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旭川地方裁判所 昭和53年(ワ)359号 判決 1981年9月03日

原告 五十嵐広三

<ほか二名>

右三名訴訟代理人弁護士 菅沼文雄

同 川村武雄

同 横路民雄

同 江本秀春

被告 株式会社北方ジャーナル

右代表者代表取締役 小名孝雄

<ほか三名>

右四名訴訟代理人弁護士 千葉健夫

主文

一  被告らは各自、原告五十嵐広三に対し金八〇万円、原告松本勇に対七金七〇万円、原告松橋久保に対し金四〇万円並びにこれらに対する昭和五三年一一月八日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告らのその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は被告らの負担とする。

四  この判決は第一項に限り仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告らは原告らに対し、共同して別紙謝罪広告を、朝日新聞、毎日新聞、読売新聞、北海道新聞、北海タイムスの各朝刊社会面(北海道版)に二段ぬき、二分子持ち罫囲み、一二センチメートル巾で、「謝罪広告」の四文字並びに被告らの住所、氏名、原告らの住所、氏名は一・五倍活字(ゴシック体)、その他の部分は一・五倍活字(明朝体)をもって、各一回掲載せよ。

2  被告らは原告らに対し、共同して被告株式会社北方ジャーナルの発行する雑誌「北方ジャーナル」の広告欄に別紙謝罪広告を全一頁、二分子持ち罫囲みで、「謝罪広告」の四文字並びに被告らの住所、氏名、原告らの住所、氏名は一・五倍活字(ゴシック体)、その他の部分は一・五倍活字(明朝体)をもって一回掲載せよ。

3  被告らは、各自原告らに対し、それぞれ金五〇〇万円及びこれに対する本訴状送達の翌日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

4  訴訟費用は被告らの負担とする。

5  第3項について仮執行宣言。

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告らの請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

第二当事者の主張

一  請求の原因

1  被告株式会社北方ジャーナル(以下被告会社という。)は、雑誌「北方ジャーナル」等の制作、販売等を目的とする会社であるが、昭和五三年九月下旬ころ、被告森野隼人こと小名孝雄が執筆し、被告岩崎正昭が編集し、被告石田道隆が発行人として、「旭川ゴキブリ市長征伐論」と題した記事(以下本件記事という。)を掲載した雑誌「北方ジャーナル」昭和五三年一一月号を北海道内の書店を通じて約四、〇〇〇部以上販売した。

2  本件記事は、被告小名孝雄が森野隼人という筆名で、旭川市の簡単な紹介に続き、市政を担当した原告五十嵐広三、同松本勇の人となり、行状、政治姿勢、能力に関する批評をし、かつ周囲の人物として原告松橋久保を取り上げ、その人物評をも合わせ表現したもので、全体を六章に分ち、第一章を「開基88年の痛恨」、第二章を「狡猾を絵にした男」、第三章を「五十嵐・松本体制の背景」、第四章を「やり手婆と牛太郎」、第五章を「市職労の危険分子」、第六章を「松本勇は落選する」と各題して、一行二〇字二五行三段組二二頁に亘るものであるところ、記事中には次に列記するような表現がある(なお頭部に付した番号は後出の便のためであり、末尾の数字は、本件記事を掲載した雑誌「北方ジャーナル」昭和五三年一一月号中のページを示している。)。即ち、

(1) 「旭川ゴキブリ市長征伐論」なるタイトルに続いて、(48)

(2) 「これは旭川市政に巣喰う醜悪なゴキブリ集団の物語である。」(48)

と記載し、以下本論に入って、

(3) 「16年前五十嵐広三という小ずるい若僧」が市長に躍り出た、(50)

(4) 「五十嵐は田中角栄や小佐野賢治とおなじように、戦後の権威と秩序とモラルの喪失した時代の申し子である。金儲けと立身出世のためには手段を選ばぬ悪どさは、いかなる詐欺師も舌をまくであろう。馬方上がりの老父と若き女郎の間に生れた五十嵐広三は一種の化物である。」、(51)

(5) 「松本勇は、沈香も焚かず屁もひらず、いつもヘラヘラと上司に媚びへつらって助役になり、市長になった男である。五十嵐が化物なら松本はさしずめゴキブリの一種である。」、(51)

(6) 「松本は無能だが、五十嵐のように悪どくなく、人のいい親父だと人は評するかもしれないが、それはとんでもない間違いである。松本が戦前奥田千春市長の書生として住み込み、市役所の給仕から出発して、特別の才能があるわけでもないのに、多くの諸先輩を押しのけて、商工・財政・市民課長、そして衛生・総務の各部長を歴任して助役までのし上ったかげには、佞奸きわまりない裏工作があったからだ。」、(51)

