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新潟地方裁判所長岡支部 昭和41年(ワ)274号 判決 1969年9月22日

原告 岡村興平 外六名

被告 大和土地改良区 外八名

主文

原告らの請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一、当事者の求める裁判

(請求の趣旨)

一、主位的請求

(一)、被告らは、南魚沼郡大和町大字海士ケ島新田字寺田一八番地先(別添図面<省略>(一)表示の(イ)点)に設置してあるヒユーム管に詰め込まれた石や土砂などの障害物を撤去せよ。

(二)、被告らは、右ヒユーム管に土砂、鉄扉等の障害物を設けて流水を妨害してはならない。

(三)、被告らは連帯して、

(1)  原告岡村興平に対し金二七一、八九三円、

(2)  同黒井昇に対し金二四六、三二四円、

(3)  同岡村賢吉に対し金一〇〇、二〇六円、

(4)  同関吉太郎に対し金一二二、六六七円、

(5)  同大竹欣竹郎に対し金四五、六八八円、

(6)  同岡村信雄に対し金一五、六六〇円、

(7)  同岡村強に対し金三九、四三六円、

および右各金員に対する昭和四二年一月七日から各完済に至るまで年五分の割合による各金員を支払え。

(四)、訴訟費用は被告らの連帯負担とする。

二、予備的請求(主位的請求の趣旨第一項が認められない場合につき)

被告らは原告らに対して、毎年六月一日から八月三一日までの間、同町大字浦佐字尼ケ島三四九四番地先地点(別添図面(一)表示の(ホ)点)において、水温一八度以上の水を毎秒五六、七〇〇立方センチメートル以上供給せよ。

なお、一項の(一)および三項につき仮執行の宣言を求める。

(請求の趣旨に対する答弁)

主文と同旨。

第二、当事者の主張

(請求の原因)

一、原告らの権利

原告らは、南魚沼郡大和町大字海士ケ島新田字寺田一八番地先から同町大字浦佐字尼ケ島六五番地先を経て、同字三四九五番地先に至る(別添図面(一)-以下単に「図面(一)」という-の(イ)ないし(ホ)の各点を結ぶ)排水路(以下これを「本件排水路」という)を通じて、毎年六月一日から八月三一日までの間、右尼ケ島三四九五番地先(図面(一)の(ホ)点)の本件排水路口において、本件排水路沿田の余水(排水、残水を含む、以下同)の全部および、右寺田一八番地先(図面(一)の(イ)点)に設置してあるヒユーム管(以下これを「第一ヒユーム管」という)を通じて、右第一ヒユーム管の南方に位置する訴外並木歓儀の所有地内より流出している水を本件排水路に流入させたものの合計流水を利用しうる権利を共有しているものである。しからずとしても、原告らは、右期間内、右尼ケ島三四九五番地先において、右の流水量に相当する水を被告らから提供してもらう権利を共有している。しかして、右期間内の本件排水路口における右流水量は毎秒五六、七〇〇立方センチメートル以上に相当し、右流水の平均温度は摂氏一八度以上である。

原告らが以上のような権利を取得するに至つた経緯は、次のとおりである。

(一)、「淵の川」の流水利用権

原告らは、昭和二八年ころ、訴外人数名と共に八色開田組合なる任意組合を結成し、共同して南魚沼郡大和町大字浦佐所在の通称八色原なる原野を開拓してこれを水田化した。そして、昭和二九年右八色原の西方を流れる寒瀬川東岸(別添図面(二)-以下単に「図面(二)」という-の「旧揚水機場」と表示した地点)に揚水機一基を設置し、これから右水田に揚引水していた。ところが、右寒瀬川の水温が平均摂氏一一度という寒冷で稲作に適しないところから、同川に注ぐ平均水温摂氏約一八度という通称「淵の川」(図面(二)の「淵の川」と表示した川)の流水を使用する必要が生じた。そこで、原告らは、昭和三〇年、右寒瀬川に注ぐ「淵の川」の川口付近の川床およびその東南岸地の所有者であつた訴外並木伝一ならびにその他関係者に対し「淵の川」の温水利用を申し出てその承諾を得た。その結果、原告らは「淵の川」と寒瀬川の合流点の付近の寒瀬川東岸(図面(一)および(二)の「揚水機場」と表示した地点)に揚水機二基を設置し、その後次に述べる土地改良事業が施行される昭和三九年までの間、主として「淵の川」から必要な水を揚引水していた。そして、夏場の水枯れ時期で「淵の川」の流水だけでは不足な場合には、右揚水機の水量自動調整装置により、不足分だけを寒瀬川の流水に頼つていたものであり、毎年六月一日から八月三一日までの間の「淵の川」と寒瀬川との右利用水量の割合を通算平均すると「淵の川」が七で寒瀬川が三の割合になつていた。しかして、右揚水機二基の揚水能力は、毎秒八一、〇〇〇立方センチメートルであり、毎年右期間中は右揚水機二基を昼夜間断なく運転していたものであるから、原告らが「淵の川」から揚引水していた水量は、毎秒五六、七〇〇立方センチメートルに相当する。

原告らが「淵の川」の流水利用権を有していたことは、次の事情からも明らかである。すなわち、昭和三八年一〇月ころ、前記寒瀬川の改修工事が施行されることになつたが、右改修工事がなされると、原告らの前記揚水機設置地点における寒瀬川および「淵の川」の水位がともに下つて原告らの揚引水に支障をきたすことになるところから、原告らは、同工事の施行責任者であつた八色土地改良区連合の理事長訴外大平東一郎ならびに南魚沼郡六日町耕作出張所長と交渉を重ねた結果、次の合意に達した。すなわち「淵の川」と寒瀬川との水位水源の維持管理は、八色土地改良区連合が責任を負うこととし、同連合は、寒瀬川と「淵の川」の合流点より約五メートル下流の寒瀬川に「セキ」を設置して両川の水位を確保する、という内容であつた。その結果、右地点(図面(一)の「セキ」と表示した地点)に「セキ」が設置されたのであり、この「セキ」は原告らの揚引水に必要なものとして設置されたものであつて、このことは原告らが「淵の川」の流水について利用権を有していたことを意味するものである。

