最高裁判所大法廷 昭和28年(あ)3026号 判決 1960年10月19日
主文
本件上告を棄却する。
当審における訴訟費用は被告人らの負担とする。
理由
弁護人徳田禎重の上告趣意第一点について。
所論は憲法三七条の迅速な裁判の規定又は憲法第三八条の不当に長い抑留拘禁後の自白禁止の規定に反するとの趣旨に帰する。
しかし、公判の審理が遅延したからといって、破棄事由とならないことは当裁判所大法廷の判例とするところであり、(昭和二三年(れ)第一〇七一号同年一二月二二日言渡刑集二巻一四号一八五四頁参照)また記録を精査して認め得られる本事案の経過に徴すれば、所論各自白が不当に長い抑留拘禁の後になされた自白とは認められないから、所論違憲の主張はその前提を欠くものであって、所論は刑訴四〇五条の上告理由に当らない。なお、判例違反をいう点は具体的に該当判例を示していないから、不適法である。
同第二点ないし第四点及び第五点の前半について。
所論は単なる法令違反、事実誤認の主張を出でないものであって、すべて刑訴四〇五条の上告理由に当らない。
同第五点の後半について。
所論は原判決が旧関税法(明治三二年法律六一号)八三条一項に基づき犯人以外の者の所有物件を没収したのは憲法三一条に違反するというのであって、要するに訴訟外の第三者の所有権を対象として、違憲を主張しているのである。
しかし、訴訟において、他人の権利に容喙干渉し、これが救済を求めるが如きは、本来許されない筋合のものと解するを相当とするが故に、本件没収の如き事項についても、他人の所有権を対象として基本的人権の侵害がありとし、憲法上無効である旨論議抗争することは許されないものと解すべきである。されば、本件没収について所論違憲のかどありとする論旨は結局理由なく、採用のかぎりではない。
よって、刑訴四一四条、三九六条、一八一条により主文のとおり判決する。
この判決は、論旨第五点につき、裁判官小谷勝重、同島保、同河村又介、同入江俊郎、同池田克、同河村大助、同奥野健一の反対意見および裁判官垂水克己、同下飯坂潤夫、同高木常七の補足意見があるほか裁判官全員一致の意見によるものである。
裁判官入江俊郎の反対意見は、次のとおりである。
わたくしは、弁護人徳田禎重の上告趣意第五点後段に対する多数意見の判示には反対である。所論違憲の主張は刑訴四〇五条の適法な上告理由に該当するものであり、そして本件第三者没収が憲法三一条に違反するとの論旨は、結局において理由あるに帰し、原判決はこの点において破棄、差戻を免れないものと考える。その理由とするところは、次のとおりである。
(一) 多数説は、訴訟において、他人の権利に容喙干渉し、これが救済を求めるが如きは、本来許されない筋合のものと解するを相当とするが故に、本件没収の如き事項についても、他人の所有権を対象として基本的人権の侵害ありとし、憲法上無効である旨論議抗争することは許されないとし、本件没収について所論違憲のかどありとする論旨は結局理由がないというのである。
ところで原判決は、主文において「(三)記載の物件(換価代金)及機帆船浜栄丸は被告人大町辰平から……没収する」旨を言渡したが、その趣旨とするところは、本件犯行当時の旧関税法(明治三二年法律六一号)八三条一項に従い、これら被告人大町辰平以外の第三者の所有に属する物件および船舶は、いずれも本件関税法違反の犯罪に係りまたは犯行の用に供したものであって、犯人たる大町辰平の占有に係るものであるから、被告人大町辰平に対する主刑の附加刑としてこれら物件および船舶を没収する旨を、被告人大町辰平に対し言渡し、以って第三者の所有に属するこれら物件および船舶の所有権を国家に帰属せしめようとするにあると解すべきものと思う。従って、原判決が確定すれば、その裁判の効果は、第三者没収に関する限度において右物件および船舶の所有権者たる第三者に及び、右所有権は国家に帰属せしめられることとなると解するを相当とする。(かような解釈は、従来の通説であると思うが、これに対し、第三者没収を言渡した裁判は、被告人でない第三者の所有権には何ら影響を及ぼすものではなく、単に被告人に対しその物件または船舶の占有権を剥奪し、その使用、収益を禁止する趣旨であるとの意見がある。そして多数説は、従来の通説を是認したものであるか、または被告人でない第三者の所有権には何ら影響を及ぼすものではないとの意見によったものであるかは必らずしも明瞭でないが、もし後説を採ったものであるならば、わたくしはそのような意見には賛成できない。なるほど、裁判は、原則としては、その訴訟において当事者とせられた者に対してのみ効果が及ぶと解すべきものかもしれないが、事柄の性質上、その必要のある場合においては、法律の定めるところにより、裁判の効果を当該訴訟の当事者以外の第三者に及ぼさしめることは決して不可能なことではなく、これを第三者没収につき考えてみるに、没収制度の趣旨、目的、その必要性等から勘案し、また、没収に関するわが国における従来の法制および取扱並びに諸外国における立法例に照らし、第三者没収は第三者の所有権を国庫に帰属せしめる趣旨のものと解することが当然であると思うのであって、従って、当該訴訟の当事者である被告人に対し主刑に附加して言渡された第三者没収の効果を、その第三者に及ぼさしめることは、充分合理的理由のあることである。刑法一九条二項但書においては既にその趣旨が明瞭であるばかりでなく、昭和三五年四月刑法改正準備会が発表した改正刑法準備草案においても、七二条二項は現行刑法一九条二項と同様に第三者没収を認め、草案七六条は、没収の言渡が確定したときは、その物は、国庫に帰属する旨を定めている。そして、本件における旧関税法八三条一項も亦、その趣旨の規定と解するのである。)
(二) そこで、このような場合、第三者没収を附加刑として主刑を言渡された被告人大町辰平が、第三者没収を違憲であるとした上告趣意は、果たして多数説のいうごとく、他人の権利に容喙干渉し、これが救済を求めるものであるとして排斥を免れないものなのであろうか。
