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新潟地方裁判所 昭和62年(ワ)366号 判決 1991年1月24日

原告

甲野一郎

右訴訟代理人弁護士

足立定夫

被告

右代表者法務大臣

佐藤恵

右指定代理人

山口晴夫

外三名

被告

新潟県

右代表者県知事

金子清

右訴訟代理人弁護士

小出良政

右指定代理人

川上長二

外八名

主文

一  被告新潟県は、原告に対し、金二七万二一六六円及びこれに対する昭和六一年一一月一七日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は、原告に生じた費用の一八分の一と被告新潟県に生じた費用の一八分の一を被告新潟県の負担とし、原告及び被告新潟県に生じたその余の費用と被告国に生じた費用を原告の負担とする。

事実及び理由

第一請求の趣旨

被告らは、原告に対し、連帯して金五〇〇万円及びこれに対する昭和六一年一一月一七日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二事案の概要

本件は、窃盗未遂罪で警察官に現行犯逮捕され、勾留及び勾留延長後、同罪で起訴されたが無罪となった原告が、右逮捕並びに勾留請求、勾留延長請求、起訴及び公訴追行の各行為が違法であるとして、国家賠償法一条一項により、被告新潟県(以下「被告県」という。)及び同国に対し損害賠償を請求した事案である。

一(争いのない事実)

1  原告は、昭和六〇年九月一四日午前六時五〇分ころ、新潟市花園一丁目一番一号所在の当時の国鉄新潟駅二番ホームに停車中の急行列車第三一二Mとがくし二号の三号車一四番席に座って、同席の洋服掛けに掛けてあった自己の背広上着に触れるなどしたり、右手を自己のシャツの胸ポケットにやるなどの動作をした(三号車内の座席の位置等については別紙図面<略>のとおり)。

スリ等の取締りに当たっていた新潟県警察本部刑事部捜査第一課移動係司法警察員巡査部長乙川隆平(以下「乙川巡査部長」という。)は、右同日時、原告が同車一二番C・D席の洋服掛けに掛かった遠藤英二の背広上着左内ポケットに手を入れたのを現認したとして、原告が右遠藤の背広上着から金員を抜き取り、自己の胸ポケットに入れたと判断して、原告を現行犯逮捕した(以下「本件逮捕」という。)。

乙川巡査部長らは、その直後右同所で右遠藤に被害確認をしたところ、遠藤の背広上着右内ポケットには財布があることが判明し、他には窃取された物はなかったが、乙川巡査部長は、原告が窃盗の実行行為に着手するのを現認したとして、逮捕手続を続行した。

2  同月一五日午後一二時三〇分、原告は新潟区検察庁に送致され、同庁検察官事務取扱検事内尾武博によって新潟地方裁判所に勾留請求がなされ(以下「本件勾留請求」という。)、同日、勾留状が発せられ、原告は勾留された。同月二四日、担当検察官である副検事川内弘一(以下「川内副検事」という。)によって一〇日間の勾留延長請求がなされ(以下「本件勾留延長請求」という。)、同日、右請求どおり勾留延長が認められた。

同年一〇月二日、原告は、窃盗未遂罪として新潟地方裁判所に起訴された(以下「本件起訴」という。)。起訴後も勾留は継続されて公訴が追行されたが(以下「本件公訴追行」という。)昭和六一年一一月一七日、原告は、無罪判決を受けて釈放された。そして右判決は控訴されることなく確定した。

なお、原告は、釈放に至るまで合計四三〇日間の身柄拘束を受けたが、昭和六二年四月三日になされた刑事補償の決定により、二三六万五〇〇〇円の刑事補償を受けた。

二争点

原告は、本件逮捕は誤認逮捕であり、本件逮捕、勾留請求及び勾留延長請求時には、犯罪の合理的、客観的な嫌疑がなく罪を犯したと疑うに足りる相当な理由があるとの判断は社会通念上著しく妥当性を欠くから本件逮捕、勾留請求及び勾留延長請求は違法であり、本件起訴及び公訴追行は有罪判決を得る見込みがないのになされたものであるから違法であり、原告は右違法な各行為により、四三〇日間の不法な拘禁を受け、これによって原告が被った損害は一二二一万三四三三円(逸失利益五七六万三四三三円、慰謝料四〇〇万円、弁護士費用二四五万円)となる旨主張し、右損害額から刑事補償額二三六万五〇〇〇円を差し引いた九八四万八四三三円の内金五〇〇万円及び不法行為の後である昭和六一年一一月一七日から支払済みまでの民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を請求している。

