旭川地方裁判所 平成10年(ワ)395号 判決 2001年2月22日
原告
上松義忠
被告
福井和郎
主文
一 被告は、原告に対し、金一八六万円及びこれに対する平成九年三月二七日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
二 原告のその余の請求を棄却する。
三 訴訟費用はこれを二分し、それぞれ各自の負担とする。
四 この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 原告
1 被告は、原告に対し、金三五〇万円及びこれに対する平成九年三月二七日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は、被告の負担とする。
3 仮執行の宣言。
二 被告
1 原告の請求を棄却する。
2 訴訟費用は、原告の負担とする。
第二当事者の主張
一 原告の請求原因
1 交通事故の発生
(一) 日時 平成九年三月二七日午前一一時ころ
(二) 場所 旭川市神楽岡六条五丁目一番先路上
(三) 加害車両(以下「被告車両」という。)
自家用普通乗用自動車(旭五六ふ六〇八一)
右運転者 被告
(四) 被害車両(以下「原告車両」という。)
自家用普通貨物自動車(旭川四五ち一四二八)
右運転者 原告
(五) 事故態様 原告車両が交差点手前で一時停止していたところ、同じ方向に停止していた被告車両が、約七メートル前方から勢いよく後退してきた。そこで、原告は、クラクションを鳴らして被告車両に対し注意を喚起したが、後退を続けたため、被告車両の後部が原告車両の前部に衝突した。
2 被告の責任
被告は、民法七〇九条に基づき、右交通事故(以下「本件事故」という。)により原告が被った損害につき賠償義務を負う者である。
3 原告の受けた損害
原告は、本件事故により、次のとおり、肉体的、精神的苦痛を被った。右精神的損害を慰謝するには、少なくとも三五〇万円を要する。
(一) 本件事故による肉体的苦痛
原告は、本件事故の翌日である平成九年三月二八日昼ころ、勤務先の会社において、昼食を終えて休んでいたところ、急に気分が悪くなり、退社するころには、体全体の力が抜けたようになり、胸のあたりに苦痛を感じ始めた。そこで、原告は、翌二九日、進藤病院において診察を受けたところ、頸椎捻挫、胸部打撲と診断され、痛み止めの内服薬と湿布による治療を受けたものの、その後、次のような症状が生じている。すなわち、本件事故後、原告には、<1>左脇腹が痙攣すると、心臓が破裂するとの不安と恐怖に襲われ、少しずつ息を吸わざるを得なくなって、呼吸が苦しくなる、<2>体の右側も圧迫され、その圧迫が強くなると目の瞬きもできなくなる、<3>胸部に痛みが生じ呼吸が苦しくなると、目が痙攣し、瞼も腫れる、<4>胸部の痛みが自動車を運転しているときに発現した時は、片手で胸部を押さえ、痛みを和らげながら運転し、痛みが我慢できないときは車を一時停止せざるを得ない、<5>胸部の圧迫と動悸から早朝に目が覚めることがあり、その後は眠れなくなる、<6>手足も痺れて足がふらつく等の症状(以下「本件症状」という。)があり、右症状は現在に至るまで続いている。
(二) 本件事故による精神的苦痛
原告は、本件症状に起因して、次のような、精神的苦痛を被った。
(1) 原告は、電気工事工として稼働しているが、本件症状の治療及び通院による欠勤、早退と本件症状による作業能率の低下に伴う工期の遅れなどから、勤務先の社長と口論することもあり、職場における人間関係が崩れた。
(2) 本件症状が作業現場において生じたこともあるが、その際、原告は恥ずかしい思いをするばかりか、他方、取引先からは仕事に不安があるとの苦情が出たため、原告の職場における信頼は失墜した。
