新潟地方裁判所長岡支部 事件番号不詳 判決
本籍ならびに住居
長岡市新町三丁目六百八十二番地
無職
金内正
当二十六年
本籍ならびに住居
新潟縣北魚沼郡堀之内町大字堀之内四千五十四番地
無職
阪西省吾
当二十二年
本籍
同縣同郡廣瀬村大字並柳乙の四十三番地
住居
同縣同郡小出町大字小出島百五十六番地の甲
旋盤工
佐藤量策
当二十二年
本籍ならびに住居
同縣同郡堀之内町大字堀之内三百三十番地
仕上工
小川一夫
当二十年(昭和四年四月一日生)
本籍ならびに住居
同所三百八十四番地
旋盤工
和田義一郞
当二十三年
本籍ならびに住居
同縣同郡同町大字大石二百七十四番地
旋盤工
吉沢直治郞こと 吉沢直次郞
当二十二年
本籍ならびに住居
同縣同郡同町川原町四千二百八番地
旋盤工
山本秀治
当二十五年
本籍
同縣古志郡山通村大字靑木二百四十五番地
住居
同縣北魚沼郡堀之内町倉敷紡績株式会社堀之内工場 敷島寮内
旋盤工
小林春一
当二十三年
本籍ならびに住居
同縣同郡同町稻荷町番地不詳
旋盤工
橫山淸吾
当二十三年
右被告人金内正、同阪西省吾に対する暴力行爲等処罰に関する法律違反、被告人佐藤量策、同小川一夫、同和田義一郞、同吉沢直次郞、同山本秀治、同小林春一、同橫山淸吾に対する暴力行爲等処罰に関する法律違反並傷害各被告事件について、当裁判所は檢事猪狩良〓が立会い、審理を遂げたので左の通り判決する。
主文
被告人金内正、同阪西省吾、同小林春一、同橫山淸吾を各懲役二月に、被告人佐藤量策、同小川一夫同和田義一郞、同吉沢直次郞、同山本秀治を各懲役三月に処する。
ただし本裁判の確定した日から一年間いづれも右刑の執行を猶予する。
訴訟費用は全部被告人等の負担とする。
理由
被告人等はいづれも新潟縣北魚沼郡堀之内町大字堀之内三千九百四十六番地にある倉敷紡績株式会社北越製作所堀之内工場の從業員であるが、右工場では昭和二十一年二月頃全工員により労働組合が作られ、労働條件改善等のため運動を展開して來たものであるが、その後同年五月頃右從業員のうち約七十名位の三十歳未満の靑年有志を以て同志的結合により靑年同志会を結成し、それ以來「吾等は若き生命を労働運動に捧げ以て民主日本の実現を期す」という綱領を掲げて労働組合運動の推進に努めて來たものであるが、同会社は昭和二十三年二月下旬頃三十名の人員整理等を骨子とする企業再建整備案を提示し同工場労働組合との間に交渉が重ねられ、結局第三者から二十名の人員整理等を骨子とする調停案が提案され、同工場労働組合では同年六月二十一日午前八時頃から同工場内建物二階の食堂で組合大会を開催し、該第三者調停案につきその許否を決することとなり、組合員の無記名投票の結果これを受諾することゝなつたところ、靑年同志会員として企業再建整備案発表以來絶対反対を叫び闘爭を続けて來た被告人等は、前記組合決議は靑年同志会員の過去二年間にわたる努力が水泡に帰し組合側の敗退に帰したものであつて今日の結末を見たのは畢竟一部組合員の所謂裏切行爲に因るものであるとなし、被告人等を含むその他の靑年同志会員はこれ等所謂裏切行爲者と目せられる者をして労働者としての覚醒を促さしめ、ひいては六月二十七日行はるべき人事委員会を組合側の有利に展開するため最後の闘爭を試みようと考えて、
第一、被告人金内正は同年六月二十一日前記労働組合大会の終了した直後、同二階食堂において開催された靑年同志会員約六十名の会合の席において金塚一作(当二十二年)を呼び出した上、被告人阪西省吾と共同して右金塚一作に対して、被告人金内正は「君は靑年同志会を裏切つたではないか、全員に詑びろ」といいながら平手で同人の頬を一、二回殴り、被告人阪西省吾は「覚醒の鞭となれよ」等といいながら平手で同人の頬を二、三回殴り、もつて被告人両名共同して暴行を加え、
