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新潟地方裁判所長岡支部 平成12年(ワ)22号 判決 2002年7月17日

主文

1  被告は,原告Aに対し金9650万1440円及びこれに対する平成12年2月10日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

2  被告は,原告B及び同Cに対し各金600万円並びにこれに対する平成12年2月10日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

3  原告らのその余の各請求を棄却する。

4  訴訟費用は被告の負担とする。

5  この判決は,第1,2項に限り,仮に執行することができる。

事実及び理由

第1請求

被告は,原告Aに対し金9697万8265円,同B及び同Cに対し各金750万円及びこれに対する平成12年2月10日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

第2事案の概要

本件は,被告の開設する産婦人科医院において,三つ子を分娩した原告Cとその夫である原告Bが,その際,第三子として生まれた原告Aとともに,原告Aが低酸素性虚血性脳症による混合性四肢麻痺及び精神遅滞の後遺障害を負ったのは,三つ子(品胎)の分娩に適応できない被告開設の病院で原告Aらを分娩させたためであるなどとして,被告に対し,民法415条又は民法709条に基づいて損害賠償を請求した事案である。

1  争いのない事実及び証拠(後掲のかっこ内の証拠により認定)により容易に認められる事実等

(1)  当事者

ア 原告Aは,平成7年4月21日,原告Bを父,原告Cを母として,三つ子の第三子として出生した女児である。

イ 被告は,新潟県長岡市内に「甲クリニック」(以下「被告病院」という。)の名称で産婦人科医院を開設する産婦人科医師である。被告病院の医師は被告1人である。

ウ 原告Cは,平成6年8月,三つ子を妊娠し,同年9月26日,被告病院を訪れ,被告との間で原告Aを含む三つ子の分娩に関し,診療契約を締結した。これにより,被告には,原告Aを安全に分娩させるべき医療契約上の義務があった。

(2)  診療経過

ア 原告Cは,平成6年5月27日に被告病院を受診し,以後6月2日までほぼ毎日被告病院に通院し,その後同年8月ころ,某マタニティクリニックで体外受精・胚移植の方法で三つ子を妊娠し,同年9月26日,同クリニックのE医師の紹介状を持って再度被告病院を受診した(乙A4)。

イ 平成6年9月27日,原告Cは,出血と下腹痛を訴えて被告病院へ行き,切迫流産の危険があったため,そのまま同年10月6日まで入院した(乙A1)。

ウ(ア) 原告Cは,平成7年4月18日,被告病院に入院した。

(イ) 原告Cには,同月20日午後8時ころから,弱い陣痛が認められ た。

(ウ) 同月21日午前6時50分,原告Cは分娩室に入った(乙A2)。

(エ) 同日午前8時20分,被告により第一子につき人工破膜を行い,吸引分娩を施行,同日午前8時54分,第一子を娩出した。第一子の体重は2372グラムであった。診療録には,第一子のアプガースコアーは7と記載されている(乙A2)。

同日午前9時8分,第二子につき人工破膜し,吸引分娩を施行,同日午前9時40分,第二子を娩出した。第二子の体重は2988グラムであった。診療録には,第二子のアプガースコアーは8と記載されている(乙A2)。原告Cには,第一子及び第二子の分娩に伴い,1330グラムの出血があり,第二子出産後は意識がもうろうとしていた(被告本人,乙A2)。

原告Aの胎位は,第二子娩出まで横位であったが,その後,骨盤位となった。同日午前10時28分ないし50分ころ,第二子の胎盤が娩出した。同日午前11時22分,第三子である原告Aを経膣分娩により娩出した。原告Aの体重は2038グラムであった。診療録には,原告Aの娩出1分後のアプガースコアーは5と記載されているが,5分後のアプガースコアーは記載されていない(乙A2)。

(オ) 本件分娩時の被告病院のスタッフは,医師は被告1人,助産婦が1人,看護婦が4,5人であった(被告本人)。

エ 被告は,同日午後5時30分前後ころ,原告Aを長岡赤十字病院へ搬送することとし,被告または被告病院の看護婦が原告Aを抱いて乗用車で搬送し,同日午後6時ころ,同病院に到着した。原告Aは,同病院到着時,測定限界以下の低血糖状態にあり(甲A1,5),その後,同病院で治療を受けたが,低酸素性虚血性脳症に起因する重度の混合型四肢麻痺,精神遅滞の後遺障害が残った(甲C1の1,2)。

