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旭川地方裁判所 昭和52年(タ)13号 判決 1979年5月10日

原告 甲野花子

右訴訟代理人弁護士 宇山定男

被告 乙山太郎

右訴訟代理人弁護士 三井政治

主文

一  被告は、原告に対し、金一〇〇万円及びこれに対する昭和五二年五月一四日以降支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は、これを五分し、その四を原告の、その余を被告の各負担とする。

四  この判決は、一の項に限り仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  原告の申立

1  原告と被告との間の昭和五〇年六月二八日旭川市長に対する届出による婚姻及び昭和五二年二月一日旭川市長に対する届出による協議離婚はいずれも無効であることを確認する。

2  被告は、原告に対し、金四八九万二、〇四〇円及びこれに対する昭和五二年五月一四日以降支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

との判決並びに右2の項について仮執行の宣言を求める。

二  被告の申立

1  原告の請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は、原告の負担とする。

との判決を求める。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  原告と被告とは、戸籍上、昭和五〇年六月二八日旭川市長に対する届出により婚姻し(以下「本件婚姻」という。)、昭和五二年二月一日旭川市長に対する届出により協議離婚した(以下「本件離婚」という。)旨記載されている。

2  しかしながら、原、被告間の本件婚姻は、次の各理由により無効である。

(一) 原、被告間に婚姻をする意思の合致がなかった。すなわち、

(1) 夫婦が肉体的関係を結ぶことは、婚姻の本質的、不可欠的要素であるところ、被告は、本件婚姻以前から性交不能者であって、原告と肉体的関係を結ぶ意思はなく、単に結婚という外観を作出することによって性的不具者ではないという世間体を繕うために原告と婚姻したものであるから、被告には、原告と婚姻する意思はなかったものである。

(2) 原告は、本件婚姻当時三三歳であり、婚姻により早期に子供を出産することを望み、被告が性交能力者であると信じて被告と婚姻することを決意したものであるが、その後被告が性交不能者であることが判明した。したがって、原告の被告に対する婚姻の意思表示は、それに右のとおりの錯誤があり、無効である。

(二) 本件婚姻の届出は、原告の届出意思を欠くものである。すなわち、被告は、原告に対し、新婚旅行後の昭和五〇年六月二〇日ころ、婚姻の届書に原告の署名捺印を求めたが、原告は、新婚旅行中、被告の性交不能を知ったので、被告の性交不能が治癒するまでは絶対に婚姻の届出しないことを条件に右届書に署名したところ、被告は、同月二八日、性交不能が治癒していないにもかかわらず、原告に無断で、旭川市役所○○支所に原、被告の婚姻の届書を提出したものである。

3  原、被告の本件離婚が有効に成立するためには、本件婚姻が有効であることを前提とするものであるところ、前項のとおり本件婚姻が無効であるから、本件離婚もまた無効である。

4  被告は、無効な本件婚姻により原告が被告との理由のない同居を余儀なくされることを知りながら、原告と無効な本件婚姻をし、昭和五〇年六月八日から昭和五二年二月一日までの間、原告を被告と同居せしめた。原告は、右同居を余儀なくされたことにより、次の損害を被った。

(一) 逸失利益 金一八九万二、〇四〇円

原告は、本件婚姻前、訴外○○農業協同組合に勤務していたところ、原告との本件婚姻のため同訴外組合を退職したのであるが、もし、無効な本件婚姻により被告との同居を余儀なくされなかったならば、被告と同居中の昭和五〇年六月から昭和五二年一月まで同訴外組合で稼働し、総額金二八三万八、〇六〇円の収入を得ることができたはずであるのに、右同居を余儀なくされたことにより、これを喪失した。原告は、その三分の一を生活費として控除した金一八九万二、〇四〇円を逸失利益として請求する。

(二) 慰謝料 金三〇〇万円

原告は、無効な本件婚姻により被告との同居を強いられた結果、精神的苦痛を被った。被告は、原告に対し、原告の右精神的苦痛を慰謝するに足りる慰謝料を支払うべき義務があるところ、その慰謝料の額は、原告の年齢、これからの結婚の困難さなど諸般の事情を考慮すると、金三〇〇万円が相当である。

5  よって、原告は、本件婚姻及び本件離婚が無効であることの確認並びに不法行為による損害賠償として金四八九万二、〇四〇円及びこれに対する不法行為の後である昭和五二年五月一四日以降支払済みに至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

