最高裁判所大法廷 昭和40年(行ツ)100号 判決 1970年7月15日
上告人東京法務局供託官
中川庫雄
右指定代理人検事
岩佐善已
外一名
被上告人
里見等
主文
本件上告を棄却する。
上告費用は上告人の負担とする。
理由
上告指定代理人岩佐善已、同柿原増夫の上告理由について。
原審判決が確定した事実は、次のとおりである。
被上告人は訴外村川利喜雄所有の宅地二二坪につき賃借権を有するとして同訴外人に対し賃料を提供したが、受領を拒絶されたため、昭和二七年五月七日から同訴外人を被供託者として東京法務局に対し賃料を一か月二〇〇〇円の割合で弁済のため供託してきた。その後、同訴外人は被上告人を被告として建物収去土地明渡の訴を提起したが、昭和三八年一月一八日上告審たる最高裁判所で和解が成立し、被上告人は右土地に賃借権を有しないことを認め、同年六月三〇日までに建物を収去して右土地を同訴外人に明け渡し、同訴外人は右土地に対する昭和二七年三月一四日から右土地明渡に至るまでの賃料相当の損害金債権を放棄することとなつた。そこで、被上告人は民法四九六条一項に基づき昭和三八年五月九日上告人に対して昭和二七年五月七日から昭和二八年二月二七日までに供託した合計二万四〇〇〇円の供託金の取戻を請求したところ、上告人は時効により消滅したことを理由に右請求を却下した。
以上の事実に基づいて、被上告人は上告人を被告として行政事件訴訟法三条二項により右却下処分の取消を求める訴を提起し、第一審判決はこれを認容し、該判決に対し上告人は控訴したが、原審判決はこれを棄却したことは、記録上明らかである。
よつて、まず、上告人のした本件却下処分の取消を求める被上告人の本訴が適法であるかどうかを検討する。
元来、債権者が金銭債務の弁済の受領を拒むときは、弁済者は債権者のために弁済の目的物を供託してその債務を免れることができ、債権者が供託を受諾せずまたは供託を有効と宣告した判決が確定しない間は、弁済者は供託物を取り戻すことができることは、民法四九四条および四九六条の定めるところである。
そうして、右供託事務を取り扱うのは国家機関である供託官であり(供託法一条、同条ノ二)、供託官が弁済者から供託物取戻の請求を受けた場合において、その請求を理由がないと認めるときは、これを却下しなければならず(供託規則三八条)、右却下処分を不当とする者は監督法務局または地方法務局の長に審査請求をすることができ、右の長は、審査請求を理由ありとするときは供託官に相当の処分を命ずることを要する(供託法一条ノ三ないし六)と定められており、実定法は、供託官の右行為につき、とくに、「却下」および「処分「という字句を用い、さらに、供託官の却下処分に対しては特別の不服審査手続をもうけているのである。
以上のことから考えると、もともと、弁済供託は、弁済者の申請により供託官が債権者のために供託物を受け入れ管理するもので、民法上の寄託契約の性質を有するものであるが、供託により弁済者は債務を免れることとなるばかりでなく、金銭債務の弁済供託事務が大量で、しかも、確実かつ迅速な処理を要する関係上、法律秩序の維持、安定を期するという公益上の目的から、法は、国家の後見的役割を果たすため、国家機関である供託官に供託事務を取り扱わせることとしたうえ、供託官が弁済者から供託物取戻の請求を受けたときには、単に、民法上の寄託契約の当事者的地位にとどまらず、行政機関としての立場から右請求につき理由があるかどうかを判断する権限を供託官に与えたものと解するのが相当である。
したがつて、右のような実定法が存するかぎりにおいては、供託官が供託物取戻請求を理由がないと認めて却下した行為は行政処分であり、弁済者は右却下行為が権限のある機関によつて取り消されるまでは供託物を取り戻すことができないものといわなければならず、供託関係が民法上の寄託関係であるからといつて、供託官の右却下行為が民法上の履行拒絶にすぎないものということは到底できないのである。
なお、供託官の処分を不当とする者の監督法務局または地方法務局の長に対してする前示不服審査請求については、期間の制限がないのである(供託法一条ノ七、行政不服審査法一四条参照)が、これは、供託官の処分が供託上の権利関係の有無を判断する確認行為であり、これに対する不服につきその利益のあるかぎりは不服を許すことが相当であるから、とくに期間の制限をもうけなかつたものであり、このことから、供託官の処分を行政処分として取り扱うべきでないとするのは、理由がない(不動産登記法一五七条ノ二参照)。