そこで、本件の争点は以下のとおりである。

1  原告が窃盗の事実行為に着手したか否か。

2  原告が、右着手をしていなかった場合、本件逮捕、勾留請求、勾留延長請求、起訴及び公訴追行の各行為が違法となるか否か。

3  右各行為のいずれかが違法である場合の原告の損害額。

第三争点に対する判断

一争点1について

1  本件逮捕に至る経緯

証拠<証拠略>によれば、以下の事実が認められる。

乙川巡査部長は、昭和四二年四月に警察官に採用され、昭和五〇年四月から昭和五二年三月までの間及び昭和五七年から本件逮捕に至るまでの間、新潟県警察本部刑事部捜査第一課移動係に所属し、列車内、駅構内、デパート等でスリ、置き引き等の取締りに従事してきたが、昭和六〇年九月一二日、旧国鉄信越線の直江津方面を中心として数件のスリ被害が発生したので、その警戒のため、新潟・長野間の急行列車等に警乗していたところ、長野に行く途中及びその帰りとも長野・直江津間で、車内を徘徊している原告の姿を見掛け、監視、警戒していた。乙川巡査部長は、翌一三日にも、列車内の警戒に当たっていたが、原告の姿は見掛けなかった。しかしながら、同日夜に、鉄道公安室の当直から、原告らしい人物が急行とがくし号の車内を流していたとの報告を受け、翌日も早朝から列車内の警戒に当たることとした。乙川巡査部長は、同月一四日午前六時二〇分ころ、旧国鉄新潟駅の鉄道公安室で西沢毅巡査部長(以下「西沢巡査部長」という。)と合流し、同駅二番線ホームで警戒に当たっていたところ、原告が同ホームにやって来たのを発見し、乙川、西沢両巡査部長は別れて原告を尾行した。原告は、同ホームに停車中の急行とがくし号の三号車の後部乗降口から同列車に乗車したので、乙川巡査部長はその後を追って同じ乗降口から、西沢巡査部長は三号車の前部乗降口から、それぞれ同列車に乗り込んだ。

2  窃盗の実行行為の現認

被告県は、その後、原告が窃盗の実行行為に着手した旨主張するところ、この点に関する直接的な証拠資料としては、乙川巡査部長が列車に乗り込んだ後、右実行の着手を現認した旨の同巡査部長の目撃供述等<証拠略>があるが、原告は、右について、周遊券を捜すために自己の背広上着のポケットを捜しただけで、隣の遠藤の背広上着には手を触れていない旨、捜査段階から一貫して主張している。そこで、以下、乙川供述の信憑性について検討する。

乙川供述における目撃状況の要旨は、「原告の後を追って、急行とがくし号の三号車に乗り込み、同号車最後部デッキの通路ドアの窓ごしに車内を覗いたところ、原告が同号車の一四番A席とB席の中間位に座って、上半身を時計回りにねじるような状態で、座席の背もたれの方に顔を回しつつあるところであった。そこで、その手前の一六番A・B席へ行って、同席の背もたれと窓側の壁との隙間から、原告の様子を窺ったところ、原告は、一二番ボックスの方に顔を向けて、一四番A・B席の窓際の洋服掛けに掛けてあった自分の背広上着の右袖口から右手を差し入れて、隣の一二番C・D席の洋服掛けに掛けてあった遠藤の背広上着の左内ポケットに右手指先を差し入れているところであったので、その原告の手先をよく見るために背もたれの上から顔を出して見たところ、原告の右手先が右遠藤の背広上着の左内ポケットに入っていた。その後、原告は自分の背広上着の袖口から右手を抜いて、時計回りと逆に体を回転させて元の位置に戻り、右手に何かを握っているような様子でその手を原告が着用しているシャツの左胸ポケットに入れようとしたので、隣の背広上着からすり取った裸の紙幣を握っているものと思って、窃盗の現行犯人として原告を逮捕した。」というものであるところ、原告、遠藤、乙川巡査部長ら立ち会いのうえ、昭和六〇年一二月二日に行われた刑事事件における裁判所の検証(以下「第一回検証」という。)において、乙川巡査部長の指示説明によって同人が目撃したとする状況を再現しようとしたが、原告と遠藤との各背広上着を並べて掛けると、それぞれの背広上着の前身ごろの部分が列車の壁面に接着し、更に、遠藤の背広上着内ポケットは原告の背広上着の陰になってしまうため、原告の背広上着の右袖口から差し入れた右手が遠藤の背広上着左内ポケットに差し入れられていることを見ることは全くできなかったことが認められる(<証拠略>)。

