旭川地方裁判所 昭和52年(ワ)133号 判決 1979年10月09日
原告
佐賀吉三郎
被告
佐藤登
主文
一 被告は、原告に対し、金一一〇万二、二三五円及び内金一〇〇万二、二三五円に対する昭和四九年一月二〇日から、内金一〇万円に対する本判決確定の日の翌日から、それぞれ支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。
二 原告のその余の請求を棄却する。
三 訴訟費用は、これを一五分し、その一を被告の負担とし、その余を原告の負担とする。
四 この判決は、原告勝訴の部分に限り、仮に執行することができる。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 原告の申立
1 被告は、原告に対し、金一、五二六万二、八七四円及び内金一、三二六万二、八七四円に対する昭和四九年一月二〇日から、内金二〇〇万円に対する本判決確定の日の翌日からそれぞれ支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は、被告の負担とする。
との判決並びに仮執行の宣言を求める。
二 被告の申立
1 原告の請求を棄却する。
2 訴訟費用は、原告の負担とする。
との判決を求める。
第二当事者の主張
一 請求原因
1(一) 訴外佐賀吉孝(以下「訴外吉孝」という。)は、昭和四九年一月二〇日、普通乗用自動車(以下「吉孝車」という。)を運転して、北海道苫前郡初山別村内の国道二三二号線を羽幌方面から天塩方面に向かつて進行中、同日午前一一時三〇分ころ、折からの吹雪のため、同村字有明高台付近において、道路左側に停止していたところ、後方から進行してきた被告運転の大型貨物自動車(以下「被告車」という。)に追突された(以下「本件事故」という。)。
(二) 原告は、吉孝車に同乗していたものであるが、本件事故により、頸椎捻挫の傷害を受け、留萠市立総合病院(以下「市立病院」という。)に、本件事故の日の翌日である昭和四九年一月二一日から同年三月二五日まで六四日間入院し、同月二六日から同年五月二〇日までの間に二六日通院し、同月二一日から同年七月六日まで四七日間入院し、同月七日から同年八月二九日までの間に二六日通院し、更に、渡部整形外科医院(以下「渡部医院」という。)に、同月三〇日及び同月三一日に通院し、同年九月二日から昭和五〇年六月一七日まで二八九日間入院し、同月一八日から昭和五一年五月三一日までの間に三四八日通院した結果、同日症状固定し、頭痛、頸部痛など神経系統の機能に著しい後遺障害が残つた。
2(一) 被告は、被告車を所有し、自己のためにこれを運行の用に供していたものである。
(二) 被告は、被告車を運転して本件事故現場に差し掛かつた際、同所付近は吹雪のため、前方の見通しが困難な状態にあつたから、いつそう前方を注視し、一時停止するなどして、進路の安全を確認して進行すべき注意義務があるのに、これを怠り、漫然進行した過失により、進路前方七、八メートル先の地点に停止中の吉孝車を発見し、急制動の措置をとつたが及ばず、これに追突して本件事故を惹起させたものである。
3 原告は、本件事故によつて、次の各損害を被つた。
(一) 治療費
原告は、前記傷害及び後遺障害により、前1の(二)の項のとおり各病院に入、通院して治療を受け、その治療費(文書料を含む。以下同じ)として、市立病院の分は金九〇万四、九四一円、渡部医院の分は金三二〇万七、九五〇円を要した。
(二) 付添看護費
原告は、市立病院に入院した総日数のうち五〇日について、付添婦の付添看護を要したが、その費用として、一日当たり金一、五〇〇円の割合による合計金七万五、〇〇〇円を支払つた。
(三) 入院雑費
原告は、市立病院及び渡部医院に入院した期間の合計四〇〇日について、一日当たり金五〇〇円の割合による合計金二〇万円の入院雑費を要した。
(四) 通院交通費
