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最高裁判所大法廷 昭和25年(あ)1596号 判決 1953年6月10日

主文

本件上告を棄却する。

当審における訴訟費用は被告人の負担とする。

理由

弁護人岩城重男の上告趣意について。

第一点は本件記録を精査するも刑訴四〇五条に該当する上告理由はないというに過ぎず又第二点の所論(一)(二)及び(三)は原審で主張判断がない事項について訴訟法違背の主張をするに帰する。何れも刑訴四〇五条の上告理由にあたらない。のみならず刑訴四一一条を適用すべきものとも認められない。

同(四)に対する判断は次の通りである。

被告人は昭和二四年五月二四日東京地方裁判所で賍物故買により懲役一〇月(三年間執行猶予)及び罰金一万円に処せられ右判決は確定した。被告人の本件賍物故買は前記確定判決よりも前である昭和二三年一一月四、五日頃に犯したものであることは第一審判決の確定したところであるから、この二つの罪は刑法四五条後段の併合罪の関係に立つこと明である。かような併合罪である数罪が前後して起訴されて裁判されるために、前の判決では刑の執行猶予が言渡されていて而して後の裁判において同じく犯人に刑の執行を猶予すべき情状があるにもかかわらず、後の判決では法律上絶対に刑の執行猶予を付することができないという解釈に従うものとすれば、この二つの罪が同時に審判されていたならば一括して執行猶予が言渡されたであろう場合に比し著しく均衡を失し結局執行猶予の制度の本旨に副わないことになるものと言わなければならない。それ故かかる不合理な結果を生ずる場合に限り刑法二五条一号の「刑ニ処セラレタル」とは実刑を言渡された場合を指すものと解するを相当とする。従て本件のように或罪の判決確定前に犯してそれと併合罪の関係に立つ罪についても犯人の情状次第によってその刑の執行を猶予することができるものと解すべきである。それ故かかる場合においては刑法二六条二号にいう「刑ニ処セラレタル」という文句も右と同様に解し後の裁判において刑の執行猶予が言渡された場合には、前の裁判で言渡された刑の執行猶予は取消されることがないものと解するのが相当であると言わなければならない。

以上の観点から原判決を見ると、原判決が「本件につき原審裁判言渡当時は勿論現在も尚猶予期間中であり被告人に対しては更に刑の執行を猶予すべき法定の要件を欠く」と判示したのは執行猶予の要件に関する法令の解釈を誤った法令違反があるものと断ぜざるをえないのである。

しかし当裁判所において本件記録を精査すると原判決には前示法令違反あるにかかわらず上告人に対する刑の量定は必ずしも甚しく不当ではなく原判決を破棄しなければ著しく正義に反するものとは認めることができないから本件上告は刑訴四一一条を適用すべき場合には当らないものと言わなければならない。

よって刑訴四〇八条同一八一条により主文のとおり判決する。

この裁判は裁判官真野毅の意見及び上告趣意(四)に関する裁判官斎藤悠輔の反対意見を除き裁判官全員一致の意見である。

裁判官真野毅の意見は次のとおりである。

多数意見が、刑法二五条一号についてなした法律解釈、及び原判決の判示は執行猶予の要件に関する法令の解釈を誤ったものと判断した点には、わたくしも賛成である。新旧刑訴法の過渡期に際し旧件と新件とを別に審判するに至った経過事情を除くも、刑法の一部改正によって連続犯の規定が廃止されたと共に、新刑事訴訟法の施行によって、捜査が制限された当然の結果として、従前連続犯の一罪として一つの判決で一挙に処断されたものが併合罪数罪として処断されることになり、且つ従来の併合罪に当る数罪が、数個の判決によって処理されることが多くなった。これら法制の変革による現行併合罪の処理の実情に照らし、被告人の基本的人権を実情に即して合理的に擁護するために、刑法二五条一号に関する従来の解釈を多数意見のように改めることは、必要でありかつ妥当でもある。

ただわたくしは、多数意見が原判決の判示の違法を認めながら、量刑の不当につき刑訴四一一条を適用せず上告を棄却した結論には賛同することを得ない。(一)被告人は、昭和二四年五月二四日東京地方裁判所で、賍物故買罪により懲役十月執行猶予三年及び罰金一万円に処せられ、右判決は当時確定した。その犯行は三万四千円で賍物を故買したというのである。(二)本件では第一審で被告人は、懲役六月及び罰金壱千円に処せられた。その犯行は賍物である革製ボストンバッグ一個を二千円で故買したというのである。かような事情の下においては、多数意見のいわゆる『この二つの罪が同時に審判されていたならば、一括して執行猶予が言渡されたであろう場合』に極めてピッタリと該当するものと、わたくしは考える。それ故、本件では、刑訴四一一条を適用して原判決を破棄し、執行猶予を言渡すのを相当とする。

