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旭川地方裁判所 平成26年(わ)174号 判決 2015年4月02日

主文

被告人を懲役6年に処する。

未決勾留日数中80日をその刑に算入する。

本件公訴事実第1については,被告人は無罪。

理由

(犯罪事実)

被告人は,実の娘であるA(平成26年生)が泣き止まないことなどに怒りを募らせ,平成26年8月5日頃から同年9月8日までの間,旭川市の被告人方において,同児に対し,その顔面を平手で叩き,腹部を拳骨で殴り,両足に噛み付くなどの暴行を加え,さらに同日午後6時36分頃から午後8時30分頃までの間に,被告人方において,同児に対し,うつ伏せに寝ていた同児の右脇腹をつま先で蹴ってその頭部等を付近にあったダンベル等に激突させる暴行を加え,よって,同年8月23日頃から同年9月8日までの暴行により,同児に全治まで約10日間を要する眼底出血,全治まで約2週間ないし約1か月間を要する全身打撲等及び全治不明の外傷性脳損傷等の傷害を負わせた。

(事実認定の補足説明及び一部無罪の理由)

1  被告人は,平成26年8月,9月(以下,同年の出来事については年の記載を省略する。)にAの頬を平手で叩いたことはあるが,その他の暴行は行っておらず,捜査段階における暴行態様の自白は警察官の誘導によってした虚偽のものである旨述べ,弁護人も,これを受けて,被告人の自白には任意性及び信用性がなく,8月,9月に平手で頬を叩いた点を除き被告人は無罪である旨主張する。

2  自白の任意性について

被告人は,公判廷において,再逮捕前における自白(乙6,7)は,北海道警察旭川方面旭川中央警察署所属のB巡査部長がしつこく誘導してきたため,面倒になったことからした自白がそのまま検察官取調べでも維持されたものである旨供述する。

しかし,被告人の公判供述によっても上記誘導の内容はしつこいものといえるに止まり,他方で,誘導を被告人が拒否し続けた部分もあったこと,逮捕当日に犯行を自白していること,Aがダンベルにぶつかったことは被告人自らが考え出して供述したと被告人が述べていることに照らすと,任意性に疑いを抱かせる誘導はなかったと認められる。また,被告人の公判供述を含む本件各証拠を検討しても,上記各自白の時点までに,捜査機関による脅迫等を伴う威圧的な取調べがなされたことをうかがわせるものも見当たらない。

よって,被告人の上記各自白は任意になされたものと認められる。

3  一部無罪の理由(本件公訴事実第1)

(1)  本件公訴事実第1の要旨は,被告人が,2月26日頃から3月5日頃までの間,旭川市のC方において,Aに対し,その前胸部,腹部等を指でつねるなどの暴行を加え,よって,Aに全治まで約16日間を要する前胸部,腹部皮下出血等の傷害を負わせた,というものである(以下「第1事実」という。)。

(2)  3月5日時点におけるAの負傷状況について

ア D医師の検察官調書(甲4)によれば,D医師が2月26日にAを診察した際,その身体にあざ等は見当たらなかったこと,3月5日に診察した際,その①首下付近,②腹部中央付近,③左側腹部付近,④背部中央付近及び⑤両膝付近にそれぞれ受傷から数日後程度の皮下出血があったことが認められる。

そして,D医師は,上記各皮下出血について,上記①の皮下出血は帯状であるため何かが強く擦れてできたものと考えられること,上記②,③及び④の皮下出血はAを抱きかかえた際に指に力を入れたことによって生じた指圧痕と考えられること,上記⑤の皮下出血の原因が不明であること,上記①~④の皮下出血は指でつねってできた傷と考えても矛盾はないこと等をそれぞれ指摘している。そして,D医師は,複数の皮下出血が存在すること及び体重増加不良により虐待を疑った。

イ D医師が虐待を疑ったことを前提としても,上記①~⑤の各皮下出血についての指摘及び2月頃の被告人によるAの扱いがかなり雑であったことがうかがえること(甲5)を考慮すれば,被告人の過失行為や偶発的な事故等によって上記①~⑤の各皮下出血が生じた可能性は高いというべきである。

(3)  以上を前提に,第1事実の暴行を認める旨の被告人の捜査段階における供述(乙6)の信用性について検討する。

被告人は,Aの生後1週間後頃に,その夜泣きに苛立ち,その右頬を平手で叩き,その後も,その頬を平手で叩いたり,鎖骨の下辺りをつねったり,抱っこする際に揺さぶったりしたことがあること,3月5日時点でAの身体に残っていたあざは被告人の暴力によるものであることを認める旨の供述をしており(乙6),この供述の一部は上記(2)の負傷部位とある程度整合するものである。