一方、昭和六〇年九月二四日に行われた実況見分(以下「第一回実況見分」という。)の際においては、模擬犯人によって六、七回同様の動作をやってみたところ、そのうち二回位は背広上着の内ポケットに手先が差し入れられているのを見ることができたが、その際に見えたのは、模擬犯人側の背広上着の右の前襟を手を添えて開いたり、あるいは、袖を引っ張りながら腕を差し入れるようにしたことが原因となっていることが認められる(<証拠略>)。

(<証拠略>)によれば、昭和六一年二月一日に行われた実況見分(以下「第二回実況見分」という。)の際においては、乙川巡査部長及び当時同車両内にいた西沢巡査部長の指示により、原告と体型の似た模擬犯人によって本件目撃状況を再現させたところ、乙川巡査部長が目撃したという位置から、背広上着左内ポケットに模擬犯人の手先が入っている状況を現認できたことが認められ、右第二回実況見分が、原告と体型の似た者を模擬犯人に当て、原告と遠藤の背広上着を使用しているため、より正確に乙川巡査部長の目撃状況を再現することができたということである。

そこで、第二回実況見分における目撃状況の再現の内容についてみると、乙川巡査部長が、第二回実況見分において現認できたとする際の姿勢は、模擬犯人が一四番A・B席の中間位に位置して身体を回転させ一二番ボックスの方を向いたうえ、顔を背もたれのほぼ真上近くまでもっていき、片ひざと左手を座席につき、右手は肘を真っすぐにして背もたれとほぼ平行に上向きに窓の方向に伸ばし、右手先を一二番C・D席の洋服掛けに掛けてある背広上着の左内ポケットに入れて右背広上着を引き寄せるようにしたもので、それによって一四番A・B席に掛けてある背広上着と壁面との間に一二番C・D席の洋服掛けに掛けてある背広上着が入り込み、その左内ポケットに入っている右手先を見ることができるというものであり、右のような姿勢は、西沢巡査部長の目撃状況の供述(「原告は時計回りに身体を回し、背広上着と正対するような格好になって背広上着をごそごそした後、逆時計回りに顔を回して自分と正対するような位置に来たとき、静止するような格好になった。そのとき、原告の顔は背もたれの上に全部出ており、手がどのようになっているのかはわからなかったが、被害者の背広上着が揺れた状態もあったので、原告が被害者の背広上着に触っているものと思った。」との供述。<証拠>)と一応一致する。

しかしながら、昭和六一年七月二一日に行われた刑事事件における裁判所の検証(以下「第二回検証」という。)の際においては、原告が一四番A・B席の中間位に位置して身体を回転させて一二番ボックスの方に向いた姿勢で右手を一四番A・B席の洋服掛けに掛けられた背広上着の右袖口に通すことは事実上困難であり、原告の位置を一四番A席寄りに移動して同様の動きをした場合には、背広上着の右袖口に右手を通し、一二番C・D席の洋服掛けに掛けられた背広上着の左内ポケットに手を差し入れることができたが、差し入れられた手は、一四番A・B席の洋服掛けに掛けられた背広上着に隠れて乙川巡査部長が現認したとする位置からは見ることができなかったのであり(<証拠略>)、第二回実況見分の際における目撃状況の再現が正確であるとすれば、原告は、一旦、自分の背広上着のそばに近寄ってその袖口に手を差し込んだうえ、通路側に座席を移動し、更に、片ひざと左手を座席について、顔を背もたれのほぼ真上近くまでもっていき、右手を伸ばし切った状態で隣の背広上着の左内ポケットを物色したか、あるいは、ほぼそれに近い行動を取ったことになるが、あえて自分の顔と右手を背もたれより高い位置にもっていき、また、遠藤の背広上着の動きがより大きくなるような行動が、遠藤から発見されないようになされたものとは考え難く、そのような行動はスリを行う者の行動としては極めて不自然であるといわざるをえない。

