最高裁判所第一小法廷 事件番号不詳〔2〕 決定
右の者らに対する法人税法違反各被告事件について、昭和四〇年三月三〇日東京高等裁判所の言渡した判決に対し各被告人から上告の申立があつたので当裁判所は次のとおり決定する。
主文
本件上告を棄却する。
理由
弁護人藤田八郎、同沢井勉、同林隆行、同天野憲治の上告趣意第一点は違憲をいう点もあるが、その実質はすべて事実誤認、単なる法令違反の主張に帰し、同第二点は事実誤認、単なる法令違反の主張であり、同第三点は単なる法令違反の主張であり、同第四点は事実誤認、単なる訴訟法違反の主張であつて、いずれも刑訴法四〇五条の上告理由に当らない。(第一審判決判示にかかる農林大臣の中部千島さけ、ます流網漁業の操業許可に関する権利の売却益をもつて、昭和三四年事業年度の所得として申告すべきものとし、これについて被告人らにおける法人税逋脱の罪の成立を認めた原判決の判断は、正当と認められる。)
よつて、同四一四条、三八六条一項三号により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。
(裁判長裁判官 長部謙吾 裁判官 入江俊郎 裁判官 松田二郎 裁判官 岩田誠)
上告趣意書
法人税法違反 被告人 丸大漁業株式会社
代表取締役 大倉常策
同 同 大倉漁業株式会社
代表取締役 大倉常策
同 同 大倉常策
弁護人藤田八郎、同林隆行、同沢井勉、同天野憲治の上告趣意(昭和四〇年七月九日付)
第一点 原判決は、法人税法における法人税課税の基準たる発生主義の意義を理解せず、且つ、本件取引の本質並びに本件売買契約の趣旨の解釈をあやまり、本件売却益を昭和三四年事業年度の収益と判定した違法がある。右は憲法第三一条に違反する違法である。
本件法人税法違反事件において、法人税の対象とされるものは、一審判決が本件犯罪事実として掲記するところに従えば「被告人丸大漁業株式会社名義の、農林大臣の中部千島さけます流網漁業の操業許可に関する権利」(一審判決はこれを「操業権」と略称する)売却益である。
被告人の丸大漁業株式会社は、昭和三四年度において、その名義をもつて農林大臣の許可によりその所有船舶第十八丸大丸について、八四・六九屯の漁業操業の権利を得ていたのであるが、昭和三四年十二月中に、一審判決のいわゆる「操業権」を他に売却した。その売却益が税法上昭和三四年事業年度の収益とみるべきか、昭和三五年事業年度の収益とみるべきか、これが本件において最も主要な争点である。
そこで、まず、右「操業権の売買」と称する取引の実体、就中、取引の対象とされる物体は何か、並びにこの取引の法律上の性質を究明することが緊要である。
この取引の行われる実情につき、一、二審判決の判示するところは、これを要すれば次の通りである。
さけます流網漁業は漁業法六五条、水産資源保護法四条の規定に基くさけます流網漁業等取締規則第二条により船舶ごとに農林大臣の許可を受けなければ営むことのできないものであり、農林大臣は右漁業の許可の有効期間を一年(翌年三月末日まで)とし、毎年許可要綱を発表して右の基準に合致した船舶に対し許可を与えていたことを説示し、いわゆる「操業権」の売買については法は全く規定するところがなく、もつぱら漁業界の慣行に委ねられているところであるとし、判示証拠に基いてこの慣行を検討した末、農林大臣は、昭和三五年度においても、同年三月末日をもつて許可期間が満了したさけます流網漁船の船主経営者が同船をもつて引き続き許可を申請した場合、及び従来許可を受けていなくても、一定の適格要件をみたしている漁船の船主が、同船のトン数に等しい昭和三四年度さけます流網漁業許可にかかる漁船のトン数の廃業届を添え、船主経営者として許可を申請した場合許可する旨の方針が定められていた。右のうち新たにさけます流網漁業を営なもうとする船主が申請をする場合、漁業許可にかかる漁船のトン数の廃業届の添付を要することは毎年の例とされており、一方許可要綱に定める一定の適格要件をそなえた漁船の船主である限り、右廃業届を添付して許可申請をすれば、廃業船主が廃業届を二重売買したとか、漁業法規違反を犯したとか、あるいは、日ソ交渉の結果、減船を受ける等の特別の事情のない限り原則として許可が与えられていたから、漁業界においてはさけます流網漁業を営なもうとする新規の船主が廃業する船主から代金と引き換えに廃業届委任状等の許可申請に必要な書類を買受け、許可にならなかつた際には代金を返還することが慣行として行われ、本件売却益収得の原因たる取引もこの慣行に従つて行われたというのである。