(3)  診療経過の詳細は別紙診療経過一覧表のとおり。

2  当事者の主張

(1)  原告らの主張

ア 複数の小児科医や多数の助産婦,看護婦が勤務する人的・物的設備の整った総合病院での出産を原告らに事前に説明・勧告せず,医師1名,助産婦1名,看護婦数名の個人病院である被告病院で漫然と経膣分娩に及んだ過失について

多胎の分娩は,早産,低体重児出産,胎位異常(後続の児の胎位がどのように変化するかをあらかじめ把握することが困難)が起こりやすいため,設備の完備した病産院で,陣痛開始前に計画分娩により帝王切開術を行うのが原則とされ,そのためには,手術を行う医師2名,麻酔専門医で輸血も行う医師1名,出生した児の蘇生,介護,検査を施行する医師3名,手術の器械出しを行う看護婦,手術の外回りを行う看護婦,新生児の蘇生,介護,検査の助手を行う看護婦各1名の合計3名の看護婦が必要である。

多胎の経膣分娩を行うことが可能な場合もあるが,事態が急変した場合には,いつでも上記のように帝王切開手術が可能な状態を備えておく必要がある。また,原告Aは,骨盤位で経膣分娩されたが,骨盤位分娩は,後続児頭と産道との間で,胎児の唯一の酸素供給路である臍帯が100パーセント圧迫される危険性があり,最大の抵抗である児頭が一番最後に娩出されることから,児の死亡率は25パーセントと高く,帝王切開術の方が安全である。また,そもそも,原告Aは,骨盤位になる前は経膣分娩不可能な横位であった。

以上のことに照らすと,医師被告1名,助産婦1名,看護婦数名の被告病院で,麻酔医の立会いもなく,小千谷市で開業する80歳の父の応援を求め,輸血用の血液をオーダーしてその到着を待って行われる帝王切開など不可能であるから,被告は,人的・物的設備の完備した医療施設(大学病院,国立病院などの総合病院)で選択的な帝王切開術による分娩をすべく,原告Cに対し,そのような病院での分娩を事前に説明・勧告すべきであった。また,原告Cを被告病院に入院させた後であっても,陣痛が開始した時点で原告Cを上記医療施設へ転送すべきであった。

しかるに,被告は,胎児仮死の危険性すら理解していないなどの様々な基本的認識の欠如から,被告病院での品胎の経膣分娩が可能と軽信して漫然と分娩に及んでおり,被告の過失は明白である。

イ 緊急に転医措置を採らなかった過失ないし蘇生後管理上の過失について原告Aは,胎児仮死に引き続き,診療録に分娩1分後のアプガースコアーは5と記載されているように,新生児仮死の状態であったが,かかる場合,脳血管の自己調節機能が破綻しているため,低酸素に伴う血圧上昇や筋虚血に伴う血圧低下が大きく影響し,脳障害の進行を助長して低酸素性虚血性脳症に陥りやすい。これを防止するためには,蘇生後,小児科医の援護や十分な人的・物的設備と看護の体制の下での体温管理,呼吸管理,循環管理,血糖管理などの慎重な新生児管理が必要であり,被告は,新生児仮死を予見し得た時点で,直ちに小児科医と連絡をとって,蘇生後,原告Aを,十分な新生児管理のできる病院へ安全な方法で搬送するべきであった。仮に,被告病院で管理をするとしても,原告Aは,早産,低出生体重児,骨盤位分娩,胎児仮死,新生児仮死の状態であったのであるから,その状態を細心の注意を払って観察し,必要な諸検査を実施し,治療を施して低酸素症,低血糖症の進行を防ぐための最善を尽くす義務があった。

しかるに,被告は,原告Aの蘇生措置後,保育器に収容しただけで体温,呼吸数,心拍数,血糖値等の測定もせず,目視による観察すら行わなかったのであるから,被告には,緊急に転医措置を採らなかった過失ないし蘇生後管理上の過失がある。