また、原告の右手を見ることができた原因についての乙川巡査部長の供述が、当初は原告の背広上着の前襟がめくれていたためである旨の供述から、第二回実況見分後は、遠藤の背広上着の左内ポケットが手前に引き寄せられて、原告の背広上着と壁面の間に入り込んできたためである旨の供述に変わっているが<証拠略>、現認の可否が争点となっている場合において、右各供述が全く同じ状況を説明したものとは考えがたく、この点の供述に変遷があるといわざるをえない。

西沢巡査部長の供述も、原告の行動、背広上着の掛け方等について若干変遷しており、更に、西沢巡査部長は、原告が時計回りに身体を回転させ背広上着の方を向く際に原告の左肩の前身ごろが見えた旨供述しているが、そうであれば、当然に原告の右腕も見えたはずであるのに、この点には気付かなかった旨供述しており(<証拠略>)、原告が窃盗の実行に着手するかどうかを監視していた警察官としては最も関心があるはずの右腕の動きを全く見ていなかったこととなり、遠藤の頭が邪魔になった可能性のあること等を考慮しても不自然といわざるをえない。

更に、遠藤の背広上着の揺れかたの点について、遠藤は、一二番C・D席に座って弁当を食べ始めたところ、自分の背広上着が左右に揺れ、その後二分位たってから後方で現行犯逮捕という声が聞こえた旨の供述をしており<証拠略>、また西沢巡査部長は、当初、原告が窓の方を向いてから、一二番C・D席の洋服掛けに掛けてあった遠藤の背広上着が車両の進行方向に向かって少し押し出されるような感じで動いた旨の供述をしており<証拠略>、この点でも第二回実況見分における再現実況とは矛盾する。

また、乙川巡査部長は当初窃盗既遂との認識で原告を逮捕しているが、原告は実際には何ら窃取しておらず、まず、この点に認識の誤りがあったといえる。被告県は、乙川巡査部長の既遂との判断は、原告が遠藤の背広上着内ポケットに手を差し入れたうえ、その手を自分の胸ポケットにやる動作を現認してからなされたものであり、原告の犯行は、遠藤の左内ポケットに現金等がなかったため、未遂に終わったに過ぎない旨主張するが、原告は、本件逮捕に至るまで、乙川、西沢両巡査部長の存在に気付いておらず、原告が窃盗に着手したのであるとすれば、特にこれを中止すべき理由はなかったところ、遠藤の背広上着左内ポケットには、四折りにした封筒等が入っていたにもかかわらず、原告はこれらを抜き取っていない(<証拠略>)。また、原告が右封筒等の存在を認識しながら現金ではないと判断してこれを取らなかったのであれば、原告がなぜ自分の胸ポケットに手をやる必要があったのかが説明できないことになる。

以上の点を考慮すれば、原告が遠藤の背広上着内ポケットに手を差し入れているのを現認したとする乙川供述の信憑性を認めることはできない。

なお、原告には、その主張する来県目的等に照らせばやや不自然とも思える行動を取っていること、昭和六〇年九月一一日に急行とがくし号車内でスリ被害にあった者が、同車内で原告らしい人物を見かけていること、本件逮捕の前々日に信越線列車内を徘徊し、本件逮捕当日も三号車内には多数の空席があったにもかかわらず、あえて遠藤と背中合わせの席に座り、自分の背広上着を遠藤の背広上着と並べて掛ける等の不審な行動があったこと、スリ事犯等の窃盗前科が多数あることなど、スリ敢行の意思の存在を疑わせるような事実もある(<証拠略>)。しかし、これらの事実をもって、原告が現に窃盗の実行行為に着手したものと推認することができないのはもちろん、前記説示の点を考慮すれば、これをもって直ちに乙川供述の信憑性を裏付けることもできないといわざるをえない。そして、他に原告の窃盗の実行行為の着手の事実を認めるに足りる証拠はなく、乙川巡査部長は、原告の背広上着を探る動作等から、窃盗の実行行為の着手があったものと誤認したものと認めるほかない。