そもそも、没収がその本質において刑罰であるか、保安処分であるかはしばらくおき(わたくしは、すくなくとも第三者没収は、その第三者に対する関係においては、刑罰ではなく保安処分であると解するけれども)、現行法制の下においては、主刑に対する附加刑とせられていることは刑法九条の明示するところであり、従って有罪の言渡がなされる場合に限り、且つその言渡される刑(主刑)に附随してのみ言渡され、没収のみ独立に言渡すことは認められていない。即ち没収は、主刑を科せらるべき犯罪行為が存在する場合、その犯罪行為と関連ある物は、一定の範囲および条件の下に何人に対してもその所有権を認めないこととする趣旨において主刑に附加して、被告人に対し言渡されるのであって、結局、国家は、主刑を科せられる被告人に対し、「主刑プラス没収」の言渡をするのであり、被告人に対する裁判である点においては、その没収が当該被告人の所有物に対するものであると、第三者の所有物に対するものであるとによって区別はないと考える。しからば、被告人が第三者没収を言渡した裁判に違憲、違法ありと考えた場合には、自己に対する裁判に不服ありとしてこれを上訴によって争いうると考える。また、所有権に及ぼす効果のみに着眼すれば、第三者没収は主刑を科せられる被告人には直接には影響はないであろう。しかし、被告人は没収に係る物の占有権を剥奪され、またはこれを使用、収益をなし得ない状態に置かれることとなる点からいえば、被告人の財産権は当然影響をうけることとなり、また被告人は、所有権を失うに至る第三者から、賠償請求等の求償権の行使を受ける危険に曝されることは否定し得ないのであるから、この点からいっても被告人の財産上の権利、利益に影響ありとして、上訴をなしうることは当然であろう。
このような考え方に対しては、第三者没収は、形式的には主刑に附加して被告人に対し言渡されるけれども、実質的には第三者に対する保安処分以外の何ものでもなく、被告人に対する主刑の言渡とは無関係であるという者があるかもしれない。しかし、それならば第三者没収に関し、例えばドイツ刑事訴訟法四三一条二項、三項のごとく、その第三者を当然その訴訟手続に参加せしめ被告人に準じて訴訟上の権限行使をなさしめるというような規定を置くとか、或いは第三者没収を主刑に対する附加刑とせず、独立に言渡すというような規定を置く等、格別の考慮が払われなければならない。そのようなことのない現行法制の下においては、第三者没収の言渡は被告人に対する関係においても主刑と不可分の一体として観念すべきものであると考える。
(三) 多数説は、本件のごとき第三者没収に対しては、主刑を言渡された被告人には元来上訴権がないというのであるか、または上訴権はあるが不服とする理由が被告人自身の権利、利益に関係なく、専ら第三者の所有権の侵害につき論議抗争するものであるから、そのような上訴は許されないというのであるか、必らずしも明らかでないが、前者であるとすれば、その採るべからざることは既に述べたとおりであり、後者であるとすれば、わたくしは遺憾ながらこの点についても多数説に従うことができない。
なるほど本件上告趣意第五点後段は、船舶の没収に最も利害関係を有する船主に対して刑事訴訟法上何らの手続規定なく、船主は何らの手続によらないで所有船舶を没収されることが憲法三一条違反であると主張するのである。それ故論旨の非難する点は、第三者たる船主の船舶の所有権が違憲な手続で没収されることに関してであるが、これをもって多数説のいうように、他人の所有権を対象として基本的人権の侵害があるから憲法上無効である旨を論議抗争し、それ故、それは他人の所有権に容喙干渉し、他人の権利侵害の救済を求める趣旨のものであると見てしまうことは、論旨を正解するものといえないのではないかと思う。上訴権を行使するのは裁判が上訴権者の権利、利益を侵害しているからこれが救済を求めるものであることはいうまでもないが、その裁判を違憲、違法なりとするところの理由は、その裁判がなされるにつき準拠すべきすべての憲法、法律、命令の規定の解釈、運用の適否に及びうべく、その理由とするところが被告人自身に直接には関係のない点に関するものであったからといって、その点にこれを違憲、違法とする理由があり、その結果その裁判が違憲、違法となるものであれば、被告人は、その点のみを理由として上訴をなしうべきことは当然といわなければならない。多数説は、もし上告趣意に、「本件第三者没収は、船舶の所有者たる第三者からその所有権を剥奪するに当って憲法三一条の要請に反し違憲であり、かかる違憲の第三者没収の裁判が確定すれば、被告人自身の権利、利益を侵害することになるから上告する」旨の記載があれば、これを適法な上告理由として取り上げて、審理するというのであろうか。もしそうだとすれば、裁判所としては、本件上告趣意第五点後段をそのような趣旨のものと解してこれを取り上げることは、少しも無理ではなく、むしろ、当然なすべきことではないかと思う。またもし多数説が、被告人が上訴によって本件第三者没収を違憲、違法なりと攻撃する場合は、専ら被告人自身の権利、利益に関する事項の違憲、違法を理由としなければ許されないという趣旨であるとすれば、それは上訴権の行使とその不服の理由となる事項とを混同した議論であって、わたくしの到底賛成しえないところである。
そして、当裁判所は、既にこのような場合主刑を科せられた被告人に第三者没収に関する上訴権を認めたいくつかの判例を示している。例えば、旧関税法(明治三二年法律六一号)違反被告事件につき、第三者没収が憲法一三条、二九条違反、旧関税法違反の上告趣意に対し当裁判所大法廷は、「所論はいずれも原審で主張、判断を経ない事項であるから上告適法の理由とならない」と判示(原審で主張、判断を経ていれば当然適法な上告理由となるという趣旨である。)すると共にこの点につき職権調査の結果、違憲とは認められないが、旧関税法八三条一項違反の違法または審理不尽の違法ありとして破棄、差戻をした(昭和二六年(あ)第一八九七号、昭和三二年一一月二七日大法廷判決、刑集一一巻一二号三一三二頁以下)。また小法廷においても、この点につき判示したいくつかの判例があるのである(昭和三三年一月一四日第三小法廷判決、同年二月一三日第一小法廷判決、同年四月一五日第三小法廷判決、昭和三四年一二月一五日第三小法廷判決等)。
