旭川地方裁判所 昭和26年(行)2号 判決
原告 西本嘉一 外一名
被告 上川村選挙管理委員会
一、主 文
原告等の請求は之を棄却する。
訴訟費用は原告等の負担とする。
二、事 実
原告等訴訟代理人は上川村選挙管理委員会(以下委員会と略記)が昭和二十六年十二月十日なした基本選挙人名簿中より原告等両名を削除するとの決定は之を取消す。訴訟費用は被告の負担とするとの判決を求め、この請求原因として、原告等は委員会が昭和二十六年九月十五日現在で調製した上川村基本選挙人名簿(以下名簿と略記)に登録された者である処、委員会は同年十一月一日右名簿を上川村役場に於て同年十一月五日から同月十九日まで縦覧に供する旨告示し、右名簿は前記告示の通り縦覧に供されたが、上川村選挙人である訴外鎌田孝一が同年十一月十九日右委員会に対して原告等は上川郡上川村に公職選挙法第二十条第一項の規定する住所を有しないものであるから同条第三項により削除さるべきものであるとの異議を申立て、右委員会は右異議を理由あるものとして採択し同年十二月十日原告等を本件名簿中より削除する決定をなし、同年同月十一日右決定が原告等に通達された。しかしながら委員会のなした決定は以下述べる理由によりその認定を誤つた違法のものである。元来住所はこの場所を生活の中心としようとする意思とこの意思を実現した事実が存する場合に成立するものであり、その場所を生活関係の中心とする意思を第一義的に考えその実現の客観的事実があることによつて住所となるものである。言い換えれば客観的事実の存在は主観的意思の実現としてのみ意義があるものである。
即ち原告西本嘉一にあつては、
(一) 札幌市北五条東七丁目北海道農機具工業株式会社の取締役社長として昭和二十一年四月十六日就任して同市北六条西一丁目に宿泊しているが、右は仮寓しているに過ぎないこと。
(二) 明治三十一年上川村に移住以来現在に至るまで五十余年の長期に亘り継続的に同村を本拠として生活する意思であり、この意思に変りないこと。
(三) 本籍地が上川村にあつて同村に農地家屋を所有維持し、家族は同村に居住し農業を営み、祖先の位牌仏檀等家系の基本となるものは総て同村の住宅にあつて、同村の寺院檀家総代をしており墓地も同村にあること。
(四) 昭和三年上川村村会議員に当選就任し爾来現在に至るまで引続き数次の選挙に当選在任し、現に同村議会議長の職責にあり、他にも同村農業協同組合理事等の公職に就任していること。
(五) 札幌市には寄留届出をしておらず同市の選挙人名簿に登載されていないこと。
(六) 村民税その他の公課は上川村において徴収されその義務を果していること。
(七) 主食などの配給物は上川村で配給を受けていること。
(八) 印鑑などの届出も上川村でなされていること。
(九) 同二十三年十二月十七日北海道選挙管理委員会において原告嘉一の住所は上川村にあるとの確認裁決せられ且つ同村議会において同年三月十七日満場一致で同原告は被選挙権を上川村にあると議決された事実もあり、更に同村農地委員会においても在村地主となつており、その当時の状況も現在にも変りがないこと。
原告西本昌子については原告嘉一の妻であり、職業はなく夫である原告嘉一の扶養を受け起居を共にしているものであり原告嘉一と同じく住所は上川村にある。
以上の事実を綜合すれば原告等の住所が上川村にあることは明白であるから昭和二十六年九月十五日現在で調製された本件名簿に原告等が登載されたのは正当であるのに拘らず、委員会が昭和二十六年十二月十日原告等を右名簿から削除する決定をしたのは違法であるから、公職選挙法第二十四条によりこの取消を求めるものであると陳述し、被告主張の事実中原告等の主張に反する事実は否認すると述べた。(立証省略)
