最高裁判所大法廷 昭和43年(あ)837号 判決 1973年4月25日
主文
原判決を破棄する。
本件を福岡高等裁判所に差し戻す。
理由
上告趣旨第一点について。
原判決の判示するところによれば、
被告人山下森市は、国鉄労働組合門司地方本部長崎支部長崎分会執行委員長であり、被告人吉木定は、同門司地方本部長崎支部肥前山口分会執行委員長であり、被告人牛嶋辰良は、同門司地方本部執行委員であつて、いずれも、昭和三七年三月、国鉄労働組合が行なつた年度末手当要求に関する闘争に参加したものであるが、(一)被告人山下は、同月三〇日午後四時頃、国鉄久留米駅東てこ扱所二階の信号所の勤務者(三名)に対し、翌三一日の勤務時間内二時間の職場集会に参加することを勧誘、説得し、これを目的をもつて、同駅長松下敬馬の管理にかかり、係員以外の者の立入りが禁止されている右信号所に立ち入り、(二)被告人吉木は、同月三〇日午後六時三〇分過ぎ頃から多数の労働組合員らとともに右信号所に通ずる段階に立ち並んで、いわゆるピケットの配置についたところ、同日午後八時頃、鉄道公安職員による実力行使が予測されたので、組合員らの所持品や着替えた服などを持つて右信号所に立ち入り、(三)被告人牛嶋は、翌三一日午前零時頃、同駅東てこ扱所に赴き、組合員らに対していわゆるピケットの強化を図るためその配置などについて指導した後、右信号所に立ち入つた、
というものである。
そして、原判決は、憲法二八条に基づく基本的な法の規制態度等にかんがみるときは、争議行為が労働組合法一条一項の目的を達成するためのものであつて、それが政治目的で行なわれたとか、暴力を伴う場合とか、社会通念に照らして不当に長期に及ぶときのように国民生活に重大な障害をもたらす場合のような不当性を伴わないかぎり、刑事制裁の対象とはならないものであり、また、労働組合員らの信号所への立入りを列車運行上の抽象的一般的危険があるゆえをもつて制限することは労働基本権の保障に十分であるとはいえない等の見解を示したうえ、結局、被告人らの参加した争議行為は、右のような不当性を伴うものではないこと等を理由として、被告人ら三名の前記信号所立入りの各行為は、刑事制裁の対象とはならない旨判断したものである。
検察官の上告趣意第一点は、原判決の右判断につき判例違反、憲法二八条の解釈の誤りを主張するものである。
これに対し、当裁判所は、つぎのとおり判断する。
原判決の判示するところによれば、国鉄労働組合門司地方本部は、同組合の特別執行委員会の指令に基づき、年度末手当に関する要求実現のため、昭和三七年三月二八日、指定職場(八幡駅および久留米駅)において同月三一日勤務時間内二時間の職場大会を実施すること、そのための組合員らの動員等を指令し、他方、国鉄当局は、同月二九日門司鉄道管理局長において一般職員に対し闘争に参加しないよう警告を局報に掲載し、翌三〇日には国鉄労働組合門司地方本部に対し時限ストの中止方を申し入れ、久留米駅においても同月二九日午前中に同駅長が列車運行上重要な施設である東、西てこ扱所二階の信号所の保全のため同所に係員以外の者の入室を禁ずる旨の掲示をする等の対策を講じたが、組合員らは、かかる警告等を無視して闘争を行ない、同月三〇日午後六時頃から関係個所においていわゆるピケットの配置につき、久留米駅東てこ扱所二階の信号所には二〇名ばかりが立ち入り、入口の扉の取手を針金で縛つて、門司鉄道管理局人事課の現認関係担当者の立入りを拒んだあと、これを開き、同所に通ずる幅約九〇センチメートルばかりの急勾配の木造階段に立ち並び、次第に人数を増して四、五〇名となり、立錐の余地もない状態となつた、というのである。これによれば、労働組合員らの東てこ扱所二階の信号所への立入り、階段へのすわり込みによつて、国鉄当局側の職員が同所に往来することはできなくなつたのであるから、同所は労働組合員らによつて占拠され、同所に対する久留米駅長の管理は事実上排除されたものと認めなければならない。原判決中、これに反する判断は誤りである。
右の事実によれば、被告人ら三名は、いずれも管理者たる久留米駅長の禁止を無視して、冒頭に摘示したとおり、それぞれ信号所に立ち入つたものであるから、いずれも人の看守する建造物に看守者の意思に反して侵入したものといわなければならない。
ところで、勤労者の組織的集団行動としての争議行為に際して行なわれた犯罪構成要件該当行為について刑法上の違法性阻却事由の有無を判断するにあたつては、その行為が争議行為に際して行なわれたものであるという事実をも含めて、当該行為の具体的状況その他諸般の事情を考慮に入れ、それが法秩序全体の見地から許容されるべきものであるか否かを判定しなければならないのである。
これを本件について見るに、信号所は、いうまでもなく、列車の正常かつ安全な運行を確保するうえで極めて重要な施設であるところ(それゆえ、国鉄の「安全確保に関する規程」(昭和二六年六月二八日総裁達第三〇七号。現在は昭和三九年四月一日総裁達第一五一号)一五条にも、従業員はみだりに信号所に他人を立ち入らせてはならない旨が明記されている。)。原判決の判示するところによれば、被告人山下は、当局側の警告を無視し、勧誘、説得のためであるとはいえ、前記のような状況のもとに、かかる重要施設である久留米駅東てこ扱所二階の信号所の勤務員三名をして、寸時もおろそかにできないその勤務を放棄させ、勤務時間内の職場集会に参加させる意図をもつて、あえて同駅長の禁止に反して同信号所に侵入したものであり、また、被告人吉木および同牛嶋は、労働組合員ら多数が同信号所を占拠し、同所に対する久留米駅長の管理を事実上排除した際に、これに加わり、それぞれ同所に侵入したものであつて、このような被告人ら三名の各侵入行為は、いずれも刑法上違法性を欠くものでないことが明らかであり、また、このように解して被告人ら三名の刑事責任を問うことは、なんら憲法二八条に違反するものではない。
ところが、原判決は、前記見解に基づき、被告人ら三名の信号所立入りの各行為は刑事制裁の対象とはならない旨判断し、第一審判決中の有罪部分を破棄して無罪の言渡しをしたものであるが、右は、以上に説示したところによつて明らかなとおり、事実を誤認し、憲法二八条の解釈適用を誤つたものといわなければならない。
この点の論旨は、理由がある。
上告趣意第二点について。
原判決の判示するところによれば、
昭和三七年三月三〇日、前記のように、国鉄労働組合らは、午後六時頃から関係個所においていわゆるピケットの配置につき、久留米駅長の禁止を無視して同駅東てこ扱所二階の信号所に立ち入り、さらに同所に通ずる幅九〇センチメートルばかりの急勾配の木造階段に立ち並び、次第に人数を増して四、五〇名となり、立錐の余地もない状態となつた。そして、組合員らは、久留米駅長の命を受けた同駅助役や、国鉄当局の現地対策本部(門司鉄道管理局営業部長を本部長とするもの)の命を受けた鳥栖公安室長藤田喜太雄指揮の鉄道公安職員らの、携帯拡声器等による再三の退去要求に応じなかつた。そこで、現地対策本部から実力による排除の命を受けた藤田公安室長は、午後八時二〇分頃、合計六一名の鉄道公安職員に対し実力による排除を命じた。かくして、鉄道公安職員らは、階段の上り口に立つ組合員を排除し、なお腕を組んだり、手すりにつかまつてすわり込んでいた組合員らの手をはずし、手足や身体、着衣をとらえて引張り、あるいは身体をかかえ上げて引きおろし、中には力余つて階段を引きずりおろすなどして後方へ順送りに移動させて排除していつた。この時、これを二階の信号所から見ていた被告人吉木および同山下は、同所備付けのバケツに水道の水を入れ、階段付近で組合員を排除中の鉄道公安職員にこれを浴びせかけた。その後、組合員に対する排除行為は中断したが、翌三一日午前二時頃、現地対策本部の命を受けた藤田公安室長は、二回にわたり組合員らに対し退去を勧告したところ、組合員らは退去しなかつたので、午前二時二〇分頃、藤田公安室長の指揮する六一名の鉄道公安職員は、前記同様の手段方法で階段にいる労組員らを排除し始めた。この時、被告人吉木および同牛嶋は、他の組合員とともに鉄道公安職員に対しバケツで水を浴びせかけた、
というものである。
そして、原判決は、本件争議行為は国鉄労働組合員らの労働基本権の行使であり、同労働組合員らの本件信号所への立入り、階段へのすわり込みはこれを違法不当視しえないから、鉄道公安職員においてもともとこれらの労働組合員らは退去させえないものであつたばかりでなく、警察官職務執行法所定の警察官の職務執行についてさえ厳格な要件が定められていること等から考えると、鉄道営業法四二条一項により鉄道係員が同項各号の該当者を車外または鉄道地外に退去させるにあたつては、必要に応じて物理的有形力を用いることができるが、それとても強制にわたらない限度において行使すべきであり、このように解してこそようやく同条項は憲法三一条に違反しない旨の見解を示したうえ、鉄道公安職員が本件信号所階段にすわり込んだ労働組合員らに対する排除行動の際に行使した実力の程度は、許された物理的有形力の限度を越えるものであつて、違法であり、適法な職務の執行ということはできず、したがつて、排除行動に従事中の鉄道公安職員らに対し水を浴びせかけた被告人らの各所為は、公務執行妨害罪を構成するものではなく、また、労働運動の場において鉄道公安職員による不当な実力行使によつて労働運動を抑止される状況においてこれを制止するためにした右のごとき被告人らの行為については、両者の行為の目的、態様、程度などを比較衡量するときは、これを直ちに鉄道公安職員に対する暴行と評価することは差しひかえるのが相当である旨判断したものである。
検察官の上告趣意第二点は、原判決の右判断につき、違法三一条および鉄道営業法四二条一項の解釈の誤り、判例違反を主張するものである。
これに対し、当裁判所は、つぎのとおり判断する。
まず、鉄道営業法四二条一項は、旅客、公衆が停車場その他鉄道地内にみだりに立ち入つたとき等同項各号に定める所為に及んだ場合、鉄道係員は、当該旅客、公衆を車外または鉄道地外に退去させうる旨を規定している。けだし、鉄道施設は、不特定多数の旅客および公衆が利用するものであり、また、性質上特別の危険性を蔵するものであるから、車内または鉄道地内における法規ないし秩序違反の行動は、これをすみやかに排除する必要があるためにほかならない。すなわち、同条項は、鉄道事業の公共性にかんがみ、事業の安全かつ確実な運営を可能ならしめるため、とくにかかる運営につき責任を負う鉄道事業者に直接にこの排除の権限を付与したものである(同様の趣旨の根拠に基づく規定として、航空法七三条の三第一項は、航空機の機長に、航空機の安全に危害を及ぼす行為をする者等に対し必要な限度で拘束その他抑止と措置をとり、またはその者等を降機させる権限を認め、また、同法八六条の二第一項は、航空運送事業者に危険物件を航空機内から取り卸す権限を認めている。)。そして、鉄道営業法四二条一項の規定により、鉄道係員が当該旅客、公衆を車外または鉄道地外に退去させるあたつては、まず退去を促して自発的に退去させるのが相当であり、また、この方法をもつて足りるのが通常であるが、自発的な退去に応じない場合、または危険が切迫する等やむをえない事情がある場合には、警察官の出動を要請するまでもなく、鉄道係員において当該具体的事情に応じて必要最少限度の強制力を用いうるものであり、また、このように解しても、前述のような鉄道事業の公共性に基づく合理的な規定として、憲法三一条に違反するものではないと解すべきである。なお、警察官職務執行法所定の警察官の職務執行は、一般社会においてひろく個人の生命、身体、財産の保護、犯罪の予防、公安の維持、法令の執行等のために、執行の場所、理由、相手方、方法等が予定されることなく、随時必要な場合になされるべき性質のものであるのに対し、鉄道営業法四二条一項所定の鉄道係員による退去強制は、右のように鉄道事業の公共性に基づいて鉄道事業者にとくに認められたものであり、その権限の行使も、現に車内または鉄道地内において所定の法規に違反し、ないしは秩序を乱す者をとりあえず車外または鉄道地外に退去させるにとどまり、それ以上には出ないものであつて、両者は、人身に対する強制という点では相似たところがあるにしても、明らかにその性格を異にするものである。
