和五九年度には赤字国債発行額をゼロとし赤字国債依存体質からの脱却を図るとする財政再建を目標として掲げており、政府部内でも公務員給与の抑制はやむをえないとの見方が大勢であった。このような状況下で、内閣総理大臣鈴木善幸は、事実上の「財政非常事態宣言」を発表し、人勧凍結を示唆するとともに、これは異例の措置であり、一時の辛抱をしてもらいたいという趣旨の発言をした。これを受けて給与関係閣僚会議は、国家公務員の人勧凍結を決定するとともに、地方公務員についてもこれに準じた措置を講ずるように地方公共団体に要請するとの付帯事項を申し合わせ、同内容の閣議決定がなされた(同日、内閣総理大臣によって、このような措置が繰り返されることがないように努力する旨の談話が発表された。)。
昭和五八年度の決算は、租税印紙税収入が前年度に対し二兆円弱程度増加したものの、翌年度の予算編成は歳出を前年度より更に抑制しなければならず、投資的経費を除いて対前年度マイナス五パーセントのシーリングを設定せざるを得ない厳しい状況であった。公債発行残高も、発行額を前年度より低く抑えたにもかかわらず、一〇〇兆円を超え、赤字国債残高も四七兆余円(対GNP比で38.6パーセント)を記録して、いわゆる赤字国債依存は一層進み、国債費も八兆余円に達してしまった。このような状況下で、政府部内では、二年間連続の人勧凍結はあり得ないものの、完全実施は困難であるとの見方が大勢であった。
3 県の財政状況
県の決算収支の推移は、昭和四七年度は景気の上昇によって単年度収支が八億円余の黒字となったが、その後景気は暗転し、昭和五〇年度は単年度収支が二〇億円余の赤字となり、昭和三〇年以来で最悪の財政状態となった。昭和五一年度は県債の大量発行をしたり、地方交付税が伸びたことにより赤字は解消したものの、その後は同五七年度にかけて、長引く不況の影響で、単年度収支が約一億円の黒字と四〇〇〇万円の赤字の間を推移する、横這いの状態であった。
(昭和五七年度の財政)
昭和五七年度決算の単年度収支は約三〇〇万円の赤字に止まったが、これは大量の減収補填債の発行・財政調整基金の大幅な取崩しなどによってかろうじて確保した数字であり、実質単年度収支(単年度収支から財政調整基金取崩し額を控除したもの)は、オイルショック直後の不況の影響を受けた昭和五〇年度を上回る過去最高の巨額赤字(八七億二九〇〇万円)であった。これは、長引く不況により県税収入が昭和五〇年度以来の低い伸び率に止まったこと、地方交付税額が減額され、前年度を大きく下回ったことによる。県は、年度途中で、特別に認められた多額の減収補填債を発行して財政運営をしたが、これにより、県の公債費比率は全国平均を上回ってしまった。なお、自治省は、当初の地方財政計画について財源不足が生じるとの試算をしており、県議会においても財政危機宣言をするか否かが議論される状況であった。
(昭和五八年度の財政)
昭和五八年度は、三年間にわたる不況から抜け出て景気は穏やかに回復し始めていたものの、県の景気回復は、全国に比べ総じて遅れ気味に推移したうえ、県の財政は自主財源に乏しく、国に依存している傾向が強いため、国からの地方交付税額の減少等により、他県以上に厳しい財政運営を強いられた。同年度の決算は、単年度収支では約六億二七〇〇万円の黒字となったが、実質単年度収支は約一五億七四〇〇万円の赤字であった。
以上の各事実が認められ、これを覆すに足りる証拠はない。
右認定事実のとおり、国の人勧は、昭和五七年度は完全に凍結され、五八年度は引上げ率を圧縮されており、この両年度は、結果として人勧は完全実施されていない。そして、各都道府県はほとんど例外なく国の措置にならい、新潟県も同様であったのである。