(7) 「とにもかくにも五十嵐広三という化物から松本勇というゴキブリに引き継がれた16年間にわたる“革新の名を騙るペテン”が、旭川市政をゆがめ、その発展を阻み、八方塞がりに追い込んだことは事実である。化物やゴキブリには眷族が多い。いくら退治しても、あとから簇生するのが、その特徴だ。しかし、長い間、市政に巣喰い、吾が世の春を謳ってきた化物やゴキブリ共に鉄槌を下す日がついにきた。旭川開基88年の記念事業は化物・ゴキブリ退治である。化物の正体は余りにも醜悪だし、ゴキブリを潰せば悪臭を放つ。だが、その醜悪さに眼を蔽い、悪臭を厭い、タタリを恐れていたのでは開基88年の記念事業は成功しないし、旭川市政の八方塞がりは打開できない。」、(51、52)

(8) 第二章には、原告五十嵐広三を中心とする記載があり、その題として、「狡猾を絵にした男」との表現を用い、(52)

(9) 「彼が母の血を引き、女蕩しで、金儲けと出世のためなら平気で人を騙し、手段を選ばない男であることは、あらためて述べる必要もあるまい。」、(52)

(10) 「五十嵐が前夫人を追い出し、クラブ「弁慶」のホステスと不倫な恋にふけり、為に前夫人は悲嘆のあまり郷里に帰り服毒自殺を遂げた。その保険や遺産などの後始末についても、五十嵐の仕打ちは冷たく汚ないものであった。そしてその前夫人との間にできた娘が自暴自棄に走り非行化した話。クラブ環のホステス町子とただれるような関係、五十嵐のスキャンダルについては耳にタコができるほど聞いてきた。」、(52)

(11) 「五十嵐市政11年5ヶ月は極端な売名と人気取りに終始し、その放漫な財政、無計画な事業計画は、ボウ大な赤字を生み、その赤字は未だに消えてない。放漫財政の担い手は助役松本勇であり、ために旭川の都市化は15年遅れたといわれる。」、(52)

(12) 「組合の専横ぶりは眼に余るものがあり、そうさせたのが、五十嵐―松本体制であることは論をまたない。」、(53)

(13) 「いまでは旭川医科大学の誘致は五十嵐の手柄にされているが、これは真赤な嘘である。実際に働いたのは松浦周太郎や堂垣内知事、そして亡くなった盛永要商工会議所会頭と森山元一であった。五十嵐は陳情についてきてもくだらんことを云って、誘致運動の邪魔になった。あるとき文部大臣に「君は誰だ、出て行け」と怒鳴られて退場し、それから都市センターで電話番をしていたのが実状だ。それが陳情団より一足先きに旭川に立ちもどり、いかにも自分がやったように吹聴し、記者会見して宣伝これつとめたのだから、ずるいものである。」、(53)

(14) 「五十嵐はこういう小細工には長けているが、旭川飛行場のジェット化についても私腹を肥やそうと計画し、そのため飛行場建設は大幅に遅れた。旭川―東京間は一日三便で現在プロペラのYS11機で二時間五〇分かかる。これをジェット化して便数を増せば一時間半の短縮となり、それだけ経済活動が活発になる。これは当面の旭川市民の夢である。さて飛行場建設費の70%は国が出し、あとの30%のうち道が15%市が15%支出するわけだが、飛行場の位置の設定、用地の買収は旭川市の仕事である。五十嵐は市長の立場を利用して、かねて資金ヅルになっていた高野観光(当時高野美代子社長、荒光男専務)や旭川信金(西山勲理事長)と共謀し、滑走路の位置を強引に聖和地区に設定し、土地転しであぶく銭をせしめようとしたのである。つまり旭川信金から特別融資をうけた高野観光が、土地所有者である農民から安く叩き買って、それを旭川市が高く買うという図式である。これは例の如く五十嵐の懐刀といわれる松橋久保市議が暗躍し、」、(53、54)