第二、被告人佐藤量作、同小川一夫、同和田義一郞、同吉沢直次郞、同小林春一、同橫山淸吾その他十五名位は同日午後九時三十分頃同工場北側守衞詰所に居合せた当日の組合大会の議長であつた武山昇二(当三十一年)を戸外に呼び出し、門外道路上において同人に対して被告人佐藤量策は「お前も同じ労働者ではないか、労働者の首を賣つて良心の苛責に堪えないか」等いいながら同人の胸倉をとつて「反省しろ」といい被告人吉沢直次郞は同人の胸倉をとつて「不当かく首だということは全員が認め、貴君も認めていたではないか、何故反対しなかつたのか、なぜ反省しないのか」といい、被告人小川一夫、同和田義一郞は口々に「反省しろ」といい、被告人小林春一は「労働者として正しい道を歩いて來たか」被告人橫山淸吾は「組合長の心中がわからないのか」とこもごも暴言を吐いて威嚇し、着衣等を掴んで押す等して、右被告人等は共同して脅迫及び暴行を加え、
第三、被告人佐藤量作、同吉沢直次郞、同山本秀治その他二十数名は、同月二十三日午後八時三十分頃同工場中の第二工場管理室において第二工場の職場大会を開催した際、北沢留藏(当四十五年)及び海津仁作(当三十五年)に対して、被告人佐藤量策は「辞表を出したか」等と詰問した上、同被告人は平手で五、六回吉沢直次郞は平手で二回、前記北沢留藏を殴打し、被告人山本秀治は手拳で二、三回前記海津仁作の顏面を殴打して同人に鼻血を流させ、もつて被告人佐藤量策、同吉沢直次郞、同山本秀治は共同して前記北沢及び海津に対し暴行を加え、その際被告人山本秀治は海津に鼻血を流させるという傷害を負はせ、
第四、被告人小川一夫、同和田義一郞は翌二十四日午前九時頃同工場の鑄物工場の一隅において、永井眞一(当二十四年)に対して、被告人和田義一郞は「君は此処へ來た理由はわかるだろう」等といいながら平手で同人の頬を一回殴り、被告人小川一夫は同よう平手で四回位同人を殴り、もつて被告人等は共同して暴行を加え、
第五、その直後頃、被告人橫山淸吾は佐藤良雄(当二十四年)を前記鑄物工場内に連れ出し、同所において同人に対して被告人橫山淸吾は「同志を裏切り、同志の首を賣つたと思わぬか」と、同和田義一郞は「君は誓約書を知つているか」と、同小林春一は「君の行動は同志を裏切り同志の首を賣つているではないか」と詰問すると、前記佐藤良雄は「会社案が正しいのである」というと、被告人等四名は憤激して、被告人橫山淸吾は平手で同人の左頬を殴り、同小川一夫は「君はそれでも労働者か」といいながら平手で一回殴打し、同和田義一郞は「誓約書を思い出せ」といいながら右平手で同人の左頬を一回殴打し、もつて被告人四名共同して暴行を加え、その暴行に因り前記佐藤良雄に対し全治まで約二週間を要する下口唇挫創を負はせ、
たものである。
証拠について考えると、
判示冐頭掲記の被告人等の業務、ならびに本件爭議内紛の経緯、及び本件犯行の動機等については、
一、被告人等の当公判廷における各自関係部分につきそれぞれ判示同旨の供述、
一、証人覚張武雄の当公判廷における判示に照應する関係部分の供述、
とによりこれを認め、
判示第一の事実は
一、被告人金内正、同阪西省吾の当公判廷における各自関係部分につきそれぞれ判示同旨の供述、
一、証人阪西政吉の当公判廷における、自分は靑年同志会員であるが六月二十一日午後四時過ぎ組合大会が終り北村委員長から会員は残るように言われ、北村委員長から過去二年間我々は頑張つて來たが大会で否決されたのは遺憾である、我々が最も期待するのは二十七日の人事委員会である。この人事委員会に圧力をかけて有利に展開しなければならないと意見が述べられ、次いで佐藤喜一、高橋甚四郞、大羽賀房雄が同樣の意見を述べた、それから自分の隣にいた金内が金塚に前に出ろというて前に出し、金内は反省しろと言つて殴つたが金塚が除けたので当らなかつたので再び殴つた後全員に謝れと言つた時に、金塚は所感を述べさせて貰いたいと言つて何か二言三言云つた。その後阪西省吾が出て來て金塚貴樣は未だ反省しないのか、反省しろ、貴樣と俺とは仲良くやつて來たのではないか、貴樣は眞から腐つた人間だとは思わない、思い直して人事委員会に一緖になつて圧力をかけてくれと言つた。その時金塚は二言三言何か言つたが判らなかつた。金内は貴樣はよく判つてくれたのだなと言つて更生の鞭だ、覚醒せよ、と言つて二つ三つ殴つてから、二人は抱き合つて泣いた旨の供述、