しかしながら、政府は、人勧は慣熟した制度として定着したとの認識を有しており、それを尊重して昭和四五年から同五五年までは、ほぼ完全に実施してきたこと、同五七年の人勧凍結については、内閣総理大臣自らが今回の措置は極めて異例なものであり、このような措置が繰り返されることがないように努力する旨の談話を発表し、国民の理解を求めていること(右人勧凍結の決定は、後に国会の承認を受けている。)、右決定は、極めて厳しい経済情勢のもとで大幅な歳入不足が見込まれ、かつ、財政の赤字国債依存体質からの脱却という強い要請などを受けて余儀なくされたものであること、国から交付される地方交付税にその財政を依存する率の高い新潟県は、地方交付税額の大幅な減少により厳しい財政運営を強いられ、多額の減収補填県債を発行したにもかかわらず、過去最大規模の赤字を出したこと、加えて、国の方針に反して独自に人勧を実施した自治体はほとんどなかったことを総合考慮すれば、昭和五七年度の人勧を凍結し、翌五八年の人勧を一部実施に止めた県当局の決定は、将来への明確な展望を全く欠いたまま行われたものでないことは明らかであり、まして、何ら合理的な理由もなく恣意的になされたものとは到底いえないのであって、この間、県当局が誠実な努力を怠っていたと認めることはできない(なお、その後の人勧の実施によって、昭和五七年、五八年度の凍結、不実施分は実質的に回復されているといえる。)。
原告は、昭和五九年度以降の国や県の財政状況と比較しても、昭和五七年、五八年の財政事情はそれほど危機的なものとはいえず、特別会計の一般会計への繰入れや、決算調整基金等の取崩し、公債の上積みなどの方法を挙げて、人勧完全実施の可能性があったと主張する。たしかに、そのような可能性が皆無であったとは断定できないが、昭和五七年、五八年の人勧の取扱いに関する県当局の決定は、当時の財政状況その他諸般の事情を総合判断したうえなされた決断であり、政治的判断として是認しうる範囲内のものと考えられるのであって、結局、当時は、人勧がその本来の機能を果たさず実際上画餅に等しいとみられる事態が生じていたとまではいえないから、本件各争議行為が憲法上許されたものと評価することはできない。
よって、原告らの右主張は採用しない。
六 懲戒権の濫用について
1 前認定のとおり、人勧は昭和四五年から同五六年までほぼ完全に実施されてきた実績を有するところ、本件争議行為は、政府に対しては、人勧の凍結及び一部不実施の撤回を求め、新潟県に対しては、人勧の完全実施を求める目的で行われたものであり、本件争議行為の内容も、昭和五七年一二月一六日の早朝二時間(定時制にあっては始業時間前一時間)の職場放棄、及び、昭和五八年一〇月七日の早朝二時間(定時制にあっては始業時間前一時間)の職場放棄という、ごく短時間の不作為にすぎない。また、前掲証拠及び甲か一〜一〇、証人木山一雄、同鈴木章吾、同小野塚サチ子、同志田利明によれば、担任をもつ教師や授業をもつ教師らは、争議中の授業時間の教育について相応の対策を講じており、授業に対する影響をできる限り少なくする努力をしていたことが十分に認められる。また、教職員の勤務環境については、多くの教職員が採用時に分校等に配置され、これにともない書籍や生活用品の購入など出費も多く、年末に支給される差額分給与によりようやく日常の赤字分を補填するのが実態であること、新潟県の教職員の勤務時間は週四四時間と定められているが、時間外勤務が常態化しており、例えば、職業学校の場合は、就職斡旋のため生徒や父兄との面談をしたり、就職先の開拓のため関東方面に出掛ける必要があること、部活動の指導を担当する場合は、練習時間の終了まで拘束され、休日あるいは夏休みの練習や対外試合の引率までしなければならないこと、これらの指導等による出費に対しては県から費用の支払はなされないこと、まして、分校、商業高校あるいは定時制高校の教職員には、全日制高校の教育では考えられない苦労があること、実習助手は、四年制大学卒業と同等の資格を有し、その勤務内容は教諭と変わりがないにもかかわらず、定員の関係から助手として待遇され、その給与は生涯にわたり教諭との間で大きな賃金格差があるなどの困難な諸事情が認められる。