なお、多数説の立場に立つとしても、最高裁判所としては、刑訴四一一条一号に従い職権によってこれを調査する必要はないであろうか。当裁判所は前掲の旧関税法違反事件については、論旨は原審において主張判断のない事項であって上告適法の理由とならない旨判示しつつ、職権調査を行って所論の点につき判断を下したことは上述したとおりである。本件にあっては第三者没収の憲法三一条違反が問題となっているのであって、この点は第三者没収を言渡した原判決の当否に極めて重要な関係があるばかりでなく、広く第三者没収制度の本質にも触れる重大事項である。それ故、多数説の立場に立つとしても、このような場合は、最高裁判所としては、進んで刑訴四一一条一号により職権審査をなすべきものと考える。尤も、多数説がもし本件第三者没収を言渡した裁判は被告人でない第三者の所有権には何ら影響のないものであって単に被告人の占有権を剥奪し、その物の使用、収益を禁止するに止まるものであるとの立場に立つものであるとするならば、上告趣意第五点後段の主張は、前提を欠くこととなり、問題として取り上げる余地もないこととなるであろうが、わたくしは、第三者没収の趣旨をそのようには考えないことは既に述べたとおりである。
そして、最高裁判所が刑訴四一一条一号により職権調査をなしうる事項は、原判決中の被告人の権利、利益に関連ある事項の違憲、違法の点のみに限らるべきものではなく、原判決に影響を及ぼすべき法令の違反があって、原判決を破棄しなければ著しく正義に反すると認めるときは、原判決を違憲、違法ならしめるすべての事項につき調査できるものと考える。(なお、前掲旧関税法違反被告事件についての大法廷判決は、憲法三一条の点は職権調査として取り上げていない。検察官の本件答弁書によると、右大法廷判決が憲法三一条にも違反しないという趣旨の見解を示していると解されるとあるが、わたくしは右判決はそこまでは判断したものではないと思う。蓋し、この点は上告趣意にも何ら触れられておらず、当裁判所としても、進んでこの点を取り上げて判示したとは、判文上認められないからである。)
(四) 以上述べたごとく、本件における上告趣意第五点後段は、上告理由として適法のものと認むべく、当裁判所はその論旨の当否を判断しなければならない。そして、論旨は要するに、本件第三者没収をうける船主山田善吉に対し手続参加の機会を与えずその所有に属する浜栄丸の所有権を失わしめるのは憲法三一条に違反するというのである。
先ず憲法三一条の法意を考えてみるに、同条にいわゆる法定手続の保障は、単に形式上法律でさえ定めれば、それで本条の要請を満たしたものというものではなく、たとえ法律で定めても、その法律の内容が、近代民主主義国家における憲法の基本原理に反するようなものであれば、本条違反たるを免れず、単に手続規定のみについてでなく、権利の内容を定めた実体規定についても、本条の保障ありと解すべきであると思う。さらにわたくしは、本条は、単に刑罰についてのみの規定ではなく「若しくは自由を奪われ」という中には、刑罰以外に、国家権力によって個人の権利、利益を侵害する場合をも包含しているものと解するのである。本条は明治憲法二三条の趣旨を引きついだ規定でもあり、明治憲法二三条は、刑事上のみならず行政上の逮捕、監禁、審問、処罰についても保障したものと一般に解せられていたし、現行憲法三一条の保障も単に刑罰にのみに限る理由はない。検察官が答弁書において、憲法三一条は専ら刑罰に関する規定であるとした所論にはわたくしは賛成できない。
しからば、進んで憲法三一条は、国家権力が個人に対し、その権利、利益を侵害するいかなる場合にも、常に必らずその者に予め告知、聴問の機会を与え、予め意見を開陳し、弁解、防御をなすことを得せしめるべきことを要請するものか否かにつき考えてみるに、わたくしは、憲法三一条は、常に必らず、そこまでのことを要請しているものとは思わない。勿論それが刑罰である場合には、憲法の他の規定、例えば三二条、三七条、八二条等により、そのような要請が明定せられ、それらの規定と三一条とが結びついてその保障がなされているのであるが、刑罰以外のものについては、事柄の性質から判断し、予め告知、聴問の機会を与え、予め弁解、防御をなすことを得せしめることが、憲法全体の建前から見て基本的人権の保障の上に不可欠のものであるか否かによって区別さるべきであり、それが不可欠のものであると考うべき充分の根拠がありとするならば、それは憲法三一条の要請によるものというべく、然らざる程度のものであれば、そのような手続を経るか否かは、専ら立法政策の適否の問題であって、そのような手続を経ないからといって、その一事をもって直ちに憲法三一条違反であると解するのは行き過ぎであると考える。
ところで、前にも述べたとおり、第三者没収は第三者に対する関係においては刑罰ではなく、保安処分であると考えるのであるが、現行法制の下においては、それは常に主刑たる刑罰に附加され、主刑を言渡される被告人の犯罪行為に対する国家の評価として主刑と不可分に被告人に対し言渡されるのである。また、第三者没収は、その第三者に知情の事実がなければならないとせられるところから(この点は旧関税法違反被告事件についての前掲当裁判所大法廷判例参照。そして、この知情の事実の存在を必要とする考え方は正当であると思う。)、この点についての審理を尽した上でなければ第三者没収は言渡し得ない。これらの諸点を併せ考えると、第三者没収の言渡はこれと不可分に言渡される主刑と一体をなすものとして、その手続を考えるべきであると思う。しからば第三者に対しては、当該訴訟手続において、何らかの方法により、予め告知、聴問の機会を与え、弁解、防御をなすことを得せしめることが、第三者没収についての憲法三一条の最小限の要請といわなければならないと考えるのである。