原告は、前記傷害及び後遺障害の治療のため、前1の(二)の項のとおり、通院したが、右通院のため、市立病院については、一日当たり金九〇円の割合による五二日分の合計金四、六八〇円、渡部医院については、一日当たり金一二〇円の割合による三四八日分の合計金四万一、七六〇円、以上合計金四万六、四四〇円の交通費を要した。
(五) 頸椎カラー代
原告は、本件事故による傷害の治療のため、頸椎カラーを購入し、昭和四九年三月九日、右代金七、四二五円を支払つた。
(六) 休業損害
原告は、本件事故当時、訴外佐賀電気株式会社に電気工事技術者として勤務し、月額金八万三、一九二円の収入を得ていたが、本件事故による傷害の療養のため労働することができず、本件事故の当日である昭和四九年一月二〇日から症状固定日である昭和五一年五月三一日までの間、右勤務先において労働すれば得られたはずの収入金二三五万七、六三八円を喪失した。
(算式)83,192×12×(345/365+1+152/365)=2,357,638
(七) 後遺障害による逸失利益
原告は、本件事故当時、六二歳(明治四四年七月二一日生まれ)の男子であつたから、本件事故に遭わなければ、昭和五一年六月一日以降七年間就労可能であり、この間一か月当たり前記金八万三、一九二円を下らない収入を得ることができたはずであるところ、前記後遺障害によりその労働能力を五六パーセント喪失したものとみるのが相当である。そうすると、この間の逸失利益の現価は、右金八万三、一九二円に一〇〇分の五六を乗じた額の一年分に当たる金五五万九、〇四四円に、右就労可能期間の年数七を乗じ、更に単式ホフマン式計算による係数を乗じて得た金二八九万八、七四六円となる。
(算式) 559,044×7×0.7407407(法定利率による単利現価表による7年の係数)=2,898,746
(八) 慰謝料
原告は、本件事故による傷害により、前記のとおり長期間の入、通院を余儀なくされたうえ、後遺障害として神経系統の機能に著しい障害を残し、軽易な労務以外の労務に服することができない状況にあるから、その精神的苦痛を慰謝するに足りる金額は、入、通院分として金一八〇万円、後遺障害分として金四〇〇万円、合計金五八〇万円をもつて相当とする。
(九) 弁護士費用
原告は、昭和五二年四月三〇日、本件訴訟代理人弁護士宮岸友吉に本件訴訟の提起及び追行を委任し、その着手手数料として金一〇〇万円、謝金として金一〇〇万円、合計金二〇〇万円を支払う旨約した。
4(一) 原告は、本件事故による損害のてん補として、自動車損害賠償責任保険金二一三万五、二六六円(治療費分金一六八万一、九四一円、頸椎カラー代金七、四二五円、その余の損害の内金四四万五、九〇〇円)を受領した。
(二) 原告は、被告から任意弁済として、昭和四九年三月一八日金五万円、同月三一日金五万円、合計金一〇万円を受領した。
5 よつて、原告は、被告に対し、自動車損害賠償保障法第三条本文ないし民法第七〇九条に基づき、前3の項の損害金総額金一、七四九万八、一四〇円から前4の項のてん補額合計金二二三万五、二六六円を控除した金一、五二六万二、八七四円及びこれから弁護士費用を控除した金一、三二六万二、八七四円に対する本件事故発生の日である昭和四九年一月二〇日から、弁護士費用に当たる金二〇〇万円に対する本判決確定の日の翌日から各支払済みに至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
二 請求原因に対する答弁
1 請求原因1の(一)の項の事実は認める。同(二)の項の事実のうち、原告が、吉孝車に同乗していたところ、本件事故により、頸椎捻挫の傷害を受けたこと、並びに市立病院に原告主張のとおりの期間、入、通院をして治療を受けたことは認めるが、その余の事実は争う。
2 同2の(一)の項の事実は認めるが、同(二)の項の事実は争う。
3 同3の項の各事実のうち、市立病院における治療費が金九〇万四、九四一円であること並びに頸椎カラー代金が金七、四二五円であることは認めるが、その余の事実は争う。
