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新潟家庭裁判所十日町出張所 昭和53年(家イ)10号 審判 1978年9月19日

住所 新潟県○○市××番地

申立人 金学石

右法定代理人親権者母 石田幸子

本籍並びに住所 新潟県○○市××番地

相手方 石田義男

主文

相手方は申立人を認知する。

理由

1  申立人法定代理人は、主文同旨の申立をし、申立の実情として、次のとおり述べた。

「(1) 申立人の母幸子は、昭和四七年六月頃から、中国人金喜道と事実上の夫婦として同棲生活を始め、昭和四九年一月二一日、東京都杉並区長に対して婚姻届を出した。

しかし、母幸子と金喜道は、昭和四九年八月頃から、夫婦仲の円満を欠くようになり、昭和五〇年一月一九日、母幸子がその姉を上野駅まで送つて帰宅したところ、金喜道に自宅から締め出され、母幸子はやむなく友人宅に泊まつた。それ以降、母幸子と金喜道は、事実上の離婚状態となり、その間に性的交渉がと絶えた。

(2) 母幸子は、金喜道と正式に離婚することを望んだが、金喜道がこれに応じなかつたため、母幸子は、昭和五〇年四月一日、金喜道を相手方として東京家庭裁判所に対し夫婦関係調整の申立をしたが、相手方が調停に応ぜず、昭和五二年三月二二日、その調停は不成立に終つた。

そこで、母幸子は、昭和五二年六月二七日、金喜道を被告として東京地方裁判所に離婚訴訟を提起したところ、同年一二月一二日、母幸子と金喜道との間に離婚の合意ができ、○○市長に対し離婚届を出した。

(3) ところで、母幸子は、金喜道と正式に離婚する以前である昭和五二年八月頃から、相手方と肉体関係をもつようになり、昭和五三年六月一三日、相手方と婚姻し、翌日、相手方との間の子として申立人を分娩した。

(4) しかし、申立人の出生の時が、母幸子と金喜道の婚姻解消後三〇〇日以内であるため、申立人は、母幸子と金喜道との間の嫡出子としての推定を受けることになり、やむなく母幸子と金喜道との間の子として出生届を出したが、その出生届は真実に反するので、申立人は、審判により相手方の認知を得たうえ、身分関係を真実に合致させたく、本申立に及んだ。」

2  本件につき、昭和五三年九月五日の調停委員会の調停において、申立人法定代理人と相手方との間に、主文同旨の合意が成立し、その原因についても争いがない。

3  当裁判所が、本件記録添付の戸籍謄本二通、出生届謄本、取寄記録(<1>東京家庭裁判所昭和五〇年(家イ)第一六一七号夫婦関係調整調停事件、<2>東京地方裁判所昭和五二年(タ)第二九四号離婚請求事件)並びに申立人法定代理人及び相手方の審問により事実調査をしたところ、上記1の(1)ないし(3)及び次の事実を認めることができた。

すなわち、母幸子は、金喜道との離婚問題の決着がつかないまま、昭和五二年一月から、○○市内の実家に帰つていたが、同年春頃から、弟の友人である相手方と親しく交際するようになり、同人と肉体関係を持つようになつて、申立人を懐胎したため、その父である相手方と結婚することに決意し、昭和五三年三月一二日、母幸子と相手方は挙式して結婚生活を始めたが、婚姻届は、○○市役所の担当係員から、母幸子と金喜道の離婚届が昭和五二年一二月一二日になされており、民法七三三条の再婚禁止期間に触れるとして、その受理を留保され、再婚禁止期間を経過した昭和五三年六月一三日、その婚姻届が受理され、その翌日、母幸子は、申立人を出産した。

相手方は、昭和五三年六月二六日、自己を父親とする申立人の出生届を○○市長に対し出そうとしたが、担当係員から、申立人が前婚の解消後三〇〇日以内に出生しているため、前の夫の子と推定されるなどの説明を受け、その指導もあつて、相手方は当庁に相談に来て、その結果、本件調停申立がなされた。

4  上記認定事実によれば、申立人は、母幸子と金喜道とが離婚したのち三〇〇日以内に、また、母幸子が相手方と再婚した翌日に出生していることになる。

(1)  まず、申立人の父について考えると、民法七七二条二項によれば、婚姻成立の日から二〇〇日後又は婚姻解消若しくは取消の日から三〇〇日以内に生れた子は、婚姻中に懐胎したものと推定されるので、この規定によると、申立人は、相手方ではなく、金喜道の子と推定されることになるが、金喜道は中国人であるので、法例の適用を受けることになる。

(2)  そこで、法例をみると、その一七条で、子が嫡出であるか否かは、その出生の当時母の夫の属した国の法律によつてこれを定め、もしその夫が子の出生前に死亡したときは、その最後に属した国の法律によつてこれを定める、と規定しているものの、本件のごとく婚姻解消後三〇〇日(名国の立法例が採用している嫡出推定期間)以内に生れた子については、直接規定するところがないが、このような場合については、一七条を準用して、離婚当時の母の夫の本国法によるべきものと解するのが相当である。

ところで、離婚当時の母の夫金喜道の本国法について考えるに、金喜道の本籍地(国籍の属する国における住所又は居所)は、中国台湾省高雄県△△△であり、現在中華民国政府の支配圏内にある。この中華民国政府は、現在では我が国から承認されておらず、それに代つて、中華人民共和国政府が承認されているため、そのどちらの法律を適用すべきか問題となるが、そもそも国際法上の承認は、政治的・外交的意味を有するにすぎず、本件でその適用が問題となつている国際私法は、渉外的私法(私生活)関係を規律するのに最も適した法律を選定することを目的とするのであるから、未承認国家・政府の法律であつても、それが当該地域において現に妥当している限り、準拠法として適用される資格を失なうものではないと解される。そうすると、中国人金喜道については、中華民国民法を適用すべきことになる。

そこで、中華民国民法をみると、その一〇六二条一項で、子の出生の日から溯つて第一八一日から第三〇二日までを受胎期間と定め、その一〇六三条一項で、妻の受胎が婚姻関係の存続中にかかるものであるときは、その生れた子は、これを婚生の子(嫡出子)と推定する、としている。

そうすると、前認定によれば、申立人の受胎期間が、母幸子と中国人金喜道の婚姻関係の存続中にかかるため、この点だけからすると、申立人は、金喜道の嫡出子と推定されることになる。

しかし、この嫡出推定については、これと同趣旨の日本民法七七二条では、懐胎期間中、夫婦が事実上離婚状態にあつたとか、夫が出征中・在監中などの事情により、夫の子でないことが外観上客観的に明白である場合には、同条の嫡出推定を受けないと解釈されており、これと同趣旨の中華民国民法においても、特段の事由のない限り、同様に解するのが相当である。

そこで、本件についてこれをみると、前認定によれば、申立人の受胎期間は、母幸子と金喜道の婚姻関係存続中にかかるけれども、母幸子は、その受胎期間の以前である昭和五〇年一月一九日から金喜道と事実上の離婚状態にあり、同棲していなかつたのであるから、申立人は、結局中国人金喜道の嫡出子の推定を受けないことになる。

5  そうすると、申立人は、日本国籍法二条三号にいう父が知れない場合にあたることになり、その母幸子が日本国民であるため、日本国籍を有することになる。

6  従つて、申立人の認知は、日本民法によるべきことになるところ、本件認知の申立は、日本民法の規定する要件をすべて充足している。

よつて、当裁判所は、家事調停委員○○○○、同××××の各意見を聴き、本件申立を正当と認めるので、家事審判法二三条により、主文のとおり審判する。

(家事審判官 奥林潔)

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