なお、多数意見の刑法二六条一項二号に関する解釈の部分には賛同しない。なぜならば、わたくしは同号の規定は憲法三九条に違反し無効だと信ずるからである。(わたくしの刑法二六条一項各号に関する見解は、昭和二六年(し)第四七号池田郁能事件大法廷決定中に少数意見として述べるところによる)。

弁護人岩城重男の上告趣意(四)についての裁判官斎藤悠輔の反対意見は次のとおりである。

刑の執行猶予の条件の一つである被告人の過去の経歴に関する刑法二五条一号にいわゆる「前ニ禁錮以上ノ刑ニ処セラレタルコトナキ者」とは、現に審判すべき犯罪につき刑の言渡をする際にその以前に他の罪につき確定判決に因り禁錮以上の刑に処せられたことのない者を指すものであって、既に処せられた刑の執行を受け又は執行の免除を受けたと否とを問わず、また、その刑に処せられた罪が現に審判すべき犯罪の前に犯されたと後に犯されたとを問わないものであることは、同号と同条二号並びに同法二六条各号就中その二号とを対照比較することによって明白である。けだし、わが国の刑の執行猶予の制度は、刑の言渡を受けたことのない初犯者又はこれに準ずべき比較的軽微な犯人に対し、言渡した刑罰を執行せずに、単に条件附に刑罰を宣告することによって、その自新を促す例外的な恩典であるから、被告人の過去の経歴において前に一度禁錮以上の刑の宣告を受けた以上は、その罪が現に審判すべき犯罪の前に犯されたると後に犯されたるとを問わず、また、その宣告を受けた刑の執行を受けたと否とを問わず、更らに、執行猶予を与えるを適当でないとした立法趣旨と解すべきであるからである。そして、犯人が数罪を犯した場合に、その各罪の発覚は、必ずしも同時ではなく、むしろ、その間に遅速あるを普通とし、従って各罪につきその起訴の時期を異にし、或いは審判すべき裁判所を異にし或いはその審級を異にすることあるを免れないものであって、そのことは刑法四五条、五〇条、五一条等においても予想するところである。ことに、実体刑法上いわゆる連続犯が廃止され、また、手続法上いわゆる起訴状一本主義、迅速な公開裁判主義、被告人の黙秘権等を認めている現行法制の下では、裁判所は同種の犯罪であっても起訴に係る犯罪のみについて審判すべく、起訴なき余罪に亘って審判することの許されないことは当然であるから、後に犯した同種の犯罪が前に発覚して起訴されこれにつき既に他の裁判所において執行猶予の言渡を受けるがごとき事態も固より当然予想されるのであって、多数説のいうがごとく数罪が同時に審判され一括して執行猶予を言渡されたであろう場合のごときは寧ろ現行刑訴法上の実際において例外であるといわなければならない。(本件犯行時は、昭和二三年一一月四、五日頃で、その起訴は、同二四年六月一六日である。また、前科の犯行時は、昭和二三年一二月二〇日であるがその起訴は、昭和二四年三月三〇日で、その判決言渡は、同年五月二四日でその当時その判決は確定したものであるから、前科の事件は、本件犯行の起訴前既に確定したものである。従って、本件は、前科の事件前に犯された同種の犯罪に係るものではあるが、多数説の考えるように訴訟法上同時に審判することは、絶対に不可能であるこというまでもない。)従って、かかる例外の場合だけを予想して、刑法二五条一号又は同二六条二号の「刑ニ処セラレタル者」という法文を刑の執行猶予をしない実刑を受けた者と解するがごとき微視的な恣意的解釈論には賛同できない。

(裁判長裁判官 田中耕太郎 裁判官 霜山精一 裁判官 井上 登 裁判官 栗山 茂 裁判官 真野 毅 裁判官 小谷勝重 裁判官 島 保 裁判官 斎藤悠輔 裁判官 藤田八郎 裁判官 岩松三郎 裁判官 河村又介 裁判官 谷村唯一郎 裁判官 小林俊三 裁判官 本村善太郎 裁判官 入江俊郎)

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