つぎに、鉄道公安職員は、鉄道公安職員の職務に関する法律によつて、国鉄の列車、停車場その他輸送に直接必要な鉄道施設内における犯罪および国鉄の運輸業務に対する犯罪について捜査の権限をもつものであるが、他面、国鉄の職員として、その職務の遂行について法令および国鉄の定める業務上の規程に従わなければならないとされ(日本国有鉄道法三二条一項参照)、かかる業務上の規程の中でも重要な「鉄道公安職員基本規程」(昭和二四年一一月一八日総裁達第四六六号)によれば、鉄道公安職員は、(一)施設および車両の特殊警備、(二)旅客公衆の秩序維持、(三)運輸に係る不正行為の防止および調査、(四)荷物事故の防止および調査、(五)その他犯罪の防止、の職務を行なうものとされ(三条)、さらに、鉄道公安職員は、国鉄の防護の任にあることを自覚して、常に鉄道の安全および鉄道業務の円滑な遂行のために全力を尽くし、これを侵害するものを進んで排除することに努めなければならないとされている(五条)のであつて(現「鉄道公安職員基本規程(管理規程)」(昭和三九年四月一日総裁達第一六〇号)二条四条)、鉄道公安職員が右規程によつてこのような警備的な職務に従事するものであることは、すでに当裁判所昭和三八年(あ)第五一五号同三九年八月二五日第二小法廷決定(裁判集刑事一五二号五八七頁)の認めるところであり、また、かかる職務が公務執行妨害の客体たる公務にあたることも、同決定の示すとおりである(日本国有鉄道法三四条一項参照)。このように、地方鉄道と異なり、国鉄についてとくに鉄道公安職員の制度が設けられているのは、国鉄が国有鉄道事業特別会計をもつて国の経営している鉄道事業その他一切の事業を経営し、能率的な運営によりこれを発展させ、もつて公共の福祉を増進することを目的として設立され(日本国有鉄道法一条)、鉄道事業その他法定の業務を行なう(同法三条)という高度の公共性を有し、また、その業務がわが国全土に及ぶという広範囲で、かつ複雑膨大な企業体であることによるものである。
ところで、本件について考察するに、前記のとおり、久留米駅東てこ扱所二階の信号所に立ち入り、階段にすわり込んだ国鉄労働組合員らは、いずれもその勤務から離れ、久留米駅長等の当局側の警告を無視して、国鉄の業務運営上重要な施設を占拠し、その管理者の管理を事実上排除したものであるから、このような場合は、鉄道営業法三七条、 四二条一項三号にいう公衆が鉄道地内にみだりに立ち入つた場合にあたるというを妨げず、これに対し、列車の正常かつ安全な運行に責任を有する国鉄当局が、同信号所の管理を回復するため、労働組合員らの退去を促し、さらにはその排除を図りうることは、当然の事理というべきである。
すなわち、このような場合、鉄道公安職員においては、前記「鉄道公安職員基本規程」所定の職務を行なう国鉄職員、すなわち、鉄道営業法四二条一項所定の当該の鉄道係員に属するものとして、すみやかに国鉄の業務運営上の障害を除去するため、前記信号所に立ち入りあるいは階段にすわり込んだ労働組合員らを退去させることができるものであり、その際には、前述のように、当該の具体的事情に応じて必要最少限度の強制力を用いることができるものと解すべきであつて、検察官の所論引用の判例のうち仙台高等裁判所昭和三六年(う)第六一六号同三八年三月二九日判決および東京高等裁判所昭和三九年(う)第二四八七号同四〇年九月一四日判決は、いずれてもこの趣旨を判示したものである。そして、鉄道公安職員は、必要最少限度の強制力の行使として、信号所階段、その付近、同所内にいる労働組合員らに対し、拡声器等により自発的な退去を促し、もしこれに応じないときは、階段の手すりにしがみつき、あるいはたがいに腕を組む等して居すわつている者に対し、手や腕を取つてこれをほどき、身体に手をかけて引き、あるいは押し、必要な場合にはこれをかかえ上げる等して階段から引きおろし、これが実効を収めるために必要な限度で階段下から適当な場所まで腕をとつて連行する等の行為をもなしうるものと解すべきであり、また、このような行為が必要最少限度のものかどうかは、労働組合員らの抵抗の状況等の具体的事情を考慮して決定すべきものである。
このような法令解釈のもとに本件の状況を見るに、原判決の認める前記事実によれば、鉄道公安職員らは、再三にわたつて労働組合員らの退去を促し、退去の機会を与えたが、これに応じなかつたため、やむなく、労働組合員らの手を取り、引張る等、実力を用いて排除にかかつたというのであり、さらに、記録によれば、被告人らが前記のように二回にわたる実力行使の際に鉄道公安職員らに対しバケツで水を浴びせかけたのは、単に数杯の水を浴びせかけたというものではなく、原判決も一部認めているように、寒夜それぞれ数十杯の水を浴びせかけ、そのため鉄道公安職員らのほとんどが着衣を濡らし、中には下着まで浸みとおつて寒さのため身ぶるいしながら職務に従事した者もあり、ことに第二回の投水の際には石炭がらや尿を混じた濁水を浴びせかけたというものであつたこと、また、右排除行動にあたつて負傷者が出たのは単に原判決の認めるような労働組合側の者だけではなく、労働組合員らの抵抗等により鉄道公安職員側にも負傷者が出たことがうかがわれるのである。
右のような諸点その他記録からうかがわれるところに徴すれば、鉄道公安職員らの本件実力行使は必要最少限度の範囲内にあつたものと認める余地があり、もしそのように認められるとすれば、鉄道公安職員らの排除行為は、適法な職務の執行であり、これを妨げるため二階信号所から鉄道公安職員らに対しバケツで水を浴びせかけた被告人らの所為は、公務執行妨害罪を構成するものと解されるものである。
ところが、原判決は、さきに摘示したような判断を示し、第一審判決中の無罪部分を維持したものである。しかし、前述したところによつて明らかなとおり、国鉄労働組合員らの本件信号所への立入り、同所の階段へのすわり込みは違法であり、かつ、鉄道営業法四二条一項に関する原判決の前記見解は、憲法三一条および鉄道営業法四二条一項の解釈を誤り、所論引用の前記仙台高等裁判所および東京高等裁判所の各判例と相反する判断をしたものといわなければならない。論旨は、理由があり、本件公務執行妨害の公訴事実については、右に示した法令解釈のもとにさらに審理する必要があるものといわなければならない。
よつて、上告趣意中のその余の所論に対する判断を省略し、刑訴法四〇五条一号、三号、四一〇条一条本文、四一一条一号、三号、四一三条本文により原判決全部を破棄し、本件を福岡高等裁判所に差し戻すべきものとして、主文のとおり判決する。
この判決は、裁判官村上朝一、同藤林益三、同小川信雄、同下田武三、同岸盛一、同天野武一の上告趣意第二点についての補足意見、裁判官田中二郎、同大隅健一郎、同関根小郷、同坂本吉勝の上告趣意第二点についての反対意見、裁判官岩田誠の上告趣意第二点についての反対意見、裁判官色川幸太郎の上告趣意第一点中被告人山下森市に関する部分および同第二点についての反対意見があるほか、裁判官全員一致の意見によるものである。
裁判官村上朝一、同藤林益三、同小川信雄、同下田武三、同岸盛一、同天野武一の上告趣意第二点についての補足意見は、つぎのとおりである。
多数意見が鉄道営業法四二条一項と同様の趣旨の根拠に基づく規定として航空法七三条の三第一項および同法八六条の二第一項を引用している点について、ならびに田中、大隅、関根、坂本各裁判官の上告趣意第二点についての反対意見(以下、四裁判官の反対意見という。)にかんがみ、若干意見を補足しておきたい。
思うに、鉄道営業法四二条一項の鉄道係員による不法侵入者等に対する退去強制の権限も、また、航空法七三条の三第一項の機長による安全阻害行為等の抑止等の権限および同法八六条の二第一項の航空運送事業者による航空機内からの危険物件取卸しの権限も、鉄道事業または航空運送事業の公共性にかんがみ、その経営を全うさせる見地から、事業の安全かつ確実な運営につき責任を負う鉄道事業者または航空運送事業者に対し、車内、機内その他事業施設内の秩序保持ないし危険防止のためとくに付与されたものであつて、三者は性質を共通にするものと考えられる。
すなわち、三者を比較して考察するに、航空法には、同法七三条の三第一項に該当する場合を除き、一般に航空関係施設への不法侵入者等に対する退去強制権限の規定はない。しかし、実際上航空関係施設への立入りは厳しく規制されており、また、かかる不法侵入者に対しては、係員において退去を促し、これに応じないとき、あるいはその余裕がないときは、刑事訴訟法の規定に従つて航空法五三条三項、 一五〇条所定の不法立入りの罪または刑法の建造物侵入(不退去)罪の現行犯人として逮捕することもできるのであつて(そのほか、警察官職務執行法五条の警察官による退去強制の処置もありうる。)、航空法の立法趣旨としては、一応かかる処置をとりうることで足りるとされたものと考えられる。これに反し、鉄道施設は、航空関係施設とは全く比較にならない多数の公衆が利用するものであり、また、立入り禁止場所への出入りが一般に甚だ容易である。したがつて、不法侵入者または不退去者に対する処置として、退去命令に応じない者がある場合、その都度警察官の出動を求め、警察官職務執行法五条の要件のもとで退去を強制すべく、もし警察官の出動を求める余裕がなければ一般の民法、刑法上の正当防衛または緊急避難の厳格な要件にあたる限度においてのみ退去を強制しうるにすぎないものとすれば、緊急の場合に対処しがたく、かつ、それ以外には刑事訴訟法の規定に従つて鉄道営業法罰則の罪または刑法上の建造物侵入(不退去)罪の現行犯人として逮捕するほかないものとすれば、場合によつては手段として厳に失する虞れがあるから、ここに鉄道係員による退去強制という直接的な方法が必要とされるのであつて、この点に鉄道営業法四二条一項が設けられた根拠があると解されるのである(本件のように、国鉄労働組合員らが争議行為によつて信号所のような列車運行上の重要施設を占拠した場合に、鉄道営業法四二条一項を適用して鉄道公安職員によりこれを排除することは、もとより国鉄当局の公的な権力によつて正当な労働組合活動に干渉することを意味するものではなく、わずかに現に違法に占拠されている鉄道施設に対する管理の回復を目的とするにすぎない。)。そして、この点において、鉄道係員による退去強制の処置は、航空機の安全阻害行為等に対する抑止等の処置および航空機内からの危険物件の除去につき、警察官職務執行法五条による処置、もしくは正当防衛、緊急避難としての処置、または該当犯罪の現行犯人逮捕およびこれに伴う物件差押の処置によるまでもなく、航空法七三条の三第一項および 八六条の二第一項に定めるような強制処置の方法が必要とされるのと同様であるということができる。
なお、鉄道営業法四二条一項および航空法七三条の三第一項の各強制処置は、直接には人に対して向けられるものであるが、たとえば対象者が危険物件を所持する場合には同時にその物件を取り除きうることをも当然含むものと解されるから対物的な性格を併有することもあり、また、航空法八六条の二第一項の強制処置は、直接には物に対して向けられるものであるが、所持人の身体(着衣内)から物件を取り除くような場合には対人的な性格をも有するものであつて、したがつて、この面から見ても、前二者と後者とをそれぞれ人に対する強制、物に対する強制として截然と区別して論ずることは当らないのである。
つぎに、四裁判官の反対意見について考えるに、四裁判官の反対意見は、鉄道営業法四二条一項が排除の対象とする行為は、いずれも比較的軽微な秩序違反ないしはこれと同視すべき程度の侵害行為であり、それが鉄道営業法上の処罰の対象となる場合ですら、軽度の罰金または科料を科せられるにすぎないのであるから、これらの行為をする者を列車や鉄道地内から退去させる必要があるとしても、その必要性は、旅客その他の公衆の生命、身体に直接の危険を及ぼすとか、鉄道輸送の安全に重大な脅威を与えるような行為を排除する場合の必要性にくらべれば、その緊急性と重要性において、はるかに程度の低いものといわざるをえないのである。そうすると、この程度の必要性しか認められない排除の目的のために、人身に対する直接の実力行使による強制のごとき強力な権限まで認めなければならない合理的理由を肯定することは、きわめて困難である。」と述べている。しかし、これは、鉄道営業法四二条一項の規定を誤解するものといわなければならない。同条項による排除の対象となる行為には、四裁判官の反対意見にいう「旅客その他の公衆の生命身体に直接の危険を及ぼすとか、鉄道輸送の安全に重大な脅威を与えるような行為」が含まれないものではなく、このような行為も含まれるし、また危険性がその程度に至らない行為も含まれるのである。これらの行為は、たとえば、本件のごとき信号所等の施設への侵入であるとか、線路上を徘徊するとか、有効な乗車券を持たない者が係員の下車要求に応じないとか、酔漢が車内で一般の乗客に粗暴な振舞いをして係員の制止に応じないとか、その態様において多種多様であるが、刑法上の建造物侵入罪、不退去罪、往来妨害罪、暴行罪等の鉄道営業法以外の法規の罰則に触れるような場合のほかは、それ自体としては、刑事法上の観点からすればその当罰性は比較的軽微なものが多いであろう。しかし、鉄道事業の安全かつ確実な運営という観点からすれば、いずれも危険を伴い、あるいは秩序を乱すものであつて、そのまま放置しえないものであることは、何人の目にも明らかである。すなわち、これらの行為は当然すみやかに排除される必要があり、このことは、国有鉄道であると、公営鉄道、あるいは私営鉄道であることによつて変りはないのであつて、ここに鉄道営業法四二条一項の根拠が存するのである。