ウ 因果関係

原告Aは,第二子分娩後の胎盤早期剥離或いは臍帯巻絡による臍帯血流の障害のいずれかにより,母体から胎児への酸素供給が障害されて低酸素状態に陥って胎児仮死となり,その状態で約60分間放置され,重症の低酸素状態,アチドージス(血液中の酸素分圧の低下,二酸化炭素分圧の上昇が生じることにより,細胞が嫌気性代謝を開始するため乳酸等の有機酸が蓄積される症状,酸性血症)に陥り,これに引き続く新生児仮死,低酸素性虚血性脳症の進行により不可逆的な脳損傷,脳性麻痺の障害を負うことになった。母体からの多量出血による血圧低下も胎児への酸素供給の減少を増悪した。かかる事態は,人的・物的設備の整った総合病院で選択的帝王切開手術を実施していれば防ぎ得たものである。

エ 損害額

(ア) 原告Aの損害 9697万8265円

a 逸失利益 2530万2149円

原告Aの労働能力喪失率は100パーセントであり,回復の見通しはない。原告Aの就労可能年数は18歳から67歳までの49年間であり,毎年の収入額を335万1500円(平成8年賃金センサス産業計,企業規模計,女子労働者学歴計の平均賃金)を基準に,ライプニッツ方式により中間利息を控除して逸失利益の額を算出すると,2530万2149円となる。

b 付添介護費用 5167万6116円

原告の介護の状況からすると,原告は生涯にわたって日常生活に全面的に介護を要するものと推認され,1日あたりの介護料は6000円とみるのが相当である。

① 過去4年間の介護費用 876万円(6000×1460日)

② 将来の介護費用 4291万6116円

原告Aは本件訴訟提起時満4歳であり,平成8年簡易生命表によれば,女子4歳の平均余命は80年と推定されるので,80年間の介護料の原価をライプニッツ式計算法により計算すると,その額は4291万6116円となる(6000円×365日×19.5964)。

c 慰謝料 2000万円

原告Aの精神的苦痛に対する慰謝料は2000万円が相当である。

(イ) 原告B,同Cの損害 各750万円

原告Aの両親である原告B,同Cの精神的苦痛に対する慰謝料は,一人につき750万円が相当である。

(2)  被告の主張

ア 複数の小児科医や多数の助産婦,看護婦が勤務する人的・物的設備の整った総合病院での出産を事前に説明・勧告せず,医師1名,助産婦1名,看護婦数名の個人病院で漫然と経膣分娩に及んだ過失について

品胎であっても,帝王切開の準備を整えた上で経膣分娩を選択することは問題がなく,被告病院では,いつでも帝王切開が行えるように,器材のダブルセットアップをし,隣の小千谷市の産婦人科開業医である被告の父に連絡をすれば20分程度で被告病院へ来られるように手配してあり,輸血用の血液は帝王切開と決まった時に日赤にオーダーすれば10分程度で届く状態にしてあったから,いつでも帝王切開手術を行う準備が整っており,人的・物的に多胎分娩は可能であった。また,第一子,第二子とも,吸引分娩の方法により速やかな経膣分娩が可能であったこと,妊娠中毒症のため母体の状態が悪く帝王切開のための腰椎麻酔を行うことが困難な状態であったこと,子宮口が開大し,展退も進んでいたことなどから経膣分娩が可能と考えて経膣分娩を選択し,比較的短時間で遂娩に至っており,被告の選択に誤りはない。

イ 緊急に転医措置を採らなかった過失ないし蘇生後管理上の過失について原告Aは,保育器収容後,心拍数108,心雑音なし,呼吸は少し弱いもののよく泣き,筋緊張正常,チアノーゼ,吐血,下血もなく,全体として状態は良好であったのであり,転医の必要性は認められなかった。時々痙攣を認めたものの,胎内での血液供給不足や循環異常に伴うものと考え,経過観察で足りると判断した。

被告は,原告Aに出産時軽度の仮死が認められたため,当初は2,3分おきに呼吸やチアノーゼの状況を確認し,看護婦に対しても注意して観察するよう指示を出し,看護婦や助産婦も監視していたところ,午後5時30分過ぎに足首にチアノーゼが出現したため,直ちに長岡赤十字病院への搬送の準備をして転医したのであるから,出産後の管理について適切な対応を行っている。

ウ 因果関係について

原告Aの午前9時50分ころからの徐脈は,いずれも持続時間30秒程度で速やかに基線まで回復しており,重い胎児仮死を窺わせるものではなく,経過観察が可能な徐脈で,原告Aについて,母体内でほぼいつも認められた微弱な拍動のリズムである。その後,午前10時40分ころから持続性の徐脈が生じたが,この時点においては,原告Cの全身状態に照らし,経膣分娩を行って42分後の午前11時22分には原告Aを娩出しており,仮に帝王切開を選択したとしても,同じ位かそれ以上の時間がかかった。