二  請求原因に対する答弁

1  請求原因1の項の事実は認める。

2(一)(1) 同2、(一)、(1)の項の事実は否認する。

(2) 同2、(一)、(2)の項の事実のうち、被告が性交不能者であることは否認し、その余の事実は知らない。

(二) 同2、(二)の項の事実のうち、原、被告の婚姻届が、昭和五〇年六月二八日、旭川市役所○○支所に提出されたことは認め、その余の事実は否認する。

3  同3の項は争う。

4(一)  同4の項冒頭の事実のうち、原告と被告が原告主張の期間同居していたことは認め、その余の事実は否認する。

(二) 同4、(一)の項の事実のうち、原告が被告と婚姻前、訴外○○農業協同組合に勤務していたことは認め、その余の事実は否認する。

(三) 同4、(二)の項は争う。

第三証拠関係《省略》

理由

一  婚姻無効確認請求について

1  《証拠省略》によれば、戸籍上、原告と被告とは、昭和五〇年六月二八日旭川市長に対する届出により婚姻し(本件婚姻)、昭和五二年二月一日旭川市長に対する届出により協議離婚した(本件離婚)旨記載されていることが認められ、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

2  ところで、原告は、被告は本件婚姻前から性交不能者であって、原告と肉体関係を結ぶ意思はなく、単に婚姻という外観を作出することによって性的不具者ではないという世間体を繕うために原告と婚姻したものであり、原、被告間には婚姻をする意思の合致がなかったので、本件婚姻は無効であると主張するので、この点について検討する。

民法第七四二条には、婚姻は、人違その他の事由によって当事者間に婚姻をする意思がないとき及び当事者が婚姻の届出をしないときに限り無効である旨定められており、性的結合が完成しなかったことは、婚姻の無効事由とはされていない。したがって、当事者間に性的結合がなかったということ自体から、直ちにその婚姻が無効であるということはできない。しかしながら、右法条にいう婚姻をする意思がないときとは、当事者が真に社会観念上夫婦であると認められる関係の認定を欲する効果意思を有しない場合をいうものと解されるから、当事者の一方が絶対的な性交不能者であって、他方が婚姻前そのことを予め認識していたとすれば、決して婚姻しなかったであろうような場合には、当事者に右にいう夫婦関係の設定を欲する効果意思の合致があるとはいえず、結局、その婚姻は、当事者間に婚姻をする意思がない場合に該当し、無効であると解さなければならない。

右の観点から、原告の右主張について審案するに、原告は、その本人尋問の結果(第一回)中、右主張に添うかのような供述をするけれども、これを裏付けるに足りる的確な証拠もなく、右供述部分のみから直ちに右主張事実を肯認することは困難である。もっとも、《証拠省略》によれば、原、被告は、昭和五〇年六月八日結婚式を挙げ、それ以後昭和五二年二月一日本件離婚の届出がされるまでの間同居していたものであるところ、右結婚式直後の新婚旅行の際、被告は、原告との性交を試みたが、陰茎が勃起しなかったため性交することができず、その後右同居期間中は、陰茎が勃起しないということから、性交を試みるということもなく、一度も性交しなかったことが認められ、右事実によれば、被告は本件婚姻前から性交不能者ではなかったかとの疑いが持たれる。しかしながら、《証拠省略》によれば、(一)被告は、本件婚姻前、性交の経験はなかったが、自慰の経験があり、陰茎が勃起していたし、現在はまた陰茎が勃起するようになったこと、(二)被告は、新婚旅行中、原告と性交することができなかったことから、新婚旅行の直後である昭和五〇年六月一七日及び同月二七日に、性交不能を訴えて、精神々経科の医師の診察を受けたところ、同医師からは、被告には右訴えのほかには精神症状はなく、右性交不能を治すには気長にかからなければならない旨診断され、更に、同年七月二四日、同じく性交不能を訴えて、皮膚泌尿器科の医師の診察を受けたところ、同医師は、被告に問診のうえ、被告の陰茎について奇形の有無、真性包茎かどうか、陰茎及びその関係部位にしこりがないか、前立腺の状態、亀頭の反射、肛門の括約筋の反射、収縮、陰茎海綿体の反射等について触診した結果、被告の尿路性器には異常がなく、したがって、自分で陰茎を勃起させることができたのではないか、また、被告の性交不能は精神的な面によるものではないかとの診断結果を得たものであり、なお、原告が、昭和五一年七、八月ころ、他の専門医に被告の症状について相談したところ、同医師から、もう少し様子を見るようにといわれたこと、(三)原告は、被告には性交能力があるのとも思って被告と婚姻したものであり、被告の性交不能も一時的なものと考え、医療による早期治癒を願いつつ、世間的には夫婦と見られる状態で被告との同居を続けてきたこと、(四)被告は、自らは性交したいとの欲望はあるが、最初性交がうまく行かなかったために精神状態が不安定で、そのためか、気持を持ち直していざ性交しようと思ってはみるものの、その場になると陰茎が勃起しないため性交することができず、次第に夫婦間の気持も離れてしまい、益々性交できない状態に陥っていったと思っていること、以上の事実が認められ(《証拠判断省略》)、右事実によれば、前認定の原、被告間には約一年八か月の同居期間中性交が一度もなかったという結果から、直ちに、被告が本件婚姻前から性交不能者であったと認定することはできないし、したがってまた、右を理由に、被告が、原告と性交する意思を有せず、単に結婚という外観を作出することによって性的不具者ではないという世間体を繕うために原告と婚姻したものであるとは認められない。更に、被告が性的不能者であると認定し得ない以上、原告が本件婚姻前そのことを予め認識するということはあり得ないことであるから、原告がそのことを認識していたとすれば被告と婚姻しなかったであろうということもいえない筋合である。そうすると、原、被告間に婚姻意思の合致に欠けるところがあったとは認められない。かえって、婚姻前被告の陰茎が勃起していたし、現在もまた陰茎が勃起するようになったこと、医師の診断結果が右認定のとおりであること、原告も、婚姻当初、被告の性交不能は一時的なものと考え、医療による治癒を願いつつ、世間的には夫婦と見られる状態で約一年八か月の間被告と同居してきたこと、以上の前認定事実を総合して考えると、原、被告は、本件婚姻に際し、前説明の真に社会観念上夫婦であると認められる関係の設定を欲する効果意思を有していたものと認められるところであって、婚姻意思の合致の点に限っていえば、本件婚姻は有効に成立したものというべきである。