二争点2について

1 本件逮捕の違法性

本件逮捕は、現行犯逮捕であるところ、前記のとおり、原告に窃盗の実行行為の着手があったと認めることはできないのであるから、乙川巡査部長が原告を現行犯人と認めたことがその時の具体的状況下で合理性を有するか否かを検討する。

本件においては、乙川巡査部長の原告の手が遠藤の背広の内ポケットに差し入れられていたとの現認が誤認である以上、同巡査部長が、原告の前々日及び逮捕当日の不審な行動、原告が自己の背広を触った状況、遠藤の背広が揺れた状況のみから、原告を窃盗の現行犯人と認めたことに合理性があったということはできない。また、乙川巡査部長は、当初、窃盗既遂の認識で現行犯逮捕をしたところ、逮捕直後右認識が誤っていたことが判明したのであるから、スリ事犯の特殊性に鑑みれば、少なくとも、この段階で本件逮捕手続を続行することなく、原告を釈放することができたのであり、本件逮捕には過失があったものといわざるをえない。

2  本件勾留請求及び勾留延長請求の違法性

そこで次に、本件勾留請求及び勾留延長請求の違法性について検討する。

(一) 被疑者の勾留には、当該被疑者が罪を犯したと疑うに足りる相当な理由と、勾留の理由及び必要性を要するところ、本件勾留請求当時の検察官の主な手持証拠は、原告が自己の背広の右袖口から右手を入れ、隣に掛けてある遠藤の背広の右内ポケットに右手先を入れて引き抜いたのを現認したので原告を窃盗未遂の現行犯人と認めた旨の記載のある現行犯人逮捕手続書、本件逮捕の前々日の原告の不審な行動等を記載した乙川隆平作成の捜査報告書、一二番D席に座って弁当を食べていたところ、窓も開いていないのに自己の背広が全体的に少し揺れ、一、二分後に後ろの席で現行犯逮捕と言う声が聞こえた、マジックテープ止め具がついている背広の右内ポケットには、財布が入っており、止め具のない左内ポケットにはメモ帳と空の封筒が入っていたが何も取られていなかった旨の遠藤の供述を録取した遠藤英二の鉄道公安職員に対する供述調書、原告が本籍、住居、氏名、生年月日等を黙秘している状況、切符を探すために自分の背広のポケット等を探っていただけで他人の背広ポケットに手を入れていない旨の原告の弁解を記載した弁解録取書及び原告の司法警察員に対する供述調書二通、原告が探していたとする周遊券が原告の所持していた紙袋内の時刻表の間から発見された旨の報告書、原告の氏名等を明らかにするための指紋照会に対する回答書、原告に多数の窃盗前科があることが記載されている前科調書等であり(<証拠略>)、更に、検察官は、原告の切符を探すために自己の背広を探ったことはあるが他人の背広のポケットに手を入れたことはない旨の弁解、借家に一人住まいである旨の供述を聞いたうえ(<証拠略>)、本件勾留請求をしたものであり、右時点において切符を探していたとの原告の弁解があり、探していたという周遊券が時刻表の間から発見されてはいるものの、原告の窃盗の実行行為の着手を現認したとする警察官が存在すること、自分の背広が揺れたとする遠藤の供述があること、前々日の原告の不審な行動についての報告があること、原告が借家に一人住まいであること、原告が当初、本籍、住居、氏名、生年月日等を黙秘しており、現に犯行を否認していること、原告には窃盗前科が多数あること等からすれば、検察官が、原告に罪を犯したと疑うに足る相当な理由があり、勾留の理由(刑事訴訟法六〇条一項二号、三号)及び必要性もあると判断したことには合理性があるというべきであり、本件勾留請求をした検察官の行為が違法であったとはいえない。

