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新潟地方裁判所高田支部 平成11年(ワ)97号 判決 2001年2月28日

原告

上越市

同代表者市長

宮越馨

同訴訟代理人弁護士

藤田善六

長谷川進

同訴訟復代理人弁護士

岩渕浩

後藤直樹

被告

株式会社東京放送

同代表者代表取締役

砂原幸雄

被告

三辺吉彦

吉岡攻

上記三名訴訟代理人弁護士

寺井一弘

古口章

桑原育朗

椛嶋裕之

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第三 判断

一  本案前の主張に対する判断

地方公共団体は国と並んで公権力行使の主体ではあるが、その公権力は法律の定める範囲内(憲法九四条)でのみ行使されるものであり、公権力行使の主体としては制限的なもので、国と同視することはできない。国については名誉毀損の客体とはならないとしても、地方公共団体について当然に名誉毀損の対象とはならないということはできないと言うべきである。

ところで、原告のような市町村は全国に多数(原告の主張では平成一一年四月現在で三二二九)存在している。その間には自ずから評価の優劣が生じるものと言うべきである。この点も、国内に関する限り一つしか存在し得ない国とは異なるものと言うべきである。そして、私人が市町村の社会的評価を低下させるような行為をした場合、当該市町村の範囲内及び隣接する市町村の範囲内ではこれに対する適切な措置を取りうるとしても、市町村の財政力は千差万別であり、常に全国的に適切な措置を取りうるものとは考えられない。

当裁判所は、地方公共団体にも社会的評価はあるものであり、その評価を低下させる行為(名誉毀損と呼ぶかは用語の問題と考える)は観念できるものと考える。地方公共団体は名誉毀損の客体とはならないと解することはできないと解する。

なお、地方公共団体が国と並ぶ公権力行使の主体であること、国民主権の下、わが国においては民主主義の原理で地方公共団体の運営が行われていることから、地方公共団体に名誉毀損が成立しうる範囲は法人を含む私人とは大いに異なるものと解される。

二  本案に対する判断

(1)  首長に対する批判、地方公共団体の行政運営のあり方に対する批判と地方公共団体に対する名誉毀損の成否

上記一記載のとおり、地方公共団体に対する名誉毀損は成立しうると当裁判所は考える。しかし、そのことから、当然に地方公共団体に成立する名誉毀損の範囲が法人を含む私人と同様なものであるとは解されない。

すなわち、わが国においては、国民主権と民主主義の原理の下、首長と地方議会の議員を住民の直接選挙で選出し、その首長と議員に当該地方公共団体の運営を委ねるという方法を採用しているが、一旦選出した首長と議員に完全にその運営を委ねるのではなく、住民の不断の批判によるコントロールを当然の前提としているものである。つまり、地方公共団体の首長と議員、さらに地方公共団体の運営方法は不断の批判の対象であると言うことができる。

そうすると、地方公共団体の首長と議員、さらに地方公共団体の運営方法に対する批判と当該地方公共団体そのものに対する批判とは別個のものであると解すべきことになる。つまり、本訴において、原告は本件番組が虚偽報道であることを前提に名誉毀損を論じている。しかし、名誉毀損は摘示された事実が虚偽である場合に成立するのではなく、摘示された事実が真実であるか否かにかかわらず、法人を含む対象の人物の社会的評価を低下させる事実でありさえすれば成立するのが原則であり、ただ、事実の摘示が公益目的を有し、かつその事実が真実であるか真実であると信じることにつき相当な理由があったことを、事実を摘示した人物が立証した場合には、成立しないのである。そうすると、原告主張のとおり、首長に対する名誉毀損が当然に当該地方公共団体に対する名誉毀損となるというのであれば、例えば、現在の首長よりも別の人物が首長に相応しいと考えている住民が、その一環として当該首長を批判した場合、それは当該地方公共団体のためによかれと思ってした行為であるのに、当該地方公共団体に対する名誉毀損となるということにならざるを得ない。これはいかにもおかしいことである。

結局、私法人については代表者に対する名誉毀損がそのまま当該法人に対する名誉毀損にもなるということが言えるとしても、民主主義の原理の下、首長に対する批判、地方公共団体の行政運営に対する批判は、当該地方公共団体そのものに対する批判とは別個のものと解するのが相当であり、首長ないし当該行政運営を担当している首長以下の当該地方公共団体の職員、あるいは議員に対する名誉毀損となることはあっても、当該地方公共団体に対する名誉毀損とはならないものと解すべきである。