とによりこれを認め、
判示第二の事実は
一、被告人佐藤量策、同小川一夫、同和田義一郞、同吉沢直次郞、同小林春一、同橫山淸吾の当公判廷における各自関係部分につきそれぞれ判示同旨の供述、
一、証人小川保子の当公判廷における、判示日時頃自分が町へ行こうと思つて渡辺鉄工所の処へ來た時に、守衞所の前に大勢の人が集つて武山を取り卷き何か言つて居るので立ち止まつて聞いていたら、「武山考え直してくれ二十七日の人事委員会をしつかりやつてくれ」「前の武山に返つてくれ」という声が聞えたが、武山は默つて居たので皆がこれ程言つても判らぬのか、前の正しい労働者に返つてくれというと、武山は二十七日の人事委員会が終れば俺の心中は解る。その結果を見てくれと言つたので皆は労働歌をうたつて解散した。その時十五六名位の靑年同志会員と婦人部の者が四、五名位居り、その中に小池、和田、佐藤、小林、橫山、吉沢が居たのは判るが、その余の者は判らなかつたという供述、
一、証人小池辰雄の当公判廷における、自分は判示日時頃寮の渡〓貢の処で大会の話をしていたところ、九時半頃自分の外に小川一夫、小林春一、橫山淸吾、吉沢直次郞、佐藤量策等十四、五名で武山の裏切行爲に対して事情を聞き謝罪して貰うという話が纏り寮を出かけた。武山の家に行き武山が居るかと聞いたら妻君が野球を見に行つて未だ帰えらぬというので仕方なく町の方へ行こうと出たら、武山が守衞と十字路の処で話をしていたので、佐藤が一寸用があるから來てくれと言つて守衞所から十三間位離れた処まで連れて來て、吉沢は今晩は御苦労様ですというと、他の者は組合長の眞意が判らぬのか、何故我々を裏切つたのか、労働者として正しい道を歩いて來たか、労働者として恥じないか、長い間苦労を共にして來た仲間の首を賣つて恥じないのか、と忠告したのに対し武山は反省しないのみかごう然たる態度であつた。我々は以前の武山に返つて貰うために反省してくれと言うた。それを言う者の態度は眞劍で一言一句血を吐くような言葉であつた。武山は最後の人事委員会の結果を見てくれと言つたので、皆は武山が反省してくれたものと思つて赤旗の歌をうたつて解散した旨の供述、
一、押收にかゝる浴衣一枚(昭和二十三年(領)第六三五号の三)の存在、
とによりこれを認め
判示第三の事実は
一、被告人佐藤量作、同吉沢直次郞、同山本秀治の当公判廷における各自関係部分につきそれぞれ判示同旨の供述、
一、証人山子作三の当公判廷における、判示日時頃職場大会が開かれたが議題は今後の方針、不信任案について代議員から発表された。それについで代議員から今後残された問題は人事委員会にあるが人事委員会を最もよく公平にもつて行かなければならぬ、又不信任案を出したが、我々の親である担任者が己の地位を保つために子を犠牲にする担任者であることは残念だが、之迄仕事を指導し一緒に働いて來た仲だから、北沢、海津も話をすれば判つてくれるだろう、そうすれば不信任案も撤回しようという事に結論が出た、それでは担任者を呼んで反省して貰うという事で來て貰つて自分が今後誰が馘首されるのか不安な状態ある、今後仲良くやつて行くために腹臟のない意見を述べ合うというたら、佐藤が北沢の前に出て行き大会で決定したことではないか親が我が子の首を賣ろうとは思はなかつた、赤旗の件、歌の件どうしてあゝいう事を云うようになつたのか、貴方は辞表を出したのかと聞くと、北沢はお前等にはそういう権限はないんだというような事を言うたので、佐藤は我が子を犠牲にする考えなのか、赤旗の件、歌の件や並木君は首を切られるだろうというた件について反省してくれというと、北沢はそのようなことを云うてもと云うて判然した返答をしないので、佐藤は言つてくれ、全員も望んで居るんだと言つて平手で二つ殴つた。すると山本は海津に何故默つて居るんだと言つたが、海津は無言だつたので、又何故默つて居るんだと云つて二つ三つ平手で殴ると海津は済まぬ、済まぬと言つて後は二人で泣き崩れた。北沢は佐藤に済まぬ済まぬと云つて、頭を下げながら泣いていた。自分は担任者及び助手が謝つて居るから許してやつてくれと皆に云うた。そして誰かゞ担任者と助手は遠慮して貰いたいと行つたので二人は出て行つたが海津は鼻に紙を詰めて出て行つたので何うしたのかと尋ねたが、默つて居たので大したことはないと思つた旨の供述、