(二) 昭和六〇年九月一七日に事件配点を受けた川内副検事は、送致記録を精査したうえ、警察官に対し目撃状況の写真撮影を指示し、原告の前科について各所轄検察庁に判決謄本を請求し、同月二〇日、原告の取調べを行った(<証拠略>)。本件勾留延長請求当時の検察官の主な手持証拠は、勾留請求時の手持証拠に加え、昭和六〇年九月一二日に原告を尾行した状況についての鉄道公安官の報告書、同月一一日に信越線の急行とがくし一号の車内でスリ被害にあった者が、同車内で原告を見かけた旨の司法警察員に対する供述調書、原告の前科、身上関係についての検察官及び司法警察員に対する各供述調書、原告の身上調査照会回答書、原告の前科についての判決謄本五通、勾留時の原告の言動及び原告の取調状況についての報告書等であり、原告が依然犯行を否認していること、川内副検事が目撃状況についての写真を未だ受領していなかったこと、目撃状況についての乙川、西沢両巡査部長の取調べ及び遠藤の取調べが未了であること、原告の本件逮捕前の行動についての取調べが未了であること、原告は刑務所で知り合った加茂市在住の高田という人物に会うために新潟に来た旨供述しているところ、右高田という人物の実在の有無についての捜査、その取調べ等が未了であったこと、原告の前科は大半がスリ事犯であったこと等が認められ(<証拠略>)、以上によれば、本件勾留延長請求時においても、検察官が、原告に罪を犯したと疑うに足りる相当の理由があると判断し、原告について起訴、不起訴を決するためには、更に関係者の取調べ等の捜査を尽くす必要があるものと認められるから、勾留期間を延長する必要があると判断したことには合理性があるというべきであり、勾留延長請求をした検察官の行為が違法であったとはいえない。

(三) 原告は、本件勾留請求及び勾留延長請求時までに、目撃者の供述調書が作成されず、遠藤について警察署及び検察庁における供述調書が作成されていないこと等をもって、本件勾留請求及び勾留延長請求時に存在した証拠によっては、合理的、客観的な嫌疑はなく、罪を犯したと疑うに足りる相当な理由があるとする判断は社会通念上著しく妥当性を欠く旨主張するが、本件勾留請求及び勾留延長請求時に乙川巡査部長の現認状況が記載された現行犯人逮捕手続書及び遠藤の鉄道公安職員に対する供述調書が存在していたことは前述のとおりであり、各請求時のその他の検察官手持証拠を併せ考えれば、各請求時の検察官の判断が著しく妥当性を欠くものとはいえず、この点についての原告の主張は理由がない。また、本件勾留延長請求時までに目撃者である乙川巡査部長の供述調書が作成されなかったのは、右目撃状況の説明は動作を伴い、言葉による表現のみでは分かりにくいため、検察官としては目撃状況の写真ができあがるのを待っていたという事情によるものであり、右供述調書が作成されなかったことをもって、一概に検察官に著しい捜査の懈怠があり、本件勾留延長請求自体が違法になるということもできない。

3  本件起訴及び公訴追行の違法性

(一) 検察官による起訴及び公訴追行は、無罪判決が確定したからといって当然に要件を欠く違法なものということはできず、起訴及び公訴追行時において将来有罪判決を得る合理的な理由が存在していた限りは適法なものというべきである。そして、右有罪判決を得る合理的な理由とは、その時点において収集されていた各種証拠資料、収集することが可能であった資料等に照らし有罪判決を十分期待しうる程度の嫌疑があれば足り、裁判所が有罪判決をする場合のような合理的な疑いを入れる余地のない程度にまで嫌疑が存在することまでは要しないというべきである。

(二)  そこで、本件起訴についてみるに、本件起訴時における検察官の主な手持証拠は、本件勾留延長請求時にあった証拠に加え、乙川巡査部長が現認したとする状況等を撮影した写真を含む実況見分調書、本件逮捕当時の目撃状況、逮捕前の原告の尾行状況等についての乙川、西沢両巡査部長の検察官に対する各供述調書、本件逮捕前の原告の行動、逮捕時の所持金の出所については言いたくない旨の原告の供述及び周遊券を探していただけで遠藤の背広ポケットに手を入れてはいない旨の原告の弁解等を記載した原告の検察官に対する供述調書二通、遠藤の司法警察員及び検察官に対する供述調書、本件逮捕前々日の原告の尾行状況についての鉄道公安職員の検察官に対する供述調書、原告の逮捕当時の現金約四二万円を含む所持品についての報告書、原告の所持していた紙袋、周遊券等についての報告書等であり(<証拠略>)、川内副検事は、乙川巡査部長の目撃供述について検討し、体を時計回りに回転させ、背広の袖口から手を入れるという手口の特異性に着目したものの、視力の良い移動係の警察官である乙川巡査部長が至近距離から目撃しており、右特異な手口についての目撃供述が一貫していること、一四番A・B席の中央位の位置から袖口を通して手を入れた場合には、一六番席の洋服掛けの背広の内ポケットに差し入れられた手を見ることが可能であることが一応確認されたこと、背広が揺れたとの遠藤の供述があったこと等から、右目撃供述が全体として信用できると判断し、更に、原告が本件逮捕前々日からやや不審と思われる行動を取っていたこと、逮捕当日、空いている車内であえて遠藤と背中合わせの席に座ったこと、原告が逮捕当初、氏名、住居等を黙秘しており、逮捕当時の原告の所持金約四二万円の出所についても何ら弁明しなかったこと、原告には同種前科が多数あること等の事実並びに原告の供述態度等を併せ考慮して、有罪判決を得る合理的な理由があると考えたものであって(<証拠略>)、右判断が特に不合理であったとはいえない。

