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最高裁判所大法廷 昭和39年(あ)296号 判決 1966年10月26日

主文

原判決を破棄する。

本件を東京高等裁判所に差し戻す。

理由

被告人らの上告趣意および弁護人東城守一、同山本博の上告趣意について。

上告趣意は、憲法違反、判例違反等、論旨多岐にわたるが、要するに、公共企業体等労働関係法(以下公労法と略称する。)一七条一項は憲法二八条に違反する旨の主張と公労法一七条一項に違反する争議行為には労働組合法(以下労組法と略称する。)一条二項の規定の適用があると解すべきである旨の主張とを骨子とするものである。これらの点について、当裁判所は、つぎのとおり判断する。

一  憲法二八条は、いわゆる労働基本権、すなわち、勤労者の団結する権利および団体交渉その他の団体行動をする権利を保障している。この労働基本権の保障の狙いは、憲法二五条に定めるいわゆる生存権の保障を基本理念とし、勤労者に対して人間に値する生存を保障すべきものとする見地に立ち、一方で、憲法二七条の定めるところによって、勤労の権利および勤労条件を保障するとともに、他方で、憲法二八条の定めるところによって、経済上劣位に立つ勤労者に対して実質的な自由と平等とを確保するための手段として、その団結権、団体交渉権、争議権等を保障しようとするものである。

このように、憲法自体が労働基本権を保障している趣旨にそくして考えれば、実定法規によって労働基本権の制限を定めている場合にも、労働基本権保障の根本精神にそくしてその制限の意味を考察すべきであり、ことに生存権の保障を基本理念とし、財産権の保障と並んで勤労者の労働権・団結権・団体交渉権・争議権の保障をしている法体制のもとでは、これら両者の間の調和と均衡が保たれるように、実定法規の適切妥当な法解釈をしなければならない。

右に述べた労働基本権は、たんに私企業の労働者だけについて保障されるのではなく、公共企業体の職員はもとよりのこと、国家公務員や地方公務員も、憲法二八条にいう勤労者にほかならない以上、原則的には、その保障を受けるべきものと解される。「公務員は、全体の奉仕者であって、一部の奉仕者ではない」とする憲法一五条を根拠として、公務員に対して右の労働基本権をすべて否定するようなことは許されない。ただ、公務員またはこれに準ずる者については、後に述べるように、その担当する職務の内容に応じて、私企業における労働者と異なる制約を内包しているにとどまると解すべきである。

労働基本権のうちで、団体行動の一つである争議をする権利についていえば、勤労者がする争議行為は、正当な限界をこえないかぎり、憲法の保障する権利の行使にほかならないから、正当な事由に基づくものとして、債務不履行による解雇、損害賠償等の問題を生ずる余地がなく、また、違法性を欠くものとして、不法行為責任を生ずることもない。労組法七条で、労働者が労働組合の正当な行為をしたことの故をもって、使用者がこれを解雇し、その他これに対して不利益な取扱いをすることを禁止し、また、同八条で、同盟罷業その他の争議行為であって正当なものによって損害を受けたことの故をもって、使用者が労働組合またはその組合員に対して、損害賠償を請求することができない旨を規定しているのは、右に述べた当然のことを明示的にしたものと解される。このような見地からすれば、同盟罷業その他の争議行為であって労組法の目的を達成するためにした正当なものが刑事制裁の対象とならないことは、当然のことである。労組法一条二項で、刑法三五条の規定は、労働組合の団体交渉その他の行為であって労組法一条一項に掲げる目的を達成するためにした正当なものについて適用があるとしているのは、この当然のことを注意的に規定したものと解すべきである。また、同条二項但書で、いかなる場合にも、暴力の行使は、労働組合の正当な行為と解釈されてはならないと規定しているが、これは争議行為の正当性の一つの限界を示し、この限界をこえる行為は、もはや刑事免責を受けないことを明らかにしたものというべきである。

二  右に述べたように、勤労者の団結権・団体交渉権・争議権等の労働基本権は、すべての勤労者に通じ、その生存権保障の理念に基づいて憲法二八条の保障するところであるが、これらの権利であっても、もとより、何らの制約も許されない絶対的なものではないのであって、国民生活全体の利益の保障という見地からの制約を当然の内在的制約として内包しているものと解釈しなければならない。しかし、具体的にどのような制約が合憲とされるかについては、諸般の条件、ことに左の諸点を考慮に入れ、慎重に決定する必要がある。

(1) 労働基本権の制限は、労働基本権を尊重確保する必要と国民生活全体の利益を維持増進する必要とを比較衡量して、両者が適正な均衡を保つことを目途として決定すべきであるが、労働基本権が勤労者の生存権に直結し、それを保障するための重要な手段である点を考慮すれば、その制限は、合理性の認められる必要最小限度のものにとどめなければならない。

(2) 労働基本権の制限は、勤労者の提供する職務または業務の性質が公共性の強いものであり、したがってその職務または業務の停廃が国民生活全体の利益を害し、国民生活に重大な障害をもたらすおそれのあるものについて、これを避けるために必要やむを得ない場合について考慮されるべきである。

(3) 労働基本権の制限違反に伴う法律効果、すなわち、違反者に対して課せられる不利益については、必要な限度をこえないように、十分な配慮がなされなければならない。とくに、勤労者の争議行為等に対して刑事制裁を科することは、必要やむを得ない場合に限られるべきであり、同盟罷業、怠業のような単純な不作為を刑罰の対象とするについては、特別に慎重でなければならない。けだし、現行法上、契約上の債務の単なる不履行は、債務不履行の問題として、これに契約の解除、損害賠償責任等の民事的法律効果が伴うにとどまり、刑事上の問題としてこれに刑罰が科せられないのが原則である。このことは、人権尊重の近代的思想からも、刑事制裁は反社会性の強いもののみを対象とすべきであるとの刑事政策の理想からも、当然のことにほかならない。それは債務が雇傭契約ないし労働契約上のものである場合でも異なるところがなく、労務者がたんに労務を供給せず(罷業)もしくは不完全にしか供給しない(怠業)ことがあっても、それだけでは、一般的にいって、刑事制裁をもってこれに臨むべき筋合ではない。