(2)  本件報道について

ア  甲一は本件番組を録画したビデオテープ(なお、甲一は当日の「JNN報道特集」の全部を録画したものではない。乙五〇の五七頁)である。甲一によれば、本件番組は概ね以下のような内容である。

まず、冒頭において、「公共工事に疑惑あり!」との字幕が映し出され、「封印されていた公共事業疑惑、新潟県上越市が揺れている。ゴミ焼却場解体工事の陰で行われたさまざまな裏工作。解体された廃材は一体どこへ運ばれたのか。そして投棄現場からはダイオキシンが」とのナレーションが入り、さらに「『公共工事の闇』に迫る」との字幕が映し出され、「不透明な公共事業に切り込みます」とのナレーションが入っている。

次いで、藤建の小山専務の自殺が取り上げられ、その葬儀を背景に「彼はこの日、八時間にわたって警察の取調を受けていた。容疑は産業廃棄物の不法投棄についてである」、「実は、彼の会社はその産廃事件とは別に疑惑を囁かれているある工事を請け負っていた。」、「鍵を握る専務の自殺。彼は一体どんな秘密を背負って逝ったのか」とのナレーションが入っている。

その後、「不正は一切無い?」との質問に「無い無い」と答える宮越市長が映し出され、その後、「公共工事に疑惑あり!」との字幕が映し出されている。

さらに、田丸美寿々キャスターとのやり取りの中で、被告吉岡は「ゴミ焼却場解体工事というのが行われたんですね。しかし、この解体工事に不正があったのではないかという疑惑が実は持ち上がっていまして」と述べている。

その後「そもそも、南クリーンセンターは何故解体されることになったのか」、「そこへ突如、解体工事の入札話が浮上したのだった」、「工事は結局ある建設会社が七八〇〇万円で落札した。だが、実際の工事をした解体業者の請負金額はそれをはるかに下回るものだった。ある関係者はこう見る」とのナレーションとともに、「話、建設関係者、(請負金額は)一七五〇万円とか一七〇〇万円と」との字幕が入り、「受けたところはいくらぐらい」とのインタビューに建設関係者らしき者が「一七五〇とか一七〇〇とか聞いているね」と答えている。そして、「これが事実なら、元請の受注金額七八〇〇万円との間に六〇〇〇万円以上の開きがある」、「この工事の実際の作業をしたのが実は自殺した小山専務の会社、藤建という解体業者である」、「つまりこの工事は元請の宮澤建設から下請に出され、結局孫請の藤建が実際の工事を担当した」とのナレーションが入り、画面上段から宮越市長→元請け宮澤建設→下請け渡辺建設→孫請け藤建との字幕が入っている。

続いて、「元請の宮澤建設の社長は、実は宮越市長の遠縁に当たる人物である。落札の背景をこう語る関係者もいる」とのナレーションが入り、引き続き「宮澤JVは、実際に壊す技術力というかね、まず、一〇〇パーセント無理だったでしょうね」との関係者の声とともに、「建設関係者、宮澤建設では技術力の点でムリ」との字幕が入っている。そして、同一人物の「まあ、最後のところで、天の声というのかね。宮越さんが商会に降りろと」との声とともに、「建設関係者、最後のところで“天の声”が」との字幕が入っている。

そして、「南クリーンセンターの解体費用七八〇〇万円は高すぎるのではないかと市議会でも追求に火がついた」とナレーションが入り、市議会でのやり取りが映された後、「そして、市長派の議員が興奮のあまり」とナレーションが入り、議員が上越市議会の議場で倒れる場面が映し出された。

「一〇〇〇枚に上る工事写真。その中に疑惑を説くカギが潜んでいる」、「市議会での追求はまず、煙突の解体方法が焦点となった」、「ある議員。足場を組んで手作業で解体するはずなのに、実際はクレーンで一気に解体し、費用を安く上げている、と主張。これで浮いたと見られる二六〇万円について業者からの返還を要求した。これに対し、市側はクレーン解体の方がむしろ割高になるため、その必要はないと突っぱねた」とのナレーションが入っている。