以上のとおり、原告らは、訴外並木伝一ほか「淵の川」の関係者らとの契約によつて、しからずとするも慣習によつて、「淵の川」の流水を利用する権利を取得していたものである。

(二)、本件排水路の流水利用権

原告らは、前記のとおり昭和三〇年から継続して「淵の川」の流水を利用していたところ、昭和三九年に至り、「淵の川」が流れていた水田地一帯(図面(一)および(二)表示の範囲、以下これを「本件工区」という)に土地改良事業(以下単に「土改事業」という)が施行されることになり、「淵の川」も埋めたてられることとなつた。そこで、原告らは、右土改事業の施行主体であつた浦佐土地改良区(被告大和土地改良区の前身であつて、その余の被告らは被告大和土地改良区の構成員である)と交渉した結果、昭和三九年一一月、原告岡村興平宅において、当時同改良区の理事であつた訴外宮崎広二外三名の仲介のもとに、原告らと同改良区との間に次の合意が成立した。すなわち、原告らが「淵の川」の埋めたてに同意する代償として、同改良区は、「淵の川」に代わる流水を原告らに提供することとし、その方法として、(a)前記寺田一八番地先の第八号道路の下(図面(一)の(イ)点)に第一ヒユーム管を設置し、右第八号道路の南側にある訴外並木歓儀の所有地内より流出している水を、右第一ヒユーム管を通じて本件排水路に流入させ、(b)前記尼ケ島六五番地先(図面(一)の(ロ)点)に設置するヒユーム管(以下これを「第二ヒユーム管」という)を、同地点の本件排水路底より三〇センチメートル引き上げて設置することによつて、同地点の流水を右第二ヒユーム管からその北方に続く排水路に流失させないようにし、右(a)の流水と本件排水路沿田の余水とを合流させて、本件排水路口(図面(一)の(ホ)点)において原告らに提供するとの約定であつた。

本件排水路について原告らが右の如き流水利用権を有していることは、次の事実からも明らかである。すなわち、本件工区の土改事業は、昭和三九年一〇月に着工し、翌四〇年三月に図面(一)の通りに完成したものであるが、前記寺田一八番地先(図面(一)の(イ)点)に第一ヒユーム管が設置されていること、本件排水路のうち図面(一)の(ロ)ないし(ホ)の区間は、原告らの揚水機設置地点に前記の流水を導くために特に設計、設置されていることなどは、本件排水路について原告らの主張するような流水利用権が存在することを意味するものである。

(三)、「淵の川」の流水と同等水要求権(予備的主張)

(1)  かりに右(二)のような具体的な約定がなされていなかつたとしても、原告らと被告らとの間には、少なくとも被告らが「淵の川」の流水に代えてそれと同等の水を原告らに提供する旨の合意はなされていた。

(2)  また、もし右(1) の合意の成立さえ認められないとすれば、「淵の川」は原告らの同意なくして埋めたてられたことに帰するから、原告らは「淵の川」についての前記流水利用権に基いて「淵の川」の流水に代わるそれと同等の水を被告らに要求する権利を有する。けだし、原告らは「淵の川」の流水に代わる水を提供されるのでなければ同川の埋めたてには同意しなかつたのであるから、もし被告ら主張するような本件排水路沿田の余水だけしか与えられないという約定であれば、原告らの右同意は要素の錯誤により無効であるからである。

二、被告らの不法行為ないし債務不履行

(一)、第二ヒユーム管をめぐる争い

本件工区の土改事業は、前記のとおり昭和四〇年三月に完成したのであるが、被告らは、原告らとの約定に反して前記尼ケ島六五番地先の第二ヒユーム管を本件排水路底より三〇センチメートル引き上げて設置しなかつたため、同地点まで流れて来た水は、右第二ヒユーム管を通じてその北方に続く排水路に流失し、原告らの揚水地点に至る図面(一)の(ロ)ないし(ハ)の本件排水路へは殆んど流水が来ない状態であつた。そこで、原告らは、昭和四〇年九月、被告大和土地改良区の当時の代表者理事長であつた青木為之丞宛に、同年一一月末日までに前記約定に従つて第二ヒユーム管を三〇センチメートル引き上げて設置し直すように書面をもつて催告したが、被告らはこれに応じなかつた。しかして、原告らは、同年一二月一〇日、やむなく自分達で第二ヒユーム管を三〇センチメートル引き上げた。ところが、昭和四一年五月一一日に至り、被告らは、右第二ヒユーム管を元通り引き下ろしてしまつたので、原告らは、同年六月中旬、再びこれを三〇センチメートル引き上げた。

(二)、第一ヒユーム管の閉塞

かくするうち、被告らは、昭和四一年七月二日、第一ヒユーム管に石や土砂などを詰め込み、さらにその後、鉄扉を取り付けるなどしてこれを閉塞してしまつた。そのため、前記訴外並木歓儀所有地内より流出している水が本件排水路に流入しなくなり、原告らの揚水機設置地点には本件排水路からの流水は殆んどなくなつてしまつた。

以上の次第であるから、被告らの右第一ヒーム管の閉塞は、原告らの前記流水利用権を不法に侵害するものであり、しからずとするも前記第二の一の(二)の(a)の約定に反したのであるから債務不履行となるものである。従つて、被告らは、第一ヒユーム管に詰め込んだ石や土砂などを撤去し、また右第一ヒユーム管に鉄扉などを取り付けて流水を妨害してはならない義務があると共に、原告らの後記損害を賠償する義務がある。

