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最高裁判所大法廷 昭和26年(し)47号 決定 1953年6月10日

主文

本件特別抗告を棄却する。

理由

弁護人中野峯夫の特別抗告理由について。

本件に適用される旧刑訴三七四条二項の規定によれば、検察官から刑の執行猶予の言渡の取消請求があった場合には、裁判所は、被告人又はその代理人の意見を聴き決定を為すべきものであって、決定を為すには、国選弁護人を選任したり、口頭弁論に基いたりする必要のないものであることは論を俟たない。そして、本件では、東京簡易裁判所が本件取消請求につき被告人本人の意見を聴いたこと、また、被告人の弁護人を選任するのに機会を与えなかったり又はこれを妨げたような事実のないこと、すべて、原決定の説示するとおりであるから、所論第一点は、その前提を欠くし、所論第二点に対する原決定の判断は正当であって、いずれも採用することはできない。

次に、所論第三点、第四点は、本件のような刑訴応急措置法一八条による特別抗告にも刑訴四〇五条二号若しくは三号又は同四一一条一号を準用すべきことを前提とするものである。しかし、右一八条の特別抗告は、原決定において、法律等が憲法に適合するかしないかについてした判断が不当であることを理由とするときに限り、特に、これを為しうるに過ぎないものであって、所論の場合は、これに当らないこと明白であるから、これまた採用できない。

よって、刑訴施行法二条、旧刑訴四六六条一項に則り、主文のとおり決定する。

この決定は裁判官真野毅の意見、及び弁護人中野峯夫の抗告理由第三に対する裁判官小林俊三の少数意見を除く裁判官全員一致の意見によるものである。

裁判官真野毅の意見は、次のとおりである。

憲法三九条は、『何人も、……既に無罪とされた行為については、刑事上の責任を問はれない。又、同一の犯罪について、重ねて刑事上の責任を問はれない。』と定めている。これは、一時不再理の原則ともいわれ、あるいは二重危険におかれない原則ともいわれるものである。その意義は、何人も刑事被告人として、一とたび犯罪について、実体的の裁判を受け、その裁判が確定してしまった暁においては、同一の犯罪については、その後、自己の不利益において、再び二重の危険にさらされて、重ねて刑事責任を問われる審判を受けることは、絶対にないことを憲法上保障したものである。別の言葉でいえば、基本的人権を擁護するために、刑事事件では、一事件は、有罪であろうと無罪であろうと、一審判・一危険で済ましてしまい、再審判・二重危険におかないという憲法上の鉄則を宣明したものである。したがって、この鉄則に反する法律規定は、違憲無効となるわけである。

そこで、憲法が施行されるようになって、この鉄則と調和せしめるがために、従来旧憲法時代から存在していた二つの法律規定が、削除されることとなった。その一つは、刑事被告人の不利益のためにする再審の請求の規定の削除であり、他の一つは、裁判確定後再犯者であることを発見した場合に刑を加重する規定の削除であった。(一)旧刑訴四八六条は、(い)『有罪ノ言渡ヲ為スベキ事件ニ付、無罪若ハ免訴ノ言渡ヲ為シタル確定判決』、(ろ)『刑ノ言渡ヲ為スベキ事件ニ付、刑ノ免除ノ言渡ヲ為シタル確定判決』、(は)『不法ニ公訴ヲ棄却シタル確定判決』に対しても、法定の事由があるときは、検事に再審の請求をすることを許していた。すなわち、旧刑訴法の下においては、被告人の利益のためにばかりではなく、被告人の不利益のためにも、確定判決に対する再審の請求の道が開かれていた。これは、法律的正義の観点からすれば、いやしくも確定判決に法律上是正すべき瑕疵がある場合には、被告人の利益のためにすると不利益のためにするとを問わず、ひとしく再審によってこれを是正するが当然であるとの立場に立った規定である。しかしながら、憲法は、形式的に法律的正義を遵守する観点に立つよりは、実質的に基本的人権を擁護する見地に立って、前に述べたように被告人の不利益のためには、確定判決の後に、前と同一の犯罪について、再び重ねて審判をうけることのないように鉄則を定めたのである。それ故に、昭和二三年七月一日公布された新刑訴法では、この憲法の鉄則に従って、被告人の不利益のために、確定判決に対し再審の請求をする道を塞いでしまった。言いかえれば、新刑訴法においては、旧刑訴四八六条の内容を削除し、これに代る何等の規定を設けなかったのである。これは、憲法を遵守する上からは、当然な法律的措置と言わなければならぬ。次に、(二)旧憲法時代の刑法五八条は、『裁判確定後、再犯者タルコトヲ発見シタルトキハ、前条ノ規定ニ従ヒ、加重スベキ刑ヲ定ム』と規定していた。これによって、一旦裁判が確定した後においても、被告人が再犯者であることが発見されたときは、刑法再犯加重の規定に従って、確定判決を動かし、刑を加重する道が開かれていた。しかし、昭和二二年一〇月二六日公布された刑法の一部を改正する法律においては、従来の前記刑法五八条は削除されるに至った。この削除もまた、憲法を遵守する上からは、まことに当然な法律的措置であったと言うべきである。

