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旭川地方裁判所 平成15年(わ)210号 判決 2004年3月25日

主文

被告人を懲役3年に処する。

この裁判確定の日から5年間その刑の執行を猶予し,その猶予の期間中被告人を保護観察に付する。

押収してある果物ナイフ1丁を没収する。

理由

(犯罪事実)

第1被告人は,平成15年6月24日午後1時ころ,北海道a郡b町c義母であるA(当時79歳)方において,同女が死亡するに至るかもしれないことを認識しながら,あえて,所携の果物ナイフ(刃体の長さ約9.8センチメートル)を同女の左胸目掛けて1回突き出したが,同女が身をかわし,同女方裏口玄関から逃げ出したため,殺害するに至らなかった。

第2被告人は,業務その他正当な理由による場合でないのに,前記日時,場所において,前記果物ナイフ1丁を携帯した。

(証拠)

(省略)

(争点に対する判断)

1  弁護人は,判示第1の事実について,被告人は,所携の果物ナイフを腰のあたりで刃を下にして刃先を2ないし3秒間A(以下「被害者」という。)に対して見せてバッグにしまっただけで,被害者の左胸目掛けて所携の果物ナイフを1回突き出す行為はしておらず,殺意もなかったから,判示第1の事実については無罪であると主張し,被告人も当公判廷においてこれに沿う供述をする。

そこでまず,被告人が本件果物ナイフを被害者の左胸目掛けて1回突き出す行為をしたか否かについて検討し,次いで,それが殺意に基づく行為であったか否かについて検討することとする。

2  刺突行為の有無について

(1)  被告人が被害者の左胸目掛けて所携の果物ナイフを1回突き出したという事実を支える直接の証拠は,証人B及び被害者である証人Aに対する受命裁判官の各尋問調書の記載である。これによれば,証人Bは,①本件犯行当日被害者方周囲の草刈りを手伝い,お昼頃から被害者と二人で同女方居間で昼食を取っていた,②午後1時ころに被害者と前記居間で座卓を囲んで座っていたところ,被告人が「Aいるか。」などと怒鳴りながら,被害者方玄関から土足で上がり込み,そのまま,同女に向かって近付いて行った,③被告人は,右手で座っている被害者の頭髪を鷲掴みにし,何か怒鳴りながら,同女の頭を3回くらい振り回すようにした,④私は,立ち上がって,背後から両手で被告人の両肩をつかむようにしながら,やめるように大声で言って,被告人の行為を制止したところ,被告人は被害者の頭髪から手を離し,被害者は右半身から落ちるように床に倒れ込んだ,⑤すると,被告人は左肘に掛けて持っていたハンドバッグ内から本件果物ナイフを右手で取り出し,木製の鞘をハンドバッグ内に押し付けるようにして外し,本件果物ナイフの刃先を被害者に向けた,⑥被告人は,私に背後から体を抑えられながらも,「殺してやる。」などと言いながら,刃を下にし,刃先を被害者に向け,順手に持った本件果物ナイフを右肘を曲げた状態から右肘を伸ばして同女の左胸の方向へ1回突き出した,⑦被害者は,これに対してその右半身を下にして寝そべるような形になり,本件果物ナイフは同女の身体まで届かず,同女と本件果物ナイフの刃先との間が30ないし40センチメートルのところで止まった,⑧私は,被害者に「逃げなさい。」などと言った,同女は同女方北側裏口から逃げた,⑨被告人は,その後を追いかけるようなことはしなかった旨を供述し,被害者である証人Aもこれとほぼ同様の供述をしたことが認められる。

上記各供述の内容は,全体として自然な流れに沿うものであり,被告人による刺突行為についても,被告人の凶器の持ち方,突き出し方,被害者の倒れた様子などの点において具体的かつ詳細で迫真性も認められ,いずれの供述も反対尋問を経ても動揺することなく一貫しており,被害者の負傷状況(右前膊打撲症(皮下出血))とも矛盾せず,特に不自然,不合理な点は認められない。また,両証人の前記各供述は,それぞれの捜査段階での供述ともほぼ一致している。証人Bは,被害者と数十年来の近所付き合いがあり,被告人とも顔見知りであるが,証人Bが,偽証罪を犯してまで被告人に不利益な供述をして被告人を殊更刑責に陥れようとする事情があるとまで認めることはできない。被告人が本件果物ナイフを被害者の左胸部目掛けて1回突き出した旨の証人B及び被害者の供述は,十分に信用することができる。