(15) 「ところが聖和地区は土地改良事業区域であったことと、医大に余り近すぎて騒音問題が起きるという観点から反対され、五十嵐もかなりねばったが断念せざるを得ず、高野観光は儲けそこなった。五十嵐はこのことで高野観光に借りができたわけだが、その借りはすぐ清算できた。本誌先月号の投稿<旭川市政の黒い霧はまだ晴れない―東海大誘致にからむ一市民の告発>によれば昭和45年五十嵐は東海大誘致のためには札幌在住の田中藤五郎より一、一二〇平方メートルの土地の寄贈をうけ、市から感謝状まで出した。ところが五十嵐は、この寄贈された土地を市の所有地とせず、高野観光荒光男と共謀して売買の形で高野観光に移転登記し、翌昭和46年これを東海大学に売却しているのである。田中藤五郎からタダでまきあげた土地を高野観光がいくらで買って、東海大学に幾らで売り、五十嵐がいくら猫ババしたかは解るべくもないが、ずいぶん悪どいことをするものである。これが元の所有者である田中藤五郎方より、詐欺罪で訴えられるか、あるいは所有権の返還請求がなされたら、いったいどういうことになるであろうか。市長の職を利用して感謝状という詐術で土地をまきあげた証拠は歴然としている。多分五十嵐は詐欺罪と背任罪で懲役一年は喰らうことになるのではないか。」、(54)

(16) 「つまり五十嵐や松本には、そうした首長としての心掛けも政治能力もないのである。口では人間都市と格好のいいことを云っているが、本当は住民への奉仕の心がないのである。」、(54、55)

(17) 「一般企業じゃあるまいし、折角樹てた事業を実施しないで、予算をあまし、そのため住民に迷惑をかけ、それで「黒字に転化した」と宣伝するのはペテンである。」、(56)

(18) 「五十嵐―松本市政16年のヒズミは大きい。五十嵐は狡猾を絵にするペテン師であり、松本はその忠実な助手、二人の巧みなスクラムと演出によって、食べられもしない餅代を旭川市民は払わせられているのである。」、(56)

(19) 「市議の松橋久保(《住所・電話番号省略》)は五十嵐が初当選したときの旭労会議事務局長であり、以来五十嵐の腹心参謀として政治面でも資金造りの面でも活躍している。松橋は高野観光に所属しているが土地転しの話があると必ず名前の出てくる人物だ。いまも旭川市豊岡五条一丁目菅原某の土地一三〇坪について印鑑偽造、文書偽造で訴えられており、また千代田市民委員会(町内会)に対する市からの補助金百万円を着服して同町内会から追放されたといわれる。」、(56)

(20) 「この不逞の輩に共通して云えることは、管理者としての能力がないことである。将棋の歩がいきなり金になったようなものであるから、業務に精通していないことは止む得ないが、言動がデタラメで無責任、市民や部下に対する態度も悪く、なにかあると革新市長を笠にイバり散らすというあんばいである。だから一般職員はまじめに働いても能力が認めて貰えないし、組合運動(即選挙運動)したものだけが出世するという方式を見てバカバカしくなり、誰もやる気をなくしてしまっているという。もっとも選挙運動しないで出世するには便法がある。それは政党や、組合ボスに頼んで係長なら30万円、課長なら50万円のワイロを助役や職員部長、職員課長に持って行けば必ず次の人事異動には栄転するといわれる。こうした悪い人事慣習は、五十嵐から松本市長に、そのまま踏襲されている。」、

「その格好の例が職員部次長遠藤徹夫だ。遠藤は五十嵐の右腕とも云われ、さきの知事選挙には企画部次長のポストにあったが、市役所を辞めて選挙運動に奔走した。そして五十嵐は落選したが、遠藤のような高官の給料を払ってやる方法がない。そこで松本市長に命じて遠藤を再び市役所に採用、職員部次長のポストにつけた。それだけならまだよい。五十嵐は次の知事選にも再び遠藤を活用すべく、彼を現ポストに籍を置きながら、札幌に本部のある北海道市職員共済組合事務局長に出向させた。つまり給料は旭川市民に負担させ、給料を貰っていないことを名分に共済組合から交際費、出張費、会議費の名目で、政治活動資金を引き出し、全道的規模で五十嵐の選挙運動をやらせているという噂である。遠藤はさきの選挙で公選法違反に問われ、それが再就職の障害になったが、助役鮎田武夫(《住所・電話番号省略》)の弁護によって復帰できた。どこの役所でも、このように一旦自分の都合で辞めた職員を半年も経って復職させた例がない。しかも公選法に問われている人物がその疑惑が晴れないうちに公務員になれるケースは前代未聞だ。」、(58、59)