原告は、原告の手が遠藤の背広内ポケットに差し入れられている状態を乙川巡査部長が現認することが可能であったか否かについての検証が不十分であった旨主張する。しかしながら、川内副検事は、警察官の目撃供述があることを前提に、その見えた状態を再現して右現認が可能であることについて一応確認したうえで、警察官の目撃供述を信用したのであり、現認の可否についての検討が全くなされなかったものではない。なるほど、刑事裁判の推移に照らせば、いかなる場合に現認が可能であるか、その場合の動作・姿勢等はどのようなものであるかについて、原告、遠藤、目撃警察官ら立ち会いの下で、十分な実況見分等をしておくことが望ましかったとはいいうるが、原告が犯行を完全に否認しており、自分が行ったとする動作については何ら具体的に供述しておらず、座席に座った位置等についての供述さえも目撃供述と異なっていること、原告の捜査当初からの供述態度等からすれば、原告自身の動作によって目撃状況を再現し、これを原告主張の動作と比較検討するなどの検証等は困難であったこと等の事情に照らせば、右検証等をしなかったことをもって本件起訴が違法となるとまではいえない。

(三)  次に、本件公訴追行について検討するに、本件起訴時に有罪の嫌疑が存在したことは前述のとおりであるから、公判担当検察官が有罪立証のために乙川、西沢両巡査部長、遠藤等の証人尋問を行うなどの公訴追行活動をしたことは、検察官の職責に属するというべきであって、結果的に無罪判決が確定したからといって、これが違法であったということはできない。

原告は、遅くとも第一回検証がなされた時点で有罪の可能性はなくなったから検察官は公訴を取り消すべきであった旨主張する。なるほど、第一回検証においては、乙川巡査部長の指示による再現によっては遠藤の背広内ポケットに入っている原告の手先を現認することはできなかったのであるが、これをもって、右現認が物理的に不可能であるといったことが明らかになったわけではなく(刑事事件判決においても、現認が不可能であるとしているわけではなく、現認できる場合の姿勢、動き等が不自然であるといっているに過ぎない。(<証拠略>)、この時点で直ちに有罪判決を得る見込みが失われたということはできない。そして、第一回検証後も、乙川巡査部長は一貫して右現認をした旨述べているところ、検察官としては、乙川巡査部長が刑事事件の公判においても、自己が現認した際には原告の全身を見ていたのではないから、原告の下半身、左手の位置、姿勢等はよく分からない、第一回検証時の原告の上半身の位置についてももう少し通路側に来ていたように記憶している旨述べていること、右検証の際、犯行を否認している原告自身の積極的な協力が期待できない状況であったこと等から、第一回検証の際の乙川巡査部長の再現指示が必ずしも正確になされていない可能性があるとし、依然乙川供述の信憑性が失われていないとの判断から、更に、ビデオ撮影による第二回実況見分を行うなどして、右現認が可能であり、乙川供述が信用できることの立証に努めたことが窺われるのであって(<証拠略>)、結果的には乙川供述における原告の姿勢の不自然さ等をむしろ乙川供述の信用性に結び付けて判断し、乙川供述を過信した点があったということはできるが、これをもって検察官に著しい判断の誤りがあったとまではいうことができず、本件公訴の維持・追行が検察官の裁量の範囲を逸脱した違法な行為に当たるとまではいえない。

