大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

最高裁判所大法廷 昭和27年(あ)669号 判決 1953年12月16日

主文

原判決及び第一審判決を破棄する。

被告人を免訴する。

理由

弁護人岡崎一夫、同山内忠吉の上告趣意は末尾添附のとおりである。

裁判官真野毅、同小谷勝重、同島保、同藤田八郎、同谷村唯一郎、同入江俊郎及び裁判官井上登、同河村又介、同小林俊三の意見は、本件は原判決後に刑が廃止されたときにあたるとするにあるから、刑訴四一一条五号、四一三条但書、三三七条二号により主文のとおり判決する。

裁判官栗山茂は無罪の意見であり、裁判官田中耕太郎、同霜山精一、同斎藤悠輔、同本村善太郎は、上告棄却の意見である。

裁判官真野毅、同小谷勝重、同島保、同藤田八郎、同谷村唯一郎、同入江俊郎の意見は次のとおりである。

弁護人岡崎一夫、同山内忠吉の上告趣意第一、二点について。

昭和二五年政令三二五号「占領目的阻害行為処罰令」はわが国の統治権が連合国の管理下にあった当時は、日本国憲法にかかわりなく憲法外において法的効力を有したのであるが、平和条約発効と共に当然失効し、昭和二七年法律八一号により前記政令の効力を維持することは憲法に違反し、同年法律一三七号の規定は、事後立法であって、違憲無効であり、また本件のごとき場合に限時法理論を用いることが憲法上許されないことは、昭和二七年(あ)第二八六八号同二八年七月二二日言渡大法廷判決記載の真野、小谷、島、藤田、谷村、入江六裁判官の意見のとおりである。それ故に、本件については犯罪後の法令により刑が廃止された場合にあたるものとして被告人に対し免訴の言渡をするのを相当とするから、論旨は結局理由があり、本件はその余の上告趣意に対する判断をまたずこの点において原判決を破棄しなければ著しく正義に反するものと認める。

裁判官真野毅の補足意見は次のとおりである。

一 わたくしの意見は、前に掲げられたわたくし外五裁判官の共同意見の中に述べられているが、なおその他に七月二二日言渡された坂上仲夫政令三二五号違反事件(昭和二七年(あ)二八六八号)判決中に述べた補足意見を、全部そのまま本件においても引用する。この補足意見は、主として田中裁判官等の棄却説に対するわたくしの見解を述べたものであったが、本件の補足意見としては、主として井上裁判官等の指令内容説に対するわたくしの見解を述べることによって、われわれの意見に対する理解を深めたいと思うのである。

二 指令内容説においては、『政令三二五号の内容となっている指令といっても、単に連合国又は占領軍の利益のためにのみ発せられたものばかりではなく、わが国の秩序を維持し公共の福祉を増進するために発せられたものも存在する。このような内容をもつ指令は、連合国最高司令官から発せられたというだけの理由で、これを内容とする政令三二五号がわが国の有効な国法となり得ないとはいえない。従って指令の内容において合憲的なるものは平和条約発効後においても、その指令のかぎりにおいてわが国は右政令第三二五号をわが国法として存続させることはその自由とするところである。そこで昭和二七年法律第八一号は、昭和二〇年勅令第五四二号に基く命令は、別に法律で廃止又は存続に関する措置がなされない場合においては、平和条約効力発生の日から一八〇日間に限り、法律として効力を有する旨を規定したのであるから、この中に含まれる政令三二五号もその内容とする指令が合憲なるかぎり、右法律により有効なわが国法として存続することになったのである。』と説いている。

しかし、この説明は、法律的理論構成からいえば、甚だあいまいであるが、その考え方の根本的な誤りと思われる点は、指令の内容と指令で補充される充実刑罰法規の内容とを混同し、両者を同一視している点に伏在している。

政令三二五号は、「占領目的に有害な行為」すなわち指令違反の行為を処罰する空白刑罰法規である。政令三二五号の内容は、かかる一般的、抽象的、形式的な指令違反の行為を処罰することを定めているに過ぎない。だから、個別的、具体的、実質的な各指令でもって、その空白部分が補充されるに従って、充実刑罰法規として実働的な作用が営まれるのである。これを方程式で示せば、次のごとくである。

1) 政令325号=空白刑罰法規の一種

2) 政令325号+指令A =充実刑罰法規A

3) 政令325号+指令B =充実刑罰法規B

すなわち

4) 政令325号の内容+具体的指令の内容=充実刑罰法規の内容 この左右の項を適宜に置き換えてみると、

5) 政令325号の内容=充実刑罰法規の内容-具体的指令の内容

6) 具体的指令の内容=充実刑罰法規の内容-政令325号の内容

7) 充実刑罰法規の内容=政令325号の内容+具体的指令の内容

これで明らかなように、政令三二五号の内容は、指令の内容とは異り、また充実刑罰法規の内容とも異る。この三者は、それぞれ別個の存在であり、指令の内容と充実刑罰法規の内容とは異る存在であるから、これを截然と区別しなければならないものである。なぜならば、前者は、後者から政令三二五号の内容を差引いた残りであり、後者は政令三二五号の内容に前者を加えたものだからである。

法律八一号は、いわゆるポツダム命令に対して法律としての効力を与えた。そして、政令三二五号もまた、ポツダム命令の一種であるから、法律としての効力を与えられた。ここに最も注意を要するとこは、法律八一号によって直接法律としての効力を与えられるものは、政令三二五号の内容であって、これと別箇の存在である指令の内容が、直接法律としての効力を与えられるわけではない。言いかえれば、政令三二五号の条文の一字一句の変更もないがままに、その法的効力だけが従来の政令から法律にまで格上げされると同時に、従来の憲法外の法的効力から憲法内の法律としての効力にまで強化されたのである。政令三二五号に関し法律八一号のもつ直接的な意義は、ただそれだけの至って簡単明瞭なものであるに尽きる。

だが、その政令三二五号が空白刑罰法規であるという特異な性質から、その空白部分が、具体的な特定の指令で現実に補充されて出来上る特定の充実刑罰法規は、常に基本の空白刑罰法規の有する法的効力に追随し、これと同一の法的効力を有する結果となる。すなわち後者が政令であれば、前者も政令としての効力を有し、また後者が法律であれば、前者も法津としての効力を有するに至るが、これは空白刑罰法規の特異性から、間接的に生れて来る当然の結果であるに過ぎない。

従って、法律八一号によって直接に法律化されるものは、政令三二五号そのものであって、指令の内容または充実刑罰法規が直接に法律化されるのではない。

かように、間接的に法律としての効力を有するに至る充実刑罰法規は、政令三二五号という要素と指令という要素の二要素から成り立っているから、特定の充実刑罰法規が果して合憲であるかを検討するに当っては、この二つの要素のおのおのが何れも合憲であることを究めなければならない。これに反し、特定の充実刑罰法規が違憲であるかを検討するに当っては、必ずしもこの二つの要素のおのおのが、何れも違憲であることを究める必要はなく、何れか一方の要素が違憲であることを究めればそれで事足りるのである。なぜならば、この二つの要素の何れか一方が違憲であれば、他の要素が合憲であると否とにかかわりなく、当該充実刑罰法規は当然違憲となり、従って二つの要素の双方が合憲である場合にのみ、当該充実刑罰法規は初めて合憲となるからである。

そこで、政令三二五号事件の処理に当って、下級裁判所の多くの判決が、当該充実刑罰法規の違憲理由として、あるいは法律化した政令三二五号の違憲に、またあるいは当該指令内容の違憲に、それぞれ根拠を置いたことは、何れも正当な態度であったということができる。

そして、指令内容説が、当該指令内容の違憲を根拠として、当該充実刑罰法規の違憲を認める限度においては、もとより正当である。しかし、指令内容説が、当該指令内容の合憲を根拠として、一足飛びに当該充実刑罰法規の合憲を認める論理は、あまりに飛躍している。前にも掲げたとおり、

政令325号+具体的指令=充実刑罰法規

であるから、指令の内容の合憲性の外に、法律化した政令三二五号の内容の合憲性を見究めなければ、充実刑罰法規の合憲性を論結することはできない筈である。

政令三二五号の内容は、指令違反の行為を処罰するという規範である。充実刑罰法規における最も大切な基本的要素は、空白刑罰法規における規範自体である。具体的な指令の内容は、ただ空白刑罰法規の空白部分を補充して、これを実働的ならしめるよすがとなる要素であるに過ぎない。指令の内容そのものは、政令でもなく、また法律でもなく、いわば無色の存在である。これが政令たる三二五号に嵌まりこめば、その充実刑罰法規が政令としての実働的な効力を発揮し、また法律化した三二五号に嵌まりこめば、その充実刑罰法規が法律としての実働的な効力を発揮するに過ぎない。だが、実働的な充実刑罰法規が成立した後においても、基本的な要素は、空白刑罰法規の内容たる規範であることを忘れてはならぬ。

もとより、独立後においては、指令から抽出した純粋な内容そのもの(それが違憲でない限り)を、処罰する法律を制定することを得るのは言うをまたない。しかし、かかる法律はどこにも制定されてはいない。法律八一号は、政令三二五号--指令違反の行為を処罰するという形式的な内容--を法律化しているだけのものであるから、指令内容説のいうように指令から抽出した純粋な内容そのものを処罰する趣旨の立法だとは、到底考えることができない。法律八一号制定の前後を通じて、政令三二五号の条文も、法律化された政令三二五号の条文も、全然同じなわけであってその間一字一句の変動もないのであるから、指令違反ということが重要な要素として規定されていることには、占領中も独立後も区別があるべき筈はないのである。かかる指令の純粋な内容が、指令であるが故に、すなわち指令という効力をもっているが故に、空白刑罰法規の空白部分を補充する作用を営み得るのであり、これによって成立する当該充実刑罰法規の犯罪構成要件が充足する場合に、当該指令違反の行為が指令違反として処罰されるのである。指令から抽出された純粋な内容そのものの違反行為が、処罰されるのではなく、それが指令違反の行為であるが故に処罰されることになるのである。それ故に、その純粋な内容が、何等かの事由によって指令たる効力を失うようになれば、政令三二五号によって処罰される事態は全然生ずる余地がなくなる。そして、これは政令三二五号の法律化の前後を通じて言い得ることである。

かような法的関係は、例えば、他人の登録商標と同一又は類似の商標を、同一又は類似の商品に使用することを処罰する場合の関係と極めてよく相類似している(商標法三四条一号)。これも一種の空白刑罰法規であるが、この場合登録商標から抽出された特定の純粋な図形文字の構成そのものを侵害することによって処罰されるわけのものではない。その純粋な図形文字の構成が登録商標であるが故に、これを同一又は類似の商品に使用することが、処罰される法的関係にあるのである。その純粋な図形文字の構成が、期間の経過その他の理由によって、登録商標たる効力を失ってしまえば、もはやそこにその侵害行為もなく、処罰もあり得ないということになる。