本件事故による原告の傷害は、遅くとも昭和四九年七月六日に治癒したものであつて、原告主張の治療関係の損害項目のうち、右同日以降の分は、本件事故と相当因果関係のない老人性腰椎症の治療によるものである。
三 抗弁
本件事故の発生は、原告の長男である訴外吉孝が、折からの吹雪のため、道路左側に停止する際、自車が停車していることを他の車両に容易に認識できるよう適当な方法をとるべきであつたのに、これを怠り、尾灯まで雪に埋もれさせたまま、後続車両の運転者に、吹きだまりと誤認させるような状態で停車していた過失にも、その一因が存するから、損害額の算定に当たつては、信義則上、右過失を原告の過失と同視して斟酌すべきである。
四 抗弁に対する答弁
抗弁事実は争う。
第三証拠〔略〕
理由
一 本件事故の発生
訴外吉孝が、昭和四九年一月二〇日、吉孝車を運転して北海道苫前郡初山別村内の国道二三二号線を羽幌方面から天塩方面に向かつて進行中、同日午前一一時三〇分ころ、折からの吹雪のため、同村字有明高台付近において、道路左側に停止していたところ、後方から進行してきた被告運転の被告車に追突されたこと(本件事故)、右事故により、吉孝車に同乗していた原告が頸椎捻挫の傷害を受けたことは、当事者間に争いがない。
二 被告の責任
被告が、本件事故当時、被告車を所有し、自己のためにこれを運行の用に供していたものであることは当事者間に争いがないから、被告は、自動車損害賠償保障法第三条本文に基づき、本件事故によつて生じた原告の損害を賠償すべき義務があるものというべきである。
三 原告の損害
1 治療の経過及び後遺障害の内容
原告が、本件事故による頸椎捻挫の治療のため、市立病院に、右事故の日の翌日である昭和四九年一月二一日から同年三月二五日まで六四日間入院し、同月二六日から同年五月二〇日までの間に二六日通院し、同月二一日から同年七月六日まで四七日間入院し、同月七日から同年八月二九日までの間に二六日通院したことは、当事者間に争いがなく、いずれも成立に争いのない甲第三ないし第二六号証、第三七ないし第四五号証、乙第一号証、第二号証の一、二、原本の存在及びその成立に争いのない乙第三号証の三、証人稲垣嘉則及び同渡辺英次の各証言並びに原告本人尋問の結果を総合すると、
(一) 原告は、昭和四九年一月二一日、強度の頸部痛を訴え、市立病院整形外科医師稲垣嘉則の診察を受けたところ、外傷による変化は認められなかつたが、他覚的症状として、首の動きがほとんどなく、左側頸部の中等度のはれ、棘突起の圧痛、叩打痛がみられ、右同日から同病院に入院した。当初、原告が、頭の痛みを訴えていたため、投薬と安静によつて経過をみたのち、同年二月八日、首にコルセツトを着用してベツドの上に起きることが可能となり、同月二二日、後頭神経ブロツクが施され、更に、同年三月四日からは、就寝時に右コルセツトを取り外され、この間、頭の痛みについては、多少の増減があつたものの、同月二六日、入院時に比してかなり快くなり同病院をいつたん退院した。
(二) その後、原告は、同病院に通院し、後頭神経ブロツク療法を受けたが、頭の痛みは増減を繰り返し(同年四月九日のエツクス線写真では、頸椎全体に架橋形成が認められた。)、右療法による効果が三、四時間しか持続しなくなつたことから、稲垣医師において、旭川赤十字病院脳神経外科に原告の頭部の精密検査を求めたところ、同年五月一〇日、同病院の上野一義医師より、神経学的には異常はないが、頸筋の異常な緊張がみられ、頸部のエツクス線写真から前縦靱帯の化骨も認められ、現在の後頭部痛は頸筋の緊張による放散痛(緊張性頭痛)と思われるから、その頸筋の緊張をとるため、頸椎カラーを外し、頸部の運動、入浴、マツサージによつて経過をみることを勧める旨の回答があつた。