(五) しかるに、現行法制の下においては、刑法一九条二項の第三者没収においても、関税法その他特別法の第三者没収においても、右に述べたような予め告知、聴問の機会を与える特別な規定は何ら定められていない。(ドイツ刑事訴訟法四三一条二項、三項にはその趣旨に合うような特別な規定が置かれていることは前述した。)しかし、制度上、そのような法律の規定を欠いたからといって、その一事によって、第三者没収を定めた旧関税法八三条の規定が違憲であり、またはそれに基づいて第三者没収を言渡した裁判が違憲であるかといえば、わたくしは、そのような手続法規の欠缺が憲法三一条の要請を満たさないからといって、それが直ちに、第三者没収の根拠規定である旧関税法の実体規定またはこれに基づいてなされた第三者没収を言渡した裁判を違憲ならしめる必然的の関係はないと思う。ただ問題はその裁判のやり方如何であって、もしその裁判が第三者没収を言渡すに当り、審理の手続面において、上述したような憲法三一条の要請に適合する何らかの事前の告知、聴問の機会を第三者に与えておらず、従って第三者は当該訴訟手続において意見を開陳し弁解、防御を試みることが不可能な状態に置かれたとすれば、その点において、右裁判は憲法三一条に違反するものたるを免れないこととなるであろう。しからば、制度上これがための特別の規定のない現行法制の下においては、裁判における審理の手続面において、右の要請は実際上いかなる方法によって満たしうるかといえば、わたくしは、それは右第三者を証人として法廷に召喚し、証人調の段階においてこれに第三者没収の趣旨を告知し、意見を開陳し、弁解、防御を試みうる機会を事前に与えることによって可能となると考えるのであって、第三者没収が前述のとおり第三者の知情を前提とする限り、これを証人として召喚することは訴訟手続としては恐らく必要不可欠の事柄でもあろうし、証人は自己に有利な主張、立証をする権限のない点において、不充分のそしりは免れないとはいえ、その機会に自己の所有物が没収されるかも知れないことを察知して刑訴四九七条の手続により、または所有権に基づく民事訴訟を提起する等の方法によって、その権利を防御することができるのであるから、せめて前記程度のことが履践せられるならば、その裁判は憲法三一条の最小限度の要請を充たしたものとして、違憲たるを免れると思うのである。(勿論、第三者の告知、聴問につき、立法によって周到、適切な規定を設けるにしくはないが、それは立法機関の職責であって、裁判所としては、それ以上立ち入ることはできない。)
しかるに本件においては、記録によれば船主山田善吉は何ら上述の要請を充たしうる取調をうけていない。しからば、本件第三者没収を言渡した原判決はこの点において憲法三一条違反といわざるを得ず、上告趣意が本件につき憲法三一条違反をいう理由については、上述したところと必ずしも一致しない点もあるが論旨は結局において理由あるに帰する。
以上の理由により、わたくしは、原判決中、第三者没収を附加刑として主刑を科せられた大町辰平に関する部分を破棄し、さらに憲法三一条の要請に適合する審理手続を尽さしめるため、これを原審に差し戻すべきものと考える。
裁判官小谷勝重、同島保、同河村又介、同池田克は、裁判官入江俊郎の右反対意見に同調する。
裁判官河村大助の反対意見は左のとおりである。
わたくしは原判決中「機帆船浜栄丸を被告人大町辰平から没収する」旨の部分は破棄すべきものと思料する。
原判決は、旧関税法八三条一項に基き、犯人の占有に係る物として、第三者山田善吉の所有に属する機帆船浜栄丸を被告人大町辰平から没収する旨の言渡をなし、これに対し右被告人から上告があったのが本件である。よって第一に本件のような被告人の占有に係る物で第三者の所有に属する物の没収(以下第三者没収と略称する)につき被告人から上訴ができるか否か、第二に第三者没収は占有のみの没収か所有権をも没収するものであるか否か、第三に第三者没収は没収処分の効力が第三者に及ぶか否か、第四に旧関税法八三条一項中の第三者没収の規定及び本件没収は憲法三一条に違反するか否かにつき以下順次検討する。
一、本件第三者没収について、多数意見は、被告人は所有権を有するものでないから、「他人の権利に容喙干渉し、これが救済を求めるが如きは、本来許されない筋合のものである」と判示する。しかし、被告人はその物を占有していた関係から訴訟の当事者として附加刑を言渡されたものであって、第三者没収が不適法であるとすれば、附加刑の言渡は当然取消に値するものである。故に附加刑に処せられた被告人が訴訟の当事者として上訴権を有するものであることは疑いを容れないところである。また判決の実質的効力から考えても被告人は没収処分により所持を剥奪され、かつ所有権を剥奪された第三者から損害賠償等の請求を受けるおそれもあるわけであって、被告人として訴訟の結果につき利害関係を有することは明らかである。従って本件上告は多数意見の如く不適法と認むべき筋合のものではない。
二、前記関税法が犯罪の用に供された船舶が犯人の所有に属する場合であると、単に犯人の占有に属する場合であるとを問わず、等しく没収する旨を定めたのは、犯罪の行われた場合、その犯罪に関連する一定の物の所有権を剥奪して、国がこれを原始的に取得することを目的としたものであって、単に犯人が占有するに止まる場合は、その犯人から占有のみを奪う処分であると解することはできない。(多数意見はこの点をどう見ているのか明らかでない)このことは刑法一九条二項但書、同一九七条ノ五、関税法一一八条一項但書の第三者没収の各規定からも容易に推論することができると思う。すなわち、これらの規定は、没収の対象となるべき物が第三者の所有に属する場合においても、その第三者が悪意である限り、被告人に対し没収処分ができることを認めたものであって、被告人のみに対する没収の言渡で、第三者の所有権を剥奪し、国庫に帰属する効力を認めたものであることは明らかである。所謂占有没収説からいえば、右の規定は意味をなさないことになるであろう。(ことに刑法一九条二項但書の場合は被告人は占有していない状態で没収処分を受けるのである)前記旧関税法八三条一項の第三者没収もその理を異にするものでない。但しこの第三者没収の規定が憲法三一条に違反するかどうかは後述する。
