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最高裁判所大法廷 昭和23年(れ)188号 判決 1948年7月08日

主文

本件上告を棄却する。

理由

辯護人鍛冶利一再上告趣意書第二點について。

しかしながら、大審院は舊憲法と裁判所構成法とに基く構成と組織と性格を有する裁判所であり、最高裁判所は厳肅な歴史的背景の下に日本国憲法と裁判所法とに基く構成と組織と性格を有する裁判所である。共に司法權を行使する機關であり、又わが国における最上級の裁判所であるという關係において、相互の間に幾多の類似點はあるが、両者の生立、構成、組織、權限、職務、使命及び性格が著しく異ることは、敢て多言を要しないところである。從って、憲法及び司法制度の一大變革期にあたり、明治憲法及び裁判所構成法は廢止せられ、代って日本国憲法及び裁判所法は実施せられ、その施行の際廢止となった大審院において從來受理していた一群の訴訟事件をいかに處理するかは問題であるが、所論のごとく當然最高裁判所の開設と共に當裁判所において審理さるべきものと論定し去ることはできない。かかる一群の特殊な事件については、東京高等裁判所において受理したものとみなし、同裁判所は大審院と同一の裁判權を有する旨を規定したからと言って、裁判所法施行令第一條及びその根據とせられた裁判所法施行法第二條は、所論のように憲法第一三條、第一四條に違反するということはあり得ない。大審院は廢止せられ、かかる一群の訴訟事件は最早大審院において審判を受けることができなくなったから、東京高等裁判所において、舊大審院と同様に特に五人の裁判官の構成からなる合議體をもって審判することを規定し、実際の運用において主として從來の大審院判事が引き續きその衝に當ることができるように構想せられたものであって、立法の上で国民の基本的人權は十分に尊重せられている。又かかる特殊性を有する一群の事件は一團として立法上平等に取扱われており、国民は人種、信條、性別、社會的身分又は門地によって毫も差別待遇をうけていない。從って、前記規定は所論のごとく憲法第一三條、第一四條に違反するということはできない。

次に裁判所の裁判權、審級その他の構成は、憲法上原則として法律において定められることとなっており、その内容が公共の福祉に反しない限り有效であることは論をまたぬ。前記規定は前述のごとく公共の福祉に反するものではないから、国民はこれらの規定の定めるところに從って、裁判所において裁判を受ける權利が保障されている。從って、前記規定は所論のごとく憲法第三二條に違反するということを得ない。又前記一群の事件を處理するために東京高等裁判所に五人構成の合議體を置いたが、これは純然たる司法裁判所であって、司法裁判所の外に特別裁判所を設けたものではないから、所論のように憲法第七六條第二項の趣旨に違背するものと言うことはできない。

