旭川地方裁判所 昭和45年(ワ)347号 判決 1973年8月31日
原告
清水ツル
ほか一名
被告
町村春二
ほか一名
主文
被告町村春二は、原告清水秀人に対し、金一〇〇万円およびこれに対する昭和四十四年五月四日から、原告清水ツルに対し、金二六万六、六一三円およびうち金一一万六、六一三円に対する昭和四十七年七月十四日から右各完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。
原告らの被告町村春二に対するその余の請求および原告清水秀人の被告浅野郁郎に対する請求を棄却する。
訴訟費用中原告らと被告町村春二との間に生じたものは、同被告の負担とし、原告清水秀人と被告浅野郁郎との間に生じたものは同原告の負担とする。
この判決は、原告らの勝訴部分にかぎり仮に執行することができる。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 原告ら
1 被告らは、原告清水秀人に対し、各自四〇〇万円およびこれに対する昭和四十四年五月五日から右完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。
2 被告町村春二は、原告清水ツルに対し、五六万四、〇五三円およびうち四一万五、七四三円に対する昭和四十五年七月十四日から右完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。
3 訴訟費用は、被告らの負担とする。
4 仮執行の宣言
二 被告ら
1 原告らの請求を棄却する。
2 訴訟費用は、原告らの負担とする。
第二当事者の主張
一 請求の原因
1 本件交通事故の発生
被告町村春二は、昭和四十四年五月四日午後三時三十分ごろ、北海道利尻郡利尻町仙法志字御崎。峨家条太郎方前の町道(以下「本件道路」という。)を仙法志方面から鬼脇方面に向つて普通貨物自動車(旭四ふ二七五七)(以下「本件自動車」という。)を運転して走行中。折から本件道路端に設けられた右峨家方の下水溜め付近に立つていた原告清水秀人(以下「原告秀人」という。)の左大腿部付近に自車の左側を衝突させて、同原告に対し、右脛骨骨折および左大腿骨頸部骨折の傷害を負わせた。
2 原告秀人の後遺症
原告秀人は、右傷害のため、同日利尻町国民健康保険病院(以下「健保病院」という。)に入院して同病院の医師である被告浅野郁郎の診療を受けたが、左大腿骨頸部骨折が変形治癒したため、左足は、彎曲して右足より約二・五センチメートル短縮し、そのため現在では歩行時に著しく跛行する機能障害を残すに至つた。
3 被告町村の責任
被告町村は、本件自動車を所有してこれを自己のため運行の用に供していたものであり、自動車損害賠償保障法(以下「自賠法」という。)三条の規定に基づき、原告らが被つた後記損害を賠償すべき義務がある。
4 被告浅野の責任
被告浅野は、本件交通事故によつて被つた原告秀人の傷害を診療するに際し、医師として次に述べるような注意義務を尽さなかつたため同原告の左大腿骨頸部骨折の存在を看過して治療を施さなかつたため、これを自然変形治癒させ、前記のような機能障害を後遺症として残すに至らせたものであり、民法七〇九条の規定に基づき、同原告が被つた後記損害を賠償すべき義務がある。
(一) 同原告は、本件交通事故により左大腿骨頸部骨折を生じていたのであるから、被告浅野は、医師として診察に際して、同原告が当時満六歳の幼児であつたことを考慮し、同原告の全身にわたつて詳細に視診、触診するなどして右傷害を発見すべき注意義務があつたにもかかわらずこれを怠つた。
(二) 被告浅野は、入院治療中の同原告に附添看護をしていた原告清水ツルより、原告秀人の左腰部から左大腿部にかけて内出血と思われる紫斑があることを告げられたとき、医師として当該部位を視診、触診するなどして右傷害を発見すべき注意義務があつたにもかかわらずこれを怠つた。
5 原告らの損害
(一) 原告秀人の慰藉料四〇〇万円
原告秀人は、本件交通事故当時、幼稚園に通園中の快活で運動好きな幼児であつたが、右事故により前記傷害を被つたうえ、左大腿骨頸部骨折の自然変形治癒による前記機能障害のため、一生を通じて最も楽しかるべき幼、少年期は全く暗いみじめなものとなつたばかりでなく、将来においても、職業、結婚などに大きな不利益を被ることは明らかである。さらに前記機能障害による労働能力低下に伴う逸失利益も相当額に達し、同原告の物心両面から受ける精神的苦痛は、甚大なものというべく、右苦痛を慰藉するのには、四〇〇万円が相当であり、被告ら両名に対し、その各自支払を求める。
(二) 原告ツルの損害
