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最高裁判所大法廷 昭和41年(あ)1863号 判決 1968年4月03日

主文

本件各上告を棄却する。

理由

被告人宮下一郎の弁護人松本一郎の上告趣意第一点について。

原判決が、被告人宮下一郎をもって、同判示参議院議員選挙の立候補者鹿島俊雄の選挙運動を総括主宰した者と認定したうえ、右候補者の立候補届出前における同被告人の行為として認定した同判示第一の四、八の(一)、一二の(一)から(五)まで、一三の(一)および(二)ならびに一四の(一)の(1)から(3)までの各犯罪事実について、公職選挙法(昭和三七年法律一一二号による改正前のもの)二二一条一項一号とともに同条三項の規定を適用していることは、所論のとおりである。同条三項は、公職の候補者、選挙運動を総括主宰した者または出納責任者が当該選挙において有する特殊な地位やその果たすべき役割の重要性にかんがみて、他の者が同条一項の罪を犯した場合よりも特に刑を重くする趣旨の規定であって、その解釈適用にあたっては、いわゆる連座規定との関連も考慮して、まず、これらの者の意義とその範囲を明確にしておく必要がある。この観点から、当裁判所各小法廷が、同条三項にいう公職の候補者について、公職選挙法の規定に基づく正式の立候補届出または推薦届出により候補者としての地位を有するにいたった者に限るとし(昭和三四年(あ)第一一九〇号同三五年二月二三日第三小法廷判決、昭和三五年(あ)第一四三二号同年一二月二三日第二小法廷判決、昭和四一年(あ)第一四一三号同年一二月二二日第一小法廷判決等)、また、同条項にいう出納責任者について、同法所定の手続により出納責任者として選任届出のなされた者を指すものとした(昭和四〇年(行ツ)第七四号同四一年六月二三日第一小法廷判決)見解は、いずれも正当な解釈として維持されるべきであり、その趣旨は、刑罰および前記連座規定の適用の権衡を期するうえから、右条項にいう選挙運動を総括主宰した者の解釈についても、当然推し及ぼされなければならない。もっとも、右条項の選挙運動を総括主宰した者とは、当該公職の候補者の選挙運動を推進する中心的存在として、これを掌握指揮する立場にあった者をいい、従前の選挙事務長のごとく法令上届出を要するものとはされていないから、その意義は、形式や外見にとらわれることなく、現実に行なわれた選挙運動の実情に即して実質的に理解されるべきであるが、少なくとも、右にいう選挙運動とは、当該公職の候補者が正式の立候補届出または推薦届出により候補者としての地位を有するにいたってから以後に行なわれたものを指称し、それより前に行なわれたいわゆる事前運動はこれに包含されないものと解するのが相当である。したがって、当該公職の候補者の立候補届出または推薦届出がなされるまでは、事実上選挙に関する運動の中心となってこれを掌握指揮した者であっても、右条項に定める選挙運動を総括主宰した者ということはできないから、かかる者によって行なわれた同条一項に該当する行為について同条三項を適用する余地はないものと解すべく、この点の法理は、その者が後に当該公職の候補者の右届出以後における選挙運動を総括主宰した者となった場合にも、なんらの変更をみないものと解すべきである。かくして、所論引用の各高等裁判所判例の判旨は、右の解釈と一致する限度において、いずれも正当なものとして是認されるべきであり、前示のとおり、本件公職の候補者鹿島俊雄の立候補届出前に行なわれた被告人の各行為について同条三項の規定を適用した原判決は、法令の解釈適用を誤り、前記各高等裁判所の判例に違反するものといわなければならない。しかしながら、原判決は、被告人宮下一郎について、前示各犯罪事実のほかに、右候補者の立候補届出以後に行なわれた同判示各犯罪事実を認定し、これらに対しては刑罰法令を正当に適用しているのであって、このうち同判示第一の一の罪の刑に法定の併合罪加重がなされている関係から、右の過誤を是正した場合にも処断刑の範囲に変更をきたすことなく、その他本件事案の内容に徴しても、所論指摘の判例違反をもって判決に影響を及ぼすものとは認められないので、結局、この点の所論は原判決破棄の理由とするには足りない。

同弁護人のその余の上告趣意について。

所論は、事実誤認、単なる法令違反、量刑不当の主張であって、適法な上告理由にあたらない。

被告人両名の弁護人石橋信の上告趣意について。

所論中には、原審の裁判は、迅速な裁判を保障した憲法三七条一項に違反するとの主張もあるが、右主張が理由のないものであることは、当裁判所大法廷の判例(昭和二三年(れ)第一〇七一号同年一二月二二日判決)の示すとおりであり、その余の所論は、事実誤認、単なる法令違反、量刑不当の主張であって、適法な上告理由にあたらない。