さてそこで、本件に直接の関係を有する、刑の執行猶予の言渡を取消す場合の、要件を定めた刑法二六条について、考えてみたい。

(イ) まず、同条一項三号は、『前条第二号ニ記載シタル者ヲ除ク外、猶予ノ言渡前、他ノ罪ニ付禁錮以上ノ刑ニ処セラレタルコト発覚シタルトキ』は、刑の執行猶予の言渡を取消すべきものと定めている。言いかえれば、執行猶予の判決が確定した後においても、その猶予の言渡前に、他の犯罪について禁錮以上の刑に処せられた事実、すなわち前科が発覚した場合には、確定判決を動かして、執行猶予の言渡を取消すことができる旨を定めたものである。これは、丁度、前に述べた改正前の刑法五八条と甚だよく類似した、まるで瓜二つのような規定である。端的にいえば、刑法五八条では、確定判決後に、前科が発覚すれば、その確定判決を動かして、再犯加重で刑を重くすることを定めたのであり、これに対し、刑法二六条一項三号では、確定判決後に、言渡前の前科が発覚すれば、その確定判決を動かして、執行猶予を取消し実刑を科するに至ることを定めたものである。何れも、確定判決後に、前科の発覚によって、実質的に刑が加重されるに至ることは、全く同様であり、いわば同種同品等であると言うこともできる。元来刑の執行猶予は、刑の執行の方法に関するものであって、厳格には刑そのものではないが、少くともわが国社会の実情において社会法学的に実質的に考察すれば、刑そのものと同一視すべきものであることは、わたくしの古くから主張して来たところである(昭和二二年(れ)二四七号、同二三年一一月一〇日大法廷判決中の少数意見参照、この判決は誤って判例集第一、二巻索引号の末尾に登載されている)。その後大法廷多数意見もまた、第一審の懲役六月執行猶予三年が、第二審において禁錮三月に変更された事件については、執行猶予をとった第二審の刑は不利益変更禁止の原則に反し重くなったとして原判決を破棄するに至った(昭和二六年八月一日大法廷判決、判例集五巻九号一七一七頁)。かように見来れば、前科の発覚によって、改正前の刑法五八条で再犯加重で刑が重くなるのはただ量の差を来たすにすぎないが、刑法二六条一項三号で執行猶予の言渡が取消されるのは実刑をうけるうけぬの質の差を来たすものであって、一般の社会通念からすれば後者の方が前者に比しより大きな苦痛を与えるものであることは言うをまたないところである。すでに、刑法五八条は、前にも述べたように憲法に順応するために削除された。ただ刑法二六条一項三号は、同様に憲法に順応するために同時に削除さるべかりしものが削除されることなしに今日まで不思議に命長らへて来たというよりは、むしろ残骸をさらして来たに過ぎないものである。かかる規定は、一旦なされた確定判決の後において同一の犯罪について、被告人の不利益のために、重ねて刑事上の責任を問い、執行猶予の言渡を取り消すことを定めたものであるからに明らかに憲法三九条に違反するものと言わなければならない。