これを要するに、上告人が本件供託物取戻の請求を却下した処分に対し、被上告人が行政事件訴訟法三条二項に基づき上告人を被告として提起した本訴は適法というべきである。
つぎに、上告人は、本件供託金については民法四九六条一項に基づき被上告人において供託の時から取戻の請求をすることができたのであるから、本件供託金取戻請求権の消滅時効は供託の時から進行すると主張する。
もとより、債権の消滅時効が債権者において債権を「行使スルコトヲ得ル時ヨリ進行ス」るものであることは、民法一六六条一項に規定するところである。しかし、弁済供託における供託物の払渡請求、すなわち供託物の還付または取戻の請求について「権利ヲ行使スルコトヲ得ル」とは、単にその権利の行使につき法律上の障害がないというだけではなく、さらに権利の性質上、その権利行使が現実に期待のできるものであることをも必要と解するのが相当である。けだし、本来、弁済供託においては供託の基礎となつた事実をめぐつて供託者に被供託者との間に争いがあることが多く、このような場合、その争いの続いている間に右当事者のいずれかが供託物の払渡を受けるのは、相手方の主張を認めて自己の主張を撤回したものと解せられるおそれがあるので、争いの解決をみるまでは、供託物払渡請求権の行使を当事者に期待することは事実上不可能にちかく、右請求権の消滅時効が供託の時から進行すると解することは、法が当事者の利益保護のために認めた弁済供託の制度の趣旨に反する結果となるからである。したがつて、弁済供託における供託物の取戻請求権の消滅時効の起算点は、供託の基礎となつた債務について紛争の解決などによつてその不存在が確定するなど、供託者が免責の効果を受ける必要が消滅した時と解するのが相当である。
上告人は、右のような見解をとると、供託者に被供託者との間の争いの有無など供託官の知ることのできない事柄で時効の起算点が決定されることとなり、客観的な時効制度の本質に反する旨主張する。
しかし、弁済供託は、もともと、供託者と被供託者との間の実体上の法律関係に基づいているものであるから、供託物の払渡請求権の時効の起算点を供託官と供託者との関係だけで画一的、客観的に決定されるものとすることはできないし、また、供託官において右の請求権の行使が期待できる時期を知ることができない場合のあることは、実定法上やむをえない結果というべきである。
上告人は、また、供託者は供託証明書の交付を受けることによつて、時効の中断をすることができる旨主張するが、供託物の払渡請求権の行使が期待できない場合において、当事者にこのような時効中断のための措置をとることを期待することは、通常人としての当事者に難きを強いる結果となるものというべく、右中断の方法があることは、供託物払渡請求権の時効の起算点を前示のように解することの妨げとなるものではない。
以上の次第で、本件供託金取戻請求権の消滅時効の起算点に関する前記所論はいずれも理由がなく、その余の所論もまた前記判示するところに照らし採用することはできない。
なお弁済供託における供託物払渡請求権の消滅時効の期間に関し、原審判決は、供託は国が設けた金品保管の制度で、供託の原因も法定されており、供託官は供託が適法であればこれを受理しなければならず、契約自由の原則は適用されないというだけの理由から、供託上の法律関係は公法関係であり、供託金の払渡請求権は会計法三〇条の規定により五年の消滅時効にかかるものと解している。しかしながら、弁済供託が民法上の寄託契約の性質を有するものであることは前述のとおりであるから、供託金の払渡請求権の消滅時効は民法の規定により、一〇年をもつて完成するものと解するのが相当である。したがつて、この点に関し、原審は、法令の解釈を誤つたものといわなければならない。
してみれば、上告人は、本件供託金取戻請求権の時効が本件供託の時から進行したことを前提として、すでに時効により消滅したことを理由に、被上告人の供託金取戻の請求を却下することはできないものというほかはない。したがつて、被上告人の右請求を却下した上告人の処分の取消を求める被上告人の本訴請求は正当で、これを認容した第一審判決に対する上告人の控訴を棄却した原審判決は、結局、正当である。なお、供託物取戻請求権の時効期間に関する前記法令解釈の誤りは結論に影響を及ぼすものではない。
よつて、本件上告はこれを棄却すべきものとし、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官入江俊郎、同長部謹吾、同松田二郎、同岩田誠、同大隈健一郎、同松本正雄の反対意見があるほか、裁判官全員一致の意見により主文のとおり判決する。
