新潟地方裁判所新発田支部 昭和33年(ワ)12号 判決 1962年7月18日
原告 奥田政治
被告 新井田喜代治
主文
被告は原告に対し金三〇万円およびこれに対する昭和三三年四月一日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。
原告のその余の請求を棄却する。
訴訟費用はこれを八分し、その一を原告の負担とし、その七を被告の負担とする。
この判決は、原告勝訴の部分に限り、執行前原告において金六万円の担保を供するときは、仮に執行することができる。
事実
原告訴訟代理人は、被告は原告に対し金三四五、〇〇〇円およびこれに対する昭和三三年四月一日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告の負担とする旨の判決ならびに仮執行の宣言を求め、その請求の原因として、原告は昭和二九年三月一七日訴外近ユミから同人所有の別紙目録<省略>記載の不動産を買受け即日その所有権取得登記を経由したところ、被告は右家屋のうち店舗一棟の二階を除くその余の部分および木造瓦葺平家建倉庫一棟を同訴外人から家賃一ケ月金三、〇〇〇円の割合、毎月末日限り持参払の約で賃借しており、引続き賃借したい旨申入れたので、原告は被告に対し満二ケ年後に明渡すことを承諾するならば家賃は右と同額でよい旨答えておき、その後昭和三一年四月一〇日頃右家賃を同月分から一ケ月金一五、〇〇〇円に増額する旨申入れたところ、被告はその後一ケ月金三、〇〇〇円の割合で時折供託しているだけで原告がこれを受諾しないのに右増額された割合による家賃の支払をしないので、原告は被告に対し昭和三一年四月分から昭和三三年二月分まで二三ケ月分の一ケ月金一五、〇〇〇円の割合による家賃合計金三四五、〇〇〇円およびこれに対する最後の弁済期の後である昭和三三年四月一日から完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求めるため本訴請求に及んだ旨陳述し、被告の主張事実を否認し、証拠として甲第一号証ないし第六号証を提出し、検証、鑑定および原告本人尋問の各結果を援用し、乙号各証の成立を認めた。
被告訴訟代理人は原告の請求を棄却する、訴訟費用は原告の負担とする旨の判決を求め、答弁として、原告の主張事実のうち、原告が昭和二九年三月一七日訴外近ユミから同訴外人所有の別紙目録記載の不動産を買受け即日その所有権取得登記を経由した事実、被告が同訴外人から原告主張のように賃借していた事実(ただし賃料の額および賃貸借の目的物が家屋の一部だけである事実は否認)ならびに原告が昭和三一年四月一〇日頃被告に対し同月分以降の賃料を一ケ月金一五、〇〇〇円の割合に増額の申入れをなした事実(ただし、賃料は家賃だけでなく地代家賃を包含する)はいずれもこれを認めるが、その余の原告の主張事実はすべてこれを否認する。本件家屋は土蔵二棟を除き昭和一〇年九月の新発田大火により焼失した家屋の跡に建てられたものであるが、その建築資金の大半は被告が旧家屋および動産に付しておいた火災保険契約により保険会社から受取つた火災保険金四、〇〇〇円を提供して訴外近ユミが建築した関係上、本件家屋において薬種商を営んでいた訴外田口ヨイから昭和一四年八月一〇日頃その営業権、商品等を代金三、九三三円八一銭で譲受けると同時に別紙目録記載の宅地および家屋の全部を賃貸借の期間を定めないで賃借したが、(もつとも、宅地二筆については家屋の賃貸借に附随してその敷地も当然賃貸借の目的物となるから、被告は右宅地二筆について賃借権を有するものである)その地代家賃は右のような事情から一般の相場の四分の一以下に相当する一ケ月金五〇円の割合で毎月末日払と取り極められ、終戦後一ケ月金一、五〇〇円の割合に増額され、次で昭和二三年三月から一ケ月金三、〇五〇円の割合に増額された。原告は本件不動産の所有権取得の際右の事情殊に賃料が格段に安いことを認識しながらこれを買受け、これと同時に右内容の賃貸借契約における賃貸人の地位を承継したのであつて、その取得当時一ケ月金三、〇五〇円の割合の賃料を一ケ月金三、〇〇〇円の割合に減額したほどである。それゆえ、原告は昭和三一年四月一〇日被告に対し賃料を一ケ月金一五、〇〇〇円の割合に増額の申入をなした際にも被告から前示のような事情があるので世間並に増額することができない旨回答され、これを承認し、その後も同年六月分まで一ケ月金三、〇〇〇円の割合で賃料を受取りながら、同年七月になつて賃料の受領を拒むに至つたため、被告は同月分以降毎月右割合による賃料の弁済供託をしているが、原告がこれを受諾しないだけであるから被告に義務不履行はなく、また原告の主張する額の賃料増額を承諾したこともないから増額された賃料を支払う義務もなく、原告の本訴請求は失当である旨陳述した。<証拠省略>
