大判例

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最高裁判所大法廷 昭和37年(オ)760号 判決 1965年11月24日

上告人

ナニワ建設株式会社

右代表者

長谷川了造

右訴訟代理人

阿部幸作

越智譲

被上告人

高橋鶴枝

右訴訟代理人

藤原昇

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人阿部幸作、同越智譲の上告理由第一点について。

論旨は、本件手附は解約手附であるとした原判決は、民法五五七条の解釈を誤り、理由不備の違法がある、というにある。

しかし、原判決の引用する第一審判決の認定した事実関係のもとに、所論の本件手附は損害賠償の予定をかねた解約手附の性質を有するものであるとした原判決(第一審判決理由を引用)の説示は相当であつて、その判断の過程において所論の違法はない。所論は、原判決を正解せず、原審が適法に行なつた証拠の取捨判断および事実認定を非難するに帰し、採用することができない。

同第二点および上告会社代表者長谷川了造の上告理由について。

論旨は、要するに、被上告人と大阪府との間で本件売買契約の目的物件である本件不動産についての払下契約が締結された時点あるいは右不動産について上告人主張の仮登記仮処分手続がなされた時点において、被上告人又は上告人が民法五五七条一項にいう契約の履行に着手したものというべきである旨の上告人の主張を排斥した原判決は、右法条の解釈適用を誤つた違法がある、というに帰する。

よつて按ずるに、民法五五七条一項にいう履行の着手とは、債務の内容たる給付の実行に着手すること、すなわち、客観的に外部から認識し得るような形で履行行為の一部をなし又は履行の提供をするために欠くことのできない前提行為をした場合を指すものと解すべきところ、本件において、原審における上告人の主張によれば、被上告人が本件物件の所有者たる大阪府に代金を支払い、これを上告人に譲渡する前提として被上告人名義にその所有権移転登記を経たというのであるから、右は、特定の売買の目的物件の調達行為にあたり、単なる履行の準備行為にとどまらず、履行の着手があつたものと解するを相当とする。従つて、被上告人のした前記行為をもつて、単なる契約の履行準備にすぎないとした原審の判断は、所論のとおり、民法五五七条一項の解釈を誤つた違法があるといわなければならない。(なお、本件の事情のもとに、上告人主張の仮登記仮処分手続がなされたことをもつては所論の履行の着手があつたものとみることができない旨の原判決の判断は正当である。)

しかしながら、右の違法は、判決に影響を及ぼすものではなく、原判決破棄の理由とはなしがたい。その理由は、次のとおりである。

解約手附の交付があつた場合には、特別の規定がなければ、当事者双方は、履行のあるまでは自由に契約を解除する権利を有しているものと解すべきである。然るに、当事者の一方がすでに履行に着手したときは、その当事者は、履行の着手に必要な費用を支出しただけでなく、契約の履行に多くの期待を寄せていたわけであるから、若しかような段階において、相手方から契約が解除されたならば、履行に着手した当事者は不測の損害を蒙ることとなる。従つて、かような履行に着手した当事者が不測の損害を蒙ることを防止するため、特に民法五五七条一項の規定が設けられたものと解するのが相当である。

同条項の立法趣旨を右のように解するときは、同条項は、履行に着手した当事者に対して解除権を行使することを禁止する趣旨と解すべく、従つて、未だ履行に着手していない当事者に対しては、自由に解除権を行使し得るものというべきである。このことは、解除権を行使する当事者が自ら履行に着手していた場合においても、同様である。すなわち、未だ履行に着手していない当事者は、契約を解除されても、自らは何ら履行に着手していないのであるから、これがため不測の損害を蒙るということはなく、仮に何らかの損害を蒙るとしても、損害賠償の予定を兼ねている解約手附を取得し又はその倍額の償還を受けることにより、その損害は填補されるのであり、解約手附契約に基づく解除権の行使を甘受すべき立場にあるものである。他方、解除権の行使する当事者は、たとえ履行に着手していても、自らその着手に要した出費を犠牲にし、更に手附を放棄し又はその倍額の償還をしても、なおあえて契約を解除したいというのであり、それは元来有している解除権の行使するものにほかならないばかりでなく、これがため相手方には何らの損害をも与えないのであるから、右五五七条一項の立法趣旨に徴しても、かような場合に、解除権の行使を禁止すべき理由はなく、また、自ら履行に着手したからといつて、これをもつて、自己の解除権を放棄したものと擬制すべき法的根拠もない。