裁判官入江俊郎、同長部謹吾、同大隅健一郎、同松本正雄の反対意見は、次のとおりである。
われわれは、供託および供託官のする行為の法律上の性質は、供託官が行政機関であること等からして一見行政処分の如くであるけれども、その本質は、専ら私法上の法律関係と考えるのが相当であり、従つて、供託官の行為を不服とする場合の訴訟は、専ら民事訴訟によるべきものと解すべきであると考える。そして、かく解することが、実定法の解釈として正当であり、かつ、当事者の権利、利益保護の上からも極めて妥当であると思う。それ故、われわれは、多数意見が、本件訴訟は専ら行政訴訟たる抗告訴訟(取消訴訟)によるべきであり、民事訴訟によるべきではないとし、民事訴訟の形式による訴は不適法としてこれを却下すべきであるとする点には、同調することができず、本件のごとき行政訴訟の形式による訴こそ、不適法として却下すべきであると考える。その理由は、次のとおりである。(なお、多数意見のその余の、本案に関する法律判断には、われわれも同意見である。)
一 供託および供託官のする行為の法律上の性質
(一) 供託は、供託者の申請によつて供託機関が供託物を受け入れ、管理し、供託者または被供託者にこれを交付するものであつて、その法律上の性質は、民法上の寄託の性質を有する。従つて、供託法等には民法と異なる若干の規定が存在しているけれども、これを全体として観察すれば、元来私法的関係の事柄というべく、供託機関が法務局等の国家機関である場合においても、この理を異にするものではない。このことは、供託事務を民間の倉庫業者、銀行等が扱う場合(供託法五条、民法四九五条二項、非訟事件手続法八一条、八二条等参照)において、その間に何ら公権的作用は存しないことからも推論しうるところである。
しかし、事柄の実体が全体として私法関係に属するとしても、立法政策の必要から、法律は必要に応じこれに公法的要素を添加し、供託関係の発生、変更、消滅を行政行為にかからしめることは可能であり、そのような場合には、その限度において、これを公法関係の面から把握し理解せねばならぬ場合もある。そして、それは供託に関する実定法の解釈によりこれを決するほかない。
(二) そこで、供託の申請および受理ならびに供託物の払渡(還付、取戻)に関する供託法および供託規則の規定を見るに、
(1) 金銭および有価証券の供託の申請および受理については、供託官の受理行為がないかぎり、供託は成立せず、供託に伴う法の所期する法律上の効果は発生する余地がないのであつて、供託法は供託の申請を受理するか否かを供託官の判断にかからせているように見えないことはない。しかし、この場合の供託官の行為は、供託書や添付書類について、申請の適法、不適法を審査し、適法であると認めるときは、これを受理しなければならず、適法でないと認めるときは、却下するほかはないというだけであつて、これを行政処分とみることは相当でない。むしろ、供託官の右供託受理の行為は、供託申請者の寄託契約の申込に対する承諾であり、その法律上の性質は私法上の行為であつて、供託官は、適法な供託受理の申請(契約の申込)に対しては、これを受理(契約の承諾)すべき私法上の義務を供託法によつて課せられているとみるべきである。
(2) 金銭および有価証券たる供託物の払渡(還付または取戻)についても同様であつて、供託物の還付請求権や取戻請求権自体は供託に伴い法律上当然に発生するものであり、一般の私法上の債権と同様、譲渡、質権設定、仮差押等の目的とされるものであり、供託官の認可によつて、はじめてその権利が発生するというようなものではない。供託物の払渡をするか否かを供託官の判断にかからせているものではなく、供託官の右行為が私法上の行為であることは、供託の申請および受理についての供託官の行為の場合と同様である。
(3) そもそも、行政行為には一般に公定力が認められるが、これを認める理論的根拠は、要するに、行政庁の公権力の行使に当たる行為は、一般に公共性の強いものであるから、それが法律上当然無効とされる場合は別として、たとえそれに瑕疵があつたとしても、瑕疵あるが故に、何人によつてもただちにその効力が否定されるというような不安定なものとしておくことは、公共性の強い行政権の使用としては妥当ではないという理由によつて、権限ある機関による取消があるまでは、一応適法性の推定を受け、有効な行為として尊重され、他の国家機関も第三者もその効力を否定しえないものとし、これによつて公共的な面から社会生活の安定と法的秩序の保持を図ろうとする点にあるのである。また、本質は私法関係と何ら異ならないものにおいても、公益上の必要から行政行為を介在させる立法も考えられるが、この場合には、行政行為とする以上、一般的には公定力を認めることとなるであろう。供託法、供託規則に基づく供託官の行為のごときは、本来公権力の行使に当たる行政行為というべきではなく、民法上の寄託契約の当事者の地位におけるものにすぎず、また、後述するところからみて、立法政策として供託官の行政行為を介在させる必要もないと考えられるから、供託官の行為に公定力を認めることは、理論的にも実定法的にもまことに根拠が薄弱である。