(三) しかし、原告の症状に格別の変化がなく、同月二一日、再び市立病院に入院することになつたのであるが、稲垣医師は、右同日、原告に対し、従前の右ブロツク療法と同じ要領で擬薬として蒸留水を注入したところ、同月二三日になつて頭の痛みが和らぎ、更に、頭痛が高尿酸血症によるものではないかとの疑いがあつたので、尿酸降下剤のコルヒチン錠剤を投与したところ同様に効果があらわれ、同月二五日にはベツドの上に起き上がることができるようになつた。そして、尿酸濃度が正常値に戻るにしたがつて頭の痛みも軽快に向かい、同年六月からは治療回数が激減し、原告は、同年七月六日、稲垣医師から、交通事故による受傷は治癒した旨告げられ、同病院を退院するに至つたが、その後も、頭部、腰部及び膝部の痛みを訴え、右症状は本件事故によるものだと主張して、稲垣医師の意見に納得せず、同年八月二九日までの間、約四日に一回の割合で同病院に通院し、それに伴う治療を受けた。
(四) ところで、稲垣医師により、原告の頸椎捻挫の症状は、市立病院の再退院時である同年七月六日に治癒した旨の自動車損害賠償責任保険後遺障害診断書が同年八月二八日付で作成されているが、それによると、自覚症状としては、頸部及び頭部の痛みがあり、他覚症状としては、頸椎運動制限が著しく、エツクス線写真によれば、頸椎に特に骨化像が認められるが、腱反射は正常で知覚障害はなく、総合的にみて、右神経系統の機能障害により、労働には通常差し支えないが、時には強度の疼痛のため、労働にある程度支障がある旨の所見並びに原告には、根底に骨肥厚性脊椎炎(後記三、1、(4)の項参照)があり、そのための症状が強く出ていて、外傷直後は症状が増強しても、受傷程度からみて定時的に軽快するものであり、受傷後約六か月の時点で治癒と想定した旨の参考所見が示されている。
(五) その後、原告は、市立病院における治療方法に不満を持ち、同年八月三〇日、以前市立病院において原告の担当医をしていた渡部医院の渡部英次医師に対し、頸部及び腰部の運動痛、頸部の硬直感があるからもつとよく診て欲しい旨訴えて、その診療を受け、同年九月二日から昭和五〇年六月一七日まで二八九日間同医院に入院し、同月一八日から昭和五一年五月三一日までの間に二三八日同医院に通院して電動けん引、温熱療法などの加療を受けた。そして、渡部医師により、原告の頸椎捻挫は同年五月三一日に症状固定した旨の自動車損害賠償責任保険後遺障害診断書が作成されたが、それによると、自覚症状として、頭痛、頸部痛があり、他覚症状として、頭痛、めまい、頸部痛、脊屈時疼痛がみられ、根症状があつて、左大後頭神経及び左上腕神経叢圧痛があるが、両前腕反射は正常で知覚障害はなく、総合的には労働能力に及ぼす支障があるから、過激な労働はできないとの所見が示された。
(六) もつとも、渡部医師の判断によれば、前(五)の項の後遺障害診断時において、前縦走靱帯硬化症、強直性脊椎炎も疑われたが、その症状は、同医師が市立病院に在職中、昭和四五年六月から昭和四六年六月までの間、原告を診察した際にみられたのと同様のものであつたため、右診断書の傷病名の記載から除外され、更に、渡部医院における初診時に付された腰椎骨軟骨症(ラセグ氏症状)との傷病名も、本件事故と直結するものではないとして、前記退院時において、その診療録から削除された。そして、原告が渡部医院に入通院中には、慢性胃炎、胸部痛、急性上気導炎、多発性関節ロイマ、両肩甲部筋肉痛などの治療もなされており、その後も、月二回程度同医院に通院し、現在就労は全くしていない。
以上の事実が認められ、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。