「さらにこんな疑惑も浮上した」、「今回の工事では、古くなった建物部分を解体した後、六一四本の基礎杭を全て引き抜く計画だった」、「その費用としておよそ一〇〇〇万円が計上されていた」、「市議会に対して、市側は実際に、ほとんど全ての杭を抜いたと説明している」、「私たちは杭を打ち込んだ建設会社の人に話を聞くことができた」とのナレーションが入り、「話、杭を打った建設関係者」との字幕とともに、杭を打った建設会社の関係者と思われる人物が「現実に金掛けて抜く必要もないと思うし、あとで何か使うんだって、そこが邪魔だから、杭邪魔だからって、抜くって言うなら話は別だろうけど」と話している。そして、「地元の業界では、杭を全て抜くと数千万円かかるとも言われている」、「六一四本の杭は本当に抜かれているのだろうか」とのナレーションが入っている。

そして、田丸美寿々キャスターとのやり取りの中で被告吉岡は、「市側の資料によりますとね、この一メーターか二メーターの杭しかないんですね」、「杭を打ち込んだ業者さんに言わせますと、そんな二メーターの杭では用をなさないと言うわけですね。ですから何らかの目的を持って短くしたんではないかという風な疑いの声と言いましょうか、そういう声もありますし。それとですね、六一四本の杭を全部抜くとですね、数千万円はかかると。それが今ありましたように一〇〇〇万円の撤去費用で賄えるはずがないというふうに指摘する業者さんの声もあるということですね」と話している。

さらに、本件工事現場から出た産業廃棄物が不法投棄されたとする牧村の現場及び採取された物の分析並びに本件工事現場から出た産業廃棄物が不法投棄されたとする末野新田の現場での廃棄物掘り出し作業の状況が映し出された後、「元請け金額とかけ離れた孫請け会社の無理な受注が、こうした不法な投棄につながったのだろうか」とのナレーションが入っている。

続いて、「さまざまな疑問を、工事発注の責任者宮越市長にぶつけてみる」とのナレーションに引き続き、被告吉岡による宮越市長へのインタビューが入り、「あの、南クリーンセンターのですね、解体設計に当たってはいろいろ、不正があったんじゃないかと指摘が今しているわけですね」、「何もないですよ、でっち上げなんですよね」、「不正は一切無い?」、「無い無い、絶対ない。私はそんなことやるわけない。私というか、市の行政はそんなこと絶対ない」との問答が映し出され、「工事の担当課長が書類送検され、孫請け会社の専務が自殺。この異様な公共工事。果たして問題がなかったと言いきれるのか」とのナレーションが入っている。

そして、本件番組の最後に被告吉岡が「一言で言いますと、農業とそれから公共工事で依存しているまちという印象がありまして、その中で起きた事件だと思いましたね」と話し、これを受けて、田丸美寿々キャスターが「やっぱり小さなまちでは、行政と業者のもたれあわざるをえないということがあるんですね」と応じ、被告吉岡が「上越の場合、主要建設会社は三〇社と言われているわけですね。そうしますと、どういう人が市長さんになるかということがですね、建設会社とすればピリピリとした雰囲気にならざるを得ない。そういうものがもし背景にあるとすればですね、公共工事というものはですね、国民の税金でやってるものですから、やはり不正は許されないというふうに感じていますね」と話している。

イ  上記ア記載の事実から、本件番組は上越地域広域行政組合が原告に委託して発注した本件工事に疑惑があるとして、上越市議会での議論や宮越市長とのインタビューも交えて、そのポイントを何点かにわたり報道しているものと言うことができる。そして、本件工事に対する疑惑は、図らずも、宮越市長が本件番組中のインタビューで「私はそんなことやるわけない。私というか、市の行政はそんなこと絶対ない」と答えているように、宮越市長ないし原告の行政運営に対する疑惑であり、宮越市長ないし原告の行政運営に対する批判と言うことができる。

本件番組は基本的には原告に対する批判ではなく、宮越市長ないし原告の行政運営に対する批判であり、宮越市長ないし宮越市長を含む原告の職員に対する名誉毀損となることはあっても、原告に対する名誉毀損とはならないものと解される。

なお、本件番組中に原告以外の個人ないし法人に対する名誉毀損に該当する部分があるとしても、それは当該個人ないし法人に対する名誉毀損となることは格別、原告に対する名誉毀損とはならないものと言うべきである。

ウ  ところで、本件番組ではその最後に、被告吉岡が原告をして、「農業とそれから公共工事で依存しているまちという印象がありまして」と発言している。これは最後に「印象がありまして」との文言はあるものの、原告そのものに対する評価であると言うべきである。