この場合には、純粋な図形文字の構成を超えて、それが登録商標であるところに重点があると同様に、本件の場合には、指令の純粋な内容そのものを超えて、それが最高司令官の指令であるところに重点があるというべきである。

指令内容説は、指令の内容という一点にのみ注視の眼を向けて、他の一つの指令違反の行為処罰という重要な点を看過し去った欠陥があるように思われる。

三 政令三二五号は、占領目的に有害な行為すなわち指令違反の行為を処罰するものである。さきに坂上仲夫事件において述べたごとく、同政令はその本質において、最高司令官の占領目的達成のための手段たるものであって、占領状態の継続ないし最高司令官の存続を前提とするものであるから、占領状態の終了によって当然失効すべきものである。指令内容説は、「指令といっても、単に連合国又は占領軍の利益のためにのみ発せられたものばかりではなく、わが国の秩序を維持し公共の福祉を増進するために発せられたものも存在する」といっている。しかし、指令の内容が、わが国の秩序を維持し、わが国の公共の福祉を増進するに役立つものは、当時の国会及び内閣によって幾多の法令が制定されており、そして、政令三二五号の罰則は、「指令又はその指令を履行するために、日本国政府の発する法令に特別の定がある場合には適用しない」と明らかに規定されている(同政令二条三項)。すなわち、政令三二五号及びその前身たる昭和二一年勅令三一一号の罰則は、指令又はその指令を履行するために日本国政府の発する法令に特別の定がない指令違反の行為について、例外なく日本の検察官をして起訴を強制せしめ(公訴は行わなければならないし、また公訴を取消すことはできない。同政令三条一項三項)、日本の裁判所をして裁判によって処罰することを得せしめるために、反占領目的行為を対象として残る隈もなく一面に罰則のジュウタンを敷き詰めることを目的としたものである。そして、特に留意を要することは、連合国軍総司令部からのかかる法令制定の要求に対し、当時政府は国内的立場から賛成困難を表明して折衝を重ねたが、最高司令官の口頭指令という鶴の一声で前記法令が制定施行されるに至ったことである。(この間の消息と経過は、裁判所時報一一三号六頁以下に載っている矢崎憲正裁判官の判決に丹念に詳しく書かれているとおりである。)

かように、政令三二五号の法条から見ても、また前記制定の経緯に徴しても、同政令の罰則は、占領目的の達成を完全ならしめるために設けられたものであって、占領の終了によって当然失効すべき本質を有するものである。従ってまた、平和独立後に同一内容の法律を制定しても、占領を前提とする最高司令官の権威と国民の指令に対する絶対服従義務を認めようとするものであるから、憲法に違反するものといわなければならぬ。

また指令内容説論者の中には、「政令三二五号もその内容が憲法に違反しない限り、平和条約発効後なおその効力を存続する」と説く者もあるが、(一)前記のごとく政令三二五号は本質上占領の終了によって当然失効すべきものであって、平和発効後はその効力を存続することを得ない性質のものである。(二)前述のごとく政令三二五号の内容は、指令違反の行為を処罰するというのであるから、常に憲法に違反しこの点から言っても平和発効後においては効力を存続することを得ない。また(三)憲法が定めるところとは異なった機関や手続によって制定された従来の法令は、内容が違憲でない限り、依然として効力を存続するや否やの一般論はしばらく措くも、後述のごとく英文を正文とする法規はその内容の如何を問わず憲法に違反し効力を存続することを得ないと言わねばならぬ。さらに(四)後述のごとく公示のない法規は憲法上拘束力を有することはできない。以上いずれの点からいっても、政令三二五号の効力存続説には賛同することを得ない。

次に、他の指令内容説論者の中には、政令三二五号は法律八一号のような立法的措置がとられなかったならば、平和条約発効によって当然失効すべきものであったが、法律八一号によって指令の内容が適憲なる限り従前の違反行為を処罰することができるようになった、と説く者がある。しかし、法律八一号の新立法によって法律制定前の過去の指令違反行為を処罰するとうことになれば、新刑罰法規が従前の行為に遡及することになるので、それは明らかに事後法であり、罪刑法定主義に反し違憲であるといわなければならぬ。

法令の廃止の場合に、新立法において、従前の行為に対する罰則の適用については従前の例によるという規定を設けることはできる。この場合の立法の意義は、従来の罰則が従前の行為に対する相対的関係においては廃止されることなく、そのまま効力を存続する趣旨のものである。従って、従前の行為の処罰のために新罰則が適用されるわけではないから、事後法の問題は生じない。だが、わたくしは、法律八一号がかような立法をしたものでないことは、先に坂上事件でいったようにその法条に照らし明らかである。また仮に、かかる立法であると解しても、政令三二五号の規範内容は他で述べているとおり違憲なものであるから、平和発効後に効力を存続せしめることはできないわけである。

なお、法令の廃止の場合に、従来の罰則を廃止すると共に、新立法による新罰則で将来に向って同一内容の行為を依然処罰する法令を制定することがある。この場合には従来の法令は、形式的には廃止によってその効力を失うように見えるが、実質的には新旧二法令の内容の対比から、従前の行為に対する可罰性は失われていないのである。それ故、かかる立法によって間接に従前の行為が処罰されることはあるが、この場合でも従前の罰則が従前の行為に対して適用されるのであって、新罰則が従前の行為に遡及して適用されるのではない(判例集四巻一〇号一九八三頁以下卑見参照)。だが、政令三二五号の規範内容は、他で述べているとおり違憲であるから、平和発効後においてはいかなる立法をもってしても政令三二五号によって従前の行為を処罰することを得ないものと言わなければならない。

四 観点を変えて眺めると、元来政令三二五号の罰則は、指令違反を処罰するというだけで、極めて包括的、抽象的であまりに漠然としており、犯罪の実質的構成要件は広範囲に指令に委されている。占領統治の方式としてはまことに巳むを得ないものであるが、憲法上は罪刑法定主義に反し、同政令が違憲であることは多言を要しないところである。それは、往昔大宝律令の時代に今日でいう空白刑罰法規に当る職制律において、詔勅違反を処罰する違勅の罪を定め、その刑を徒二年と定め、その後続々発せられる詔勅に違反する行為を犯罪として処罰したのと全く同巧異曲のやり方である。これは専制的統治者にとっては極めて便利重宝な法律的技術ではあるが、現代立憲制度の照射に当てて見れば、その正体は罪刑法定主義に反することを暴露するものと言わざるを得ない。そして、政令三二五号ないし法律化した三二五号が、罪刑法定主義に反する限り、適憲な内容の指令をもって空白を充実してみたところで、充実刑罰法規は違憲たらざるを得ないことは、すでに詳述したところによって容易に知られるであろう。

五 いままではただ、“指令、指令”と呼んで来たが、一体指令というものの実体は、そもそも何によって表現されているかを究める必要がある。指令の実体は、連合国最高司令官またはその代理から、日本の総理大臣または日本国政府に宛てられた英文の書簡または覚書である。すなわち、現実の問題として指令は、英文で表現されたものである。英語の正文を離れて、真の指令はどこにも存在しない。そうだとすると、指令内容説は、この英文の指令が、独立後は日本の国法の内容として採り入れられたと主張することにならざるを得ない。しかし、日本の国法殊に刑罰法規は、日本国民が一般に理解することのできる日本語を用いて、制定されなければならない。これは、あまりにも当然すぎるほど当然なことである。英語を用いてもよいとすれば、フランス語を用いても、ドイツ語を用いても、ロシア語を用いてもよいわけではないか。それでは、一般国民にとっては全く理解のできない言葉で書かれた刑罰法令で、処罰される国民こそたまったものではない。だから、わが憲法は、他国語を用いて刑罰法令を制定することを、許容していないことは天日のごとく明らかである。

そこで、占領当初の一九四五年九月三日連合国最高司令官指令第二号を、回顧する必要がある(この指令の日本訳文は、翌年八月二三日の官報に載せられている)。その第四項においては、「連合国最高司令官の権限により発せられる一切の布告、命令及び指示の正文は、英語による。日本語の翻訳文も発せられ、何らかの差異が生ずる場合においては、英語の本文によるべきものとする。発せられた何らかの指示の意義に関し、疑義が生ずるときは、その発令官憲の解釈をもって最終的のものとする」との旨が指示されている(これは、田中沢二政治活動事件判決中のわたくしの補足意見でもすでに述べておいた。判例集三巻七号九八九頁参照)。これをもってしても、指令の正文が、英語であることは、占領中も独立後も変りがあるべき筈はない。元来、成文法は、その表現されている正文を離れては存在することを得ないものである。そして、かりにかかる英文指令を内容とする法律が設けられたとしても、それは当然違憲無効であることは前に述べたとおりである。

六 次には、法律の公布という面から、問題を考えてみよう。

旧憲法下においては、法律の公布については、公式令においてその方法が定められていたが、新憲法下においては、公式令は廃止されたままであって、別段これに代る公布の方法は、定められていないのが現状である。現代立憲国において、法律が国民を拘束する効力を生ずるのは、制定のときにあるのではなく、公布のとき以後にあるべきことは、一般に承認されているところである。そして、わが憲法七条は、法律を公布することを、天皇の国事行為とすることによって、わずかに前記の趣旨の片鱗を明らかならしめている。ただ、その方法については、いまだ新立法はないがままの状態に放置されているが、実際においては公式令当時と同様に、官報をもって公布している。

そして、本件の法律化された政令三二五号に基く充実刑罰法規が、憲法上国民に対して法律としての拘束力を生ずるがためには、まず第一に何をおいてもその指令の内容が一般に国民の前に公示、公布されることが絶対に必要であることは、専制主義者か独裁主義者でない限り、誰にも異議のあろう筈がない天下の公論であるということができよう。

さて、しからば、独立後には全然指令の内容の公示はなされていないから、占領中この指令について、果してどのような公示がなされたかを一応眺めてみる必要があろう。指令の内容及び種類は、相当に種々雑多なものがあった。しかしその大部分の指令につき違反罪を犯した者は、平和条約発効と同時に、昭和二七年政令一一七号大赦令によって赦免された。だから、これらの指令については、今は問題がない。ただ、その例外として同令一条二三号但書に掲げる(イ)ないし(ト)の各指令違反の罪については赦免されていない。これだけが問題として残されているわけである。そこで、この大赦にかからない指令の各箇について見ると何等かの公示方法が講ぜられたのは、(イ)と(ヘ)の指令だけであって、その他の(ロ)(ハ)(ニ)(ホ)(ト)の各指令については、何等の公示方法も取られていない。(イ)の指令は、本件処罰の根拠となるべきものであるが、実は昭和二〇年九月一〇日附のものであって、政令三二五号の旧令に当る「昭和二一年勅令三一一号に関する件」として、昭和二一年八月二四日附官報の彙報の欄に(法令の欄にではなく)、日本政府で訳した日本語の訳文(前記指令二号でいう最高司令官が英語による指令と共に発した日本語の翻訳文ではない)を掲げているに過ぎない。また、(ヘ)の二つの指令は、先に言渡した政令三二五号違反坂上仲夫事件処罰の根拠となるべきものであるが、「昭和二一年勅令三一一号の施行に関する件」として、昭和二五年六月二六日及び同年七月一八日附官報の官庁事項の欄に、英文及び日本語の訳文を掲げている。その他の(ロ)(ハ)(ニ)(ホ)(ト)の各指令については、占領中及び独立後を通じて全然その内容の公示がなされていない。