したがって、原告の右主張は、理由がない。

3  次に、原告は、原告は本件婚姻当時三三歳であり、婚姻により早期に子供を出産することを望み、被告の性交能力者であると信じて被告と婚姻することを決意したものであるが、その後被告が性交不能者であることが判明したものであり、したがって、原告の被告に対する婚姻の意思表示には右のとおりの錯誤があり、無効であると主張するので、この点について検討する。

《証拠省略》によれば、原告は、本件婚姻当時三四歳で、本件婚姻により早期に子供を出産することを望み、被告が性交能力者であると信じて被告と婚姻することを決意したことが認められる(《証拠判断省略》)けれども、前一の2の項の判断によれば、被告が性交能力者ではなかったとは認定し得ないのであるから、被告が性交能力者であるか否かの点については、原告の観念と事実とが一致しないものであるとは断定し得ず、したがって、その点について原告に錯誤があったと認定することは困難であり、かえって、前一の2の項の判断によれば、原、被告間には婚姻意思の合致があったのであるから、右の婚姻の要件については、原告に錯誤が存しなかったものということができる。

したがって、原告の右主張もまた、理由がない。

4  更に、原告は、本件婚姻の届出は原告の届出意思を欠くものであり、無効であると主張するので、この点について検討する。

《証拠省略》によれば、(一)本件婚姻の届出は、被告が、その届出の直前に、届書中、夫になる人及び妻になる人の各欄の記載事項並びに届出人署名押印欄の原、被告の氏名をすべて記載し、原告名下の印影は原告の印章を、被告名下の印影は被告の印章をそれぞれ押捺して顕出し、証人欄は同欄記載の証人となった者に記載、押印して貰い、原告の戸籍抄本は被告が原告の父から予め送付を受けていたものを添付し、右届書を提出し、受理されたものであること、(二)原告は、右届書が作成提出される前に、本件婚姻の届書は被告の性交不能が治癒してから提出するよう被告に申し入れていたところ、被告が右のとおり届書を提出したことを右提出の直後に知り、右提出したことについて被告に不満をもらしはしたが、直ちにその効力を争う等の措置を採ることはせず、提出されてしまった以上止むを得ないとの気持で、そのまま放置し、被告の性交不能の治癒を願いつつ、以後本件離婚に至るまでの約一年八か月の間、世間的には夫婦と見られる状態で被告と同居してきたこと、以上の事実が認められ(《証拠判断省略》)、右事実によれば、原告が、本件婚姻の届書が作成提出された当時、その提出に消極的であったとはいえるが、反面、届書の作成提出を知った後の原告の態度及び原告が右認定の状態で被告との同居を継続した事実に照らせば、右婚姻の届書の作成提出は、原告の黙示的な意思に基づくものであったと推認されなくはない。もっとも、仮に推認が困難であって、右届出が原告の届出意思に基づくものではなく、その故に本件婚姻が無効のものであったとしても、右認定の事実に前項までに認定した事実を併せ考えれば、少なくとも、原告は、本件離婚に至るまでの間に、右無効の婚姻を黙示的に追認したものと認められるところであって、右追認によって右婚姻は届出の当初に遡って有効に成立したものということができる。

