新潟家庭裁判所 昭和40年(少ハ)1号 決定 1965年5月24日
本人 B・H(昭二〇・一・三生)
主文
少年を昭和四〇年五月一一日から昭和四一年二月末日まで特別少年院に継続して収容する。
理由
本件申請の要旨は「少年は、昭和三九年五月一一日当裁判所において特別少年院送致決定を受け同月一三日久里浜少年院に入院し、昭和四〇年五月一〇日期間満了となるものであるが、入院以来喫煙、自傷未遂、喧嘩、いれずみ、傷害、自殺企図などの反則事故を反覆して成績は向上せず、従つて処遇段階はいまだに二級の上であり、犯罪的傾向もまた矯正されたとは認められないため引続き相当期間収容して矯正教育をなす必要であるところ、その期間は同人が今回は再入院でありしかも前回は新潟、水府各少年院を経て当院へ移送され在院は通算一年九ヵ月を経過していること並びに同人の性格、知能、および上記の処遇経過などからして極めて処遇困難なるものであつて当院における矯正教育にも限界のあることなどを考え合わせるときは昭和四〇年一二月一〇日まで継続して収容することを相当とする。」というにある。
よつて、横浜少年鑑別所技官中村敏夫、久里浜少年院分類課長日比一義、同院教官(カウンセリング担当)当裁判所調査官藤田吾三郎の意見を徴して考えてみるのに、まず少年は上述の日に入院以来、昭和三九年八月喫煙、同月陰茎自傷未遂、翌九月、同年一〇月各一回ごく些細なことに立腹して喧嘩、同年一〇月口唇いれずみ、同年一二月同僚から些細なことをいわれたのに憤激して農耕用フオークでのどをめがけて突き刺す、昭和四〇年三月他院に移送を望んだのに容られなかつたことを不満として自殺を二回までも企てた、同年四月前記と同一の不満から逃走を図つたなど反則事故を頻発し、従つて成績も向上せず、処遇段階も二級上にとどまり犯罪的傾向も殆んど矯正されていないこと、よつて同人は農芸科に属しているが集団処遇には殆んどなじまず、これによる矯正教育は至難であるので目下単独室処遇にし、カウンセリング、神経安定剤などを施行してようやく小康を保つているが今後の好転は望みの薄いものであること、ところで、同人は知能は限界級(IQ七二)で性格は陰気消極的で協調性に乏しく、孤立的内閉的であるうえ、自己中心的で気分にむらが多く情緒も不安定で自律性にも乏しく衝動的即行的で粗暴な行動に出やすいなどの点が目立ち、既に精神病質の域に十分達していており、むしろ経験的には精神病者ともいえないことはなく、これらの負因が上記のように処遇困難な要因を形成していること、以上の諸点が窺い知れ、該事実に鑑みると、少年をなお引続き相当期間施設に継続して収容する必要のあることは明らかである。
そこで、その期間は何程を要するかについて思案するに、少年院においては、施設収容による強力な矯正教育にすらなじまず処遇の困難な少年を仮退院させて保護観察に付してもその実効が挙がるとは考えられず、また母親も受入れに積極的であることをも理由にむしろ上記申請期間の満了によつて本退院させるもやむをえないとし、さらに同院では同人に対し今日までいろいろ矯正の手を尽してはきたがいわば同人に振りまわされてきておつて、もはやさらに長期間収容しても矯正効果を期待しえず、従つてやむをえないことながら比較的短い期間に出院という努力目標を同人に与えてこれによる同人の奮起を望むしかないというけれども、当裁判所としては前段掲記の諸事情に照らせばなお同人に対するできるだけの矯正努力を期待するものであり、また同人は必ずしも実家に帰住することを望まず母親もまことに無知もうまいで生活保護を受けてようやく暮しを送つている有様でその保護能力は極めて薄弱であることから、至難ではあるにしても保護観察を見込まないでは社会復帰はますます暗いものとなることに着眼すれば、仮退院の処置をとることが不可欠であることそして同人の処遇段階が順調にいつて一級上に達しこれを無事経過するには昭和四〇年一二月ころまではかかると予想されること、以上の点を考え合わせると、少年の収容継続の期間は上記期間満了の日の翌日である昭和四〇年五月一一日より昭和四一年二月末日までとするのが相当であると思料する。
よつて少年院法第一一条第四項第二項により主文のとおり決定する。
(裁判官 礒辺衛)