三、権利の濫用

かりに原告らにその主張するような流水利用権またはそれに代わる権利がないとしても、被告らの前記第一ヒユーム管の閉塞は権利の濫用である。すなわち、

被告らによる第一ヒユーム管の閉塞によつて、原告らの受けた損害は後記のとおりであり、また今後受けるであろう損害は極めて甚大である。これに対し、被告らは第一ヒユーム管を閉塞しなくとも何らの損害を受けるものではなく、かつまた、原告らが「淵の川」の流水を利用し始めてから今日に至るまでの前記諸事情を総合すれば、被告らの第一ヒユーム管の閉塞は明らかに権利の濫用である。また、かりに被告らに第一ヒユーム管を閉塞する権利があるとしても、その閉塞は一部または一時的なものに止まるべきものである。

従つて、被告らは、権利濫用の効果として、第一ヒユーム管を開放すると共に、後記の損害を賠償すべき義務がある。

四、原告らの損害

原告らは、被告らが第一ヒユーム管を前記のとおり閉塞したため、本件排水路からの流水が殆んど無くなつてしまつたので、やむなく寒瀬川の寒冷な流水を利用せざるを得なくなつた。その結果、原告らの八色開田における稲作は大減収となり、原告らは、別紙一覧表<省略>損害額欄記載の通りの損害を受けた。従つて、被告らは、原告らに対し右各損害を賠償すべき義務がある。なお、右各損害額の計算方法は、八色開田における原告らの各耕作水田の昭和三五年から昭和三九年までの各平均収穫量を基準とし、これから昭和四〇年度と昭和四一年度の各収穫量を差し引き、右両年度の各減収量にそれぞれの年度の政府買上米価(昭和四〇年度・石当り金一六、三七五円、昭和四一年度・石当り金一七、八七五円)を積算したうえ、両年度の各損害額を合計したものである。

五、結論

よつて、原告らは、被告ら各自に対し、主位的に請求の趣旨一の(一)および(二)の各請求、予備的に同二の請求に及び、かつ、別紙一覧表記載の原告らの各損害金およびこれらに対する本訴状各送達の翌日である昭和四二年一月七日から完済に至るまで民法所定の年五分の割合による各遅延損害金の支払いを求めるものである。

(請求の原因に対する答弁)

一、請求の原因一の事実について

冒頭主張の事実は否認する。

(一)、「淵の川」の流水利用権の項

原告らが、訴外人数名と共に八色開田組合を結成して八色原を開拓しこれを水田化したこと、寒瀬川のその主張の場所に揚水機一基を設置してこれから右水田に揚引水していたこと、寒瀬川の流水が寒冷であり「淵の川」の流水が温暖であつたこと、原告らがその主張のような立場にある訴外並木伝一に「淵の川」の流水利用を申し出たこと、その後原告らがその主張の場所に揚水機二基を設置して揚引水していたことは認める。また、昭和三八年一〇月ころに寒瀬川の改修工事が施行されることになつたこと、同工事が施行されると寒瀬川の水位が下がること、原告らと八色土地改良区連合の理事長であつた訴外大平東一郎ならびに六日町耕作出張所長(同所長が右工事の施行責任者である)の間で話し合いがなされたこと、寒瀬川の原告ら主張の地点に「セキ」が設置され、同川の水位水源の維持管理は右連合が当ることになつたことも認める。以上を除くその余の事実はいずれも否認する。すなわち、

昭和三二年ころ、原告らは、訴外並木伝一に対し「淵の川」の流水を揚引水させてくれるように懇願したのであるが、その際、原告らは「原告らの八色開田への揚引水の大部分はこれを寒瀬川よりなすが、ただ、同訴外人ならびにその他従来からの「淵の川」の流水利用者が使用してなお同川の余水があつたときに限り、恩恵的に右の余水を原告らの水田に揚引水させて貰い、また将来、土改事業の施行その他いかなる場合にも、また誰に対しても、右の余水または同川水路の利用権その他いかなる権利をも絶対に主張しない。」旨を確約していたものである。

以上のとおり、原告らは「淵の川」について何らの権利を有していたものではなく、ただ恩恵的に同川の余水の利用を認められていたものに過ぎない。

(二)、本件排水路の流水利用権の項

昭和三九年に本件工区に土改事業施行されることになつて「淵の川」が埋めたての対象となつたこと、浦佐土地改良区(同改良区と被告大和土地改良区およびその余の被告らとの関係について原告ら主張は争わない)と原告らとの間で「淵の川」埋めたてについて交渉がなされたこと、同年(ただし一〇月)原告岡村興平宅で同改良区の理事であつた訴外宮崎広二外三名と原告らとの間で話し合いがなされたこと、本件工区において原告ら主張の時期に土改事業が着工、完成し、その主張の場所に第一ヒユーム管が設置されたことは認めるが、その余の事実はいずれも否認する。すなわち、

本件工区に土改事業が施行されるに当り、昭和三九年二、三月ころ、原告らは、被告らに対し「原告らは「淵の川」の余水または同川の水路の利用権その他いかなる権利を主張しない。また、土改事業の完了後は、設置される排水路に余水があつたときに限り、恩恵的に右の余水を原告らの八色開田の方へ揚引水させて貰うこととし、いかなる場合にも、右の余水または右排水路について利用権その他いかなる権利をも決して主張しない。」旨を確約して土改事業の施行に同意したものである。ところが、被告らが土改事業に着工して間もなく、同年一〇月ころ、原告らは、右約旨に反して「淵の川」についての流水利用権を主張し始めた。そこで、浦佐土地改良区の当時の理事長であつた訴外羽賀静吾外同区の理事四名が原告らと話し合いをした結果、原告らは、前記約旨を再確認したうえ土改事業の続行完成に同意したものである。