(4) 職務または業務の性質上からして、労働基本権を制限することがやむを得ない場合には、これに見合う代償措置が講ぜられなければならない。

以上に述べたところは、労働基本権の制限を目的とする法律を制定する際に留意されなければならないばかりでなく、すでに制定されている法律を解釈適用するに際しても、十分に考慮されなければならない。

三  そこで、労働基本権制限の具体的態様についてみるに、法律によって定めるところがまちまちであり、かつ、幾度かの改廃を経て現在に至っている。すなわち、昭和二三年七月三一日政令第二〇一号が制定施行されるまでは、国家公務員や地方公務員も、一定の職員を除いて、一般の勤労者と同様に、団結権・団体交渉権・争議権等について制限されることなく、争議行為も許されていた。政令第二〇一号の制定施行によって、公務員は、国家公務員たると地方公務員たるとを問わず、何人も同盟罷業、怠業はもちろん、国または地方公共団体の業務の運営・能率を阻害する一切の争議行為を禁止され、これに違反した者は、刑罰を科せられることになった。しかし、昭和二三年一二月三日改正施行された国家公務員法では、一切の争議行為が禁止されたことは右の政令と同様であるが、たんに争議行為に参加したにすぎない者は処罰されることがなく、争議行為の遂行を共謀し、そそのかし、もしくはあおり、またはこれらの行為を企てた者だけが処罰されることになった(昭和四〇年法律第六九号による改正前の国家公務員法九八条五項、一一〇条一項一七号、なお、地方公務員法三七条一項、六一条四号参照)。ところが、昭和二三年一二月二〇日に公布され、翌二四年六月一日から施行された公共企業体労働関係法では、国鉄・専売公社はいわゆる公共企業体と呼ばれ、その職員は、一切の争議行為を禁止されたけれども、その違反に対しては、刑事制裁に関する規定を欠き、同法に違反する行為をしたことそのことを理由として同法によって刑事責任を問われることはなくなった。昭和二七年七月三一日の同法の改正では、被告人ら郵政職員を含むいわゆる五現業の職員の争議行為等について、国家公務員法の規定の適用が排除され、新しい公共企業体等労働関係法の関係規定が適用されることになった。したがって、郵政職員の争議行為は、公労法一七条一項によって禁止されていることが明らかであるが、その違反に対しては、これを共謀、教唆、煽動、企図したものであるといなとを問わず、禁止の違反そのものを理由として同法によって刑事責任を問われることはなくなった。

以上の関係法令の制定改廃の経過に徴すると、公労法適用の職員については、公共企業体の職員であると、いわゆる五現業の職員であるとを問わず、憲法の保障する労働基本権を尊重し、これに対する制限は必要やむを得ない最小限度にとどめるべきであるとの見地から、争議行為禁止違反に対する制裁をしだいに緩和し、刑事制裁は、正当性の限界をこえないかぎり、これを科さない趣旨であると解するのが相当である。

四  右のような経過をたどってきた現行の公労法の規定について検討するに、その一七条一項は、いわゆる五現業および三公社の業務に従事する職員およびその組合は、公共企業体等に対して同盟罷業、怠業、その他業務の正常な運営を阻害する一切の行為をすることができないこと、また、右職員ならびに組合の組合員および役員は、このような禁止された行為を共謀し、そそのかし、もしくはあおってはならないことを規定している。この規定は、職員等の行為がたんなる債務不履行またはそれをそそのかす等の行為であっても、それが業務の正常な運営を阻害するものであるかぎり、これを違法とするものであって、その意味で憲法二八条の保障する争議権を制限するものであることは明らかである。

上告趣意は、公労法一七条一項の規定が憲法二八条および一八条に違反して無効であるという。しかし、右の規定が憲法の右の法条に違反するものでないことは、すでに当裁判所の判例とするところであり(前者については、昭和二六年(あ)第一六八八号同三〇年六月二二日大法廷判決、刑集九巻八号一一八九頁、後者については、昭和二四年(れ)第六八五号同二八年四月八日大法廷判決、刑集七巻四号七七五頁)、公労法一七条一項の規定が違憲でないとする結論そのものについては、今日でも変更の必要を認めない。その理由をすこし詳しく述べると、つぎのとおりである。

憲法二八条の保障する労働基本権は、さきに述べたように、何らの制約も許されない絶対的なものではなく、国民生活全体の利益の保障という見地からの制約を当然に内包しているものと解すべきである。いわゆる五現業および三公社の職員の行なう業務は、多かれ少なかれ、また、直接と間接との相違はあっても、等しく国民生活全体の利益と密接な関連を有するものであり、その業務の停廃が国民生活全体の利益を害し、国民生活に重大な障害をもたらすおそれがあることは疑いをいれない。他の業務はさておき、本件の郵便業務についていえば、その業務が独占的なものであり、かつ、国民生活全体との関連性がきわめて強いから、業務の停廃は国民生活に重大な障害をもたらすおそれがあるなど、社会公共に及ぼす影響がきわめて大きいことは多言を要しない。それ故に、その業務に従事する郵政職員に対してその争議行為を禁止する規定を設け、その禁止に違反した者に対して不利益を課することにしても、その不利益が前に述べた基準に照らして必要な限度をこえない合理的なものであるかぎり、これを違憲無効ということはできない。

この観点から公労法一七条一項の定める争議行為の禁止の違反に対する制裁をみるに、公労法一八条は、同一七条に違反する行為をした職員は解雇されると規定し、同三条は、公共企業体等の職員に関する労働関係について、労組法の多くの規定を適用することとしながら、労働組合または組合員の損害賠償責任に関する労組法八条の規定をとくに除外するとしている。争議行為禁止違反が違法であるというのは、これらの民事責任を免れないとの意味においてである。そうして、このような意味で争議行為を禁止することについてさえも、その代償として、右の職員については、公共企業体等との紛争に関して、公共企業体等労働委員会によるあっせん、調停および仲裁の制度を設け、ことに、公益委員をもって構成される仲裁委員会のした仲裁裁定は、労働協約と同一の効力を有し、当事者双方を拘束するとしている。そうしてみれば、公労法一七条一項に違反した者に対して、右のような民事責任を伴う争議行為の禁止をすることは、憲法二八条、一八条に違反するものでないこと疑いをいれない。