(3) 何時、本件症状が生ずるかもしれないという精神的不安から、地域における人間交流が難しくなったばかりか、家族にも迷惑を掛け、さらに、会社の行事にも参加できなくなった。
(4) 被告は、訴外安田火災海上保険株式会社(以下「保険会社」という。)と、加害車両を被保険車両とする対人賠償責任条項を含む自家用自動車総合保険契約を締結しているが、右保険会社は、平成九年八月をもって保険金の支払いを打ち切ったばかりか、右保険会社の担当者は、示談交渉の際、原告に対し、「勝手に死ね、俺を誰だと思っているんだこの野郎。」「お前がどうなろうと勝手だ、関係ないことだ、好きなようにやれ、馬鹿野郎。」等の罵声を浴びせるなど誠意のない対応をした。
以上のように、原告は、職場、家庭、地域等において本件症状により精神的苦痛を受けた。
4 よって、原告は、被告に対し、右精神的損害に対する賠償として、民法七〇九条の不法行為に基づく損害賠償請求権として三五〇万円及びこれに対する不法行為の日である平成九年三月二七日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払うよう請求する。
二 請求原因に対する被告の答弁
1 請求原因1(一)ないし(四)は認めるが、(五)のうち、被告車両と原告車両との距離が約七メートルであったこと、被告車両が急に勢いよく後退してきたことは否認し、その余は認める。
被告車両は、約二メートルを後退して原告車両に衝突したのであるから、被告車両の速度は極めて遅かった。また、原告も、被告車両が後退してくるのを現認しており、これに対してクラクションを鳴らし、被告に注意を喚起させる余裕まであったのであるから、身構えることも可能であった。
2 同2は認める。
3(一) 同3(一)のうち、原告が本件事故により頸椎捻挫及び胸部打撲の傷害を負ったことは認めるが、その余の原告の請求にかかる精神的損害は、原告の本件事故による受傷と相当因果関係がない。
原告の生じた頸椎捻挫及び胸部打撲は、本件事故との因果関係が認められるが、いずれも軽微なものであって、一〇ないし一四日間の加療、安静により治癒する程度のものであったと判断され、治癒後は後遺障害、就業能力低下をもたらすことはない。
(二) 同(二)の原告の請求にかかる精神的損害は、原告の本件事故による受傷と相当因果関係がない。
三 被告の主張
1 本件症状の特殊性
本件事故の態様を検討すると、被告車両の速度は極めて遅かったこと、双方車両の損壊の程度はバンパーがへこむ程度のものであったことからすれば、本件事故の衝突の程度は軽微なものであり、また、原告は、前方から後退してくる被告車両を現認している以上、衝突に対し十分身構えることができた状況であったから、本件事故による衝突は、急激に発生したものとはいえない。
また、原告は、本件事故の当初は、特段異常を訴えていなかったし、本件事故翌日の平成九年三月二八日も勤務先の会社前の道路で氷割りをしている。
そして、原告は、同日午後四時ころ、後頭部痛、胸部圧痛が生じたことから、進藤病院整形外科において受診したが、この際、胸部エックス線、頸部エックス線検査を行ったものの、異常は認められず、神経学的にも痛み以外には異常が認められていない。さらに、画像検査の結果でも、骨、関節に異常は認められず、頸椎捻挫、胸部打撲と診察されたにすぎない。しかし、その後、原告は、同年四月三日になると、動悸、左上肢しびれ感を、同月一一日には心臓の痛みを、同月三〇日には体全身の震えによる痛みを、それぞれ訴えるようになり、その愁訴も多岐にわたっている。しかし、客観的、他覚的にはなんらの異常所見は認められない。
さらに、本件事故により、外力の及んだ方向、程度からすると、本件症状は説明が困難である。このように、本件症状は、精神状態、特に不安状態がその背景にあるという特徴があることからすると、精神的な機序により生じた心因反応によるものと判断される。