なお、本件排水路のうち、原告ら主張の図面(一)の(ロ)ないし(ホ)の設計、設置は、右区間付近の地形上から排水路が必要であつたためであつて、原告らの為に設置されたものではない。また、第一ヒユーム管を設置したのは、次の事情からである。すなわち、土改事業は本件工区の北方地域から着工し、漸次南方地域に向つて施行されたものであるが、工事最終の南端部である寺田一八番地先の第八号道路と同道路の南側に沿う用水路を築造するに当り、同所の土質上からブルドーザーによる転圧が不可能であつたため、冬期の積雪による自然圧によつて右道路の固定化を待たざるを得ない状況であつた。しかして、原告ら主張の訴外並木歓儀所有地内より流出して来る水は、当初から右用水路に流入させる計画であつたが、右道路が固定化しないうちにこれに沿う用水路に流水させると同道路が崩れてしまうので、同道路が固定してこれに沿う用水路を掘削竣工するまでの間の臨時的措置として、右訴外人の地内からの流水およびその他右用水路に流水される水を本件排水路やこれに通じているその他の排水路に流水させるため、右第一ヒユーム管が設置されたものである。従つて、第一ユーム管は、右第八号道路および同道路南側に沿う用水路の竣工後は撤去すべきものであつたが、右竣工後に至り、土改事業の監督官庁たる六日町耕作出張所(昭和四一年から六日町農地事務所と改称)により竣工検査がなされた際、第一ヒユーム管を撤去して同所を閉塞するのも費用がかかるから、多量の降雨などにより同ヒユーム管設置個所の上流が溢水し、その流域の水田に浸水して稲作が被害を受ける虞れが生じるなどの緊急事態が発生した場合に、その排水をなすための非常用として残存しておくようにとの勧告を受けたので、被告らはこれに従つて第一ヒユーム管を撤去しなかつたものである。

以上のとおりであつて、原告らは、本件排水路ないしその流水につき何らの権利をも有してはいない。

(三)、「淵の川」の流水と同等水量要求権の項

いずれも否認する。

二、請求の原因二の事実について

(一)、第二ヒユーム管をめぐる争いの項

原告ら主張のような争いがあつたことは認めるが、原告らの揚引水地点に流水が殆んど行かなかつたという点は争う。

原告らの主張するような約定がなかつたことは前記のとおりであり、また第二ヒユーム管を引き上げることは、後記のとおり甚大な損害が生じる虞れがあつたものである。

(二)、第一ヒユーム管閉塞の項

被告らが原告ら主張のころ第一ヒユーム管を閉塞したことは認めるが、その余は争う。

三、請求の原因三の事実について

否認する。

第一ヒユーム管は、前記のとおり非常用に残置しているのであつて、普段これを開放すると、本件排水路の流水が溢水して本件排水路沿田に浸水し、右水田の稲作が甚大な被害を受ける結果となる虞れがある。とくに、原告らが第二ヒユーム管を勝手に引き上げている現状においては、本件排水路のうち図面(一)の(ロ)ないし(ホ)の区間の流水が増大して水位が上がり、ために訴外並木伝一所有の水田の地下湧出水を排出するために設置してある暗渠(図面(一)の「暗渠」)と表示してある地点による排水が不可能となり、同訴外人の水田の稲作に甚大な損害が生じる虞れがある。

四、請求の原因四項の事実

争う。

原告ら八色開田における稲作の各収量は「淵の川」が埋めたてられた前後を通じて変動がないものである。

五、請求の原因五項の主張

争う。

第三、証拠関係<省略>

理由

一、契約による本件排水路の水利権について

(一)、先ず原告らが訴外人数名と共に八色開田組合を結成して八色原を開拓し、これを水田化したこと、寒瀬川の東岸の「図面(二)」に「旧揚水機場」と表示した地点に揚水機一基を設置、これから右水田に揚引水していたこと、寒瀬川の流水が寒冷であり、淵の川の流水が温暖であつたこと、原告らが淵の川の川口付近の川床およびその東南岸地所有者訴外並木伝一に淵の川の流水利用を申し出たこと、その後、原告らが淵の川と寒瀬川との合流点付近の寒瀬川東岸の「図面(一)および(二)」に「揚水機場」と表示した地点に揚水機二基を設置して揚引水していたこと、昭和三八年一〇月ころ寒瀬川の改修工事が施行されることとなつたこと、同工事が施行されると寒瀬川の水位が下がること、原告らと八色土地改良区連合の当時の理事長大平東一郎ならびに同工事施行の責任者である六日町耕作出張所長との間で話し合いがなされたこと、淵の川と寒瀬川との合流点から約五メートル下流の寒瀬川の「図面(一)」に「セキ」と表示した地点にセキが設置され、寒瀬川の水位水源の維持管理は右連合が当ることとなつたこと、昭和三九年に本件工区に土改事業が施行されることになつて淵の川が埋め立ての対象となつたこと、浦佐土地改良区と原告らとの間で淵の川埋め立てについて交渉がなされたこと、同年一〇月ないし一一月ごろ、原告岡村興平宅で同改良区の理事宮崎広二ほか三名と原告らとの間で話し合いがなされたこと、本件工区の土改事業が同年一〇月着工し、翌四〇年三月「図面(一)」のとおりに完成し、寺田一八番地の「図面(一)」の(イ)点と表示した地点に第一ヒユーム管が設置されたことの各事実は当事者間に争いがない。