五  つぎに、公労法一七条一項に違反して争議行為をした者に対する刑事制裁について見るに、さきに法制の沿革について述べたとおり、争議行為禁止の違反に対する制裁はしだいに緩和される方向をとり、現行の公労法は特別の罰則を設けていない。このことは、公労法そのものとしては、争議行為禁止の違反について、刑事制裁はこれを科さない趣旨であると解するのが相当である。公労法三条で、刑事免責に関する労組法一条二項の適用を排除することなく、これを争議行為にも適用することとしているのは、この趣旨を裏づけるものということができる。そのことは、憲法二八条の保障する労働基本権尊重の根本精神にのっとり、争議行為の禁止違反に対する効果または制裁は必要最小限度にとどめるべきであるとの見地から、違法な争議行為に関しては、民事責任を負わせるだけで足り、刑事制裁をもって臨むべきではないとの基本的態度を示したものと解することができる。

この点で参考になるのは、国家公務員法および地方公務員法の適用を受ける非現業の公務員の争議行為に対する刑事制裁との比較である。この制裁としては、争議行為を共謀し、そそのかし、もしくはあおり、またはこれらの行為を企てた者だけを罰することとしている(昭和四〇年法律第六九号による改正前の国家公務員法九八条五項、一一〇条一項一七号、地方公務員法三七条一項、六一条四号)。その趣旨は、一方で、これらの公務員の争議行為は公共の福祉の要請によって禁止されるけれども、他方で、これらの公務員も勤労者であり、憲法によって労働基本権を保障されているから、この要請と保障を適当に調整するために、単純に争議行為を行なった者に対しては、民事制裁を課するにとどめ、積極的に争議行為を指導した者にかぎって、さらに刑事制裁を科することにしたものと認められる。右の公務員と公労法の適用を受ける公共企業体等の現業職員とを比較すれば、右の公務員の職務の方が公共性の強いことは疑いをいれない。その公務員の争議行為に対してさえも、刑事法上の制裁は積極的に争議行為を指導した者だけに科せられ、単純に争議行為を行なった者には科せられない。そうしてみれば、公共企業体等の現業職員の争議行為には、それより軽い制裁を科するか、制裁を科さないのが当然である。ところで、公労法は刑事制裁に関して、なにも規定していないから、これを科さない趣旨であると解するのが相当である。

このように見てくると、公労法三条が労組法一条二項の適用があるものとしているのは、争議行為が労組法一条一項の目的を達成するためのものであり、かつ、たんなる罷業または怠業等の不作為が存在するにとどまり、暴力の行使その他の不当性を伴わない場合には、刑事制裁の対象とはならないと解するのが相当である。それと同時に、争議行為が刑事制裁の対象とならないのは、右の限度においてであって、もし争議行為が労組法一条一項の目的のためでなくして政治的目的のために行なわれたような場合であるとか、暴力を伴う場合であるとか、社会の通念に照らして不当に長期に及ぶときのように国民生活に重大な障害をもたらす場合には、憲法二八条に保障された争議行為としての正当性の限界をこえるもので、刑事制裁を免れないといわなければならない。これと異なり、公共企業体等の職員のする争議行為について労組法一条二項の適用を否定し、争議行為について正当性の限界のいかんを論ずる余地がないとした当裁判所の判例(昭和三七年(あ)第一八〇三号同三八年三月一五日第二小法廷判決、刑集一七巻二号二三頁)は、これを変更すべきものと認める。

六  ところで、郵便法の関係について見るに、その七九条一項は、郵便の業務に従事する者がことさらに郵便の取扱をせずまたはこれを遅延させたときは、一年以下の懲役または二万円以下の罰金に処すると規定している。このことは、債務不履行不可罰の原則に対する例外を規定したものとして注目に値することであるが、郵便業務の強い公共性にかんがみれば、右の程度の罰則をもって臨むことには、合理的な理由があるもので、必要の限度をこえたものということはできない(郵便物運送委託法二一条参照)。この罰則は、もっぱら争議行為を対象としたものでないことは明白であるが、その反面で、郵政職員が争議行為として右のような行為をした場合にその適用を排除すべき理由も見出しがたいので、争議行為にも適用があるものと解するほかはない。ただ、争議行為が労組法一条一項の目的のためであり、暴力の行使その他の不当性を伴わないときは、前に述べたように、正当な争議行為として刑事制裁を科せられないものであり、労組法一条二項が明らかにしているとおり、郵便法の罰則は適用されないこととなる。これを逆にいえば、争議行為が労組法一条一項の目的に副わず、または暴力の行使その他の不当性を伴う場合には、右の罰則が適用される。また、その違法な争議を教唆した者は、刑法の定めるところにより、共犯の責を免れない。

七  具体的に本件についてみるに、第一審判決は、公訴事実に基づいて、石崎民次ら三八名の行為を郵便法七九条一項前段違反の構成要件に該当すると認定した。原判決は、前述の第二小法廷の判決に従って、公共企業体等の職員は、公労法一七条一項によって争議行為を禁止され、争議権自体を否定されているのであるから、もし右のような事実関係があるとすれば、その争議行為について正当性の限界いかんを論ずる余地はなく、労組法一条二項の適用はないとしている。

しかし、本件被告人らは、本件の行為を争議行為としてしたものであることは、第一審判決の認定しているとおりであるから、石崎民次らの行為については、さきに述べた憲法二八条および公労法一七条一項の合理的解釈に従い、労組法一条二項を適用して、はたして同条項にいう正当なものであるかいなかを具体的事実関係に照らして認定判断し、郵便法七九条一項の罪責の有無を判断しなければならないところである。したがって、原判決の右判断は、法令の解釈適用を誤ったもので、その違法は判決に影響を及ぼすこと明らかであり、これを破棄しなければいちじるしく正義に反するものといわなければならない。