2 原告の症状の原因
原告の症状は、前記のとおり、心因的・神経症的要素が極めて大きく働いており、その要因の最も重要な部分は、本人の性格、生活環境、賠償のこじれ等により、事故そのものとは無関係な被害者自身の人格的な領域に属する事情が関与していることは明らかである。原告による本件症状は、加害者の損害賠償責任とは関係がなく、専ら、原告の不安感、焦燥感、被害者意識等の心因的要因によるものである。
3 原告の後遺障害
原告の後遺障害が仮に存在するとしても、本件事故との間には因果関係がない。また、仮に因果関係があったとしても、後遺障害の程度は軽度であり、自動車損害賠償責任保険(以下「自賠責保険」という。)の後遺障害等級に該当しない。自動車保険料率算定会(以下「自算会」という。)の調査事務所は、原告による後遺症の請求に対し、自賠責保険の後遺障害として非該当である旨の判断をしている。
四 被告の主張に対する原告の反論
原告の本件症状は、心因的要因による神経症に基づく症状ではない。原告は、本件事故により、胸部が圧迫されるなどの苦痛に喘ぐほか、発作的な不安状態に陥っている。本件症状と本件事故との因果関係は肯定されるべきである。
第三証拠関係
本件記録中の証拠関係目録に記載のとおりである。
理由
一1 請求原因1(一)ないし(四)は当事者間に争いがない。
2 同1(五)の事故態様について、検討する。
(一) 証拠(乙一、四ないし七、八の六、並びに、原告本人及び被告本人の各供述)によれば、次の事実を認めることができる。すなわち、
(1) 被告車両は交差点の手前で停止していたところ、原告車両も被告車両の後続車として、被告車両との間に約二メートル離れた位置で停止していた(乙一、被告供述三頁)。しかし、被告車両は、交差点の停止位置から交差点内に入り込んだ位置に停車していたため、交差点を左折してくる車両の走路を塞いでいた。
(2) かかる状況のもと、交差点を左折しようとする車両がきたため、被告はその通行を容易にするため、後続車両の原告車両の方に向かってゆっくりと後退を始めた。被告車両が後退してくるのを現認した原告は、クラクションを鳴らして原告車両が存在することについて注意を促したものの、被告が後方の原告車両の存在に対する注意を怠ったまま後退を続けたため、被告車両の後部が原告車両の前部に衝突した。右衝突により、被告車両の後部及び原告車両の前部の各バンパー部分がやや凹損した(乙一、五ないし七)。
右認定の事実によれば、被告車両は、約二メートルを遅い速度で後退して原告車両に衝突したものと認められる。
(二) もっとも、原告は、本件事故の態様について、被告車両が約七メートル前方から勢いよく後退してきた旨主張し、これに副った供述をしているので、この点について検討するに、右原告の供述は、衝突により双方の車両のバンパーはやや凹損しているにすぎないこと、実況見分調書(乙一、三枚目)の交通事故現場見取図には、被告が後退した距離は二メートルである旨の記載がなされていること等の事実に照らすと、たやすく信用することができず、他に右事実を認めるに足りる証拠はない。
(三) 右認定の事実によれば、衝突の衝撃はそれほど強いものではなかったことが認められる。
二 同2は、当事者間に争いがない。
三 同3について判断する。
1 原告の受傷による症状及び治療の経過と本件事故との因果関係
(一) 証拠(甲二ないし五、乙八、九、一〇、証人味戸伸彦の証言、並びに、原告本人及び被告本人の各供述)によれば、次の事実を認めることができ、これを左右するに足りる証拠はない。