(ロ) つぎに、同条一項二号は、『猶予ノ言渡前ニ犯シタル他ノ罪ニ付キ、禁錮以上ノ刑ニ処セラレタルトキ』は、執行猶予の言渡を取消すべきものと定めている。言いかえれば、執行猶予の判決が確定した後において、その猶予の言渡前に犯した他の犯罪について、禁錮以上の刑に処せられた場合には、確定判決を動かして、執行猶予の言渡を取消すことができる旨を定めたものである。かかる規定もまた、同条一項三号の場合と同様に、一旦なされた確定判決の後において、同一の犯罪について、被告人の不利益のために、重ねて刑事上の責任を問い、執行猶予の言渡を取り消すことを定めたものであるから、憲法三九条に違反し、効力を有せざるものといわなければならぬ。

(ハ) さらに、同条一項一号は、『猶予ノ期間内更ニ罪ヲ犯シ、禁錮以上ノ刑ニ処セラレタルトキ』は、執行猶予の言渡を取消すべきものと定めている。すなわち、執行猶予の判決が確定した後において、その猶予の期間内に、さらに他の犯罪をおかし、それで禁錮以上の刑に処せられた場合には、執行猶予の言渡を取消すことができる旨を定めたものである。かかる規定もまた、形式の上から見れば前に述べた二つの規定と同様に、一旦なされた確定判決の後において、同一の犯罪について、被告人の不利益のために、重ねて刑事上の責任を問い、執行猶予の言渡を取消することを定めたものであるから、憲法三九条に違反するかの疑いが生ずるのは、当然のことである。しかしながら、実質の上から見れば、前二者とは大いに異るところがある。

法律をもって、裁判官が刑を言渡すと同時に、将来善行を保持することないし将来犯罪を行わぬことを条件として、刑の執行猶予を言渡すことを得る旨を規定することができることは、立法権の作用として当然認められるところである。どこにも憲法違反と認むべきかどはない。しからば、このように裁判官が個々の具体的裁判において、個別的・具体的な条件を定めて執行猶予を言渡す代りに、法律において一般的に、例えば刑法二六条一項一号のように「猶予ノ期間内更ニ罪ヲ犯シ禁錮以上ノ刑ニ処セラレタルトキ」には執行猶予の言渡を取消すべき旨を定め、これを前提とし個々の裁判においては、具体的な条件を定めることなく単に執行猶予の言渡をする旨を規定することも、また立法権の作用として当然認められる。すなわち、この場合には刑法二六条一項一号に定める要件を具備するに至るときは、執行猶予の言渡が取消さるべきことを法定条件として、執行猶予の言渡をするものであるから、この要件を具備するに至ることによって、執行猶予の言渡が取消されるようになるのは、当初から確定判決それ自体の中に当然内容として包括されている法律的効力が実現するものと見るべきであって、一旦成立した確定判決の内容を動かし、一事を再理し、被告人を二重危険におくものと見るべきではない。それ故に、二六条一項一号の規定は、憲法三九条に違反するところはないのである。

そこでさらに、問題となるのは、前記法定条件は無制限に定めることを得るか、あるいはまたかかる法定条件を定めるには一定の限界があるかという問題である。もし、法定条件を無制限に法律で定め得るものとすれば、憲法三九条の保障は苦もなく画餅に帰せしめられて、効果のないものになってしまうおそれがある。従って、前にのべた旧刑訴四八六条または削除された刑法五八条の規定のごときは、到底法定条件として是認することを得ない。刑法二六条一項一号の場合は、判決確定後の被告人の犯罪行為について法定条件を定めるものであるから、違憲ではないが、二六条一項二号及び三号の場合は、判決言渡前の他の犯罪または前科すなわち当該確定判決において審理すべかりし事項について法定条件を定めるものであるから、前記法定条件として是認することはできず、憲法三九条に違反するものと言わなければならぬ。