三、第三者没収の場合において、没収は被告人に対し主刑に附加して言渡されるに過ぎず、手続上第三者を当事者とする没収の制度は認められていないから、刑事訴訟上当事者以外の第三者に判決の効力は及ばないではないかとの問題がある。しかし第三者没収を認めた法の目的は叙上のとおり、第三者の所有権を剥奪して、国に帰属せしめるにあるのであるから、実体法上没収処分の効果として第三者の所有権を剥奪することを認めたものと解するの外はない。けだし、かく解するにあらざれば制度の目的は貫徹されないことになるからである。(没収は性質上所有権を剥奪するものであるという点に問題があるわけでなく、第三者の権利が訴訟法上正当に保護されない点に問題があるのである)
四、以上に述べたような法の目的と効力をもつ旧関税法八三条一項中の「犯人ノ……占有ニ係ルモノハ没収ス」との規定は、憲法三一条に違反するかどうかを検討する。
憲法三一条は「何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない」と規定し、刑罰を主眼とする法定手続を保障したもののように解せられるが、同条が米連邦憲法修正五条の適法手続の規定の影響の下に成立した沿革と、人権保障を強く標榜する新憲法において、人権の制限、剥奪には合理的根拠を必要とする法の精神とに照し、同条の刑罰とは厳格な意味の刑罰に限らず、ひろく刑罰に準ずることのできる拘束、制裁等の処分にも準用あるものと解するを相当とし、(但し、その準用の範囲は各場合の拘束、制裁等の処分の性質を検討して決するの外はない)かつ、同条の「法律の定める手続」とは沿革の示すように「法律の正当な手続」の保障すなわち、適正条項の要請をも含むものと解するを相当とする。ところで問題の第三者没収は、被告人に対する附加刑であるが、その刑事処分の効力が第三者の所有権剥奪に及ぶものであるから、第三者の立場から見ても多分に刑事的制裁の性質を有し、附加刑処分を受ける被告人ではないけれども、その所有権剥奪の制裁を受ける点において、正に法律の定める正当手続の保障を受けるに値するものと謂わなければならない。然るに旧関税法八三条は第三者没収について、帰責事由に関し何等の合理的基準を定めていない。(関税法一一八条一項但書、刑法一九条二項但書のように第三者の知情を要件とすべきか又はその物が犯罪の用に供せられるにつき所有者たる第三者に過失ある場合も帰責事由とすべきかは立法政策の問題に属する)もっとも、この点について、大法廷判決(昭和二六年(あ)第一八九七号昭和三二年一一月二七日判決)は「所有者たる第三者において、貨物について同条所定の犯罪行為が行われること又は船舶が同条所定の犯罪行為の用に供せられることをあらかじめ知っており、その犯罪が行われた時から引きつづき右貨物又は船舶を所有していた場合に限り、右貨物又は船舶につき没収のなされることを規定したものと解す」べきであると判示して「所有者の悪意」を第三者没収の主観的要件としている。しかし判例が右のような合理的基準を想定したことには疑いなきを得ない。明文は、所有者たる第三者の善意悪意に関係なくすべて無条件に没収できるようになっているのであるから、これに主観的要件を附け加えることは解釈としては無理ではなかろうか。
のみならず特に当該訴訟において所有者に告知、聴問の機会が与えられていないことは法の不備といわなければならない。すなわち、適法手続の本質的要素は、処分を受ける前に必ず告知を受けて、その訴訟手続に参加し、防御権行使の機会が与えられることを要するものである。けだし、自ら犯罪を行った犯人に対しては、当該訴訟において、その没収処分についても意見弁解の機会が与えられているのに拘らず、没収の直接効果が及ぶ第三者に防御の機会が与えられていないことは甚だしく個人の権利を侵す結果となるものだからである。(なお、所有者を証人として尋問するだけでは、憲法三一条の要請にこたえることにはならない。けだし所有者はその訴訟手続に参加して防御権行使の機会を与えられることによってのみ、法定手続の保障は完うされることになるのであって、単に証人として尋問されるだけでは防御の権利を与えられたことにはならないからである。また訴訟手続から言っても、所有者の悪意を認定するには、所有者を証人として尋問しなければならないというような証拠調の制限は、できないこというをまたない。)
以上の理由により旧関税法八三条一項中犯人の占有に係る物は没収する旨の規定は憲法三一条の法定手続の保障を欠くため違憲であり、従って同条を適用して浜栄丸を没収した原判決も違憲無効であると解する。
裁判官奥野健一の反対意見は次のとおりである。
弁護人徳田禎重の上告趣意第五点について。
多数意見は旧関税法八三条一項に基く犯人以外の者の所有物件の没収については、所有者でない被告人は違憲を理由として不服申立をすることは許されない旨判示するのであるが、没収は被告人に対する附加刑であるから違憲、違法な没収については、それだけで被告人は不服申立をなし得るものと解すべきであるのみならず、没収物件の占有者である被告人は、何れは真の所有者に対して該物件を返還すべき義務があり、返還できないときはこれに代わる損害を賠償すべき義務があるのであるから、第三者の所有物に対する没収の言渡については被告人は実質的にも利害関係を有するのであって、その没収の違憲、違法を理由として上訴の申立をなす利益を有するものといわなければならない。