原告Aは,他の二児に比べ着床が遅かったため,胎嚢が見えたり隠れたりする状況にあり,その後も心音の微弱な状態が続いていたことや,着床が遅く,かつ品胎であったために,栄養状態が悪く,発育に遅れがある状態であったことから,循環障害や諸臓器の発育不全のある形成不全の胎児であったのであり,このような循環障害や発育不全が出産時の胎児仮死及び低酸素脳症を招いたものである。

エ 損害額について

仮に被告になんらかの責任があるとしても,上記原告A自身の循環障害や発育不全といった器質が低酸素脳症に寄与したことは明らかであるから,損害の算定にあたっては,素因減額を行うべきである。

3  争点

本件の主な争点は,①被告の過失(ア 説明勧告義務違反,イ 転医義務・容態観察義務違反)の有無,②因果関係(原告Aの脳性麻痺の原因は被告の過失によるものか,先天的な「形成不全」によるものか),③損害額である。

第3争点に対する判断

1  被告の過失の有無について

(1)  複数の小児科医や多数の助産婦,看護婦が勤務する人的・物的設備の整った総合病院での出産を事前に説明・勧告せず,医師1名,助産婦1名,看護婦数名の個人病院で漫然と経膣分娩に及んだ過失について

ア 品胎の分娩方法の選択及び品胎分娩に必要な人的・物的準備に関する医学的知見

関係各証拠によれば,多胎の分娩方法の選択及び分娩に必要な人的・物的準備に関する医学的知見は次のとおりであると認められる。

多胎分娩というだけでは,帝王切開の適応とはなり難いが,前回帝王切開,重症妊娠中毒症,分娩遷延,微弱陣痛,胎児仮死,CPD,前置胎盤,臍帯脱出などの産科因子が存する場合のほか,胎位異常(骨盤位,横位)のある場合は帝王切開の適応となる。多胎分娩では,後続の胎位がどのように変化するかあらかじめ把握することが難しく,横位になってしまった場合には,児の娩出が困難になって胎児仮死を招く危険性が高いこと,三胎以上では早産に至ることが多く,低体重児の分娩が予想されることから,分娩時にストレスのない帝王切開が選択されることが多く,経膣分娩をする場合でも,途中で急変して帝王切開の適応が突発することもあるから,いつでも帝王切開できるようにダブルセットアップして,手術室で分娩させる必要がある(甲B1,2,乙B1,鑑定の結果)。

品胎の分娩において帝王切開を行う場合,帝王切開術を施行する医師2名,麻酔専門医で輸血を行う医師1名,出生した児の蘇生・介護・検査を施行する医師3名,その助手的看護婦3名(新生児1名毎に各1人の医師と看護婦),手術の器械出し,手術の外回りにそれぞれ看護婦1名の人的準備と,輸血用の血液,輸液,酸素,新生児蘇生用の気管内挿管器具3組,保育器3台,インファントウオーマー3台,全身麻酔器,血中ガス濃度分析器,その他新生児の血液生化学検査一式が可能な検査設備という物的準備が必要である(甲B1,鑑定の結果)。

また,経膣分娩を行う場合でも,母体を管理する医師と,胎児を管理する医師がその胎児数に相当する人数必要である(乙B1)。

イ 被告病院で本件分娩を行ったことの適否

以上の医学的知見に照らすと,多胎の分娩においては,始めから帝王切開を選択するのか,経膣分娩を選択するのかに関わらず,母体を管理又は手術する医師のほかに,胎児1名毎にそれを管理する医師が1名ずつ必要であるが,被告病院では,医師は被告1名しかおらず,帝王切開の必要性が生じた時には小千谷市で開業している被告の父(80歳)である産婦人科医を呼ぶという体制であったというのであるから,その点だけを見ても,到底娩出された3胎の胎児の管理を十分に行い得る状況にはなかったというべきである。

原告Aの胎位は当初横位であったところ,横位での経膣分娩は不可能とされているから(甲B25),本件の分娩は,当初から帝王切開を行うべきであったと認められ,また,鑑定の結果によれば,仮に経膣分娩による娩出をしたとしても,第二児娩出の際に,予め第三児である原告Aの胎位を横位から骨盤位に矯正しつつ下方へ誘導するように腹壁上から操作し,急速遂娩すべきであり,医師が2名以上いればこれが可能であったという。