被告訴訟代理人は主文同旨の判決を求め、答弁として、原告等主張事実の内原告等主張の日に本件名簿が調製され、原告等がこれに登載されていたこと、原告等主張の名簿縦覧に付ての告示、及び右名簿が縦覧に供されたこと、原告等主張のような異議の申立があつたこと、その異議申立に基き原告主張の日に名簿中から原告等を除名する決定がなされ、これが原告等主張の日に通達されたこと、原告嘉一がその主張の会社取締役社長としてその主張の日就任し、その主張の地に宿泊していること、原告等の本籍原告嘉一の所有農地及び家屋、祖先の位牌、菩提寺が上川村にあること、原告嘉一がその主張のような公職に就任していること、札幌市には寄留届出なく同市の選挙人名簿にも登載されていないこと、村民税其他の公課を上川村で納め印鑑届出、主食等の配給も同村で受けていること、原告等主張のような北海道選挙管理委員会が裁決、上川村議会の議決がいづれもなされたこと、上川村農地委員会において在村地主となつており、当時の状況も現在も変りないこと、原告昌子が原告嘉一の妻であつて無職で夫嘉一の扶養を受け起居をともにしていることは何れも之を認め、札幌市が原告の仮寓であること、原告昌子の住所が原告嘉一と同じく上川村にあることは否認し、其余は不知である。人の住所を定めるについては民法第二十一条に依拠すべきであるが、その生活の本拠とは或人の一般の生活関係においてその中心をなす場所がいい、通説に従うと住所はその場所を生活関係の中心としようとする意思と、その意思を実現した事実とがある場合に成立するとしている。しかしながら生活の中心としようとする意思ということは主観であつて、第三者はその主観を何によつて認識し得るかといえば、それは外部に顕現された具象によつてのみ判断し得るのであつて、純然たる主観はこれを裏付ける具象を通じてでなければ自分の意思を説明し得ない訳合である。故に各人の住所とはその人の生活する諸般の客観的事実を綜合判断して逆にその人の意思を推定するの外なく、各人の住所意思を第一義的とすべきであるということは単なる言葉であつて、それだけでは実証的には無意味である。されば各人の住所を定めるには勢い先づ外部に顕現された事実によつて判断するの外はない。かような見地からすれば、原告等が自ら主張するように原告嘉一は上川村の重要な自治政治の中心人物で、村政上至大な影響力をもつている者といわなければならない。従つて原告嘉一の住所の判定に当つては真にその人らしい働きを上川村で営んでいるかどうかという点に重点をおかなければならない。即ち原告嘉一が年間の大半を札幌市に居住し経済活動をしながら、なお且つ生活の本拠が上川村にあると主張する考え方自体同村における長期にわたる同原告に対する村民権存否を繞ぐる紛争の根源をなしているものである。原告等の住所は上川村にあると主張する理由に対し(一)上川村における営農主は原告嘉一の養子清吉で、同村内の社交等は同人の名において行われていること。(二)村民税は同原告の財産が上川村にある限り課税されるのは当然なこと、(三)主食の配給は全国到る処で受配し得ること。(四)北海道選挙管理委員会の決定は当時の状勢下においては妥当とする事情があつたこと。(五)上川村議会の被選挙権有無の議決は原告嘉一の住所について当時問題となつたが、同村の理事者を失脚させるための決議であつたこと、(六)原告嘉一が同村農地委員会において在村地主となるについては、相当の経緯があつたこと等の事実に照せば原告等の現住所の判定の資料とならないと述べた。(証拠省略)
三、理 由
上川村選挙管理委員会が昭和二十六年九月十五日現在で調製した基本選挙人名簿(以下名簿と略記)に原告等が登載せられたこと、同委員会が右名簿を同年十一月五日から十九日まで上川村役場で縦覧に供し、右縦覧場所を同月一日告示したこと、選挙人である訴外鎌田孝一が法定の縦覧期間内である同月十九日右委員会に対して本件名簿に上川村に住所のない原告等を登載したのは違法であるとする異議を申立てたこと、同委員会は右異議が理由あるものとして翌十二月十日右名簿より原告等を削除する決定をなし、該決定を原告等に通知したことは当事者間に争いがないところである。