一審判決以来、この取引は「操業権の売買」と称せられているが、この称呼はその本質を究明する上に、頗るまぎらわしいものを含んでいる。即ち、この称呼は、毎年農林大臣の許可によつて発生する、その年度の漁業操業の権利そのものと誤認され易く、また、必ずしも、民法に規定する売買にそのまま妥当するかも疑わしいから、この上告趣意書においてはこの称呼に従わず、単に「本件取引」と称することとする。
この取引の実体、性質について原判決は、
「右操業権とは在来許可にかかる船舶トン数分について次年度の許可を期待できる地位であり、この地位はそれ自体財産的価値ある地位(権利)として取引の対象となる慣行上の地位(権利)と解すべく、さらにその売買は慣行上、前記のように、廃業届等の書類の売買という形で行われるが、前記の地位(権利)の売買と解すべきであつて」
と判示している(原判決四丁表)。
ここに原判決のいわゆる「地位(権利)」とは何を意味するか。
この地位とは、本年度許可を受けて操業権を取得し、これによつて漁業を行つたという実績に基いて、次年度の許可による操業権の取得を期待することができる地位という意味に解すべきであり、これはどこまでも事実上、権利の取得を期待し得るという事実関係でなければならない。原判決もその前段において「そこで操業権とは何か、その売買の性質如何を検討するに」として、「右許可の方針として在来の許可にかかる船舶トン数を尊重するいわゆる実績主義がとられていたため、右操業期間を過ぎた後も右漁業許可を得ておる事実上の地位は……財産的価値あるものとして評価され、漁業者間に取引され」として、右地位は事実上の地位なる旨判示している(原判決三丁表)。
しかるに、ここでは、原判決は「地位(権利)」と称する。しかも原判決はこの(権利)について法律上いかなる性質を有する権利であるかについて説明するところはない。ただ、次年度の許可を期待できる地位(権利)というのであるから、或は一審判決のごとく一種の期待権を指すもののごとくにも感ぜられる。
ところが、原判決は、後段に至つて(六丁表)、
「本件操業権の売買においても、廃業届と引換えに代金を支払うことによつてその効力が発生し、操業権は買主に移転するものと認むべきであり」
としている。即ちこの取引によつて操業権が売主から買主に移転する旨、判示しているのである。そしてこの操業権に関しては、その前段(四丁表)において
「以上操業権(操業期間経過後の、以下同じ)」
として原判決の使用する操業権なる用語について、註釈を加え、わざわざ「以下同じ」とことわつているのであるが、操業期間というは、原判決が三丁表において判示する「操業権の許可は毎年四月頃与えられ、その有効期間は翌年三月末日まで、ただし現実に操業できる期間は八月一〇日までとされていた。」を指すことはあきらかであり、従つてここに原判決の云う操業権とは操業期間を経過した「許可による操業権」そのものを指すものと解するの外はない。
つづいて原判決は「操業権を買い受けたものが、次年度において実際操業し得るためにはさらに現実の許可を必要とすることは当然であるが」と判示するところからみれば、原判決は、本件取引においては既に漁期を経過した「許可による操業権」そのものが取引せられ、かかる操業権を取得したものが、次年度さらに許可を得て、次年度の漁期に実際に操業することができると理解しているもののごとくである。
すなわち原判決がさきに、本件取引の対象として判示した「地位(権利)」の(権利)とは本年度許可によつて取得された操業権(既に操業期間経過後の)そのものを指すと解する外はない。
しかしこれは、とんでもないあやまりである。
許可による操業権は、同年度四月頃水産当局が発表する許可要綱に基いて特定の出願人について詮考し、その要綱に適合した特定の者に対し、しかも特定の船舶に即して翌年三月末日まで、一定の水域において、さけます漁業を操業することを農林大臣が許可することによつて、付与される権利であつて、権利者の一身に専属する権利というべく、かかる特定の操業権を、自侭に他に譲渡し、その譲受人が同年度の操業権者となるという如きことは、たとえ漁期経過後といえども許されるところでない。