ところで、原告は、本件事故による傷害は、右に認定した渡部医師の所見のとおり、昭和五一年五月三一日に症状固定となつた旨主張するので、この主張を吟味するため、更に、原告の既往症の存否及びその内容について検討すると、前掲乙第一号証、第二号証の一、証人稲垣嘉則及び同渡部英次の各証言並びに原告本人尋問の結果(但し、後記措信しない部分を除く。)を総合すれば、(1)原告は、昭和四五年五月中旬ころから、脊椎前縦靱帯石灰化症の治療のため、市立病院に三日おき位に通院して、注射、理学療法を受けていたが、同年九月二四日、前日に酔余線路上に転倒したとして頭痛を訴え、頭部打撲及び頸椎捻挫との傷病名で、同年一一月一八日まで同病院に入院し、この間、注射、投薬、温熱療法及び電動けん引の処置を受け、これと並行して、高血圧、右脚ブロツク、心不全に対する内科的治療が行われ、退院した後も右と同様の処置が続けられたこと、(2)次いで、昭和四六年三月八日、二日前に車に引つかけられて転倒したとして同病院に来院し、頭痛及び後頭神経の圧痛を訴え、同年八月二〇日までの間、注射等の治療を受けたこと、(3)更に、昭和四七年一月一〇日、あお向けのまま滑りそうになつて踏ん張つた時首を痛めたと訴え、来院したところ、診察の結果、他覚的症状としては、首の動きがほとんどなく、前、後縦靱帯が石灰化し、骨棘の架橋形成がみられたこと、(4)同病院の内科に入院していた同年六月一三日、右背部から前胸部にかけての痛みを訴え、診察を受けたところ、胸椎の右側が石灰化し、圧痛があることが認められたため、鎮痛剤の投与を受け、マイクロ波を当てて暖める療法が施され、同年七月七日、骨肥厚性脊椎炎との診断がされたが、以前にも増して頸椎の石灰化が進んでいる傾向がみられ、昭和四八年三月一五日、内科から整形外科へ転科し、前同様の治療を続けて同年四月一四日に退院したこと、(5)原告は、その数日後、車道の縁石を降りようとして腰ががくんときた、と称し、また、同年八月には、車の後部座席にいて車が急停車した際、首が痛くなつたと称して、腰部、頸部、膝部の痛みを訴えて通院を重ね、同年一二月一〇日、三日前に急にめまいがして倒れたとの主訴に基づいて検査したところでは、頸椎、胸椎、腰椎のあらゆる箇所に架橋形成がみられ、首は硬直化して動きはほとんどなかつたこと、以上の事実を認めることができ、原告本人尋問の結果のうち、右認定に抵触する部分はたやすく措信し難く、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。
右認定の事実によれば、原告は、本件事故に遭遇する約三年半も前から、ほぼ間断なしにと言つても過言ではないほど頻繁に入通院を繰り返し、その間の傷病名を拾い上げてみても、内科的疾患のほか、頭部打撲、頸椎捻挫、骨肥厚性脊椎炎、頸椎、前、後縦靱帯等の石灰化、架橋形成など多岐にわたつており、本件事故そのものによる傷害の内容が頸椎捻挫であること、原告は、後記のとおり、本件事故当時六二歳で、かつ、右のとおり通常の健康体にはほど遠かつたことなどに照らすと、本件事故を契機とする前認定のような長期の治療が右の既往症と無関係であるとは到底言い難く、むしろ、右既往症に基づく症状ないし素因が、多かれ少なかれ、本件事故による傷害と相まつて顕在化し、その結果、先にみたとおりの転帰をたどつたものと推認し得る蓋然性が高いものといわざるを得ない。そして、原告が市立病院から渡部医院に転医した経緯は、多分に、原告自身の主観的判断ないし感情に出るものであり、渡部医師も、その趣旨の証言をしていること、同医師において前記のとおり症状固定の診断をするまでの間の、原告の入院日数は二八九日、通院日数は二三八日であつて、本件受傷内容からしても異常に長期間というほかなく、しかも、右期間中、事故による衝撃とおよそ関係のない疾病の治療も並行してなされており、その余の治療内容は、おおむね、先に市立病院において認定された後遺障害の対症療法と同様のものとみられること、更に、前掲甲第九号証、第四一ないし第四三号証及び安田火災海上保険株式会社旭川自動車保険サービスセンター遠藤某作成名義部分について成立に争いのない甲第三六号証によれば、原告に要した治療費のうち、自動車損害賠償責任保険からは、市立病院の分についてその全額が給付されたが、渡部医院の分については、昭和四九年一二月末ころまでの治療費に相当する金七七万七、〇〇〇円が給付されたにとどまり、その余の治療費については、本件事故との因果関係に疑問な点があるとしてその支給を拒絶されたことが認められること(他に右認定を左右するに足りる証拠はない。)などの事実を併せ考えれば、原告主張の時点をもつて症状固定時と認めるのは困難であつて、原告の右主張は到底採用できないものといわなければならない。