そもそも、没収は犯罪の行われた場合に、その犯罪に関連ある一定の物件の所有権を剥奪して、国がこれを原始的に取得する処分であって、この理は犯人の所有物でない第三者の所有物の没収の場合においても何ら変りはないのである。(第三者の所有物の没収の場合は単なる占有の剥奪に過ぎないのであって、所有権の剥奪ではないとの議論は等しく没収について被告人の所有物の没収と第三者の所有物の没収とで解釈を異別にするものであって成文法上何らその根拠はなく、また、犯人以外の所有者の関係においては没収は刑罰ではなく一種の保安処分であるとの説を採っても、没収という犯人に対する附加刑の反射的効力として所有者の所有権が奪われ国庫に帰属する効果を有することには変りはない。)そして、没収される物件の所有者が被告人であると第三者であるとを問わず、これを没収するにはその物件が犯罪と一定の関連があること、その犯罪が適法に起訴されたことについての告知、審問の機会が与えられ、それに対する意見、弁解および防御権行使の機会が与えられなければならないものと解する。このことは憲法三一条、一四条、二九条の各規定から当然要請される帰結であるといわなければならない。
けだし、わが憲法三一条の規定はいわゆる適法条項を定めたものと解すべきであって、生命、自由を奪う場合のみでなく広く財産権その他の国民の権利を奪う場合にも、常に適法な法律の定める手続によらなければならない趣旨を規定したものと解すべきであって、単に刑罰を科する場合に法律に定める手続によらなければならないことのみを規定したものと解すべきではないからである。のみならず、没収は附加刑であって刑の一種であるから、同条を以って刑罰を科する場合の規定であるとの見解によっても、その手続は法律を以って定めなければならないと解すべきことには変りはないのである。
そして、右憲法三一条の法律に定める手続の内容は、没収によって所有権を剥奪する場合においては最小限度当該所有者に前記の如き告知、審問および防御権行使の機会を与えるものでなければならない。然らずして、所有者に何らかかる機会を与えることなく、その者の所有権を剥奪するが如きことは、国民の基本的人権を保障し、殊に財産権につき憲法二九条において「財産権はこれを侵してはならない」と保障するわが憲法の到底容認しないところであると解すべきである。そして、所有者が単に証人として尋問を受ける機会があるというだけでは右憲法三一条の要請を充足するものとはいえない。けだし、証人は自己に有利な主張および立証をなす権限を与えられていないからである。のみならず、犯人たる被告人が自己の所有物について没収の刑を受ける場合にあっては、刑訴法により当然被告人として告知、審問、防御権行使の機会が与えられるのに反し、被告人以外の第三者がその所有物を没収される場合には全然かかる機会が与えられないということは、被告人でない所有権者は、被告人である犯人の場合に比し著しく不利益な差別的取扱を受けるものであって、その間何ら合理的な根拠を発見できないのであるから憲法一四条の法の下に平等であるとの原則にも違反するものといわねばならない。
然るに、関税法八三条は被告人以外の第三者の所有に属する物件の没収については、当該所有者に対し何ら前述の如き手続を経べきことを定めておらず、また、刑訴法その他の法令においてもかかる手続規定がない。従って、右八三条中被告人でない所有者の所有物件の没収についての規定は、何ら告知、審問の機会を与えることなく、また意見、弁解および防御権行使の機会を与えることなく、直ちに、第三者たる所有者の物件を没収することができる趣旨であると解するの外なく、かくては、正に憲法三一条、二九条、一四条に違反するものと断ぜざるを得ない。従って、右違憲な法規に従ってなした本件没収の言渡も違憲であって、原判決中本件没収に関する部分は破棄を免れない。
なお、附言するに、第三者没収によって第三者の所有権は奪われるとする従来の通説に従えば、刑訴四九七条一項の規定は犯人以外の者の所有物が適法に没収されたときは、その所有者は同条の権利者に含まれないものと解すべきであるから本件においては同条の適用の余地はなく、また、本件没収の判決確定後、第三者たる所有者が国を被告として所有権に基き民事訴訟を提起しても、既に適法に没収の判決が確定した以上、その物件は何人の関係においても適法に国庫に帰属しているのであるから、かかる訴の理由のないことは明らかであり、更に、同様の理由により国家賠償法によっても救済されないのである。また、没収の処分は第三者たる所有者の関係においては刑罰ではなく一種の保安処分たる行政処分であって、これに対して所有者は行政訴訟を提起し得るとの論もあるが、被告人でない第三者は行政法上右処分を受けた当事者とはいいえないから抗告訴訟の当事者となり得るか否か疑問であるのみならず、既に没収処分が適法に確定したものとすれば、その取消は許されないものと解すべきであるから、これによっても救済されない。すなわち、現行法上は本件没収によって所有権を剥奪された第三者は救済される途がなく、従って現行法の解釈上かかる没収を合憲と解する余地はないと考える。
裁判官垂水克己の補足意見は次のとおりである。
没収は所有権の剥奪である。だからこそ没収判決の執行として検察官の命令により没収物が或は破壊、廃棄され(これは必ずしも法律上何人の所有をも許されないいわゆる法禁物に限らない)或は公売される(代価は国庫に帰属する)のである。没収判決が確定した途端に没収物の所有権は判決(形成判決)によって当然国庫に原始取得される。この理は没収物が第三者の所有に属していた場合でも変りはない。その結果、第三者所有の没収物を被告人が占有している場合には被告人の占有は検察官の手に移される手段がとられることになる。