(2)  これに対し,被告人は,当公判廷において,本件果物ナイフを被害者の左胸目掛けて1回突き出す行為をしたこと自体を否認し,被害者を脅して謝罪させるために,本件果物ナイフを,刃を下に,刃先を被害者に向けて腰のあたりに構え,2ないし3秒間被害者に示した後にバッグの中にしまったなどと供述する。しかしながら,被告人のこのような供述は,謝罪させる目的で本件果物ナイフを示したにもかかわらず,果物ナイフを示したときには謝罪を求める文言を含め何も言わなかったという被告人自身の供述に照らしても不自然であり,本件果物ナイフを二,三秒間示しただけでバッグの中にしまった理由についても,それで満足したからであるとか,そのまま示していると被害者を刺してしまうかもしれないからとか述べていて,当公判廷においてもその供述を変遷させている上,被告人の当公判廷における供述は,本件果物ナイフの突き出し行為の有無のほか,犯行現場において被害者の頭髪をつかんで振り回したり,座卓をひっくり返したり,本件果物ナイフを取り出したりという被告人のした行為の順序や警察官が臨場した際の被告人の言動などについて,捜査段階での捜査官に対する供述や通報により現場に臨場した警察官が見聞きした被告人の言動と大きく異なっており,このように供述を変遷させたことについての合理的な理由を何ら説明していない。それに加えて判示第1の事実について問われた際の被告人の当公判廷における供述態度などをも併せ考えると,公判廷における被告人の前記の如き供述は信用することができない。被告人は,捜査段階において,検察官に対しては,当初,右手に持った果物ナイフを突き出したことなどを否認していたようであるが,後にこれを認めるに至り,このように供述を変遷させた経緯についても,納得できる理由を述べている。右手に持った果物ナイフを被害者の左胸目掛けて突き出した旨の被告人の捜査段階における供述は信用できる。弁護人は,知人の面前で,果物ナイフを被害者に突き出して殺害しようとするような行為するのは不自然であるとも主張するが,当公判廷において被告人が見せた興奮しやすい傾向からすると特段不自然なようには見えない。

そうすると,被告人が,「殺してやる。」と言って,所携の本件果物ナイフを被害者の左胸目掛けて1回突き出したという事実が十分認められ,他にこれに合理的な疑いを抱かせるに足りる証拠はない。

3  殺意について

前記認定の事実及び本件各証拠によれば,(1)本件で凶器として使用された本件果物ナイフは,刃体の長さが約9.8センチメートルとやや小型ではあるが,先端が鋭利な刃物であって,殺傷能力は十分備えていること,(2)被告人は,Bに背後から両肩を押さえられているのに,「殺してやる。」と言いながら,本件果物ナイフを,正座している被害者の左胸という人体の枢要部目掛けて突き出していること,(3)本件果物ナイフを突き出した勢いは,さほど強いものでなかったようであるが,座っていた被害者が右半身を下にして寝そべるような形になって身をかわしたために,同女の身体から30ないし40センチメートルのところで本件果物ナイフは止まったもので,被害者がそのように身をかわさなければその左胸部に傷を生じさせかねないものであったこと,(4)被告人が,被害者に対してこのような行為に出たのは,後記のとおりの長年にわたって被害者に対して抱いてきた強固で根深い恨みを晴らすためであって,少なくとも死んでもかまわないという程度の殺意を抱くに十分な動機はあったことなどが認められる。以上の各事実によれば,(2)の行為をした当時,被告人には,少なくとも自己の行為により被害者が死んでも構わないという程度の未必の殺意があり,そうした殺意に基づいて本件果物ナイフを突き出したことは十分認められる。なお,被告人は,捜査段階において,被害者が被告人に対して謝罪をする素振りを全く見せなかったので,「刺してやる。私と同じように左のおっぱいを無くしてやる。死んだって構わない。」という気持ちになったという趣旨の自白をしているが,その内容は,(1)ないし(4)の事実に沿う自然かつ合理的なものであり,十分信用できる。

