旭川地方裁判所 昭和48年(ワ)134号 判決 1973年12月19日
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は、原告の負担とする。
事実
原告訴訟代理人は、「被告は、原告に対し、二七五万円及びこれに対する昭和四十八年五月十一日から右完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は、被告の負担とする。」との判決及び仮執行の宣言を求め、請求の原因として、
一 七条岩雄は、その所有する自家用小型貨物自動車について、被告を保険者とし、期間を昭和四十四年六月十三日から一年間とする自動車損害賠償責任保険(以下「自賠責保険」という。)の契約を締結した。
二 右岩雄は、昭和四十四年八月十七日、右自動車を運転して北海道勇払郡占冠村字ニニウ付近の国道二三七号線を新入橋方面から富良野市方面に進行中、六〇メートルの崖下に右自動車を転落させて同乗中の七条和子を即死させ、自らも同時に死亡した。
三 右事故のため和子は、次に掲げる損害を被つた。
1 逸失利益 三、八八二、九二〇円
和子は、死亡時二〇才で、当時、文京保母専門学校に在学し、昭和四十六年三月、同校を卒業して同年四月一日から保母となる予定であつたところ、そのころの保母の一カ月の給料は、三一、三〇六円で、年間四・六カ月分の特別給与を受給することができ、したがつて一年間の収入額は、五一九、六七九円となり、同女は、六〇才になるまで三八年間は働くことができると考えられるから、生活費に収入の五割を要するとして、その間の逸失利益をライプニツツ方式により中間利息を控除して算出すると四、三八二、九二〇円となる。被告は、そのうち五〇万円を弁済しているから、残額は、三、八八二、九二〇円となる。
2 葬儀費 二〇万円
3 慰藉料 三〇〇万円
合計 六、〇八二、九二〇円
四 前記岩雄は、本件交通事故を生じさせた自動車の運行供用者として自動車損害賠償保障法(以下「自賠法」という。)三条の規定に基づき、和子が被つた右損害を賠償すべき義務がある。
五 原告は、和子の母として和子の岩雄に対する損害賠償請求権を相続により取得した。
六 原告は、さきに被告を相手とし、旭川地方裁判所に対し訴えを提起し、訴訟を進行させた結果、昭和四十六年一月二十五日、同裁判所において両者間で、被告は原告に対し五〇万円を支払う旨の和解が成立した。
しかし、従来、自賠責保険の保険者である保険会社は、親族間の自動車事故(本件において岩雄は、和子の父親である。)に基づく自賠責保険の請求について、それを拒否していたところ、昭和四十七年十月二十七日の運輸省通達に基づき、それ以前の事故を含めて親族間の事故に基づく自賠責保険の請求に応ずることとなつた。
そこで、原告は、昭和四十七年十一月二十二日に被告に対し、前記自賠責保険金の残二五〇万円の支払を請求したが、被告は、その支払を拒絶した。
七 原告は、被告の右不当な支払拒絶にあい、今回あらためて訴えを提起せざるを得ず、その訴えの提起及び追行を弁護士竹原五郎三に委任し、その費用として二五万円を支払う約束をした。
八 よつて原告は、被告に対し、自賠法一六条の規定に基づき、前記損害のうち自賠責保険の限度である二五〇万円及び弁護士費用二五万円並びにこれらに対する本件訴状の被告に対する送達の日の翌日である昭和四十八年五月十一日から右完済に至るまでの民法所定の年五分の割合による金員の支払を求める
と述べ、抗弁に対する答弁として、
一 抗弁第一項の事実は、否認する。運輸省通達に基づく親族間事故の自賠責保険金支払の改正は、被害者の保護をはかるためにされたものであつて、裁判上の和解で解決されたものも、あらためて支払の対象となるものである。
二 同第二項の事実は、認める。
三 同第三項の事実は、否認する。岩雄の相続人は、原告のほかその二男、三男及び五男がいる。
四 同第四項の事故発生から二年を経過した事実は、認める
と述べ、再抗弁として、
一 訴訟上の和解の調書における「原告は、その余の請求を放棄する。」との記載は、単なる例文にすぎず、当事者を拘束するものではない。
二 仮に右請求権放棄の記載が例文ではないとしても、右和解成立後、運輸省通達に基づき親族間事故の自賠責保険金支払について重大な改正がされたのは、著しい事情の変更ということができ、右請求権放棄の記載は、当事者を拘束しない。
三 右請求権放棄は、逸失利益損のみについてされたものであり、慰藉料及び葬儀費については放棄していない。
四 前記運輸省通達により、事故発生から二年を経過したものであつても、昭和四十七年十一月一日から昭和四十八年十月三十一日までに自賠責保険金の被害者請求を受けた保険会社は、時効の援用をすることができなくなつたものである
と述べた。
被告訴訟代理人は主文と同旨の判決を求め、請求の原因に対する答弁として、
一 請求原因第一項及び第二項の事実は、認める。
二 同第三項及び第四項の事実は、争う。
三 同第五項のうち原告が和子の母であることは認め、その余の事実は否認する。
四 同第六項の事実は、認める。
五 同第七項の事実は、争う
と述べ、抗弁として
一 親族間事故の自賠責保険金の支払について、運輸省通達に基づき従来の事故についても請求に応ずることとなつたが、それまで判決、裁判上の和解等によつて解決済みのものは、それに従つて処理するのであつて、本件については原告主張のとおり訴訟上の和解が成立しているのであるから、原告に請求権はない。