また、四裁判官の反対意見は、鉄道営業法は明治三三年に制定された法律でありその当時の社会事情のもとで同法四二条のごとき規定が設けられたものと解されるのであつて、個人の尊厳と自由の尊重を最も基本的な人権として最高度に重視するという基本原理に立つている現行憲法のもとにおいては、鉄道営業法四二条の規定するような場合について鉄道係員に人身に対し直接の実力行使をする権限を付与することは、憲法上重大な疑義すると述べている。しかし、明治年間に制定された法律であつても、それが施行されている以上、現在の事情に応じて適切に運用しなければならないものであることはいうまでもなく、また、鉄道営業法四二条の規定は、同法制定後昭和四六年までの間における数次にわたる同法の改正にもかかわらず今日まで存置されて来ていることからもうかがわれるとおり、単にその制定当時の社会事情を前提としてのみその必要性が認められるというものではなく、時代の新旧を問わず、鉄道事業運営の性質上必要とされるものと考えられるのである(四裁判官の反対意見のいうごとく、現行法制上人身に対する即時強制の認められる場合が甚だ例外的であるとしても、本条の規定はまさにその例外的な場合の一つである。)。さらに、現行憲法が個人の自由の尊重に十分に配慮していることはいうまでもないところであるが、ここで問題になつていることは、多数の旅客、公衆が出入、利用し、かつ、鉄道運輸業務の性質上安全の確保がとくに必要とされる車内または鉄道地内において、現に法規ない秩序に違反して行動している者をわずかに車外または鉄道地外に退去させうるかどうかにすぎないのである。憲法が一般の旅客、公衆の利益や鉄道の安全を犠牲にしてまで鉄道係員がこのような違反者をその場から強制的に退去させることを絶対に禁ずる趣旨であるなどとは、とうてい解することができない。なお、多数意見の見解が四裁判官の意見のいうごとく鉄道職員の労働「組合活動を抑圧する」ことを容認するものでないことは、すでに述べたとおりであつて、本件の場合、四裁判官も、建造物侵入罪の成立を認めているのであるから、組合員らの信号所占拠が適法な組合活動を逸脱したものであることを肯定しているのであり、それゆえにこそ警察官による排除を容認するものであろうから、四裁判官の意見を推し進めるならば、四裁判官は警察官によつて「組合活動を抑圧する」ことになるのではなかろうか。また、四裁判官の反対意見は、多数意見の解釈のごとくであれば、排除する者と排除される者と「の間に流血の惨事を招く虞れなきを保しがた」いというが、甚だ誇大な表現であり、警察官にあらざる鉄道公安職員の実力行使の方法には実際上おのずから限度の存することを無視するものである。さらに、多数意見は、四裁判官の反対意見のいうごとく航空法の前記規定があるから鉄道営業法四二条一項も退去強制を許していると解釈するものではなく、単に同様の趣旨の根拠に基づく規定として参考までに引用したにすぎないのである。
最後に、四裁判官の反対意見は、鉄道営業法四二条一項に基づいては対象者の身体に対する直接の実力行使は許されないものであり、およそかかる実力行使を必要とする場合は警察官職務執行法による警察官の出動にまつべきであつて、もしその出動を求める余裕がないときは、鉄道係員は、「人の生命、身体に対する緊急の危険や、鉄道輸送の安全および鉄道施設に対する重大かつ緊急の侵害ないしはその虞れがある場合」について、しかも、「正当防衛、緊急避難として法律上許容される限度での実力行使であつて、はじめて正当化されうる」と解している。しかし、正当防衛、緊急避難は、もともと民法、刑法上の不法行為、犯罪行為についての違法性阻却事由であつて、鉄道係員による排除行為を正当ならしめる理由としてそのような原理に依拠することは、筋違いであろう。たとえば、鉄道係員が線路上の徘徊者を排除することは、まさにその職務行為そのものである。この当然の職務行為を、対象者に対する不法行為ないし犯罪行為視、正当防衛、緊急避難として違法性が阻却されるものだと解するごときは、明らかに誤つた前提に立つ見解といわなければならない。このことは、列車運行上の要衝である信号所の不法占拠者を退去させる場合については、なおいつそう明白である。しかも、四裁判官の右見解によれば、実力行使の許される要件があまりにも厳格であるとともに、曖昧でもあつて、鉄道運輸業務の実際に適合しないことが明らかである(たとえば、前記の例でいえば、無賃乗車者や、一般の乗客に迷惑をかけている酔漢はこれを車外に排除しえず、また、信号所に闖入した者や線路上を徘徊する者は鉄道運行上の危険がさらに具体化しなければこれを排除しえないことにもなるであろう。その他このように業務の実際に適合しない場合を列挙し尽すことは不可能である。さらに、本来は対象者をその場からとりあえず排除する処置で足りる場合であつも、四裁判官の反対意見によれば、これが許されないため、鉄道係員において、対象者を、建造物侵入罪等の罰則に触れる限度で刑事訴訟法により現行犯として逮捕するほかはないことになるであろう。)。四裁判官の反対意見は、鉄道輸送について鉄道係員による実力行使の必要が認められる場合がありうるとすれば、厳格にそのような場合を特定かつ限定したうえ、これに対応する必要最少限度の処置を認める立法措置を講ずべきものである」と論じているが、実力行使の必要が認められる場合は、「ありうる」ものであるどころか、それが存在することは明瞭であつて、しかも、その事態は千差万別であるから、立法措置をもつて「そのような場合を特定かつ限定」することは、おそらく不可能であるか、または極めて概括的な規定をもつて満足するほかないことも、多言を用いるまでもないところである。
要するに、四裁判官の反対意見は、車内または鉄道地内において法規に違反しまたは秩序を乱す者の「人身の自由」を強調するのあまり、一般の旅客、公衆の利益や鉄道の安全等を軽視し、相対立する諸利益の調整という憲法解釈の眼目を忘れた憾みがあるといわなければならない。
裁判官田中二郎、同大隅健一郎、同関根小郷、同坂本吉勝の上告趣意第二点についての反対意見は、つぎのとおりである。
本件公訴事実第二の公務執行妨害の点は、国鉄久留米駅東てこ扱所に対する国鉄労働組合員らの侵入占拠によつて列車の正常な運転が阻害される虞れがあつたので、鉄道公安職員藤田喜太雄外約六〇名が同所入口階段附近に侵入していた組合員らを退去させるに際し、被告人らが右鉄道公安職員らに対し数十回にわたり水を浴びせかけて、右鉄道公安職員らの職務の執行を妨害したというものである。
そして、原判決が、右鉄道公安職員らによる組合員の排除行為は適法な権限に基づく職務の執行にあたるものと認めることができないとしてこれを無罪としたのに対し、上告趣意は、右排除行為は鉄道営業法四二条一項に基づく適法な権限の行使である旨を主張し、これを前提として、原判決には判例違反および憲法三一条、鉄道営業法の解釈適用に誤りがあるというのである。それゆえ、論点は、主として、右鉄道営業法四二条の規定が本件鉄道公安職員らがしたような実力行使による排除権限まで認めたものと解することができるかどうかの一点にしぼられるものと考えられる。
多数意見は、この点につき、同条一項は鉄道事業の公共性にかんがみ、事業の安全かつ確実な運営を可能にするため、同項各号に掲げる所為に及んだ者に対し、これを列車、停車場その他鉄道地内から退去させる権限をとくに鉄道係員に付与したものであり、右権限は、対象者が退去要求に対して自発的にこれに応じない場合、または、危険が切迫する等やむをえない事情がある場合には、当該具体的事情に応じて必要最少限度の強制力を用いることをも包含する趣旨のものと解すべきであるとし、本件における排除対象者らの抵抗の態様、程度等について説示したうえ、このような具体的事情に照らして、本件鉄道公安職員らのした排除行為は鉄道営業法の前記規定に基づく必要最少限度の排除権限の行使として適法な職務執行と認められる余地があるとし、上告趣意を容れて、原判決を破棄すべきものとしている。
しかしながら、右多数意見の解釈および判断には、以下に述べる理由により、とうてい、賛成することができない。
鉄道営業法四二条一項が、不特定多数の旅客および公衆の鉄道施設内への立入り、滞留等を伴う鉄道輸送の特質にかんがみ、その輸送上の秩序と安全を確保するため、鉄道係員に対し、同項各号掲記の行為をする者を列車、停車場その他鉄道地内から退去させる権限を付与した規定であることは、多数意見のいうとおりである。しかしながら、右のような施設内の秩序の保持や輸送の安全の確保のために違反者らを退去させる必要性が認められるということから、直ちに、右退去の目的を達成するために必要とされるかぎりは、たとえ必要最少限度という制約のもとにおいてであるにせよ、対象者らの身体に対する直接の実力行使によつて強制的に退去させることまでも許されるべきであるとの結論を導くのは、早計にすぎるものであつて、鉄道営業法の前記規定がこのような直接の実力行使による退去強制の権限まで認めたものと解すべきかどうかについては、さらに関連する諸般の事項について、慎重、周密な吟味、検討を加える必要があるのである。すなわち、
まず、留意すべき点は、鉄道営業法が、ひとり公企業である国鉄ばかりでなく、私企業である私鉄についても、ひとしく適用されるものであるということである。具体的にいえば、同法四二条は、公益事業である鉄道輸送の業務に関するものであるとはいえ、とくに、国鉄のような公の機関に対してだけではなく、一個の私人としての私鉄の職員に対しても排除権限を与えた規定であり、したがつて、もし右権限が身体に対する直接の実力行使による退去強制までも含むものとすれば、それは、私人に対しても一種の強力な自力執行ないしは自力救済の権限を与えたこととなり、原則として、私人に自力執行を認めず、また、一般に厳重な条件のもとできわめてかぎられた範囲においてしか自力救済を認めないわが国の法制のもとにおいては、ほとんど他に類をみない顕著な例外をなすものといわざるをえない。それゆえ、果して同条がこのような例外を認めた趣旨と解すべきかどうかについては、同条の目的、その規定内容および類似の場合に関する他の立法上の措置の有無等を検討し、かつ、現行憲法の基本原理に照らして、同条の規定するような強力な強制権限を私人に付与することの立法上の合理性を肯定することができるかどうかを勘案しつつ、これを論定しなければならない。
そこで、右鉄道営業法四二条の規定の内容を検討すると、同条一項各号掲記の各行為は、三号に掲げる同法三七条に違反する鉄道地内への立入りを除いては、いずれも、鉄道輸送それ自体の安全または旅客その他の公衆の生命、身体に直接かかわりがある行為というよりは、むしろ、鉄道輸送における秩序ないしは便宜を害し、または害する虞れのある比較的軽微な行為であり、また、右三号の立入り行為も、それが鉄道輸送の安全に対する直接の加害の虞れがあるからというよりも、むしろ、それが立入者自身に危険を及ぼし、または鉄道輸送業務の遂行に支障や不便をもたらす虞れがあり、場合によつては直接の危害を発生させる縁由ともなりうるなどの、きわめて抽象的かつ蓋然的な危険があることに着目して、これを排除することを目的としているものと考えられる。換言すれば、同条同項が排除の対象とする行為は、いずれも比較的軽微な秩序違反ないしはこれと同視すべき程度の侵害行為であり、それが鉄道営業法上の処罰の対象となる場合ですら、軽度の罰金または科料を科せられるにすぎないのであるから、これらの行為をする者を列車や鉄道地内から退去させる必要があるとしても、その必要性は、旅客その他の公衆の生命、身体に直接の危険を及ぼすとか、鉄道輸送の安全に重大な脅威を与えるような行為を排除する場合の必要性にくらべれば、その緊急性と重要性において、はるかに程度の低いものといわざるをえないのである。そうすると、この程度の必要性しか認められない排除の目的のために、人身に対する直接の実力行使による強制のごとき強力な権限まで認めなければならない合理的理由を肯定することは、きわめて困難である。
そもそも、鉄道営業法は、明治三三年に制定された法律であが、当時は、わが国における公私の鉄道輸送事業がようやく全国的に拡大発展の緒についたときであり、当時わが国社会においては、鉄道輸送事業の健全な発展を期するためには、とりわけ鉄道輸送の安全と秩序維持の必要が感ぜられたので、同法四二条のごとき規定が設けられたものと解せられる。そうして、旧憲法のもとにおいては、個人の尊厳と自由の尊重の観念が比較的薄く、公共の安寧秩序の維持が最優先視され、一般の法制上においても、保安および行政警察の目的その他一般行政の目的のための必要が肯定されるかぎり、個人の自由や財産に対する強制が安易に容認される傾向にあつたから、右四二条の定める排除権限について人身に対する直接の実力行使による強制権限が含まれないかどうかにつき深く顧慮されることがなかつたかもしれない。しかし、そのような安易な態度は現行憲法のもとではもはや許されないのである。すなわち、現行憲法は、個人の尊厳と自由の尊重を最も基本的な人権として最高度に重視するという基本原理にたち、単なる一般的な公共の安全や秩序の維持のために必要があるというだけでは、たやすくこれを制限することを許さず、とくに人身に対する直接の実力行使による強制のごときは、官憲によるそれでさえも、原則としてこれを否定しているのであつて、憲法のこの趣旨に徴すれば、格別の強い公益上の必要がある場合でもきわめて厳格な要件と手続のもとにおいてのみ許容されるべきものと解すべきである。このことは、犯罪捜査の場合に関する刑事訴訟法の規定や、それ以外の警察官による人身の自由の拘束その他の制限に関する警察官職務執行法の規定をみても明らかであり、旧行政執行法に代わる行政代執行法が、旧法における行政上の直接強制を廃止し、行政上の強制については代執行の方法しを認めていないことや、現行法上行政目的のための即時強制の手段として人身に対する拘束や制限を認めるものがあるとしても、それは、出入国管理令、伝染病予防法、精神衛生法、予防接種法、優生保護法等におけるきわめて特殊の例外の場合についての規定が存するのみであることからも、十分にうかがわれるところである。このような憲法を基本とする現行法制のもとにおいては、前記鉄道営業法四二条の規定するような場合について、人身に対し直接の実力行使をする強制権限を付与することは、たとえ官憲に対してこれを与える場合であつても、憲法上重大な疑義に逢着するものといわなければならないのであり、まして、これを一私人に付与するがごときは、憲法上許される立法としてその合理性を肯定することに著しく困難を感ぜざるをえない。加えて、鉄道職員自らの組合活動を抑圧するために、鉄道係員が同条により以上のような強力な権限を行使できるとするようなことは、同条の全く予想しなかつたところと解せられる。ことに、多数意見のいうように、具体的状況に応じて排除目的を達成するに必要であるかぎり人身に対する直接の実力行使による強制的排除も許されるとするならば、侵入者の抵抗がその規模と程度を増大するにしたがい、排除のために必要とされる強制の規模、程度も増大し、ついには両者の間に流血の惨事を招く虞れなきを保しがたく、このようなことは、前記のような憲法を基本とする現行法制のもとにおける法治主義の原理にかんがみ、とうてい、容認しうるところではないといわなければならない。