(二)、しかして、被告ら代理人は、本件排水路の水利権に関する契約の成立を争うので、先ず、契約の成否を検討してみる。証人宮崎広二、同山本芳太郎、同小島賢治、同羽賀静吾(第一回)の各証言、原告岡村興平(第一回)、同黒井昇(第一回)、被告大和土地改良区代表者羽賀静吾各本人尋問の結果を総合すると、前記の話し合いについて、次の各事実を認めることができる。即ち、当時の、浦佐土地改良区の羽賀理事長から当時同改良区の理事であった宮崎広二ほか三名が原告らとの本件についての話し合いの仲介を委嘱され、その結果、前記のとおり話し合いがなされた。そこでは、寒瀬川寄りの水を原告らに利用させることで一応の話しが決まり、同月九日夜右宮崎らは、第三工区の組合員総会を招集し、原告岡村興平らとの話し合いの経過について報告したところ、その席では、余り水ならばやろうということになつた。そして、この会合での結論が、被告大和土地改良区連合の前身である浦佐土地改良区の羽賀理事長に伝えられると共に、原告岡村興平らにも伝えられ、本件紛争の惹起するまで異議なく経過した。前掲各証拠のうち、右認定に反する部分はいずれも措信できず、他に右認定を覆えすに足りる証拠はない。

そして、前記のとおり、第三工区の工事は完成を見たのであつて、以上の各事実によれば、訴外宮崎広二らの資格に代表権を認めることはできないけれども、第三工区総会での結論に対し、その報告を受けて双方とも何ら異議を述べることなく相当期間を経過しており、工事もその後は支障なく進渉しているのであるから、双方とも前記結論を了承したものと認めるのが相当であり双方がこれを了承した時に本件排水路に関する余水利用の契約は成立したものと言うべきである。

(三)、しかして、本件契約の内容については、前記のとおり、具体的には、余水を利用させるというにとどまる。成立に争いのない乙第七号証と検証の結果とによれば排小第四号は本件セキのある地点の南側で寒瀬川に通じ、排小第四号を通じている流水は、原告らによつて現に利用されていることを認めることができる。しかして、排小第四号を別紙図面(一)の(ロ)(ハ)(ニ)(ホ)の各点を経て、結局、本件セキの南側で寒瀬川と合流させたのは、証人羽賀静吾の証言と成立に争いのない乙第五ないし第七号証とを対比して、前記契約に基いて工事計画を変更したことにほかならないと認められ、この認定に反する証人白石静信(第一、二回)、同鈴木要吉の各証言はたやすく措信できず、他に右認定を覆えすに足りる証拠はない。従つて、右(ホ)点における余水に関して合意の成立したことは明らかである。しかしながら、余水の範囲については判然としない。先ず、原告岡村興平(第一回)、同黒井昇(第一回)の各本人尋問の結果によると、前記訴外宮崎広二らとの話し合いの際、別紙図面(一)の(イ)点付近に赴き、その際、右宮崎広二が訴外並木歓儀方西側の湧水を指し、「この水源を廻すようにする」旨述べ、原告らもこれを了承したというのであるが、証人宮崎広二、同山本芳太郎、同小島賢治の各証言によると、右宮崎らは原告岡村興平らの指示する地点に赴いたものとは認め難く、むしろ、現地を見ないで話し合いをすすめていたと窺知されるのであつて、まして、特定の水源からの水を利用させるという具体的な話し合いがなされたことは認められないのであつて、これらの証言と対比して、前記各本人尋問の結果は、いずれもたやすく措信できない。他にこれを認めるに足りる証拠はない。また、第二ヒユーム管を排水路底から三〇センチメートルひきあげた状態における余水である旨の具体的な話し合いがなされたことも、認めるに足りる証拠はない。ひつきようするところ、本件契約の内容は、余水を利用させるというに留まり、他に何ら具体的なとり決めは認められないのである。そうだとすると、余水の範囲については、原告らにおいて被告らに対し特に原状を変更するような新たな処分を求めることはできない反面、前記浦佐土地改良区においても、殊更に原告らの水利用を妨害はできない。即ち、通常の状態における余水であると解すべきである。そこで、本件では、先ず証人鈴木要吉、同白石静信(第一、二回)の各証言によると、第一ヒユーム管は、本来工事完了までの一時的なものとして設置したが工事完了後も非常時用のものとして存置してあるに過ぎず、第一ヒユーム管に常時水を通す予定ではないことが認められ、この認定を覆えすに足りる証拠はないのであつて、そうだとすると、第一ヒユーム管を閉塞することはやむを得ないものと言わなければならない。また、第二ヒユーム管については、前掲乙第七号証と証人白石静信の証言(第二回)とによれば、排小第一号はその構造上排水が北へ流れるものというべきで、特段の事情のない以上、第二ヒユーム管の地点で特に水流を阻むいわれはないものと考えられる。しかして、この点については、前記のとおり何らの特約も認められない。従つて、本件契約の内容としては、第一ヒユーム管は原則として閉塞し、第二ヒユーム管はひきあげることなくして、排小第四号の余水利用であると解するのが相当である。

(四)、ところで、本件契約の効力については問題があり、その点を按ずると、そもそも、自然の流水はその多少に拘らず原則としてこれを公水とみるべきであつて、公水については私人がこれを排他的、独占的かつ継続的に使用することができるのは河川管理者である所管行政庁の許可を受けた場合か、または慣習によつてその使用が権利として確立されている場合に限られ、何人の間においても私人が公水をたとえそれが余水であつても、勝手に譲渡その他の処分をすることは許されないというべきで、従つて、そのような内容の契約をしても、その点に関しては無効だと解される。しかしながら、契約自由の原則に従い、契約の当事者間の効果意思を考えるならば、いかなる意味においてもかかる契約の効力を否定する必要はなく、むしろ、そのような契約は、原則として水利施設の設置等の作為あるいは水利施設の利用の受忍もしくは流水利用の不妨害等の不作為の権利義務を設定したものと解するのが相当である。

