旭川家庭裁判所 昭和40年(少)1042号 決定 1965年6月24日
少年 N・S(昭二八・一〇・一五生)
主文
この事件を北海道旭川児童相談所長に送致する。
北海道旭川児童相談所長は、昭和四〇年六月二四日から二年間に限り、少年を強制的措置をとることのできる教護院に入所させ、その行動の自由を制限する強制的措置をとることができる。
理由
本件送致理由の要旨は、少年は、昭和三七年一一月五日、窃盗等の触法行為及び怠休を理由とする北海道留萌支庁長からの通告により同年一二月一三日児童福祉法第二七条第一項第二号の措置により、児童福祉司の指導に委ねられたが、経過が良好でなかつたため、同三八年一二月二八日同条第一項第三号の措置により教護院(北海道家庭学校)に入所させ今日に至つた者である。ところで、教護院入所にさきだち、少年は、精神科医により、衝動的、破壊的、激情的性格傾向を有し、作話、独語等不安恐怖状態を認めるとして精神障害の疑いがあるとの診断を受け約六ヵ月間入院した経歴があり、児童相談所長としては、一応寛解のうえ、暫時教護院における処遇によつて少年の社会復帰を援助すべく上記措置をとつたのであるが、入院後も衝動的、破壊的行動が多く、入院後一年余を経ても教育効果が上らないため、上記教護院長から措置変更の申請を受けたものである。以上の次第で少年に対しては開放処遇による単一な教護院での改善は不可能であつて、医療措置を伴う強制処遇を要するものと認められ、そのためには国立教護院に入院させるのを相当と思料するので本件送致に及んだというのである。
よつて案ずるに、当裁判所の調査の結果によれば、少年は、八歳になつた昭和三七年四月頃から数回に亘り自転車数台を窃取し、また鉄道の駅待合室において他人の荷物から指輪、時計等一五点を窃取し、さらに隣家の施錠を破壊して現金を窃取する等の触法行為が発生したため、そのころ児童相談所において、当時少年を監護していた父親の相談を受け、上記本件送致理由の要旨として摘示したような経過を経て、教護院である北海道家庭学校に収容されていたこと、その後本件送致の前日である昭和四〇年五月二四日上記措置の解除により教護院を退所し、旭川市内の私立高橋精神神経科病院(院長・高橋順)に入院収容されていることが認められる。
そこで、少年に対し強制措置をとることの要否、その方法について考えるのに、調査の結果及び審判期日における参考人高橋順、北海道旭川児童相談所相談員樋口健一及び少年の各陳述を綜合すると、少年の家庭は両親が融和を欠き、実母は少年の生後間もない昭和二九年に男関係が生じ家を出てしまい、その後は一時家に戻つたこともあつたが昭和四〇年一月に少年の実父が死亡するまで他の男と同棲して遠く釧路に居住し、少年は専ら実父にのみ育てられた状態にあつたもので、父の死亡により少年やその兄姉(姉一四歳は精神薄弱児である。)の世話をすべく実母も上記の男と共に家に戻つたが、間もなく男に逃げられそのあとを追つて審判期日に出頭しないのみならずその所在も明確でない状態で、少年の保護に十分な能力も関心もないこと、少年は上記認定のようにさきに小児神経症の診断で入院した経歴もあるが、知能指数六三の精神薄弱児であるうえ、最近の診断によつても、劣等知(内因性及び教育環境不遇性による)のほか、てんかん性性格特徴(内因素質性)、ヒステリー性性格特徴(環境不遇性)、上記の三者を原因とする心因反応性の社会不適応行動がそれぞれみられるとされていること、これを少年の具体的生活行動に即してみてみると、少年は上記北海道家庭学校に入所中、窃盗等の財産犯的非行のあつた事実はみられないが(教育効果によるものか、環境上の制約によるものかは不明。)、三回に亘る無断外出のほか、他の院生との間に全く協調性を欠いて間断なく「けんか」をし、興奮しては他の院生に薪を投げつけ、硝子等の器物を損壊する行為が頻発していること、少年のこれらの衝動的行為は長期に亘る薬物(抗けいれん剤、精神安定剤)の投与により軽減の可能性があると考えられること、以上の事実が認められる。
叙上の点からすれば、少年の社会不適応行動は、その資質の不良性に加えて幼時からの不遇な生育環境によつて生成されたもので、設備のととのつた良好な環境の下で長期に亘る指導監護により健全な育成を図ることが望ましいが、もはや開放性の施設によることはその限界を越えているものと認められ、この目的を達するためには、強制的措置をとることのできる教護院(少年に対する長期に亘る医療措置の必要性を考慮すると、国立武蔵野学院が相当であると考えられる。)に収容し、その間強制的措置をもとることができるものとして監護教育を施す必要が認められる。
そこで本件を北海道旭川児童相談所長に送致し、少年の資質、年齢、従来の生育歴、現在の保護環境等諸般の事情を考慮し、本件決定の日である昭和四〇年六月二四日から二年間に限り少年を強制的措置をとることのできる教護院に入所させ、たまたまその行動の自由を制限する強制的措置をとることを認めることとし、少年法第二三条第一項、第一八条第二項にしたがい主文のとおり決定する。
(裁判官 吉井直昭)