同第三點について。

まず最初に、本點論旨が、再上告の理由として適法であるか否かの問題について考えてみたい。これは、刑訴應急措置法第一七條に、「高等裁判所が上告審としてした判決に対しては、その判決において法律、命令、規則又は処分が憲法に適合するかしないかについてした判断が不当であることを理由とするときに限り、最高裁判所に更に上告することができる」とある規定のいわゆる「処分」の中に裁判を含むか否かの問題を中心とする。この措置法の規定は、憲法第八一條に、「最高裁判所は、一切の法律、命令、規則又は處分が憲法に適合するかしないかを決定する權限を有する終審裁判所である」と定めた規定から由來し、これと甚だ親密な關連があることは明かである。そしてこの憲法第八一條の規定は、第九八條第一項に「この憲法は、国の最高法規であって、その條規に反する法律、命令、詔勅及び国務に關するその他の行爲の全部又は一部は、その效力を有しない」とある規定と密接な表裏の關係が存することも明白である。さらに、第七六條第三項においては、「すべて裁判官は、その良心に從ひ獨立してその職權を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される」と規定し、又第九九條においては、「天皇又は攝政及び国務大臣、国會議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ」と規定し、裁判所の憲法遵守義務を明かに定めているのである。現今通常一般には、最高裁判所の違憲審査權は、憲法第八一條によって定められていると説かれるが、一層根本的な考方からすれば、よしやかかる規定がなくとも、第九八條の最高法規の規定又は第七六條若しくは第九九條の裁判官の憲法遵守義務の規定から、違憲審査權は十分に抽出され得るのである。米国憲法においては、前記第八一條に該當すべき規定は全然存在しないのであるが、最高法規の規定と裁判官の憲法遵守義務から、一八〇三年のマーベリー對マディソン事件の判決以來幾多の判例をもって違憲審査權は解釋上確立された。日本国憲法第八一條は、米国憲法の解釋として樹立せられた違憲審査權を、明文をもって規定したという點において特徴を有するのである。そしてこの違憲審査權は、近代政治科学における最も特筆大書すべき生産物であると稱されているものであって、この制度の内包する歴史的意義と世紀の使命はまことに深遠であると言わなければならない。憲法第八一條によれば、最高裁判所は、一切の法律、一切の命令、一切の規則又は一切の處分について違憲審査權を有する。裁判は一般的抽象的規範を制定するものではなく、個々の事件について具體的處置をつけるものであるから、その本質は一種の處分であることは言うをまたぬところである。法律、命令、規則又は行政處分の憲法適否性が裁判の過程において終審として最高裁判所において審判されるにかかわらず、裁判の憲法適否性が裁判の過程において終審として最高裁判所において審判されない筈はない。否、一切の抽象的規範は、法律たると命令たると規則たるとを問わず、終審として最高裁判所の違憲審査權に服すると共に、一切の處分は、行政處分たると裁判たるとを問わず、終審として最高裁判所の違憲審査權に服する。すなわち、立法行爲も行政行爲も司法行爲(裁判)も、皆共に裁判の過程においてはピラミッド型において終審として最高裁判所の違憲審査權に服するのである。かく解してこそ、最高裁判所は、初めて憲法裁判所としての性格を完全に発揮することができる。

同條の「處分」は、英譯憲法として発表されているものにおいてはオフィシアル・アクトと表現されている。オフィシアル・アクトとは統治機關の行爲の意味であって行政機關の行政處分も司法機關の裁判行爲も共に含まれている。また同條と密接な表裏の關係にある第九八條第一項においては、「国務に關するその他の行爲」と言っており、行政處分も裁判も共に国務に關する行爲であることは、疑を容れる餘地もないところであらう。その英譯憲法として発表されているものにおいては、アザー・アクト・オブ・ガヴァメントという言葉が用いられているので、これを行政府の行爲と曲解し、これを援引して、憲法第八一條及び刑訴應急措置法第一七條等にいわゆる處分を行政處分に限定し裁判を含まずと説く者がある。けれども、米国憲法並にその流を汲むところでは、ガヴァメントすなわち政府とは国家の統治機關の意味であって国會も内閣も裁判所もその中に包含されていることを特に注視せねばならぬ。憲法前文中における「政府の行爲」という用語も、この意義に解すべきものである。されば、アクト・オブ・ガヴァメントの中には、行政府の行政處分も裁判所の裁判も共に含まれている。ところで、なお一つの有力な異説が考えられる。それは、憲法は、一方において三權分立の原理に從って第七六條で「すべて司法權は、最高裁判所及び法律の定めるところにより設置する下級裁判所に屬する」旨を定めると共に、他方においていわゆる抑制均衡の制度として第八一條で違憲審査權を裁判所の權限に分配したものであるから、裁判の憲法適否の審査は、固有の司法權の領域において上級審下級審の關係に基いて行われ、抑制均衡のための憲法適否の審査は、性質上立法及び行政行爲のみについて行われると説くのである。從って、この説によれば第八一條の處分は、行政處分に限られ、裁判を含まないとせられる。これは、憲法の解釋論としては一應よく筋のとおった傾聽すべき議論である。しかしながら、裁判の違憲審査權は、普通の上級審下級審の關係でのみ行われるものとすれば、法律が審級制を定めるに當り、例えば現行裁判所法のように、簡易裁判所を起點とする三審制と地方裁判所を起點とする三審制を二元的に設けている場合においては、前系統の三審制の過程における裁判の違憲審査は、終に最高裁判所の權限に屬しない結果となる。かかる結果は、到底容認すべからざるところであって、この説の缺陥と誤謬を露呈することになるのである。憲法制定の際の第八一條原案によれば、第一項においては「最高裁判所は、終審裁判所である」と規定し、第二項においては「最高裁判所は、一切の法律、命令、規則又は處分が憲法に適合するかしないかを決定する權限を有する」と規定してあったのを、衆議院において修正し第二項の末尾に第一項を合體せしめ、現行第八一條が制定せられた。かくて、最高裁判所は、違憲審査については、常に最終審として關與する趣旨が一層明確に認められたのである。すなわち、最高裁判所の憲法上における事物の管轄權が宣明せられ、憲法裁判所である性格が確立せられたのである。これは、憲法上における不動の原理であると言わなければならない。

