最高裁判所大法廷 昭和23年(れ)146号 判決 1949年2月09日
主文
本件上告を棄却する。
理由
辯護人花井忠の上告趣意第一點について。
原判決は被告人に對する司法警察官の昭和二一年七月一四日附第二回聽取書中同人の供述記載を證據として採用しているが、記録によると、被告人は右聽取書記載の如く警察において本件犯行を自白しているだけで、その後は絶對にこれを否認しているのみならず第一審に至って、警察における自白が強制、拷問によるものであることを主張し、原審においても論旨摘録の如き供述をして同一の主張をくり返えしていることが明かである。よって、この點につき記録を調査すると、被告人の警察における自白が強制拷問等によるものであるや否やの問題については、豫審も第一審も原審も愼重な考慮を拂い、十分な注意をもって審理にあたり相當の證據調をしていることが記録上窺えるのである。即ち予審においては、警察監房における同房者猿渡昇及び被告人の取調に當った警察官藤本正一、高松重廣を證人として尋問し、第一審においても右警察官両名を證人として尋問しており、原審においても右警察官両名及び被告人の取調に立會った巡査部長本田正人を尋問しているのである。そしてその證據調の結果によると、右の警察官はいづれも被告人の自白が強制拷問等によるものでないことを詳細に證言しているのであって、原審はこれ等の證據によって被告人の主張を排斥し被告人の警察における自白を證據として採用するに至ったものであることは判文上明かである。而して記録を精査するも原審の右判斷を覆えし被告人の自白が強制拷問等によるものであることを肯定しなければならない資料は存在しないのである。然らば原判決は強制拷問等による自白を證據に供した違法があるということはできないのであるからこの點に關する論旨は理由がない。次に前記の如く被告人は警察で自白しているだけでその後は犯行を否認し續けているのであるが被告人の犯罪事実を認める供述と否認する供述とがある場合にその何れを採るかは、裁判官の自由心證に委ねられているところである。そして原審は被告人の自由が真実に合するものであるかどうかについて十分な注意をもって審理に當ったことは記録上認められるところであり、その結果被告人の公判廷における供述を排斥し警察における自白を採用するに至ったものと認めるを相當とし證據の採否について一々その理由を判示する必要はないのであるから、原判決には何等所論の如き審理不盡理由不備の違法はない。この點に關する論旨も理由なきものである。
同第二點について。
原判決は木村覺に對する司法警察官の昭和二一年八月五日附聽取書中の同人の供述記載を證據として採用しているのであるが、原審公判調書によると原審は職權をもって同人を證人として尋問し、同人は論旨摘録の如き供述をしていることは明らかであって、それによると同人の警察における供述が強要によるものであることを疑わせるものであるが、同人は警察で拷問を受けたことはないと明かに供述しており、なお取調に當った警察官は木村覺に對して無理な取調をしていないと述べているのである。ところで證人の警察における供述が強要によるものであるという證據と、それを否定する證據がある場合にその何れを採るか、又證人の警察における供述が公判廷における供述と相反する場合にその何れを採るかは一に裁判官の自由心證に委ねられているのである。公判廷の供述であるからと云って必ずこれを採用しなければならないという法則はないのである。然らば原審が前記證人木村覺の公判廷の供述を採用せずして、警察における供述記載を採用したからといって、何等所論の如き違法があるということはできない。論旨は理由がない。(その他の判決理由は省略する。)
よって、刑事訴訟法施行法第二條舊刑事訴訟法第四四六條により、主文の如く判決する。
この判決は裁判官全員一致の意見である。
(裁判長裁判官 塚崎直義 裁判官 長谷川太一郎 裁判官 沢田竹治郎 裁判官 霜山精一 裁判官 井上 登 裁判官 栗山 茂 裁判官 真野 毅 裁判官 小谷勝重 裁判官 島 保 裁判官 齋藤悠輔 裁判官 藤田八郎 裁判官 岩松三郎 裁判官 河村又介)