旧憲法の下においても、一事不再理という原則は刑事訴訟において認められていたことは、多くの人の知るところである。しかし、これは訴訟法という法律上の原則に過ぎないものであって、憲法において定められた原則、すなわち憲法においてこれに反する立法を許さぬことを保障された原則ではなかったのである。それ故、前に述べた旧刑訴四八六条や、削除された刑法五八条や、刑法二六条一項二号や、同条一項三号の規定で、確定判決の内容を動かすことがあっても、等しく法律をもって定められているのであるから、一事不再理の原則に違反するという問題は、全く起る余地がなかったのである。しかしこれに反し、新憲法の下においては、一事不再理の原則・二重危険におかれぬ原則は、単なる法律上の原則から憲法上の原則にまで高められたのであるから、前に挙げた諸規定は、何れもこの憲法の原則に反するものとして違憲無効だと論結しなければならなくなったわけである。

さて、本件において、(一)窃盗罪による懲役一年執行猶予四年の刑は、猶予の言渡前に犯した傷害及び傷害致死罪による懲役二年六月執行猶予五年の刑に処せられたことによって、刑法二六条一項二号により執行猶予の言渡が取消さるべき関係にあった(第一審は検察官の執行猶予取消請求書の記載に反し猶予期間内の犯罪と誤ったがために刑法二六条一項一号を適用したが、それは第二審の認めるごとく猶予の言渡前の犯罪として同項二号を適用すべきものである)。(二)傷害及び傷害致死罪による懲役二年六月執行猶予五年の刑は、猶予の言渡前の前記窃盗罪の前科の発覚によって、刑法二六条一項三号により執行猶予の言渡が取消されたものである。しかるに、刑法二六条一項二号及び三号は、前に述べたように憲法三九条に違反し無効なものであるから、これを適用してすでに確定した判決における執行猶予を取消すべきものとした第一審及び第二審の決定は、いずれも違憲である。それ故、本件においては原決定及び第一審決定を取消し、検察官の執行猶予取消請求を棄却するを相当とする。

裁判官小林俊三の少数意見は次のとおりである。

弁護人中野峯夫の抗告理由第三について。

本件は、原決定及び東京簡易裁判所の二個の執行猶予の言渡取消決定を取消し、検事の二個の執行猶予の言渡取消請求をいずれも棄却すべきものと考える。その理由は次のとおりである。

一、罪刑法定主義の根拠の一つとされる憲法三一条は、刑罰の実体と形式との関係を、手続の面より保障したものと解すべきであって、刑罰の実現は刑罰が法律によって定められ且つそれが法律の適正な手続によって行われなければならない趣旨を明かにしたのである。沿革的に見ればこの原則の成立過程は、封建的専権に対する人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であって、人間の自由について無法を有法に転じ法治国に発展する礎石を築いたものに外ならない。従ってその後法治国体制が次第に発展し、現在の民主国家に見られるような法優位の組織が確立した以上、この原則が当初の意義において規制しなければならないような事実は或はもはや考えられないかも知れない。いいかえれば、すでに現在の法治国組織においては、単に法令の解釈適用の過誤があるだけで、この原則が成立した当初の意義における違反すなわち無法専恣な処罰というようなことは、容易に生ずることを得ないという説もあり得るわけである。しかしながら、罪刑法定主義の原則は、法治国組織が確立したからといって、単に生命なき記念塔として憲法に残っているのではない。憲法の条章は現在より将来に亘り常に活力をもって法治体制の基本たるべき使命を有するのであり、特に人身の自由という前国家的権利を保障する原則を明らかにした憲法三一条のような規定は、なおさらそのように解さなければ意義のない備忘録に過ぎないものとなるであろう。かく考えて来ると、憲法三一条が現在国民に対しもっている意義は、無法より有法を確立したということから当然さらに前進し、法令違反により少くとも無罪が有罪とされ或は自由が拘束に転ずる結果を招来するかぎりにおいては、かかる法令違反は単なる法令違反にとどまらず、とりもなおさず憲法三一条に違反するものであると解するのが相当であると考える。