(1) 被告は、本件事故の翌日である平成九年三月二八日の朝、原告に対し謝罪するために原告の勤務先に赴いたが、その際、原告は、勤務している会社の前の道路の氷割りをしており、特段の異常はなかった。しかし、原告は、右同日の昼ころ、急に気分が悪くなり、退社するころには、体全体の力が抜け、胸のあたりに苦痛を感じ始めた。そこで、翌日の同月二九日、医療法人整形外科進藤病院(以下「進藤病院」という。)において診断を受けた。右診察において、原告は昨晩から後頸部やシートベルトの当たっている部分が痛い旨を訴えたが、X線写真撮影によって検査したものの、打撲した原告の頸椎、胸部には骨折や異常所見は認められなかった。しかし、担当医師は、本件事故と原告の前記訴えに基づき、頸椎捻挫と胸部打撲と診断し、原告に対し痛み止めの内服薬と湿布による治療を行った(乙八の六、味戸証言一一頁)。
(2) そして、同月三一日、原告の主治医の味戸伸彦医師(以下「味戸医師」という。)が原告を診察したところ、原告の胸の二か所に圧痛があったことから、今後約一〇日間の加療を要すると診断した(味戸証言一九頁)。
(3) しかし、原告は、その後、同年四月三日に、動悸、左上肢しびれ感を、同月一一日に心臓の痛み、上を向くときの手のしびれを、同月一九日には良くなったが薬が切れると胸の圧迫感を、同月三〇日に体全体のふるえを訴えはじめ、同年五月六日から同年六月九日までの間、原告は胸部の痛み、動悸、心臓の痛みの憎悪と軽快が一進一退を繰り返すという経過を辿り、前記六月九日には、原告は心臓の痛みが一時間続く旨を訴えたことから、味戸医師は、内科担当の岡本医師に原告の診断を依頼した。しかし、岡本医師の診察の結果においては、右心電図、診察所見では明らかな内科的病変の所見は認められなかった(乙八の一一)。
(4) その後の平成九年六月一〇日から同年八月末までの進藤病院のカルテに現われた原告の主たる症状及び主治医等の所見は、以下のとおりである(乙八の一一ないし一八)。
<1> 平成九年六月一〇日「肋間神経痛と診断、薬を飲むと楽になる」、二〇日「胸痛みがある」、二八日「動悸、左上肢のだるさ」
<2> 同年七月四日「痛みは大したものではないが、時々、チクーと痛みが出る」、二二日「今は心臓バクハツしそうな事、チクチク、週一回位ある」、二八日「チクチクする感じする、場所が変化する」
<3> 同年八月一四日「昨日、胸がドキドキして苦しかった。肋間神経痛のチクチクするのが心臓にひびいて苦しくなるようだ。息が出来なくて胸がばくはつしそうな感じである」、同日付けの岡本医師の味戸医師に対する回答内容「訴えが多彩で、肋間の圧痛を主に訴えておりますので、心疾患よりは、骨、筋、神経等の痛みが疑われます。」
(5) 原告は、平成九年八月二二日、味戸医師及び保険担当者と相談し、<1>事故と考えられる期間は三月二九日から六月二日まで、<2>それ以降は、因果関係ははっきりしない、<3>しかし、今後とも本人の訴えがある以上は受診してもらう旨の話し合いをし、さらに、同月二五日には、味戸医師と<1>保険の問題、<2>症状の問題について話し合いを行い、味戸医師が、「医学的には症状は六月二日までは認められるが、それ以降の症状に対しては一〇〇パーセント事故が関係しているか否かはっきりは言えない」、「肋間神経痛であることは確かであり、これがどうして起こっているのか保険の関係なしに、医師として診断、加療する姿勢は今までと変化はない」旨述べたところ、原告は納得して帰宅し、同月二九日に来院した際には、相談の効果から、不安感について訴えはなかった。そして、同年八月末をもって自賠請求は終了となり、九月からは自費においての健康保健診察となった(乙八の一六ないし一八)。
(6) 平成九年九月から同年一二月末までの進藤病院のカルテに現われた原告の主たる症状及び主治医の所見は、以下のとおりである(乙九の四ないし九)。
<1> 平成九年九月一二日「一週間前に痛み+、しかし、すぐに楽になった、一五分は痛み+、痙攣+」、三〇日「痛み+、本日は大胸筋部に+、現在不満に思っているのは保険Pに対する不満、誠意をもって接して欲しいということ」