原告ツルは、原告秀人の実母であるが、同原告の右傷害のため、次のような損害を被つたので、被告町村に対し、その支払を求める。
(1) 休業による逸失利益 一二万一、六四三円
原告ツルは、富国生命保険相互会社の外交員として一年間に一二〇万円の収入を得ていたところ、本件交通事故による原告秀人の入院治療期間中同原告の附添看護のため一二日間および同原告の前記後遺症の治療に札幌の医師のもとに赴いたため二五日間合計三七日間休業せざるを得ず、その間一二万一、六四三円の収入を得ることができなかつた。
(2) 交通費 二万三、三六〇円
前記札幌まで赴いた際要したタクシー代、船賃および汽車賃
(3) 医療費 一万九、〇五〇円
札幌の医師に支払つた分
(4) 弁護士費用 四〇万円
原告ツルは、被告町村と本件交通事故に基づく損害賠償について、再三にわたつて示談交渉をしたが、同被告はまつたく誠意を示さないので、やむをえず本件訴えの提起および追行を弁護士宇山定男に委任し、弁護士費用として四〇万円を支払う旨約束した。
6 よつて、原告秀人は、被告ら両名に対し、共同不法行為者として右慰藉料四〇〇万円およびこれに対する本件交通事故が発生した日の翌日である昭和四十四年五月五日から右完済に至るまでの民法所定の年五分の割合による遅延損害金の各自支払を、ならびに原告ツルは、被告町村に対し、右損害合計額五六万四、〇五三円およびそのうち四一万五、七四三円に対する本件訴状の同被告に対する送達の日の翌日である昭和四十五年七月十四日から右完済に至るまでの民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
二 請求原因に対する答弁
1 被告町村
(一) 請求原因第1項のうち被告町村がその運転する貨物自動車の左側を原告秀人に衝突させて原告秀人に傷害を負わせた事実は否認し、その余の事実は認める。
(二) 同第2項のうち原告秀人が健保病院において入院治療を受けた事実は認めるが、その余の事実は不知
(三) 同第3項のうち同被告が本件貨物自動車を所有し、これを自己のため運行の用に供していた事実は認めるが、自賠法三条の規定の責任があることは否認する。
(四) 同第5項の事実は、否認する。
2 被告浅野
(一) 請求原因第1項の事実は、不知
(二) 同第2項のうち昭和四十四年五月四日、原告秀人が健保病院に入院し、同病院の医師である被告浅野から診療を受けた事実およびその後同原告の左大腿骨頸部骨折が自然変形治癒した事実は認めるが、その余の事実は不知
(三) 同第4項の事実は、否認する。
(四) 同第5項の事実は、不知
三 被告浅野の主張
被告浅野は、原告秀人に対する初診時において、全身にわたつて十分な視診、触診、問診等を行なつたが、左大腿部に外傷もなく、その部分を圧迫しても同原告はまつたく痛みを訴えなかつた。当時左大腿骨頸部骨折が生じていたならば、その部位についてレントゲン写真を撮影していればあるいは骨折の存在を発見することができていたかもわからないが、痛みも外見的所見もまつたく認められない部位に対しレントゲン写真の撮影を行なうことは、一般の医療実務としてまつたく期待することができないものであり、医師に課された義務ではない。また、同原告の入院期間中、被告浅野は、原告らから左大腿部について痛み、腫脹などの異常を訴えられたことはなく、退院後二カ月に至つて、初めて原告ツルから原告秀人が歩行の際跛行する旨訴えられ検査したところ、左大腿骨頸部骨折が自然変形治癒していることが判明したのである。
以上のとおり、被告浅野が原告秀人の左大腿骨頸部骨折の存在を発見できなかつたのは、被告浅野の過失によるものではない。
第三証拠関係〔略〕
理由
第一被告町村に対する請求について
一 被告町村が昭和四十四年五月四日午後三時三十分ごろ、北海道利尻郡利尻町仙法志字御崎、峨家条太郎方前の町道を仙法志方面から鬼脇方面へ向けて自己所有の貨物自動車を運転していたことおよび折りから原告秀人が右道路端に設けられた右峨家方の下水溜め付近に立つていたことについては、当事者間に争いがない。
二 〔証拠略〕を総合すると、次の事実が認められ、他にこの認定を覆えすに足りる証拠はない。
1 本件道路は、昭和四十四年五月四日当時、火山灰を敷きつめた未舗装のままで、歩車道の区別がなく、仙法志方面から鬼脇方面へ約二〇度の上り勾配となつており、その有効幅員は約三メートル(〔証拠略〕)で、その両側には家が立ち並んでゆるやかなS字形に蛇行しているが見通しは悪くなく、右道路から約〇・五メートル離れて峨家方があり、その家の隈付近に本件道路から約〇・一メートル離れたところに三枚の板で蓋がされた約〇・四メートル四方の下水溜めが設けられており、その蓋の上および付近には直径約〇・一ないし〇・二メートルの石が散在していた(〔証拠略〕)。