もつとも、昭和四五年の改正によつて新たに設けられた航空法七三条の三第一項は、航空機内における安全や秩序を害する行為をする者がある場合に、これを拘束する権限を機長に与えており、これとの比較において、鉄道営業法四二条一項の排除権限についても、同様の強制力の行使を認めて相当であるとの議論がされるかもしれない。しかしながら、航空機の場合には、その運行についてはきわめて高度の技術と細心の注意を必要とし、些細な行動によつてもその安全が脅かされるという微妙な性質があり、したがつて、航空機内における安全保持上の要請については、列車や鉄道輸送施設の場合とはとうてい同日に論じがたいものがあるばかりでなく、飛行中の航空機内は、外界から孤立した小社会を構成し、その秩序維持等のために他からの援助を求めるなどの方法をたやすく講ずることができないために、これについては格別の配慮と措置を必要とする特段の事情が存するのであるから、航空法に右のような規定が存するからといつて、直ちに、鉄道営業法四二条についてもこれと同様の解釈をとることは、とうてい、許されないところというべきである。もし、鉄道輸送の場合についても同様の必要が認められる場合がありうるとすれば、厳格にそのような場合を特定かつ限定したうえ、これに対応する必要最少限度の処置を認める立法措置を講ずべきものであり、現行鉄道営業法四二条の包括的な規定のままで、その拡大解釈によつてこれに代替させるようなことは、明らかに当をえないものというほかはない。
以上に指摘した諸点を総合して考えると、鉄道営業法四二条一項の定める排除権限は、対象者の違反行為の態様、程度に照らして真にやむをえない場合における必要最少限度の有形力の行使を含むとしても、対象者の身体に対する直接の実力行使による強制は許されず、これを必要とする場合には、警察官の援助を求めるべきであり、その余裕がなく、しかも、人の生命、身体に対する緊急の危険や、鉄道輸送の安全および鉄道施設に対する重大かつ緊急の侵害ないしはその虞れがある場合には、正当防衛、緊急避難として法律上許容される限度での実力行使であつて、はじめて正当化されうるものと解すべきである。
右の見地にたつて本件をみるに、原判決の認める事実によれば、鉄道公安職員藤田喜太雄らの排除行為は、階段に坐り込み、または、手すりにしがみつくなどの抵抗を示している組合員らに対し、これを階段から引きずりおろすなどして、そのために組合員の間に負傷者をすら生じさせたというのであり、このような事実からみても、右排除行為は鉄道営業法四二条一項により許される実力の行使としての範囲、程度を越えたものと認めるほかはなく、また、原判決の認める排除行為開始までの経過をみても、国鉄当局において警察官の援助を求める余裕があつたものと認められるのであつて、鉄道公安職員らの右排除行為は、正当防衛または緊急避難としても正当化されるものではなかつたといわなければならない。それゆえ、原判決の判断は、結局、正当であり、冒頭記述のような解釈と判断のもとにこれを破棄すべきものとする多数意見には、とうてい、賛成することができないのである。
裁判官岩田誠の上告趣意第二点についての反対意見は、つぎのとおりである。
鉄道公安職員は、国鉄の役員または職員であつて、鉄道公安職員の職務に関する法律により、国鉄の刑車、停車場その他輸送に直接必要な鉄道施設内における犯罪ならびに国鉄の運輸業務に対する犯罪について捜査をする職務権限を有するものであるが、一面、鉄道営業法四二条一項により、国鉄の鉄道係員として、同項所定の場合には旅客および公衆を車外または鉄道地外に退去させることができる権限を有している。
ところで、本件起訴状の記載によれば、本件公訴事実中、被告人らに対する公務執行妨害の点は、被告人らは、国鉄久留米駅東てこ扱所に対する国鉄労働組合員の侵入占拠によつて列車の正常な運転が阻害されるおそれがあつたので、鉄道業務ならびに施設について警備の任務を有する鉄道公安職員藤田喜太雄外約六〇名が、同所入口階段附近に侵入していた国鉄労働組合員を退去させるに際し、右鉄道公安職員らに対し数十回に亘り水を浴びせかけて右鉄道公安職員らの職務の執行を妨害したものであるというのであつて、被告人らが妨害したとされている鉄道公安職員藤田喜太雄らの職務行為は、右のように久留米駅東てこ扱所入口階段附近に侵入していた国鉄労働組合員を同所から退去させるためにする行為であるから、前記鉄道公安職員らの行為は、同人らが国鉄の職員であることによつて有する鉄道営業法四二条に基づく職務行為であつて、国鉄労働組合員らの右てこ扱所への侵入を建造物侵入罪の現行法として同組合員らを逮捕するための行為ではなく、また、その他犯罪捜査のための行為でもないことは、本件起訴状の記載自体に徴し明らかである。してみれば、前記鉄道公安職員らの行為は、鉄道公安職員の職務に関する法律による職務行為ではないといわなければならない。
鉄道営業法四二条の規定は、公共企業である国鉄の職員ばかりではなく、私企業である私鉄の職員にも適用ある規定であり、私鉄の職員については鉄道公安職員のような犯罪捜査の権限を有する職員は存在しないのであるから、本件において、前記鉄道公安職員の本件職務行為の適法性を論ずるに当つたは、犯罪捜査権もない私鉄職員または国鉄職員が鉄道係員として、鉄道営業法四二条により如何なる権限を有するかを考察すべきものである。
そこで、鉄道営業法四二条により国鉄職員である前記鉄道公安職員藤田喜太雄らは、前示国鉄労働組合員を退去させるため如何なる限度の行為が許されるかについて按ずるに、鉄道営業法四二条一項は、鉄道係員は同項所定の場合には、「旅客及公衆ヲ車外又ハ鉄道地外ニ退去セシムルコトヲ得」と規定しており、その立法趣旨は多数意見の判示するとおりであるが、鉄道係員が同項により当該旅客または公衆を車外または鉄道地外に退去させるにあたつては、口頭の説得によるを原則とし、有形力の行使が許されるとしても巳むを得ない場合に例外的最少限のものに限り、強制にわたることは許されないと解すべきものである。
これを本件について見るに、原審が証拠により認められるとして判示するところによれば、前示鉄道公安職員藤田喜太雄らは、判示てこ扱所階段に「腕を組んだり、手すりにつかまつて、すわり込んでいた組合員らの手をはずし、手足や身体、着衣をとらえて引張り、あるいは身体を抱え上げて引きおろし、中には力余つて階段を引きおろすなどして排除した」というのであるから右藤田らの行為は鉄道営業法四二条一項により許される限度を越えたもので適法な職務行為であるとはいえないこと明らかであるというべきである。してみれば、右藤田喜太雄ら鉄道公安職員の判示国鉄労働組合員排除行為を妨げる目的をもつてした被告人らの所為は公務執行妨害罪を構成しないとした原判決は正当である。
したがつて、原判決は、所論引用の昭和三三年(う)第一三九〇号第一三九一号同三五年三月二日福岡高裁判決、昭和三六年(う)第六一六号同三八年三月二九日仙台高裁判決、昭和三九年(う)第二四八七号同四〇年九月一四日東京高裁判決と相反する判断をしたものであるが、私は右各判決を変更し原判決を維持すべきものと思料するので、論旨は結局採用できない。
よつて、原判決中公務執行妨害被告事件に関する部分については刑訴法四一四条、三九六条に従い本件上告を棄却すべきものと思料する。
裁判官色川幸太郎の、上告趣意第一点中被告人山下森市に関する部分および同第二点についての反対意見は、つぎのとおりである。
上告趣意第一点中被告人山下に関する部分について。
一 多数意見は、被告人山下森市、同吉木定及び同牛嶋辰良の信号所立入り行為を無罪とした原判決に対する検察官の上告を容れ、原判決を破棄すべきものとしている。しかし私は、右三名中被告人山下に関する判示については多数意見に賛成することができない。
原判決の確定するところによれば、被告人山下は、昭和三七年三月における国鉄労働組合の年度末闘争に際し、同月三〇日午後四時頃、久留米駅東てこ扱所二階信号所の勤務者(三名)に対して、組合が計画した翌三一日早暁における職場集会への参加を勧誘説得する目的をもつて、駅長の管理にかかり、係員以外の立入りが禁止されている右信号所に立入つたというのであるが、多数意見は、右所為は、鉄道の極めて重要な施設である信号所の勤務員三名をして「寸時もおろそかにできないその勤務を放棄させ」る意図をもつて「駅長の禁止に反して」「侵入したもので」あるから、「刑法上違法性」があるのに、これを組合目的達成のための正当な行為だとした原判決は憲法二八条の解釈適用を誤まるものだとする。
二 記録によると、本件の信号所は東てこ扱所二階にあり(階下は、電気機器を納めた継電室であり事件とは無関係である。)。広さ約六四平方メートルばかりで、勤務所、休憩所(三畳敷)、便所から成つており、勤務所には構内の出発、停止などの信号機(これは転轍機に連動する。)を操作するための機器が設けられている。なお、公刊にかかる列車時刻表によれば、本件当時、一日に久留米駅を発着する旅客列車数は、鹿児島本線下り五三本、上り五二本、久大線下り一七本、上り一六本その他貨物列車等であつて(なお職場大会が予定されていた時間帯である午前五時ないし七時の間の旅客列車数は、前者は下り五本、上り三本、後者は下り三本、上り一本である。)、頻度は相当高いとしても、大都会の駅とはちがい、絶間なく発着するわけではないから、この駅の信号所勤務はいわば断続的な監視的業務である(多数意見が「寸時もおろそかにできない」業務だとするのは言葉の過ぎたるものがあろう。)。もとより、信号所はダイヤに従つて列車を運行せしめるための重要施設であつて、さればこそ、係員以外の者の立入りが禁止されておるわけであるが、しかし、第三者が立入つたとしても備付けの機器をほしいままにもてあそぶとか、あるいは、これを操信したりするとかの無暴非常識な行為に出ないかぎり、立入り行為そのものは列車の正常な運行を毫も阻害するものではなく、いわんや、それが直ちに何らかの重大な事故につながるという性質のものではない。もとより勤務に関係のない、無用の者を立入らしめないようにすることが望ましいにはちがいないが、記録中の証人の供述のなかに、従来労組員らのオルグ活動の立入りは別に咎められなかつたなどの記載のあるところを見ると、平素、立入禁止の定めがどれだけ厳しく守られていたか、甚だ疑問になつてくるのである。なお多数意見は、事件当日の午前中、駅長が信号所に係員以外の者の入室を禁止する旨掲示したと述べており、この事実を重視しているごとくであるが、掲示の態様も不明であるし、立入禁止についてその他に格段の周知方法が講ぜられたかどうかは記録上知ることができない。要するに駅長による上述の趣旨の警告がどれだけ真摯になされ、そして組合員にどれだけ徹底したものであるか、疑問の存するところである。