ただ、本年度許可による権利者は、次年度においても、再び許可による操業権を取得し得る相当高度の蓋然性ある期待利益を有する。この期待利益があるからこそ、次年度の「許可による操業権」を買主が取得することを目的として本件のごとき取引が行われるのであつて、本年度許可による操業権自体が取引の目的となるのでは断じてないのである。
原判決は
「操業権の売買については、これを禁止する規定なく、かえつて当局は前記のように、実質的にこれを承認していた」と判示するけれども、これは、本件のような取引が別に法規に触れることなく行われていたというに過ぎない。「許可による操業権」自体の売買が、農林当局によつて認められたというごときことのあり得ないことは証人藤村弘毅の証言によつてもあきらかである。
なおまた、原判決は「当年度操業権を買い受けたものが、次年度において実際操業し得るがためにはさらに現実の許可を必要とすることは当然であるが」と判示するが、これまた大きなあやまりである。本年度操業権は年度末三月末日をもつて許可期間の経過により当然消滅するのであつて、次年度操業し得るためには、次年度許可によつて、全然別個の新たな操業権が創設せられ、これを取得したものが次年度操業し得るのであつて、本年度操業権を有するものが、さらに許可を得て次年度操業を継続し得るという関係でないことは明瞭である。
本件取引の対象如何は、本件取引の実体、法律上の性質を究明するキイポイントである。
これを原判決のごとく窮局において、本年度「許可による操業権」そのものと解するならばことは極めて簡単である。一審判決はこれを期待権の解除条件付売買といい、一審検事はこれを実績の売買という、原判決のいうごとくならば、何を苦しんでか取引の実体把握に、かくも、あくせく苦心する要があろうか。かく簡単に片付け切れぬところに本件の実相が存するのである。
原判決が、これをさきには期待し得べき事実上の地位といいながら、後に之を地位(権利)と註釈し、さらにその権利とは同年度許可によつて取得した操業権そのものなるが如く判示するは、矛盾撞着その何の意たるかを捕捉し難いところであるが、本件主要の問題点の解明に、以上原判決の判示するところが支離滅裂、かつ間違いにみちているということは実に、原判決の致命的な欠陥と云わなければならない。
次に、原判決が本件取引から生じた売却益を昭和三四年度収益と判断した理由を観察するに、原判決は、本件売買契約が成立と同時に契約として効力を発生したか否かに重点をおき、曰く
「当事者間にその効力の発生を農林大臣の許可にかからせる特段の意思表示その他の事情はみとめられない」(五丁表)、
「本件操業権の売買においても、廃業届と引き換えに代金を支払うことによつて、その効力が発生し、操業権は買主に移転するものと認むべきであり」(六丁表)、
として、右は昭和三四年一二月中、契約締結の時に効力を発生したものであるから、その代金として受領した収益は、昭和三四年事業年度の収益として課税さるべきものであり、それが法人税課税の基準として、現行税務上採用されている、いわゆる発生主義の要請に適うものとするのである。
しかし、「発生主義」といえども、ただ単に契約が効力を発生した時をのみ基準とするものでなく、発生主義も、今日の税務扱上、ある制約を受けるものであることは、弁護人藤田八郎がさきに控訴趣意書において詳説したとおりであるが、煩を厭わず、ここに再説する。
おもうに、商品等資産の販売について、その販売損益を、いかなる基準に従つて、いつの事業年度に属するものとするかは、法人税法の解釈上、最も重要な、そして最も困難な問題である。
理論上「発生主義」をもつて「現金主義」に優るものとして、現行税務の実際においても原則として発生主義が行われていることは、国税庁通達二四九号の指示するところによつて明らかである。しかし、発生主義は現金主義に対するもので、現金収受の時を基準としないことをいうものであるが、発生主義といつても、発生主義適用の基準となるべき事実として、いかなる事実をもつて損益の発生を確認し得る事実とみとめるかについては必ずしも統一的な解釈は行われていない。商品等の資産の売却益について云えば、契約の成立、目的物の引渡、弁済期の到来等いろいろ基準となるべき事実が考えられるのであるが、今日の税務の実際においては目的物が引渡された時をもつて売却益を確認し得べきものとし、その売却益はその事実の発生した事業年度の収益として計上されるのである。すなわちこの時をもつて、売買の目的物は特定し、目的物の所有権は買主に移転し、売主は将来反対給付をなすことなく代金の請求を為し得る時期に達したのであり、この時に初めて収益の実現ありとみるのである。「引渡基準」とか、「権利の確定」とか「実現主義」とか云われるものである。