しかるに,被告本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によれば,被告病院では上記のとおり帝王切開の必要性が生じたときに被告の父の産婦人科医を呼ぶということのほかには,多胎分娩や帝王切開に必要な人的準備を行うことは不可能であったと認められ,結局,いかなる分娩方法を選択するにしても,被告病院で品胎の分娩を行うべきでなかったことは明らかであり,被告は,原告B及び同Cに対し,小児科医や多数の助産婦,看護婦が勤務する人的・物的設備の整った総合病院で出産すべきことを事前に説明・勧告すべきであったのに,これをせずに被告病院で出産をさせた過失があるというべきである。

(2)  緊急に転医措置を採らなかった過失ないし蘇生後管理上の過失

ア 分娩監視装置による胎児仮死の判定等について

(ア) 医学文献(甲B4,20,23,26)によれば,胎児仮死とは,原因を問わずに,胎児ー胎盤系の呼吸循環不全を主徴とする症候群をいい,胎児の呼吸循環不全の症状は,胎児の心拍の異常により表現される。

正常の胎児心拍は,①毎分の心拍数が120~160bpmで,5秒間に10~13であること,②微細変動を示すこと,③陣痛発作時にも120~160bpmを逸脱しないことという3つの特色を有する。頻脈とは,児心拍数が毎分160以上,5秒間で13以上に増加した状態を言い,陣痛発作の時にだけ頻脈を示す早発頻脈と,陣痛間歇時にも頻脈の続く持続頻脈があり,前者は胎児の一過性の酸素欠乏を示すが,陣痛間歇時に正常脈に回復している時は心配はない。後者は,母体が発熱している時と,胎児に軽度の酸素欠乏が続いている時に現れる。徐脈に移行した時は危険である。徐脈とは,1分間の心拍数が100以下,5秒間で9以下になった状態をいい,10分以上徐脈が持続した時は,胎児仮死と診断し,急速遂娩を考える。①早発徐脈(陣痛開始とともに始まり,陣痛終了とほとんど同時に終了する徐脈),②遅発徐脈(陣痛のピークが過ぎてから,著明になる徐脈で,陣痛のピークから徐脈のピークまでの時間が18秒以上で,徐脈の形がV字型のもの。子宮胎盤循環不全による胎児の酸素欠乏によって起こる),③変動徐脈(徐脈の開始が陣痛波の開始に比べて早かったり遅かったりして不定であり,徐脈の波形がV字型でなくU字型または種々に変動し,微細変動が大きい徐脈。最小心拍数が60bpm以下になるか,徐脈が60秒以上続いたものを重症とし,胎児仮死,ことに臍帯が圧迫されたときに起こる),④持続徐脈(1分間100以下,5秒間9以下の徐脈が90秒以上続く時で,重症の胎児仮死に認められる極めて危険な兆候),⑤基線徐脈(陣痛間歇時の基線の心拍数自体が100bpm以下が続いている状態で,極めて危険な兆候。微細変動の消失を伴えば,さらに危険である)に分類される。

(イ) 鑑定の結果,甲A4号証及び弁論の全趣旨によれば,原告Aの胎児心拍数は以下のとおりと認められる(以下の時刻の記載は平成7年4月21日午前)。

9時50分以降  やや頻脈

9時53分    高度変動一過性徐脈1回 基線細変動あり

10時20分まで 変動一過性徐脈を反復  基線細変動あり

10時21分   高度変動一過性徐脈   基線細変動消失

以後11時22分まで 持続徐脈(90bpm程度)

10時21分の高度変動一過性徐脈後,持続徐脈が認められ,原告Aは,遅くともその時点から娩出されるまでの約1時間,重症の胎児仮死状態にあり,基線細変動も消失してアチドージスに陥っていたものと認められる。