なお、付言すれば、供託官の行為を行政行為であるとして、これに公定力を認めるとすれば、これを争う途は、現行法上抗告訴訟によるほかはないであろう。ところで、抗告訴訟には周知のごとく一定の出訴期間の定めがあるが、これも、公権力の行使に当たる行政権の作用は、行政権の公共的性質に鑑み、たとえ、これに瑕疵があり、取り消さるべきものであつたとしても、その効果を長く不安定の状態に置くことは公共的な要請からいつて好ましくないとして、これにいわゆる確定力(不可争力)を認めているからであつて、公定力を認めるとすれば、同時に確定力を認めるというのが、特段の事由のないかぎり、本来の姿というべきであろう。もし、多数意見のように、供託法に定める文言に従つて行政処分とみるとしても、供託官の供託法上の行為については、審査請求が認められ(供託法一条ノ三)、審査請求には行政不服審査法の規定が適用されていながら、供託法一条ノ七は、行政不服審査法中の重要な規定の適用を排除し、なかんずく、不服申立期間に関する同法一四条の規定を排除した関係で、供託官の行為に対しては審査請求の期間の制限はなく、従つて、当事者はいつでも審査請求をすることができ、右行為または裁決に対してはさらに抗告訴訟が提起できる(抗告訴訟自体には行政事件訴訟法一四条による出訴期間の定めのあることはもちろんである。)筋合いとなつているから、結局、供託官の行為については、行政不服審査法による審査請求をし、その裁決があつた後もとの行為または裁決に対し出訴するという手続をとることによつて、行政訴訟の面において出訴期間の定めがないことと同様となる(行政事件訴訟法一四条四項)のであつて、いわゆる確定力(不可争力)を欠いているのである。供託官の処分に公定力を認めるとすれば、これに確定力を認めるのが相当というべきであるが、実定法は、供託官の行為が実質的には私法上の法律関係に属するものとし、これに確定力を認めていないのではなかろうか。供託関係は、既に触れたように、必ずしも供託官が取扱うもののみではなく、民間の倉庫業者または銀行をして扱わしめる場合もある点を併せ考えれば、実定法は、供託官の行為につき、公定力のないことを前提として確定力を認めなかつたと解することは、決して無理な解釈ではないと思う(もちろん、確定力がなければ理論上必ず公定力がないというわけではなく、例えば不動産登記法一五七条ノ二のような事例もないことはないが、要は実定法の解釈如何にかかるというべきであろう。)。
二 供託官の行為を不服とする場合の争訟の形式
供託官の行為を不服とする者が行政不服審査法による審査請求をなしうることは明文上問題はない(供託法一条ノ三)が、訴訟の形式については、供託法上供託官の行為がいかなる性質のものかという点に着眼し、実定法上いかに解するのが最も妥当であるかによつて決せらるべきものと思う。
(一) 供託の申請に対する供託官の行為について
この場合の供託官の行為は供託受理の決定(供託規則一八条)または供託申請の拒否であるが、前者についてはこれを争う訴の利益は通常考えられないが後者については、供託に伴う法律上の効果が発生しないことになるから、その効果の発生を求める者にとつては、訴の利益のあることは明らかである。そして、この場合には、法令は供託官の「却下」「処分」という語を使用している(供託法一条ノ三、供託規則三八条)けれども、既に述べたように、供託官の供託の受理は、寄託契約申込に対する承諾という私法上の行為であつて、権力的要素を含むものではないから、右供託官の却下に不服ある者は、民事訴訟により、国を相手方として供託官が供託受理行為をなすことを訴求することができると解して何ら差支えはなく、当事者の権利保護の上からもこれが事案に最も即した救済手段である。右供託官の行為が一見行政処分の如きものであるからといつて、これに公定力を認むべきものでないことが前叙の如くである以上はこれを不服とする場合における訴訟を行政訴訟である抗告訴訟(取消訴訟)によらしむべきであるとする合理的根拠は到底見出だしがたい