すなわち、不特定物の売買において、目的物の占有の移転――引渡――によつて、売買の目的物は特定し、その所有権が買主に移転する点に着目して「引渡基準」といい、この時において、代金債権が反対給付について同時履行の抗弁を受けることなく請求し得る状態に達する点に着目して「権利の確定」といい、また、この時において、抽象的、観念的な法律状態が、具体的、現実的な法律状態に変る点に着目して「実現主義」というのである。
この意味において、本来の発生主義は規制を受けるのであつて、以上いずれの主義、基準に従うも、売買契約の成立という単に観念的な債権債務の相互発生の状態においては未だ売却益を確認し得べき事実の発生ありとはせず、目的物の引渡等により、その債権が現実的な債権に具体化した段階に立ち至つて、はじめて収益の発生ありとせられるのである。
そして、かかる意味における引渡ないし権利の確定、実現という事実がいつ発生したかは、売買の目的たる資産の種類、性質、販売の態様、慣行等、各場合につき具体的に検討して決定さるべきであるとせられる。
仲佐市 租税要論
河村澄夫 税法違反事件の研究(司法研究四集八号)
市村 吉佐衛門 法人税解説(三八年版)
例えば、不特定物の売買において、売買契約の締結によつて、契約の効力は発生し、目的物の引渡、代金支払の債権債務は直ちに発生するけれども、税法上発生主義はそれだけでは要件を充たさず売主から買主に物件を引渡すことによつて、売買の目的物は特定し、その所有権が買主に移転し、売主は同時履行の抗弁を受けることなく代金を請求し得る状態に達するが故に、その時期をとらえて課税基準とするのである。そしてそればその時「代金支払の済否にかかわらず」と前記通牒は明記するのである。これを発生主義の引渡基準というのである。
であるから、本件取引についても、原判決のごとく、本件取引が昭和三四年事業年度内に効力を発生したというだけでは足らず、同年度内に、前記「引渡ないし権利の確定、実現」に適合する事実が生じたことを認定した上でなければ、同年度の売却益とすることはできないのである。
本件取引が、契約締結と同時に効力を発生したことは弁護人といえどもみとめるのである。
ただ、いかなる効力を発生したかが問題なのである。
本件取引の本質について、弁護人の理解するところは原審弁護人藤田八郎の控訴趣意書に詳説されているところであるが、煩を厭わずここに再説すれば、まづ本件取引は買主をして次年度「許可による操業権」を取得せしめることをその眼目とするものであることは何人も争わないところである。
それには、前記慣行に従つて、売主は、現在当年度許可を受けた操業権者として、次年度も引きつづき許可を受け得る相当蓋然性の強い地位にあるのであるが、買主をして次年度許可による操業権を取得せしめるためには自らは次年度許可の申請をせず、買主のため次年度許可の枠をあけてやることが必要である。そこで売主はこれが保証の意味において、買主に自己の廃業届を手交し置き、次年度買主が許可申請をするにあたつて申請書に右廃業届を添付して水産当局に提出することをみとめる、買主はこれが対価として一定の金額(次年度操業権の価額及びこれによつて収獲し得べき利益金等を計上したもの)を支払う、但し若し次年度不許可の場合には売主はこの金額を買主に返還する義務を負う、というのが本件取引における契約内容である。売買ということ適当でないとしてもこれに準ずべき有償契約である。この契約の効力として契約の成立と同時に発生するところは以上の債権債務関係にとどまる。
一審判決以来「操業権」の売買といわれているけれども、売主が当年度許可によつて得た操業権そのものが売買せられるのでないことは前段において述べたとおりである。売主はこの取引後においても、その年度許可によつて取得した操業権を失うものでない。売主がその操業権を失うのは、翌年三月三十一日の期限の到来によつてその有効期間が満了する時である。