<2> 同年一〇月一四日「痛み移動している、急にガクンと力が抜ける」ドキンとして痛みがはしる、六日から一〇日まで痛み+」、二七日「衝撃あると上腹痛、胃部痛」
<3> 同年一一月一〇日「両側の胸痛み+」、二五日「痛み+、我慢できない」
<4> 同年一二月三日「現在彼(原告)の苦痛は交通事故から始まっているのは確かである。しかし、なぜこんなに続いてるかは不明」、「彼の納得のいかない点<1>まだ苦痛がある、<2>被害者であるのに自分で医療費を支払うのは納得いかない」この2つのことが交さつし、<1>を強めているのではないか、いつも何か原因があると自分を追いつめている、これだというものがあれば彼自身も納得するだろうが、今だにそれはつかめない、心身症的側面からアプローチする必要もあるだろう。」、同月八日「全身の力が抜けてしまう感じ+、力はぐっとはいるが、すっと抜ける感じがする」、同月一二日「胸が痛むと目がまぶしくなる、少々体がふるえてくる、ふらふら空気みたいなものが、体に何かある感じ+、嘔気がすることあり、全て胸部から来ると本人、訴えあり、自律神経失調の症状+」、二六日「苦しくなることがある、圧痛+」
(7) 味戸医師は、原告の症状が平成九年一二月三日をもって固定したと診断し、平成一〇年九月八日付けで診断書を作成した(甲三、味戸証言五二頁)。
(二) 右認定した事実によれば、原告は、本件事故により、頸椎捻挫、胸部打撲の傷害を負い、右事故を契機として、胸部痛、動悸、しびれ、不安感等の多彩な神経症状が出現しているものと認められるから、前記認定の原告に出現している多彩な症状はすべて本件事故に起因するものであって、本件事故との間に相当因果関係を認めるのが相当であり、症状の固定時期は、平成九年一二月三日ころと認めるのが相当である。
(三) もっとも、被告は、本件事故の衝突の程度は軽微なものであり、原告は、前方から後退してくる被告車両を現認している以上、衝突に対し十分身構えることができた状況であったから、本件事故による衝突は、急激に発生したものとはいえず、したがって、平成九年六月二日以降の原告の症状は心因的要因によるものであり、本件事故との因果関係はない旨主張するので、以下、この点について検討する。
証拠(甲二、三、味戸証言)によれば、車両が二メートル前方から衝突してきた場合においても、右衝突の衝撃によりシートベルトで身体が押さえ付けられるため、頭部が後ろに振られ、他方、胸は衝突の反作用により締め付けられることによって、頸椎捻挫と胸部打撲が発症する可能性があること(味戸証言一〇ないし一五頁)、そのため原告は、本件事故により頸椎捻挫、胸部打撲の傷害を負ったこと(甲二、三、味戸証言六ないし八頁)、味戸医師は平成九年三月三一日に原告を診察した際、今後約一〇日間の加療を要する旨の診断をしたが、それは、頸椎捻挫においては骨折などの外傷がない場合には警察に提出する診断書には約二週間と記載するという一般例にしたがったものにすぎないこと、また、事故を契機として、受傷者が動悸や心臓の痛みを訴えることも稀ではなく、二年、三年痛みを訴える例もあること(味戸証言二九、三〇頁)、原告は本件事故の被害にあうまでは本件症状を訴えることはなく、本件事故を誘因として本件症状が発現していること(同証言四七頁)、交通事故による受傷の結果、精神的不安からけいれんを起こす可能性もあること(同証言五三頁)が認められ、右認定の事実に照らすと、原告の症状には他覚的な医学所見が伴っていない神経症状であるからといって、直ちに本件事故との因果関係を否定することは相当ではないというべきである。
(四) ところで、本件における原告の症状には心因的要素が影響していることも考えられないわけではないが、乙八、九のカルテに現われた原告の症状を検討するに、平成九年一二月三日における症状固定の診断に至るまで、心身症的な側面からのアプローチを必要とする旨あるいは自律神経失調を疑う旨の記載が一切なかったことに照らすと、原告の受傷による損害の程度、拡大について、原告の心因的要素が寄与しているものとして、民法七二二条二項の過失相殺の規定を類推適用して、減額することは相当ではない。