しかし,被告人の上記供述は,Aに対する暴行の時期・態様について特定せずに抽象的に述べるものにすぎず,被告人の述べる各暴行が第1事実の各傷害結果と対応するものであるのかも定かでない上,上記(2)で判示したとおり,3月5日時点におけるAの負傷状況は,故意以外の過失行為等により生じた可能性の高いものであって,第1事実の傷害の原因となる暴行についての客観的な裏付けとはいい難い。また,被告人の妻であるE等の同居家族を含め,被告人の暴行を目撃した者はいない。なお,Eによるブログの書き込み(甲11,12)があるが,Eの供述によってもこの書き込みの内容自体不明確なままであって,被告人の暴行を推認させるものとはいい難い。さらに,1か月検診の際になされたAの負傷に関する被告人及びEの不自然な説明等検察官が主張するその他の事情も,せいぜい被告人による暴行の事実と矛盾しないという程度のものに過ぎない。いずれも被告人の上記供述の信用性を支えるものとはいい難い。

以上のとおり,被告人の上記供述は,抽象的で,推認力を有する補強証拠に欠けるものであるから,被告人が任意にしたものであって,積極的に供述の信用性を否定するまでの事情が認められないことを考慮しても,当該自白から被告人が第1事実の暴行をしたことを認定するに足りるほどの信用性は認められないというほかない。

(4)  その他,被告人が第1事実の暴行をしたことを認めるに足りる証拠はなく,第1事実については犯罪の証明がないことになるから,刑訴法336条後段により被告人に対し無罪の言渡しをする。

4  犯罪事実について

(1)  被告人の捜査段階の自白

被告人は,捜査段階において,8月5日から9月8日までの間に,Aに対し,顔を平手で叩く,胸や腹をつねる,腹を拳で殴る,左右の太ももやふくらはぎをつねったりかじったりする,抱きかかえた状態からクッションマットに投げるなどの暴行を加えたほか,同日夜にはうつ伏せに寝ていたAの右脇腹をつま先で蹴ってAをダンベルに衝突させた旨を自白していた(乙6,7)ので,その信用性を検討する。

ア Aの負傷状況等との整合性

証拠(甲17,21,22,F医師の公判供述)によれば,Aの負傷状況等について,①8月22日午後2時35分頃時点には,両頬の皮下出血以外に負傷箇所は認められなかったこと,②9月8日夜に緊急搬送された時点において,両側前頭部硬膜下血腫,軸索損傷,眼底出血,内臓損傷,左右肋骨骨折のほか,全身の少なくとも12か所に複数の機会に生じたと思われる打撲ないし圧迫傷が認められたこと,上記各損傷のうち,③左右大腿部,左膝下,右下腿の打撲ないし圧迫傷については咬傷である可能性が高いこと,④左右肋骨骨折は極めて局所的な範囲の衝撃により生じたものであること,以上の各事実が認められ,上記各損傷(ただし,全身の打撲ないし圧迫傷のうち下腹部陰裂上方打撲ないし圧迫傷を除く。)は,被告人が自白したとおりの暴行態様によって生じたものと考えて矛盾がなく,特に,左右脚部の咬傷,右肋骨骨折については,被告人の述べる暴行態様と極めて整合的である。

また,生後約7か月で自由に身動きのとれないAの身体の異なる箇所に,故意になされたとしか考え難い咬傷や単純な落下事故等では生じ難い局部的な肋骨骨折を含む複数の機会に生じた多数の損傷があることは,それ自体,日常的な暴行をAが受けていた事実を強く推認させるものであるところ,その年齢や生活状況等に照らせば,そのような暴行をし得る者は被告人とE以外には考え難いこと,Eがそのような暴行をしていた事実を疑うべき事情もないことも,被告人の上記自白を強く裏付ける事情ということができる。

イ Eの公判供述

Eは,公判廷において,被告人が,8月5日から9月8日までの間,被告人方寝室において,寝ているAの腹部を殴ったり,平手で叩いたりしたのを5回以上見たこと,9月8日夜,Aのいた被告人方居間から物音がしたため振り返ると,Aがぐったりしており,被告人がAの側に立っていたこと,Aを抱きかかえたが,その両目が斜め上に向いて焦点があっておらず(共同偏視),意識がなかったことなどを供述し,その内容は被告人の犯罪事実に関する自白と主要部分において一致している。