(21) 「五十嵐と鮎田の関係は、鮎田がまだ商工部の課長時代から始る。その頃五十嵐は民芸品の販売会社を創ってアップアップの状態であったが、鮎田は東京に出張する際、大抵五十嵐がそのあとをくっついて歩き、市役所の信用で民芸品を売り込んだいきさつがある。そして五十嵐が上京するとき、必ず当時まだクラブ弁慶のホステスであった津由子(現夫人)を伴なっていた。鮎田は、その頃の五十嵐の旧悪を握っていて、夫婦共々に売り込んだという話で、五十嵐―松本が考えていた和田豊吉を「女癖悪く、あいつを助役にすれば松本市長にも五十嵐さんにも傷がつく」と排斥したといわれる。従って助役になった鮎田は遠藤をかばわなければならなかったのである。」、(59)

(22) 第五章には原告五十嵐広三、同松本勇に関する記載の題として、「やり手婆と牛太郎」との表現を用い、(59)

(23) 「また松本市長は市民部の六支所に広聴広報担当の主査を置き、腹心を係長に抜擢して送り込んだ。すなわち神居支所の尾崎訓(《住所・電話番号省略》)、永山支所の菅原武志(《住所・電話番号省略》)、東旭川支所の佐藤淳一(《住所・電話番号省略》)、神楽支所の村太秀雄(《住所・電話番号省略》)、西神楽支所の岩田淳(《住所・電話番号省略》)、東鷹栖支所の和嶋正幸(《住所・電話番号省略》)の六人であり、広聴広報に名を借りて松本の選挙運動をやるようガッチリ云い含められている。六人は係長抜擢に感激して勇んで任地に向ったといわれる。ついでながら、神居支所長の山本強(《住所・電話番号省略》)は、弟の山本勉(労政課長)のおかげで支所長になれたのであり、神楽支所長の川西幸雄(《住所・電話番号省略》)や、東鷹栖支所長遠藤哲夫(《住所・電話番号省略》)は五十嵐―松本ベッタリであり、支所の仕事より選挙運動に多忙だ。」、

「また他の六支所に主査をおいて江丹別支所には主査を置かない理由は、票田が小さいことと、支所長の佐藤和雄(《住所・電話番号省略》)が松本ベッタリで票のまとめに自信があるからと云われる。これを聞いた江丹別の市民は、「どうせ江丹別は旭川のゴミを埋めるためだけに合併したのさ」と、差別は毎度のことと指摘した。このような高給取りの広聴広報担当主査をいったい置く必要があるのかを問うと、六支所の市民たちは「そったらものはいらない、そんなことするぐらいなら、なんぼでも税金安くしてけれや」と異口同音に述べた。松本もまた、五十嵐に習って市民の税金で選挙の事前運動を続けているのである。」、(60)

(24) 「これらの人々は市民にとって公正な行政執行者ではない。五十嵐―松本の私党で、云うなれば悪徳役人である。つまり化物とゴキブリの眷族たちである。」、(61)

(25) 「松本自身がまず市長室にいたためしがない早朝から後援会廻りである。公用車を使って結構な身分である。選挙中組合のタクシー代は(前回の選挙のときで)四百万円に達したという。組合以外の高級職員も、このときばかりは大っぴらに公用チケットを使う。公用車の油代といい、これらの費用だけでも決してバカにならない数字である。」、(61)

(26) 原告松本勇の長男「博道は旭川市内の飲屋街のコックをやっているが、前回の選挙では親父の公用チケットを使っていたという。」、(62)

(27) 「古参職員に云わせると、松本が人にペコペコ頭を下げ、ニッコリ笑ってごまかすのは“女郎屋の牛太郎の如し”だという。」、(62)

(28) 「松本のような氏素姓もハッキリしない、しかも学歴もなく、特別仕事ができるわけでもない小心慾々の人物が出世するためには、ひたすら上司にゴマスルのと、仲間を讒言によって蹴落す以外にはない。」、(62)

(29) 「松本のニッコリ笑ってごまかす方式、」、(62)

(30) 「松本は赤字を増やさないためには、いくら旭川の都市化・近代化が遅れても仕事をしないことだと決めてかかっているようだ。だから事業は前年度からの継続事業と、国庫補助のあるものだけに限っている。仕事をしなければ予算が余る。そして51年度も52年度も黒字だと大宣伝を繰返し松本市政を謳歌していたが、これはごまかしである。」、(62)

(31) 「ところが松本は、その罪を意識するどころか、五十嵐がいよいよ知事選出馬で、後任市長候補を選ぼうとするときになって、①旭川の財政は破産状態にあり、これがバレれば五十嵐は知事選どころではなく、手が後に廻るかもしれない。これをうまくごまかし、なし崩しに赤字を解消するには松本市長以外にない。②岡部助役は先任だが、残念ながら社会党色が強すぎる。今回の選挙は社会党と共産党の票だけでは当選できない。そこえ行くと松本は保守陣営の人間と見られているし、旭川財界人の支持も得られ、保守系の票もとれるから勝てる。③松本はどんな場合でも五十嵐の家来であり、今までもそうであったように、これからも五十嵐の命令はきく。五十嵐知事、松本市長で、きっとうまく行く。の三条件を出し、岡部助役を市長候補から蹴落した。」、(62)