さて、刑訴應急措置法第一七條第一項において「高等裁判所が上告審としてした判決に対しては、その判決において法律、命令、規則又は処分が憲法に適合するかしないかについてした判断が不当であることを理由とするときに限り、最高裁判所に上告することができる」と規定したのは、前記憲法第八一條の原理に從って再上告の道を確認したに過ぎないのである。すなわち、高等裁判所が上告審としてした判決に對しては單なる審級制からすれば、最早再上告を許す必要はないのであるが、違憲審査制からすれば、憲法適否を理由とする限り、最高裁判所に再上告を許す必要があるのでこれを確認して明定したまでのことである。言いかえれば、措置法の規定によって初めて再上告が許されたものではなく、憲法適否の審査は憲法第八一條によって終審として最高裁判所の權限に屬するという原理を再確認して再上告を定めたものである。されば、前記措置法第一七條にいわゆる處分の中に裁判を含むことは、憲法第八一條の場合と同様である。

次に又、前記措置法第一七條の適用に關し、判決において憲法違反の判斷をする場合には、その判斷は積極的に表明せられることを要するは性質上當然であるが、これに反し憲法適合の判斷をする場合には、その判斷は必ずしも常に積極的に表明せられることを要せず、特に判決において憲法違反を表明していないときは、すべて憲法適合の判斷を含蓄しているものと解することが、相當であり、且つ憲法第八一條の精神によく合致するものと言わなければならない。從って、再上告は、憲法適否を理由とする限り、適法であると解すべきものである。

さて、本件再上告趣意第三點は、憲法適否を理由として主張しているから一應再上告の訴訟要件を具備し適法なもののごとくである。しかし本件は、公開の公平な裁判所において、合憲的な刑事訴訟の手續に從い、十分被告人の辯明を聽いて、審理せられ、刑罰を科せられたものであることは、一件記録に徴し明かである。それ故憲法第三一條違反を理由とする論旨は當らない。事実審である第二審判決の事実認定乃至證據の採否に、たとえ所論のような瑕疵があったとしても、それは單に刑事訴訟法の手續違背の問題であって、憲法違反の問題ではあり得ない。從って、これを再上告の理由として認めることはできないのである。

裁判官齋藤悠輔の本件に對する意見は次のとおりである。

憲法第九八條第一項は「この憲法は、国の最高法規であって、その條規に反する法律、命令、詔勅及び国務に關するその他の行爲の全部又は一部は、その效力を有しない。」と規定し、同第九九條は「天皇又は攝政及び国務大臣、国會議員、裁判官其の他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。」と規定している。從って獨り裁判官のみに限らず、一切の立法、行政、司法の公務員は、国務に關する行爲をなすに當り、自ら内省反省して自己批判を行い、その行爲が憲法に適合するかしないかを決定し、憲法に適合するように行動すべき職務と權限とを有するものである。それ故、その公務員の行爲を是正する權限を有する上級者あるときは、その最上級の者において最終の違憲審査決定權を有するを當然とする。而して我憲法は立法、行政、司法の三權を分立し、各別異の機關をしてこれを分擔せしめ、その間互に獨立して相侵犯することを許さない建前であるから、特別の規定を設けない限り、各機關の右違憲審査權を夫々獨立して互に他の批判を許さない性質のものである。こゝにおいて憲法第八一條は「最高裁判所は、一切の法律、命令、規則又は處分が憲法に適合するかしないかを決定する權限を有する終審裁判所である。」と規定して、その立法並びに行政行爲に對する違憲審査決定權を、最高裁判所を終審とする司法裁判所に與え、司法裁判所にその優位を認めたのである。それ故同條にいわゆる處分には司法裁判所の行爲たる裁判はその性質上包含されないものと解すべきである。蓋し、處分とは抽象的權限の具體的実行を意味するものであるから裁判もその概念の範圍に屬しないとはいゝ得ないとしても、審査決定權の主體的行動はその審査の客體たる行爲から當然除外さるべきであるからである。何となれば他を見、他を聞く者は己れを見、己れを聞かないものであり、他人の行爲を批判する右規定に自己の行爲を包含せしむるの道理ないからである。自己の行爲たる裁判に對しては、自己固有の領域における異議、上訴又は非常上訴等の方法を以て内省、反省、是正するのが當然であって、右のような他判の憲法規定を設くるの必要はない。

