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新潟家庭裁判所 昭和54年(少)1221号 決定 1979年9月28日

少年 K・O(昭四一・八・三一生)

主文

この事件を新潟県中央児童相談所長に送致する。少年を親権者の意思に反しても教護院に入所させることができる。

少年に対し、昭和五四年九月二八日から同五六年三月二七日までの間、通算一二〇日を限度として、その行動の自由を制限する強制的措置をとることができる。

理由

1  本件申請の要旨は、少年は、小学校二年のころから、万引などの非行を繰り返し、小学校五年時に児童福祉司指導措置を執つたが、その後も、万引、自転車盗、バイク盗、ひつたくり、侵入盗、恐喝、家出、不良交友などの非行及び問題行動を重ね、昭和五四年八月二七日、一時保護したものの、翌日無断外出をし、再保護の後も指導に従わず、無断外出のおそれが強く、開放施設内での保護には適さないので、児童福祉法二七条の二により、少年に対し、通算一八〇日を限度に強制的措置を執ることの許可を求める、というにある。

2  そこで検討するに、本件記録によれば、次の事実を認めることができる。

(1)  少年は、父母の三男として札幌市で生まれたが、昭和四四年、少年が三歳の時、父母が離婚し、少年だけが母に引きとられ、まもなく母は再婚したが、継父が少年を虐待するというので、昭和四六年母は離婚した。この間、少年は母方の祖母に主として養育された。その後、母は新潟県に転入して芸妓として稼働し、しばらく後に、少年を札幌の祖母の許から引きとつた。母は、いわゆる且那を持ち、その間に一女をもうけ、仕事柄夜家をあけ、少年が夜間妹の子守りをするといつた状態が続くなど、少年は家庭環境に恵まれずに育つた。現在、次兄は浪速少年院に在院中であり、後に少年らと同居した長兄は、少年と盗みなどの非行を重ね、現在当庁に継続中である。

(2)  少年の非行は、その小学校二年ころに初発し、家内盗、菓子類の万引、下級生からの金銭の恐喝、自転車盗、侵入盗などに発展し、昭和五二年、少年が小学校五年の時、児童相談所において、一時保護、児童福祉司の指導措置が執られた。にもかかわらず、少年の非行は止むことがなく、主に長兄とともに、家内盗、自転車盗、ひつたくり、侵入盗、バイク盗を繰り返し、中学校に入学してからの昭和五四年の夏ころからは、暴力団員と思われる父を持つ少年、中学三年生の女子生徒などと交際がはじまり、行動範囲も広がり、非行も大胆なものに発展するようになつた。同年八月二七日から児童相談所の一時保護を受けるに至つたが、翌二八日には、前記の女友達に会いたくてたまらずに無断外出し、前記の暴力団員らしき者の家にかくまわれるなどした後、再び保護された。

以上のように、少年の非行は、長期にわたつて継続してきたもので、その非行性はかなり固定化していると認められ、さらに不良交友が拡大してからは、大胆なものに発展してきている。

(3)  少年は、潜在的能力は一応備えているものの、不安定な生育環境の中で、基本的生活習慣が身につかず、安定した情緒的な人間関係を形成できず、自己中心的で内省力に乏しく、欲求不満耐性が著しく弱い。また、圧迫され、いじめられて育つたため、小心、気弱な性格で、警戒心、恐怖心が強く、社会的適応力がなく、受容される私的集団では、容易に追従、同調し、より弱い者に対しては威圧的、圧迫的態度を示す。総じて幼稚なパーソナリティであり、自ら非行を抑制する力は弱い。

(4)  少年の母は、芸妓として稼働し、非行性のある長兄と少年との三人暮しであり、監護の意思はあるが、仕事柄少年の監護には手がまわらず、少年の非行が発展してきた現在、少年の施設収容も己むを得ないと考えるに至つている。

3  以上の少年の非行の現況、資質上の問題、家庭環境等を考慮すると、少年に対しては、強制的措置を執りつつ教護院において教護することが必要である。

なお、強制的措置の許容限度について、申請は一八〇日であるが、教護院においては、少年に対して強制力を行使することは最少限に止めることが望ましく、またこの少年について一八〇日の期間が必要であることの合理的根拠の提示が十分とはいいがたく、当裁判所としては、一二〇日を限度とすることを相当として、この限りで申請を認めることとする。また、この強制的措置が児童福祉法上の措置とはいえ、人身の自由の侵害を伴うものであることに鑑みれば、この措置を執りうる時期を定めることが不可欠であり、向後一年六月を経過した後は強制的措置を執り得ないものとする。

よつて、少年法一八条二項により、主文のとおり決定する。

なお、少年の母は、保母の資格を取得し、近く芸妓を辞めて転居し、託児所を自営し、塗装工として稼働する長兄、まもなく浪速少年院から出院する予定の次兄らと力を合わせて生活すべく努力をしており、本少年については早期に教護の実をあげ、母の許で中学校を卒業しうるよう尽力願いたい。

(裁判官 浅香紀久雄)

参考 送致書(抄)

次の少年を児童福祉法第二七条の二により送致します。

少年

保護者

氏名

年齢

K・O

昭和四一年八月三一日生

K・S子

当三九歳

職業

○○中学校一年

芸妓

住居

西蒲原郡○○村大字○○××××

少年に同じ

本籍

西蒲原郡○町大字○×××

審判に付すべき事由

少年は小学二年生のころより万引や下級生に対する金銭の強要、忍びこみをくり返していたものであり、昭和五二年五月二二日(当時一〇歳、小学校五年生)児童福祉司指導措置としたものであるが、昭和五二年一一月二四日~昭和五四年八月二五日までの間、地域内において下級生に対する金銭の強要、家出、自転車窃盗、ひつたくり、忍びこみ、バイク窃盗、バイクを使つた計画的な忍びこみなどの問題行動があり、家庭・学校・関係機関の指導にも服さず非行をくり返している状態である。

これに対して、昭和五四年八月二七日当所に一時保護したものの、翌二八日には無断外出し、以前から交友のあつた他校の女子生徒や自校の上級生と連絡をとりあい、暴力団構成員の自宅にかくまつてもらつたり、身柄保護にむかつた警察官をふりきつて逃走するなど著しく不安定な状態にある。再保護の後も一時保護所の指導に服さず、無断外出のおそれが強い状態で開放施設内での保護には適しない。

よつて、下記の強制措置をとりたく、その許可を求めたい。

少年の保護に関する意見

(添付書類1児童票の写し、2指導記録の写し、3児童通告書の写し参照されたい。)(編略)

1 早急に観護措置のうえ身柄を確保してほしい。

2 閉鎖施設のある国立教護院武蔵野学院へ通算一八〇日の期間を限度に収容することを許可されたい。

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