そこで、かように全然指令の公示がなくても、占領中は憲法外の法的効力として、指令違反の行為が処罰されたことは、巳むを得ないところであった。がしかし、独立後においては、何等公示、公布のない前記(ロ)(ハ)(ニ)(ホ)(ト)の指令の内容が、法律化された政令三二五号の充実刑罰法規の内容となって、憲法上拘束力を有するに至るものとは到底考えることができない。

次に、前記(イ)の指令は、指令の正文たる英文ではなく、単にその日本訳文が掲げられたに過ぎないものであるから、法律内容としての指令の公示・公布があったものとは認めることができない。

元来英文と日本訳文とでは、両国の間で意味の受取り方は、非常に異る場合が起るのは当然である。けだし、文字の意義は、普通その国民の風俗・習慣・伝統にもとずく社会通念によって決定さるべきものだからである。だから、前記指令二号では、“指令の正文は英語による”“日本語の訳文をも附けて指令を発した場合に、英文と日本文との間に差異があるときは、英語の正文による”“指令の意義の解釈は、発令官憲の解釈が最終的の権威を有する”と宣明し、三段構えの態勢で指令の文字解釈の専権をしっかりと握っている。

そこで、例えば、前記指令(ヘ)の一では、“I direct that your government take the necessary measures to cause publication of AKAHATA to be suspended for a period of thirty days.”と指令し、また指令(ヘ)の二では、“I direct that your government……maintain indefinitely the suspensions heretofore imposed upon publication of Akahata and its successors and affiliates……”と指令している。そして、このpublicationの意義は、編集、印刷、頒布、発売もしくは運搬し、又は頒布の目的をもって所持する一切の行為を含むものと、発令官憲の最終的解釈において示されていた。このpublicationの日本訳は「発行」とされているが、日本語の発行が、前記所持を含むかどうかは甚だ疑わしい。いな、わたくしは、これを含まないと解するのが日本国民の常識であり、一般通念でもあると考える。

また、例えば、前記指令(イ)では、“Subjects which cannot be discussed include Allied troop movements which have not been officially released,false or destructive criticism of the Allied Powers,and rumors.”

と指令している。そして、このdiscussの意義は文書の頒布及び頒布の目的をもって所持することを含むものと、発令官憲の最終的解釈において示されていた。このdiscussの日本訳は「論議する」とされているが、日本語の論議が、前記頒布又は所持を含むかどうかはこれまた甚だ疑問である。いな、わたくしは、この場合にもむしろこれを含まないと解するのが、日本国民の常識であり、一般通念でもあると考える。

これらの具体的事例が示すように、指令が、英語の正文であるか、日本訳であるかは、国民の利害休戚に大きな関係をもつことは極めて明白である。

法律八一号によって法律化された政令三二五号の条文は、旧政令三二五号のそれと全然同じものである。しかるに、その空白を補充する作用をなす指令の正文は、占領中は英文であったが、独立後は俄かに日本訳文に自動的に変化するという奇態な現象が、厳正な法律解釈の場で許さるべきものとは、わたくしには思われない。だから、(イ)の指令については、固法の内容としての適法な公示がないわけである。

また、前記(ヘ)の指令については、英文も日本訳文も掲げられているから、法律内容としての指令の公示・公布があったものと、仮りに認め得るものとしても、わが国法の内容が英文で書かれることは、前にも述べたとおり、わが憲法の許さないところであるから、それ自体が違憲無効である。

さて、昭和二一年八月二三日附官報は、終戦連絡中央事務局の名義で、彙報欄の官庁事項の中に、次のように掲げている。

『昭和二一年勅令第三一一号(連合国占領軍の占領目的に有害な行為に対する処罰等に関する勅令)施行につき国民の知らなければならない連合国最高司令官の発した指令に関する件

右勅令は、昭和二一年六月一二日公布され同年七月一五日より施行されたについて、右施行以前発せられた連合国最高司令官の日本政府に対する指令のうちで、広く一般国民がその内容を知り違反せぬよう注意しなければならぬものにつき、以下その日本訳を発表する。

尚ほ、発表の準備が出来次第順次に追加発表を行ふ。

又連合国最高司令官の指令を施行するために連合国占領軍の軍、軍団、又は師団の各司令官の発した命令で、その内容を国民に知って貰わねばならぬものの中、第八軍司令官の命令は官報に、その他は各関係地域の府県令、(註、原文に府県令とある)に発表がある予定である。』と掲げ、なお同日の官報に、前に触れた昭和二〇年九月三日附指令第二号の日本訳文が掲げられた。そして、これまでに至った経緯と消息について、当時実際の局に当った者の語るところによると、“この勅令三一一号の制定に関連して、国内法制化されない指令で、比較的多数の国民に関係のあるものについては、せめてこれを官報に公示することにし、少しでも罪刑法定主義の原則に副おうという計らいがなされた。その方針は、三一一号制定と同時に、昭和二一年六月一八日の閣議で「昭和二〇年勅令第五四二号ポツダム宣言の受諾に伴い発する命令に関する件に基く連合国占領軍の占領目的に有害な行為に対する処罰に関する勅令の実施に伴い連合国最高司令官の指令等を国民に周知徹底させる措置に関する件」として決定され、八月二三日附官報の彙報欄において宣明されたのであるが、これに基いて多くの指令が官報に公示されている。もっとも、この公示は単なる便宜上の措置であって、何等法的効果を伴うものではない。また公示されるものとされないものとの区別の基準について、精密に定められたものはなかった。」というのである(自治研究二八巻六号二四頁、佐藤達夫氏ポツダム命令についての私録参照)。

しかし、前に指摘したことでも判るように、折角右の閣議決定があったにもかかわらず、その実際において指令が官報に公示されたのは、むしろ稀有の事例に過ぎなかったようである。その上、(い)かかる「単なる便宜上の措置」として、官報の隅つこに掲げられた、(ろ)「何等法的効果を伴うものではない」として載せられた公示が、後日法律化した政令三二五号に基く充実刑罰法規の空白を補充する要素としての指令の、適法な公示方法と認めるに足る意義と価値があるであろうか。しかも、(は)その公示は、法律化した政令三二五号に基く充実刑罰法規を補充する指令として公示されたのでもなく、また政令三二五号に基く充実刑罰法規を補充する指令として公示されたのでもない。ただわずかに、政令三二五号の旧令にあたる昭和二一年勅令三一一号に基く充実刑罰法規を補充する指令として公示されているに過ぎない。しかも、(に)それは、官報の法令欄に公示されたのではなく、官報の彙報欄又は官庁事項欄に載せられたというに過ぎない。しかもなお、(ほ)法律八一号が施行されたのは平和条約発効の日であるのに、前記指令が官報に掲げられたのは、昭和二一年八月二四日、同二五年六月二六日、同年七月一八日のことであって、約六年ないし二年も前の掲載である。かような掲載があっただけでは、法律八一号で法律化した政令三二五号の空白部分を補充する指令の公示として適法であると認めるわけにはいかないのである。かような公示方法の安易な流用は国民を処罰する刑罰法規の新立法の方法としては許されないものと言わなければならぬ。

裁判官井上登、同河村又介、同小林俊三の意見は次のとおりである。

昭和二五年政令三二五号の内容を充足する指令であり且つ本件に適用ある昭和二〇年九月一〇日附連合国最高司令官の「言論及ビ新聞ノ自由」と題する覚書第三項のうち「公式ニ発表セラレザル連合国軍隊ノ動静」を「論議スルコト」を禁止し処罰する部分は、憲法二一条に違反するから右指令を適用する限りにおいては、右政令は昭和二七年法律八一号及び同年法律一三七号にかかわらず、平和条約発効と同時に国法たる効力を失う。従って本件は原判決後に刑の廃止があった場合にあたるから、原判決を破棄しなければ著しく正義に反する。よって上告趣意に対する判断をする迄もなく原判決及び第一審判決を破棄し被告人を免訴すべきものである。

裁判官井上登の補足意見は次のとおりである。

私は政令三二五号がその廃止前の事件につき独立後なお適用され得べきや否やはその白地部分を充足する各指令の内容が合憲なりや否やによって定まるものとする者であり、その理由は昭和二七年(あ)第二八六八号同二八年七月二二日言渡大法廷判決において河村、栗山、小林三裁判官と連名で書いた意見及私が単独で書いた意見のとおりであるが、左に少しく附言したい。

政令三二五号によって適用される指令は既に発せられて居り、そして独立後は指令が発せられるということはないから、その内容は今日においては確定し動かないものとなって居る。換言すれば三二五号の白地部分は既に充足され、同令の内容は確定不動のものとなって居るのであって不確定漠然たるものではない。この既に内容の定まれる三二五号に対して法律八一号は法律たる効力を与え、また法律第一三七号は三二五号を廃止すると同時にその廃止前の行為についてなお可罰性を認めて居るのである。私達は右の既に内容確定し、且純然たる国内法である法律八一号によって法律化された三二五号及法律一三七号について判断して居るのであり、内容漠然たる侭の三二五号、単なる司令官の指令に基いて発せられた政令に過ぎない三二五号について判断して居るのではないのである。三二五号の内容が既に確定して得り、そして完全に自由な立場に立って国会が右二法律を制定公布して居る以上、裁判所は、「三二五号の様な内容漠然たる政令は許されない」とか「日本は独立したのだから進駐軍の指令に反する行為を罰するなんてことは考えられない」とかいう様な単純な理論乃至民族的感情だけで簡単にかたずけることは出来ないのである。内容が漠然として居るから無効だということは制定当時においていうなら格別、一旦効力が認められた(憲法外のものとして効力を有したことは当裁判所大法廷の確定した処である)以上、内容が充足せられ確定した今日においていうのは当らない。(なお此点については河村裁判官の説明を引用したい)又当初は司令官の意思に基いて制定されたものであっても国会が自由な立場において制定した八一号によって法律としての効力が与えられた以上、裁判所はこれを無視することは出来ないのであって、一々各指令によって充足された三二五号について審査し、その充足された内容が違憲である場合に限り憲法九八条に従って、その効力を否定し得るだけである。仮令成立の過程において初めは司令官の意思に基いたものであっても亦本来の性質が占領の便宜の為めのものであったとしても、苟くもその内容が違憲でない限り裁判所は国会の制定した法律によって法律と同じ効力を与えられた法規を無効とすることは許されないのである。(此点についても河村裁判官の政令二〇一号に関する当裁判所の判例を引いての説明を引用したい)各指令を離れて三二五号だけを論ずることの無意味であることは前記判決の井上の意見に書いたとおりである。