(二) 供託物の払渡(還付または取戻)に関する供託官の行為について
この場合の供託官の行為の性質も、既に述べたごときものであつて、事柄の実体は専ら私法上の法律関係に関するものであつて、権力的要素を含むものではない。すなわち、供託官は供託法、供託規則の定めるところ(供託法八条、一〇条、供託規則二八条、二九条、三八条等)により、請求の理由の有無を審査し、許否を決するのであるが、還付請求権や取戻請求権自体は元来供託に伴う私法上の権利であつて、供託官のかかる行為によつて何ら実体を左右されるものではなく、払渡をするか否かを供託官の判断にかからせているものでもないと解するのを相当とするから、その請求が不法に拒否された場合には、還付または取戻を民事訴訟である給付訴訟によつて訴求させることが事案に最も即した救済手段というべきである。右供託官の行為が一見行政処分の如くであるからといつて、これに公定力を認むべきでないことが前叙の如くである以上は、これを不服とする場合における訴訟を行政訴訟である抗告訴訟(取消訴訟)によらしむべきであるとする合理的根拠は到底見出だしがたい。
仮りに、右の二つの場合について行政訴訟である抗告訴訟にのみよらしめるとするときは、これに勝訴しても、供託官の処分が取り消されるだけであつて、右勝訴判決によつては、当事者が実体的に争つている私法上の権利、利益自体の救済が直接的に裁判所によつて認められたことにはならない。また、抗告訴訟は行政行為の適法、不適法を審査するものであるから、この場合は、供託官が供託法、供託規則によつてした行為の適法、不適法を審査することが目的であつて、裁判所がどの程度まで実体的の司法審査ができるかの限界については、種々困難な問題がある。行政訴訟において、裁判所は、供託官の権限に属し、またはこれと表裏一体をなす事柄の限度までは審査をなしうるとは思うが、それにしても、供託官が供託法、供託規則に則り審査しうる範囲には限界があり、供託の受理、供託物の払渡に関連する私法上の権利関係の一切に及びうるものと解することには多くの問題があり、事案ごとにその限界を定めるほかはない。従つて、供託官の処分が行政訴訟で争われうるとした場合にも、司法審査の及びうる範囲については、理論的にも実務的にも必ずしも明確になつてはいないのであつて、その限界如何によつては、当事者の私法上の権利、利益の保護の面に問題が残るように思う。なお、供託法、供託規則に定める供託官の審査の方法は、供託官が私法関係である供託の当事者たる地位において遵守すべき事項にすぎないと解すべきであり、従つて、民事訴訟においては、供託官の審査権限内の事項はもとより、権限外の事項について、審査することができると解せられる。
以上の次第で、われわれは、供託官の行為を不服とする場合の訴訟は、民事訴訟によらしめることをもつて、必要かつ充分であると考える。これを専ら行政訴訟のみによらしめるとする考え方は、供託関係の法律上の実体に適合せず、当事者の権利、利益の保護の上からも不充分であると思う。また、本件のごとき事案につき、民事訴訟のみによらしむべしとする詳細な理由を示した下紙裁判所の判決も少なく、それらの事件が現に最高裁判所に係属していることを考えると、多数意見の説示をもつてしては、本件のごとき事案をすべて行政訴訟にのみよらしむべきであるとする実定法解釈上の具体的な論拠を、充分に示しえたものとは考えられない。(なお、最高裁判所昭和三六年(オ)第二九九号、同年一〇月一二日第一小法廷判決、裁判集民事五五号一二五頁は、供託官の供託受理処分に関して行政訴訟を認めている。同判決は、行政訴訟として第一審に係属した事案に対する上告審判決であるが、本件で職権事項として取り上げた本案前の問題については、何ら審理、判断をしたものでないから、右判決は右本案前の問題に関する最高裁判所の判例と目すべきものではない。)
よつて、本件訴は不適法として却下すべきである。
裁判官松田二郎の反対意見は、次のとおりである。
(一) 本件のごとき金銭債務の弁済供託は民法の債権編に規定されるとともに、これに関する供託所における事務は国家機関たる供託官によつて取扱われ供託法一条ノ二)、そこには、私法的要素と公法的要素が存在する。そして、供託が公法上の法律関係であるか、私法上の法律関係であるかは、かつて大いに争われたところである。私は、供託の法律的性質を寄託契約、すなわち、私法上の法律関係であると解する。ただ、供託手続が確実にかつ迅速に行なわれるために、国家機関たる供託官がその事務を行なうのであるが、そのことは、何等供託そのものが私法的の法律関係たることに影響するものではない。したがつて、供託者と供託官との間の関係も私法上の寄託関係であり、金銭を供託した場合、その払渡請求権は、金銭債権として一般の金銭債権同様、譲渡、相続、質権設定、仮差押等の目的となり得、供託金払渡請求権は、供託官を機関とする国に対する私法上の権利である。