本件においても、本件排水路の流水は、元来自然の流水を整理したものであつて公水と認められるので、本件契約の効力も前述したとおりと解することとなり、従つて、被告大和土地改良区は、前記揚水機場地点に排水路口を設置すること、前述した範囲の余水の利用を原告らがするのに対し浦佐土地改良区が妨害しないことを約した意味において有効に成立したものというべきである。そして、その範囲では、前項で認定した事実によれば、被告大和土地改良区は、その債務の給付をなしているものと認められる。

(五)、以上のとおりであるから、本件契約は有効に成立したが、しかし、その契約内容は前述のとおりで、その限りでは既に債務の履行がなされていることは既に述べたとおりであつて、原告らが請求の原因事実第二の一の(二)の(a)および(b)で主張している水利権は認められない。

二、淵の川の流水と同等な流水要求権について

(一)、先ず淵の川について、原告らの流水利用権の有無を検討してみることとする。

(1)、原告らの淵の川の利用状況をみてみると、いずれも成立に争いのない甲第五号証、乙第一、第三、第一〇、第一一、第一二号証、証人東由太郎、同岡村為一(第一、二回)、同黒井啓治郎、同並木伝一、同大平東一郎、同山田秀雄、同羽賀静吾、同石田舜夫(第一回)の各証言、原告岡村興平(第一、二回)、同黒井昇(第一回)、同関吉太郎、同岡村信雄、被告黒井一二三、同山田幸市(第一回)、同岡村獅子雄、同大和土地改良区代表者理事長羽賀静吾の各本人尋問の結果および検証の結果に弁論の全趣旨を総合すると、次の事実が認められる。

(イ)、八色開田は後記のように高台にあり、他に適当な水源も無いところから、八色原台地の西側崖下を同台地に沿つて南から北に流れている寒瀬川の水を利用することになつた。そこで、右水田開拓に並行して水路や揚水場の整備が行われ、昭和三〇年作の植付前に、同町大字浦佐三五五九番地の二所在の原告岡村興平宅の崖下にあたる寒瀬川の東岸(図面(二)の「旧揚水機場」と表示した地点)に二〇馬力の揚水機一基(揚水能力・毎秒〇・〇〇三立方メートル)が設置され、これによつて寒瀬川の流水が八色開田に揚引水されるようになつた。

寒瀬川は、本件工区の東端を前記のとおり八色原台地の崖下に沿つて流れている川であつて、川幅も広く、流水量も豊富(毎秒約〇・四五立方メートル)であるが、その名の示すとおり水温は寒冷で、六月から八月にかけての平均水温は摂氏一三度前後の川である。

(ロ) 八色開田における昭和三〇年度の稲作は寒瀬川の流水だけによつてまかなわれたが、初年度でもあり、また水温が低いうえに前記揚水機一基を昼間だけ運転させて揚引水された水量では水が不足だつたことなどから、同年度の収穫は少なかつた。そこで、揚水機を二基にしてこれを昼夜運転して水を充分揚引水することとし、またもう少し温い水を水田に与え増収を図ろうということになつた。しかして、前記揚水機場より七、八〇メートル下流地点に通称「淵の川」なる小川が、寒瀬川に注いでおり、同川は、寒瀬川との合流点より本件工区内を南西に遡る全長一五〇メートル位の小川(図面(二)表示のとおり)であり、その川幅は川口付近において一メートル内外で上流に行くに従つて狭くなつており、その水深は、水源の関係から一定していないが、川口付近において三〇センチメートル前後であり、上流に行くに従つて浅くなつていた。水源は、同川沿田の余水および同川にその南より連つている小支流(共にそれらの沿田の用排水路として利用されていた)からの流水であつた。しかして、同小川の流水が温暖であつて他にその流水を使つていた者もいなかつたところから、これを利用しようということになり、同年一一月、原告岡村興平と訴外黒井啓治郎の二名が八色開田組合を代表して、右「淵の川」の川口付近の川床およびその東南側の水田所有者であつた訴外並木伝一宅に行き、同訴外人に同小川の流水を八色開田に利用させて欲しい旨を申し入れ、同訴外人も、右流水を利用されることによつて特に支障は生じないということで、これを諒承した。その結果、八色開田組合では、昭和三一年の植付前に、揚水機場を寒瀬川と「淵の川」の合流地点にあたる寒瀬川の東岸(図面(一)および(二)の「揚水機場」と表示した地点)に移し、そこに二〇馬力の揚水機を更に一基足して合計二基(合計揚水能力・毎秒〇・〇〇六立方メートル)設置した。その揚引水の方法は、「淵の川」の温暖な流水を寒瀬川に流失させないために同川口に堤を築いてこれを溜池状にし、そこに寒瀬川東岸から同川床下にヒユーム管を通じたうえ、両川の水位は殆んど同じであつたので、揚引水により右溜池の水が減少すればそれに応じて寒瀬川の流水が同溜池に自然に流入するようにし、「淵の川」の温暖な流水と寒瀬川の寒冷な流水が混合されて八色開田へ揚引水されるという仕組みになつていた。このようにして、昭和三一年から後記の昭和三九年に「淵の川」が埋めたてられるまでの九年間、前記訴外並木伝一をはじめ「淵の川」の上流関係者等から異議が出るということもなく、両川の流水によつて八色開田の稲作が行われていた。

前掲各証拠のうち、右認定にそわない部分はいずれもたやすく措信できない。

(2)、そこで、原告らに淵の川の流水利用権が有つたか否かを検討する。

(イ)、先ず、契約による水利権の取得に関しては、前認定のとおり、並木伝一との間においては余水利用に関しその了承を得ているが、被告らとの間には、原告岡村興平本人尋問の結果(第一回)によると部落常会で承諾を得たというのであるが、これは直ちに措信することはできず、他には被告らの同意を得たことを認めるに足りる証拠はないのでこれを認めることはできない。