そこで本件指令の内容が違憲なりや否や考えて見るに、「表現の自由」は憲法二一条の保障する処であり、公共の福祉の為め必要の場合以外これを制限することは許されないのである。しかるに本件指令は連合国軍の行動(特に公表されたものの外--以下同じ)を少しでも論議することを禁ずるものであって、これは全く司令官が連合国軍の便宜、安全の為めに発したものと見るの外なく、日本を占領する外国の軍隊の行動を論議することを本指令の如く無制限に禁ずるというが如きことは、特別の事情なき限り(かかる事情ありや否やは各場合につき一々検討して見なければならない)独立後の日本において公共の福祉の為め必要なものとは到底考えられない。そして本件指令の場合これを合憲ならしむべき何等特別の事情も認められないから、該指令は憲法二一条に反する違憲のものというの外なく、独立後においては三二五号によって右指令を適用して被告人を罰することは許されなくなったものといわなければならない。それ故本件は刑の廃止の場合に準じて免訴の言渡をすべきであり、此の点において真野裁判官外五名の裁判官の意見と一致し、裁判所の多数意見となるものである。(前記大法廷判決記載私の意見参照)

裁判官河村又介の補足意見は次のとおりである。

本件政令三二五号に関する私の意見は、略ぼ当裁判所の昭和二七年(あ)二八六八号同二八年七月二二日大法廷判決において井上、栗山、小林の三裁判官と私との共同意見並に私の補足意見として示したとおりであるが、なお理解されていない節があるようであるから、ここにまとめて述べておきたい。

旧憲法下において制定された法令については、それが一旦国法として有効に成立したものである以上、新憲法に定めるところとは異なった機関や手続によって制定されたものであっても、その法令の定めている内容が新憲法の条規に違反するようなものでない限り、当然無効とはならない。憲法九八条一項はこのように解すべきである。(昭和二五年(れ)第七二三号同二七年一二月二四日大法廷判決における入江裁判官及び私の補足意見、集六巻一一号一三五五頁以下、参照)。このように解せられるのはこの場合だけではない。革命によって国家の根本組織が変革せられたときでも、革命後の憲法が定めるところとは異なった機関や手続によって制定せられた従来の法令は、その内容が新憲法と矛盾しない限り当然無効となるのではなく、新憲法がその廃止を明言するか又は廃止せられたと認むべき特別の理由がある場合の外、依然として存続するものと認められる例である。またある領土が割譲せられたときには新に割譲を受けた国家は、特に廃止を明示したものの外なお従来の法令がこの地に行われる旨を宣言するであろうけれども、このような宣言がなくとも原則として従来の法令が行われるものと解すべきである。そうでなくて、ある法令の内容が新体制下において存続させて差支えないものであるにかかわらず、これを制定した機関や手続が新しい規定と異なるというだけの理由で当然無効となるというのでは、徒らに無用の混乱を生ずるのみで、秩序の維持は甚だしく困難となるであろう。明治憲法と新憲法との関係についてみれば、両者同じく「法律」という言葉を用いてはいるけれども、これを制定する機関も手続(参議院と貴族院とは別箇のものであり、衆議院の組織も異なり、且つ天皇の裁可という制度は全然なくなった)も異なるものであるから、明治憲法下の法律は新憲法下では悉く無効となるということになろう。このような無用の混乱を避けるためには、憲法の変革があっても、従来の法令はその内容が新憲法に違反しない限り存続するものと解しなければならない。これは憲法変更の場合一般に通ずる原則であること上に挙げた例に照らしてみて明らかであろう。

さて占領中連合国の権力によって制限を受けていた日本国憲法が講和条約の発効によって全面的にその効力を回復したことは、広義において憲法変革の一つの場合である。それ故に上述の通則に従うならば、本件政令三二五号もその内容が憲法に違反しない限り平和条約発効後なおその効力を存続するものと解しなければならないこととなるのであるが、この場合にはこの通則の行われることを妨げる特別の理由があるであろうか?

政令三二五号が最初に施行された時から占領終結に至る迄の間のある時点に立ってこれを観ると、この政令は二種類の法規範を含んでいる。第一にそれはその時までに連合国司令官が発した指令の趣旨に服従することを命ずる法規範である。この場合にはそれは既存の指令と合体して既に内容の確定した法規範となっているという点において他のいわゆるポツダム命令とその性質を同じくする。第二にはそれは将来発せられるであろうところの指令の趣旨に服従することを命ずる法規範である。この政令が白地刑法たる性質を有つものとされるのは、この第二の法規範を含んでいるためである。さてこの時点が移動して占領終結に近ずくに従って、第一種の法規範の分量は漸次増大し、第二種のものは漸次減少し、終に占領終結の瞬間に至れば第二のものは零となり、第一のもののみが残存する。それ故に平和条約発効後政令三二五号の効力が存続するか否かという問題は、事実上は右の第一種の法規範が存続するか否かという問題に外ならない。

(一) 平和条約発効後は連合国最高司令官の指令なるものは存在しないのであるから政令三二五号は無意義又は不能に帰したものであるとの説がある。しかしそれは上述第二種の法規範についてのみ言えることであって、第一種の法規範は無意義にもならなければ不能にもならない。ある法令の一部分が不能になったからとて、その法令の全部が無効となるものではないから少くとも第一種の法規範の存続を妨げる理由とはならない。

(二) 政令三二五号は空白刑法たる性質を有するから罪刑法定主義に反するものとして無効であるという説がある。私はある法令の内容が違憲でない限りこれを制定した機関や手続が違憲であってもその法令は無効とはならないことをくりかえし述べた。このことはしばしば内容の違憲と形式の違憲という言葉を以て説明される。要するに後者はある法令を制定する迄の手続の問題であり、前者は成立した法令の規定の内容の問題である。そこでこの問題を政令三二五号について観ると、この政令は、憲法の定めているところとは違った方法によって制定されたものであるのみならず、この法令の定めているところは一見したところ白地刑法的性質を有している。この点においてはこの政令は内容も違憲であり、従って平和条約発効と共に失効したものと解すべきもののように見える。

しかしつぶさに観察すれば、このことは前にも述べたとおり右の第二種の法規範についてのみ言えることであって第一種の法規範についてはあてはまらない。

尤も一部の論者のように政令三二五号は占領終了と共に一応消滅すべきだが、昭和二七年法律八一号によってあらためて存続させられたものであると解するならば、切替えられたものが、政令三二五号それ自体のみであるか、又は指令によって充足されたものとしてであるかについて疑義を生ずる余地もあろうが、占領中に成立した法規範はその内容が違憲でない限りすべてそのまま存続するという通則に従うならば、このような疑義を生ずる余地もなく、政令三二五号と各箇の指令とが合体して存続すると解するに何等の妨げもないであろう。この見解の下においては、右の法律八一号の意義は、この政令の存続を念のため確認したこと及び一八〇日後に失効することを規定したことに存する。

(三) 平和条約発効後もなお政令三二五号の存続を認めることは、連合国最高司令官の権威を認めることとなるから、主権を回復した独立国として容認できないという説がある。しかし形式的に観れば政令三二五号も日本の国法として制定されたものである。その実質について観れば、その他のいわゆるポツダム命令も連合国最高司令官の要求又は指令に応ずるために制定されたものである。それ故に少くとも上述第一種の法規範に関する限り政令三二五号とその他のポツダム命令とを区別する理由はない。しかるに他のポツダム命令について当裁判所が、これを当然無効に帰したものとする立場をとっていないことは、昭和二三年政令二〇一号違反事件の判決(昭和二四年(れ)第六八五号同二八年四月八日大法廷判決、集七巻四号七七五頁)において、平和条約発効後に有罪の言渡しをしたことによってみても明らかである。この政令二〇一号は明らかに連合国最高司令官の要求に応ずるために制定されたものである。これを有効としながら、独り政令三二五号(就中その第一種の法規範)についてのみは、これを有効としては独立国としての主権が害されるというのは一貫した態度とは言えないであろう。右の判決における立場を変更しない限り、政令三二五号についても平和条約発効後もなおその効力を存続するものと解しなければならない。

上述したところによって政令三二五号が平和条約発効と共に当然全面的に失効するという説には従うことができない。唯々憲法が全面的にその効力を発揮するようになってからは、憲法の条規に抵触する内容を有つ法令はその存続を許されないから、政令三二五号の内容をなす指令の趣旨が憲法に違反するか否かを個々に具体的に検討しなければならない。このように検討した結果、本件に適用されている指令第三項中「公式ニ発表セラレサル連合国軍隊ノ動静」を「論議スルコト」を禁止し処罰する部分が憲法の保障する言論の自由を侵害するものであるから無効であるという点においては、私は井上裁判官の意見と同じである。

裁判官小林俊三の補足意見は次のとおりである。

原判決の維持する第一審判決が、判示認定の事実によって被告人を政令第三二五号違反に問うところの指令は、昭和二〇年(一九四五年)九月一〇日連合国軍最高司令官から日本帝国政府に発せられた訳名「言論及ビ新聞ノ自由」と題する覚書(以下本件覚書又は単に覚書という)であって、特にその第三項の「公式ニ発表セラレザル連合国軍隊ノ動静、連合国ニ対スル虚偽又は破壊的批評及ビ風説ハ之ヲ論議スルコトヲ得ズ」の趣旨に違反したとするのであり、事実としては「公式ニ発表セラレザル連合国軍隊ノ動静」を「論議」(以下単に摘示部分という)したと認定したのであることは、判示によって明らかである。ところで平和条約発効に伴う昭和二七年法律第八一号及び同年法律第一三七号と政令第三二五号との関係については、昭和二七年(あ)第二八六八号同二八年七月二二日言渡大法廷判決における井上、栗山、河村の三裁判官と私の共同意見及び私の補足意見のとおりであるから、ここにその説明を引用するとともに、その結論に示したように、違反指令の内容が現に合憲であると認められなければ、その指令に関するかぎり政令第三二五号は法律第八一号によっても国法として効力を存続するに由なく、本件被告人に対し刑の廃止があった場合に当ると解するのほかないのであるから、前記覚書第三項摘示部分が現在わが憲法に適合する法規と認められるか否かを検討してみなければならない。