一、押收にかゝるズボン一足(昭和二十三年(領)第六三五号の四)の存在、
とによりこれを認め
判示第四の事実は
一、被告人小川一夫、同和田義一郞の当公判廷における各自関係部分につきそれぞれ判示同旨の供述、
一、証人永井眞一に対する檢察事務官の聽取書中、判示日時場所において和田が「お前此処に來たのは判るだろう」と言い自分は「判る」と言うと、和田は「調停案に対して賛成したか否か」と言うから「賛成した」と答えた、すると和田は「賛成したのが良いか惡いか」と訊ねたので、自分は「今の組合としては最上のものであろうと云うた。此の辺で小川は上衣を脱いで「何を最上な」というて自分の頬を平手で先に左頬一つ、後に右頬を一つ叩いた、次に和田に手拳で左頬二つ位殴られたように記憶する。次に名前も何処に居たものかも判らないが某一人が左の方から飛んで來て手拳で左頬と顎を一つづゝ殴つた。その後和田がけしかけるような言葉を用いた、その時に誰か(小川か和田か某か)判らないが平手で手拳で両頬を殴つた、自分は殴られる儘にして居たので殴り終つて二分位お互無言で居たが和田が「言う事はないか」と問うたので自分は「無い」というと、和田は「帰れ」と言うたので、自分の事務所に帰つた旨の供述記載、
とによりこれを認め
一、被告人橫山淸吾、同小川一夫、同和田義一郞、同小林春一の当公判廷における各自関係部分につきそれぞれ判示同旨の供述
一、証人小川保子の当公判廷における、自分は判示日時頃堀之内工場の看護婦であつたが、判示日時頃佐藤良雄が怪我をしたと知つている。それは大平利光が医務室に來て脱脂綿に赤チンキを少し泌ませてくれと言うて來たので、如何したのかと訊ねたら、佐藤が唇の処を少し傷を受けたのだ、と言うて居たので血が止まらなかつたら医務室に連れて來て呉れと言つて持たしてやつた。それから守衞所の脇が医務室になつて居るが佐藤が医務室の前を通つたのでどんなですと聞いたら、医者に行くのだと申したので、医者に行く前に診せて下さいというて医務室へ入れて診たら下唇のところが少し切れては居たが大した事はないと言うたが医者へ行くと言うて出て行つたという供述
一、証人佐藤良雄に対する副檢事の聽取書中、その翌六月二十三日朝出勤して職場へ行き一寸町へ出掛けて一時間半位して九時十五分頃工場へ帰り職場へ行く途中食堂前で橫山淸吾に会つた際同人は「大平利光が用があるから一寸來て呉れというた」と申した。その時前の方を見ると大平が前方五十米位の処に居たので同人の処へ行くと、橫山は大平に「用はないか」と言うたが大平は返事をしたか否か良く知らぬが嫌な顏をしていた。すると橫山が自分に「一寸來て呉れ」と言うたので、自分は大会後我々同志会の容認派の者は殴られて居るので何かやられるような予感がし、外へ出て下駄履の儘だし作業下駄と替えるために職場へ行こうとした処、橫山は「逃げる氣か」と云うたので、「逃げる氣はない」と言うて下駄を替えて橫山について行き、第二工場から鑄物工場内の半トンボイラーの元あつた処へ行くと橫山は「此処でよし」と言うて止まつた。自分も止つて後を振り返つて見ると橫山の外に、和田義一郞、小林春一小川一夫等がいた、橫山は「君は靑年同志会を裏切つたとは思わないか」と云うたので自分は「裏切つたとは思はない、自分は正しいと思つたから遣つたので、心を僞つた事は出來ないと」いうと、橫山だか誰だかが「君はそれでも靑年同志会員か」というた、その後二、三問答をしたが、その後和田は「君は誓約書を知つているか」と云いながら自分が返事に困つていると同人は平手で自分の両頬を三回殴つたことは良く判る、その後誰かにも七、八回殴られた。