ところで、原審の確定したところによれば、買主たる上告人は、手附金四〇万円を支払つただけで、何ら契約の履行に着手した形跡がない。そして、本件においては、買主たる上告人が契約の履行に着手しない間に、売主たる被上告人が手附倍戻しによる契約の解除をしているのであるから、契約解除の効果を認めるうえに何らの妨げはない。従つて、民法五五七条一項にいう履行の着手の有無の点について、原判決の解釈に誤りがあること前に説示したとおりであるが、手附倍戻しによる契約解除の効果を認めた原判決の判断は、結論において正当として是認することができる。論旨は、結局、理由がなく、採用することができない。

上告代理人阿部幸作、同越智譲の上告理由第三点について。

論旨は、上告人の信義則違反、権利濫用の抗弁を排斥した原判決は、民法一条の解釈を誤つた違法がある、というにある。

しかし、被上告人のなした本件手附倍戻しによる本件売買契約解除の意思表示は何ら信義則違反、権利濫用にあたらないとした原判決の判断は、正当として是認することができる。論旨は理由がない。

よつて、民訴法四〇一条、三九六条、三八四条二項、九五条、八九条に従い、裁判官横田正俊の反対意見があるほか、裁判官全員一致の意見により、主文のとおり判決する。

裁判官横田正俊の反対意見は、次のとおりである。

民法五五七条一項の解釈について多数意見は、売買の当事者の一方が履行に着手した後は、(イ)その相手方は契約を解除することはできないが、(ロ)履行に着手した当事者は解除権を行使することを妨げないというが、私は、右(ロ)の点について見解を異にし、履行に着手した当事者もまた解除することをえないものと解するのである。けだし、履行に着手した当事者は、手附による解除権を放棄したものと観るのを相当とするばかりでなく、履行の着手があつた場合には、その相手方も、単に契約が成立したに過ぎない場合や履行の準備があつたに過ぎない場合に比べて、その履行を受けることにつきより多くの期待を寄せ、契約は履行されるもの、すなわち、契約はもはや解除されないものと思うようになるのが当然であるから、その後における解除を認容するときは、相手方は、手附をそのまま取得し又は手附の倍額の償還を受けてもなお償いえない不測の損害をこうむることもありうるからであり、また、右のように解することは、民法の前示法条の文理にもよく適合するからである。多数意見を推し進めれば、当事者の一方が履行の一部、いな大部分を終つた場合においても、相手方において履行に着手しないかぎり、その当事者の都合次第で契約を解除することを認容しなければならなくなるものと思われるが、このような場合の解除が相手方の利益を不当に害する結果を伴い(相手方は、履行に対する期待を甚しく裏切られるばかりでなく、原状回復義務を負わされることにもなる)、時には、信義に反するきらいさえあることを否定することができないであろう。もつとも、一部でも履行があつた場合には、解除権を放棄したものと観るべきであるとの論が予想されるが、もしそのような考え方が正しいとするならば、履行の準備の域を越えすでに履行の着手があつた段階において同様の結論を認めて然るべきであり、これが正に民法五五七条一項の法意であると解される。

ところで、本件売買契約の履行に関し、被上告人において上告人の主張するような行為をしたとすれば、右は、履行の着手に該当するものと解されるから(この点においては、上告代理人阿部幸作、同越智譲の上告理由第二点および上告会社代表者長谷川了造の上告理由に対する多数意見に全く同調する)、被上告人は、以上に説示した理由により、手附による解除権をすでに喪失したものと解するほかなく、したがつて、被上告人がした解除の効力を認めて上告人の本訴請求を棄却した原判決には、右の点において民法五五七条一項の解釈を誤つた違法があるに帰し、その違法は判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、原判決は破棄を免れない。

よつて、民訴法三九四条、四〇七条を適用して、原判決を破棄し、本件を原裁判所に差し戻すべきものと思料する。(横田喜三郎 入江俊郎 奥野健一 山田作之助 五鬼上堅磐 横田正俊 草鹿浅之介 長部謹吾 城戸芳彦 石田和外 柏原語六 田中二郎 松田二郎 岩田誠)

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