二 原告は、和解が成立した訴訟において、自賠責保険金三〇〇万円の請求をし、うち五〇万円の支払について和解し、その余の請求を放棄した。
三 仮に原告に損害賠償請求権があるとしても、岩雄の妻としてその損害賠償義務を相続しており、両者は混同により消滅し、結局原告には損害賠償請求権はない。
四 仮に原告に損害賠償請求権があるとしても、原告の保険金請求権は、事故発生から二年を経過し、時効によつて消滅したと述べ、再抗弁第一項から第三項までの事実は否認すると述べた。
理由
一 七条岩雄がその所有する自家用小型貨物自動車について、被告を保険者とし、期間を昭和四十四年六月十三日から一年間とする自賠責保険の契約を締結していたが、昭和四十四年八月十七日、右自動車を運転して北海道勇払郡占冠村字ニニウ付近の国道二三七号線を進行中、六〇メートルの崖下に右自動車を転落させて、同乗中の子である七条和子を即死させ、自らも同時に死亡し、岩雄の妻であり、和子の母である原告が被告を相手方として旭川地方裁判所に対し、自賠法一六条の規定に基づき自賠責保険金の被害者請求の訴え(以下「前訴」という。)の提起をし、両者間で昭和四十六年一月二十五日、同裁判所において「被告は、原告に対し、五〇万円を支払う。原告は、その余の請求を放棄する。」旨の訴訟上の和解が成立したことは、当事者間に争いがない。
二 〔証拠略〕によれば、前訴では、原告は、本件事故の被害者である七条和子が得べかりし利益五、一八九、三二九円を逸失し、同額の損害を被つたので、和子の相続人として、自賠法一六条の規定に基づき自賠責保険の保険者である被告に対し、右損害のうち保険契約の限度金額である三〇〇万円についての支払を求めたことが認められる。
これに対し本訴においては、損害の内訳を四、三八二、九二〇円の逸失利益に葬儀費及び和子の慰藉料を付加して自賠責保険金の限度内で損害の支払を求めているものであるところ、本件事故のように損害のうち一つの項目のみで、その額が自賠責保険金の限度額を上廻るような場合の自賠法一六条の規定に基づく保険金請求訴訟における訴訟物は、右損害の内訳が逸失利益損のみであろうが、それに他の損害(例えば慰藉料等)が付加されたものであろうが、自賠法一六条の規定に基づく保険金請求であると解するのが相当である。
すると前訴における訴訟物と本訴における訴訟物とは同一であるということができる。
三 そこで、原告が前訴において三〇〇万円の請求中和解が成立した五〇万円を除くその余の請求について有効に放棄(以下「請求の一部放棄」という。)したかについて判断すると、原告は、前訴の和解調書においてされた請求の一部放棄の記載は例文に過ぎないから当事者を拘束するものではないと主張するが、訴訟において請求の一部について和解が成立し、原告がその余の請求について放棄し、調書にその旨の記載がされたときは、特別の事情のないかぎり、まさに請求の一部放棄がされたものと解すべきであり、前訴において右特別の事情を認めうる証拠もなく、右請求の一部放棄の記載が例文であると認めることはできない。
また、原告は、前訴の和解成立後、運輸省通達に基づき親族間事故の自賠責保険金支払について重大な改正がされ、従来、右のような事故については、自賠責保険の保険者である保険会社は、自賠責保険金の支払を拒んでいたところ、右通達によつてそれを支払うようになつたのであるから、著しい事情の変更があつたということができ、調書における請求の一部放棄の記載は、当事者を拘束しないと主張するが、親族間事故の自賠責保険金の支払を拒んでいた自賠責保険の保険者である保険会社が右通達によつてその保険実務の取扱いを変え、そのような事故の自賠責保険金の支払請求があつた場合、任意にその支払をするに至つたというものであり、右通達によつて新たに保険金請求権が付与されたものと解することはできないから、右取扱いの変更をもつて法律上著しい事情の変更があつたものということができない。
更に、原告は、前訴の和解において請求を放棄したのは、逸失利益損の一部であり、慰藉料及び葬儀費については放棄していないと主張するが、前判示のとおり前訴の事例のような自賠法一六条の規定に基づく保険金請求訴訟においては、損害の項目ごとに訴訟物が異なるものではないから損害の他の項目については請求を放棄していない旨の主張は理由がない。
すると、原告は、前訴において請求の一部放棄を有効にしたものと認めることができる。
四 請求の放棄、裁判上の和解調書は、既判力を有するものと解するのが相当であるところ、前判示のとおり前訴と本訴とでは訴訟物を同一にするのであるから、本訴請求は、前訴の請求放棄の既判力に牴触するものというべきであり、原告の主張は理由がなく、当裁判所は、前訴で放棄した請求についてさらに判断をすることはできない。
五 右のとおり本訴請求は、前訴の請求放棄の既判力に牴触するのであるから、原告が本件訴えの提起前にした被告に対する保険金の請求を拒んだ被告の行為は、不当なものではなく、その請求のため訴えの提起及び追行を弁護士に依頼してもその費用を被告に対し請求することはできないものと解せられる。
六 以上の次第で、原告の本訴請求は、理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条の規定を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 榎本恭博)