以上の判断に照らせば、公労法一七条一項および原判決が憲法一一条、一四条、一八条、二五条、二八条、三一条、九八条に違反する旨の各論旨は理由なきに帰する。よって、その余の論旨に対する判断を省略し、原判決を破棄し、さらに審理を尽させるために、本件を東京高等裁判所に差し戻すものとし、刑訴法四一一条一号、四一三条本文により、主文のとおり判決する。

この判決は、裁判官松田二郎、同岩田誠の補足意見、裁判官奥野健一、同五鬼上堅磐、同草鹿浅之介、同石田和外の反対意見があるほか、裁判官全員一致の意見によるものである。

裁判官松田二郎の補足意見は次のとおりである。

当裁判所昭和三七年(あ)第一八〇三号同三八年三月一五日第二小法廷判決によれば、公労法一七条一項が争議行為を禁止し争議権自体を否定している以上、これに違反してなされた争議行為については正当性の限界いかんを論ずる余地はなく、したがって労組法一条二項の適用はないというのである。これに対し本判決は、この判例を変更するものであるが、私は多数意見を補足して若干意見を述べたい。

(一) 前記第二小法廷判決の見解は、ある行為がいずれかの法令により違法とされる以上、刑法上も当然違法であり、従ってそのような行為につき刑法上違法性の阻却されることはありえない、という考えを前提とするものである。なるほど、行為が違法であるか否かは、法秩序全体の観点からする判断であるから、ある行為が一つの法規によって禁ぜられ違法とされた場合には、それは他の法域においても一応違法なものと考えられよう。しかし、同じ法域、たとえば、同じ民事法の範囲内においてすら、法規違反の行為とされるものの中にも、その効力が否定されて無効となるものとしからざるものとがあり、また行為を無効ならしめる場合の違法性と不法行為の要件としての行為の違法性とは、その反社会性の程度において必ずしも同一ではありえない。いわんや、法域を異にする場合、それぞれの法域において問題となる違法性の程度は当該法規の趣旨・目的に照らして決定されるところであり、従って刑法において違法とされるか否かは、他の法域における違法性とは無関係ではないが、しかし別個独立に考察されるべき問題なのである。この理は、刑法と労働法との間においても全く同様であり、労働法規が争議行為を禁止してこれを違法として解雇などの不利益な効果を与えているからといって、そのことから直ちにその争議行為が刑罰法規における違法性、すなわちいわゆる可罰的違法性までをも帯びているということはできない。ことに、刑罰がこれを科せられる者に対し強烈な苦痛すら伴う最も不利益な法的効果をもたらす性質上、刑罰法規の要求する違法性は他の法域におけるそれよりも一般に高度の反社会性を帯びたものであるべきである。しかしてこの見地に立って前記第二小法廷の判決を見るとき、それは、行為の違法性を一義的に解して法域によるその反社会性の段階または程度の差を認めず、公労法上違法とされた争議行為は、当然に刑法上においても違法だとした前提において、既に誤っているものというべきである。

(二) 本件の問題たる公共企業体等の職員の争議行為についていえば、それは昭和二三年政令第二〇一号の施行以来現行の公労法に至るまで禁止されているが、多数意見の説示するように、これに対する刑事制裁はしだいに緩和される方向に向い、現在においては単に争議行為をし、あるいはこれを共謀し、そそのかし、もしくはあおったことだけのゆえをもっては、これに対し刑罰を科することなく、解雇を認めるにとどまっているのである。しかして、多数意見がその一および二において憲法の定める労働基本権の尊重を説示し、これに対する制約に限度あることを強調することに思いをいたし、更に公労法三条が争議行為を含む労働組合の団体交渉その他の行為のいわゆる刑事免責に関する労組法一条二項の適用をあえて排除していないこと(その明文上争議行為の場合を除外していないことは明白である。)に照らせば、公共企業体等の職員の行なう争議行為は、公労法上違法ではあるとしても、争議行為として正当な範囲内にとどまるものと認められるかぎり、右の違法性は刑罰法規一般の予定する違法性、すなわち可罰的違法性の程度には達していないものと解すべきである。従って、その行為が刑罰法規の構成要件に該当する場合においても、それが争議行為の正当な範囲内にとどまるかぎり、刑罰を科するに足る高度の反社会性を欠くものとしてその違法性は阻却されるものというべきである。このように解するときは、本件被告人らの行為が郵便法七九条一項に該当するとしても、労組法一条二項により改めてその正当性の有無を検討しなければならないことになるのである。

裁判官岩田誠の補足意見は次のとおりである。

私は、行為の違法性論の見地からする松田裁判官の意見にすべて同調するものであるが、なお、やや異なった視点から、公共企業体等の職員の争議行為に労組法一条二項の適用を認むべき理由につき、一言意見を述べておきたい。

公労法は、その一七条一項によって公共企業体等の職員の争議行為を禁止しながら、その禁止違反に対する罰則を置いていない。しかし、一方において郵便法七九条一項は「郵便の業務に従事する者がことさらに郵便の取扱をせず、又はこれを遅延させたときは、これを一年以下の懲役又は二万円以下の罰金に処する。」と規定している。この郵便法の規定は、争議行為として行われた行為だけを予定したものではないが、郵政職員が争議行為として同盟罷業または怠業をした場合も一応この構成要件に該当することになるから、もしその行為に労組法一条二項による違法性阻却の余地が全くないのならば、少なくとも郵政職員に関するかぎりは、実質において争議行為そのものを処罰する規定があるのと異ならないことになる(なお、日本電信電話公社の職員については、公衆電気通信法一一〇条一項参照)。しかし、このような結論を認めることがはたして法の趣旨に合致した合理的な解釈だといえるであろうか。以下、私は、この結論が現行法秩序の精神に反するものであることを明らかにして、公労法違反の争議行為に労組法一条二項を適用する余地なしとする見解の誤りであることを指摘してみたいと思う。