被告人山川卯平の弁護人遊田多聞の上告趣意について。

所論は、事実誤認、単なる訴訟法違反の主張であって、適法な上告理由にあたらない。

よって、刑訴法四一〇条一項但書、四一四条、三九六条により、主文のとおり判決する。

この判決は裁判官色川幸太郎の反対意見があるほか、裁判官全員一致の意見によるものである。

裁判官色川幸太郎の反対意見は、次のとおりである。

公職選挙法二二一条三項にいわゆる選挙運動を総括主宰した者(以下単に総括主宰者とする。)とは、多数意見の示すとおり、当該公職の候補者(以下単に候補者とする。)の選挙運動を推進する中心的存在として、これを掌握指揮する立場にあった者を指称するものである。問題は、右にいう選挙運動とは、当該候補者が、立候補の届出又は推薦の届出(以下単に届出とする。)により候補者としての地位を有するに至ってから以後に行なわれたもののみに限られるのか、あるいはまた、届出前の、いわゆる事前運動を含むものであるかに存するのであるが、この一点において、私は多数意見に到底同調できないのである。

ところで、届出前といえども選挙運動のありうることは疑問の余地があるまい。これこそ公職選挙法一二九条の正に予想しているところなのである(当裁判所昭和三六年(あ)第一六七六号同年一一月二一日第三小法廷判決、刑集一五巻一〇号一七四二頁)。同法二二一条一項二項に定められた買収罪等の規定その他選挙罰則の大部分が届出前の行為にも適用されることはいうまでもない。同条一項にいう選挙運動者たる地位も、正規の前記届出がなされた後でなければ認められないと解すべきものでないことは、同法二二二条と対比すれば自ら明らかであると考える。しかるに多数意見は、同法二二一条中三項についてのみ、選挙運動の意義を届出以後に限定せんとするのであるが、その理由とするところは、結局、候補者および出納責任者との関連における刑罰および連座規定の適用の権衡以外に出ないのである。

公職選挙法は立候補について届出の制度をとっている。したがって届出前には、候補者となろうとする者があるだけでいまだ候補者は存在しない。出納責任者についてもまた、候補者もしくは推薦届出人が選任し、これを届出るものである以上(同法一八〇条)候補者が候補者としての地位を取得した以後でなければ存在し得ず、両者いずれも届出という形式を地位取得の法律上の要件としているわけである。これに対し、総括主宰者は全くその性質を異にしているのであって、選任や届出については何らの規定もなく、多数意見の正当に指摘するとおり、その意義は「形式や外見にとらわれることなく、現実に行なわれた選挙運動の実情に即して実質的に理解」せらるべきものなのである。これを立法の沿革に徴しても、総括主宰者の地位の取得は届出のような形式的な手続とはそもそも無縁であって、立法者の意図したところは、むしろ意識的にその間の連絡を断ち切ろうとしたものであることが窺われる。総括主宰者なる概念が、はじめて選挙法中に持ちこまれたのは昭和九年の法改正(同年法律第四九号)の時であるが、当時の資料によれば、選挙事務長(この地位は正規の届出によってのみ取得される。)は、これをロボットとしてしまい、実質上の事務長に選挙運動をすべて主宰せしめて、この実力者が選挙犯罪により刑に処せられるようなことがあっても候補者の安泰だけは期せられるという、要するに連座規定の適用を免れんとした、この種の脱法行為を封殺するのが制度新設の趣旨であったのである。刑罰の加重規定が設けられたのは、昭和二九年(同年法律第二〇七号)であるけれども、総括主宰者の用語及び概念については、昭和九年以降今日にいたるまで何ら変るところがない。

ところで現在における選挙の実情を見るのに、任期満了による選挙の場合にはいうには及ばず、解散を原因とする選挙にあっても、そのことを見越しての、組織的な事前運動が、そのつど大規模に展開される事実はおおうべくもないのである。選挙区の広汎、選挙人人口の厖大なるに比し、正規の選挙運動期間があまりにも短いからだという批判もあるが、制度の是非はとにかくとして、法による禁圧にもかかわらず、事前運動の横行は否定し得ない現象である。ところで、かくの如き事前運動においては、それが全体として違法であればあるほど、これを企画し、立案し、実行するにあたって、その中心となって推進する指揮者を欠くことは到底できないであろう。候補者が、ひとりのブレーンをも持つことなく、あらゆる活動について自ら采配を振るという異例な場合を除いては、何びとも、この場合総括主宰者の厳存する事実を認めざるを得ないのではあるまいか。そうであるにもかかわらず、法にいう総括主宰者は正規の運動期間中のそれに限るべきだとする見解には、果していかなる合理的な根拠がありうるであろうか。