(一) 言論の自由はいうまでもなくわが憲法二一条に定める一切の表現の自由に属する基本的人権の一つであって、人身の自由と相並び民主国家を形成するためのもっとも基本的な部分であり、これが近代民主国家の憲法に確立するに至ったのは、多くの先進の人々の多年にわたる犠牲と努力の成果であると共に、国民はこれを将来永久にわたって保持する責任を負うことは、歴史に現われた事跡やその他の文献を挙げるまでもなく、このことはわが憲法の前文の外いくつかの条規(一一条一二条一三条九七条等)を通じてうかがえるところである。そしてわが憲法は言論の自由の基本的な考え方として、それは人間が人間として本来具えている本質的な自由であり、また民主的政治組織が自動するための不可欠な機能的要素であるという見地に立っていると解すべきである。従ってこの意味において言論の自由はわが民主主義的国家構造の基本の一部を形成するものであり、その本質において、かの専制国家より立憲国家に移る過程において現われた拘束されたものより解放される意味の自由でなく、いいかえればすでに存在する自由であって後に許された自由ではないと考えなければならない(旧憲法二九条参照)。この点は言論の自由の解釈にあたり常に留意すべき重要な事項であると考える。それゆえ言論の自由のこの性質から、憲法二一条にいう保障とは、成文憲法以前の本来の自由を憲法によって特に確認する趣旨と共に、これに対するあらゆる制限又は妨害を止めることを憲法が自ら誓言する趣旨をもっているのである。従って後に述べるように、言論の自由にある制限が認められる場合があるのは、自由そのものの存立に危険を及ぼすためにその限度において可能なのであって、結局その制限は自由そのものの存立のための自律作用に過ぎないともいえるのである。従ってまた言論の自由をある方向において制限する立法が成立した場合でも、制限する根底に次に述べる本質と限界があることが確認されないかぎり、その制限従ってその法律は違憲であり結局その効力を否定される運命をもっているのである。

(二) 言論の自由はこのような性質をもっているけれども、人間が社会的生物であるという運命的本質を脱することができない以上、人間が全く孤独の生活を送ることは不可能であり、また全く孤独の個人にとっは言論の自由もなんの意義も生じない。すなわち人間個人は社会と必然的な相互依存の関係に立つのであるから、言論の自由といえども社会の安全が保持されることによって自由そのものの存立が確保されるのであり、またその自由の展開する場としての社会が健全に存立してゆくのである。従って言論の自由は、社会の安全を脅かさないぎりぎりの線を限界としそこに均衡を保って存立することができると解すべきであって、個人の自由の比重が不当に増加するときは、社会の安全はそれに対応して影響を受けることを免れず、両者の均衡はここに崩れ、遂には逆転して自由そのものの存立に危害を及ぼすこととなるであろう。ここに至れば自由はもはや限界を越えたのであって、社会はその自律作用により求心的に自由を制限する現象をおのずから示すに至るのである。この現象は法治国組織を確立した近代民主国家においては法律現象として現われ、立法となりまた間接には裁判の形においても現われてくる。(自由と制限の対立が逆な場合でも反対の形で同様な現象が起る。)ここにいう社会の安全はいいかえれば国家の秩序であり、さらにこれが憲法にいうところの公共の福祉にほかならない。それゆえ公共の福祉は別な面からいえば国民が一定の秩序の下に基本的人権を妨げなく享有している状態であり、また一切の表現の自由を含む基本的人権の享有が円満に保障されている形態でもある。それは決して言論の自由と対立しこれを制限すべき前提でもなければ条件でもなく、むしろ基本的人権を包摂しこれを保障し発展せしめる観念である。従ってこの意義を伴わない事項は、その外観内容が積極的福利的であるからといって直ちに安易にこれを公共の福祉と断ずることは危険である。公共の福祉ということに触れて判示している当裁判所大法廷の判決の趣旨はこの意味に解すべきものと考える。(昭和二三年(れ)第一三〇八号二四年五月一八日言渡、集三巻六号八三九頁、昭和二四年(れ)第一六〇一号同二五年一〇月一一日言渡、集四巻一〇号二〇一二頁参照)

(三) 言論の自由のような特に尊重されなければならない基本的人権も、公共の福祉のためには制限を受ける場合があること右に述べたとおりである。しかしながら公共の福祉という言葉自体になんら具体的な意義は含まれずいわば各場合にこの言葉に適合する事実の容器として在るに過ぎない。それゆえ公共の福祉が尺度として用いられる場合、ある事実がこれに適合するかどうかは客観的に厳正な検討を経なければならないのである。本来公共の福祉というような弾性に富む観念は、その当時の法治体制と社会状態によって、個人の自由との均衡に移動を生ずることを免れず、その限界に一定不動の線を引くことは困難であるから、特にその標語的力によって基本的人権が安易に後退を強いられることがないように戒心しなければならない。かく考えてくると言論の自由の意義又は価値というものも、連合国軍の占領状態に在った期間と独立によって憲法が全面的に効力を発動した今日とにおいては格段の差異を生じたのであって、現在その本来の高度と重量とを回復したと見なければならない。従って今日言論の自由とこれを制限するに適合すべき公共の福祉が本件覚書第三項に含まれるかどうかの関係も、占領期間中の既成観念をすべて払拭し今日の価値を尺度として判断することを要するのである。

(四) そこで本件の「言論及ビ新聞ノ自由」に関する覚書について考えてみるに、これは連合国軍最高司令官がわが国に進駐して間もなく(昭和二〇年(一九四五年)九月一〇日)言論に関する指針を示したものであって、全体の文意は、報道は常に真実に符号し公安を害しないことを要請しつつ、言論の自由を強調した趣旨であると解せられ、ただその第三項がいわば連合国軍の軍機保護法的な禁止規定として示されていることが認められるのである。この関係からいえば、第一審判決及び原判決は本件被告人の行為につき右第三項の一部分を摘示するのみであるが、右のような覚書全体の趣旨目的を離れて第三項特に摘示部分のみを孤立的に解することの許されないことは直ちに読みとれるところである。よってこの趣旨のもとにさらに進んで「公表セラレザル連合国軍隊ノ動静ノ論議」の禁止を現にわが憲法に照合して合憲であるかどうかを考えなければならないのである。そしてこの問題は要するに前に述べた言論の自由の尊重と、これをしも制限することあるべき公共の福祉(ここでは前記の軍隊の動静の関係に限局する)との関係について考究することに外ならないことは、ことさらに説くを用いないであろう。

(五) 一般に国家の軍備とこれに関する言論を制限することあるべき公共の福祉というものについて考えて見る。先ず(1)近代憲法を有する独立の民主国家は、国の生存権を防衛保持するため軍備をもつことを常例とするが、その国の生存権を確保する意味における公共の福祉の限界において、いわゆる軍機の秘密を保持するため、言論の自由にある制限を加える立法をしても、これを違憲とされないことはすでに常識といっていいであろう。しかしこの関係の議論はわが国の現状に適切でないから考察の単なる過程とするに止める。(2)次に本件における合憲性を思考するにあたっては「連合国軍隊」の当時における状態と性質に即するほか、独立後のわが国に即しても考えなければならないのは当然であって、この後の場合には「連合国軍隊」はすでにないのであるからこれを「連合せる外国軍隊」と置き替えてみるのが適当であろう。ところでわが国民が未だ公表されない外国軍隊の動静を論議する言論の自由をもつかどうかの問題について二つの場合が考えられる。その一は、二つ又は二つ以上の国が通常の国際交通関係における交友関係より以上の特殊な関係例えば軍事同盟条約、相互安全保障条約又は同種の条約を結んでいる場合である。わが国が特定の外国とこのような条約関係にある場合は、その外国との条約に軍機の秘密を保持する条項を明らかに定めた場合(相互的であると否とを問わない)はもちろん、かかる直接の定めがなくとも、条約の性質上かかる必要と責務が当然認められるかぎり、その外国軍隊が本国に在ると或はその他の国に在ると、さらに又わが国に駐在するとを問わず、わが国民が未だ公式に発表されないその動静を論議することを制限する立法をしても、これを違憲ということはできないであろう(条約に明らかな定めのある場合は、すでにその効力によって違憲の問題は生じないという論もあろうが、本件では憲法と条約との効力の先後については触れず単に憲法の問題として考える)。現在のわが国と米国駐留軍との関係は、正に右の場合に当り、日米安全保障条約、条約第三条に基く行政協定及び行政協定に伴う刑事特別法の系列により、刑事特別法六条ないし八条は合衆国軍隊の機密を侵す罪を定めている。そしてこの規定は憲法に違反し言論の自由を制限するものということはできないのである。そしてかかる場合言論の自由の制限を合憲なりとする根拠は、もとより公共の福祉に存するのであって、その理由をさらに委しく解明してみれば、二つ又は二つ以上の国が相共に国の生存権を防衛する共通の利害を有し、一方又は相互の軍機の秘密を保持することがその国又は国民の安危に重大な関係があると認められる場合は、これがすなわち言論の自由が限界として接する公共の福祉であって、これを越えることは尊重せらるべき基本的人権たる言論の自由といえども、譲歩しなければ自由そのものの存立に危険が生ずるおそれがあるがためにほかならない。しかしながらその二の場合、すなわち外国がわが国と交友関係にはあるが単に通常の国際交通関係に立つに止まる場合は事情を異にし、別の考察をしなければならない。この種の国と国との間においては、前述のような国家生存権を防衛する共通の利害をもつという意味において直ちに軍機の秘密の保持に重大な公共の福祉の観念を与えることは困難である。すなわちかかる外国軍隊の動静は未だ公表されないものであっても、これを論議することは国民の自由であってなんら制限されるべき理由は考えられない。例えばわが国の軍事評論家が自己の知り得た資料によって単に友交関係にある某国が現在原子爆弾を何十個有しその製造能力が一月何個であるというような評論をすることはなんら妨げられることではない。従ってかかる事項について論議することを理由なく制限する立法があったとすれば、それはすなわち言論の自由を保障する憲法の規定に違反するものである。この関係もまた、かかる外国の軍隊が、その本国に在ると、その他の国(わが国を含む)に在るとによって理を異にしない(例えばその外国軍隊が特定の目的地に行く途中わが国に寄港した場合でも同じである)。わが国はかかる外国に対しその国の軍機の秘密を保持すべき必要も責務もないことは前に述べた理由により明らかであろう。

右に述べたような理由は特に本件覚書第三項の摘示部分に即していえば、前記一又は二のいずれの場合であっても、公表されない外国軍隊の動静そのものを論議すること、いいかえれば軍機の秘密を具体的に公表議論することに関していうのであって、なんらそのことを具体的に論議するのでなく、政治上の意見(例えば再軍備論、軍備廃止論、軍備縮少論、軍備拡張論)を述べるに当りこれを強めるため単に概括的に又は断片的に外国の軍備を引用するに過ぎないような場合は右にいう外国軍隊の動静の論議にあたらない。このような政治上の意見はこれを全体として有機的に考察すべきであって、その中に示されたきわめて小部分の外国軍隊に関する引用を捉えこれをいわゆる論議と解し、もって全体の政治上の議論そのものを制限する理由とすることは許されない。