(ロ)、次に、慣習によつて右の如き流水利用権を取得するには、事実的な流水利用が長期にわたつて反復継続されることと共に、その流水利用の正当性に対する社会的承認が付与されることが必要である。しかして、右継続反復の期間は、その流水利用行為が一般社会人より侵すべからざるものと観念せられる程度の歴史的価値を有するものでなければならず、これを抽象的に限定することは不能というべきであるが、流水利用権は民法上の用水地役権に類似した権利と解されるところから、民法上の時効取得に準じ、かつ、当初より当該流水を自己の独占的排他的使用に属するものと考えないのが普通であるから、悪意のものと仮定し、同法第一三六条所定の二〇年の期間を以て一応の標準となし得るものと考えられる。しかし、右の如き広く一般第三者に対抗し得る流水利用権が取得できない場合であつても、なお、これとは別に、一定の流水につき、第一利用者に次いで第二利用者が現われ、第一利用者の承諾あるいは黙認により第二利用者の当該流水利用行為が数年間に亘つて反復継続された場合には、第一利用者は第二利用者の右流水利用に対し異議を述べ得なくなる、すなわち第二利用者は第一利用者との関係において流水利用権者たる地位を有するに至るものと解するのが条理上至当であり、これも対抗力の範囲が限定されている意味での慣習による流水利用権の一つであると考えられる。なお、個々の流水利用権の具体的内容や効力については、それぞれの慣習の態様によつて決定されることは言うまでもない。

(ハ)、以上の理を前提にして按ずるに、前叙(一)の(1) の事実によると、原告らが「淵の川」の流水を利用していた期間は約九年間に過ぎなかつたのであるから、その他の点について判断するまでもなく、その歴史的価値という点において既に、右に述べた広く一般第三者にも対抗しうるという意味での流水利用権が確立されたというには足りない。そこで、進んで、前述の対抗力の範囲が限定された意味での流水利用権の有無を検討するに、原告らは「淵の川」の川口関係者であつた訴外並木伝一の承諾を得、またその他同川上流関係者らの異議もなく(原告岡村興平は右上流関係者らからも承諾を得た旨を供述しているが、同原告の右供述は措信し難く、他に右関係者らの承諾まであつたと認めるに足る証拠はない)、同川の川口に溜池状の堤を築き、揚水機二基によつて寒瀬川の流水と共に右「淵の川」の流水を八色開田に揚引水してこれを利用していたのであり、原告らの右の如き「淵の川」の流水利用行為は、少なくとも同川の川口ないしその上流関係者に対する関係においては、前記約九年間を経て既に慣習として肯認されていたものと解するのが相当である。そうだとすると、右訴外並木伝一をはじめその他「淵の川」の上流関係者は、原告らの同川についての右流水利用行為に対し異議を述べ得なくなつた、すなわち原告らは、右の者らに対する関係においては、同川の流水利用権者たるの地位を有するに至つていたものというべきである。そこでさらに進んで、右流水利用権の具体的内容およびその効力について検討すると「淵の川」の流水は、同川沿田および同川に注ぐ二小支流の余水をその水源としており、その流水量は一定しておらず、原告らは、右の余水がある限度において「淵の川」の流水を利用できていたものであるから、その内容はいわゆる余水利用権に過ぎなかつたものと考えられ、そして、原告らと「淵の川」の右上流関係者らとの間は、対等な権利義務の関係ではなく、いわば懇請と恩恵的給付の関係であつて、余水がない場合にも、原告らは何ら一定量の流水を要求できるものではなかつたものと解される。

以上を要するに、原告らは「淵の川」の流水につき、訴外並木伝一およびその他同川の上流関係者に対して、いわゆる余水利用権の限度においては、その流水利用権を主張しえたものというべきである。しかして、被告大和土地改良区は、ここに言う上流関係者には該らない。しかし、そこに含まれる第三工区の組合員の多くは上流関係者であるから、同被告としては、信義則上、原告らの右余水利用権を尊重しなければならないと解するのが相当である。

(二)、そこで、淵の川の流水と同等な水を被告らにおいて提供する合意の成否についてみてみると、そのような明示の合意が成立したことを認めるに足りる証拠はない。黙示の場合について考えてみると、前掲証拠によればなるほど、本件契約の成立に至るまでの端緒は、原告らにおいて淵の川の流水利用ができなくなることから、浦佐土地改良区と交渉をしたのであることが認められるけれども、浦佐土地改良区のがわで原告らの水利権を認めていたことを認めるに足る証拠はなく、かえつて、八色開田組合が土地改良に対し受益者負担を収めておらず、従つて、同改良区も原告らを水利権者として扱つておらなかつたものと窺知されるのであつて、本件契約の際にも、同改良区としては原告らの水利権の補償として余水利用を決めたとは考えられず、まして、淵の川の流水と同等(質および量において等しいという意味であると解される。)の流水を原告らに利用させることが黙示においても定められたものとは認め難い。この点につき、証人涌井鶴太郎は当公判廷で、成立に争いのない甲第五号証につき、被告大和土地改良区の所属する八色土地改良区連合は原告らの水利権を承認したものであると述べているが、寒瀬川における揚水地点の水位水源を保証したことが直ちに淵の川の水利権を承認したものと解することはできず、同号証の文言についての同証人の解釈は、いささか索強付会の感がないわけでもなく、採るわけにはいかない。同旨の見解を述べる原告岡村興平本人尋問の結果(第一回)も同様に採らない。