2 被告町村は、自己所有の本件貨物自動車を運転して本件道路を走行していたところ(この事実については、当事者間に争いがない。)、右峨家方前出窓付近に立つていた赤坂伸(当時八年)を発見したので、進路を本件道路右端寄りに変更するとともに、折りから上り勾配に差し掛かつたので、変速して時速約二〇キロメートルで進行した。原告秀人は、右峨家方横の空地で右赤坂らと遊んでいたが、赤坂が右空地より本件道路の方へ走り出たので、これを追つて峨家方の角まで走つて来たところ、前記下水溜めの蓋につまづき、下水溜めの蓋の上に転倒したが、すぐにその場で起き上ろうとしたそのとき、被告町村運転の本件貨物自動車が赤坂および原告秀人の間近を通過して行つたが、その直後同被告は、子供の泣き声を耳にしたので自車を停車させ峨家方の前まで引き返えすと、同原告が足を下水溜めの蓋の付近に置き、右頬を下にして俯せになつて本件道路上に転倒していた。同被告が抱き起すと、同原告は、口唇を少し切つて出血していた以外には何らの外傷も認められなかつたが、右足の痛みを訴えて右足を地上につけて立ち上がることができなかつたので、同原告の祖父らの手によつて利尻町沓形の健保病院に連れて行かれ、同病院の医師である被告浅野の診察を受けたが、同被告は、右脛骨骨折の傷害があると診断し、その治療を施した。
三 〔証拠略〕によると次の事実が認められ、他にこの認定を覆えすに足りる証拠はない。
原告秀人に生じた右脛骨骨折および左大腿骨頸部骨折は、いずれも平地での単純な転倒によつては起きえないもので、外部からの強力な力が加わつた場合、例えば大きな物体が強い力でぶつかるとか、スキーに乗つてスピードを出し何かに衝突して転倒するとかした場合以外には生ずる可能性が極めて少ないこと、左大腿骨頸部骨折は、右脛骨骨折とおおむね同時期に生じたものであること、右骨折は、変形して自然治癒しているが、現在では股関節には異常はなく、左足が右足に比べやや短く、歩行時において少し跛行を示し、直立姿勢において幾分左傾しているが、成長するにつれてその差はなくなり、成人ののちは機能障害が生ずる可能性はほとんどない。
四 そこで原告秀人の右傷害がいずれも被告町村の運転する本件貨物自動車との衝突によつて生じたものか否かについて判断すると、右認定事実からは、原告秀人がどのような状態で被告町村の運転する貨物自動車と接触し、どのような状態で転倒したかを推認することは困難であり、他にそれを推認させる証拠はないが、右認定のとおり同原告が下水溜めの蓋につまづき転倒し、起き上がろうとしたところに被告町村の貨物自動車がその間近を通過し、同原告がさらに転倒して右脛骨骨折の傷害を負つたこと、左大腿骨頸部骨折がほぼ同時期に生じていること、右骨折は、強力な外力が加わらなければ生ずる可能性が極めて少ないこと、右時期に同原告が他に強力な外力を加えられたことを認めうる証拠がないことからすれば、同原告の右傷害は、被告町村の運転する貨物自動車と衝突して転倒した結果生じたものと推認することができる。
すると被告町村が本件貨物自動車の運行供用者であることは、当事者間に争いがなく、同被告は、免責の点について主張、立証しないので、本件交通事故によつて生じた後記原告秀人および同ツルの損害を賠償すべき義務があるといわなければならない。
第二被告浅野に対する請求について
一 昭和四十四年五月四日、原告秀人が健保病院に入院し、同病院の医師である被告浅野の診察治療を受けたこと、その後原告秀人の左大腿骨頸部骨折が自然変形治療していたことについては、当事者間に争いがない。
二 〔証拠略〕を総合すると、次の事実が認められ、この認定に反する被告浅野本人尋問の結果は、〔証拠略〕に比して信用することができず、他にこの認定を覆えすに足りる証拠はない。
1 原告秀人は、本件交通事故直後健保病院の外科当直医であつた被告浅野の診察を求め、同被告は、同原告の全身を視診した後、足の各部を触診し、両足を運動させて機能障害の有無、骨の異常可動の有無などを調べたり、痛みの訴えなどを問診したが、左足には他覚的所見および自覚的所見は、認められなかつたが、右足にはその膝関節から足背部に至るまで中等度の腫脹が認められ、また同原告も右下腿部の痛みを訴えたので、右下腿部のレントゲン写真を撮影した結果、右足脛骨に二条のらせん形の捻転骨折が生じているのを認めた。
そこで、被告浅野は、原告秀人を即日同病院に入院させたうえ(この点については、当事者間に争いがない。)、骨折している右下腿部を副木で固定をして同部をゼノール湿布し、鎮痛剤としてセデスを投薬したが、さらに翌五日から七日まで右下腿部にゼノール湿布を続けるとともに、鎮痛剤APⅡおよびノブロン、腫脹を和らげるためキモタブを投薬、注射したうえ、八日に至つて右下腿部をギブスで固定したが、原告らは、原告秀人の左大腿部、左脛部等について何ら異常を訴えなかつた。