また、廃業届の売買と俗称されることもあるようであるが、この契約の効力として売主の廃業という効果が発生するのでない。ただ次年度に対して廃業する義務(自己は次年度許可の申請をしないという消極的の義務)、従つて、その際手交した自己の廃業届を買主が次年度水産当局に提出することを認容する義務を買主に対して負担するというに過ぎないのである。売主の廃業という効果の発生するのは、翌年三月末日を以てその操業権の有効期間が満了し、しかもその時に売主が次年度許可の申請をしないという事実によるものである。
本件取引に際して買主に手交された本件廃業届(記録添付)には
「前年に於て一に記載の通り許可を受けていたが之を今般別添屯数操作表記載の第二春駒丸外四隻(廃業屯数二三屯)によつて継続して許可申請する事に同意したので今後一に基く漁業の許可申請はしない」
との記載のあることは原判決も認めるところであるが、これによれば、売主は、買主が次年度申請をすることに同意する、売主は次年度許可の申請をしないことを誓約する、即ち次年度申請しない債務を買主に対して負担するという趣旨がよくあらわれている。
原審証人藤村弘毅は、廃業届は、買主に次年度許可があることを条件として廃業する旨の趣旨であることを証言し、
「私は今度この漁業をやりませんということをつけさして、前年やつていた人は、もうこれから申請しないという一種の誓約書のようなものをとつておりました。名前も廃業届というのがわかりやすいので、そういうふうにつけておりました」
という。この証言によつても、売主は買主に対して自らは次年度許可の申請をしないという誓約の趣旨を廃業届という名目で表現しておつたことが判るのである。
さらにこれを被告会社丸大漁業と北海道漁業公社間の本件取引に関する売買契約書についてみるに、原判決も引用するごとく、その第一条及び覚書に「漁業権の売買」とあり、同契約書第四条に、「行政官庁に対する手続完了により権利行使の可能の状態になる迄は」「第三者に対する譲渡及び賃貸借により買主に不利益を及ぼさざるは勿論」なる記載がある。法律の素人の作成する契約書であるから、これを法律的に正確に解釈することは困難であるけれども、畢竟本件取引の目的とするところは、買主の次年度許可による操業権の取得をめざすものであり、行政官庁に対する申請手続の完了により買主が次年度許可による操業権を取得するまでは、売主は二重売買その他によつて買主の権利取得を妨げるごとき行為をしないことを誓約する、売主は買主の権利取得に協力する義務を負担する趣旨(並びに、この契約後も、売主は本年度許可による操業権を失うものでない趣旨)をうかがい知ることができるのである。
なお、「トン数操作表」なるものがある。これは買主が次年度許可申請の手続として、申請書に添付して提出するを要するものである。これは、取引の対象たるトン数が分割して複数の船舶につけられる場合、これが分割明細表を付して申請する必要があるによるものであるが、その各船に対するトン数の割当は、最終的には、日ソ交渉妥結の上、出漁船数、漁獲屯数等が確定した上で、許可要綱の線に沿つて、売主、買主の間で協定され、これを明細にして許可の申請をするものである実情は、一、二審証人磯野幸太郎、藤村弘毅等の証言によつて知ることができるのである。これによつても、結局、本件取引の目的物たるトン数が売主、買主の間で最終的に特定するのは次年度許可申請の間際であつて、契約締結の当時においては、契約の内容は真の意味においては未だ確定していないことがわかるのである。
本件問題の四七屯について、原判決は
「大倉常策は、磯野幸太郎、村山善蔵を介し同月中右残屯数の内四七屯を全国鮭鱒流網漁業組合連合会所属の組合員に分割売渡し」
と判示するけれども、買主たる連合会所属の組合員の氏名を一つも掲げず、組合員の何某が果して幾トンを買い受けたものか少しもわからないのである。
一審判決に至つては
「さらに磯野は、全鮭連を通じ同月一日頃、二三トンを代金一七、一三五、〇〇〇円で、同月三日頃、一〇トンを七、四五〇、〇〇〇円で、同月二二日頃、一四トンを一〇、四三〇、〇〇〇円で売却し」