公職選挙法においては住所の観念について別段規定するところがないので、一応民法における生活の本拠をいうものであるといつて差支ない。そこで住所の認定は事実問題ではあるが、その認定には本人に一定の地を自分の生活の本拠とする主観的意思と、その意思の実現と見られる客観的事実即ち日常の生活関係がその場所を中心として具現されている事実とがなければならないが、特に公益性ある公法関係を伴う住所についてその目的、法律効果などからして本人の主観的意思を先ず第一義的に考うべきものではない。ところで原告等が公職選挙法第二十条第一項により本件名簿の調製された昭和二十六年九月十五日の三ケ月以前から引続き上川村に住所があつたかどうかについて検討するに、原告西本嘉一が札幌市北五条東七丁目北海道農機具工業株式会社取締役社長として昭和二十一年四月十六日就任し、同市北六条西一丁目を宿泊場所とし、原告西本昌子は無職でその夫である原告嘉一の扶養を受け起居をともにしていることは当事者間に争いないところ、原告等は右は仮寓に過ぎない旨主張するけれども、成立に争いのない甲第二号証の一、同第十五号証、乙第一、四号証同第八号証の一乃至三、同第十四号証は真正に成立したものと認める甲第九号証及び証人恒川明道、寺戸三千夫、伊藤勝雄、坂入司郎、久米延保の各供述、証人杉山貢、今野勝太郎、吉田松之助、西本清吉、原告嘉一本人の各供述の一部、札幌市北六条西一丁目三番地所在建物の検証の結果を綜合すると右建物は北海道農機具工業株式会社の所有で、役員住宅兼北農機倶楽部になつているが、その前主北海道農業会当時から原告昌子の母富田トシが居住しおり、原告嘉一の右会社社長としてその建物の内八畳三間を使用し原告等の衣類、寝具、箪笥、仏檀など一応整つていて、日常衣食住生活をする形態をなしており、単なる原告等の仮寓と認められないこと、同建物玄関には昭和二十六年十二月当時まで西本嘉一の表札も掲げていたこと、原告嘉一は疾病、負傷分娩又は死亡に関する保険給付を受けるため前記会社所属の健康保険に加入していたので同年五月六日その養子清吉が原告嘉一において札幌市に転出していることを理由として上川村地区内を世帯主とする同村国民健康保険組合から脱退したこと、原告両名は同年度に上川村において農業に従事した事跡なく、従つてその生産者としての保有米もなく、専ら札幌における前記会社社長としての所得によつて生活していたこと原告嘉一に対する上川村議会の招集通知は札幌に差出されおり、その村議会には同年中九回(会期十三日)の内八回出席し、その都度来村し、同年間の大半を札幌で生活していること、上川村における社交儀礼等は原告嘉一がしていないこと、原告昌子は上川村を生活の本拠とする意思があつたものと認める証拠なく、却つて原告嘉一と夫婦同居の義務があるから特段の事情の認められない本訴においては原告嘉一と同時同居していたものと認め得べきこと、従つて原告昌子も亦上川村に住所がなかつたものと認むべきこと、以上認定の事実を考合すると原告等が前記期間中上川村を生活の本拠とする意思があつたにしてもその意思の具現と認むべき客観的事実があつたものとは到底認められない。
右認定に反する証人杉山貢、伊藤十七吉、明石幸輔、今野勝太郎、吉田松之助、西本清吉、原告嘉一本人の各供述部分は信用し難く甲第二十七号証の一乃至四十四も未だ以つて前認定の事実を覆す証左とならない。ところが原告等が上川村に住所があるものとして主張し之を裏付ける客観的事実としてあげているものを考えてみるに、