(六) 以上のような見地から本件覚書の第三項摘示部分を検討してみると、これを現在わが国の合憲な法規と認めることはできないと考える。すなわち(1)本件覚書は連合国軍がわが国を占領して間もなく発した覚書である。(昭和二〇年(一九四五年)九月一〇日)(2)連合国軍隊は当時わが国を占領していた外国軍隊である。(3)占領期間中の連合国軍とわが国との関係は、わが国の政府も国民も連合国軍最高司令官が降服条項を実施するため適当と認めた措置に無条件に服従する義務があり、このかぎりにおいてわが国は連合国軍最高司令官の統治の権限の下に在ったのであるから、前記覚書第三項摘示部分に対してもわが憲法に適合すると否とを問わずわが国の政府及び国民はこれに服従する義務があった。(昭和二四年(れ)第六八五号同二八年四月八日大法廷判決、刑集七巻四号七七五頁参照)。(4)当時の連合国とわが国との間は、降服文書に基く条約的関係に在ったとはいえ、それはわが国が連合国と対等の独立国として真実に自由な地位に立って結んだ条約関係ではなく、まして連合国と対等の関係において相共に国家の生存権を防衛する共通の利害をもっていたのでもない。(五)「言論及ビ新聞ノ自由」の覚書は、それ自体当時の連合国軍最高司令官の命令に過ぎないが、前述のようにそのねらいは、報道の秩序を維持すると同時に、言論の自由を強調したのであって、このかぎりにおいては独立後のわが国の法規範としても妥当する部分があることは否めないが第三項(特に摘示部分についていう)のみは覚書の発せられた時期と内容からいって、もっぱら連合国軍の狭義の占領目的と利益のために発せられた命令と見るのが相当である。(6)連合国軍がわが国を占領した後の任務にはわが国の秩序と安全を維持することを含み次第にその方向に移行し、本件発生当時は相当にその面の責務を遂行していたことは認められるが、未だもって当時公式に発表されない連合国軍の動静を論議することが直ちにわが国わが国民それ自身の安全に危険を及ぼす事項となったとは認められず、また当時すでにわが国が実質的な意味においても連合国軍の軍機の秘密を保持すべき自主独立の利害と責務をもっていたとは認められない。

以上(一)ないし(六)の理由により本件覚書第三項摘示部分は、現在改めてわが憲法と照合して考えてみると、言論の自由を制限すべき合憲的根拠を認めることはできない。されば平和条約発効によって連合国軍最高司令官の地位は消滅し、従ってその覚書に対する服従義務も消滅した以上、本件覚書第三項摘示部分は法律第八一号によってもその効力を存続することはできないのである。

(七) 以上をもって本件覚書第三項摘示部分の合憲性を認めることのできない理由はつきるのであるが、なお別な角度からの意見を附加する。本件被告人の行為の面から本件覚書第三項摘示部分の合憲性を考究してみるに、本件ビラの全文は表題の「平和の為に愛国者諸君に訴う」以下これを通読すれば、終始いわゆる戦争反対の政治的主張であって、「ヨコハマの各所に高射砲陣地が国際港都法の美名にかくれて建設されている」の文句も、その後につづく「電通省などでは兵役調査が開始され」と対句的表現をなすと見るのが相当であり、全文の趣旨として了解されるところは、いわむる反戦ビラに過ぎないのである。従って原判決がビラ全文の趣旨を離れその摘示する内容の一小部分にかかわり「未タ発表セラレザル連合国軍隊ノ動静」を「論議」したと認めるのは、この全文が反戦の政治的言論に過ぎないことを観過するものといわなければならない。しかるに言論の自由のうち現在もっとも尊重せらるべきは政治的言論であることは、この自由が近代憲法の一原理として確立するに至った歴史的過程を顧れば容易に解し得るところであって、ともすればその時の統治勢力がその意思に副わない政治的言論を抑圧する危険より解放し、あらゆる面における国策の動向も進路も国民の自由な批判によって誤りなき決定に到達することを期待する民主主義的政治原則は、政治的言論をもってむしろ国家の活力の生ずる源泉であり、また国策の進展に加わる必要的機能と見るのである(政治的言論といえども無制約でないことは(二)に述べたとおりである)。従って本件ビラがこれを全体として有機的に見れば政治的言論と認めなければならない以上、その一部に単にその主張を強調するために引用した断片的文句が本件覚書第三項の「論議」と認められその趣旨に違反すると解されるならば、前に述べた理由にもましてなお言論の自由のうちもっとも高く評価せらるべき政治的言論を不当に制限するに帰し、憲法二一条に違反するものと認めなければならない(憲法八二条二項但書参照)。

以上述べた理由の結論として本件覚書第三項摘示部分の内容は憲法二一条の保障する言論の自由に違反し、この覚書摘示部分を充足するかぎりにおいて政令第三二五号は法律第八一号によっても有効な国法として存続することはできないといわなければならない。されば本件は原判決後に刑の廃止があった場合にあたると解すべく、原判決及び第一審判決を破棄し被告人を免訴するのを相当とするのである。

裁判官栗山茂の無罪の意見は次のとおりである。

私の意見は、本件において適用された政令三二五号の内容となっている言論及び新聞の自由に関する一九四五年九月一〇日附連合国最高司令官の覚書は、憲法二一条に違反するところがないと同時に、本件下級審の判決は、罪とならない事実を有罪とした法令の解釈適用を誤った違法があるから、当裁判所としては右下級審の判決を破棄した上無罪を言渡すべしというのである。その理由をのべると同時に、昭和二七年(あ)二八六八号、同二八年七月二二日の政令三二五号違反被告事件の大法廷判決中、私が他の三裁判官と連署した意見(以下四裁判官の意見という)をここで補足しておきたい。

国際法上占領者は、絶対的な支障がない限り、被占領地の現行法律を尊重しなければならないとされている(ヘーグ陸戦の法規慣例に関する条約四三条)。連合国軍が今度の戦争で独乙、伊太利で基本的な諸法律を廃止したのはナチ、フアツショの制度を打倒することが占領上絶対に必要であったと弁明されているから(オッペンハイム著国際法第七版第二巻四四七頁参照)、わが国で占領軍が広範囲に亘った法律の改廃を指令したのも軍国主義を根絶して新秩序を建設することが占領上絶対に必要であったと弁明されるに相違ない。仮に占領上の必要即ち占領軍からすればその正当な権力行使であったとしても、軍事行動である限時的性質をもっている占領軍の権力行使で被占領国に恒久的性質の法秩序を設定するのは行過ぎと認めざるをえないから、占領終了後は主権の自由を回復した被占領国としては占領軍のすべての立法措置の効力を必しもそのまま承認しなければならないものとは解せられない。ことにわが国においては連合国最高司令官の日本国政府に対する指令に基いて、わが国の法秩序としてポツダム命令が制定されていたのであるから、占領終了と共に主権の自由を回復した以上わが国が同一法秩序の内にある右ポツダム命令を憲法のわく内に還元して存続せしめるか否かは一にその立法政策によって定まるところであることは明である。而してこの政策に基いて昭和二七年法律八一号が制定せられているのである。(このことと占領中ポツダム命令が憲法外の法源によって制定せられたために憲法にかかわりなく効力があったこととは別個の問題である。)又仮に政令三二五号の指令違反行為の処罰規定がわが法秩序の外にあったとしても即ち「憲法外の法的効力を有しただけのものであった。」(真野裁判官補足意見)としても若しくは「その本質上占領状態の終了従って最高司令官そのものの解消と共に、当然にその効力を失うべきものである」(真野裁判官を含む六裁判官の意見)としても占領状態の終了と共にそれをわが立法権の作用として憲法のわく内に取入れることができないものではない。それ故裁判所としては、法律八一号によって法律として取入れられた政令三二五号の内容をなす連合国最高司令官の指令の合憲性を判断できるだけである。これが私に関する限り前記四裁判官の意見の趣旨である。いったい政令三二五号にいう「占領目的に有害な行為」というのはわが国会の立法政策からいえば新秩序建設に有害な行為ということであって、何もその文字にとらわれるには及ばないのである。同政令一条によると「占領目的に有害な行為」の中には連合国最高司令官の「指令を履行するために日本国政府の発する法令に違反する行為」も含まれているから、政令三二五号が占領軍の解消と共に消滅すべきものとすれば、ただに同政令ばかりでなくポツダム政令のすべてが同一運命におかれなければならない結論に達すべきである。而して仮りに同政令三二五号が占領軍の解消と共に失効すべきものとしても、そのことだけでは同政令は憲法違反として失効するものではない。それは憲法の「条規に反する法律、命令……の全部又は一部は、その効力を有しない」(憲法八九条)のであるから、憲法の条規に反することが明にされなければならないからである。憲法違反の故に失効するのではなく、ただ占領軍の解消の故に失効すべき法令については、占領終了後もその効力を存続させわが憲法のわく内に入れることのできることは前に述べたとおりである。

以上述べた私の考え方は本件政令三二五号違反被告事件についてもかわるところがない。本件において被告人の判示所為は連合国軍隊の動静に関するものであって、一九四五年九月一〇日附連合国最高司令官の「言論及び新聞の自由」に関する覚書の趣旨に違反して占領目的に有害な行為をしたものであるという理由で、昭和二五年政令三二五号一条、二条二項により処断せられたのであるから、同政令の内容をなす右覚書の当該趣旨が憲法二一条に適合するかどうかを判断することとする。

よって一九四五年九月一〇日附連合国最高司令官の「言論及び新聞の自由」に関する覚書を検討してみると、同覚書は、その第二項で「連合国司令官ハ言論ノ自由ニ関シテハ最少限度ノ制限ヲ為スベキ旨ヲ命ジタリ、日本ノ将来ニ関スル事項ノ討論ノ自由ハ……新ナル国家トシテ出発セントスル日本ノ努力ニ有害ナラザル限リ連合国ニヨリ奨励セラルベシ」とし、その次に第三項として「公式ニ発表セラレザル連合国軍隊ノ動静(中略)ハ之ヲ論議スルコトヲ得ズ」と述べている。かように言論の自由を最少限度に制限すべしとする同覚書の趣旨からすれば、公式に発表せられざる連合国軍隊の動静の論議というのは、実質的に占領軍の安全に危険を及ぼす程度の論議にあることは明である。それならば実質的に占領軍の安全に危険を及ぼす程度の論議であっても、その禁止は単に連合国軍隊だけの利益の擁護であって、従って占領軍だけの法秩序というべきであるかどうかを考えてみる必要がある。然るに占領軍は被占領地の治安を維持する義務があるのである(ヘーグ陸戦の法規慣例に関する条約四三条)。これは被占領地の住民の利益のために認められた原則である。占領中といえども連合国軍の安全の確保はわが国の安全の確保と利害が共通していた実状であったのである。このことは占領状態の終了後、日本国とアメリカ国との間の安全保障条約三条に基く行政協定に伴う刑事特別法六条の存在理由がありとすれば、自衛力も警察力も否定されていたわが国の占領中においては、より強い理由で、その治安維持の責務がある連合国軍の安全は同時にわが国の安全に多大の影響があるから前者の確保は又後者の確保となることは明である。されば実質的に連合国軍隊の安全を危険に陥れる程度に、公式に発表せられざる同軍隊の動静を論議するのは、同時にわが国の安全をも危険に陥れる性質のものであるから前記覚書はわが憲法にかかわりなく連合国軍隊だけの利益を擁護した言論の自由の取締ではなく、かかる論議は占領中といえどもわが憲法二一条の保障する言論の自由の濫用に外ならない。然らば政令三二五号の右論議を禁ずる指令違反の処罰規定は、占領中でも憲法二一条の保障を侵したものとはならない。なおさら占領状態の終了と共にその合憲性を失うべきいわれがないこと明である。