このように、人勧が制度として既に定着し、また、教職員それぞれが各職場でなしうる限り最大限の教育努力をしていた事実に照らすと、原告ら教職員には、人勧が完全実施され、給与水準が改善されることに対する正当な期待があったというべきであり、また、かつ、本件争議行為の態様が前述のように単純な不作為であったのみならず、争議行為の参加者ら自身もその影響を少なくしようと努力したことも考慮すると、原告らの本件争議行為の企画及び遂行をことさら強く非難することはできないとも考えられる。
2 しかしながら、他方、公務員に対する懲戒処分は、当該公務員の義務違反、その他国民全体の奉仕者として公共の利益のために勤務することをその本質的な内容とする勤務関係の見地から公務員としてふさわしくない非違行為がある場合に、その責任を確認し、公務員関係の秩序を維持するために科される制裁であって、公務員に法所定の懲戒事由に該当すると認められる行為がある場合、懲戒権者は同行為の原因、動機、性質、態様、結果あるいは影響等のほか、当該公務員の右行為の前後における態度、懲戒処分等の処分歴、選択する処分が他の公務員及び社会に与える影響等、諸般の事情を考慮して、懲戒処分をすべきかどうか、及び、いかなる処分を選択すべきかを判断し決定することができると解するのが相当である。そして、その判断は、平素から庁内の事情に通曉し、部下職員の指揮監督の衝に当たる者である懲戒権者の裁量に委ねられるのであって、懲戒権者が裁量権の行使としてした懲戒処分は、それが社会通念上著しく妥当性を欠いて裁量権を付与した目的を逸脱し、あるいは、裁量権を濫用したと認められる場合でない限り、違法性を帯びることはないと解しなければならない。したがって、裁判所が右処分の適否を審理判断するに当たっては、懲戒権者と同一の立場に立って懲戒処分をすべきであったかどうか、及び、いかなる処分を選択すべきであったかを検討し、その結果と現実になされた処分とを比較して処分の適否を論ずべきではなく、懲戒権者の裁量権の行使に基づく処分が社会観念上著しく妥当性を欠き、あるいは、裁量権を濫用したと認められるか否かという観点から判断しなければならないのである(最高裁昭和五二年一二月二〇日第三小法廷判決・民集三一巻七号一一〇一頁参照)。
3 以上の観点から検討するに、まず、本件争議行為が、法によって禁止されている違法なものであることは否定できず、被告(直接には校長)からの事前の警告を無視して二度にわたり敢行され、かつ、県立高等学校のほとんどにおいて実施された大規模なものであること、原告らは、それぞれ新潟高教組の執行委員会の構成員として本件争議行為の実施に際し指導的役割を果たしており、他方、原告らに対する本件処分は、軽いもので戒告、重いもので三か月の減給一〇分の一に止まっていること(原告らは懲戒処分にともなう昇給の延伸を問題とするが、それは懲戒処分自体の効力ではないし、そもそも教職員は当然に昇給する権利を有するものでもない。)、さらに、当時の国及び県の財政状況は極めて逼迫しており、政府あるいは県当局の人勧凍結あるいは一部不実施の決定にも相応の理由があったといわざるを得ないことなどの諸般の事情を考慮すれば、前記のように、原告らの本件争議行為の企図及び遂行をことさら強く非難できない事情があるとしても、なお、本件処分が社会通念上著しく妥当性を欠き、あるいは、裁量権を濫用したとは認められない。
よって、裁量権の濫用をいう原告らの主張も、採用することができない。
第四 結論
以上の次第であって、原告らの請求はいずれも理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき行訴法七条、民訴法八九条、九三条一項を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官春日民雄 裁判官今村和彦 裁判官佐久間健吉)
別紙原告目録<省略>
別紙処分理由<省略>