原告は、「農業と公共工事に依存するまち」という評価は、原告の社会的評価を低くするものであると主張している。

なるほど、明治時代の富国強兵、殖産興業の国策の中で農業は他の産業と比較して劣った産業との位置付けがなされ、一般にも農業よりも工業の方が優れているとの意識が醸成されたことは否定できないと考えられる。現在でも多くの地方公共団体において、企業誘致が重要な政策課題であるとされていることもその表れと解することも可能である。農業に依存するまちとの評価は、原告の社会的評価を低めるものであると一般的には考えられているのであろう(もっとも、当裁判所は農業が他の産業に比して劣った産業であるとの考えには到底、納得できない。農業も立派な産業であり、他の産業との間に優劣があるとは考えられない。「農業に依存するまち」であることが原告の社会的評価を低くするとの考えは支持しがたいものと考えている)。

また、「公共工事に依存するまち」との評価は、原告、すなわち上越市には目立った産業が無いということを意味するものであり、原告の社会的評価を低くするものと言うことは可能である。

本件番組中の「農業とそれから公共工事で依存しているまちという印象がありまして」との被告吉岡の発言(本件発言)は、原告そのものに対する低い評価と言うことは可能である。しかし、これを原告に対する名誉毀損として損害賠償を認めるのは相当ではないものと考える。すなわち、<1>本件発言は本件番組の最後にいわば付け足しという形で一言述べられているだけに過ぎないものであるうえ、<2>「という印象がありまして」という文言からすれば、原告が「農業と公共工事に依存するまち」ということは事実として摘示されているのではなく、被告吉岡の感想として述べられていることは明らかである。その語感は弱いものであり、損害賠償を認め、さらには謝罪広告を認めなければならないほどの被害ないし損害を原告に与えたものとは認められない。

(3)  結論

本件番組には、<1>当時、ダイオキシンの土壌環境基準がなかったのに、環境基準の四倍のダイオキシンが検出されたとしている部分があること、<2>現実には産業廃棄物を運んでいない運転手が、産業廃棄物を不法投棄したと証言している場面を放映していることなど、被告会社自身、本件番組には問題があったことを認めており(以上、請求原因(3)のエ記載の事実。甲四により認める)、少なからざる点で問題があったこと自体は否定できない。そして、藤建の専務の自殺、上越市議会議場で議員が倒れたことを放映したことは違法である可能性が高いものであり、テレビ番組としては、大いに問題があるものと言うべきである。

しかし、藤建の専務の自殺は藤建の専務ないしその遺族との関係で違法となり、さらに、上越市議会議場で議員が倒れたことは当該議員との関係で違法となることはあっても、上記(2)記載のとおり、原告との関係で本件番組が違法なものと言うことはできない。

また、本件番組放送の時点で、本件工事については疑惑があると考えることには相当な根拠があったと言うべきである。結論には影響がないので煙突解体工事についてのみ簡略に述べるが、原告は現在まで一貫して、機械作業での煙突解体の方が手作業での煙突解体よりも費用が高いとしている(原告平成一三年二月二日付準備書面(6)一二頁ないし一四頁)。しかし、機械で一気に解体する工法の方が手作業によるものよりも安価であると考えられるところ、現に、実際に工事をした宮澤建設は、自らが原告となった当庁平成九年(ワ)第一四四号事件において、手作業の方が機械解体よりも高いことを認めている(当裁判所に顕著な事実)。そのうえ、煙突解体工事については建築住宅課長による設計書の改ざんが行われたというのであるが、建築住宅課長はその職責から煙突解体工事について、手作業による積算価格と機械解体による積算価格を容易に積算できたはずであり、また、市議会で問題になっていたから、当然、積算したはずである。その結果、機械解体の方が高かったのであれば、それをそのまま答弁すればよいのであって、実際、手作業の方が高いのに、機械解体の方が高いとしなければならない何らかの事情があったため、設計書の改ざんをしたものと考えるのが相当である。そして、建築住宅課長には、機械解体の方が価格が高いとすることが利益になる事情は何も窺えないから、上司から何らかの指示があったと考えられてもやむを得ないものと言うべきである。本件工事については、疑惑ありと考える合理的な理由があるものと言うべきであるから、これを取り上げて報道すること自体は相当なものと言うべきである。

本件番組は取り上げること自体は合理的な理由を有する本件工事の疑惑を報道したもので基本的には違法なものとは言えないところ、個々的な点では問題はあるものの、原告との関係では違法なものと言うことはできないから、本訴請求は理由がない。

(裁判官 加藤就一)

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