上記供述は,Aの身体に認められた左顔面及び右肋骨弓近傍の打撲ないし圧迫傷等や,両側前頭部硬膜下血腫等の負傷状況と矛盾なく整合しており(とりわけ,医学的な専門知識のないEが脳損傷と整合する共同偏視の事実を具体的に述べていることは,証言の信用性を強く支える事情といえる。),供述内容にも特に不自然,不合理な点が見当たらないことからすれば,十分信用することができる。

ウ また,証拠(甲30,被告人公判供述)によれば,被告人は,9月8日夜に,Aが泣き止まないことなどから,自身の用事などの邪魔になると感じてAに強い怒りを覚えていたと認められ,同日夜にその右脇腹を蹴り飛ばす動機があったと認められる。

エ 以上のとおり,犯罪事実に関する被告人の自白には十分な裏付けがあるということができ,これに加えて,自白内容が相当程度具体的であり,特に信用性を疑わせるような不自然,不合理な点も見当たらないこと,被告人は取調べにおいて,犯罪事実の暴行は認めつつ,Aの陰部や肛門への暴行など否定すべきところは否定していること(被告人公判供述)等も考慮すれば,被告人の自白は十分信用に足りるものということができる。

(2)  被告人の公判供述

一方,被告人は,公判廷において,Aの顔面を平手で叩いたこと以外にはAに暴行を加えておらず,9月8日夜も,被告人方寝室で寝ており,Aを蹴り飛ばすなどの暴行はしていない旨述べる。しかし,当該供述は,上記⑴アで認定したAの負傷状況に照らし,およそ信用し難い。

(3)  弁護人は,Aが同日夜に負傷した原因として,落下等の事故の可能性を主張する。しかし,F医師の供述によれば,落下等の事故によってAの負傷が生じる可能性は乏しいと認められる。また,寝返りができるようになっていたAの生育状況からすると,ベンチの上ではなく床のマットの上にAを寝かせたとするEの供述は自然かつ合理的であって信用できる。したがって,弁護人の主張は採用できない。

(4)  以上によれば,Aの負傷状況等の客観的事情及びEの供述などに裏付けられた被告人の自白は十分信用することができるから,被告人が犯罪事実を行ったことを認定することができる。

(法令の適用)

被告人の判示所為は包括して刑法204条に該当するところ,所定刑中懲役刑を選択し,その所定刑期の範囲内で被告人を懲役6年に処し,同法21条を適用して未決勾留日数中80日をその刑に算入することとし,訴訟費用は,刑訴法181条1項ただし書を適用して被告人に負担させないこととする。

(量刑の理由)

本件は,虐待を疑われて児童相談所により一旦保護されていたAが自宅に戻ってからの約1か月間に,被告人が,犯罪事実のとおり,日常的に暴行を加えた挙げ句,Aを強く蹴り飛ばし,その頭部等をダンベル等に激突させ,全治不明の重傷を負わせたという乳児虐待の事案である。

父親が,乳児の唯一のコミュニケーション手段ともいえる泣き声がうるさいなどと腹を立てて本来守るべき子に対して日常的に暴力を振るうという,身勝手極まりない動機,経緯に酌むべき点が全くなく,その行為は非常に卑劣かつ無慈悲なものというべきである。とりわけ,9月8日にダンベル等の側で寝ていたAを強く蹴り飛ばした行為は,それだけでAの生命も奪いかねない極めて危険なものであり,本件犯行態様は非常に悪質である。Aに生じた傷害結果も,脳損傷や複数の内臓損傷,左右肋骨骨折,全身打撲ないし圧迫傷等と多岐にわたり,少なくとも左目に視覚障害を負っていることがうかがわれるほか,重度の精神運動発達の遅滞,てんかんの後遺症が生じる可能性も認められるなど,かなり重篤なものである。

以上の犯情等からすると,本件は乳幼児に対する傷害事件としても重い部類に属する事案というべきであるところ,さらに,被告人は犯行のごく一部の比較的軽微な暴行を除いて一切否定している。

そうすると,被告人に前科がないことを考慮しても,主文のとおり量刑することが相当である。

(検察官   小沼智)

(国選弁護人 青山和志)

(求   刑 懲役7年)

(裁判長裁判官 二宮信吾 裁判官 伊藤吾朗 裁判官 吉野颯太)

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