(イ) 第一に、公労法は公共企業体等の職員の労働関係についての基本法ともいうべきものであって、その争議行為の禁止も同法中に規定されているのであるから、もしその禁止に反する争議行為そのものを処罰しようとするのであれば、本来同法中にその罰則が設けられてしかるべきである。かりに公労法以外の法令に設けるとしても、少なくとも争議行為を予定した労働関係の規定として設けられるべきものである(例えば、自衛隊法六四条、一一九条一項三号、二項、一二〇条一項一号、二項、一二二条一項一号、二項)。また、そればかりでなく、もし郵便法の前記罰条によって争議行為が処罰されるのならば、なぜ郵政職員を他の公共企業体等の職員なかんずく日本国有鉄道の職員と区別してその争議行為に刑事制裁を科するのか、その合理的な理由を十分説明することができないであろう(国鉄職員については、郵便法七九条一項に相当する規定は存在しない。また、鉄道営業法二五条の罰則も、国鉄職員が単なる同盟罷業または怠業をした場合に当然に適用があるものでないことは、その構成要件上明らかであり、争議行為としてなされた行為が同条に該当する場合には、むしろそれは労組法一条二項にいう正当な争議行為とはいえないであろう。)。

(ロ) 次に立法の沿革からみると、そもそも郵便法の前記罰条は、旧郵便法五三条の規定を継承して昭和二二年一二月一二日法律第一六五号によって設けられ昭和二三年一月一日から施行されたものであるが、この当時は郵政職員を含む一般の国家公務員の争議行為は禁止されておらず、したがって争議行為としてした行為が同条項に該当した場合、当時の労組法(昭和二四年法律第一七四号による改正前の昭和二〇年法律第五一号)一条二項(現行法一条二項と同旨)の適用があるのは当然のことと解されていた。その後昭和二三年七月三一日政令第二〇一号によって公務員の争議行為が禁止され、かつその違反に対して刑罰が科せられることとなったけれども、同令の適用のある間に郵政職員が争議行為として同盟罷業または怠業の挙に出た場合、はたして同令の罰則のほかに郵便法七九条一項の適用をも受けたであろうか。当裁判所昭和二四年(れ)第一九一八号同三〇年一〇月二六日大法廷判決(刑集九巻一一号二三一三頁)の趣旨からすると、これを消極に解せざるをえない。けだし、この判例は、争議行為禁止の違反そのものに対しては右政令の罰則だけを適用し処断すべきものであって、重ねて他の罰条を適用すべきでないという趣旨のものと解されるからである。そして、その後における国家公務員法の改正による前記政令の適用除外、公労法の制定、郵政職員を含むいわゆる五現業の職員への同法の適用範囲の拡大という争議権の制限緩和の一連の立法経過に照らすときは、本来郵政職員の争議行為を処罰する趣旨のものでなかった郵便法の前記規定が中途のいずれかの時期にその性格を変じて争議行為を処罰する規定となったとみるべき根拠はいずこにも見いだすことができないのである。

これを要するに、郵政職員が公労法一七条一項に違反し争議行為として同盟罷業または怠業をした場合に当然郵便法七九条一項を適用してこれに刑事制裁を加えうるとすることは、明らかに現行法秩序の精神に反する解釈だといわなければならない。そして、この誤った結論は、公共企業体等の職員の争議行為に労組法一条二項の適用の余地なしとの判断を前提としてはじめて理論的に成立するものである。この点から考えても、右の前提たる判断の不当であることは明白だというべきであろう。

裁判官奥野健一、同草鹿浅之介、同石田和外の反対意見は次のとおりである。

公共企業体等労働関係法(以下公労法と略称する。)一七条一項は憲法二八条に違反する旨及び公労法一七条一項に違反する争議行為には労働組合法(以下労組法と略称する。)一条二項の適用がある旨主張する上告論旨について。

憲法二八条の保障する労働基本権といえども、絶対無制限なものではなく、公共の福祉のため、特に、必要があるときは、合理的制限をすることができるものであり、このことは既に当裁判所の判例とするところである(昭和二四年(れ)第六八五号同二八年四月八日大法廷判決、刑集七巻四号七七五頁)。

公労法一条は、「この法律は……公共企業体及び国の経営する企業の正常な運営を最大限に確保し、もって公共の福祉を増進し、擁護することを目的とする。」旨規定し、その目的を達成するため、同法一七条において、かかる企業に従事する公共企業体等の職員及びその組合は、同盟罷業、怠業、その他業務の正常な運営を阻害する一切の行為をすることができない旨を規定して、これら職員につき、業務の正常な運営を阻害する一切の争議行為を禁止しているのである。これは公共企業体等の事業が国民経済に重要な関係を有する公共性の強いものであり、その企業の正常な運営はいささかも阻害されることが許されないものであり、従ってその職員の職務は、広く国民全体の利益と緊密な関係を有し、一般私企業における勤労者の職務とその性質を著しく異にすることにかんがみ、その職員を全体の奉仕者である国家公務員、またはこれに準ずる者として、公共の福祉の要請に基づいて、右の如くその争議行為を禁止したものであり、他面その代償保障として、公共企業体等とその職員との紛争につき、あっせん、調停及び仲裁を行うため、公平な公共企業体等労働委員会を設け、殊に同会のなした仲裁裁定は、労働協約と同一の効力を有し、当事者双方とも、最終的決定として、これに拘束される(同法三五条)ものとしているのである。

すなわち、公共企業体等の企業の公益性にかんがみ、公共の福祉のため、その業務に従事する職員につき一切の争議行為を禁止するが、他面その代償措置として、あっせん、調停及び仲裁の制度を設けて、その職員の利益を保障しているのであって、かくの如き労働権の規制は公共の福祉のためにする合理的な制限として是認することができ、憲法二八条に違反するものではない。そして公労法一七条の違憲でないことは、夙に当裁判所の判例(昭和二六年(あ)第一六八八号同三〇年六月二二日大法廷判決、刑集九巻八号一一八九頁)とするところでもある。今これを変更する必要を認めない。