もっとも、もし総括主宰者の意義を広義に解するならば、多数意見のいうごとく、候補者との間に刑罰の適用につき権衡を失することなしとはいえないかも知れない(出納責任者については、運動における役割と比重とにおいて総括主宰者とは決定的な差異があるから同列に論ずる必要はない。後にふれる連座規定の適用についても同様である。)。しかし、私は右の程度の不権衡はいまだ解釈を左右するに足りないと考えるものである。もともと同法二二一条一項に列挙された罪は、選挙をと毒する実質犯の尤なるものであって、選挙制度がいかように変ろうとも、かかる行為を防あつするのでなければ選挙の公正は所詮期することができないのである。而して、これらの買収等の行為が、届出前においてなされた場合でも罪となることは前述のとおりであるが(前示判例参照)、届出前の買収行為と、正規の運動期間中における買収行為とが、仮りにその態様、実質等を同じくした場合、違法の程度においていずれを重しとし、いずれを軽しとすべきであるか。いうまでもなく選挙を腐敗堕落せしめる点においてその間何らの径庭もあり得ないのである。そしてまた、特に枢要の地位にある者によってこれら買収等の悪質行為がなされるならば、選挙人の自由なる判断を妨げ選挙の公明、適正を失わしめること一層甚しいものがあればこそ、同法条三項の加重規定が設けられているわけであるから、届出のごとき一片の形式に拘泥することなく、実態に即しての解釈適用がなされてはじめて法の趣旨が生かされるのではあるまいか。当裁判所の判例が同条項にいう候補者をもって法定の届出をしたことを要件としているのは、届出制度があること及び用語例としても同法一九九条の二、一九九条の三、一九九条の四などに「公職の候補者」と「公職の候補者となろうとする者」を異別に規定してあるがためにほかならないのであって、それ以外には格別な実質的理由はないものと考えざるを得ない。元来届出制度は候補者の濫立を防ぎ選挙費用の増嵩を抑制するところに主たる狙いがあるのである。選挙の腐敗を防あつせんとする刑罰規定と届出の有無とは、もともと直接に結びつくものでないことに留意する要があるであろう。

次に連座規定であるが、多数意見は、右規定の適用上も権衡を失するものがあるという。しかし、その当らないことは以下述べるとおりである。同法二五一条は、当選人がその選挙に関して一定の選挙の罪を犯し刑に処せられたときは、当選を無効とすると規定しているものであるところ、その犯行の時期については、もとより届出の前後を問うものではないが故に、未だ候補者たる地位を取得しない間において、即ち、同法にいう候補者となろうとする者が犯した場合であっても、その者が当選し、そして刑に処せられたときは当選を失うことになるわけである。したがって、事前運動における総括主宰者とこの点においては何ら異なるところがない。而も同法条を字義通りに読めば、当選人が自分自身のためにした選挙運動でなく、当該選挙に関するものである限り、他の候補者または候補者となろうとする者のためにした、同法所定の行為によって刑に処せられた場合にも当選無効を招来することになるであろう。これに対し、総括主宰者の場合は当該候補者のための所為に限ると解するほかはないのである。さらに当選人にあっては、同人に課せられた刑の確定とともにただちに当選を失うに反し、総括主宰者への課刑による連座の場合は、訴訟手続を俟ってでなければそのことがないこと(同法二一一条)、なおまた、前者については当選無効を招来する犯罪の類型が、後者の場合の限定的なるに比し、極めて網羅的であることなども考慮されてしかるべきである。

以上の次第で私は刑罰及び連座の規定の適用における権衡を理由とした多数意見には賛成することができないのである。

(裁判長裁判官 横田正俊 裁判官 入江俊郎 裁判官 奥野健一 裁判官 草鹿浅之介 裁判官 城戸芳彦 裁判官 石田和外 裁判官 田中二郎 裁判官 松田二郎 裁判官 岩田 誠 裁判官 下村三郎 裁判官 色川幸太郎 裁判官 大隅健一郎 裁判官 松本正雄 裁判官 飯村義美)

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