三 もとより被告人山下の立入りが駅長の意思に反するものであつたことは事実であろう。しかしながら「管理者が拒否するからといつて、一切の立入行為が許されないものでもない。」その「行為が住居侵入罪を構成するか否かの判断をするためには立入る側とそれを拒否する側との双方について、それぞれの具体的動機とその行為の態様とを相関的に考慮する必要がある。」(いわゆる安西郵便局事件についての当裁判所第三小法廷昭和四二年二月七日判決・刑集二一巻一号一九頁)。被告人山下は、組合の指令に基づき、平穏裸に信号所に立ち入つたものであり、その目的は、その時より約一三時間後に組合が予定していた一時間にわたる職場大会に同所勤務者の参加を勧誘説得するためである。一言でいえば、組合のオルグ活動なのである。なるほど、信号所勤務員の職場放棄は、短時間ではあつても、管理者側として何とか回避したいところであつたにはちがいあるまい。それにしても、ここで考えておかなければならない点がいくつかあるのである。まず、起りうべき結果の想定であるが、被告人山下の説得が効を奏して、前記三名が翌三一日午前五時より二時間、職場を放棄して仕事に就かなかつた場合、いかなる事態を生じたであろうか。出発信号が現示されていないことによつて、あるいは、前述した数本の早朝列車の停止を見たかも知れない。しかしそれだけである。列車の衝突や転覆のような重大事故につながるわけではないのである。もしその虞れがあるならば、信号所勤務員の職場放棄は刑法一二五条の往来危険罪またはその末遂罪に該る悪質な事犯というべきであるが、駅の信号操作の放置が直ちに右の罪を構成するものではないことは、つとに当裁判所の判例とするところである(第一小法廷昭和三五年二月一八日判決・刑集一四巻二号一三八頁)。のみならず、信号操作が放置されたときでも管理者側には対処の途がないわけではあるまい。現に、駅長が翌三一日午前零時五五分から構内のポイントを鎖錠し、右信号所の機能を停止したという事実が、原判決によつて認定されているのである。そうだとすれば、被告人山下の立入りは、勤務員三名の単純な不作為を内容とする職場放棄(これが正当な争議行為であることは、当裁判所大法廷昭和四一年一〇月二六日東京中郵事件判決の示すところである。)をよびかけるだけの目的に出たにすぎないのであるから、これを目して「故ナク」侵入したものとするのは失当というほかないのである。
四 つぎに、被告人山下の立入りの態様に留意する要がある。衆を恃んで闖入したわけではない。また、騒然たる混乱を肯景にして飛びこんだわけでもない。平穏裡に入つたのである。記録によれば、中にいた勤務者たる三人も被告人が争議情勢などの話をすることに対しこれを拒んだような形跡がない。被告人が勤務室の中に入つてからあとも平穏だつたことを窺知することができる。検察官はその上告論旨のなかで、原判決が住居侵入罪の成立を否定したのは国鉄長万部事件についての札幌高裁函館支部昭和四三年六月二二日判決(その上告審は当裁判所第一小法廷昭和四五年七月一六日判決・刑集二四巻七号四七五頁)及び国鉄福島駅事件についての仙台高裁昭和三八年三月二九日判決の各判例に違反すると主張する(なおそのほか、当裁判所大法廷昭和三三年五月二八日羽幌炭鉱事件判決及び前示東京中郵事件判決を引用し、これらの判例に違反するという点もあるが、被告人山下に関する限り、全くの見当違いであるからここで言及する要はない。)。右の両事件とも、信号所勤務員に対し職場大会に参加するようよびかける目的で信号所に立入つたことが問題となつた点では、本件と共通であるが、長万部駅事件においては、国鉄当局が組合員による信号所占拠を防ぐために一〇〇名以上の公安職員等を配置していたところへ、その警備を排除すべく、約二五〇名の組合員がスクラムを組み四列縦隊で二手に分れて当局の警備員に襲いかかり、もみ合いの末、信号所に侵入したというのであるし、国鉄福島駅事件においても、約七〇名の組合員が狭い作業室(間口六間奥行約七間の室であるが、空いているのは約六坪に過ぎなかつた。)に詰めかけて大混乱をまき起したものであつて、いずれも本件とは明らかに事案を異にするといわなければならない。
五 もともと住居侵入罪は、立入り行為が、社会生活上特に異とするには当らないと認められる範囲を逸脱し、そのために反社会性を帯びるにいたつて、はじめて成立するものと解すべきである。立入りが管理者の意思に反する場合は、右にいう反社会性を帯びることが多いであろうが、常にそうであるとはいえない。管理者の立入り拒絶の意思が社会生活上是認されるものでなければならないのである。そうでないとすれば、個人の恣意に出たその生活の不可侵性の主張のみが不当に重視され、市民間のコミュニケーシヨンの阻害を来し、社会生活の円滑な営みはエゴイズムの犠牲になる虞れがある。多数意見は、被告人山下の所為が構成要件に該当することを当然の前提とし、それがもとより違法性を欠くものでないと断定するのであるが、およは住居侵入罪においては、住居等への立入りがたとえその管理者の意思に反したものであつても、社会的に相当な行為であると認められる場合には、違法性を問題にする以前において、構成要件該当性を欠くものとなる余地があるであろう。被告人山下の所為は目的と態様において正にそのひとつの場合であると考える。
六 最後に、本件につき特に留意されなければならないことは、被告人山下の信号所立入りが、組合の指令に基づく組合員としての行動だということである。後にもふれるところであるが、わが国の労働組合は、国鉄労働組合をも含めて、ほとんどすべてが企業内組合であつて、好むと好まざるとにかかわらず、企業内施設を組合活動の主たる舞台にせざるを得ない宿命を担つている。組合は、本来、使用者と厳しい対抗関係にあるものであるし、企業内における組合活動は使用者の所有権秩序と相剋する場合が多いといわなければならないが、団結権と所有権とは調和した存在でなければならず、後者が常に優位に立つわけでないことは勿論である。したがつて、使用者が企業内の組合活動を、経営への実質的な障害がないのにかかわらず、一概に禁圧することは不当労働行為となることもあるのであつて、単に使用者の管理意思に反するということだけでは、企業内の組合活動は必ずしも正当性を失うことにならないのである。いわゆるオルグ活動にしても、それが施設内でなされることに使用者が反対の感情を有するのは当然としても、それだけの理由でこれを一切否定するようなことは許されない。そうである以上組合によるオルグ活動が、所有権秩序を特に侵害しない限り、正当な組合活動、すなわち労組法一条二項にいう「労働組合の」「行為であつて」同条二項に「掲げる目的を達成するためにした正当なもの」として、いわゆる刑事免責の適用を受けるべきであるのは理の当然である。
なおこの際、被告人山下の本件信号所立入りが、いかなる意味においても、争議行為でないことを指摘しておかなければならない。争議行為の意義については諸家の説くところまことに区区であるが(私は私なりの見解を既に示した。いわゆる全司法仙台事件についての当裁判所大法廷昭和四四年四月二日判決・刑集二三巻五号六八五頁及び第二小法廷昭和四五年一二月一七日決定・判例時報六一八号九七頁における私の少数意見参照)、いかなる説をとるにしても、オルグ活動は、それ自体直接に使用者の業務の運営を阻害する行為ではないから、争議行為にあらずと解することができる。したがつて、これはもともと公労法一七条所定の禁止された行為には含まれないのである。もし争議の際のオルグ活動をもつて争議行為だというならば、組合大会のストライキ決議や、組合の闘争宣言すらも争議行為だということにならざるを得まい。
ところで公労法は労組法一条二項の適用を排除していない。したがつてこの点から見ても、公共企業体の職員の争議行為についていわゆる刑事免責があるのだ、というのが東京中郵事件判決の示すところである。これに対し反対論のあることは周知のとおりであるが、しかし、その論者といえども争議行為以外の、例えば団体交渉などについては、右条項の適用を否定するわけではないのである(例えば東京中郵事件判決の奥野健一裁判官ほかの反対意見参照。刑集二〇巻八号九二三頁)。そして右の条項は、労働組合の団体交渉「その他の行為」について、刑法三五条の適用のあることを定めているのであつて、本件のオルグ活動も、それが争議行為でない以上、もとより「その他の行為」のひとつであるから、それに労組法一条二項、ひいては刑法三五条が適用されることは、もはや論議の余地すらないというべきである。
以上の次第であるから、被告人山下の所為は本来住居侵入罪の構成要件に該当しないものであり、かりにそうでないとしても、正当な行為として労組法一条二項の適用を受け罪とならず、それ故、原判決中被告人山下の住居侵入罪の成立を否定した部分は正当であるから、この点に関する検察官の上告は棄却すべきものと思料する。
上告論旨第二点について。
一 多数意見は、原判決の鉄道営業法四二条一項に関する法律見解を誤りであるとし、原判決には、論旨引用にかかる判例と相反する判断をした違法があるという。しかし、私はこれに反対である。
本件の核心たる事実関係は、(イ)東てこ扱所の外側にある階段にピケのため組合員約四、五〇名が立ち並んだこと、(ロ)公安室長の指揮の下に約六一名の公安職員が右ピケ排除のための実力行使に出たこと、(ハ)被告人らはその際二階から公安職員に水を浴びせたこと、以上である(原判決によれば二階信号所にも、二〇名ばかりの組合員が立入つていたというのであるが、これらの者は公安職員による本件排除行為の対象ではない。)。したがつて問題は、階段の占拠が鉄道営業法に違反する立入り行為であるか、そして、占拠した組合員を実力をもつて退去せしめた公安職員の行為は適法な公務の執行といい得るか、の二点にかかることになるわけであるが、これを論ずるにさきだち、多数意見のいうごとく信号所に対する駅長の管理権が右のピケによつて排除されたものかどうかについてふれておく要があると考える。
二 多数意見は、組合員らの東てこ扱所二階信号所への立入り、階段へのすわり込み(原判決「立錐の余地もない状態で」ピケを張つたと認定している。これをすわり込みというのはやや問題だが、多数意見も慣用語として使つたものであろうから、以下これにならうことにする。)によつて、信号所に対する駅長の管理は事実上排除されたと断定している。しかし、原判決は「ピケット等のため信号所の機能にいささかの支障があつたものとは認められ」ないという事実認定に立つて「駅務自体を積極的不法に妨害することのない態度をも勘案するときは、東てこ扱所を組合側がその内外のピケによつて完全に支配占拠して久留米駅長の管理権を排除していたものとは認め難い」としているのである。多数意見はこの見方を否定したわけであるが、駅長の管理権が事実上排除されたとするためには、当局側職員の往来さえも妨げられた事実がなければなるまい。しかしかかる事態であつたことは原判決の認定しないところであるし、いわんや、だれが、いかなる用向で、信号所におもむき、いかなる手段、態様の阻止を受けたかという点にいたつては全く知る由もない。そもそもかりに阻止された事実があつたとしても、もともと、東てこ扱所は駅長室から約三五〇メートル以上も離れているのである。係員がこの遠距離をテクテク徒歩で連絡に往来するような悠長なやり方で日常業務が行なわれる筈はあるまい。すべては電話での指示であり、報告なのである。記録によると、階段上にピケがはられたのちも、第一回の排除が開始されるまでは電話連終は杜絶しておらず、午後八時二五分(すなわち、第一回排除時における混乱の時)に運転事務室から電話をしたが応答がなかつたというだけである(久留米駅長の証人としての供述参照)。しかも原判決によれば、前示ピケは、結局流言には終つたが、右翼の襲撃とか、又は、これは現実に生起したが、管理者側の公安職員による逆ピケなどに備えてのものであつたのである、もし排除のための、後述するごとき、強力な実力行使がなかつたとするならば、電話による連終は最後まで完全に保たれたにちがいのであつて、それにもかかわらず、公安職員の実力行使開始前、既に駅長の管理権が事実上排除されたと断定するのは事案の真相から離れたことになりはしないだろうか。
三 つぎに、本件のすわり込みが、鉄道営業法(以下、営業法と略称する。)に違反する立入り行為である旨の多数意見の説示を検討する。
同法は、明治三三年の制定にかかる法律であるが、四五条から成り、第一章鉄道ノ設備及運送」、第二章「鉄道係員」及び第三章「旅客及公衆」の三章に分れている。多数意見が、本件のすわり込みに適用があるとしている三七条は「停車場其他鉄道地内ニ妄ニ立入リタル者ハ十円以下ノ科料ニ処ス」という規定であり、前示の第三章に属するのであるから、条文の配列から見る以上、その行為主体が旅客及び公衆であると解するほかない。意味内容に即してもそうである。すなわち鉄道員(営業法は鉄道係員という名称を用いているが、第二章が、一定の部署にある者を必ずしも前提としていないことから考えて広く当該鉄道に勤務する職員をさすものと解する。)の服務に関する事項は第二章(もしくはそれに基づく命令や規則等)におさめられているのであり、一方、第三章の各法条は、すべてが旅客及び外部の一般公衆に向けられている規定なのである。多数意見のごとく、国鉄職員をも「公衆」のなかに含め、職員たる国鉄労働組合員のピケのための施設内滞留に前示三七条を適用せんとするのは牽強付会のそしりを免れないであろう。
ところで、本件のすわり込みをした者はすべて国鉄職員であり、久留米駅の職員もそのなかには相当数いたと思われる。右の職員が勤務時間中であるのに職場を離脱してピケに参加したものであるのか、それとも休暇などを利用して出てきたものであるのか、記録からは判明しない。もし前の場合だとすれば「公衆」でないことは疑いがなく、後者だとしても、もともと鉄道地内で働いているのであるから、これを「公衆」すなわち国鉄と無縁な部外者と見るのは所詮無理ではないか。
