新潟家庭裁判所 昭和45年(家)2198号 審判 1970年9月17日
申立人 山口清子(仮名)
事件本人 山口夏校(仮名)
主文
事件本人山口夏枝を準禁治産者とする。
右事件本人に保佐人として山口清子を附する。
理由
申立ての要旨
申立人は「事件本人を禁治産者とする。申立人をその後見人とする。」旨の審判を求め、その理由の要旨は、
「事件本人は、申立人の子であるところ、昭和四四年八月二〇日午前二時頃、群馬県○○市内路上において、帰宅途中二名の酔漢に襲れ、コンクリート路上に転倒されたうえ頭部を激しく蹴られる暴行を受け、そのため頭部打撲による脳内出血等瀕死の重傷を負わされ、直ちに同市内○○病院に入院加療の結果辛じて生命は取留めたものの、脳組織破壊による後遺症のため身体、知能両面にわたり能力が著しく低下し、その症状は回復の見込みが全くなくなつてしまつた。よつて事件本人は心神喪失の常況にあり禁治産者としてその能力を制限すると同時に後見人選任の必要があるので申立人が後見人としてその保護にあたるべく、この申立てに及んだものである。」
というにある。
当裁判所の判断
本件記録中の戸籍謄本、鑑定人医師梶鎮夫の鑑定書、医師新井康弘の診断書、ならびに当裁判書の申立人に対する審問の結果を総合すると、つぎのような事実が認められる。
事件本人は、昭和二二年三月一三日亡山口健蔵と申立人の間の二女として本籍地で出生し、同地の○○中学卒業後親許を離れ愛知県下、○○市などで工員やキャバレー勤めをしていた模様であるが昭和四四年八月頃には群馬県○○市でキャバレーのホステスをしていたところ、同月二〇日夜半帰宅途中を二名の酔漢に襲れ、コンクリート路上に転倒させられたうえ頭部を激しく蹴られる暴行を受け、そのため脳挫傷の重傷を負つて同市内の○○病院に入院したものの五三日間もの昏睡状態が続いたうえ辛じて一命を取留めた。
事件本人は翌四五年五月二日○○病院を退院し、以来生家において母清子に看取られて療養の生活を過しているのであるが、現在なお身体的には右半身に軽度の運動麻痺と知覚鈍麻があり、精神的には受傷前後の期間についての著明な健忘と知能障害がある。知能程度は鈴木・ビネー式測定方法による知能年齢八歳六ヵ月、知能指数五三と低く軽愚下限程度であるが常識的道徳的事柄については知能年齢相当ないしはそれ以上の理解と判断を示し、その障害の程度は事の是非善悪について弁別する能力に著しく欠ける重篤なものではなく軽度であり、生来性のものではなく頭部外傷による障害である。この障害は今後徐々に多少の改善は予想されるが全く消失する可能性は少ない。
右認定事実によれば、事件本人は、その精神活動の程度よりして心神耗弱にして、早期回復は期待し得ないものといわざるを得ない。
ところで禁治産宣告申立事件において審理の結果心神喪失の程度にはいたらないが心神耗弱であると認められる場合において、心神喪失と心神耗弱とは要するに精神障害の程度の差であるから制度の性質からみて裁判所は申立人の主張に拘束されず準禁治産の宣告をなすを妨げないと解するし、禁治産宣告に附随して申立てられた後見人選任の申立てについて保佐人を選任するも許されると考える。
よつて、本件各申立ては事件本人を準禁治産者とする限度においてこれを認め、主文のとおり審判する。
(家事審判官 井野場明子)