2 原告秀人は、右足をギブスで固定したまま、同月十五日に退院したが、しばらくして左足大腿部に痛みを感じ始めたものの同原告の家族は、誰も同原告の左足の異常に気付かないまま、同年六月五日、同病院で右足のギブスをはずした。
その後、原告ツルは、原告秀人の右足の腫膿を心配し、同月十日、札幌医科大学で診察を求めたところ、右脛骨骨折は治癒していないと診断され、再度固定治療を受けた。
3 ところが、同年七月十三日になつて原告秀人が著しく跛行することに気付いた原告ツルは、同月十五日、被告浅野に対し診断を求めレントゲン写真を撮影した結果、左大腿骨頸部に骨折が生じていたことがわかつたが、すでに自然変形治癒していた(この点については、原告らと被告浅野との間に争いがない。)。
三 前記のとおり原告秀人の左大腿骨頸部骨折が本件交通事故によつて生じたものであると推認できるのであるから、被告浅野は、右骨折の存在を看過していたといわなければならない。
そこで、被告浅野が右骨折の存在を看過したことに過失があつたか否かについて判断すると、前記認定のとおり原告秀人の初診時から退院まで問診、視診、触診等によつても同原告の大腿部に骨折を疑わせるような異常運動、軋轢音、変形、腫膿、内出血、骨折痛等の臨床的症状は見られなかつたのであり、右の場合レントゲン写真撮影によれば右骨折の存在を発見することができるとしても、臨床的症状が認められてはじめてレントゲン写真を撮影する現在の医療慣行あるいはレントゲン写真の撮影においては放射線照射の内臓に与える危険性が幼児の場合特に大であることを考えると、このように大腿骨頸部骨折の存在を疑わせるような臨床的症状が認められないときいきなりレントゲン写真の撮影をして骨折の存在を発見すべき注意義務があるとは断ずることはできない。したがつて被告浅野が原告秀人の左大腿骨頸部骨折の存在を看過した点について過失はないものといわなければならない。
そうすると原告秀人の被告浅野に対する本訴請求は、理由がない。
第三原告らの損害
一 原告秀人の損害 一〇〇万円
原告秀人の前記受傷の部位、程度、入通院期間、後遺症の内容、程度その他本件審理に現われた諸般の事情を考慮すると本件交通事故による同原告の精神的苦痛に対する慰藉料は、一〇〇万円が相当である。
二 原告ツルの損害
1 休業による逸失利益 一〇万円
〔証拠略〕によれば、同原告は、富国生命保険相互会社の保険加入勧誘外交員として働き、一カ月平均一〇万円の収入を得ていたところ、本件交通事故による原告秀人の入通院に付き添つたため、事故日から同年十月末までの間に一カ月分の収入を得られなかつたことが認められる。
2 交通費 六、八二〇円
〔証拠略〕によれば、同原告は、原告秀人の本件傷害の治療のため札幌の医師のもとに三回赴き、その際タクシー代として合計六、八二〇円を出捐したことが認められる。なお原告ツルは、その際に要した船賃、汽車賃を請求するが、その額の証明がないから棄却を免れない。
3 医療費 九、七九三円
〔証拠略〕によれば、同原告は、原告秀人の本件傷害の治療のため札幌の医師のもとに三回赴き、その際治療費として合計九、七九三円を出捐したことが認められる。
4 弁護士費用 一五万円
原告ツルが本訴の提起、追行を弁護士宇山定男に委任したことは、当裁判所に顕著な事実であり、〔証拠略〕によれば、同原告が同弁護士に対し、その費用として四〇万円を支払う約束をしたことが認められる。被告町村は、右費用のうち一五万円を支払うのが相当であると考えられる。
第四結論
以上の次第で被告町村は、原告秀人に対し、一〇〇万円およびこれに対する本件交通事故の発生の日の翌日である昭和四十四年五月五日から、原告ツルに対し、二六万六、六一三円およびそのうち弁護士費用一五万円を除く一一万六、六一三円に対する本件訴状の同被告に対する送達の日の翌日である昭和四十七年七月十四日から右各完済に至るまでの民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払義務があることとなり、原告らの本訴請求はその限度で理由があるから認容し、同被告に対するその余の請求および原告秀人の被告浅野に対する請求はいずれも理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条、九二条、九三条一項ただし書後段、仮執行の宣言について同法一九六条の規定を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 富永辰夫 榎本恭博 井上弘幸)