以上説示したところにより、本件被告人の弁護人岡崎一夫同山内忠吉がその上告趣意とする政令三二五号並に前記覚書の違憲性に関する論旨はすべて理由ないものである。しかし職権を以て調査すると原判決の肯認した第一審判決は被告人は昭和二六年一月二六日午前八時三〇分頃横浜市中区山下町一六三番地横浜地方貯金局入口附近及び同町港中学校附近の路上に於て、右貯金局員青木栄一、同石塚信一、及び通行人等数十名に対し、日本共産党中央委員会の名を以て「平和のために愛国者諸君に訴う」と題し、その内容において「ヨコハマの各所に高射砲陣地が国際港都法の美名にかくれて建設されている」旨未だ公式に発表されていない連合国軍隊の動静を論議したビラ数枚を配布したという事実を認定し、右は言論及び新聞の自由に関する一九四五年九月一〇日附連合国最高司令官覚書、(SCAPIN一六号)の趣旨に違反するものとして政令三二五号を以て処断しているのである。そして第一審判決は右の事実を領置にかかるビラ二枚(昭和二六年押第一六七号の一)の存在及び記載内容その他の証拠によって認定しているのであるが、右領置にかかる文書には第一審判決が摘示している文句が記載されていることは明であるけれども、右の文句は前後の文章と一体をなすものであって、それ自体独立した意味をもつものではない。右の文句の次に「電通省などでは兵役調査が開始され日本人徴兵の下準備が着々と進んでいる」という文句があって、これ等を受けて「このようにすべてが戦争え戦争えとかりたてられている」と結んでいる。つまりこの結語を導びき出すために高射砲陣地とか電通省の兵役調査とかを一つの事情として例示的にあげたことがうかがわれるのであって、寧ろ第一審判決摘示の文句の前後を通じ同章句の主眼とするところは日本共産党独自の反戦的見解の表示であることがわかるのである。而して本件連合国最高司令官覚書第三項が禁止した公式に発表せられざる連合国軍隊の動静の論議というのは、軍の安全に実質的に危険を及ぼす虜がある連合国軍隊の動静の論議にあるものと解すべきこと前に説示したとおりである。従って本件日本国の将来に関する反戦的政見中の高射砲陣地に関する記述は右覚書の全趣旨から考えれば同第三項にいわゆる連合国軍隊の動静の論議に該当しないものと解するのを相当とする。されば原判決及び第一審判決は罪とならない事実を有罪とした法令適用の誤りがあるものというべく、右の違法は刑訴四一一条一号に該当するものとして他の論点を判断するまでもなく原判決及び第一審判決はとうてい破棄を免れない。そして本件は同四一三条但書により当裁判所において直ちに裁判できる場合であるから、同三三六条により被告人に対し無罪を言渡すべきものと思料する。

裁判官田中耕太郎、同霜山精一、同齋藤悠輔、同本村善太郎の上告棄却の意見は次のとおりである。

弁護人岡崎一夫、同山内忠吉の上告趣意第一点について。

昭和二五年政令三二五号は、所論のごとく昭和二〇年勅令五四二号に基き制定されたいわゆるポツダム命令であって、連合国最高司令官の日本国政府に対する指令の趣旨に反する行為、その指令を施行又は履行するための同令一条所定のその他の行為をした者を処罰することを規定したものである。しかし、連合国最高司令官は、降伏条項を実施するためには、日本国憲法にかかわりなく法律上全く自由に自ら適当と認める措置をとり、日本の官庁職員及び日本国民に対し指令を発してこれを遵守せしめることを得ること、並びに、右勅令五四二号は、日本国憲法にかかわりなく、同憲法施行後も右憲法外において法的効力を有することは、当裁判所大法廷の判例の示すところであるから(昭和二四年(れ)六八五号同二八年四月八日宣告大法廷判決中弁護人森長英三郎の上告趣意第二点についての判断参照)、同政令もまた日本国憲法にかかわりなく、憲法外において法的効力を有するものといわなければならない。そして、右政令は、それ自体には処罰の対象となる行為を何等具体的に挙示するところなく、所謂空白刑罰法規というべきであることは所論のとおりであるが、その空白を補充すべき個々の指令は、前述のごとく連合国司令官において日本国憲法にかかわりなく法律上全く自由にこれを発し、その都度適当と認める方法によりこれを公示するものであるから、既に現実にこれが発布あった以上その内容は充たされて完全な法的効力を有し、従って、その内容が仮りに憲法に違反するとしても、その遵守を拒否し得ないこと論を佚たない。されば、同政令が所論憲法格条規に反するとの論旨は、採用できない。

同第二点について。

第一審判決の確定した事実は、被告人は、昭和二六年一月二六日午前八時三十分頃未だ公式に発表されていない連合国軍隊の動静を論議したビラ数枚を配布し以て言論及び新聞の自由に関する連合国最高司令官発覚書の趣旨に違反し、連合国占領軍の占領目的に有害な行為をしたというのである。されば、被告人の所為は、論旨第一点について説明したとおり右犯行当時法的に有効に存在した昭和二五年政令三二五号第一条、一九四五年九月一〇日附連合国最高司令官発「言論及び新聞の自由に関する覚書」に違反し、同令二条一項に該当すること明らかであるから、被告人は、同条項所定の処罰を免れないものといわなければならない。しかるに、所論は、昭和二七年四月二八日講和発効と同時に前記政令三二五号は廃止されたと認むべきものであるから本件は当然免訴さるべきであると主張する。

しかし、刑訴三三七条二号の免訴事由である「犯罪後の法令により刑が廃止されたとき」とは、読んで字のごとく、犯罪後の法令により積極的に既成の刑罰権を特に放棄したとき、すなわち、特に刑を廃止する旨の国家意思の発現があったことを指すものであること並びに単なる事情の変更又は時間の経過によって単に将来に向って失効するに過ぎない。いわゆる限時法的性格の法令は、その立法と同時にその法令失効後もなお失効前の違反行為に対し罰則を適用する旨の明文を予め設けてあると否とを問わず、犯罪後の法令により特に刑を廃止する旨の明文がない限り、既成の刑罰を廃止するといえないものであることは、昭和二七年(あ)二八六八号昭和二八年七月二二日宣告当裁判所大法廷判決中の弁護人上田誠吉の上告趣意第三点についてのわれわれの判断において説明したとおりである。また本件政令三二五号は、初めから占領中だけ有効に存在する、いわゆる限時法的性格の法令であって、本件犯罪後これが刑罰を特に廃止したと認むべき国家意思の発現もなく(本件指令違反の犯罪につき大赦がなかったことはその一端を示している。)むしろ、昭和二七年法律八一号、同法律一三七号一連の法律は(前者が新たな国内法律として有効であるか否かは別として)犯罪後において却ってその刑罰(右法律施行前にした行為に対する罰則そのものを含む)を特に廃止しない旨の明確な国家意思を表明していると見るべきこと、並びに、かかる一連の立法は、刑訴三三七条二号若しくは四一一条五号のごとき訴訟法規定を適用しないとの立法であって、一旦失効した刑罰法規そのものを失効後再び有効な法規として復活させるものでないから、憲法三九条の禁止するところでないこと、及び本件のように平和条約発効前たる昭和二六年一月二六日本件政令三二五号に違反したとの問題は、平和条約発効後である昭和二七年四月二九日以降同年五月七日までの間における同年法律八一号の違反行為ありや否やの問題でないから、同法律が憲法に違反するか否かを論ずる必要のないこともすべて前記われわれの判決理由において説明したとおりである。されば、本件については、犯罪後の法令により刑の廃止はないのであるから、所論は、刑訴四一一条五号の職権発動事由としても採用し難い。