そこで、以上の認定及び判断を総合するときは、原告が本件事故によつて被つた傷害は、遅くとも被告の主張する時点、すなわち、右事故の発生の日から五か月余を経た昭和四九年七月六日、先に、稲垣医師の所見として認定したとおりの局部の頑固な神経症状との後遺障害を残して症状固定の状態となつたものと認めるのが相当であり、また、損害の公平な負担を期する不法行為法の理念に照らし、本件事故によつて原告に生じた損害のうち、治療関係費については、右症状固定時までの分は七〇パーセント、それ以降の分については二〇パーセントの限度で、本件事故が寄与しているものと認め、その限度において、被告に賠償責任を負担させるべき相当因果関係ある損害と認めるのが相当である。
2 治療費
原告が、本件事故の日の翌日である昭和四九年一月二一日から同年七月六日までの間の市立病院の治療費として金九〇万四、九四一円を要したことは、当事者間に争いがなく、前掲甲第九ないし第二六号証、第四一ないし第四五号証によれば、同年八月三〇日から昭和五一年五月三一日までの間(但し、昭和四九年一一月一二日から同年一二月九日までの分を除く。)の渡部医院での治療費として金二九七万一、四三〇円を要したことが認められ、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。
そうすると、前1の項の認定及び判断によれば、被告が負担すべき治療費は、市立病院の分金九〇万四、九四一円の七〇パーセントに当たる金六三万三、四五八円(円未満切捨て。以下同じ。)と、渡部医院の分金二九七万一、四三〇円の二〇パーセントに当たる金五九万四、二八六円の合計金一二二万七、七四四円となる。
3 付添看護費
前1の項の認定事実並びに成立に争いのない甲第二七及び第二八号証によれば、原告は、市立病院に入院した昭和四九年一月二一日から同年二月二八日までと、再入院した同年五月二一日から同月三一日までの合計五〇日について付添看護を必要とする状態にあつたこと、右期間中、職業的付添婦が原告の付添看護に当たり、その費用として、一日当たり金一、七〇〇円の割合による合計金八万五、〇〇〇円を要したこと、以上の事実を認めることができ、他に右認定に反する証拠はない。
右認定の事実及び前1の項の判断によれば、原告の付添看護に要した費用金八万五、〇〇〇円の七〇パーセントに当たる金五万九、五〇〇円は、本件事故と相当因果関係ある損害と認められる。
4 入院雑費
原告は、前1の項のとおり、市立病院では合計一一一日間、渡部医院では二八九日間、それぞれ入院したところ、右入院期間中に要した費用は、一日当たり金五〇〇円と認めるのが相当であるが、前1の項の判断に従うと、被告に負担させるべき入院雑費は、市立病院の分として金五〇〇円にその入院日数一一一日を乗じた額の七〇パーセントに当たる金三万八、八五〇円、渡部医院の分として金五〇〇円にその入院日数二八九を乗じた額の二〇パーセントに当たる金二万八、九〇〇円、以上の合計金六万七、七五〇円となる。
5 通院交通費
原告は、前1の項のとおり、市立病院に昭和四九年三月二九日から同年五月二〇日までの間に二六日、同年七月七日から同年八月二九日までの間に二六日それぞれ通院し、更に渡部医院に同年八月三〇日と同月三一日、昭和五〇年六月一八日から昭和五一年五月三一日までの間に二三八日それぞれ通院したところ、成立に争いのない甲第二九号証によれば、右通院のためバスを利用した場合の交通費は、市立病院分は一日金九〇円、渡部医院分は一日金一二〇円を要したことが認められるので、前1の項の判断によれば、被告に負担させるべき通院交通費は、症状固定時までの分として金九〇円に市立病院の通院日数二六を乗じた額の七〇パーセントに当たる金一、六三八円、それ以降の分として金九〇円に市立病院の通院日数二六を乗じた額の二〇パーセントに当たる金四六八円、金一二〇円に渡部医院の通院日数二四〇を乗じた額の二〇パーセントに当たる金五、七六〇円、以上の合計金七、八六六円となる。