(32) 「いったい駅前の買物公園が旭川市民全体にとって、どんな意味があり、どんなふうに役立っているのか。ガラクタのように、どこにもここにもチャチな彫刻が置いてあり、それには市民の高い税金が支払われているが、五十嵐―松本はどれだけのリベートをふところにしているか、市民は疑問を抱いたことはないのだろうか。」、(64)

(33) 「五十嵐―松本の人事もそれで保守系と見られると、徹底的に冷飯を喰わせる。締めつけやスパイは日常茶飯事で、そのために職員は疑心暗鬼に陥り職場の和を著しく欠いている。典型的な報復の例がF課長だ。彼の夫人が五十嵐の対立候補の夫人と親しくて封筒書きを手伝ったのがバレ、五十嵐は直ちにF課長を玄関の案内嬢の机に座わらせた。昨日までの課長が、今日からはアルバイト嬢のかわりに人目にさらされたのである。こんな非道は許されてはならないのだが、かわいそうにFは半年ほど我慢して勤めていたが、やがて泣く泣く辞めて旭川から姿を消したといわれる。」、(68)

とそれぞれ記載されている。

3  これらのうち(10)、(13)、(14)、(15)、(21)、(32)及び(33)は原告五十嵐広三について虚偽の事実を記載したものであり、(3)、(4)、(7)、(8)、(9)、(11)、(12)、(16)、(18)、(22)、(24)は同原告について中傷したものであり、(6)、(20)、(21)、(23)、(25)、(26)、(31)は原告松本勇について虚偽の事実を記載したものであり、(1)、(2)、(5)、(7)、(16)、(17)、(18)、(24)、(27)、(28)、(29)、(30)は同原告について中傷したものであり、(14)、(19)は原告松橋久保について虚偽の事実を記載したものであり、これらにより各原告の名誉は著しく傷つけられた。

4  原告らは本件記事により名誉を著しく傷つけられたことにより多大の精神的損害を被ったもので、これに対する慰藉料としては各原告につき金五〇〇万円が相当である。

5  よって、原告らは被告らに対し、原告らの名誉を回復するのに適当な処分として、別紙謝罪広告の掲載と、原告らの受けた精神的損害に対する慰藉料として各自原告らに対し、それぞれ金五〇〇万円及びこれに対する本訴状送達の翌日である昭和五三年一一月八日から支払済みに至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求の原因に対する認否

1  請求の原因1及び2の各事実は認める。

2  同3の事実は否認する。

3  同4の事実中、原告らが精神的損害を被ったことは不知。その余の点は争う。

4  同5は争う。

三  被告らの抗弁

1  本件記事は公共の利害に関する事実に係るものである。即ち、原告五十嵐広三は昭和五四年四月八日施行予定の北海道知事選挙に、原告松本勇は同五三年一一月五日施行の旭川市長選挙に各立候補することが予定されていたもの、原告松橋久保は旭川市議会議員であったものであり、本件記事は右のような原告らについて書かれたものであるから、公務員または公選に依る公務員の候補者に関する事実に係るので、公共の利害に関する事実に係ると言える。

2  本件記事は、被告らにおいて専ら公益を図る目的を以て執筆、掲載、頒布したものである。

3  原告ら主張の事実はいずれも真実であり、仮にそうでないとしても、厳正かつ綿密な取材によって得た資料に基づいて、これが真実であると信じたのであるから、そう信ずるにつき相当の理由がある。

四  抗弁に対する認否

1  抗弁1の事実のうち、原告五十嵐広三が昭和五四年四月八日施行予定であった北海道知事選挙に、原告松本勇が同五三年一一月五日施行の旭川市長選挙に各立候補予定であったこと、原告松橋久保が旭川市議会議員であったことは認めるが、その余の点は否認する。

