旭川地方裁判所 昭和44年(ワ)587号 判決 1974年3月29日
原告 国
被告 合資会社土田地所
主文
一 原告の請求を棄却する。
二 訴訟費用は、原告の負担とする。
事実
第一当事者の求めた裁判
(請求の趣旨)
一 北海道紋別郡滝上町字サクルー原野所在の別紙図面中A、B、C、D、Aの各点を順次直線で結んだ線で囲まれる土地七三二・二六平方メートルが原告の所有であることを確認する。
二 訴訟費用は、被告の負担とする。
(請求の趣旨に対する答弁)
主文と同旨
第二当事者の主張
(請求の原因)
一 北海道紋別郡滝上町字サクルー原野所在の別紙図面中A、B、C、D、Aの各点を順次直線で結んだ線で囲まれる土地七三二・二六平方メートル(以下「本件土地」という。)及びその周辺地は、もといわゆる北海道官有未開の国有地で、原告が原始的に取得した土地である。
二 ところが、被告は、本件土地が自己の所有に属する土地であると主張し、これを松ケ瀬秀雄等に賃貸している。
三 よつて、本件土地が原告の所有に属することの確認を求める。
(請求の原因に対する答弁)
請求原因事実はすべて認める。
(抗弁)
一 原告は、大正三年一月二十七日、柳生覚太郎に対し、北海道国有未開地処分法三条に基づき、紋別郡滝上町(当時滝上村)字サクルー原野一五三九番地(以下「一五三九番地の土地」という。)畑一町七反一畝歩を無償付与し、右土地は、その後立石蘇一、鈴木昇平、山下吉太郎の順に売り渡され、右山下は、大正十四年五月三十日、右土地を同番地の一から五八に分筆したうえ、昭和五年十月二十日、被告に売り渡したのであるが、本件土地は右土地の一部である。
二 仮に本件土地が右一五三九番地の土地に含まれていないとしても、
1 被告は、前記のとおり昭和五年十月二十日に本件土地の占有を開始した。
2 被告は、右占有の始期から二十年を経過した昭和二十五年十月二十日当時及び現在においても本件土地を占有している。
3 被告は、昭和四十五年二月十七日の本件第二回口頭弁論期日において時効を援用する旨の意思表示をした。
4 よつて、昭和二十五年十月二十日の経過をもつて時効が完成したから、被告は本件土地の所有権を取得した。
(抗弁に対する答弁)
一 抗弁第一項について
抗弁第一項の事実中本件土地が一五三九番地の土地の一部であることは否認し、その余の事実はすべて認める。
被告は、右山下が作成した分筆図面を根拠に、本件土地が一五三九番地の土地に含まれると主張するが、右分筆図は、山下が国有地である本件土地をほしいままに一五三九番地の土地に取り入れて作成したものであつて、一五三九番地の土地の範囲を正確に示すものではない。
二 抗弁第二項について
抗弁第二項1の事実及び2のうち被告が現在においても本件土地を占有している事実は認める。
(再抗弁)
本件土地は、原告が大正三年一月二十七日、柳生に対して一五三九番地の土地を無償付与した際、サクルー川の堤防敷地として除地された公共用物であるから、時効取得することはできない。
(再抗弁に対する答弁)
再抗弁事実は、否認する。
(再々抗弁)
仮に本件土地が公共用物であつたとしても、公用廃止がされたと言いうる事情が発生したときは、黙示の公用廃止の意思表示があつたというべきであり、それ以後は、公共用物には時効取得が認められるべきところ、本件土地は、遅くとも被告が占有を始めた昭和五年十月二十日ごろまでには、堤防敷地としての用途を廃止し、宅地として使用され、原告の管理者たる滝上村もこのような事態に対して何らの手段を講ずることなく放置し、黙認してきたものであるから、黙示の公用廃止の意思表示があつたものと言うべきである。
(再々抗弁に対する答弁)
公共用物の公用廃止は、その旨の管理者の明示の意思表示を必要とするものであり、黙示の公用廃止と言う概念は、認められない。したがつて、本件土地について明示の公用廃止の意思表示がないかぎり、本件土地は、依然として公共用物であり、時効取得の対象となり得ない。
仮に黙示の公用廃止の概念が認められるにしても、本件土地は、今日まで継続して、サクルー川の自然の堤防としての機能を果たしてきているものであるから、黙示の公用廃止の意思表示がされたということはできない。本件土地上に建物が建てられていたとしても、堤防敷地としての機能には何ら変更をもたらすものではない。
第三証拠<省略>
理由
一 本件土地及びその周辺地がもといわゆる北海道官有未開の国有地で、原告が原始的に所有権を取得した土地であること、原告が大正三年一月二十七日、柳生覚太郎に対し、一五三九番地の土地、畑一町七反一畝歩を無償付与したこと、右土地がその後立石蘇一、鈴木昇平、山下吉太郎を経て、昭和五年十月二十日、被告に売り渡されたこと及び右山下が大正十四年五月三十日、一五三九番地の土地を同番地の一から五八までに分筆したことは、いずれも当事者間に争いがない。