(一) 原告嘉一の本籍地が上川村にあつて同村に農地、家屋を所有維持し、家族が同村に居住し且つ農業を営み、祖先の位牌、仏壇等の家系の基本となるものは総て同村の住宅にあり、同村の寺院壇家総代をしており、墓地も同村にあることは当事者の弁論の全趣旨によつて認められるところであるが、これらの事実は必ずしも謂ゆる生活の本拠と一致するものでない。本籍地は単に戸籍の所在場所を示すに過ぎない。又住所以外に土地家屋を所有し、或は壇家総代となり又は墓地などがあることは通常あり得べきことで又成立に争いのない乙第八号証の一乃至三、証人寺戸三千夫、西本清吉の各証言によると原告嘉一の養子清吉夫婦は昭和二十六年度中独立して上川村において営農に従事し原告嘉一には同年中農業所得がなかつたことが認められるから原告嘉一等が農業を経営している事実は認められない。右認定に反する原告嘉一本人の訊問の結果は信用しない。
(二) 原告嘉一が昭和三年上川村村会議員に当選就任し、爾来二十余年間同村会議員に在任し、現に同村議会議長の職を勤めている外同村農業協同組合理事の公職にあることも亦当事者の弁論の全趣旨によつて認められるところであるが、本訴は原告等が本件名簿調整の前記期間中上川村に謂ゆる生活の本拠があつたかどうかが争点となつているものであるから、原告等主張のような前示事実があつたとしても、同村に原告等の住所がなかつた前示認定の妨げとなるものではない。
(三) 原告嘉一は札幌市に寄留届もしておらず、且つ同市の選挙人名簿にも登載されていないことは当事者間に争いのないところであるが、現行寄留制度は届出が励行されないため現在殆んど制度本来の目的を失つている実情なので、これに代わる住民登録法が公布されるに至つた事実にかんがみ札幌市に寄留届をしていない事実を以つて上川村に住所があるものと認定し難く、又選挙人名簿に登載がないからといつて上川村に住所があるものと断定されない。
(四) 原告嘉一は上川村に土地家屋を所有し、村民税その他公課を同村から徴収されていることは当事者に争いないところ、成立に争いのない甲第二十七号の十六、二十七によると原告嘉一所有の土地建物の所在地である上川村において謂ゆる固定資産税を賦課徴収したことは当然であるから、徴税の事実があつたからとて上川村に住所がなかつた認定の妨げとならない。
(五) 原告嘉一が主食の受配及び印鑑届などが上川村でなされていることは当事者間に争いないところ、右はいずれも本人の住所を把握することなく本人の申告にもとずいてなされているのが実情であるから、かような事実があつても決して上川村に住所のない認定をする妨げとならない。
(六) 原告嘉一は昭和二十三年十二月十七日北海道選挙管理委員会において同原告の住所が上川村にあるものと確認裁決され、同年三月十七日村議会において同原告は被選挙権が上川村にあると議決され、更に同村農地委員会においても在村地主となつていることは当事者間に争いがないところであるが、成立に争いのない乙第十四号証、第三号証及び甲第十七号証を綜合すると原告嘉一が札幌市において昭和二十二年四月執行された北海道知事の決選及び参議院議員選挙の各投票を行つたことから、翌二十三年三月十六日上川村議会において同原告の上川村における被選挙権の有無について動議を提出され、これが議題となつて同原告は昭和十六年北聯常務理事に当選就任したのは上川村産業組合長と兼務する条件で同組合の役員会の承諾を得少くとも月三、四回来村しており、当時(昭和二十三年三月)北海道農業会(在札幌)から派遣の形でその関係会社北海道農機具工業株式会社の役員として上川村農業会長をも兼務しおり、同十六年北聯常務理事として兼務していた当時と何等変らない状態なることの弁明をし、伊藤十七吉議員は農地委員会において原告嘉一が在村地主として決定しているとの意見を述べただけで、同議会において同原告の住所について