2  同2の事実は否認する。

3  同3の事実は否認する。被告小名孝雄は本件記事につき、原告らから何らの取材をしていない。例えば、旭川空港のジェット化によって私腹を肥やそうとしたとの記事部分については、市会議員と市の職員二名から事情を聞いただけで記事を書いており、原告ら以外に記事中に現われる人物についても一切取材しておらず、空港の位置決定がどのような専門的立場から決定されるものであるかの基礎的調査すらしていない。また、原告松橋久保が、町内会に対する市からの補助金を着服したため町内会から追放されたとの記事についても、町内会、市の関係者からの取材を全くしていないし、同原告が菅原某から印鑑偽造、文書偽造の事実で訴えられているとの記事部分についても、菅原某の住所を明らかに示して置きながら一切の取材をしていない。東海大学誘致に関する記事部分についても同様で、関係者である田中藤五郎の遺族、大学誘致期成会、東海大学、高野観光開発株式会社(以下高野観光という。)、旭川市から全く取材していない。かような経緯にてらしても、被告らが請求原因2の(1)ないし(33)の各記載を真実と信じたとは到底言えないし、真実と信ずるにつき相当の理由があったとも言えないことは明らかである。

第三証拠《省略》

理由

一  請求原因1及び2の各事実は当事者間に争いがない。

二  そこで、本件記事が原告らの名誉を毀損したか否かについて検討するに、請求原因2の(10)の記載は、通常人がこれを読めば、原告五十嵐広三が、その記載どおりの反倫理的行動に走り、そのために子女が非行化したとの印象を受けることは明らかであり、請求原因2の(14)及び(15)の記載は、旭川空港のジェット化に伴う空港の位置の設定、用地の買収に関して、原告五十嵐広三が原告松橋久保をひそかに指図し、その協力のもとに高野観光と結託して、巨利を博することを企図したが、諸の事情に阻まれたので、今度は、旭川市に東海大学を誘致するにあたって、善意の人から土地を旭川市に寄付させながら、これを同市の所有とせず、高野観光に無償で取得させ、同社においてこれを東海大学に売却し、この間の利得を同社と原告五十嵐広三とで山分けしたとの印象を与えることが明らかであり、請求原因2の(19)の記載を読めば、原告松橋久保が土地ころがしに関係することが多い人物で、文書偽造等で告訴されたり、横領罪を犯したとの印象をその読者に与えることが明らかであり、請求原因2の(20)、(21)及び(23)の各記載は、原告五十嵐広三及び同松本勇が、党派を作って情実人事を専らとし、保身のためには公私の別も全く弁えない類の人物だとの感想を抱かせるものと認められ、当事者間に争いのない請求原因1の事実に右認定事実を合わせ考えると、右各記載は原告らの名誉を毀損したと言うに十分である。

請求原因2のその余の記載は、事実の摘示を欠くか、或いは摘示があってもその具体性に乏しく、一つ一つを取り上げて見ると、原告らの社会的評価・声望に与える影響は大きくないと言い得るが、先に認めた、原告らの名誉を毀損した記載部分とこれらとは、不可分一体のものとなって互にその印象力を強めあっていると認められるから、請求原因2の(1)ないし(33)の各記載は全体として原告らの名誉を毀損したとするに妨げない。

三  被告らは、原告らが虚偽であると指摘する事実はいずれも真実であると主張するが、これを認めるに足る証拠は存しない。

却って、《証拠省略》を総合すれば、旭川空港の拡張に伴う用地の選定については、旭川市において当初から専門的知識を有する日本空港コンサルタントの意見を参酌し、関係当局と協議を重ねつつその事務を取り行って来たもので、不動産業者が蠢動する余地はなかったこと、旭川信用金庫が高野観光に特別融資をしようとしたこと、原告松橋久保が暗躍した事実はいずれも全く存しなかったこと、東海大学の用地問題については、高野観光において、旭川市が東海大学を誘致したいと考えていることを知り、積極的にこれを応援する立場から、金六、八〇〇万円の寄付を同大学に申入れていたところ、誘致を推進する地元住民の取りまとめた用地の一部に、札幌市に在住する高齢の田中藤五郎所有の土地が含まれており、同人の東海大学への寄付の意思は固いものの、大学設立認可手続中に同人の死亡、従って地権者の相続による増加という事態が懸念されたため、用地取得資金のうちの多額を負担することとなる高野観光において、誘致を推進する地元住民の要望を入れ、一旦田中藤五郎所有の土地を同社名義とすることを承諾したにすぎず、この間にあって同社または原告五十嵐広三が利得した事実は存しないことが認められる。

また、《証拠省略》を総合すれば、請求原因2の(19)の記載が示すと認められる菅原ハルミが抱える土地問題は、原告松橋久保と何ら関わりがなく、千代田市民委員会(町内会)の補助金の横領問題についても、同原告が長く右町内会長を勤めた間に会計上の不祥事が発生したことはなく、同原告は従前同様肩書住所に居住していることが認められる。