イ 娩出後の原告Aの状況

(ア) 新生児仮死の判定及び仮死新生児の管理について

医学文献(甲B5,6,8,10,18)によれば,新生児仮死とは,第1呼吸の開発障害をいい,仮死の程度の表現にはアプガースコアが用いられ,児の娩出1分後に採点する。アプガースコア8以上が正常とされ,同0~3は重症仮死,同4~7は軽症仮死とされる。6以下の児については,5分後に再び採点する。新生児仮死の場合,脳,心肺,腎をはじめとする多臓器に機能不全を生じ,特に,中枢神経系は活発な代謝に反しエネルギーの蓄えがなく,酸素と脳循環に依存しているため低酸素症の影響を受けやすく,低酸素性虚血性脳症に陥りやすい。新生児仮死の管理は,低酸素性虚血性脳症の発症をいかにして防ぐかがポイントであり,そのためには,①十分な酸素投与などの呼吸管理,②循環管理(血圧管理),③血糖の管理(低血糖は脳障害の進行を助長するため,血糖値を80~100㎎/dl程度に維持する),④脳浮腫の管理,⑤痙攣予防(フェノバルビタールの投与など)などの全身管理が必要であり,また,出生後,小児科医への連絡が必要である。

(イ) 原告Aの状況

証人Fの証言,甲A6号証の1,3,4及び弁論の全趣旨によれば,原告Aは娩出されても産声が上がらず,その身体を医師ないし看護婦がたたくなどしており,その後,保育器に収容されて第一子,第二子とともに新生児室に寝かされたが,第一子,第二子が次第に眠るなどしていたのに対し,原告Aだけは,数秒おきに痙攣を繰り返しており,一見しただけで他の二子とは様子が異なっていたことが認められる。

原告Aの出生1分後のアプガースコアは,診療録(乙A2)に5と記載されているものの,5分後のアプガースコアについては記載がない。被告はアプガースコアは8に回復したと主張しているが,被告本人尋問でも明確に8に回復したとは述べることができずに曖昧な供述に終始しており,むしろ,5分後のアプガースコアを計測していなかったから診療録にも記載がないものと考えるのが合理的である。そして,原告Aが娩出前の約1時間,重症の胎児仮死状態にあったことや長岡赤十字病院へ搬送された時,原告Aが測定限界以下の低血糖状態であった状況などに照らしても,アプガースコアが正常値に回復したとは到底認められず,原告Aは,胎児仮死に引き続き,娩出後新生児仮死の状態に陥って痙攣を繰り返していたものと認められる。

以上で認定した事実(原告Aの娩出後の状況)や,被告病院に医師は被告1名で小児科医もいないことに照らすと,被告は,原告Aの蘇生後直ちに,上記のとおりの①呼吸管理,②循環管理,③血糖の管理,④脳浮腫の管理,⑤ 痙攣の予防などの十分な新生児管理のできる病院へ原告Aを転送すべきであったと認定するのが相当である。

しかるに,被告は,被告本人尋問において,原告Aを日赤病院に転送するまでの状況や転送する経緯について「分娩室の隣の新生児室のクーベスに酸素マスクを付けたまま原告Aを収容して当初は頻繁に呼吸やチアノーゼの有無を確認していた。看護婦や助産婦にも監視させていた。原告Aは痙攣を起こしていたが,胎内での血液の供給が不足していたり,循環に異常があったりすると,痙攣発作を起こすことがよくあり,痙攣発作を起こしたときの処置として『フェノバール』とかいう薬剤はあるが,そこまで強い痙攣ではなかったので,胎内での循環不全のために出たのだと認識した。5時半前後にチアノーゼが出てきて,痙攣もあるから,日赤へ送って見て貰おうという気になった」旨述べており,以上の被告本人尋問の結果を前提としても,被告は,原告A娩出後約6時間後に原告Aを日赤病院に転送するまでは,原告Aに酸素マスクを付けて保育器に収容しただけで,痙攣があることを認識していたにもかかわらず,それに対する処置を何らとらず,体温,呼吸数,心拍数,血糖値等の測定をしたことも証拠上窺われないのであり,被告の過失は明らかである。

(3)  以上のとおりであるから,被告は,複数の小児科医や多数の助産婦,看護婦が勤務する人的・物的設備の整った総合病院での出産を原告らに事前に説明・勧告せず,医師1名,助産婦1名,看護婦4,5名の個人病院で漫然と経膣分娩に及んだ過失及び緊急に転医措置を採らなかった過失と因果関係がある原告らが被った損害について,損害賠償責任を負うというべきである。

2  因果関係の有無

(1)  関係各証拠(甲B13),鑑定の結果及び弁論の全趣旨によれば

ア 脳性麻痺の原因は,

(ア) 先天性の中枢神経系の異常(脳水腫,小頭症,染色体異常,その他不明の原因)

(イ) 感染症(子宮内又は出生後),脳炎(ビールス性又は細菌性),脳脊髄膜炎(ビールス性又は細菌性)