(三)、そこで進んで錯誤の点について検討してみると、前記のとおり土地改良工事は原告らの異議により一時中止したものの、本件契約の成立により、工事が再開され、その後は滞りなく完了したのであつて、右工事の進行に伴ない、淵の川が消滅したものであるが、右の事実から、本件契約成立と同時に、淵の川の余水利用権を放棄したものと認めることができる。

しかして、原告らは、原告岡村興平(第一回)、同黒井昇(第一回)、同関吉太郎各本人尋問の結果によれば、右余水利用権について、土地改良に際し、名目上権利として認識していたか否かは問わず、実体的には権利として、異議を述べており、その結果、前認定のとおり、具体的範囲を明示はしなかつたが、余水利用ということで合意しており、その範囲は前記のとおりと解されるのであつて、原告岡村興平らと訴外宮崎広二らとの話し合いの際に、並木歓儀方西側の湧水についての話が出たものと認められ難いこと、前記のとおりである本件では、原告らは、前記範囲の余水を利用することを約したことによつて、淵の川の余水利用権を放棄したものと認められる。原告岡村興平本人尋問の結果(第一回)によれば、同人は、土地改良の結果、多少水が減ることを考えていたことが明らかであり、本件契約について、原告らに錯誤があつたことを認めることはできない。

(四)、従つて、原告らには、淵の川の流水と同等の水を被告らに対し請求する権利を認めることはできない。

三、権利の濫用について

本件工区の土改事業完成後、原告らが請求の原因二の(一)および(二)で主張するような第二ヒユーム管をめぐる争いおよび第一ヒユーム管の閉塞があつたことは、当事者間に争いがない。しかして、原告らは、右第一ヒユーム管の閉塞は権利の濫用であると主張するので、この点について判断するに、いずれも成立に争いがない乙第一、第七号証、証人鈴木要吉、同並木伝一、同山田秀雄の各証言ならびに被告岡村獅子雄、同山田幸市(第一回)の各本人尋問の結果に検証の結果を総合すると、次の事実が認められる。

本件工区の土改事業の主目的の一つは、用・排水路を整備することにあつたが、それらの設置に当つては、水田を充分乾田化して増産を図るため、用・排水路の分離設置が必要であつた。こうした観点から、右土改事業によつて図面(一)のとおりに用・排水路が設置されたのであるが、本件排水路に係る排小第一、第二、第四各号はいずれも排水専用水路である。そして、用水路は、漏水を防ぐためにコンクリートによるU字溝であるが、排水路は、沿田の田面下に浸透した水(俗にしぼり水という)を集めるために土溝となつている。こうした土溝排水路にその沿田の余水以外の水を流入させると、土溝が崩壊して流水が通らなくなるばかりでなく、排水路の水位が上つて沿田の乾田化ができなくなり、土改事業による効果があがらず、増産という目的も達成できないことになる。本件排水路についてみても、前叙一の(三)の理由でもつて設置残存されている第一ヒユーム管を開放して、問題の訴外並木歓儀所有地内より流出している水を本件排水路に流入させることにすると、その水量の多少に拘らず用・排分離という本件工区における土改事業の趣旨が徹底されないばかりではなく、本件排水路沿田に右の如き結果を招来する虞れが認められる。しかも、原告らが第二ヒユーム管を引き上げて、本件排水路のうち図面(一)の(イ)から(ロ)までの区間の流水が全部排小第四号に流入するような事態になつたならとくに、同排水路の図面(一)の(ハ)から(ニ)までの区間の東側にある訴外並木伝一所有水田の地下湧水排出用の暗渠が、水位上昇のためにその機能を発揮できなくなり、右水田の稲作に大きな損害をもたらす虞れがある。

これに対し、原告ら各本人尋問の結果(原告岡村興平についてはその第二回、同黒井昇についてはその第一回)によれば、原告らの八色開田における昭和三九年および四〇年の両年度の稲作は、従前より或る程度減収になつたことは窺われるが、それが「淵の川」埋めたて以前より温水が減つたことだけが原因であるとまでは確定し得ず、他にこれを確定することを認めるに足る証拠はない。また、原告ら主張の別紙一覧表記載の右両年度の各減収量については、これに副う右原告ら各本人尋問の結果およびそれらによつて真正に成立したものと認められる甲第一号証があるが、右各証拠は、成立に争いのない乙第四号証、証人石田舜夫の証言(第一、二回)によつて真正に成立したものと認められる乙第一三の一ないし五および同証言に照らして、正確なものとは措信できない。かえつて、原告黒井昇(第一回)および同関吉太郎の各本人尋問の結果によれば、八色開田における昭和四二年度の稲作は豊作であつて、その収量は「淵の川」埋めたて以前のそれより少なくなかつたことが窺われる。

右の事実と前叙一の(三)の事実とを併せ考えると、被告らにおいて第一ヒユーム管を閉塞することは当然の措置といえるのであつて、何ら権利の濫用に該るものとは言えない。従つて、原告らにおいて被告らに対し第一ヒユーム管の開放を求める権利を認めることはできない。

四、損害賠償請求について

淵の川の水利権または本件排水路の第一ヒユーム管を開放し、第二ヒユーム管をひき上げた状態での水利権の各存在を前提として不法行為または債務不履行および権利の濫用による損害賠償請求については、本件契約による被告大和土地改良区の債務としては、前叙一の(三)のとおり、既に給付がなされており、原告らには本件排水路の水利について右以上の請求権は今まで述べて来たとおり認められず、また、淵の川の余水利用権は、前叙二の(三)のとおり原告らにおいて放棄したのであるから、これらはいずれもその請求の前提を欠き、その余について判断するまでもなく認めることができない。

五、結論

以上にみてきたとおり、原告らの本訴請求は、いずれも、理由がないので失当として棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九三条第一項本文を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 豊島正巳 萩原昌三郎 梶原暢二)

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