4  以上のとおりであるから、本件逮捕は違法であるが、本件勾留請求、勾留延長請求、起訴及び公訴追行が違法であったとはいえない。

三争点3について

1  以上のとおり、本件逮捕は違法であるから、被告県には、国家賠償法一条一項に基づき右違法な逮捕により原告に生じた損害を賠償する責任がある。

2  そこで、損害の範囲について検討するに、まず、本件逮捕行為自体及びそれに引き続く留置によって原告が被った損害については、相当因果関係があるというべきである。

次に、本件勾留請求及び勾留延長請求によって認められた勾留による身柄拘束によって生じた損害についてみるに、やはり右損害と本件逮捕との間には相当因果関係があるといわなければならない。なるほど、事件が検察官に送致された後は、検察官の権限と責任において勾留請求等がなされるのであるが、違法な本件逮捕がなければ、逮捕前置主義により、原告の勾留もなかったのであるから、本件逮捕と原告の勾留との間には条件関係があり、また、移動係の現職警察官にスリ行為を現認したとして逮捕され、かつ、犯行を否認している被疑者を検察官に送致すれば、被疑者の勾留請求及び勾留延長請求がなされることが多いことは当裁判所に顕著な事実であり、本件逮捕を行った乙川巡査部長にも右勾留は十分予見することができたというべきであるから、本件逮捕と起訴前の勾留との間には相当因果関係があるといわざるをえず、検察官の本件勾留請求及び勾留延長請求に基づき起訴前の勾留が行われたことをもって、不法行為の責任を免れることはできないというべきである。

更に、本件起訴後の身柄拘束によって生じた損害についてみるに、検察官による起訴は被疑者の逮捕を必ずしも前提とするものではなく、当該事件を起訴するか否かは検察官の専権に属し、検察官は起訴時までに収集した証拠、今後得られるであろう証拠を検討し、公判を維持するに足りるだけの犯罪の嫌疑があるかどうか、その他公益的な見地等を総合的に判断して、独自の立場で起訴するか否かを決定するのであって、被疑者を逮捕したからといって検察官がその被疑者を起訴することを直ちに予見することはできない。また、起訴後の勾留については、被告人が保釈されることもありうるのであるから、起訴後の身柄拘束が継続するか否かについても逮捕時点で予見することはできないというべきである。したがって、本件起訴後の身柄拘束による損害は本件逮捕と相当因果関係のある損害ということはできない。

3  そこで、本件逮捕による原告の損害(本件逮捕自体及び本件逮捕から本件起訴に至るまでの一九日間の身柄拘束による損害)について検討する。

(一) 逸失利益

原告は、本件逮捕当時、婦人服地等の行商を営んでおり、収益は一定しないものの、月平均二〇万円程度の収入を得ていたのであるから(<証拠>)、一九日間の身柄拘束による逸失利益は、一二万六六六六円(一円未満切捨て)となる。

(二) 慰謝料

原告は、本件逮捕当時、小川和子と同棲(ただし、同女を扶養する等はしていなかった。)し、単身で婦人服地等の行商を営んでいたこと、その他、原告の前科・前歴等諸般の事情(<証拠略>)を考慮すると、本件逮捕及びそれに引き続く一九日間の身柄拘束により原告が被った精神的苦痛に対する慰謝料は二〇万円が相当である。

(三) 原告は、四三〇日間の身柄拘束に対する刑事補償として二三六万五〇〇〇円(一日当たり五五〇〇円)の補償を受けており、このうち、一九日間の身柄拘束に相当する分は一〇万四五〇〇円であるから、これを控除した原告の損害額は二二万二一六六円である。

(四) 弁護士費用

原告の主張する刑事弁護費用については、本件起訴前に弁護人が選任され、その費用の具体的金額が定められたことを認めるに足りる証拠はないから、右費用の賠償を求める部分は理由がない。原告が本件訴訟を提起するに当たって弁護士に訴訟を委任したことは明らかであるところ、本件訴訟において認容すべき金額、訴訟の性質、内容等に照らせば、五万円をもって、本件逮捕と相当因果関係を有する損害と認めるのが相当である。

四まとめ

以上のとおりであるから、被告県が原告に賠償すべき損害は合計二七万二一六六円である。

(裁判長裁判官林豊 裁判官杉山正己 裁判官竹田光広)

別紙<省略>

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