以上のとおり、請求原因2の(1)ないし(33)の各記載は、具体的事実の指摘を含む部分については、いずれもその事実の真実であることの証明を欠き、その余の部分は、指摘にかかる具体的事実と相まって原告らの名誉を毀損する内容を有するが、いずれも単なる非難に類する表現であり、真実の証明の余地はないと解すべきであるから、右各記載は全体として真実の証明がないものと言うべきである。

四  被告らは、請求原因2の(1)ないし(33)の各記載は、厳正かつ綿密な取材によって得た資料にもとづき、これを真実であると信じたのであるから、そう信ずるにつき相当の理由があると主張するが、右主張に沿う《証拠省略》は前掲各証拠に徴して信用し難いばかりか、《証拠省略》を総合すると、請求原因2の(1)ないし(33)の各記載は、被告小名孝雄が単独で取材して得た資料に基づいて同原告が自ら執筆したものであるところ、右取材をした相手については、同人において取材源の秘匿を理由にその氏名を明らかにしないところであるが、旭川市の報道関係者、同市の幹部、同市議会議員など僅かの者に面接して聴取したと認め得るほかは、労働協約書などの文書類にとどまっており、原告ら本人、その親族、記事中に現われる人物、関係者には一切の取材はおろか取材の申込みすらしていないことが認められ、雑誌記事の執筆に際してなすべき取材活動としては、とうてい十分なものとは言い難く、また、被告岩崎正昭、同石田道隆はいずれも右記載の真実性につき何ら独自の調査をすることなく、漫然「北方ジャーナル」昭和五三年一一月号として編集、発行したものであって、結局被告らにおいて右記載を真実と信ずるにつき相当な理由があったとは言い得ない。

五  被告らは、請求原因2の(1)ないし(33)の各記載はいずれも公務員または公選の公務員の候補者である原告らについて書かれたものであると主張するが、右記事が掲載され発売されたと認められる昭和五三年九月下旬ころ((雑誌「北方ジャーナル」)二〇二頁には、同年一一月一日発行との記載があるが、裏表紙広告欄に同年一〇月六日、一三日放映予定のテレビ番組の広告が掲載されていることからすると、同年九月下旬ころには発売されたものと認められる。)には、北海道知事選、旭川市長選、旭川市議会選とも公示がなされておらなかったことは、《証拠省略》により明らかである。もっとも、当時原告松本勇が旭川市長であり、原告松橋久保が同市議会議員であったことは後記七のとおりであるが、請求原因2の(1)ないし(33)の各記載が真実であるとも、真実であると信ずるにつき相当の理由があるとも言い得ないこと前記三、四に判断したとおりであるから、被告らの主張は採用し難い。

六  そうだとすれば、被告らの抗弁は、その余の点について判断するまでもなく理由がないと言うべきである。

七  《証拠省略》を総合すると、原告五十嵐広三は、昭和三八年五月から同四九年九月まで旭川市長の地位にあり、その間、同四九年七月には全国市長会理事に就任し、その後同五〇年四月の北海道知事選挙に立候補し、更に「北方ジャーナル」昭和五三年一一月号が発売された同年九月下旬ころには、同五四年四月に施行予定の同知事選挙に立候補する予定であったことが認められる(右最後の事実は当事者間に争いがない。)。《証拠省略》を総合すると、原告松本勇は、昭和四九年一一月旭川市長に就任し、前記「北方ジャーナル」が発売された昭和五三年九月下旬ころには、同年一一月五日施行予定の旭川市長選挙に立候補する予定であったことが認められる(右最後の事実は当事者間に争いがない。)。《証拠省略》を総合すれば、原告松橋久保は昭和三〇年五月から同四六年五月まで及び同五〇年五月から同五四年五月まで旭川市議会議員の地位にあり、その間同五〇年五月から同五三年六月までは同議会議員会長であったことが認められる(前記「北方ジャーナル」が発売された昭和五三年九月下旬ころ原告松橋久保が旭川市議会議員であったことは当事者間に争いがない。)。

以上の原告らの社会的地位からすると、旭川市を中心とした社会一般の原告らに対する評価はいずれも相当程度に高いものと認められるところ、《証拠省略》を総合すると、前記「北方ジャーナル」は、一万部弱が、書店等を通じてあるいは注文に応じた直接販売の方法により頒布されたところ、当時は前記のごとく北海道知事選挙及び旭川市長選挙の施行が真近に予定されており、社会の関心も高かったため、旭川市内を中心に全道にわたり広範囲に閲読されたこと、そのことにより原告らに生じた社会的評価の低下は顕著であり、殊に原告五十嵐広三、同松本勇においては、前記知事選挙もしくは市長選挙の際、その候補者として請求原因2の(1)ないし(33)の各記載が全く無根であることを説明する必要にせまられるなどして、政治活動にも大きな支障を生じたことが認められ、原告らは右各記載により、いずれも多大の精神的打撃を受け損害を被ったものと認められる。