この殴つた際は四人で自分を取り囲み、和田と小林、小川の三人が最後に殴つたことは判るが橫山も後で三人と共に殴つた、すると自分の左口の辺から血が出てそのうちにクラクラとして其場へ倒れたが意識を夫つた訳ではない。自分が倒れると和田や小林、小川の三人は帰り、橫山だけ残つて居て「殴りたくて殴つたのではない、君は正しいと思うならその道を行け、俺達は正しいと思うから此道を行く、何方が幸福かという事は現在判らぬ、其の時自分達が間違つて居たら其の時は殴つて呉れ」と申した。なお橫山はちようど前方に女工が通つて來たので水を汲ませ、自分が血を洗い落した処自分の後頭部にも血が付いて居ると云うて手拭いで拭いて呉れた旨の供述記載
一、傷害の部位程度治療日数につき昭和二十三年六月二十四日附の堀之内病院医師野沢儀一作成の診断書中、判示に照應する傷害の部位程度、治療日数に関する記載
とを綜合して認められるから、以上の判示事実は全部その証明十分である。
弁護人四名は、いづれも本被告事件は表面上は組合員相互間に生じた紛爭であるが、本質的には組合員間の團結を強固にして六月二十七日開催される人事委員会を組合側の有利に導かんがために採られた最後の鬪爭手段であつて、本件各行爲は一の爭議行爲と見るべきものであるから労働組合法第一條第二項に所謂「正当なもの」として違法性を阻却されるから罪とならない。仮りに本件の各行爲が正当たる範囲を逸脱した違法な行爲であるとしても労働者の馘首は憲法第二十七條に保障された勤労の権利の侵害に対してなされた防衛行爲であるから正当防衛として違法性が阻却せらるべきものである。仮にそうでないとしても労働者の馘首という危難を避けんがために已むを得ざるに出でた緊急避難行爲であるから、違法性が阻却せられ罪とならないものであると主張するけれども、本件爭議は昭和二十三年二月頃会社側提案の企業再建整備案の発表をめぐり判示冐頭記載のような経過をたどつて同年六月二十一日の組合大会において第三者調停案を受諾し、その具体的人選は六月二十七日の人事委員会に一切を委ねる旨決定し、労資間に完全なる意見の一致を見、こゝに自主的協定が成立し本件爭議は円満なる解決により終了したものである。のみならず本件各行爲は間接的には判示のように会社側に対する一種の圧力となつて会社案を撤回させようという意図を包藏していたとしても、本質的には組合員の一部が他の一部組合員を対象として爲されたところの組合員相互間の紛爭行爲に過ぎないもめであつて、対会社関係における團結権、團体交渉権を確保せんがために爲された行爲とは認め難いから、本件各行爲は労働組合法第一條第二項により違法性を阻却せらるべきものとは謂い難い。弁護人は労働組合法第一條第二項は爭議の正当なる限り該爭議にもとづく爭議行爲も亦正当であるという趣旨である旨主張するけれども同條の規定は單に正当なる爭議行爲には刑法第三十五條の規定を適用して処罰しないという趣旨に解すべきであつて、右と見解を異にする弁護人の各主張はいづれも当裁判所の採用し難いところである。次に本件各行爲が正当防衛若くは緊急避難に該当するか否かについて考えると、これまた前説示のような理由からして急迫不正の侵害に対する防衛行爲、若くは現在の危難を避くる爲己むことを得ざるに出でた行爲とは認め難いからこれ等の主張はいづれも認容することは出來ない。被告人等は終始会社案反対の被告人等の主張は正しいものであると主張するのであるが、その正しいとする主張は飽まで言論によつて條理を盡して反対意見を説得せしめなければならない、民主主義は一應多数決で決めても永久に少数者を抑制するものではなく、言論の自由によつて何時でも少数が多数になり得る途は開かれているのである。それにも拘らず自己の主張のみを正しいとしてその主張を貫徹するに急なる余り、敍上の経路を履むことを迂遠なことゝして暴力によつて反対意見を制圧しようとすることは民主化された組合運動の秩序を紊るものといわなければならない。