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最高裁判所大法廷 昭和22年(れ)253号 判決 1948年7月14日

主文

本件上告を棄却する。

理由

辯護人鈴木多人上告趣意第一點について

しかし、原判決は、被告人の高田キンに對する殺意の點についても、司法警察官の被告人に對する第一、二回訊問調書中における被告人の自供及び強制處分の請求に基く判事の被告人に對する訊問調書中における被告人の自供の外醫師沢江六太郎作成の診斷書及び押收にかかる薪割一挺をも綜合してこれを認定したものであることは、原判文上明らかであるから、右殺意の點を、被告人の判事、司法警察官に對する自白のみによって認定したと主張する論旨はあやまりである。なほ、論旨は右各自白は強制によるものであるから、證據力はないと主張するけれども、本件において、右の自白が強制に基くものであるとみるべき何等の證據もない。ただ、被告人は原審公判において、裁判長から司法警察官の第一回訊問調書中、キンに對する殺意のくだりを讀み聞かされた際に「その時は警察官に叱られたので、左様に殺すつもりで毆ったと申上げましたが実際は殺す氣がなかったのであります」と述べ、また第一審公判においても、同様右調書について「係官がそうだらうそうだらうと申すのでとうとうそうだと申しておいたのでありましたが云々」と述べていることは記録上明らかであるけれども、これだけのことによって、直ちに、右自白が強制にもとずくものであるということのできないのは勿論であるのみならず、この點に關して、原審でも、第一審でも、被告人からも、辯護人からも、右訊問の衝にあたった栃木縣警察署の大野警部補を證人として訊問の申請をした事実のないところからみても、被告人の右の供述も、強く右訊問の不公正を主張した趣旨ではなく、要するに、公判において、キンに對する殺意を否認したのに過ぎないと解するのほかなく、その他事件の全般を通じて右自白が強制にもとずくものであることを思はせる何等の根跡もない本件においては、辯護人の右の論旨は、とうてい採用することはできないのである。(論旨が強制處分に基く判事の訊問調書中被告人の供述として摘録しているところは、記録によれば檢事の訊問調書中の被告人の供述を誤って摘録したものであること明白であり、しかも、右檢事の訊問調書は原判決が證據として採用していないところである。)また原判決には所論のような、相互に矛盾した證據を採用した違法もなく、その他論旨は、畢竟原審の専權に屬する事実の認定を非難するものであって、上告適法の理由とならない。

同第二點について

しかし起訴事実についてどの程度に證據調をするかということは、事実審裁判所の裁量に委せられていることであって、原審が所論のように高田ナツ及高田キン並びに栃木縣警察署司法主任大野警部補を職權で以て證人として喚問しなかったとしても、それはその必要を認めなかったからに外ならないのであって、その一事により、直ちに原審が日本国憲法第三十七條第一項にいふ「公平な裁判所」でなかったということはできない。裁判所が公平な構成員よりなって法律の定めた手續によって裁判をする以上、公平な裁判所の公正な裁判といはなければならぬ。又日本国憲法第三十七條第二項が「刑事被告人はすべての證人に對し審問する機會を充分に與へられる權利を有する」といっているのは、裁判所自身が必要と認めないすべての關係人を論旨のように職權で以て證人として採用し、被告人に直接訊問する機會を與へなければならないと云ふ意味のものとは解せられない。しかして、原審公判調書によれば、本件においては、原審裁判長は、證據調終了後、被告人に對し更に利益となる證據があれば提出することができる旨を告げたのであるが、被告人及辯護人においては所論の高田ナツ及高田キンは勿論のこと大野警部補さへも證人として訊問の請求をしなかったことは明白であるから、原審がそれらの者を職權で以て證人として喚問し、被告人に直接訊問の機會を與へなかったからと云って、この措置を目して日本国憲法第三十七條第二項に違反するものといふことはできない。

論旨はいずれも理由がない。

被告人小宮徳藏の上告趣意について、

しかし所論の點に關する被告人の司法警察官に對する自白が強制によるものでないことは既に辯護人鈴木多人の上告趣意第一點に對して説明を與へた通りである。

論旨は更に情状を酌量して有期懲役刑に處して貰いたいと述べているがこのような上告理由は日本国憲法の施行に伴う刑事訴訟法の應急的措置に関する法律第十三條第二項により適法な上告理由ということができない。本件に關する裁判官栗山茂の意見は次のとおりである。