右の事情に前記各記載の内容、表現方法その他本件に現われた一切の事情を合わせ考慮するときは、原告らに生じた精神上の損害に対する慰藉料としては、原告五十嵐広三につき金八〇万円、原告松本勇につき金七〇万円、原告松橋久保につき金四〇万円をもって相当と思料する。

八  被告会社が雑誌「北方ジャーナル」等の制作、販売等を目的とする会社であって、昭和五三年九月下旬ころ雑誌「北方ジャーナル」昭和五三年一一月号に請求原因2の(1)ないし(33)の記事を掲載し、これを北海道内の書店を通じて販売したことは当事者間に争いがなく、《証拠省略》を総合すれば、右記事は被告会社代表取締役である被告小名孝雄が森野隼人の筆名で、表題、小見出し、写真説明文を付した原稿を執筆し、同社編集長被告岩崎正昭らが、右原稿を雑誌「北方ジャーナル」に掲載するようにとの被告小名孝雄の要望に応じて右原稿を修正をほどこすことなく、同誌昭和五三年一一月号に右記事として編集したうえ、被告石田道隆を発行人(発行責任者)として発行したものであることが認められ、他に右認定に反する証拠はない。

そうすると、請求原因2の(1)ないし(33)の記事の執筆、編集、発行は被告会社の事業の執行につきなされたものと解せられ、被告小名孝雄、同岩崎正昭、同石田道隆はいずれも民法七一九条、七〇九条により、被告会社は同法七一五条により、原告らに与えた損害を賠償する責任があると言うべきである。

九  原告らは損害賠償に加えて、名誉回復のための適当な措置として別紙謝罪広告の掲載を求めているが、《証拠省略》を総合すると、「北方ジャーナル」誌は、先に認定したとおりかなり広範囲に頒布されたものではあるが、これに寄せる社会の信頼・評価には自ら一定の限度があるものと解せられるし、請求原因2の(1)ないし(33)の記載に見られるとおりの低劣な表現方法と相まち、読者に与える印象も、確信を抱かせるまでに至り得ないものと考えられ、更に、《証拠省略》によれば、被告小名孝雄及び同岩崎正昭は、請求原因2の(14)、(19)の各記載につき名誉毀損罪にあたるとして、同(4)、(5)、(9)、(18)、(27)、(28)の各記載につき侮辱罪にあたるとして、札幌地方裁判所において(昭和五四年(わ)第三三二号、第三三三号)、同五五年一二月八日有罪判決の宣告を受けたことが認められ、また、被告岩崎正昭、原告五十嵐広三、同松橋久保の各尋問の結果に札幌地方裁判所昭和五五年一一月五日判決(判例タイムズ四二九号四七頁)を総合すると、原告らは札幌地方裁判所に雑誌「北方ジャーナル」昭和五三年一一月号の頒布販売等禁止の仮処分の申請をし、同年一〇月一七日その旨の決定を得たこと、また、原告五十嵐広三は被告会社及び被告小名孝雄両名を債務者として、同裁判所に、右一一月号と同様の記事を掲載することを企画した同誌昭和五四年四月号の執行官保管と印刷、製本並びに販売または頒布禁止の仮処分の申請をし、昭和五四年二月一六日その旨の決定を得たこと、右決定は債務者の異議にもかかわらず昭和五五年一一月五日言渡の判決により認可されたこと、更に、原告五十嵐広三は、昭和五五年七月施行の衆議院議員選挙に旭川市を含む北海道二区から立候補し、当選したことが認められ、これらの事情を併せ考慮するならば、原告らの名誉は既に相当程度回復していると認めるのが相当であるから、謝罪広告の必要性は認められないものと解され、原告らのこの点に対する請求は理由がないものと言わざるを得ない。

一〇  以上によれば、原告らの請求は、被告らは各自、原告五十嵐広三に対し金八〇万円、原告松本勇に対し金七〇万円、原告松橋久保に対し金四〇万円並びにこれらに対する本訴状送達の翌日であること訴訟上明らかな昭和五三年一一月八日から完済まで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で正当であるからこれを認容し、その余は理由がないから棄却し、訴訟費用について民訴法八九条、九二条、九三条を、仮執行の宣言について同法一九六条を適用し、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 松原直幹 裁判官 曽我大三郎 納谷肇)

<以下省略>

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