しかして、本件においてまず問題となるのは、払渡請求者が供託関係法令に基づく供託官の行為を不服とする場合の争訟の形式は、通常訴訟によるべきか、あるいは抗告訴訟によるべきかの点である。この点につき、多数意見は、供託法および供託規則の規定を挙げて、次のごとくいう、「右のような実定法が存するかぎりにおいては、供託官が供託物取戻請求を理由がないと認めて却下した行為は行政処分であり、弁済者は右却下行為が権限のある機関によつて取り消されるまでは供託物を取り戻すことができないものといわなければならず、供託関係が民法上の寄託関係であるからといつて、供託官の右却下行為が民法上の履行拒絶にすぎないものということは到底できない」と。そして、多数意見はかかる見地に立ち、本件についていう、「これを要するに、上告人が本件供託物取戻の請求を却下した処分に対し、被上告人が行政事件訴訟法三条二項に基づき上告人を被告として提起した本訴は適法というべきである」と。そして、右に掲げた多数意見は、供託官が供託物の取戻請求を却下した行為に関するものであるが、そのいうところより見れば、多数意見は単に右の場合のみにとどまらず、一般に、供託申請または供託物払渡請求に関する供託官の行為を行政処分であるとし、したがつて、これを不服とするときは、常に審査請求ないし抗告訴訟によるべきものとする趣旨と解されるのである。しかし、私は後に述べるごとく、供託官の処分に対する争訟の形式としては、審査請求ないし抗告訴訟によるべき場合と通常の民事訴訟によるべき場合とがあると考える者である。以下、この点につき私の考えるところを述べる(なお、卑見は供託金払渡請求権の消滅時効の起算点については、多数意見と同一の見地に立つ)。
以上の争訟の形式を論じるにあたつては、まず、供託官の審査権限が形式的審査権のみか、実質的審査権をも含むかについて検討することを要する。私の解するところによれば、供託が実質関係と常に符合することは望ましく、この点を無視することは供託制度の信用を失わしめるものであるが、しかし、このことを余りに強調して実質関係を確保しようとすれば、供託関係手続は渋滞し、迅速を欠くこととなろう。しかも、供託は今日、かつてのように裁判所の所管に属さず、供託官は、裁判所の行なう非訟的の権限は有していないのである。ここにおいて、この実質的関係の確保と供託関係手続の迅速の双方を考慮に容れるとき、供託官の審査権限は、申請者によつて提出された書類による書面審理の範囲にとどまるものとし、その書面の成立または内容の実質的真正については、審査の権限なしとするのが原則であると考える(そしてこの点につき、留意を要するのは、供託官は、当事者が関係法令に基づいて提出した書面のみによつて申請の適否を判断すべく、提出された書面の実質的真正を審査するため、当事者に対しさらに書面の提出を求めることは許されないのである)。したがつて、たとえば、当該書面の成立の真正を担保するため法令の要求する要件が具備している場合、なおそこに押捺された印章が偽造または盗用にかかるものでないか否かについて、また供託の原因たる契約の存否について、あるいは後述のように書面の記載内容から一見して明らかに判断し得る場合でないのにかかわらずなお契約の効力の有無について、供託官は審査権を行使し得ないのである(登記官吏の審査権限についての昭和三三年(オ)第一〇六号同三五年四月二一日第一小法廷判決、民集一四巻六号九六三頁参照)。
ただし、叙上の原則に対し、次のような例外が存するものと思われる。すなわち、供託官が供託契約の当事者(債務者)的地位において当然知り得る事項が払渡請求の許否につき問題となる場合が、それである。たとえば、還付請求権者が供託書正本によつて供託金の還付または内渡を受けたのにかかわらず、供託通知書によつて再度その申請をしたとき(供託規則二四条、三一条参照)、払渡請求権が第三者に譲渡または転付され、譲渡通知または転付命令が供託官に到達した後に、譲渡人または旧権利者が払渡の請求権をしたとき、払渡請求権につき仮差押または差押が競合する場合において優先権を有しない一の差押債権者が転付命命を得て払渡の請求をしたとき、のごときが右の例外にあたるものと解されるのである。かかる場合において、供託官は、供託契約の当事者(債務者)的地位において当然知り得た事項を理由として、払渡請求を却下し得るのである。なお、供託申請書の記載自体からして、当該契約が無効であり、したがつて供託によつて免責を得ようとする債務の不存在が一見して明らかである場合、たとえば、妾契約による債務の弁済供託のごときにおいては、供託官は、申請書の記載自体から一見して明らかな契約の無効、したがつて債務の不存在を理由として、供託申請を却下し得るものというべきである。