四 さらに、これらの組合員が「妄ニ立入」つたものであるかどうかの点にも問題がある。積極に解するとなれば、これらの組合員、殊に駅の勤務者が、鉄道係員の許諾を受けずに駅の構内で組合関係の「物品の配布」、「演説」又は「勧誘」をしたときは同法三五条違反の罪をおかしたことになるわけだが、もしそういう解釈をとると、鉄道地内での組合活動は、すべてその都度駅長などの許可を受けるを要し、管理者の意向いかんによつては一切禁圧されかねないことになる。これは現在の労使関係上到底認められない非常識というものであろう。それであるから、鉄道職員が勤務外であるにもせよ組合活動のために立入ることは、鉄道運送に支障を来す等の特別な事情のない限り、社会的相当性を欠くものではないから、これを妄りに立入つたものだとするのは失当といわなければならない。
なお、つぎのことが留意されるべきである。すなわち、鉄道営業法はひとり国鉄のみならず私鉄を含む全鉄道事業を対象とするものであること、及び日本の労働組合はほとんどすべてが企業内組合であり、その活動の場は主として企業施設内であることである(事務所さえ企業施設の一部に設置されているのが普通であり、そうであればこそ使用者による事務所の供与は不当労働行為たる経理上の援助にあたらないとされているわけである。労働組合法七条三号参照)。もし多数意見の解するごとくであるならば、鉄道事業における組合運動は、古色蒼然たるこの営業法によつて事実上封殺に近い状況になるやも知れないのである。
五 もつとも、勤務から離れている職員が鉄道地内に入つたことだけで「妄リ」だとするわけではない、立入りの目的が違法であるからだという反論があるかも知れない。しかしこれも当らないのである。原判決の認定によれば、本件のすわり込みは組合の指令で午後六時ごろから始められたものであるが、それは翌朝午前五時以後に組合が予定していた二時間の職場大会を成功させるために、予想された使用者側や右翼の実力的介入ないし妨害に備える必要に出たものであり、したがつて、これはいわゆるピケッチングであるが、その性格は明らかに消極的、防衛的なものであつたということができる。事実、階段のすわり込みによつて使用者側の立入りが物理的に阻止された事実も、さらにピケによつてピケ参加者が暴力を行使した事実も記録上全く窺われないのである(排除の際の混乱は公安職員の暴力の行使に対する抵抗から生じたものでしかすぎない。)。組合の定予した本件職場大会が正当な争議行為であるかどうかについては反対説もあるけれども、前示東京中郵事件の判決はもとより変更されていないのであるから、その判旨の示すところに従うかぎり、右の職場大会は違法ではないわけであつて、この点にはさしあたり問題がないと思う。そうだとすれば、その補助手段たるピケもまた正当性を失うものでないと解すべきであり(いわゆる横浜中郵事件についての当裁判所大法廷昭和四五年九月一六日判決・刑集二四巻一〇号一三四五頁参照)、本件のすわり込みをもつて違法な立入りというのは当らないのである。
六 かりに、本件のすわり込みが営業法三七条所定の行為であつたとしても、原判決の認定に見られるような態様の物理的な有形力による排除が許されるのであろうか。私は消極に解するものである。同法三七条の立入り行為は一〇円以下の科料にあたる罪であるところ、営業法中同じ程度の罰則を有する規定を拾い出してみると、禁煙違反等に関する三四条、車内その他における寄附強要、物品販売等を禁止する三五条などがあるが、これらはいずれも一般公衆による極めて軽微な行為をその取締りの対象としたものでしかない。また、三七条違反者に対して退去を求めることができることになつていることは明らかであるけれども、その根拠規定である四二条をみると、退去を求めることできる行為とその罰則には、三七条の場合のほかつぎのごときものがある。
(1) 有効な乗車券を持たず、又は検査を拒み、運賃の支払を承知しないとき(二九条一号、鉄道係員の許諾を受けず有効な乗車券を持たずに乗車したときのみ五〇円以下の罰金又は科料)
(2) 列車中旅客用でない箇所に乗り、鉄道係員による制止をきかないとき(三三条三号、三〇円以下の罰金又は科料)
(3) 禁煙の場所での喫煙、婦人専用箇所への男子の妄りな立入り(三四条、一〇円以下の科料)
(4) 鉄道係員の許可を受けず車内その他で旅客や公衆に寄附を求めたり、物品の売付け、配布をしたり、その他演説勧誘等をしたとき(三五条、科料)
(5) その他車内において秩序を紊す行為があつたとき(罰則なし)
以上であつて、注目すべきことは、営業法中旅客及び公衆による必ずしも軽微とはいえない犯罪、すなわち爆発物等の持込み(三一条)、列車警報機の濫用(三二条)などについてはもとより、三年以下の懲役にあたる信号機の毀棄等の行為、一年以下の懲役にあたる鉄道係員の職務執行妨害などの極めて危険な犯罪を敢行した者についてさえ、前示の軽微な反則行為と併合罪的関係に立たないかぎり、四二条の適用がないことである。多数意見のいうところをかりるならば「かかる法規ないし秩序違反の行動」こそ「すみやかに排除する必要がある」のではないであろうか。
以上の点を綜合すると、四二条に基づき退去措置の対象とされる行為は、「すみやかに排除」しなければ公共性のある鉄道「事業の安全かつ確実な運営を」不可能にする虞れあるほどの重大な事犯(多数意見はしかく考えているのであろうか。)ではなく。刑事訴訟法上、現行犯逮捕さえ原則として許されない位の些細な非行にしかすぎないのである。それを併せ考えるならば、退去の要請に応じなかつた場合の排除もまた、それに相応する、例えば手を引くとか肩を押すとか、市民生活において日常よくある、そして別段咎めだてをするにもあたらない程度のものであるべきであつて、それを超えた有形力の行使は許されないと解するのが相当である。多数意見は、航空法七三条の三第一項および 八六条の二第一項を引用するが、航空法七三条の三第一項は、いわゆるハイジャックという異例の場合につき、極めて厳格に制限された要件のもとにおいて機長に犯人を拘束する等の直接強制の制限を認めたものであり、また、八六条の二第一項は、航空運送事業者に航空機内から危険物件を取り卸す権限を認めたにすぎないものであつて、同法は、一般の航空施設における不つ法侵入者等に対する退去強制等の実力行使はまつたくこれを認めていないのであるから、単に右の各規定があるからといつて、営業法四二条につき多数意見のごときゆるやかな要件のもとに鉄道係員の実力行使を認めることは、明らかに行過ぎであるといわなければならない。
七 つぎに、本件排除行為の法律的性格を吟味するにあたり、まず鉄道公安職員がいかなる資格で行動したものであるかを明らかにしておかなければならない。
本件において公安職員が犯罪捜査の権限を行使したものでないことは、岩田裁判官の反対意見に指摘されたとおりである。もつとも公安職員は、犯罪捜査のほかにも、鉄道公安職員基本規程(総裁達)によつて国鉄内での警備や秩序維持の職責を担うとされているのであるが、右の規定は内部のとりきめ以上のものではないから、その面での業務は、優越した立場に立つて国民を拘束することのできる権力的な公務ではなく、法令により公務に従事する者と見なされている公安職員であつても、これらの業務に関しては、単なる「鉄道係員」にすぎず、その権限は、普通の国鉄職員と同様であり、実質上は地方鉄道の職員とも変るところはないのである。公安職員は、その名称も「公安」であり、職務内容も「警備」であるので、あたかも警察官に似た一般権限を有するかのごとき錯覚を来さないとも限らないのであるが、警察官とはおよそ撰を異にするものであることを忘れてはならない。
警察官は、個人の権利と自由を保護し、公共の安全と秩序を維持するために、警察官職務執行法に基づいて、犯罪の予防及び制止の権限を有している。しかし、右の職務の執行は、ある犯罪行為により、人の生命若しくは身体に危険が及び、又は財産に重大な損害を受ける虞れがあつて、かつ、急を要する場合でなければ許されないのである(同法五条)。しかるに多数意見によれば、結局(いささかの留保条件は後述のとおりほとんど無意味である。)、鉄道地内にみだりに立入つた者が、鉄道係員による退去勧告に耳をかさなかつたときは、その立入りの結果人命や財産に重大な危険があろうとなかろうと、鉄道係員はその者に対しただちに強制力を行使できるということになる。一に厳、他に寛なること、実に甚だしいものがあるのを感ぜざるを得ない。いうまでもなく警察に対して厳に過ぎるなどというつもりはない。憲法の建前上、これこそ当然なのである。そうだとすると、「鉄道係員」に対し、歯どめをもたない野放し同様(この点は後にふれる。)の実力行使を許すことが、特に現行憲法に照らしたとき、妥当かどうか多く論ずるまでもないのではあるまいか。多数意見は、警察の強制権限は場所、理由、相手方、方法等が予定されないから厳格な要件を定める要があり、それとこれとを比較するのは失当だとするもののごとくであるが、場所、理由、相手方の広狭は、全国にまたがる国鉄にあつては僅かな程度の差にすぎず、方法にいたつては、警察法第五条が認めるのは単なる「行為の制止」である(身柄の拘束は異常例外の場合であろう。)のに対し、鉄道営業法第四二条は多数意見の解釈によれば、「抵抗」の程度に比例した、それを圧倒するだけの実力行使をもつて、鉄道地外(それは決して狭い場所ではない。)への排除が許される(身柄の拘束は当然随伴する。)というのであるから、右の説示は到底人を納得せしめるに足りないであろう。
八 そこで本件における排除の具体的な状況が検討されなければならない。
多数意見は、みだりに立入つた者が鉄道係員による退去の要請に応じない場合または危険が切迫する等やむを得ない事情があるときは必要上最少限度の強制力を用いて排除する権限が鉄道係員に与えられているという。本件では少なくとも最初排除に着手した時期においては、いかなる切迫した危険もなかつたのであるから、退去の要請に応じないことをもつて「やむを得ない事情」だとしたものと解するほかないが、退去を求めても応じないということが、すなわちやむを得ざる事情だとするのは論理の飛躍であるか、そうでないとするならば、人身の自由を尊重する念慮の欠如を物語るものではないか。さらに問題とすべきは、特に、「最少限度の強制力」の意味いかんである。多数意見は本件における公安職員の強制力行使を是認しているのであるが、原判決の認定するところによれば組合員側の負傷者が二、三にとどまらなかつたというのであり、一件記録にあらわれた証人の供述に依拠し、または当時の写真などに徴すると、幅九〇センチの狭い急勾配の階段をゴトンゴトンと引きずりおろしている。中には逆に頭の方から先にうつ伏せになつておとされた者もあるなどという供述も見受けられるのである。それらが必ずしも事の真相を語るものでないとしても、少なくとも、当時、修羅場のような光景を呈したことだけは、これを窺うに難くない。この乱暴極まる実力(むしろ暴力)行使を多数意見は必要最少限度だというのである。そして「最少」か否かは抵抗(階段などにしがみついて手を離そうとしないことをもつて多数意見は「抵抗」と名づけるようである。)の程度に応じて判断すべきだとする。そうだとすれば「妄りに立入」つた者がコンクリートの防壁に囲まれた場所に入りこみ、退去の要請に頑として応じようとしないときは、浅間山荘事件におけるような破壊工作を用いた、強度の実力行使さえもなしうるとするのであろうか。かりに排除のために実力行使が許されるとしても(これには多大の疑問がある。法制定当時でさえ単なる鉄道係員にかかる即時強制の権限を与えたものとは解し難い。現在の憲法下においては尚更であろう。なおこの点は随所でふれた。)、その「最少」というのは「抵抗」にスライドしてエスカレートする、比較級的実力行使ではなく、人身の自由を守る見地に基づく一定不動の枠、絶対的な制約を受けるものでなければならない。
九 私は以上縷々述べた理由により、本件の国鉄公安職員による排除行為は、適法な公務の執行ではないと考えるものであつて、これに水を浴びせた被告人らの行為は、少なくとも公務執行妨害罪を構成するものでないというのが私の結論である。論旨は理由がなく、上告は棄却されるべきものと信ずる。(石田和外 大隅健一郎 村上朝一 関根小郷 藤林益三 小川信雄 下田武三 岸盛一 天野武一 坂本吉勝)
(田中二郎、岩田誠、下村三郎、色川幸太郎は、退官のため署名押印することができない)
検察官の上告趣意
序説<略>
第一点 原判決が、住居侵入罪の成立を否定した点は、明らかに左記最高裁判所ならびに高等裁判所の判例と相反する判断をし、かつ憲法二八条の解釈を誤つたものである。
一、国鉄長万部駅事件についての昭和四三年六月二二日の札幌高裁函館支部判決(昭和四一年(う)第一〇号建造物侵入等被告事件、判例集未登載)は、弁護人らが、被告人らの信号扱所への立入りは、組合員に職場大会への参加を呼びかけるためになされたものであり、国労の時限ストは公労法一七条に違反するとしても直ちに可罰的違法性を持つものではないから、右ストに参加を呼びかける行為が可罰的違法性を有することにはならず、被告人らの右立入り行為は建造物侵入罪を構成しないと主張したのに対し、