4  被告人は,被害者に対し,まずその頭髪を鷲掴みにして振り回しており,いきなり果物ナイフを突き出してはいないが,当初は,被害者に謝罪させるつもりもあったようであるから,いきなり果物ナイフを突き出す行為に出ていなくても不自然とは見えない。また,被告人は,果物ナイフを突き出す際に,老人であるBを振りきるような行為に出たり,何度も刺そうとする行為に出たりはしておらず,被害者が逃げ出しても直ぐにその後を追いかけるような行為には出ていないが,それは,殺意が未必の殺意に止まったからであって,被告人に殺意があったことを合理的に疑わせるものとはいえない。

5  以上のほか前掲各証拠を総合すれば,判示第1の事実を認定することができ,これに合理的な疑いを抱かせる証拠はなく,弁護人の前記主張を採用することはできない。

(法令の適用)

罰条

第1の行為 刑法203条,199条

第2の行為 銃砲刀剣類所持等取締法32条4号,22条

刑種の選択

第1の罪 有期懲役刑

第2の罪 懲役刑

併合罪の処理 刑法45条前段,47条本文,10条(重い第1の罪の刑に刑法47条ただし書の制限内で法定の加重)

刑の執行猶予 刑法25条1項

保護観察 刑法25条の2第1項前段

没収

第1の罪 刑法19条1項2号,2項本文

訴訟費用の不負担 刑訴法181条1項ただし書

(量刑の理由)

本件は,被告人が,義母である被害者に対し,同女が死亡するに至るかもしれないことを認識しながら,あえて,その左胸目掛けて所携の果物ナイフを1回突き出したが殺害するに至らなかったという殺人未遂及びその際に同果物ナイフ1丁を携帯したという銃砲刀剣類所持等取締法違反の事案である。

被告人は,d郡e村で出生し,地元の中学校を卒業した後,昭和44年ころ,缶詰会社で女工として働くためにa郡b町に来て,夫と知り合い,昭和45年ころに結婚し(昭和46年1月14日届出),長女の出産を機に仕事を辞め,夫の両親が住んでいた被害者方の近くに転居し,平成8年ころに転居するまでの二十数年間同所に住んでいた。被告人は,被害者はじめ義父や兄嫁らとは性格が合わず,また,被害者らから悪口を言われたり嫌がらせを受けたと思っても,二男の嫁として言い返すこともしないままでいることが続くなどしてストレスを溜め込んでいった。被告人は,平成8年4月に左乳癌に罹患していることが判明して左乳房を切除する手術を受け,以後,抗ガン剤等の投与を受け続けているが,体調が悪くなったり,精神的に不安定になったりで,通院や入退院を繰り返しており,平成11年には胸部中央付近にできた腫瘍を摘出する手術を受けるなどしていた。そして,被告人は,このようなことになったのは,前記のようなストレスが原因であるなどと思い込むようになり,被害者から「胸を切ったところを見せてみれ。」などと言われたことを根に持ち,「いつかこの恨みを晴らしてやる,Aが生きている間に,私が味わった以上の苦しみや辛さを味合わせてやる。」などと考えるようにもなった。被告人は平成8年10月,現在の住所地に引っ越し,それ以降は,被害者らと疎遠になった。しかし,被告人は,二度目の手術をした平成11年11月以降,被害者への不満を口にするようになり,被害者や兄嫁に対して過去のことを責める内容の電話を架けるようになった。平成13年2月ころ,被害者らに謝罪させようとの思いで被害者方に赴き,被害者夫婦に謝罪を要求するなどしたが,夫が現れたため帰宅したことがあり,平成14年7月ころには,果物ナイフを用意した上で被害者方に押し掛け,果物ナイフを同女の胸に突き付けながら,「謝れ。」などと言って同女に土下座を強要することもあった。平成14年のときは,被害者が土下座して謝罪したことで終わったが,それでも,被告人は,被害者に対する怨恨を晴らし終わったものとは思わず,悶々とした日々を過ごしていた。本件犯行当日,被告人は,被害者や兄嫁に対する恨みや怒りがこみ上げてきて,文句を言おうと兄嫁,被害者の順に電話を架けた。兄嫁に対して架けた電話では「おっぱいえぐり取ってやるからな。」などと言ったが,一方的に切られ,被害者に対して架けた電話も即座に一方的に切られた。このため,被告人は,被害者らは自分のことを馬鹿にしている,特に被害者は前回土下座させただけでは懲りていないなどと考え,果物ナイフを突き付けて脅かさないと謝罪しようとしないだろうなどと思うとともに,自分が受けた以上の苦しみや辛さを味合わせてやろうなどとも考えた。そこで,被告人は,被害者方に押し掛け,玄関から居間まで土足で上がり込みながら「A,謝れ。」などと怒鳴ったが,同女は謝罪する素振りを見せなかったので許せない気持ちとなり,同女の頭髪を鷲掴みにして振り回して転倒させたが,それでも同女が謝罪する素振りを見せなかったので,同女は被告人のことを馬鹿にしており,絶対に許せないなどという気持ちをさらに強め,「刺してやる。私と同じように左のおっぱいを無くしてやる。死んだって構わない。」などと考えて,判示各犯行に及んだ。