実体を把握審議した事跡もなくして、被選挙権が原告嘉一にあるものと議決され、当時の村長であつた広本彌平次から北海道選挙管理委員会に対し上川村議会議員選挙について訴願し、同年十二月十七日その訴願裁決があつたに過ぎないことが認められ、又成立に争いのない乙第二号証の一乃至五によると原告嘉一が昭和十六年八月二十八日北海道農業会常務理事として札幌市に赴任することとなり、農業に従事することができなくなつたので、伊藤正治に対し翌十七年から田二町、畑三反歩を、伊藤勝蔵に対し翌十八年から田一町四反、畑五反歩を、白田善助に対し翌十九年四月から田一町七反、畑一町三反歩を各小作させていたところ、原告嘉一から同二十三年九月十三日及び同月二十九日上川村農地委員会にこれが一時賃貸借承認を求めた際原告嘉一は同二十二年中に上川村に帰郷して営農に従事しようとしたが、当時北海道農機具工場の改革整備を懇請され、爾来踏留まつていたところ、同原告において最終の自作農地は絶対に自分が保有したい考えを持つていたので、同委員会においては原告嘉一が当時在村地主であるかどうかについて審議に附せられ、同原告は当時北海道農機具工業株式会社社長として札幌市に在任、同市北六条西一丁目富田昌子(現在原告昌子)方で統制物資の配給を受けていたが、将来上川村に永住したい意思であつたことが認められたのに六対三の多数決によつて原告嘉一が在村地主と決定し、次に同原告が右会社社長であることが農地調整法第九条第二項の「其ノ他特別ノ事由」に該当するかどうかの審議に入り、五対六で右特別の事由と認められないと決定し、これがため前示在村地主の決定と矛盾することとなつたが、地主関係者から前示小作人三名に対しそれぞれ返地反別を確認され、次いで翌十月三十一日の同農地委員会において農地調整法第九条第三項の承認が再び議題となり、稲垣委員から原告嘉一が農業会会長に推されているが同原告は農機具万端整つており明年(昭和二十四年)には帰村して耕作する能力もあり、自作農とするを正当と認めると、舟橋委員から原告嘉一の自作農を正当と認める理由として同原告には耕作を放棄する意思がないから本人の意思を尊重すべきであるとの趣旨の意見をそれぞれ述べ、更に同原告が在村地主であるかどうかを決定することとなつた結果、四対四の同数となつた。そこでその決定の慎重を期するためその決定を留保され、翌十一月一日右の件について監督官の意見を徴したところ、不在地主とすべきで、且つ農地調整法第九条第三項の承認を与うべきでないとの意見もあり、同月十七日再審議の前示農地委員会において右監督官の意見を報告したが、各委員会において意見が対立し、一旦休憩、再開の後五対一で原告嘉一は在村地主とすべきことに決定したものとなることが認められる。以上審議の経過に照し、同原告が上川村在村地主と認定すべき客観的事実の現存することの認むべきものがないばかりでなく、結局前認定の村議会の原告嘉一には被選挙権があるとの議決次いでその訴願裁決並びに農地委員会の在村地主の決定はいずれも同原告の上川村における昭和二十六年九月十五日より引続き三ケ月前の住所認定の資料とするに足りない。
かくして原告等主張の上川村を生活の本拠とする意思の具現と認められる客観的事実のあることが認められないので、原告両名は本件名簿が調製された昭和二十六年九月十五日の三ケ月以前から引続き上川村に住所を有していたものとは到底認められないから上川村選挙管理委員会が昭和二十六年十二月十日原告等両名を基本選挙人名簿から削除する決定をなしたのは相当であつて、その取消を求める原告等の請求は失当として之を棄却すべきものとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条、第九十五条を適用して主文の通り判決する。
(裁判官 山口昇 藤野稔 福田健次)