要するに、以上のような例外は存するが、供託官の審査権限は、申請書類による書面審理の範囲内にとどまり、その書面の実質的真正については審査権が及ばないのが原則である。すなわち、供託に関する法令は、供託を能う限り実質関係に符合させ、しかもその手続の迅速を図るという、いわば相反する二つの要請を満足させるため、実質的関係を確保するための詳細な規定を設けつつ、その規定を形式的に履践させることによつて手続の迅速を図り、大量処理の目的を達しようとするものであり、供託官の審査権限の範囲はこの目的によつて制約されるのである。供託官の審査権限は、叙上に説示した意味において形式的のものといい得るのである。そしてこの権限が、供託関係手続につきかかる意味において形式的のものであるからには、これに対する不服申立も簡易の方法によるのが便宜であり、これは国民の要望するところでもあろう。私の解するところによれば、供託法が「供託官ノ処分ヲ不当トスル者ハ監督法務局又ハ地方法務局ノ長ニ審査請求ヲナスコトヲ得」(同法一条ノ三)とし、その審査請求につき行政不服審査法の規定によるものとしたのは、このためである。しかも、この点に関し留意すべきことは、供託法が一面において、審査請求期間について行政不服審査法一四条の適用を排除しているため、供託の申請や払渡の請求を却下された者は何時にても審査請求をなし得ることであり、他面において、供託法自体が「法務局又ハ地方法務局ノ長ハ審査請求ヲ理由アリトスルトキハ供託官ニ相当ノ処分ヲ命スルコトヲ要ス」(同法一条ノ六)との規定を特に設けていることである。
叙上のことは、供託官の審査権が形式的のものであることを前提として、供託官がその審査権の行使を誤つた場合、何時たりともこれについて不服の申立を認め、それが理由があるときは、容易にその処分を取消し得る便法を設けたものと解されるのである。おそらく、供託官の処分に対する不服の多くは、この便法によつて解決されるであろうと思われる。もつとも、この審査請求の結果に不服のある者は、供託官の処分に対し、もし監督法務局または地方法務局の長の裁決に固有の瑕疵があると主張するときはその裁決に対して、抗告訴訟を提起することとなるが、この場合における裁判所の判断の範囲も、供託官の形式的審査権の行使の適否という、いわば形式面に限局されるので、迅速に行なわれ得るのである。これに反し、もし、抗告訴訟において裁判所は、本来供託官の権限に属しない実質的審査にわたる事項についてまで判断すべきものであるとすれば、その訴訟は迅速に行なわれ難くなるのみならず、供託官は自己の権限に属しない実質的審査の点について、その処分に違法があるとして取消される場合を生じることとなるのである。
(二) 叙上のごとく、供託官の処分につき、その不服申立が審査請求ないし抗告訴訟の手続によるのは、専ら供託関係手続の形式面に争いの存する場合であるが、これに対し、供託関係手続の実質面に争いの存する場合は、これと同一に論じ得ないのである。たとえば、払渡請求に対する形式的審査の結果、権利者と称する者が払渡を受けたが、関係書類が偽造にかかるものであつた場合においては、真の権利者は、供託官の処分が形式的審査の範囲内のみにおいては是認されるから、審査請求ないし抗告訴訟によつては救済され得ない。債権者不確知による弁済供託(民法四九四条)の場合において、真実債権者たる者であつても、その権利を有することを証する書面(供託規則二四条)を提出することが困難なとき、その権利の実現については、供託法令に基づく払渡請求またはその却下に対する審査請求ないし抗告訴訟によつては救済され難いであろう。
叙上のごとく、私は、供託関係法令に基づく供託官の処分に対する不服申立は審査請求ないし抗告訴訟によるべき場合と通常の民事訴訟手続によるべき場合とがあると考えるのである。そして、この後者の場合、供託官の処分の存するにかかわらず、直接国に対して供託金の支払等を請求することとなるが、既に述べたように、供託官の審査権限は形式面に限局され、審査請求における裁決庁ないし抗告訴訟における裁判所の判断の範囲も、また従つてこれに限局される以上、供託官の処分の有する公定力もこれに応じて制限され、当該処分の実質面に存する争いについては、民事訴訟において裁判所がその実質面について処分の当否を判断することとなるのである。