(ウ) 新生児溶血性疾患,血液型不適合による黄疸,肝機能障害,原因不明の黄疸による核黄疸

(エ) 外傷性脳障害(胎児頭蓋内出血など胎児頭部の産道圧迫や吸引分娩,鉗子分娩など産科手術操作によるもの)

(オ) 酸素欠乏性脳障害(低酸素性虚血性脳障害)があり,(オ)をさらに妊娠中と分娩時,出生後に分けると

A 妊娠中

胎盤機能不全(予定日超過妊娠,重症妊娠中毒症など),早産による未熟児,子宮内発育遅滞による低出生体重児,母体の呼吸不全による低酸素症(麻酔薬投与,ガス中毒・薬物過剰投与など)

B 分娩時

胎児仮死(胎児低酸素症または胎児虚血性脳障害),胎盤機能不全(妊娠中毒症など),子宮・胎盤血流障害(過強陣痛,過強腹圧,子宮体部圧迫),臍帯血流障害(臍帯脱出・臍帯圧迫など),胎児の呼吸・循環障害(胎児頭部や体部の産道における長時間圧迫,分娩遷延による胎児予備機能の減弱),母体の低酸素症(麻酔・呼吸不全・出血・ショックなど)

C 出生後

呼吸中枢機能低下による低酸素症(新生児仮死の場合),肺機能不全,肺換気不全による低酸素症

に分類されること,

イ これに対し,約10年前から,脳性麻痺の大部分は先天性の原因によるもので,胎児仮死や新生児仮死によるものは少ないという説が主張されるようになり,米国産科婦人科学会は委員会意見として成熟児(出生体重2500グラム以上の児)において,①代謝性アチドージスを示す臍帯血ガスpH値が7.00未満であること,②出生後5分以上アプガースコアが0~3点であること,③新生児期に痙攣,昏睡,筋緊張低下などの神経学的後遺症が存在すること,④多臓器障害即ち心血管系,消化器系,血液,肺,腎などに障害があることという4つの条件を満たすのでなければ,分娩児の低酸素状態により脳性麻痺を発症したとは言えないとすべきだという見解を発表していること,

ウ 他方で,脳性麻痺の10~20パーセントは胎児仮死,或いは低酸素状態に起因するという疫学的調査報告があることなどが認められる。

(2)  原告Aの脳性麻痺の原因

ア 原告Aの脳性麻痺の原因については,原告は上記(1)ア(オ)の分娩時及び出生後の酸素欠乏性脳障害(低酸素性虚血性脳障害)が原因であると主張しているのに対し,被告は,原告Aは循環障害や諸臓器の発育不全のある形成不全の胎児であったとして,分娩時や出生後の酸素欠乏性脳障害ではなく,先天性の原因を主張している。

イ(ア) そこで検討するに,前記1(2)ア(イ),イ(イ)のとおり原告Aは,娩出前の約1時間,持続性徐脈が認められ,基線細変動も消失して重症の胎児仮死状態に陥っており,アチドージスも生じていたこと,娩出後もこれに引き続き新生児仮死の状態で痙攣を繰り返したまま6時間近く有効な措置を取られていなかったこと,長岡赤十字病院に転院時は測定限界を超える低血糖症に陥っていたなどの分娩時及び出産後の経緯に照らすと,原告Aの脳性麻痺は,分娩時の胎児仮死と娩出後の新生児仮死による低酸素性虚血性脳症に起因するものと認められ,原告Cの大量出血による血圧低下が原告Aへの酸素供給量の減少をさらに増悪させたものと推認される。分娩時の低酸素状態の機序としては,第二児娩出後に胎盤が娩出されていることから,その前後に原告Aの胎盤も剥離し始めて低酸素状態を惹起したか,あるいは臍帯巻絡を起こし,臍帯血管が圧迫されて低酸素状態を来たして胎児仮死が起き,その後新生児仮死となったものと推認するのが相当である。