結局、原告の右主張も、理由がない。

5  以上のとおりであって、原告の婚姻無効確認請求は、理由がないものといわざるを得ない。

二  本件離婚無効確認請求について

原告は、原、被告の本件離婚が有効に成立するためには、本件婚姻が有効であることを前提とするものであるところ、本件婚姻が無効であるから、本件離婚もまた無効であると主張するので、この点について検討するに、前一の項の判断によれば、本件婚姻は有効であるから、本件婚姻が無効であることを前提とする右主張はその前提を欠き、結局、原告の本件離婚の無効確認請求もまた、理由がない。

三  逸失利益の請求について

原告は、被告は無効な本件婚姻により原告が被告との理由のない同居を余儀なくされるのを知りながら、原告と本件婚姻をし、昭和五〇年六月八日から昭和五二年二月一日までの間、原告を被告と同居せしめて、原告に逸失利益の喪失による損害を加えた旨主張するので、この点について検討する。

前一の項の判断によれば、原、被告間の本件婚姻は有効であって、被告が無効な婚姻により原告に被告との理由のない同居を余儀なくさせたとはいえず、右主張は理由がないので、原告の逸失利益の請求は、その余の点について検討するまでもなく、理由がないことに帰する。

四  慰謝料請求について

前一の項の認定によれば、原、被告は、昭和五〇年六月八日から昭和五二年二月一日まで約一年八か月の間夫婦として同居していたものであるが、その間一度も性交がなく、その原因は、被告の陰茎勃起不全による性交不能にあるところ、《証拠省略》によれば、(一)被告は、右性交不能を治療すべく、前一、2の項の認定のとおり医師の診断は受けたけれども、その際医師から交付された薬も、胃の工合が悪くなるといって服用しないし、また、継続して治療を受けることもせず、積極的に性交不能を治すための努力をしなかったこと、(二)原、被告は、被告の性交不能が主たる原因で、婚姻当初から、気持のうえでもしっくりいかなかったが、その後も、被告が、右のとおり積極的に治療に努めなかったばかりか、そのうえ家庭では落付けないといって、平日は朝早く出勤して夜晩く帰宅し、休日は一人で外に出掛けるといったことが多く、精神的な面での夫婦の融和を図る努力もせず、かといって、早急に離婚する等の解決の努力をするということもなかったことから、次第に精神的にも離反の度を強め、遂に本件離婚をするに至ったこと、以上の事実が認められ(《証拠判断省略》)、右事実によれば、本件離婚当時、原、被告間には、婚姻を継続し難い重大な事由が存したものというべく、かつ、その責任は、もっぱら被告にあったものといわなければならない。

原告は、右のとおり被告の責に帰すべき事由により離婚するの止むなき状態に置かれたものであり、これにより精神的苦痛を被ったことは明らかであるから、被告は、原告に対し、原告の右精神的苦痛を慰謝するに足りる慰謝料を支払うべき義務がある。ところで、原告の置かれた状況、原、被告の同居期間、その間の被告の態度及び先に認定した原告の年令、原告が早期に子供を出産することを望みながらそれが果せなかったことその他本件に現われた諸般の事情を総合勘案すれば、右の慰謝料の額は、金一〇〇万円と認めるのが相当である。

したがって、原告の慰謝料請求は、右金一〇〇万円及びこれに対する不法行為の後である原告の請求に係る昭和五二年五月一四日以降支払済みに至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由がある。

五  以上のとおりであるから、原告の本訴請求は、主文一の項掲記の金員の支払を求める限度で理由があるので、これを認容し、その余は失当としてこれを棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八九条、第九二条本文を、仮執行の宣言について同法第一九六条第一項をそれぞれ適用し、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 清永利亮 裁判官萩尾保繁及び裁判官廣永伸行は、転補のため署名押印することができない。裁判長裁判官 清永利亮)

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