右の如く、公共企業体等の職員は、業務の正常な運営を阻害する一切の争議行為を、法律により、禁止されているのであって、これに違反してなす争議はすべて違法なものであり、従って正当な争議行為とはいい得ないことは極めて明白である。換言すれば、争議行為の内容が、単に職場放棄の如き消極的な不作為であっても、前記一七条の同盟罷業または怠業等に該当する限り、その争議行為は違法であり、従って正当性を有しないものといわざるを得ないのである。

苟もある法律によって一切の争議行為が禁止せられ、違法なものとされている以上、他の法域において、それが適法であるということは許されない。けだし行為の違法性はすべての法域を通じて一義的に決せらるべきものであり、公労法上違法とされた行為が刑事法上違法性を欠くというがごときは理論上あり得ないからである。そして、その禁止に違反する行為につき何ら制裁規定を設けていない場合であると、自衛隊法六四条二項、一一九条一項三号の如く、刑事上の制裁を科している場合であると、将又公労法一七条、一八条の如く民事上の解雇の制裁のみを定めている場合であるとを問わず、すべての法域において、等しく違法、不当であることには変りはない。従って、公労法一七条違反の場合につき、同法が刑事上の制裁を科せず、民事上の解雇の制裁のみを規定しているからといって、右一七条は、その禁止に違反して争議をしても、単に解雇の制裁を科し得るだけで、刑事法上は適法、正当なものとして、これを許容しているものとは到底解し得られないのである。すなわち、公共企業体等の職員に対して一切の争議行為を禁止している所以は、前述の如く、公共企業体等の業務の正常な運営を阻害することは、国民経済に重大な影響を与えることにかんがみ、公共の福祉の要請上、その争議を全面的に禁止しているのであって、単に労使間における労務不提供という債務不履行を禁止しているのではなく、従って、刑法その他一般の法律秩序の上において、かかる争議を違法と評価しているものというべきである。

かように、公共企業体等の職員は、その争議行為が禁止され、争議権自体法律上否定されている以上、これに違反してなす争議行為につき、労組法一条二項の刑事上の免責規定の適用の余地はないものと解する。けだし、労組法一条二項の刑事上の免責規定は、争議行為についてみると、本来適法に争議権を認められている労働組合の争議行為において、その行為が労組法一条一項の目的を達成するためにした正当なものである場合に限って、たとえ、その行為が犯罪構成要件に該当していても、その違法性が阻却さるべきことを規定したものであって、当初より争議権を有しない者の違法、不当な争議行為については、その適用の余地はないものというべく、また当初より正当性のない争議行為につき、その正当性の限界如何を論ずる余地もないからである。すなわち、労組法一条二項の「……団体交渉その他の行為」という「その他の行為」のうちには、公共企業体等の職員については、そもそも争議権がないのであるから、争議行為は除外されているものと解すべきであることは、公労法一七条と対比して明白であるからである(若し公共企業体等の職員の争議にも、労組法一条二項の適用があるとすれば、結局一般私企業に従事する労働者の争議と大差のない刑事法的保護を受けることになり、公労法が、同法一七条により争議を一切禁止した代償保障として公共企業体等の職員のためにあっせん、調停及び仲裁の制度を、特に設けた立法趣旨に反することになる。)。

もっとも、公労法三条は、労組法一条二項の適用を除外する旨の明文を設けていないけれども、公共企業体等の職員は、争議権は否定されているものの、なお団結権及び団体交渉権は有するのであって、例えば団体交渉に当たり右労組法一条二項の適用を受ける余地は十分あるのであるから、同条項の全面的適用除外は許されないのである。そのうち争議行為の場合を除外する趣旨の規定を特に置かなかったのは、元来争議権を有しない者の争議行為について同条項の適用の余地のないことは理論上自明の理であるため、あえてその点まで規定するほどの必要を認めなかったからに外ならない。これに対し、公労法三条が労組法八条の適用除外を明定したのは、同条が争議行為のみに関する規定であり、公共企業体等の職員の争議行為については正当なものという観念があり得ないのであるから、その適用の余地が全くないためである。それ故、公労法三条が特に労組法八条の適用を除外しながら、同法一条二項の適用を除外しなかったことを理由として、公共企業体等の職員の争議につき右一条二項の適用があるものと解することは失当だといわなければならない。

また論旨は、争議行為については憲法二八条自体から当然に刑事上の免責が生ずるのであって、労組法一条二項はこれを受けて訓示的に刑事免責を法定したものであり、他方公労法は最高規範たる憲法の下位規範で、これに優先することはできないから、公労法一七条のあることを理由として労組法一条二項の適用を排斥することはできない、とも主張する。しかし、例えば、警察職員、消防職員の如き極度に公共性の強い業務に従事する者につき争議の正当性を認める余地のないことは疑を容れないところであり、憲法二八条と雖も右の如き職員の争議権まで保障しているものとは考えられない。そして業務の公共性を如何に評価し、これに従事する者の争議をどの程度制限するかは立法政策の問題であって、その立法が不合理でない限り、違憲ということはできない。すなわち、憲法二八条が当然にすべての争議について刑事免責を保障しているとはいえないのであるから、このことを前提として公労法一七条違反の争議行為に労組法一条二項の適用があるとする所論は採るを得ない。

なお公労法一七条制定の結果、公共企業体等の職員の争議行為につき、労組法一条二項の適用の余地がなくなったことについては、公労法制定当時における国会の審議において、屡々政府委員より、その旨の説明(昭和二三年一二月八日第四回国会参議院労働委員会議録第三号、昭和二三年一一月二九日第三回国会衆議院労働委員会議録一二号)があり、そのうえ、可決されたのであるから、立法当局の意思も、同様であったものと推測されるのである。かかる立法者の意思も十分尊重されるべきである。