しかも六月二十一日の組合大会の意思決定には、被告人等の自由なる意思も包含されているものであつて、それがたとえ反対意見にしても被告人等が自己の意思を尊重せんとするならば、同時に他の意思の自由も尊重しなければならない。他の意思の自由を尊重するということは全体の意思の自由を尊重することであり、全体の幸福ということである。すなわち全体の幸福の枠内において個人の意思の自由が尊重せられるのであつて、全体の意思の自由を無視せんとする恣意は共同生活の組織のもとにおいては絶対に許されないところである。本件においては、已に被告人等の自由意思をも含めて自主的に六月二十一日組合大会の決議という全体の意思が決定されたのであつて、この尊重さるべき意思決定を自らの手によつて最後の圧力を加えて変更し、又は覆えさんと意図することは、健全なる組合運動の自殺行爲にもひとしきものと謂はなければならない。以上、縷述した諸点については將來被告人等が労働組合運動を推進して行く上において強く反省しなければならないところである。
飜つて、被告人等の本件犯情について考えると、本件犯行の動機は私怨私情から出でたものではなく、被告人等の労働組合運動に対する熱意からほとばしり出た一時的興奮により敢行せられた偶発的行爲であつてその間計画的何物もなかつたことは被告人等の当公判廷における供述により明かであり、会社並被害者側においてもいづれも被告人等の本件犯行に出でるに至つた心情を諒とし、寛大な処分を希望している事実、被告人等はいづれも前科のないことは勿論いづれも前途有爲の、生産復興のためには將來大いに爲すところあらんとする靑年であり、爭議も既に円満解決を見、経済の興隆に営々努力して居り、その成果の見るべきものがある事実等を綜合すれば、本件に対しては嚴罰を以て臨み、些かなりとも生産意慾をそぎ、組合運動の推進を阻害するようなことがありとせば刑政上その当を得たものとは謂い難く、寧ろ本件に対しては、たゞ被告人等の組合運動に対する反省を促し、刑名を正すことをもつて足りると考えられる。
よつて以上の事実を法律に当はめると、被告人金内正、同阪西省吾の各判示第一の所爲、及び被告人佐藤量策、同吉沢直次郞の各判示第二、第三の各所爲は、いづれも暴力行爲等処罰に関する法律第一條第一項、刑法第二百八條に各該当するから、いづれもその所定刑中懲役刑を選択し、被告人小川一夫、同和田義一郞の各判示第二、第四及び同小林春一、同橫山淸吾の各判示第二の各所爲は、いづれも暴力行爲等処罰に関する法律第一條第一項、刑法第二百八條に、被告人小川一夫、同和田義一郞、同小林春一、同橫山淸吾の各判示第五の所爲、及び被告人山本秀治の判示第三の所爲はいづれも暴力行爲等処罰に関する法律第一條第一項、刑法第二百八條に該当すると共に同法第二百四條に該当するのでいづれも所定刑中懲役刑を選択し、右はいづれも一個の行爲が同時に数個の罪名に触れる場合であるから同法第五十四條第一項前段第十條に則り重い傷害罪の刑に從い、被告人佐藤量策、同小川一夫、同和田義一郞、同吉沢直次郞、同小林春一、同橫山淸吾の以上各所爲はいづれも刑法第四十五條前段の併合罪であるから同法第四十七條第十條に則つて、被告人佐藤量策、同吉沢直次郞については犯情の重い第三の暴力行爲等処罰に関する法律違反の罪の刑に、被告人和田義一郞、同小川一夫、同小林春一、同橫山淸吾については最も犯情の重い第五の傷害罪の刑に、いづれも法定の加重をなした刑期範囲内において、被告人金内正、同阪西省吾、同小林春一、同橫山淸吾をいづれも懲役二月に、被告人佐藤量策、同小川一夫、同和田義一郞、同吉沢直次郞、同山本秀治をいづれも懲役三月に処し、犯情刑の執行を猶予するを相当と認めるから、刑法第二十五條を適用していづれも本裁判の確定した日から一年間右刑の執行を猶予すべく、訴訟費用は刑事訴訟法第二百三十七條第一項により全部被告人等をして負担せしむべきものとする。
右の理由にもとづいて主文の通り判決した次第である。
(裁判官 森口靜一)