(イ) 被告が主張する循環障害や諸臓器の発育不全のある形成不全については,その医学的意味は明かではないが,被告はその根拠として当初胎嚢が2つしか認められず,その後3つ目の胎嚢が現れても心拍動が弱かったことをあげており,診療録等には別紙診療経過一覧表記載のとおり平成6年9月26日に胎嚢が3つ認められたこと,平成6年9月27日,同月29日,同年10月4日には胎嚢が2つしか認められなかったこと,その後同月13日以降は胎嚢は3つ認められているものの,平成7年2月28日の妊婦検診まで毎回最小の胎児の心音が微弱であること(Herztoene schwach)などが記載されている。しかし,鑑定の結果及び弁論の全趣旨によれば,そもそも心音微弱ということの医学的意味自体が理解しがたく,被告病院においては,心拍数を数えて診療録に記載していないので,胎児がどのような状態であったか判定不能である上,初期に出現が遅れ,サイズが小さかった胎嚢の中の胎児が必ず小さな胎児になるとは限らないこと,胎嚢,胎児は子宮内で自由に位置を変化させることから,微弱とされた胎嚢ないし胎児が原告Aであったとは必ずしも認められない。さらに,平成7年3月14日以降は,3つの胎児の心拍はいずれも正常と記載されていること,分娩当日の午前10時20分まで,原告Aの心拍は,変動一過性徐脈を発症しているものの,基線細変動が保たれていることなどに照らすと,先天的な形成不全による心機能不全,臍帯循環の不全により原告Aに十分な酸素・栄養が長時間供給されなかったために中枢神経系の障害を来して脳性麻痺になったとは認められない。また,心臓の先天性異常や中枢神経系の先天異常などの諸臓器の形成不全の所見も認められないから,結局被告の主張は採用できない。

3  損害額

(1)  原告Aの損害 合計 9650万1440円

ア 逸失利益 2486万9562円

前記第2・1認定の原告Aの障害からすると,労働能力喪失率は終生にわたり100パーセントであると認めるのが相当である。

基礎収入を平成7年の女子労働者の全年齢平均賃金である329万4200円とし,これに前記の労働能力喪失率の100パーセント,及び0歳から67歳までの67年の労働能力喪失期間に対応するライプニッツ係数である19.2390から就労開始までの期間である0歳から18歳のライプニッツ係数である11.6895を差し引いた7.5495を乗じて算定すると,次の計算式のとおり,原告Aの逸失利益は2486万9562円となる。

329万4200円×(19.2390-11.6895)=2486万9562円

イ 付添介護費用 5163万1878円

原告Aの病状によれば,将来も終生常時介護を必要とし,その費用は1日あたり6000円と認定するのが相当である。

① 過去4年間の介護費用 876万円(6000×1460日)

② 本訴訟提起後の介護費用 4287万1878円

原告Aは本件訴訟提起時満4歳であり,平成7年簡易生命表によれば,女子4歳の平均余命は79年と推定されるので,79年間の介護料の原価をライプニッツ式計算法により計算すると,その額は4287万1878円となる。

6000円×365日×19.5762=4287万1878円

ウ 慰謝料 2000万円

原告Aの障害等に照らすと,原告Aの後遺症慰謝料は2000万円を下らない。

(2)  原告B,同Cの損害 各600万円

原告Aの両親である同B及び同Cは,両名の子である原告Aが前記のような重大な障害を負ったことにより,死に比肩すべき甚大な精神的苦痛を負わされたと認められ,これに対する慰謝料は,本件記録に顕れた一切の諸事情を考慮すると,各600万円が相当である。

(3)  素因減額の主張について

鑑定の結果によれば,原告Aは,品胎の一般的な現象としての早産(妊娠36週2日)と子宮内発育遅滞が起きたため,多少とも諸臓器の発育不全を有する胎児であることが認められ,かかる発育不全が低酸素状態に対する抵抗力低下の為に成熟児よりも脳性麻痺が発症しやすい状態にあったという限度で原告Aの脳性麻痺に因果関係が存するというが,これは抽象的な可能性に過ぎず,それを認めるに足りる証拠はない上,そもそも被告が注意義務を果たしていれば,原告Aを低酸素状態に陥らずに娩出できたはずであるから,これを素因として斟酌するのは相当でなく,被告の主張は採用できない。

4  結論

以上の次第で,原告Aの本訴請求は,被告に対し,9650万1440円及びこれに対する平成12年2月10日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度で,原告B及び同Cの各本訴請求は,被告に対し,各600万円及びこれに対する平成12年2月10日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度で,いずれも理由があるからこれを認容し,その余は理由がないから棄却することとし,主文のとおり判決する。

(裁判官 樋口隆明 裁判官 關紅亜礼)

裁判長裁判官草深重明は,退官のため署名押印することができない。裁判官 樋口隆明

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