二、以上のような見地に立って本件を考えて見るに、先ず原決定及び東京簡易裁判所の決定によれば、被告人は昭和二三年四月二〇日に犯した窃盗罪により昭和二四年三月二六日東京地方裁判所八王子支部において懲役一年四年間執行猶予の判決を受け、その後右窃盗罪より一一日前である昭和二三年四月六日に犯した傷害及び傷害致死罪により、昭和二四年九月一三日東京地方裁判所で懲役二年六月五年間執行猶予の判決を受けたのであるが、これに対し東京簡易裁判所は検察官の請求があったため、二個の刑の執行猶予の言渡を取消す決定をしたことが認められる。しかるに当裁判所大法廷の判決によれば、併合罪の関係に立つ数罪が前後して起訴され各別の裁判が行われる場合においては、刑法二五条一号の『前ニ禁錮以上ノ刑ニ処セラレタルコトナキ者」の刑及び同二六条一項二号の「猶予ノ言渡前ニ犯シタル他ノ罪ニ付キ禁錮以上ノ刑ニ処セラレタルトキ」の刑というのは、いずれも実刑の意義に解し、前の裁判において刑の執行猶予が言渡されたときは、後の裁判においても情状により執行猶予を言渡すことができると解すべきであり、また後の裁判において刑の執行猶予が言渡されたときは、前の裁判の刑の執行猶予も取消されることがないと解すべきであるという趣旨の判示をしている(昭和二五年(あ)第一五九六号同二八年六月一〇日判決参照)。これを本件について見るに、二つの罪は明らかに併合罪の関係に立つのであって、相前後して起訴されたため各別の裁判を受けるに至ったのであるが、それにもかかわらず前後いずれの裁判においても刑の執行猶予の言渡があったのであるから、右判例の趣旨に従えばいずれの刑の執行猶予の言渡も取消される理由はないのである。従って東京簡易裁判所がした本件における前後二つの執行猶予の取消決定は、前記大法廷の判例の趣旨に反する法律解釈をした違法があるといわなければならない。かくして本件執行猶予の取消決定が違法であるにかかわらず、その結果として被告人は執行猶予の恩恵による自由の境地から、これを取消されることにより苦役に服することとなり、このことは、明らかに憲法三一条の何人も法律の定める手続によらなければその自由を奪われないという規定に反して被告人の自由を奪うことに帰着するのである。

三、そこで本件抗告理由を調べて見ると、理由の第一において憲法三一条を引用しているが、その論旨は、執行猶予の取消決定をした裁判が公開でなく且つ本人又は代理人の意見を聴かなかったという主張を根拠とするに過ぎないのであって、その理由のないことは多数意見の判示するとおりである。しかし理由の第三においては、前記大法廷の判決の趣旨と同じ法律の解釈を主張し、憲法の具体的条項を挙げてはいないが、結局本件執行猶予の取消決定は、新憲法の精神に反する旨の主張をしている。ところが刑訴応急措置法二条は、「刑事訴訟法は、日本国憲法、裁判所法及び検察庁法の制定の趣旨に適合するようにこれを解釈しなければならない」と定めているから、刑訴の手続については、憲法の精神に従ってこれを解釈適用すべきであることはいうまでもない。従って前に強調した憲法三一条の意義に則るときは、右応急措置法二条による最高裁判所の法律解釈の責務と理由第三の論旨とを合せ考え、理由第三は結局刑訴応急措置法一八条の適法な特別抗告の理由にあたると解するのが相当である。これに反し多数意見のように抗告理由の文字にかかわり、特別抗告としての主張に当らないと一蹴し去るのは、応急措置法二条に定めた法律解釈の責務と、人身の自由に関し憲法三一条のもつ重要な意義とを合せて生ずる大きな比重を無視し、東京簡易裁判所の違法な手続のために被告人が自由を奪われ拘束に移されることを観過するのそしりを免れることはできないと考える。

すなわち本件抗告はその理由があると判断すべきであって、旧刑訴四六六条二項により原決定及び東京簡易裁判所の二個の執行猶予の言渡取消決定を取消すとともに、検事の二個の執行猶予の言渡取消請求をいずれも棄却するのが正しいと信ずる。

(裁判長裁判官 田中耕太郎 裁判官 霜山精一 裁判官 井上 登 裁判官 栗山 茂 裁判官 真野 毅 裁判官 小谷勝重 裁判官 島 保 裁判官 斎藤悠輔 裁判官 藤田八郎 裁判官 岩松三郎 裁判官 河村又介 裁判官 谷村唯一郎 裁判官 小林俊三 裁判官 本村善太郎 裁判官 入江俊郎)

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