6 頸椎カラー代
前1の項の認定及び判断によれば、原告は、市立病院に入院した当初において、頸椎カラーを必要とし、これを購入して使用したところ、その代金が金七、四二五円であることは当事者間に争いがないから、右代金の七〇パーセントに当たる金五、一九七円を、本件事故と相当因果関係ある損害と認める。
7 休業損害
成立に争いのない甲第三〇号証及び原告本人尋問の結果によれば、原告は、昭和四四、五年ころから、従兄弟の経営する訴外佐賀電気株式会社に電工として雇傭され、本件事故前三か月間において、平均一か月金八万三、一九二円の収入を得ていたことが認められ、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。そして、原告が、本件事故の日から現在までの間、右電工その他の就労を全くしていないことは前認定のとおりであるが、本件事故と相当因果関係にある休業損害は、右事故の日から前1の項で認定、判断した症状固定日である昭和四九年七月六日までの五か月一七日間の分の七〇パーセント(前1の項の判断によれば、休業損害についても、治療関係費と同様に、七〇パーセントの限度で、本件事故が寄与しているものと認められる。)、すなわち、次の算式によつて得られた金三二万四、一七一円となる。
83,192×(5+17/30)×0.7=324,171
8 後遺障害による逸失利益
成立に争いのない甲第三四号証及び原告本人尋問の結果によれば、原告は、明治四四年七月二一日生まれ、本件事故当時、満六二歳の男子であることが認められるから、右事実によると、原告は、通常の健康体で、かつ、本件事故に遭わなければ、平均余命年数のほぼ二分の一に当たる七年間、なお労働することが可能であつたものと推認できる筋合であるが、前1の項で認定した本件事故による後遺障害の内容、既往症及びその治療経過、原告本人尋問の結果及び証人稲垣嘉則の証言からうかがえる原告の本件事故以前の就労形態、それに年齢などの事情を考慮すると、本件事故と相当因果関係にある労働能力喪失期間は、症状固定日から三年、その喪失率は、二〇パーセントと認めるのを相当とする。そして、前7の項の認定によれば、右の期間を通じ、一か月金八万三、一九二円を下らない収入を得られたはずであると推認されるので、この間の労働能力低下による得べかりし利益を、本件事故時において一時に支払を受けるものとして、その現価をホフマン式計算により算出すると、次の算式(二・七三一〇は法定利率による単利年金現価表の三に対応する係数。)により、金五四万五、二七三円となる。
83,192×12×0.2×2.7310=545,273
9 慰謝料
前項までに認定した原告の傷害の部位、程度、入、通院期間、治療の経過、後遺障害、加うるに後記四の項に述べる訴外吉孝の過失その他本件にあらわれた一切の事情を総合斟酌すれば、原告の精神的苦痛を慰謝するに足りる金額は、金一〇〇万円と認めるのが相当である。
四 過失相殺
前一の項の認定のとおり、訴外吉孝は、吉孝車(普通乗用自動車)を運転して国道二三二号線を進行中、折からの吹雪のため、道路左側に自車を停車させていたところ、後方から進行してきた被告運転の被告車(大型貨物自動車)に追突されたのであるが、本件事故現場のような主要道路においては、吹雪のため前方の見通しが十分でない悪天候であつても、右道路を後方から進行してくる車両があることは、自動車運転者としては、容易に予測しえたはずであるから、このような場合、やむを得ず車道に停車するにしても、後方から進行してくる車両から認識できるように、下車して合図するなど、相当な措置を講ずべきであつたところ、原告及び被告の各本人尋問の結果によれば、訴外吉孝は、折からの雪に尾灯を含む吉孝車のほぼ全体を埋もれさせたまま約二〇分間も放置し、何らの措置もせず、そのため、被告をして吹きだまりの一部だと誤認(もつとも、このような誤認は、自動車運転者として、きわめて軽卒であり、被告が無過失であるとは到底認め難い。)させたことが認められ、他に右認定を左右するに足りる証拠はないので、訴外吉孝の過失も、本件事故の一因をなしたものといわなければならない。