「公労法」七条一項に違反する争議行為であつても、労組法一条一項の目的を達成するためのものであり、かつ暴力の行使その他の不当性を伴わない場合には、刑事制裁の対象とはならないのであるが(前記大法廷判決参照)、しかし、右争議行為は民事責任を免れないという点においては違法な行為であつて、これを法秩序全体の観点からして全く正当な行為ということはできない。(中略)。したがつて、かかる公労法一七条一項違反の争議行為により列車の正常な運行が阻害されることを慮り、当局側において、組合役員が勤務員に対し右争議行為への参加を呼びかけるために信号扱所内へ立入るのを拒否することに理由がないものとすることはできない。(中略)。してみれば、被告人らの本件立入り行為の目的が正当性の範囲に留まるとする所論の採用できないことは明らかである。」
と判示している。
しかるに原判決は、被告人山下は三月三〇日午後四時頃東てこ扱所内勤務者たる組合員に対し、職場集会に参加を勧誘、説得し、これを確保する目的をもつて、被告人吉木は同日午後八時頃、同牛嶋は翌三一日午前一時過頃、いずれも鉄道公安職員の実力行使に対抗し、右てこ扱所内勤務者の職場集会参加を実効あらしめるためピケットを張りまたはこれを指導する目的をもつて、それぞれ同所に立入つたことを認定したうえ、
「それらは、いずれも国鉄労働組合の年度末手当要求のための争議に際し、同組合員としてオルグ、ピケット又はこれを指導のため、若しくはこれに附随した必要な用務をもつてしたことであるから、労働運動としての行為であり、これを一概に違法な行為であるというをえない。
もとより公共企業体労働関係法第一七条は国鉄職員及びその組合が同盟罷業等業務の正常な運営を阻害する一切の行為をなすことを禁じており、本件争議は久留米駅を拠点として二時間程度の時限ストで、その間職場集会を開くというのであつて、これに対する補助手段としてその実効性を確保するため同駅東てこ扱所にピケットが配置されたものであるから、右禁止条項に触れるものであるが、同条違反の争議行為であつても法制の沿革、同法第三条が刑責免責に関する労働組合法第一条第二項の適用を排除していないことなどにより、うかがえる憲法第二八条に基く基本的な規制態度に鑑みるときに、そのことだけで争議行為が犯罪とされるのではなく、争議行為が労働組合法第一条第一項の目的を達成するためのものであつて、それが政治目的のために行われたとか、暴行を伴う場合とか、社会通念に照らして不当に長期に及ぶときのように国民生活に重大な障害をもたらす場合のような不当性を伴わない限り、それは刑事制裁の対象とはならないと解すべきである。」
と判示したうえ、本件被告人らの立入り行為は右三つの場合に該当せず、組合目的を達成するためになされた正当な行為であるとして、建造物侵入罪の成立を否定しているのである。
原判決の右判断は、被告人らの行為が民間企業における、適法な争議行為の場合と異なり、公労法上違法な争議行為を遂行する目的でなされたことを看過するものであり、前記札幌高裁函館支部判決に相反することは明らかである。公労法一七条一項は公企体職員等の争議行為のみならず、その教唆、煽動等の行為も禁止し、しかも、かかる禁止される行為をした職員は同法一八条により解雇されるのである。当局側としては、その管理する職場内で右のような違法行為が行なわれるのを受認すべき義務はなんら存しない。したがつて、本件において久留米駅長が被告人らの争議行為参加のためのオルグ等の目的で、てこ扱所に立入るのを拒否することは正当な理由があり、被告人らがこれに反して立入つた以上、建造物侵入罪の成立することは当然である。
二、1 羽幌炭鉱事件についての昭和三三年五月二八日の最高裁大法廷判決(刑集一二巻八号一六九四頁)は、
「同盟罷業は必然的に業務の正常な運営を阻害するものではあるが、その本質は労働者が労働契約上負担する労務供給義務の不履行にあり、その手段方法は労働者が団結してその持つ労働力を使用者に利用させないことにあるのであつて、これに対し使用者側がその対抗手段の一種として自らなさんとする業務の遂行行為に対し暴行脅迫をもつてこれを妨害するがごとき行為はもちろん、不法に、使用者側の自由意思を抑圧し或はその財産に対する支配を阻止するような行為をすることは許されないものといわなければならない(昭和二四年(オ)一〇五号同二七年一〇月二二日大法廷判決、民集六巻九号八五七頁、昭和二三年(れ)一〇四九号同二五年一一月一五日大法廷判決、刑集四巻一一号二二五七頁各参照)。されば労働争議に際し、使用者側の遂行しようとする業務行為を阻止するため執られた労働者側の威力行使の手段が、諸般の事情からみて正当な範囲を逸脱したものと認められる場合には刑法上の威力による業務妨害罪の成立を妨げるものではない。」
と判示し、
2 東京中郵事件についての昭和四一年一〇月二六日最高裁大法廷判決(刑集二〇巻八号九〇一頁)は、
「公労法三条が労組法一条二項の適用があるとしているのは、争議行為が労組法一条一項の目的を達成するためのものであり、かつ、たんなる罷業または怠業等の不作為が存在するにとどまり、暴力の行使その他の不当性を伴わない場合には、刑事制裁の対象とはならないと解するのが相当である。それと同時に、争議行為が刑事制裁の対象とならないのは、右の限度においてであつて、もし争議行為が労組法一条一項の目的のためでなくして政治的目的のために行なわれたような場合であるとか、暴力を伴う場合であるとか、社会の通念に照らして不当に長期に及ぶときのように国民生活に重大な障害をもたらす場合には、憲法二八条に保障された争議行為としての正当性の限界をこえるもので、刑事制裁を免れないといわなければならない。」
と判示している。
右両判決によれば、正当な争議行為の範囲は労務供給義務の不履行に止まり、それを逸脱して積極的に使用者側の業務遂行を妨害するに至れば、もはや、労組法一条二項の適用のないことが明らかである。この理は右東京中郵事件大法廷判決後の最高裁判決たとえば八戸鋼業事件についての昭和四二年三月一六日第一小法廷判決(昭和四一年(あ)一七八〇号事件。工場内坐り込みに威力業務妨害罪の成立を認めた。判例集不登載)等においても認められるところである。
しかるに原判決は、「争議行為が労働組合法第一条第一項の目的を達成するためのものであつて、それが政治目的のために行われたとか暴行を伴う場合とか社会通念に照らして不当に長期に及ぶときのように国民生活に重大な障害をもたらす場合のような不当性を伴わない限りそれは刑事制裁の対象とはならないと解すべきである。」とし、本件の場合、ピケットの立入り行為についても強暴な手段方法は用いておらず、ただ一時的に二階信号所の扉の取手を針金で縛つたり、勤務員を休憩室に押し入れるとか、信号所入口の扉を釘付けにする行為や鉄道公安職員に水を浴びせかけるごとき行為が認められるが、これは鉄道公安職員の実力行使等に対抗し、これを制止せんとするものであつて、一義的に右組合員の行為を目して暴力の行使と評価することは差しひかえるべきであり、団結権擁護のためにする行為として必ずしも違法というをえないと判断しているのである。
右判示によつて明らかなように、原判決は、争議行為がその手段の点で正当性を失うのは「暴力を伴う場合」と解していることが看取されるのである。この点において、原判決の見解は、前記羽幌炭鉱事件大法廷判決が、「暴行脅迫のみならず、使用者側の自由意思を抑圧し、あるいはその財産に対する支配を阻止するような行為」を、また、東京中郵事件大法廷判決が「暴力の行使その他の不当性を伴う場合」を、それぞれ争議行為の正当性の限界を超えるものとして挙げ、暴行、脅迫のみならず威力により使用者側の業務遂行を積極的に妨害する場合にも正当性がないとしているのに相反することは明らかである。
原判決は、右のような見解に立脚するため、
「ところで本件てこ扱所信号所は列車運行の中枢であり、信号転轍など重要な機器を取り扱うのであるから勤務員に対しては確実厳正な作業が要求され、正当な用務を持たない部外者などの立入りによつてその正常な運営が阻害されるときは列車の運転に重大な支障を来すおそれがあり、列車事故の危険があることは一般抽象的には認められるところであつて、関係者以外の立入りが禁止されるべきは当然であり、駅当局がしきりに退去を要求するのも列車運行上万一の危険をおもんばかつてのことと理解できる。けれども前に説示したように、本件ピケットあるいはオルグ活動等は平穏に行われていたことは明らかであり、しかも労働基本権はなお保護さるべく、企業内組合としての国鉄労働組合の性格や労働運動の現況においてはこのような場所への立入り等を右のような一般的抽象的危険の故をもつて制限することは必ずしも労働基本権の保障に十分であるとはいえないのであつて、てこ扱所信号所での列車運行の確保の重要な職務の遂行に直接支障を来し、具体的危険の発生切迫を招くことにならない程度において、必要な範囲での労働運動であれば、組合目的を達成するためになされた正当な行為としてこれを認めざるをえない。」
として、てこ扱所信号所に正当な用務を持たない部外者などが駅当局の禁止を犯して立入つて業務の正常な運営を阻害することがあつても、列車運行の確保の重要な職務の遂行に直接支障を来し、具体的危険の発生を招く程度に至らないかぎり、正当な行為であり、建造物侵入罪は成立しないというのである。この見解によれば、信号所に組合員多数が立入り、信号所の業務遂行が妨害される抽象的危険性が生じても、いまだ正当性の限界を逸脱しないこととなり、前記判例に照らしその失当であることは明白である。
前述のごとく本件においては、午後六時頃から東てこ扱所の二階信号所に二〇名ばかりの組合員が立入つたことが認定されているのであるが、原判決も述べているように、てこ扱所信号所は、列車運行の中枢であり信号転轍など重要な機器を取り扱い、勤務員には確実厳正な作業が要求されているのであるから、さして広くもない同所へ二〇名もの組合員が立入つただけで、室内の平穏がみだされ業務の正常な運営が阻害されるおそれがあることはいうまでもない。しかも、本件では、二階信号所に立入つた二〇名は、入口の扉の取手を針金で縛つて門司鉄道管理局員の立入りを拒んだうえ、同所に通ずる階段に四、五〇名の組合員が立錐の余地もない状態でピケットを張るなどして、当局側のてこ扱所信号所に対する管理支配権を排除し、同所を排他的に占拠する状況下において、被告人吉木、同牛嶋らは同所に立入つたのであるから、前記大法廷判決の示した争議行為の正当性の限界を逸脱していることは極めて明らかである。
原判決は、組合員により信号所が一時的に閉鎖され、勤務員が休憩室に押し入れられ、また、組合側のピケットによつて一時的に東てこ扱所と運転室との連絡がとだえ、列車が二本信号機外に停車したことを認めながら、それらは第一義的には鉄道公安職員の実力行使がその因をなしているというのである。しかし、鉄道公安職員は、国鉄の施設の秩序維持等を任務とするのであるから、列車運行の中枢であるてこ扱所信号所に多数の組合員が立ち入るおそれがある場合、その内外を警備するのは適法な職務の遂行であり、これを組合側がピケットなどにより実力で阻止する以上、鉄道公安職員が必要な限度において実力によりこれを排除することは当然許されるところであり、鉄道公安職員の実力行使を理由に、組合員らの信号所占拠を正当視するのは本末顛倒といわなければならない。
また、原判決は、国鉄労働組合が企業内組合であることなどを理由に、てこ扱所信号所への立入りを一般的抽象的危険の故をもつて制限することは、労働基本権の保障に十分であるとはいえないと述べているが、企業内組合であるからとて組合活動の正当性の限界を広く認めようとするのは、法解釈の正しい態度とは考えられない。
以上の理由により、被告人らのてこ扱所信号所への立入り行為に関する原判決の判断が前記(一)、(二)の最高裁大法廷判決と相反することは極めて明白といわなければならない。
三、国鉄福島駅事件についての昭和三八年三月二九日仙台高裁判決(昭和三六年(う)第六一六号、建造物侵入公務執行妨害被告事件、上告取下確定、判例集不登載)は、勤務時間内職場大会に参加を説得する目的で被告人ら七〇名ばかりが信号扱所に立入つた事実につき、弁護人の、被告人らは不法侵入の認識がなかつたとの主張に対し、「右南信号扱所は福島駅構内における、転轍器の集中操作を行なう重要な施設で、階上の作業室は間口約二間、奥行約七間あるが、大半は機械でうずまり、空いているのは、僅かに約六坪に過ぎないのであるから(司法警察員作成の実況見分調書参照)、常勤者五名の勤務中、この狭い場所に、さらに、被告人千葉佳男、同吉田文之助の一団約七〇名が余分に立入つたとなれば、勤務中の職員の行動を妨げることは必定で、それだけでも、既に、転轍作業の正確、迅速を阻害して、列車の運行に支障を来たす恐れのあることは、国鉄職員ならでも、常識上極めて明白である。それを、被告人吉田文之助が、かかる多人数で立入ることが当然許されることであると信じたという弁護人の所論は、むしろ不自然で採用することができない。同信号所には、日頃国鉄職員のみならず部外者も、比較的自由に出入りしている事実があるからといつて、本件とはその目的、態様において全く異なり、同日に論ずべきものではない。被告人五十嵐正三郎の場合には、以上の状況を目撃しながら、さらに、約二〇名とともに立入つたのであるから、転轍作業に支障を来たす恐れのあることは十分に認識していたものと認めなければならない。一方かかる信号扱所内の混乱を管理者である福島駅長が黙視するはずもなく、事前に知つておれば、同所への立入りを禁止するのは当然のことである。のみならず、いうところの説得とは、勤務中の職員が職場を放棄して、職場大会に参加することを勧告する趣旨であることは、原審における被告人千葉佳男の供述によつても認められるから、これが成功すれば、福島駅の業務は全面的に一時停止され、列車の運行に重大な支障を来すことが明らかで(原審証人池田光利の証言参照)、これを福島駅長が容認するはずはないのである。(中略)。それを、被告人千葉佳男、同吉田文之助は約七〇名とともに、被告人五十嵐正三郎は、その上さらに約二〇名とともに、信号扱所の約六坪の狭い場所に立入つたのであるから、業務妨害の積極的な意図がなかつたにせよ、結果的には転轍作業の障害となり、業務の妨げとなることは歴然たる事実で。管理者である福島駅長の立入り拒否の意思を予知するに十分であるといわなければならない。それを、敢えて立入る以上建造物侵入罪を構成するのは当然のことといわなければならない。」