しかるに、叙上の見解に反し、多数意見によるときは、供託官の処分に対する不服は、常に行政不服審査法による審査請求ないし抗告訴訟によるべきものとなろう。しかし、このような手段によるときは、次のような煩瑣な結果を生じよう。
(1) 供託官が権限なき者に対し供託物を払渡したとき、真の請求権ある者は、まず供託官が権限なき者に対して払渡した処分そのものの取消を求めることを要することとなる。そして、その処分が取消されない限り、真の請求権者といえどもその払渡を請求し得ないこととなろう。これは、すこぶる迂遠のように思われる。
(2) 実際問題として、供託金払渡請求権については、差押命令や転付命令の発せられる場合が多いのであるが、多数意見によるときは(イ)払渡請求権につき有効な転付命令があつたのにかかわらず、供託官が供託書を提出した旧権利者に誤つて供託金を支払つたとき、転付命令を得た者もその払渡を求めるには、供託官の処分取消のため審査請求をなし、あるいは抗告訴訟を提起し、これが容れられなければ、払渡の請求をなし得ないこととなろう。また、(ロ)転付命令が無効であるのに、供託官がこれを有効として払渡したとき、真の供託物払渡請求権を有する者は、供託官の先にした払渡処分取消のため審査請求をなし、あるいはは抗告訴訟を提起するを要しよう。私は、供託官をしてそのような審査をさせることは、妥当でないとともに煩瑣な手続を強いるものと考える。
もつとも、私のごとく供託官の処分の不服申立につき、形式面の不服については審査請求ないし抗告訴訟により、実質面の不服については通常訴訟によるべしと解することに対しては、あるいは形式面と実質面との境界が必ずしも明らかでなく、徒に何れによるべきかの問題を生じるとの非難があり得るであろう。おそらく、多数意見は、このことを一つの根拠として、すべて供託官の処分についての不服は審査請求ないし抗告訴訟によるべしと主張するのであろう。しかし、強制執行の異議の方法として、債務名義そのものの執行力の排除を目的とするところのもつとも根本的の強制執行阻止の手段たる請求異議の訴(民訴五四五条)に竝んで執行交付与の異議(民訴五二二条)および執行方法に関する異議(民訴五四四条)の存在を見るとき、たとえ、具体的場合にこれらの何れに帰属するかにつき疑問を生ずるものがないわけではないにせよ、かかる異議方法の併存に十分の理論的根拠と実際的必要があるのである。そして、その異議方法間の限界に不明の場合のあり得ることを理由として、強制執行における異議方法の併存を否定すべきでないことを思うとき、供託官の処分に関し、私の主張するごとき二方法の併存も理解し得るところであろう。
(三) 今、本件を見るに、被上告人は上告人に対し弁済供託における供託物の取戻を請求したところ、上告人は、供託の時より既に十年を経過し、取戻請求権は時効により既に消滅したとしてその請求を却下したのである。これに対し、被上告人は、本件の弁済供託の基礎となつた債務が、その後、裁判上の和解によつてその不存在が確定したのであるから、取戻請求権の消滅時効はその和解成立の時より進行することとなり、したがつて、該請求権は未だ時効により消滅しているのではないというのである。その争点たるや、民法一六六条の「消滅時効ハ権利ヲ行使スルコトヲ得ル時ヨリ進行ス」につき、その「権利ヲ行使スルコトヲ得ル時」の解釈に関する。そして、叙上論じたところによれば、このような法律上の解釈の争いは、前記の意味における「実質面」の問題に属するものというべきものと解される。したがつて、被上告人は、本件については民事訴訟によつて争うべきであり、審査請求ないし抗告訴訟によつて争うべきものではないのである。
要するに、私は、叙上の見地に立つて見るとき、原判決を破棄し、本件訴を却下すべきものと考える(もつとも、このような見解をとるのは、訴訟経済上望ましくないとの反論があろう。しかし、このような反論は採り得ない。けだし、現在、供託官の処分の不服につき民事訴訟手続による請求が相当数裁判所に繋属している以上、本件の多数意見によるときは、すべて民事訴訟手続による訴を却下すべきこととなり、やはり訴訟経済上望ましくないからである)。
裁判官岩田誠は、裁判官松田二郎の反対意見に同調する。(石田和外 入江俊郎 長部謹吾 城戸芳彦 田中二郎 松田二郎 岩田誠 下村三郎 色川幸太郎 大隅健一郎 松本正雄 飯村義美 村上朝一 関根小郷)