齋藤裁判官は、本件につき次の意見を附加する。

刑法六条は、旧刑法三条と同じく、実体刑法上犯罪行為時法を適用するのが当然であって新法を遡及適用すべきでない原則に対し犯罪者に対する恩恵上一大例外を認めたものであるから、その立法趣意に照しこれを狭く厳格に解すべく、広く類推して拡張解釈すべきでないことはいうまでもない。(元来、わが刑事法では、後に述べるドイツ刑法二条a第一項と同じく、行為の可罰性とこれに科すべき刑罰は、判決時法によらずに、行為時法によるべき原則を採用していることは、罪刑法定主義を採っていることと刑法六条、刑訴三三七条二号等の特別の規定があることにより明白である。若しも科刑に関し判決時法主義を採っているならば、曽って発表された「刑法改正ノ綱領」四十(犯罪終了後ニ刑ノ変更アリタルトキハ判決時法ニ依ルヘキ規定ヲ設クルコト但シ行為時法ニ於テ定メラレタル刑ノ最上限ヲ超エサルモノトスルコト)のごとき決議の必要もなく、また、刑法六条は、「改正刑法仮案」六条のように、「犯罪後法律ノ変更アリタルトキハ新法ヲ適用ス但シ旧法ニ定メタルモノヨリ重ク処断スルコトヲ得ス保安処分ニ付テハ新法ニ従フ。」のごとく規定すべきであったであろう。)刑法六条は、その法文上明らかなように、単に、「犯罪後ノ法律ニ因リ刑ノ変更アリタルトキハ其軽キモノヲ適用ス」と規定して犯罪行為時の刑が犯罪成立又は完結後の法律に因り変更されたときに限り規定したに止まり、ドイツ旧刑法二条第二項のように犯罪の時から判決言渡の時までの間いやしくも実体刑法規定の変更があったときは、犯罪者に最も寛大な結果を生ずべき一切の規定(従って、刑を規定した法規そのものが廃止された場合をも含むと解釈すべき余地があった)を適用する趣旨の立法ではない。すなわち、刑法六条は、犯罪者の犯罪行為が成立(即時犯)又は完結(継続犯)後判決言渡までの間において、その犯罪者の行為規範の違反に対し科すべく予定した法律効果を規定した法規(実体刑法各本案)に変更を生じたときは,罪刑法定主義の建前からすれば、当然行為当時の刑罰を科すべきであるに、立法者の犯罪者に対する量刑観念の変化に伴う最も寛大な立法意思の表現である最も軽い法律効果を規定した法規を適用すべきものとして、特に軽い刑を規定した新法の遡及効(すなわち軽い事後法の適用。)又は既に失効した最も軽い刑を規定してあった中間法の復活適用(すなわち恩恵的のものであって、行為時法主義でも判決時法主義でもない。)を認めたに過ぎないものである。従って、同条は、ドイツ刑法二条a第二項後段のように、判決言渡の時に行為が最早科刑されなくなったとき(行為当時の刑罰法規が判決言渡の時に廃止され又は消滅して)、裁判所の裁量によって刑罰法規を適用しないで無罪たらしめ得るという趣旨の実体刑法規定でないのは勿論、刑訴三三七条二号にいわゆる「犯罪後の法令により刑が廃止されたとき。」とある訴訟法規定をも包含した規定でもない。しかるに、刑の廃止は、刑法六条にいわゆる刑の変更の最も軽い極限に当るから、同条の「刑ノ変更」の中には狭義の刑の変更と刑の廃止(刑訴四一一条五号)を含むものと解する説がある。しかし、刑法六条は、その明文の示すとおり、刑の変更の場合に限り軽い法律を適用するという法律適用に関する規定であって、実体刑法を適用しないで無罪又は免訴をする場合の規定ではない。そもそも、現行刑訴にいわゆる「刑の廃止」とは、旧旧刑訴一六五条六号にいわゆる「罪の全免」と同義であって、刑を規定した法令そのものの廃止を指すものではなく(この廃止が同時に暗黙に既成の刑罰権を放棄したと推定される場合のあることは別として)、既に発生、成立した科刑権の廃止を意味し、犯罪の成立を認めて刑罰だけを廃止する場合と刑罰ばかりでなく行為の犯罪性(可罰性)をも全免する場合とを含むといわれている。されば、わが刑訴法においては、刑の廃止と刑の変更とを明確に区別して規定し、両者とも控訴理由若しくは上告審における職権破棄事由となるけれども、刑の変更の場合は免訴の事由にはならないのである。(刑訴三八三条二号、四一一条五号、三三七条二号参照)。従って、刑法六条の刑の変更が刑訴三三七条二号又は刑訴四一一条五号中の刑の廃止を含まないことは、明文上一点の疑もないのである。それ故、論者の説は、明白な類推でなければ極めて顕著な歪曲である。しかのみならず、刑訴三三七条二号は、読んで字のごとく、「犯罪後の法令により刑が廃止されたとき。」と規定している。従って、「刑の廃止」とは、既成の科刑権の廃止であり既成の「罪の全免」であるが、仮りに刑を規定した刑罰法規そのものを将来に向って廃止する場合をも含むものと仮定しても、それが「犯罪後の法令(刑法六条とは異り法律だけではない。)により」なされなければならないのである。換言すれば、特に廃止する旨の明白な国家意思の表明を必要とするのである。本件でいえば、犯罪後の法令により少くとも昭和二二年勅令五四二号又は昭和二五年政令三二五号はこれを廃止するとの明文を必要とするのである。(昭和二七年法律八一号同一三七号一連の法律は廃止する旨の明文を置くと同時に、前者はこれに基く既成の命令の効力を存置し、後者は罰則の適用については従前の例によらしめており、また、本件指令違反の罪については大赦を行っていないことは顕著な事実である。)しかるに、廃止する旨の明文もないのに、単に独自の見解で平和条約の発効により当然失効するとか又は平和条約発効後憲法違反の規定となるというだけでは、(この両説は、いずれも、わが刑事法では行為時法主義ではなく、判決時法主義を採るとの見解に立つものであるこというまでもない。)犯罪後の法令により刑が廃止されたとはいえないのである。だが、いましばらく、右のごとく特に犯罪後の法令により又は少くとも刑罰法規を廃止する旨の明文がないときでも、刑を規定した刑罰法規が将来に向って失効したと思われる場合に、刑法六条を類推適用して刑の廃止があったと見ることが妥当であるか否かを一応検討して見ることとする。刑法六条は、理論上当然の規定ではなく、論者もいうがごとく、従前の犯罪者に対する恩恵、寛容、仁愛、慈悲の精神によったものであることは、敢て争わない。(但し、論者の羅列列挙中公平とあるのは、根拠なき独断である。若し、公平の精神によるものならば、行為が実行の時に違法であった以上判決時に刑が重く変更されたときでも重きに従わねばならぬ筈である。単に恩恵的のものであるからこそドイツ刑法二条a第二項でも同条項を適用すると否とを裁判所の裁量に任せているのであり、また、刑法六条を適用しない立法を設けるか否か等は自由な立法政策の問題でもあるのである。なぜならばわが憲法は少しも軽き事後法の適用を強制してはいないからである。)しかし、元来、刑を規定した刑罰法規そのものの廃止又は失効の動機又は理由は、必ずしも、従前の犯罪者に対する恩恵的精神によるものではない。その動機又は理由は、或いは、立法者の側における法的観念、刑法的価値判断に変更を生じ、従前認められていた刑罰法上の可罰性を認むべきでないとするような場合もあり、或いは単なる事情の変更乃至時間の経過に因るに過ぎないような場合もあるのである。前の場合にはその法規失効の理由に鑑み恩恵、寛容、仁愛、慈悲の精神を拡張して失効と同時に既成の刑罰を廃止したもの、すなわち、既に発生成立した科刑権をも同時に放棄したものと類推、推定しても妥当を欠くとはいえないが、後の場合にはかかる類推や推定を許す妥当性がないのである。従って、後の場合は、罪刑法定主義当然の約束によって、行為時法に従い可罰性を認め行為時法所定の刑罰を科するのが当り前なのである。されば、ドイツ刑法二条a第一項は、先ず行為の可罰性並びに刑罰は行為時法によるべき原則を規定し、その第二項前段に判決時法が行為時法より軽き場合は裁判所の裁量により軽き法を適用し得る旨並びにその後段に判決時に行為が最早科刑されなくなったときは裁判所の裁量により処罰しないことができる旨それぞれ規定すると共に、その第三項にいわゆる純然たる限時法の場合は法規失効後も必ずこれを適用しなければなならないとの裁量禁止規定を設けて、第一項の原則に復帰すべきことを規定したのである。だから、ドイツ刑法の限時法に関する規定は行為時法の原則に対する例外規定ではなく、これが原則への復帰を示したものに過ぎないものであって、何等例外の拡張ではないのである。これがわが国においても、限時法的性格の法令(単なる事情の変更乃至時間の経過に因り廃止し又は失効するに過ぎない法令)は、特に明確な例外的国家意思がない限り行為時法の原則に依るのが当然であると主張する所以である。従って、ドイツ刑法二条a第二項後段(前段の規定の外特に後段の規定を設けてあることに注意を要する)のごとき規定のないわが刑法六条の解釈として、ドイツ法と同様の結論(しかも、ドイツ刑法においては裁判所の任意裁量である点を無視して)をとる論者こそ、その根本において刑法六条などの立法趣旨を全く誤解しているばかりでなく、原則と例外とを顛倒した見解といわなければないない。なお、「旧法(令)廃止前にした行為に対する罰則の適用については、なお、従前の例による」といった風の規定は、単に将来に向って廃止の効果を及ぼし、既成の効果を廃止しないという注意的な規定であって、刑罰法令の適用は判決時法によるとの原則を示したものではないのである。そしてかかる規定は、その前提として必ず先ず犯罪後の法令によって該刑罰法令そのものを廃止する旨の明文あることはいうまでもないのである。わたくしは、少くとも刑を規定した刑罰法令を廃止する旨の明文なくしては、既成の刑罰権放棄の国家意思を推定することはできないと主張するのであり、また、かかる明文なくして刑法六条や刑訴三三七条二号等を限時法的性格の法令にまで類推適用することは誤りであるというのである。

この点に関し、法令が合憲であることはすべてに先行するもので裁判時においてその法令が違憲であれば刑の廃止と見る外はないとの説がある。この説も結局科刑については行為時法を適用すべきではなく、裁判時法を適用すべきものとする見解に帰するであろう。わたくしは、第一に或る法令が合憲であるか否かは行為時において決すべく、裁判時において定むべきでないと考える。そして、本件では犯罪行為時において昭和二五年政令三二五号は憲法(正確にいえば憲法九八条第一項)にかかわりなく有効であって、占領中かかる有効性のあることはわが憲法もその九八条二項において是認しているのである。従って、本件政令は行為時において広義の合憲性をも有していたのである。第二に、刑の廃止ありと見るには犯罪後の法令により既成の刑罰権を放棄する国家意思の表現あることを要するものであり、少なくとも刑を定めた刑罰法令を廃止する旨の新らたな国家意思の表明を要するものと考える。そして、その法令中には法律ばかりでなく、憲法(又は条約)も含むであろう。従って、厳密に言えば、犯罪後少くとも刑罰法令を廃止する趣旨の新らたな憲法(又は条約)の制定乃至改正を要するであろう。そして、本件では犯罪後かかる憲法の制定乃至改正(又は条約の締結)のないことはいうまでもないのである。なるほど、平和条約の発効と同時に憲法は全面的に回復されるであろう。しかし、憲法九八条二項は占領中に有効に存在した過去の例外的な法律秩序を占領後も有効に残存することをも是認しているものと考えるのである。まして、昭和二七年法律八一号、同一三七号一連の法律は、本件の過去における法秩序が占領後も有効に残存することを是認していることが明白であることは先に述べたとおりである。そして、実行の時に違法であった行為は犯罪後の法令により大赦乃至刑の廃止がない限りこれに対し科刑することが法の秩序を重んずる憲法の精神であり、正に憲法三九条の前提であると思うのである。占領中の指令違反行為に対し平和条約発効後の裁判時において違憲審査を行うがごときは、いわゆる死児の齢を算えるの類であって、恐るべき法秩序の空白乃至破壊を来すであろう。われわれは、占領中におけるすべての立法、就中論者の金科玉条とする憲法の制定それ自身すら占領的拘束を受けたものであり、しかも、その拘束が占領終了後も依然有効に残存するものであることを忘れてはならないのである。わたくしは、わが国が半ば自主的地位を回復したからといって、濫りに大陸棚的主張を為す者を戒めざるを得ないのである。第三に、仮りに百歩を譲り平和条約発効後憲法二一条が回復してこれに反する既住の効果を放棄したと見ることが正しいと仮定しても、本件指令が憲法二一条に違反すると見ることについても異見を有する。同条の保障は、公共の福祉に反するときはこれが制限を受けることのあるのは当然でありまた、占領目的に有益な指令が同時にわが国の公共の福祉を維持するに必要なものも存するのであって、本件指令のごときはこれに属し憲法二一条に反するものとは思われないのである。この点に関し論者とその客観的事態に関する認識を異にするを遺憾とする。

要するに、多数説は、「犯罪後の法令」によらずに、却って、犯罪後の前記法律八一号又は一三七号の明文に反し、擅に刑の廃止を認めるものであって、法律の拘束を勝手に逸脱しそれ自身憲法七六条三項に反する違憲の裁判というべきである。その他免訴の裁判が合議の本質上失当であることも(特に、違憲の判断は、最高裁判所裁判事務処理規則一二条所定の定数を欠く無効のもので、裁判所法四条の拘束力を生じ得ないこと勿論である。)、昭和二七年(あ)二八六八号事件の判決中のわたくしの意見に示したとおりである。

(裁判長裁判官 田中耕太郎 裁判官 霜山精一 裁判官 井上 登 裁判官 栗山 茂 裁判官 真野 毅 裁判官 小谷勝重 裁判官 島 保 裁判官 斎藤悠輔 裁判官 藤田八郎 裁判官 河村又介 裁判官 谷村唯一郎 裁判官 小林俊三 裁判官 本村善太郎 裁判官 入江俊郎)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例