(五) また、被告は、原告の症状固定時期について、本件は、受傷後一〇ないし一四日間の加療、安静により治癒する程度のものであったから、平成九年六月二日ころには原告の症状は固定した旨主張するので、この点について検討するに、症状固定時期に関する乙八のカルテの記載内容によれば、同年六月二日当時の原告の症状は、愁訴が非常に強く、症状が軽快に向かっていると思うと、また一進一退の状態を繰り返していたものであり、患者本人が痛みを訴える以上、治療を打ち切ることはできない状況であったこと(味戸証言三四頁)、味戸医師が平成九年八月二二日付けのカルテ(乙八の一六)に、同年六月二日ころには症状が固定した旨の記載をしたのは、被告側の保険会社から、原告の愁訴が続いていては原告の治療がいつ終わるか知れなくなることを危惧して一応の症状固定の時期について何度か相談があったなか、他方においては、患者である原告からは圧痛の訴えがある状況のもと、右原告の愁訴と症状固定に伴う保険の打ち切りを図る保険会社との折衝案として、同年六月二日以降は自賠責の保険によらずに原告側の健康保険で治療を続けることが、原告にとっても最良であるとの判断に基づいてなされたものであることが認められる(味戸証言三一ないし三四頁)。
(六) そうすると、右認定の事実によれば、味戸医師が同年六月二日をもって症状固定とした判断は、必ずしも同医師の真意を表したものではないと判断するのが相当であり、さらに、本件訴訟に至って、味戸医師は、平成九年一二月をもって症状固定したとみるべき旨の証言をしていること(味戸証言五二頁)に照らすと、原告の症状は平成九年一二月三日ころをもって固定したものと認められる。
よって、被告の主張は採用することができない。
2 本件事故と本件後遺障害との因果関係
(一) 次に、本件事故と本件後遺障害との因果関係について検討するに、原告の症状固定後の平成一〇年一月から平成一一年五月末までの進藤病院のカルテに現われた原告の主たる症状及び主治医の所見は、以下のとおりである(乙九の九ないし一七)。
(1) 平成一〇年
同年一月一九日「痛みは二分の一になった、ふるえがくる」、二月一六日「現在息がつまったような感じがする、苦しい感じがする、昨日胸部痛みがくると目がかすんでくる」、二月二一日「昨日、目がさめたら痛み←していた、その際、知覚過敏が生じていて、両手のしびれも←」、三月六日「一日中痛みが続くこともある」、四月一〇日「不定愁訴+」、五月一二日「電気でスパークするような感じ」、五月二〇日「胸痛み、場所が移動、けいれんする」、六月五日「今日は調子よいみたいだ」、八月二四日「痛み移動だが良い時と悪い時あり」、一二月一四日「毎日二時、三時に目がさめ、心臓が圧迫され、目がかすむ、昔のような発作はない、最悪の状態ではない」、一二月二一日「息がつまる、心臓もチクチク」
(2) 平成一一年
一月一八日「良くなっているのだが、力が入らない」、二月一七日「一〇・七月遺言状書いた(死んだら解剖してくれ)心臓の圧迫、激痛」、五月二一日「胸がドッドッと音がする」
(二) 右(一)で認定した事実によれば、原告は、本件事故により、頸椎捻挫、胸部打撲の傷害を負ったが、右事故を契機として、胸部痛、動悸、しびれ、不安感等の多彩な神経症的愁訴も出現し、右症状は憎悪と軽快を一進一退に繰り返しているものと認められ、これらはすべて心因性のものといえども、本件事故を誘因として発現したものであること、また、味戸証言(五三頁)によれば、交通事故による受傷の結果、原告のような神経症となる事例は必ずしも稀有でないことが認められるから、心因的な要因に基づく症状であるからといって、直ちに本件事故との因果関係を否定することは相当ではないというべきである。