第三者所有物を没収する判決は、その第三者にとっては刑罰たる性質を有しないとしても不利益処分であるには違いない。かような不利益処分は予め定められた適正合理的な制定法律(実体刑法および刑罰手続法)によらなければ科せられないというのが憲法三一条である。このうち適正合理的な手続法とは何か。それは、不利益処分を受けるかも知れない本人(本件では第三者)に対し、告知聴取(防御)の機会を与えること、詳言すれば、予め本人にどんな事実上および法律上の理由からどんな不利益処分を受けるかも知れないということを告知し、本人の言いぶんを聴取し本人をして反論し証人を反対尋問し反証を提出し以て不利益処分を受けないよう自己防御をする機会を与えるべきことを定めた手続法の意味である。本件については合理的適正な実体的特別刑法として旧関税法八三条一項があり同条項は所定の場合には第三者所有物を没収する権利を国に与えている。ところが、第三者の所有物没収について第三者を訴訟主体として訴訟に参加させる刑訴法の規定は今日存在しない。従って第三者所有物没収の判決をする方法がない。とすれば本件でも裁判所は第三者所有物没収判決を憲法三一条によって封じられている。原審がかような判決をすることも上告審がこれを是認することも同条によって許されない。当審は刑訴四一一条に従い職権を行使するならば原判決中第三者所有物没収を言い渡した部分を破棄することができるのであり、この憲法違反を看過することなくこれを破棄すべきであるということに恐らくはなろう。(ちなみに、私は、形式上、上告が適法である場合には、すなわち事件が適法に上告審に係属した以上は、たとえ上告理由が事実誤認や量刑不当の如き上告理由として不適法のものであっても、たまたま上告審の調査によって眼に触れた事柄が刑訴四一一条にいう「原判決を破棄しなければ著しく正義に反する事由」に当ると上告裁判所が認めたときは同条に従い職権により原判決破棄の判決をすることができると考える。)
けれども本件上告理由は原審の第三者所有物没収判決は没収の点につきその第三者を訴訟に参加させず防御権を与えないでなされたという第三者の法益侵害を主張するもので何ら上告人自身が刑訴手続法上の法益を侵害されたことの主張ではない。被告人自身は、第一、二審で論旨のように本件船舶が若し没収されると被告人自身も折角第三者から借り受けている船舶の占有を奪われる不利益を蒙るとの主張を冒頭陳述から最終陳述に至るまでの間に主張し、立証できた筈であり、被告人自身に対する防御機会はすでに与えられている。第三者が法益を侵害されたというだけの被告人からの上告理由は従来上告審で毎に不適法として採り上げられないで来た。職権調査の問題を別にすれば本件上告理由は取り上げられないという本判決は当然である。
裁判官下飯坂潤夫の補足意見は次のとおりである。
私は本判示に対する反対意見、主として入江裁判官の意見に対し反論をしながら判示の見解をいささか補足したいと思う。
まず論旨は何を訴えているのであろうかというと、本判示の冒頭に説述しているとおり、原判決は憲法上の誤りを犯して本件没収を宣言している。そしてその没収の対象となった物件は何んであるかというと、本訴訟外の第三者の所有物だというのであり、ただそれだけのことなのである。そして、入江意見がいっているように「本件第三者没収は物件所有者たる第三者からその所有権を剥奪するに当って憲法三一条の要請に反し違憲であり、かかる違憲の裁判が確定すれば被告人自身の利益を侵害することになるから上告する」などとは片言だも云っていないのであり、又「被告人は没収に係る物の占有権を剥奪され、またこれを使用、収益をなし得ない状態におかれることになるから被告人の財産権は当然に影響をうけることとなり、また被告人は所有権を失うに至る第三者から、賠償請求等の求償権の行使を受ける危険に曝されることは否定し得ないのであるから、被告人の財産上の権利に影響ありとして上告をなす」などと解すべき文言上の根拠はいささかも見出し得ないのである。従って本論旨を所説のような趣意のものとせんさくし、没収の本質論などに言及する必要は毫末もないのであり、また、この場合は刑訴四一一条の職権審査権を発動して所説のような没収論を広汎に展開しなければならない場合でもないのである。(所説はつまり論旨の範囲をはみ出て無用の論議をしているのである。所説の如きは没収物件の所有権者である第三者から国に対し没収の無効を主張して、物件の返還或は損害賠償等を請求してきた場合にこそなさるべきであろう。)
ところで論旨は憲法論議を主張する限りにおいて、一応刑訴四〇五条の要請をみたしているが如きかたちをなしているのではあるが、その憲法論議は何ら自己の権利を対象としているのではなくて、訴訟外の第三者に属する所有権を問題としているのである。いったい、訴訟において他人の権利ないしは利益の保護、救済を求めることができるものであろうか。もし可能だとすればそれは他人の法律生活に対する謂れない容喙干渉であり、その他人から見れば余計なお節介であろう。かようなことが是認されるとすれば個人の法律生活はみだされ、延いて一般社会の法的安全を害するに至るであろうことは必至である。このような訴訟行動が、訴訟理論におけるいわゆる利益ありや否やの点は別論として、許さるべき筋合のものでないことは当然過ぎる程当然のことであろう。況んや憲法論をこれにからませるが如きは憲法訴訟のらん用というを憚らない。憲法裁判所たる上告審としてはかような訴訟に当面する場合特に深慮を必要とするものではないかと、私は考えるのである。