然るに我裁判所法並びに刑事訴訟法は刑事裁判について三級審又は二級審の制度を採り、しかも最高裁判所を終審とするものと、高等裁判所を終審とするものとを認めているから、若し後者の手續過程中右憲法第八一條所定の違憲問題が起った場合には、その問題が最高裁判所において取扱はれない結果を來す虞れがある。それ故、かゝる虞れある場合には、同條にいわゆる終審裁判所である最高裁判所の最終決定を受けしめる方法を講ずる必要がある。この必要その他を充すため憲法の施行に伴う刑訴應急措置法は、その第一、二條の規定(特に「裁判所法……制定の趣旨に適合するように」参照)の外、更に、一方においては、その第一五條に「高等裁判所が上告裁判所である場合に、最高裁判所の定める事由があるときは、決定で事件を最高裁判所に移送しなければならない。」と規定して、豫め、例えば、裁判所法第一〇條第一、二號すなわち、一、當事者の主張に基いて、法律、命令、規則又は處分が憲法に適合するかしないかを判斷するとき、二、前號の場合を除いて、法律、命令、規則又は處分が憲法に適合しないと認めるとき、その他最高裁判所が相當と認める事由ある場合には、高等裁判所の判斷を省略して直ちに最高裁判所をして終審としてこれらの問題を判斷せしむることを得せしめ、また、他方においては、その第一七條第一項において「高等裁判所が上告審としてした判決に対しては、その判決において法律、命令、規則又は処分が憲法に適合するかしないかについてした判断が不当であることを理由とするときに限り、最高裁判所に更に上告することができる」と規定して、特に、第四級又は第三級審として、最高裁判所に對する再上告の道を開いたのである。

それ故、この第一七條第一項の規定にいわゆる「処分」中には裁判を包含しないものと解すべきこと前記憲法第八一條の場合と異なるものではなく、また、その「判断」とは右裁判所法第一〇條第一、二號制定の趣旨と同じく、當事者の主張に基く明示又は黙示の判斷若しくは裁判所の職權発動に基く否定的な判斷(すなわち適合しないと認めたとき)と解すべきであり、更に、原上告判決においてかゝる判斷の存すること及びその判斷の不當であることを再上告の理由とすることは共に再上告の厳格な適法要件であると解すべきである。若し憲法第八一條の處分中に裁判を包含せしめるときは本來の刑事訴訟の外更に裁判を物體とする訴訟並びに裁判の執行を停止する假處分申請のようなものゝ續発を認容せねばなるまい。また、右の適法要件を認めないならば、徒に濫訴を招來し、審級制度は、動揺破壊を免れないであらう。法乃至裁判の安定確立も、亦た、国民の權利と公共の福祉とを保障する憲法の精神であらねばならぬ。されば、若し裁判就中裁判所の個々の訴訟行爲に對する違憲問題を必ず最高裁判所をして取扱はしめるを相當とするならば、前記措置法第一五條にいわゆる「最高裁判所の定める事由」中に最高裁判所自らが規定すれば足るのであって、濫りに、再上告の適法要件を抹殺し去るの要はない。

然るに、多數説の理由は、次に諸點において根本的の誤謬と缺陥と弱點とを包藏し、到底賛同し得ない。

(1) 憲法第九九條は、すべての公務員が、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふと規定しているのに、獨り裁判官のみが憲法遵守の義務あるもののごとく主張し、また、憲法第七六條第三項は裁判官は、たゞ良心に從ひ獨立してその職務を行う積極的使命あることを規定したもので、この場合、憲法の外更に法律は、單にその消極的拘束條件たるに過ぎないのに、この規定から故ら法律を除外して、單に憲法のみの積極的遵守義務を抽出し、これらの規定と憲法第九八條とにより當然違憲審査權を肯定するのは、その前提において、既に甚だしい強辯たるを免れないこと。