と判示するのみで、買主が何人であるかについては全然判示していない。すなわち一、二審審判決ともに本件取引の買主が何人であるかを判決上明かにしていないのである。実際大倉の意を受けて右売却の衝に当つた磯野幸太郎、村山善蔵自身すら売買の当時においてこれらのことが判明していなかつたことは同人等の一、二審の証言によつて明白である。同証言によつても、全鮭連が果してこの売買に当つていかなる役割を果したのか、真の買主が何人で、復数の買主中果して幾トンが誰れに割り当てられたか、さらに磯野らに支払われた代金も果して何人の出捐において支出されたものか、それらの事情は少しも判明していないのである。一、二審判決が、判決上何人が買主であるかを明かにすることができなかつたのもこの事情に由るものである。このことは、売買契約の当時においてはこれらのことは当事者間においてすら明確にされず、次年度許可申請の間際になつて、いわゆる「トン数操作表」の作成によつて始めて確定するに至つた事情をよく反映しているのである(本件証拠上、これを明確にするものは「トン数操作表」を措いて外に何もないということは、よくこの間の消息を物語るものである)。
すなわち、本件取引において、真の意味で売買契約が成立したのは、次年度許可申請の時であるといつても過言ではないのである。買主とその買受けトン数とが特定しないかぎり、売買の成立はあり得ないからである。(論旨第二点参照)
以上、各段の事情を綜合すれば、本件取引の本質は、既存の財産権の売買ではなく、次年度許可によつて発生すべき操業権――将来の権利――の売買、若しくはこれに準ずる契約と解するのが最も妥当であると信ずるのであるが、(売主が現に有する操業権を基準として買主に対し新な許可が与えられ、これによつて買主につき新な操業権が発生する関係は、土地の所有者が将来自己が設定することによつて発生する地上権を創設的に売買する関係――この場合は完全な「将来の権利」の売買である。――に酷似している。地上権の設定的売買につき、我妻栄、債権各論中巻「一」、二四六頁参照)、ここで弁護人が強調せんとするところは、本件取引の法律上の本質を講学上いかに解釈するかはともかくとして、結局、この契約の効果として、契約成立の段階において発生するところのものは、以上のような債権債務の関係のみであつて、何ら物権的な効果は発生しない。この契約の終局の目的とする次年度許可による操業権の取得という具体的、物権的な効果は、次年度許可があつてはじめて発生するのであり、対価として収受された金員も、このときはじめて確定的な収益(返還債務の消滅により)となるということである。
よつて、前段説示したところの課税上の通則を、右本件取引にあてはめて考究すれば、本件取引の効果として、契約成立の段階において発生するものは債権債務の関係に過ぎないことは前段説示のとおりであるから、如上引渡基準ないし実現主義の法則に従えば、本件売却益は、契約の成立した昭和三四年事業年度の収益として計上すべきでないことは、あきらかである。
そして、この契約の終局の目的とする漁業権の取得、並びにその対価たる代金が確定的な収益となるという効果は、次年度許可があつてはじめて発生するものであることも前段説示のとおりであるから、結局、本件売却益は、この許可のあつた昭和三五年事業年度の収益として計上すべきものであることは、右法則の適用上、おのずからあきらかである。けだし、この許可の時点をもつて「引渡」「権利の確定」「実現」等発生主義適用の基準とすることが、前記法則の要請に適うことは疑ないからである。(例えば、不特定物の売買にあつては、物の引渡によつて目的物は特定し所有権が移転するが故に引渡のときを基準とするのであるが、本件のごとき契約成立の当初においては不特定どころか、目的たる権利は未だ不存在なのであるから、もとより特定の仕様はなく、次年度許可によつてはじめて目的たる権利が生成し、かつ買主の取得するところとなるのであつて、この時をもつて売却益課税の基準とすることが引渡基準の法則の要請に適うものであることは、右不特定物売買の例と対比してよく会得せられるのである。)
本件において、契約代金の一部が昭和三四年度内に支払われたことは否定できない事実であるけれども、右は条件付の支払であつて次年度許可のないときは、買主に返還すべき負担の付いていることは、本件取引の契約書第四条に明記するところであつて、現金授受の段階においては、確定的な収益と云えないのみならず、現金収受の事実は、売却益帰属の基準を左右するものでないことは、前示通達二四九号に、「代金支払の済否を問わず」とあるによつて明らかなことは前述のとおりである。
しかるに、原判決はこれらの法理を少しも理解せず、本件取引は契約締結と同時に効力を発生したが故に、発生主義に従つて、契約締結の年度における課税の対象となるというのみである。