従って、公労法一七条が憲法二八条に違反し、右一七条違反の争議に対し労組法一条二項の適用がある旨を主張し、原判決は憲法二八条に違反するとの論旨は採るを得ない。

最後に多数意見について一言する。

多数意見は要するに、(一)公共企業体等の職員はもとより、国家公務員や地方公務員も憲法二八条にいう勤労者に外ならない以上、原則的には争議権が保障されており、その争議行為が正当な範囲をこえない限り、刑事制裁の対象とならないのであり、労組法一条二項はこの当然のことを注意的に規定したものである。(二)公労法一七条は公共企業体等の職員の争議行為を禁止しているが、その違法行為について刑罰規定を設けることなく、同法一八条がこれに対して解雇の制裁のみを規定し、かつ、同法三条は、損害賠償責任に関する労組法八条を除外しているに過ぎないのであるから、争議行為禁止違反が違法であるというのは、民事責任を免れないとの意味においてである。(三)公労法は、労組法一条二項の規定の適用を排除していないのであるから、当然その適用があるものというべく、公共企業体等の職員の争議行為が正当な範囲をこえない限り、同条により刑事免責される、というのである。

しかし、

(一) 憲法二八条は勤労者に給与その他の勤労条件の改善、向上を得せしめる手段として、いわゆる労働基本権を保障しているのであるが、争議行為により、国民大衆の利益を著しく害し、国民経済に重大な障害を与えるような場合には、彼我の法益の均衡を考慮し、公共の福祉の要請に基づき、これが争議権を制限、禁止することも、やむを得ないのであって、憲法一三条の趣旨に徴しても肯認できるところであり、これをもって違憲ということはできない(他面、適当な代償措置を講ずべきである。)。公労法一七条は、正にかくの如き公共の福祉の要請に基づき設けられた争議行為禁止の規定である(他面、代償措置として公共企業体等労働委員会を設けて、職員のために、あっせん、調停、仲裁を行わしめることとしている。)。従って、公共企業体等の職員は一切の争議行為が禁止され、争議権は法律上否定されているものというべきであるから、争議権あることを前提とする議論はすべて前提を欠く。

(二) 右の如く、公共企業体等の職員は、公労法一七条により一切の争議行為が禁止されているのであって、その違反行為について同法が直接刑罰を科していないことや、また、その違反行為について解雇の制裁のみを規定していることは、右争議行為禁止の絶対的効力に何ら消長を来たすものではない。それ故、右争議行為禁止の法規違反は、単なる民事法的違法に過ぎないというのは正当ではない。

(三) 右の如く、法律上争議権を否定された公共企業体等の職員は、当然「正当な争議行為」をすることができないのであるから、争議行為として「正当なもの」について、刑事免責を規定した労組法一条二項の規定は、公共企業体等の職員の争議行為に適用の余地のないことは明白である。

裁判官草鹿浅之介は、右の反対意見に次の意見を附加する。

労組法一条二項本文が「刑法第三十五条の規定は、労働組合の団体交渉その他の行為であって前項に掲げる目的を達成するためにした正当なものについて適用があるものとする。」と規定しているのは、いわば当然の事理を注意的に規定したものであって、憲法二八条に基礎を有するこれらの行為がもし正当な範囲内のものであれば、本来は労組法の右の規定をまつまでもなく刑法三五条によって犯罪としての違法性が阻却されるのである。その意味で、争議行為の犯罪としての違法性(もとより、それはその行為がなんらかの刑罰法令に触れる場合であること、すなわちその行為を罰する刑罰法令が存在することを前提とする。本件でいえば、郵便法七九条一項がこれに当たる。)が阻却されるかどうかは、ひっきょうその行為が刑法三五条の正当行為に該当するかどうかによって決せられるといわなければならない。

ところで、刑法三五条の正当行為といえるかどうかは、刑法だけでなく、すべての法体系を総合した法秩序全体の見地から決せらるべきものであることは当然である。ここで問題となっている争議行為についていえば、それが正当行為であるためには、労働法関係においても正当行為すなわち違法でない行為でなければならない。しかるに、本件におけるがごとき公共企業体等の職員の争議行為は公労法一七条一項の禁止するところであり、多数意見もまたこの規定の合憲性を認めた上で本件争議行為が違法であることを明らかに認めている。いいかえれば、労働法関係においてそれが正当行為でないことは、多数意見の承認するところだといわざるをえない。しかし、労働法関係において違法行為であることを肯定しながら、刑事法関係においてそれが正当行為になる余地があるとするのは、いかなる理由によるものであるのか。公労法一七条一項の合憲性を否定するか、あるいはなんらかの合理的な理由によって本件の争議行為が労働法上も適法な行為だとするのであれば格別、同一の行為が労働法上は違法であるが刑事法上は正当行為ないし適法行為になるというごとくその評価を異にすることは、少なくとも刑法三五条の正当行為の解釈としては到底首肯しえないところである。それにもかかわらず本件行為が刑法三五条の適用上正当行為と見られる余地があるとする多数意見は全く理解し難い(もっとも、本件の所為がなんらかの理由で可罰価値を欠くというのならば、それは別論である。)。

ことに、本件では、次の点に注意すべきである。そもそも公労法一七条一項が公共企業体等の職員の争議行為を禁止している理由がその業務の高度の公共性にあることは明らかで、他方郵便法七九条一項の罰則もまた郵便事業の高度の公共性に由来するものであることは、同一条が公共の福祉の増進を同法の目的として掲げていることに徴しても疑いがない。すなわち、公労法一七条一項が争議行為を禁止した趣旨と郵便法七九条一項所定の行為を違法とした理由とは全く同一なのであって、この点から考えても、公労法が禁止し違法とした行為が郵便法七九条一項の適用上違法性を阻却するというがごときことはありえないといわざるをえないのである。

