最高裁判所大法廷 昭和47年(あ)725号 判決 1974年5月29日
主文
本件上告を棄却する。
理由
検察官の上告趣意は、原判決は、被告人が同一の日時場所において、無免許で、かつ、自動車検査証の有効期間が満了した普通乗用自動車を運転した所為につき、右は一個の行為であるから、右無免許運転の罪と自動車検査証の有効期間が満了した車両を運行の用に供した罪とは観念的競合の関係にあると判示しているが、この判断は所論引用の判例に違反するというのである。
所論引用の判例(最高裁昭和三九年(あ)第一二六三号同四〇年一月二九日第二小法廷決定・刑集一九巻一号二六頁)は、無免許で、制限乗車人員を超えて乗車させた第一種原動機付自転車を運転したという事案つき、無免許運転の所為と、乗車制限違反の所為とが、たまたま同一の運転の機会に行なわれたとしても、両者の罪は観念的競合の関係にあるものでなく、併合罪の関係にあるものと解するのが相当であるとしたものであるが、これを本件事案と対比すると、運転者が無免許者であり、しかも行為としては運転行為以外にないことは両者に全く共通であり、ただ、一方は運転した車両が制限乗車人員超過の者の乗車している第一種原動機付自転車であるのに対し、他方は運転した車両が自動車検査証の有効期間が満了した自動車であるといういわば運転した車両の具体的状況を異にするにすぎないものであるから、両者は同種の事案というほかなく、したがって、所論のとおり、原判決は右判例と相反する判断をしたものといわなければならない。
しかしながら、刑法五四条一項前段の規定は、一個の行為が同時に数個の犯罪構成要件に該当して数個の犯罪が競合する場合において、これを処断上の一罪として刑を科する趣旨のものであるところ、右規定にいう一個の行為とは、法的評価をはなれ構成要件的観点を捨象した自然的観察のもとで、行為者の動態が社会的見解上一個のものとの評価をうける場合をいうと解すべきである。
これを本件についてみると、被告人が本件自動車を運転するに際し、無免許で、かつ、自動車検査証の有効期間が満了した後であったことは、車両運転者又は車両の属性にすぎないから、被告人がこのように無免許で、かつ、自動車検査証の有効期間が満了した自動車を運転したことは、右の自然的観察のもとにおける社会的見解上明らかに一個の車両運転行為であって、それが道路交通法一一八条一項一号、六四条及び昭和四四年法律第六八号による改正前の道路運送車両法一〇八条一号、五八条の各罪に同時に該当するものであるから、右両罪は刑法五四条一項前段の観念的競合の関係にあると解するのが相当であり、原判決のこの点に関する結論は正当というべきである。以上の理由により、当裁判所は所論引用の最高裁判所の判例を変更して、原判決の判断を維持するのを相当と認めるので、結局、判例違反の論旨は原判決破棄の理由とはなりえないものである。
よって、刑訴法四一〇条二項、四一四条、三九六条により、主文のとおり判決する。
この判決は、裁判官岸盛一、同天野武一、同江里口清雄の各補足意見、裁判官岡原昌男の意見があるほか、裁判官全員一致の意見によるものである。
裁判官岸盛一の補足意見は、次のとおりである。
私は、最高裁昭和四七年(あ)第一八九六号昭和四九年五月二九日大法廷判決において補足意見を述べたが、観念的競合についての私の考え方は、右補足意見で述べたところと趣旨において同一であるから、ここにこれを引用するほか、裁判官天野武一の補足意見に同調する。
裁判官天野武一の補足意見は、次のとおりである。
私は、最高裁昭和四六年(あ)第一五九〇号昭和四九年五月二九日大法廷判決において、無免許で酒酔い運転をした場合に右両罪の観念的競合を是認するに際し補足意見を述べたが、本件は、無免許で自動車検査証の有効期間が満了した自動車を運転したという点において前者と違反の態様を異にするにとどまり、両者ともに観念的競合を是認する考え方において全く共通であるから、同一の趣意を引用するほか、裁判官岸盛一の補足意見に同調する。
裁判官江里口清雄の補足意見は、次のとおりである。
私は、裁判官岸盛一、同天野武一の各補足意見に同調する。
裁判官岡原昌男の意見は、次のとおりである。
観念的競合に関する多数意見の基本的な考え方には異論があるが、本件は私のような見解でも結論は同じになるので、多数意見の結論に同調する。なお、私の見解の詳細については、最高裁昭和四七年(あ)第一八九六号昭和四九年五月二九日大法廷判決における反対意見のとおりである。
(裁判長裁判官 大隅健一郎 裁判官 関根小郷 裁判官 藤林益三 裁判官 岡原昌男 裁判官 小川信雄 裁判官 下田武三 裁判官 岸盛一 裁判官 天野武一 裁判官 坂本吉勝 裁判官 岸上康夫 裁判官 江里口清雄 裁判官 大塚喜一郎 裁判官 高辻正己 裁判官 吉田豊)