理由
原告が昭和二九年三月一七日訴外近ユミから同訴外人所有の別紙目録記載の不動産を買受け即日その所有権取得登記を経由した事実ならびに被告が同訴外人から原告主張のように賃借していた事実(ただし、賃料の額および賃貸借の目的物が家屋の一部だけである事実を除く)はいずれも当事者間に争がなく、成立に争のない甲第一号証ないし第六号証、同乙第一号証に証人斎藤マサ(一部)、同里村平治の各証言、原告および被告(一部)各本人尋問の結果ならびに検証の結果を綜合すると、被告が賃借した目的物およびその範囲は、当初の頃には本件家屋のうち、木造瓦葺二階建店舖一棟の一部である階下の店舖(間口三間二尺、奥行四間、建坪一三坪三合三勺)、中庭に面して建てられた未登記の二階建居宅一棟および木造瓦葺平家建倉庫一棟(実際は土蔵造二階建で、かつ二戸建)の向つて左側の一戸(間口三間、奥行二間半、建坪七坪五合、二階七坪五合)であり、その余は宅地と共に当時の所有者近ユミ方または同訴外人の母田口ヨイにおいて使用していたが、昭和一六年右田口ヨイが訴外近ユミ方へ引越した後においては、原告が本件不動産の所有権を取得した前後を通じて前記階下の店舖一三坪三合三勺、これに接続する同家屋の階下茶の間および座敷一一坪二合五勺、前記二戸建倉庫の向つて左側一戸建坪七坪五合二階七坪五合および木造瓦葺平家建物置一棟(現況トタン葺、風呂場)建坪二坪(なお、これらの家屋をつなぐコンクリート土間、勝手場等建坪一〇坪五勺をも附帯して使用)を賃借しているだけで本件家屋のその余の部分および別紙目録記載の宅地は賃借しておらず(もつとも、家屋の使用に伴いその敷地である宅地を利用し得ることはいうまでもない)その賃料は当初の頃には一ケ月金五〇円の割合であつたが、物価の昂騰につれ漸次増額され、原告が本件不動産の所有権を取得した当時には一ケ月金三、〇〇〇円の割合でありその後も昭和三一年六月分まで同額の割合による賃料が支払われてきた事実を認めることができ、証人斎藤マサ、被告本人の各供述のうち右認定に牴触する部分はそのままこれを信用し難く、他に右認定を左右するに足る証拠はない。そして、本件においては原告が本件不動産を買受けた際当事者間に右賃貸借について格別の契約のなされた事跡もこれを認めるに足る証拠がないのであるから、原告は右内容の賃貸借契約における賃貸人の地位を承継し引続き従前通り被告に賃貸していたものとみるを相当とする。
よつて進んで、原告主張の賃料増額請求の当否について審査するに、原告が昭和三一年四月一〇日頃被告に対し同月分以降の賃料(それがいわゆる家賃であるか、地代家賃を包含するかは別として)を一ケ月金一五、〇〇〇円の割合に増額の申入れをなした事実は当事者間に争がなく、その賃料がいわゆる家賃であつて被告の主張するように地代家賃を包含するものでないことは本件賃貸借の目的物が前段認定のように家屋の一部のみであることの当然の帰結というべく、また被告は右賃料増額の請求を拒否した旨主張するけれども、賃貸人が賃借人に対し賃料増額の請求をなしたときは賃借人の承諾の有無にかかわらず賃貸人の一方的意思表示により客観的に相当額の範囲内において賃料増額の効果を生ずるものであるから被告の右主張は理由がない。ところで、前段認定によつて明らかなとおり原告が賃料増額の意思表示をなした昭和三一年四月一〇日頃までには原告が本件不動産の所有権を取得した昭和二九年三月一七日以降だけでも二年余の期間一ケ月金三、〇〇〇円の割合の賃料で据置かれ(被告が前所有者近ユミの所有する当時一ケ月金三、〇五〇円の割合に賃料が増額されたと主張する昭和二三年三月からでは一〇年余の期間ほぼ同額の賃料のまま据置かれたこととなる)その間一般物価がいちじるしく昂騰しそれにつれ土地建物の価格、家賃なども一般的に騰貴したことは公知の事実であり、また鑑定の結果に照しても右の一ケ月金三、〇〇〇円の割合による賃料が甚しく低廉に過ぎることは明らかなところ、その適正額は鑑定の結果に徴し少くとも一ケ月金一五、〇〇〇円と認めるを相当とするから、原告の右賃料増額の意思表示によつて本件家屋のうち被告の賃借部分に対する賃料は右の額に増額せられたものというべきである。