多数意見は、公労法が争議行為禁止違反に対し罰則を設けていないことをもってその争議行為の違法性阻却を認める論拠の一つとしているように見える。しかし、公労法が争議行為そのものを処罰する規定を有していないということと、その行為が他の刑罰法令に触れた場合にこれを処罰するかどうかということとは全く別の問題であって、公労法における罰則の欠如が他の刑罰法令における違法性阻却の論拠に直ちになりうるものとは考えられない。のみならず、本件の場合についていえば、郵便法七九条一項が争議行為としてした行為をその構成要件上あえて除外していないことは明白であるし、前述したようにこの罰則が公共の利益を保護するためのものであり、かつ他方同じ目的のために郵政職員の争議行為が公労法によって禁止されていることをあわせ考えれば、郵政職員が争議行為としてした行為についても郵便法の右の罰則の適用があると解すべきは当然である。いいかえるならば、少なくとも郵政職員の同盟罷業または怠業に関する限り、その争議行為に対する罰則は存在するといわなければならない。もっとも、その罰則は公労法以外の他の法規中に存するものではあるが、すでに説明したところから明らかなように、その処罰の趣旨は国家公務員法が争議行為について罰則(同一一〇条一項一七号)を設けた理由と同一であって、この種の罰則が公労法中に規定されたのと実質においてなんら区別すべき合理的な理由はないのである。もしそれ当該罰則の実質に目を覆い、それが労働法規中に規定されているか他の法規中に規定されているかという形式の差のみによって解釈を異にするというのであれば、その理由のないことはほとんど言を待たないであろう。

以上の次第で、わたくしは多数意見には到底賛成することができない。

裁判官五鬼上堅磐の反対意見は次のとおりである。

公共企業体等労働関係法(以下公労法と略称する。)一七条一項は、職員およびその組合は同盟罷業、怠業、その他業務の正常な運営を阻害する一切の行為をすることができない旨を規定して、凡ての争議行為を禁止しているのであるから、これに違反してなされる争議行為は違法なものであって、たとえ消極的に職場放棄をなすようないわゆる不作為の行為であっても、その正当性は認められない。そうして、正当性のない違法な争議行為に労働組合法(以下労組法と略称する。)一条二項の適用ありとすることはできないものといわねばならない。昭和三八年三月一五日当裁判所第二小法廷判決の、争議行為について正当性の限界いかんを論ずる余地がないという判断は、今日においても何等変更の必要がない。この点について多数意見は、公共企業体の職員およびその組合が前記公労法一七条一項に違反し争議行為をしたからといって、その一事をもって労組法一条二項をこれに適用する余地なしとすることはできないのであって、労組法および公労法の目的に照らし、公労法一七条一項違反の争議行為についても労組法一条二項の適用の余地ありとする見解をとるのであるが、この意見に私は賛成することはできない。

すなわち、公労法一七条は、同法所定の国営ないしこれに準ずる公有企業に属する職員については、団体行動としての争議行為を一般に違法として禁止し、反社会的行為として評価しているのである。これら違法行為に対して刑事的制裁を科することもありうるのであり、したがって、郵便法七九条の適用に関して労働争議による場合とそうでない場合を区別して解釈を異にすることはできない。

また、公労法自体に罰則規定が設けられていないことを理由にして、労組法一条二項の刑事免責の規定の適用があると解することはできない。このことは公労法の制定されるに至った歴史的事実ならびにその立法の趣旨から見ても上記のように解しうることである。すなわち、昭和二三年政令第二〇一号が制定され、一切の公務員について争議行為が禁止され、かつこれに刑罰を科したのであるが、その後国家公務員法の一部が改正されて国家公務員の争議行為の禁止は同法によることとなり、さらに昭和二四年六月一日施行の公共企業体労働関係法によって、一般公務員のなかから、国鉄職員と専売職員とを抽出して、これを公共企業体の職員とし、さらに昭和二七年八月一日施行の公労法の改正を経て、順次五現業、三公社の職員が公労法の適用を受けることとなったのである。すなわち、政令第二〇一号の廃止とともに、国鉄等の職員がその他の国家公務員と区別されて、公労法の適用を受けることとなったのではなく、一旦すべての現業、非現業の国家公務員は、現行のような国家公務員法の規制を受けた後、順次、公労法の規制を受けることとされたものである。このような立法の変遷を支えた立法政策が、国営五現業および三公社の職員の争議行為を、刑事罰から解放することにあったものでないことは、政令第二〇一号の罰則に関する経過規定をみても明らかである。昭和二三年法律第二二二号によって国家公務員法が改正された際、その附則八条一項において、政令第二〇一号は「国家公務員に関して、その効力を失う。」とされつつも、同条二項においては、この「政令がその効力を失う前になした同令第二条第一項の規定に違反する行為に関する罰則の適用については、なお従前の例による。」と規定し、同令の適用が排除された後も、排除前に違反した行為の可罰性はなお失わせないとしているのである。この国家公務員法の改正にひき続いて制定された公労法およびその関係法令には、右のような経過規定は存在しないが、これは前記国家公務員法第一次改正附則八条二項によって政令第二〇一号が一旦限時法としての効力を認められた以上、あらためて同旨の規定をおく必要を認めなかったからにすぎないのであって、もし、公労法がその職員の争議行為を刑事罰から解放する趣旨で制定されたものとすれば、制定前の行為について経過規定を設けることは首尾一貫しないこととなる。したがって、前記のような経過規定をあえて設けたことは、一切の刑事罰から解放するとの立法意思ではない。この経過から見ても、公労法一七条違反の行為について、労組法一条二項の適用があるという見解は、誤りであるといわなければならない。なお、昭和二三年一二月八日第四回国会参議院労働委員会議事録によれば、提案者たる政府の答弁として、公労法一七条違反行為には、労組法一条二項の適用がない云々とあり、立法に際してもその適用を排除することが考慮されていたものと解することができる。

したがって、原判決の判断に何等法令の解釈、適用を誤った違法はなく、況んや公労法一七条が憲法二八条に違反するものでないことは、多数意見に述べられたところにより明らかであり、結局本件上告は棄却さるべきものである。

裁判官石坂修一、同山田作之助は、退官のため評議に関与しない。

(裁判長裁判官 横田喜三郎 裁判官 入江俊郎 裁判官 奥野健一 裁判官 五鬼上堅磐 裁判官 横田正俊 裁判官 草鹿浅之介 裁判官 城戸芳彦 裁判官 石田和外 裁判官 柏原語六 裁判官 田中二郎 裁判官 松田二郎 裁判官 岩田 誠)

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