(2) 明文のない米国における判例を引用して右(1)の理由により憲法第八一條は必ずしもこれあるを要せずと説き、しかも同條は最高裁判所のみの權限を規定したものではなく、一切の下級裁判所も等しく違憲審査權を有するものと解すべきであるのに、獨り、最高裁判所のみを憲法裁判所の性格を有するものとしてその權限を奇怪なピラミッド型に擴張すること。

(3) 元來、裁判の本質である(イ)事実の判斷すなわち認定行爲(ロ)法令の解釋行爲(ハ)法令と事実との該當性の判斷すなわち適用行爲がいずれも「處分」と言い得るか甚だ疑問であり、また、それが當面の問題であるにもかかわらず、殆んどその理由を語ることなく、單に當然自明として肯定し、しかも、飜譯英語の文字解釋においてのみしきりに多辯なること。

(4) 「處分」に當然「裁判」を含む理由の説明に當り、いわゆる法令すなわち抽象的規範の違憲審査權と問題の處分の違憲審査權とを同一に取り扱い、一切の法令審査權あるの故を以て當然一切の處分のそれを持つべきであるとすること、從って刑事の訴訟手續の過程において第一、二審裁判所は法令の違憲審査權を有するのに何故に裁判すなわち論者の處分のそれを有しないかを説明し得ないこと。

(5) 司法固有の領域における上訴手續においては、能う限り再上告を避けるため、刑訴應急措置法第一五條の規定を設け、高等裁判所が上告審である場合でも、その判斷を省略して、最高裁判所が、直ちに、上告審として審判し得る道あるにもかかわらずこの規定を看過し、更に通常の上告の外、特に、非常上告の制度あるを忘れ、却て、裁判は處分に含まれないとする説の缺陥と誤謬とを露呈するものと非難すること。

(6) 同法第一七條の明文あるにかかわらず、多くその理由を示さずに再上告は同規定によって初めて許されたものではなく、憲法第八一條の原理の再確認に過ぎないと獨斷すること。

(7) かくて突如として再上告の適法要件を不必要として抹殺し從って濫訴を獎勵する結果を來すこと。

果たして、然らば、本件再上告論旨第一點は、原上告判決の判斷が法律、命令、規則又は處分に關しない點で、同第二、第三點はともに原上告判決に法定の判斷の存しない點でいずれも再上告適法の要件を具備しない失當がある。從って本件再上告は既にこの點で不適法として棄却すべきである。

しかのみならず、本論旨第一點で攻撃している原上告判決の判斷は正當であるから、この論旨はその點でも理由なきものと考える。蓋し、上告は法令違反を理由とするときに限り許さるべきであり、その法令違反を定める標準時期は、第二審判決に對する上告の場合には、原則として、その判決をした時である。たゞ、刑訴第四一五條は「判決アリタル後刑ノ廢止若ハ變更又ハ大赦アリタルトキハ之ヲ上告ノ理由ト為スコトヲ得」と規定して、特に、その例外を認めているに過ぎない。それ故本件第二審判決をなした時に適法であった證據の採用行爲がその後における憲法規定の改正に伴ひ違法となる理由はない。これを違法視するのはいわゆる不能を強いるものであり、何人も実行の時に適法であった行爲については刑事上の責任を問はないものとした憲法の精神にも反する。しかも、所論の憲法規定は刑の廢止若しくは變更又は大赦に該當しないこと言うまでもないから所論は上告適法の理由とならないものである。(その他の判決理由は省略する。)

よって刑訴第四四六條に從い主文の通り判決する。

この判決は反對意見者を除く他の裁判官全員の一致した意見である。

(裁判長裁判官 三淵忠彦 裁判官 塚崎直義 裁判官 長谷川太一郎 裁判官 沢田竹治郎 裁判官 霜山精一 裁判官 井上登 裁判官 栗山茂 裁判官 真野毅 裁判官 庄野理一 裁判官 小谷勝重 裁判官 島 保 裁判官 齋藤悠輔 裁判官 藤田八郎 裁判官 岩松三郎)

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