そして、原告の前記認定における症状に照らすと、原告の後遺障害は「局部に神経症状を残すもの」(自賠法施行令二条、別表第一四級の一〇)に該当するものと判断できる。
(三) もっとも、被告は、原告の症状の点からみて、原告の後遺障害は自賠責保険の後遺障害等級に該当しない旨主張するので、この点について検討するに、等級障害認定基準は、後遺障害の認定のための一応の基準を定めたものにすぎず、仮に右等級表にないものであっても、精神的毀損の状態が残れば、それは後遺障害であり、後遺障害が残り、被害者が精神的苦痛を被れば、当然それは損害として評価されるべきである。したがって、当裁判所が、右の基準にとらわれずに、原告の具体的な障害の態様を参酌して、それが後遺障害等級に該当すると認定できることは明らかである。
(四) しかしながら、原告の症状には必ずしもこれに見合う他覚的な医学所見が伴っていないにもかかわらず、これに対する治療は本件事故から二年以上にも及んでいること、かかる症状出現の原因となった本件事故の態様程度は、車両の損傷程度及び事故直後のX線写真撮影によっても打撲した原告の頸椎、胸部に骨折や異常所見は認められなかったことから明らかなように軽微な追突事故であったこと、進藤病院のカルテに現われた主治医の所見においても症状固定時の平成九年一二月ころから原告に対しては心身的側面からのアプローチが指摘されはじめ、それ以後、自律神経失調の症状を疑う診断が散見されること、原告の愁訴の多彩さや程度の強さ、愁訴内容のなかには、保険の打ち切りによる不満と不安に起因しているものと窺えるものがあること等を総合考慮すると、現在の原告の訴える症状・身体所見は、客観的所見・画像所見から予想される器質的変化とはかなり大きな隔たりがあり、原告の症状には心因的要素が影響しているものと考えられる。
他方、前記事情があるなか、原被告とも原告の症状のうち心因的要因の寄与の割合について医学上の鑑定を経ることを求めていない本件において、心因性の程度についての不透明部分を全部加害者である被告に帰せしめ、本件事故を契機として原告に生じた後遺障害のすべてを被告に負担させることも公平の理念に照らして相当ではない。そこで、本件の後遺障害の慰謝料額を定めるに当たっては、前記認定の事実及び本件訴訟に顕れた諸般の事情に鑑み、右損害のうち、四〇パーセントを民法七二二条二項の過失相殺の規定を類推適用して、減額するのが相当であるというべきである。
3 原告の損害
(一) 傷害慰謝料(認容額一二六万円)
前記認定事実によれば、原告は、本件事故後から症状固定に至るまで約九か月間通院したことが認められる。右通院によって原告が被った精神的損害を慰謝するためには、少なくとも一二六万円を要すると判断する。
(二) 後遺障害による慰謝料(認容額六〇万円)
前記認定事実によれば、原告の症状に照らすと、原告の後遺障害が「局部に神経症状を残すもの」(自賠法施行令二条、別表第一四級の一〇)に該当するものと判断できるから、後遺障害による慰謝料としては一〇〇万円が相当である。
しかしながら、前記記載のとおり、原告の症状には心因的要素が影響しているものと考えられ、民法七二二条二項の過失相殺の規定を類推適用して、前記慰謝料額の一〇〇万円のうち四〇パーセントを減額するのが相当であり、したがって、後遺障害慰謝料として、六〇万円をもって相当と認める。
四 結論
以上によれば、原告の本訴請求は、被告に対し、金一八六万円及びこれに対する本件事故日である平成九年三月二七日から支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるから、その限度で認容し、その余は理由がないからこれを棄却することとし、主文のとおり判決する。
(裁判官 片岡武)