原判決は「許可を待たずして代金が授受される」ことを重視しているが、これは当時この漁業が業界において非常に有望視されていたため、業者が争つて次年度操業権を獲得せんとして、とりあえず前金を払うことによつて権利を確保せんとした実情によるものであることは前掲磯野、村山らの証言によつて窺い知ることができるのであつて、多分に投機的な出捐であり、しかもこの代金支払は確定的な支払ではなく、不許可のときはこれを売主に返還する約旨の下に授受されるものであつたことは前説示のとおりである。本件取引に当初から不許可のときは代金を返還する旨第四条の約款のあることは重要であつて、一審判決はこれあるがために本件取引を解除条件付売買と解釈したのであるが、原判決は本件取引の本質を解明するに当つて右約款存在の意義について何らの考慮を払つた形迹がない。原判決の本件取引に対する解釈が見当違いを来した一理由である。
(尤も、原判決は前段において述べたごとく「本件操業権の売買においても、廃業届と引き換えに代金を支払うことによつて、その効力が発生し、操業権は買主に移転する」とするのであつて、若しもこの契約に因つて同年度「許可による操業権」が、売主から買主に移転し、買主が同年度許可による操業権者となるという事実が、真実存在するならば、これはもとより具体的権利の実現であつて、前段に説明した「引渡ないし権利実現」の基準によつて、その時をもつて課税基準とみとめるべきは勿論であるけれども、右のごとき意味における操業権の移転のみとめることのできないことは前段において縷述したとおりである。)
結局、原判決は、本件取引は契約の時に効力が発生したから発生主義により契約の時を基準とするというに帰着し、素朴な発生主義を金科玉条とするものであつて、そのあやまりは、法人税法におけるいわゆる発生主義の真意義を理解せざるに由るものである。
なお、原判決は、本件取引について、次年度許可の可能性を極めて安易に考え、「次年度許可を受けられる確率が極めて高く」と判示しているけれども、これは多分に結果から見ての立論であつて、契約の当初においてその見通しはしかく容易なものでないことは、一審並びに原審証人藤村弘毅(当時農林省水産庁沖合班長、後、北洋班長)同磯野幸太郎の証言から十分に知ることができるのである。
そもそも終戦以降さけます等北洋漁業に関する日ソ交渉が毎年難航をきわめ、横暴なソ連のしつような減船要求に対して歴代内閣の農林、水産当局が例年いかに惨怛たる苦心を重ねるかは国民周知の事実であり、漁期直前に至つて漸く交渉妥結、それにもとずいて水産当局は当該年度の許可要綱を発表し、業者はこれに従つて許可を申請し、許可を得るや急遽出漁するのが実情であつて、幸にして今日までその交渉の結果前年よりも漁獲量を減少しなければならなかつた事例は稀であつたけれども――昭和三三年度、三五年度および三七年度において減船のやむなきに至つたことも事実である。――次年度において、前年同様のトン数に応ずる許可を得ることの見通しは、しかく容易なものではないのである。従つて、本件取引においても、果して目的どおりの許可が得られるかどうかは契約当時においては、かなり不安であり、当事者は不許可の場合に備えて、代金の返還その他損害の補償につきいろいろ交渉を重ねる実情は磯野幸太郎の証言から十分に看取されるのであり、当時日ソ交渉がいかに難航を極めたかは、原審に提出した当時の新聞紙の記載によつてあきらかである。次年度許可の見通しの立ち難いことについては、当時水産当局は業者に対して常時警告を与えていたことは、また、証人藤村弘毅の証言するところである。
そしてこのことは本件取引の本質を究明する上において甚だ重要であるのにかかわらず、原判決が、この問題について何ら解明を与えるところなく唯結果のみから見て、安易に売買当時の見通しの容易さを説くことは、耳を掩うて鈴を盗むのたぐいであつて、その結論の正鵠を得ないことはもとよりである。
原判決は、また、
「日ソ漁業交渉の結果等による減船等売主の責に帰することができない理由により許可が受けられないときは、残存船主において損害を補償することになつており」
といつているのであるが、かかる補償は、昭和三七年度に日ソ交渉の結果、減船のやむなきに至つた際に、船主間において行われたというに過ぎないのであつて(証人藤村弘毅の証言)、昭和三四年本件取引の行われた当時、原判示のようなことが慣行として行われたという事実は、本件においてこれをみとめる証拠はどこにもないのである。