二 被告は、本件土地が一五三九番地の土地に含まれていると主張し、成立に争いのない乙第三号証、弁論の全趣旨により原本の存在及び真正に成立したものと認められる乙第二九号証、証人島田五郎の証言により真正に成立したものと認められる乙第三一号証及び被告代表者本人尋問の結果を総合すれば、被告は、山下から、本件土地が一五三九番地の土地に含まれているものとして買い受け、以来現在まで占有を継続して来たことが認められるが、いまだ右事実のみでは、被告の右主張を認めることはできず、他に右主張を認めるに足りる証拠はなく、かえつて成立に争いのない甲第四号証から第八号証まで、官署作成部分については争いがなく、その余の部分については証人村井寅一の証言により真正に成立したものと認められる甲第二号証、同証人の証言及び証人千田稔の証言を総合すれば、明治及び大正年間、北海道官有未開の土地の払下げを希望する者は、まず、その土地の貸下げを北海道庁に対して願い出て、一定の期間の借用の後、払下げを受けていたが、北海道庁長官は、右土地の払下げに当り、河岸地については、河川の幅員及び水流の緩慢、地形等を参酌して堤防敷地として、河幅が八〇間未満のものについては、その左右とも川幅だけ、河幅が八〇間以上のものについては、河川の幅員にかかわらず、その左右とも一二〇間を除地し、除地したときは、その位置、間数等を図面に記載することを要するとされていたところ、サクルー川に隣接した一五三九番地の土地を前記柳生に払い下げるに当つて、堤防敷地として当時のサクルー川の川筋より一四間から一八間にわたつて除地し、その除地した土地の位置、間数等及び払下地の位置、面積等を記載した図面(いわゆる処分図。甲第二号証)を作成したことが認められ、右甲第二号証、成立に争いのない甲第一四号証、第一八号証、証人益村満の証言により真正に成立したものと認められる甲第二二号証、同証人の証言、検証の結果、昭和四十七年十月五日現在の基線と二号線との交点にある標柱を撮影した写真であることに争いのない甲第二三号証の一及び同日現在の基線と一号線との交点にある標柱を撮影した写真であることに争いのない甲第二五号証の一を総合して、一五三九番地の土地を現地で確定すれば、本件土地が一五三九番地の土地に含まれず、堤防敷地として除地された土地の一部であることが明らかである。したがつて、被告の前記主張は理由がない。
三 被告は、本件土地を時効により取得したと主張するので、この点について判断する。
1 被告が本件土地を現在占有していることは当事者間に争いがなく、被告が本訴において時効を援用したことは、本件記録上明白であり、被告が昭和五年十月二十日、山下から本件土地を買い受け、以来現在まで占有を継続してきたことは、前認定のとおりであり、被告は、その間、所有の意思をもつて平穏かつ公然に本件土地を占有して来たことが推認される。
2 原告が大正三年一月二十七日、柳生に対して一五三九番地の土地を払い下げる際、本件土地をサクルー川の堤防敷地として除地したことは、前認定のとおりであり、右事実によれば、本件土地について、同日、公共用物として公の目的に供する旨の公用開始行為がされたこととなり、弁論の全趣旨によれば、その後サクルー川の管理者によつて明示の公用廃止の意思表示はされていないことが認められる。
3 公用物は、行政主体による公用廃止の意思表示がされないかぎり時効取得の対象となり得ないと考えられるが、右行政主体による公用廃止の意思表示は、必ずしも明示であることは必要ではなく、長年の間、公共用物が公の目的に供されず、公共用物としての形態、機能を喪失した状態が継続し、その状態であつても実際上の支障がないということであれば、右公共用物については、黙示の公用廃止の意思表示がされたものとして、それ以後においては公共用物が公共用物としての性質を失い、普通財産となつて時効取得の対象となり得るものと解するのが相当である。
これを本件についてみると