と判示して、駅信号扱所の重要性、構造等からして同所に多数の組合員が立入ることは、それ自体で国鉄業務を阻害する抽象的危険を生ずるものであるから、駅長がその立入りを拒否するのは正当性を有し、これを犯して立入れば建造物侵入罪が成立することを肯認しているのである。
本件における立入り行為は、右福島駅事件とほぼ同様の態様下において行なわれたのにかかわらず、原判決は前述のごとく、列車運行に具体的危険を招く程度に至らないかぎり、組合活動としての正当性を失うものではないとして建造物侵入罪の成立を否定しているのであつて、明らかに右仙台高裁判例と相反するものである。
以上詳述したとおり、被告人ら三名の本件てこ扱所信号所への立入り行為につき、建造物侵入罪の成立を否定した原判決の判断は、前記最高裁判所並びに高等裁判所の各判例に違反するとともに、財産権あるいは経営権に比し労働基本権を不当に重視する点において憲法二八条の解釈を誤つたものであり、その誤りが判決に影響を及ぼすことは明らかである。
第二点 原判決が、公務執行妨害の成立を否定した点は、明らかに最高裁判所並びに高等裁判所の判例と相反する判断をし、かつ憲法三一条および鉄道営業法四二条の解釈適用を誤つたものである。
原判決は、「鉄道公安職員が警備的任務の遂行に伴つてある程度の物理的有形力の行使をなし得ることは否めないが、警察官職務執行法の如き法令上の根拠を有しないところからして、その物理的有形力の行使には一定の限度があり、警察官のそれよりはるかに軽度のものと解すべきである。」「鉄道公安職員が鉄道公安維持のため不法行為者を退去させる場合、不法行為者にまず口頭で退去を要求し、これに応じないときにはじめて必要に応じて物理的有形力を用いることはできるが、それとても強制にわたらない限度において行使すべきである。」「一般的には上記説示した程度以上に実力を行使して退去の強制にかかることは鉄道公安職員の公安維持の職務権限には属さないものと解すべきである。」とし、「もつともこのように解するときは鉄道営業法第四二条第一項によつて退去が実効を収めえない場合を生じ、同項の『退去せしむることを得』という文言と必ずしも合致しない解釈となるようであるが、ことは憲法第三一条の規定の存在を十分に考慮すべき必要がある事柄に属することは論をまたず、上記のように解釈してこそようやく右鉄道営業法第四二条第一項の合憲性が認められるのである。」と判示している。
そして本件事案につき「本件ピケットの組合員等は国鉄の施設や業務を不法に侵害するものではなく、またみだりに鉄道地内に立入つたものというを得ないので、鉄道公安職員の職務の執行としても右ピケットの組合員に対し、これを強制力を用いて鉄道地外に退去させ排除することはできなかつたものといわなければならない。本件鉄道公安職員の実力行使はもともと許容性を具有する場合とは認めがたいばかりでなく、鉄道公安職員に許される物理的有形力の行使としてもその限度を越えたものであつて、公務の執行とみた場合においてもそれは到底許されないものであつたと認めざるを得ない。」と判示して、本件ピケットの組合員等が鉄道公安職員の実力行使による排除行為に対し、てこ扱所信号所二階窓より水を浴びせかける等の暴行をもつて抵抗したことを正当視し公務執行妨害罪の成立を否定した。
しかしながら、
一、原判決は「本件ピケットの組合員等は国鉄の施設や業務を不法に侵害するものではなく、またみだりに鉄道地内に立入つたものというを得ない」とする点において、最高裁判所の判例に反するものである。
けだし、本件ピケットとして行われた東てこ扱所への組合員等の立入り行為を争議行為として違法性を欠くものとし、住居侵入罪の成立を認めなかつた原判決の判断が、最高裁判所の判例に反するものであることについては、前記第一点において論じたとおりであり、そうすれば、違法な住居侵入行為を伴う本件ピケットが、前記東京中郵事件最高裁大法廷判決のいう「単なる罷業または怠業等の不作為が存在するにとどまり、暴力の行使その他の不当性を伴わない場合」にあたらないことは明らかであるからである。
二、原判決は、憲法三一条並びに鉄道営業法四二条の解釈適用を誤り、鉄道営業法四二条の規定により鉄道公安職員はピケットによつて列車の正常な運行を阻止する組合員らを実力で排除できるとし、そのように解することは憲法三一条に違反しないとした高等裁判所の判例に相反するものである。
すなわち、原判決は、鉄道公安職員の物理的有形力の行使は、強制にわたらない限度において許容されると解すべきであるとする。
しかし、原判決の右解釈によると、鉄道営業法四二条一項による退去が実効を収めえない場合を生じ、同項の「退去せしむることを得」という文言と必ずしも合致しない解釈となることは、原判決の自ら認めるところであつて、文義的にも、実際的にも到底承服しえないところである。
原判決は、右解釈を肯定するため「ことは憲法第三一条の規定の存在を十分に考慮すべき必要がある事柄に属することは論をまたず、上記のように解釈してこそようやく右鉄道営業法第四二条第一項の合憲性が認められるのである。」というが、鉄道営業法四二条一項の規定は、鉄道係員たる鉄道公安職員に対し、みだりに鉄道地内に立入つた者を退去させるにあたつて、必要に応じて物理的有形力を行使することを許容するもので、その物理的有形力の行使が、強制にわたることを一切認めない趣旨ではないと解するのが相当であつて、そのように解しても憲法三一条の存在を無視することにはならず、また、その合憲性を否定すべき理由は全く存しないものと考える。
もとより右物理的有形力の行使は、無制限に認められるものではなく。必要かつ最少限度に限らるべきことは当然であつて、このことは警察官の物理的有形力の行使についても全く同じである。
原判決の前記のような解釈は、憲法三一条と鉄道営業法四二条一項の規定の解釈を誤つたものといわざるを得ないのみならず、次に掲げる高等裁判所の判例に反するものである。
1 門司車掌区事件についての昭和三五年三月二日福岡高裁判決(高裁刑集一三巻二号一四九頁、上告棄却確定)は、
「鉄道営業法四二条の法意を考えて見るに鉄道営業は高度の公益性があると共に高度の技術性を持ち、且つ時間的にも厳格な正確性と迅速性を要求されており、これらを確保することなくしてはその円滑な遂行は到底期待できない。従つてこれらに障害を来たす危険のある行為は鉄道営業の円滑な遂行を侵害するものとして即座に排除是正せられる必要があり、同法はその必要上同法第四二条違反者をこれに刑罰を科するか否かは別として車外又は鉄道地外に退去させることができるものとし、以つて鉄道営業の円滑な遂行を期したものと解されるので、その実効を期するためには、緊急その他特別の事由ある場合には絶対に暴力にわたらない強制は、実力によるものであつても僅かに車外又は鉄道地外に退去させるだけであるからこれをやむを得ないものとして容認する趣旨で、一般的に実力をも行使して車外又は鉄道地外に退去させることができる旨規定したものと解するのが相当である。同条が右退去させることができる者を、特定の職務権限を有する者に限定せず、当該鉄道係員にその権限を認めたのも右趣旨に出たものと解される。果してそうだとすると右退去させるとは、単に退去要求に止まらず緊急を要する場合その他特別の事由ある場合には、実力を行使して退去させることもできる趣旨であり、かく解することは憲法第三一条の趣旨にそむくものではないと解する。」
と判示し、約八〇名の組合員ピケ隊がスクラムを組み助勤車掌の車掌区に対する入場を阻止したため緊急やむを得ないとして鉄道公安職員が実力により組合員を退去させるべく排除行為に出たのを、正に鉄道営業法第四二条の許容する場合として適法な公務の執行であると認めたものである。
2 前記国鉄福島駅事件についての仙台高裁判決は、弁護人の鉄道公安職員の実力行使は違法であり、適法な公務の執行ではないとの主張に対し、
「鉄道営業法第四二条は「鉄道係員は……鉄道地外に退去せしむることを得」と規定したのは、単に勧告ないしは同意を得て退去させることをいういではなく場合によれば、実力によつて強制的に退去せしめることをも認容した趣旨であることは文義上も疑う余地がないのみならず、同条の法意は、要するに鉄道地内にみだりに立入つたものを即刻退去させて、鉄道業務を正常に遂行し、列車運転の障害を排除する趣旨であることが明らかであるから、実力により強制退去を否定するならば、有名無実の規定に堕しその実効を期し得ないことになる。鉄道業務が正常に運営されるか否かは重大なことで、個人の恣意によつてこれを乱すことは、公共の福祉に反し、社会正義にもとる不当な所為で許さるべきことではない。また鉄道営業法には、右退去せしめる手続についても何等の規定も置いていないことは所論のとおりであるが、実力による強制といつても自ら限度があつて、退去のためならば如何なる強制力を用いてもよいというものではなく、要はそのものを、鉄道地内から退去させるのが眼目で、それ以上その者の身体財産の自由を侵害することは許さるべきではない。その間の強制力使用の方法、限度は民主主義社会の健全な通念によつて自ら決せられることで、かく解することは日本国憲法第一三条の法意に何ら反するものでない。」と判示している。
同判決の基礎となつている事実関係は、前述のように、被告人がてこ扱所に勤務中の職員を説得して職場集会に参加させるため、組合員七〇名と共に福島駅てこ扱所内に侵入し、鉄道公安職員一九名から鉄道営業法四二条に基づき実力排除させられようとした際、うち一名に対し暴行を加えて公務執行を妨害したという事案である。
3 国鉄水戸駅事件についての昭和四〇年九月一四日東京高裁判決(東高刑事裁判速報一三九四号、上告棄却確定)は、鉄道公安職員の実力行使の限界について、「鉄道営業法第四二条の『退去せしむることを得』という場合、退去強制の権限を付与されたものとしてその手続が法定されていないとしても、少なくとも退去を要求し、応じないときは必要にして、かつ最少限度の実力行使をなし得る趣旨であることは極めて明らかである。」と判示している。
以上の各判例の趣旨を総合すれば、鉄道営業法四二条は、鉄道の公共性と高度の技術性、正確性に着目し、鉄道業務の円滑な遂行を確保するため車内又は鉄道地内の秩序を維持する必要があり、そのため円滑な遂行を侵害する恐れある同条各号にかゝげる行為を鉄道係員に実力で車外又は鉄道地外に排除する権限を付与したものであり、警告もしくは制止をもつてしても秩序を保ち得ない場合、秩序を妨げる行為の態様、実力行使の必要性、業務の実態等に照らして、車外又は鉄道地外に退去させるのに必要にして最少限度の実力行使は、たとえ強制にわたることがあつても当然許されるものとしており、そのように解釈することは憲法三一条あるいは一三条に反しないとするものであつて、原判決が右に掲げた高等裁判所の判例に相反する判断をしていることは明らかである。
三、はたして然らば、本件について、「鉄道公安職員によるピケット排除行為は、それ自体が許されず、またその具体的排除行為も本来許された限度を起えた違法な実力行使であつて、適法な職務行為とは認められない」とする原判決の判断は誤りであり、この誤つた判断を基として、被告人等の鉄道公安職員に対し水を浴びせかけた行為を、「右は公務員たる鉄道公安職員の適法な職務を執行するにあたり行われたものではないこととなり、またこのような労働運動の場において鉄道公安職員によるいわれなき不当な実力行使によつて労働運動を抑止される状況において、これを制止すべくしてなした右のごとき被告人等の行為については、両者の行為の目的、態様、程度など比較衡量するときは、これを直ちに鉄道公安職員に対する暴行と評価することは差しひかえるのが相当である。」として、被告人等の所為について公務執行妨害罪のみならず、その他暴行に関する罪も成立する余地がないとする原判決が誤りであることは明らかである。
以上のとおり原判決は、最高裁判所並びに高等裁判所の判例に相反する判断をし、かつ憲法および鉄道営業法の解釈適用を誤り、それらはいずれも判決に影響を及ぼすことは明らかであるから、原判決は当然破棄せらるべきものである。
以上