思うに、自己の有する権利以上のものを他人に譲渡することができないものであることは古来法諺の示すとおりである。このことは他面において何人も自己の有する権利以上のものを奪われないということであり、また何人も自己の有しない権利を奪われる筋合はないということを意味する。そうだとすれば、被告人らは本件没収の宣告によって何ら自分の所有権は奪われないのである。土台、そうしたことはあり得ない理なのである。入江意見は没収は所有権を奪うものであり、当該物件が第三者の所有に属する場合でも同様だという。いわゆる所有権没収説である。しかし、この所説に従っても論旨の場合被告人らから見れば他人の権利に関することで自分らの権利には何らかかり合いのない事柄なのである。従って、論旨はいわば主文に影響のない主張に帰するわけなのである。ここで、入江意見は次の如く云う。すなわち「被告人は、所有権を失うに至る第三者から、賠償請求等の求償権の行使を受ける危険に曝されることは否定し得ない」と云い、その点からして本件上告は利益のないものではないと論及するのである。しかし、所説にいう賠償請求等の求償権の行使を受けるとは、いったいどんな場合をいうのであろうか。その根拠が明瞭にされておらず、余りに漠然としていて理解にくるしむが、それはそれとして、所説は本件没収宣告の判決が確定すれば第三者たる所有権者はその判決に拘束されて自己の所有権の主張を全く封じ去られるということを云うのであろうか。私見によればそんな筋合はあり得べきではないのである。没収についていわゆる所有権没収説をとるとしても本件のような場合没収宣告の判決はあくまで没収物件の所有者でない被告人らに対してなされた判決であり、それ以外の何ものでもないのである。従って、その判決の効力は訴訟外の所有者に反対の主張すなわち本件没収物件が自己に属することの主張を一切封じて仕舞ったというのではなく、所有者は本件物件が自己の所有に属することを主張するについて何ら妨げられるものではなく、その主張の下に本刑事訴訟の手続の過程において(刑訴四九七条参照)或は別個の民事訴訟において国を相手方として、これが取戻し方の請求(場合によっては損害賠償の請求も)が可能なのである。況んや入江意見の説くように本件没収の宣告についてこれを無効としなければならない程の憲法上のかきんがあるとすれば所有権者は一層強い理由を以て前示主張ないしは請求をなし得る筈である。私見を以てすれば、前示のような主張ないし請求こそは所有権者の領分に属することであり、被告人らの不服申立の圏外にあることなのである。本上告の如きはひっきょう他人の権利への容喙干渉であるという所以の一端は正にここにあるのである。
入江意見はさらに云う。「上訴権を行使するのは裁判が上訴権者の権利、利益を侵害しているからこれが救済を求めるものであることはいうまでもないが、その裁判を違憲、違法なりとするところの理由は、その裁判がなされるにつき準拠すべきすべての憲法、法律、命令の規定の解釈、運用の適否に及びうべく、その理由とするところが被告人自身に直接には関係のない点に関するものであったからといって、その点にこれを違憲、違法とする理由があり、その結果その裁判が違憲、違法となるものであれば、被告人は、その点のみを理由として上訴をなしうべきことは当然といわなければならない。」云々と。しかし、もし所見の如きものだとすれば、被告人にとって自己の権利ないしは利益に関係のないこと、被告人自身にとって論議に値しない全く無駄な事柄についても原判決に違憲、違法のかしがあるならばこれを取り上げて論難することは許さるべきであり、上告裁判所としても一々これに判断を与えなければならないというものであって放縦な上告論旨の横行を是認するものであり、私などの到底組みするを得ないところである、所説の如きは訴訟において誰が被告人であるかという問題とその訴訟において誰の権利ないし利益が保護されなければならないかという問題とを混同し、後者の点を全く考慮の外においたものであって、その可なる所以を知らない。
裁判官高木常七の補足意見は次のとおりである。
弁護人徳田禎重の上告趣意第五点について。
関税法(旧)八三条一項は、関税取締の必要性に鑑み設けられた規定であって、関税の賦課及び徴収並びに貨物の輸出及び輸入についての税関手続の適正な処理と犯罪の取締及びその防止の万全を期し、延いて公共の福祉を確保するため、当該犯罪に密接な関連をもつ物件につき、それがひとり犯人に属する場合だけでなく、犯人以外の者に属する場合でも一応これを没収し得ることを定めたものに外ならないのであるから、規定自体として、もとより憲法に違反するものではなく(憲法一二条参照)、諸外国の近代立法にもその例を見ることすくなしとしない。
しかし右規定にもとづく「犯人以外の者に属する物」の没収は、実質的にみて、その物が犯人によって再び犯罪に使用される危険を防止するための保安処分または予防処分の一種として理解さるべきであり、いわば、その所有者がその犯罪に無関係である旨の証明がないかぎり、一応これを取り上げてしまうという一種の行政的措置に過ぎないと解するのが相当である。
それゆえ、もしその者にして真にその犯罪に無関係である場合は、その没収の言渡に対し自己の善意を主張してこれを争い、その物の返還を要求することを得べく(けだし、自己になんらかの違法行為もしくは非難に値いする意思がないのに、ただ偶々それを犯人に所持させていたというだけの理由で、たやすく没収されることは、責任理論の基本観念に悖るからである)、また、かりにその者になんらかの違法行為もしくは非難に値いする意思があっても、その者をして当該訴訟に関与させず、またその没収から自己の権利を護るための機会も与えずして、直ちにその処分を言渡すが如きは刑罰(没収は刑罰にも比すべき不利益な処分であることにかわりがない)の基本理念と相容れないところであるから、もし右様の手続によらないで没収の言渡をした場合は、たといその判決が確定しても、その者はこれに対し、手続の違法を主張してその執行を拒むことを得べく、もし敢て執行を受けた場合は、法の定めに従って(例えば刑訴四九七条)その物の還付を請求することができ、その他の救済をも受ける権利あるものというべきである。
しかしこれらの権利は、もとよりその本人(本件においては船主山田善吉)に固有なものであって、他人(例えば本件被告人)をしてこれに代らしめ得るものではなく、況んやその他人がこれを恰も自己の権利に属するが如くに心得て行使し得べき筋合のものでもない。
かかる趣旨においてわたくしは本判決の多数意見に同調するものである。
(裁判長裁判官 田中耕太郎 裁判官 小谷勝重 裁判官 島 保 裁判官 斎藤悠輔 裁判官 藤田八郎 裁判官 河村又介 裁判官 入江俊郎 裁判官 池田 克 裁判官 垂水克己 裁判官 河村大助 裁判官 下飯坂潤夫 裁判官 奥野健一 裁判官 高橋 潔 裁判官 高木常七 裁判官 石坂修一)