しかしながら、訴外吉孝の右過失を被害者たる原告の過失と同一視して、原告の損害額算定上、この過失を斟酌するためには、訴外吉孝と原告との間に、身分上、生活関係上、一体をなすとみられるような関係が存することを要するものと解すべきである。しかるに、訴外吉孝が原告の長男であることは、成立に争いのない甲第三四号証によつて認められるが、一方、右甲第三四号証、成立に争いのない甲第三五号証及び原告本人尋問の結果によれば、訴外吉孝は、本件事故の当時二九歳で、既に昭和四九年三月二九日婚姻し、原告とは別世帯を持ち、これと同居していなかつたことが認められ、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。そうすると、右認定の身分関係があることから、直ちに前記の身分上、生活関係上の一体関係があるとまで認めることは困難であり、他にこれを認めるに足りる証拠はない。従つて、訴外吉孝の過失を信義則上原告の過失と同一視して、過失相殺すべきであるとする被告の主張は、その限りでは、採用できないものといわざるを得ないが、訴外吉孝の前記過失は、前三の9の項のとおり、原告の慰謝料の算定上斟酌されて然るべきものである。
五 損害のてん補
前掲甲第三六号証によれば、原告が、本件事故による損害のてん補として、自動車損害賠償責任保険金二一三万五、二六六円(治療費分金一六八万一、九四一円、頸椎カラー代金七、四二五円、その余の損害金四四万五、九〇〇円)を受領したことが認められ、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。また、被告が原告に対し、昭和四九年三月一八日に金五万円、同月三一日に金五万円、合計金一〇万円を任意弁済したことは、原告の自認するところである。
そうすると、前三の項で認定、判断した損害金合計金三二三万七、五〇一円から右てん補額の合計金二二三万五、二六六円を控除した残額金一〇〇万二、二三五円が被告の賠償額となる。
六 弁護士費用
成立に争いのない甲第三一号証及び弁論の全趣旨によれば、原告は、その主張のとおり、本件訴訟の提起及び追行を弁護士である本件訴訟代理人に委任し、その主張どおりの着手手数料及び成功報酬の支払約束をしたことが認められるところ、前項までに認定した認容額並びに本件事案の内容及び訴訟の経緯等を考慮すれば、本件事故と相当因果関係があるものとして被告に負担させるべき弁護士費用は、金一〇万円と認めるのが相当である。
七 結論
以上のとおりであるから、原告の本訴請求は、被告に対し、金一一〇万二、二三五円及びこれから弁護士費用を除いた内金一〇〇万二、二三五円に対する本件事故発生の日である昭和四九年一月二〇日から、弁護士費用に当たる金一〇万円に対する本判決確定の日の翌日から、それぞれ支払済みに至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるから、これを認容し、その余の請求は失当であるから、これを棄却し、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八九条、九二条本文を、仮執行の宣言について同法第一九六条第一項を、それぞれ適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 清水利亮 篠原勝美 佐藤和征)