ところが、成立に争のない乙第一号証に被告本人尋問の結果を綜合すると、原告は昭和三一年五月二日に同年四月分の、同年六月一日に同年五月分の、同年七月一日に同年六月分の各家賃を増額前の割合である一ケ月金三、〇〇〇円の割合で被告から受取つていたが、同年七月分以降の家賃については一ケ月金一五、〇〇〇円の割合による増額を主張して被告が従前どおり一ケ月金三、〇〇〇円の割合による家賃を原告方に持参しても常にこれを受領しなかつた事実を認めることができる。この事実からみると、原告は前段認定の賃料増額の請求をなした昭和三一年四月一〇日頃より後である同年五月二日から同年七月一日までの間に三回にわたつて従前の割合による賃料を受取つているので、これによつてさきになした賃料増額の意思表示を撤回したかの疑いがないでもない。しかし、それまでの間長期間にわたり定期的に同一金額の家賃を提供され、なかば慣行のようにこれを受取つていた家主はともすれば不用意に従来のままの割合による家賃をそのまま受取つてしまうことがないともいえないばかりでなく、右認定のように原告は賃料増額の意思表示をなした後三回従前の割合による賃料を受取つただけで、同年七月分以降の賃料については増額を理由に従前の割合による賃料の受領を拒否し続けている事実の存することから考えてみると、反対の証拠のない限り原告は、右賃料増額の意思表示を撤回したものではないと推認するを相当とする。ただ、既に受領した同年四月分から同年六月分までの賃料についてはどのような事情から受取つたにせよ、特にこれを賃料の一部弁済とした事実を認めるに足る何等の証拠もないのであるから、一応その月分の賃料は右の額の支払をもつて足るとして受取つたものとみるを相当とし、従つてこの部分についての原告の請求は理由がない。
被告は、本件家屋新築の際その建築資金の大半を被告が提供したことなどの事情により当初から一般の相場の四分の一以下に相当する割合による賃料が定められてきたものであり、原告はこれを認識しながら本件家屋を買受け、しかも賃料増額の意思表示をなした際には被告から世間並に増額できない旨回答されてこれを承認した旨主張するけれども、賃貸中の建物の新所有者が前所有者(賃貸人)から承継するものは前所有者と賃借人との間に締結された賃貸借契約の内容をなす事項だけであつて、新所有者はその契約内容たる事項の定められるに至る事情までもこれを承継するものではなく、またこれに拘束されるものでもないというべきであるから、たとえ被告の主張するような事情があつたとしても、かような前所有者と被告との相対的な事情によつて原告のなす賃料増額の請求が左右されるものではなく、また原告が右の事情の存することを認識しながら本件不動産を買受け、若しくはこれを承認して賃料増額を断念した事実もこれを認めるに足る証拠がないから、被告の右主張はこれを採用することができない。
また、被告は昭和三一年七月分以降の賃料を一ケ月金三、〇〇〇円の割合で弁済供託している旨主張し、成立に争のない甲第一、二号証、同乙第二号証の一ないし一六によると被告は昭和三一年七月分から昭和三三年二月分まで一ケ月金三、〇〇〇円ずつの賃料を弁済供託している事実を肯認することができるけれども、被告の供託した右金額は前段認定の増額された一ケ月金一五、〇〇〇円の割合による賃料に比しいちじるしく少額であつて到底債務の本旨に従う弁済の供託とはいえないから、原告がこれを受諾した証拠のない本件においては右供託は全部が無効であり、被告は右供託をなしたことにより本件賃料債務を免れるわけにはいかない。
してみると、被告は原告に対し前段認定の昭和三一年七月一日から昭和三三年二月二八日まで二〇ケ月分の一ケ月金一五、〇〇〇円の割合による賃料合計金三〇万円およびこれに対する弁済期の後である昭和三三年四月一日から完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払う義務があるものというべきであるから、原告の本訴請求は右の範囲において正当としてこれを認容すべきであるが、その余は失当としてこれを棄却するものとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九二条を、仮執行の宣言につき同法第一九六条を各適用し、主文のように判決する。
(裁判官 小笠原肇)