辯護人鈴木多人上告趣意第一點及び被告人小宮徳藏上告趣意について

被告人に對する司法警察官第一回訊問調書を見ると「娘の方は殺す考は最初は有りませんでしたが、目を覺したので殺す心算になったのであります」と供述したのに關聯して、被告人は第一審第一回公判調書によると「係官がそうだろうと申すので到々そうだとは申して置いたのではありましたが、実は左様ではないのであり、本日申上げましたことが間違いないのであります」と述べ、控訴審第一回公判調書には「その時は警察に叱られたので左様に殺す心算で毆ったと申上げましたが実は殺す氣がなかったのであります」と述べて、司法警察官の聽取の際に殺意を自認したのは強制によったものであると主張している。

被告人が裁判所で、司法警察官なり檢察官なりの聽取の際に、強要されたと主張するとすれば、理論上は一見主張する側に擧證の責があるように思はれるけれども、実は公訴機關が右聽取書を證據として提出する以上は、(彈劾制度の建前からいえば左様に考えるべきものである。)強制が加はっていない供述だけを證據として提出すべき義務があるものであるから、公訴機關側に強制が加はっていないことの擧證の責があるというべきである。而てこれは刑訴應急措置法第十條がある以上、事実審理にあたる裁判官の看過してはならぬことである。こう考えると、第一審第一回公判で、被告人が司法警察官に聽取の際強要されたと主張する以上、裁判所は檢察官側に對して右聽取書に強制が加はっていないことを立證させ強制の事実を取調べた上でなければ、被告人の供述を證據にとれないものというべきである。即ち被告人乃至辯護人が本件警察官を證人としてその喚問を申請しなくとも、裁判所は職權を以てその事実を取調べて、被告人の主張する強制があったとしても、經驗則上その強制が憲法第三十八條刑訴應急措置法第十條にいう強制かどうかを判斷した上で證據にとるべきものである。第一審で右の手續をとらなかったとすれば、控訴審第一回公判でも、被告人は右強制の事実を主張したのであるから、同様の手續をとるべかりしものである。かゝる證據法の手續を確立しない以上は、憲法第三十八條の国民の特權はいつまでたっても尊重されないことになるのである。或はかような手續を確立せしめると、狡猾な被告人は、絶えず裁判所で強制の事実を口実にして、犯意を否認するであろうし又その違憲性を口実に上告理由とするであろうと言はれるかもしれないが、事実審でかゝる手續をとることが、犯罪捜索の機關が不當に人權をじうりんしないことにもなり、他面事実審理の裁判所としても、国民の特權を尊重する以上は、一應は強制の事実を取調べて證據法の手續の確立を期すべきであろう。又上告審としては、自白の任意性についての判斷は、事実に關する判斷であるから、事実審裁判所のした判斷が經驗則に反することが顕著でなくては、法律問題として取扱う要のないものといえるから、かゝる證據に關する手續を事実審が実行する以上は、かような問題が上告の理由になることも稀な場合であらうと思はれる。

本事案について見ると、被告人が司法警察官に取調の際叱られた位では強要ではないと言えるかもしれないが、事実審で、被告人の司法警察官に對する供述の任意性について事実を取調べた上で、判決の理由中に強制の有無について判斷を下すことが必要であって、この點で憲法第三十八條、刑訴應急措置法第十條が特に強制による自白の證據能力を排斥しているにもかゝはらず、而て本件被告人の抗辯にもかかはらず、強制の有無について何等取調を行った形跡がないのは、憲法第三十一條にいわゆる法律の定める手續によらなかった違法があるというべきである。以上の理由で原判決は破毀を免れないものと考える。

よって裁判所法第十條但書第一號刑事訴訟法第四百四十六條に從い主文のとおり判決する。

この判決は裁判官栗山茂を除く裁判官全員の一致した意見である。

(裁判長裁判官 塚崎直義 裁判官 長谷川太一郎 裁判官 沢田竹治郎 裁判官 霜山精一 裁判官 栗山茂 裁判官 真野毅 裁判官 小谷勝重 裁判官 島 保 裁判官 齋藤悠輔 裁判官 藤田八郎 裁判官 岩松三郎 裁判官 河村又介)

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