被告人は,被害者から悪口を言われるなどの嫌がらせを受けたことによるストレスが原因で乳癌に罹患したなどと勝手に思い込んで,同女に対する恨みや怒りを抱き,同女も左乳房を切除した自分と同じような苦しみを与えたいなどと考えて本件各犯行に及んだものであり,そのような犯行動機は自己中心的かつ短絡的であるというほかなく,酌量の余地は乏しい。被告人は,第三者の面前で,その制止を無視して殺傷能力のある果物ナイフを,正座している被害者の至近距離から,その身体の枢要部目掛けて突き出しているが,このような犯行態様は卑劣かつ大胆であり,危険な行為でもあって悪質である。被告人が,これまで夫の母である被害者の言動によって,精神的に傷付いた面があったことは否定できないにせよ,それが殺意を持たれるほどの被害者の落ち度であるとはいえない。被告人は,本件各犯行を敢行したことに加え,過去にも果物ナイフを持ち出して被害者を脅すこともしていたようであり,被告人の規範意識が減弱しつつあることも否定できず,当公判廷において,判示第1の犯行については不合理な弁解をして殺意や刺突行為を否認し,現在に至っても被害者に対する謝罪はないし,何らの反省の弁も述べていないのみならず,被害者に対する強くて深い怨恨を抱いていることが窺われる言動も見受けられ,再犯の可能性も否定できない。被告人の刑事責任は相当に重い。

しかしながら,被害者が身をかわしたことなどもあり,被害者に向かって突き出された本件ナイフは,被害者の身体に触れずに終わり,殺人は未遂に止まったこと,本件各犯行について強度の計画性までは窺われないこと,被害者は,被告人の夫の母親ということもあってか,被告人と「昔どおりに円満にやっていきたいと思う」などと供述していて処罰感情がそれほど強いものとは言えないこと,前科がないこと,身柄拘束期間が相当長期間に及んだこと,その他被告人の年齢,境遇,健康状態などの被告人のために酌むべき諸事情も認められる。

そこで,主文掲記の刑を科すこととはするが,被告人に有利に考慮することができる事情を最大限考慮して,今回に限り,その刑の執行を猶予し,なお,犯情を考慮してその猶予の期間中保護観察に付し,社会内において,更生の機会を与えるのを相当と認める。

(求刑 懲役4年,果物ナイフ没収)

(裁判長裁判官 井口実 裁判官 瀬川裕香子 裁判官 岡田紀彦)

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