成立に争いのない甲第二〇号証の二、第二一号証の一、二、乙第三〇号証の一、第三五号証の一、第三七号証の一、原本の存在及び成立に争いのない甲第二〇号証の一、前掲甲第二号証、第一四号証、前掲証人村井寅一、同千田稔の各証言、証人島田五郎、同大塚裕の各証言、被告代表者本人尋問の結果及び前記認定の事実を総合すると、サクルー川は、いわゆる原始河川であつて、原告は、その流域に隣接した官有未開地を払い下げるに当り、川筋から一定間隔の土地を堤防敷地として除地したものの、除地後、間もなくそこに築堤する計画を樹立していたものではなく(本件土地付近のサクルー川の築堤工事の計画は、昭和四十年によつてようやく検討され出したにすぎない。)、右除地された土地の機能は、豪雨、融雪等のためサクルー川の流水量が異常増加したとき、除地された土地にまで流水域を自然拡大させることによつて河川の氾濫を防ぐという一種の緩衝地帯の作用を果たすところにあり、柳生覚太郎が一五三九番地の土地・一町七反一畝歩の払下げを受け、その後、右土地が山下吉太郎によつて取得されるまでの間にサクルー川の流水域が徐々に移動し、右堤防敷地として除地された土地、右一五三九番地の土地の一部等が浸蝕され流失するに至つていたため、一五三九番地の土地を取得した右山下が大正十四年五月三十日、右土地を同番の一から五八までに分筆する際、サクルー川の浸蝕により減少した地積に相当する分として一五三九番地の土地に隣接する本件土地を一五三九番地の土地に取り入れた分筆図面を作成し、それで分筆登記を申請して受理されたこと、しかも山下は、右当時までに本件土地を三つに区分し、三名に賃貸していたが、そのうち二名は本件土地の上に家屋を建てて居住し、他の一名は畑としてこれを使用していたこと、サクルー川の堤防敷地として除地された近隣の土地上にも仮設建造物ではない建物が少なからず建築されており、それまで数十年にわたつてサクルー川の流水量が異常に増加したときも本件土地にまで流水域が拡大された前例がないこと、被告は、山下から現地で、一五三九番地の土地には本件土地も含まれるとの説明をうけ、更に前記分筆の際作成された図面を見せられ、本件土地が一五三九番地の一部であると信じて、同人より買い受け、その後も同人と同様本件土地を賃貸しつづけてきたこと、サクルー川は、明治時代以来昭和三十八年準用河川に指定されるまで、普通河川であり、滝上町(町制が施行されるまでは、滝上村。以下同じ。)がその河川及びその付属施設の管理をしてきたが、滝上町は、昭和三十五・六年ごろに、サクルー川の準用河川指定の問題が生じ、その河川区域の調査をするに及んで初めて本件土地が堤防敷地として除地された土地であることを知つたもので、その間本件土地が私所有地として賃貸され、その上に家屋が建てられていることにつき、山下及び被告に対し何ら異議を述べることもなく、その利用状態を放置していたことが認められ、以上の認定事実を総合すれば、遅くとも被告が一五三九番地の土地を買い受けた昭和五年十月二十日当時までには、本件土地はすでに堤防敷地としての形態、機能を喪失した状態となつており、河川管理者もそれを異とせず、かつそれで河川管理上も何らの支障がなかつたことが認められ、したがつて、本件土地は右当時すでに黙示の公用廃止の意思表示がされていたと認めるのが相当である。
原告は、本件土地は自然の堤防敷地としての機能を果たしてきたのであるから公用廃止はされていないと主張するが、前記認定のとおり、過去数十年にわたつてサクルー川の異常増水の際、本件土地にまで流水が上昇して来た前例がないこと、本件土地がもともと異常増水の際、流水域を除地した土地にまで自然拡大させることによつて河川の氾濫を防ぐという一種の緩衝地帯としての機能を持たせる目的で除地されたことを考えると、本件土地は、すでに自然堤防敷地としての機能を喪失していたものと言わざるを得ず、原告の右主張は、理由がない(前記甲第一四号証によれば、サクルー川の流水量が毎秒当り五七〇立方メートルになれば、本件土地のほぼ半分、毎秒当り九五〇立方メートルになれば、本件土地の全部が流水によつて水没することが一応認められるが、原本の存在及び成立に争いのない乙第二八号証、前掲証人大塚裕の証言、被告代表者本人尋問の結果及び検証の結果によれば、北海道知事は、本件土地上の家屋の所有者及び本件土地よりもなお川筋よりの土地上に建てられた家屋の所有者に対し、それらの家屋が仮設建造物ではないのに堤防敷地占用の許可を与えていることが認められ、それに前記認定の異常増水の際も本件土地にまで流水域が拡大した前例がないことを併せ考えると、サクルー川の流水量が毎秒当り五七〇立方メートル近くにまで増加することはほとんどないものと推認することができる)。
すると被告は、本件土地を自主占有して二十年経過した昭和二十五年十月二十日に時効が完成し、本件土地の所有権を取得したものと言うべきである。
四 以上によれば、原告の本訴請求は、理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条の規定を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 富永辰夫 榎本恭博 澤田経夫)
(別紙)
図面<省略>
凡例、面積計算表<省略>