その他、原判決はしきりに業者間の慣行をいうけれども、本件取引の行われた昭和三四年は、日ソ交渉が行われた五回目の年であり、殊に被告人の居住する新潟県下においてはかかる取引の行われることは稀であり、被告人としても本件が最初の経験であつたのであつて、既に十数年を経過して各種の慣行の生ずるに至つた今日とは著しく事情を異にするのである。今日の事情をもつて当時をはかることは真相を把握する上において極めて危険である。
結論
原判決は、右のごとく本件取引における契約の趣旨の解釈をあやまり、かつ、法人税法における法人税課税の基準たる発生主義の意義を理解せず、本件売却益を昭和三四年事業年度の収益と判断したものであつて、原判決はこの違法により到底破棄を免れないものである。
そして契約の趣旨の解釈、その契約から、いかなる法律関係を生ずるかは、もとより事実認定の問題でなく法律評価の分野に属する法律問題であることは学界の定説である。
兼子 一 民訴大系四六〇頁
細野長良 民訴要義四巻三六一頁
その他
如上論点は、法人税法における課税基準に関する重要な事項を含むものであり、この課税基準の問題は、改正前法人税法九条一項(昭和四〇年法律第三四号改正法人税法第二二条一項)の解釈に関する事項であることは学説判例の認めるところである。
そして、この解釈はもとより本件有罪無罪を決する重要な争点に属するものであるから、原判決の如上の違法は、判決に影響を及ぼすべき重要な法令違反であることは言を俟たない。
かくのごとき重要な法令違反は、憲法三一条の違反として刑訴四〇五条の適法な上告理由となるものと解すべきである。
憲法註解上巻(2)五九〇頁参照
弁護人はさきに、以上の理由を、上告受理申立の理由として、刑訴四〇六条に則り上告受理の申立をしたのであるが、不幸にして右申立は受理されなかつた。これは何を意味するか。本論旨を「法令の解釈に関する重要な事項を含むもの」にあらずとすることは常識に反する。とすれば最高裁判所は本件理由を、刑訴四〇六条所定の「前条の規定により上告をすることができる場合以外の場合」にあらずと判断して右上告受理の申立を受理しなかつたものと解するの外はない。とすれば本件の理由は「刑訴四〇五条の規定により上告をすることができる場合」すなわち同条所定の適法な上告の理由に該当することを、最高裁判所が本件について確定したところと云わなければならない。
かりに本論旨が刑訴四〇五条の上告の理由に該当しないとしても、判決に影響を及ぼすべき法令の違反があり、原判決を破棄しなければ著しく正義に反する場合であることは疑を容れないところであるから、刑訴四一一条に則つて原判決を破棄せられんことを切望してやまない次第である。
第二点 原判決は審理を尽さず、確たる証拠もないのに、「全国鮭鱒流網漁業組合連合会所属の組合員」に売却した本件さけ、ます流網漁業四七屯につき、右売買契約成立の日時を昭和三四年一二月中であると認定し、右取引による売却益は昭和三四年事業年度の所得であると判定しているのであつて、審理不尽の違法並びに証拠に基かずして事実を認定した違法がある。
一、原判決は原審弁護人らの控訴趣意に対し「原判決(第一審判決)にかかげてある関係証拠により、原判示各事実はすべて十分に認めることができる」と判示した上、「前記各証拠によれば、被告人大倉常策は、丸大漁業株式会社名義の本件さけ、ます流網漁業八四・六九屯のうち二九屯を昭和三四年一二月二三日株式会社北海道漁業公社に代金二〇、〇〇〇、〇〇〇円で売渡し、(中略)、また、右磯野幸太郎、村山善蔵を介し、同月中右残屯数のうち四七屯を全国鮭鱒流網漁業組合連合会所属の組合員に分割売渡し、右代金は右連合会専務理事金沢幸雄より右村山善蔵を介し磯野幸太郎に対し、同月一日頃一七、一三五、〇〇〇円、同月三日頃七、四五〇、〇〇〇円、同月二二日頃一〇、四三〇、〇〇〇円、合計三五、〇一五、〇〇〇円が支払われ、磯野幸太郎がその都度、少くとも同月中に被告人大倉常策に対し、右売買契約の成立並びにその代金合計三四、〇〇〇、〇〇〇円収納済の旨報告したこと、(中略)、を認めることができ、右各事実に前段説示の趣旨を併せ考えれば、右代金収納の各事実は右受領または収納済報告の都度右両被告会社の帳簿に仕訳記帖され、法人税法上昭和三四年度の所得として処理さるべきものと認められる。」と判示している(原判決七丁裏以下)。
しかし乍ら、記録を精査しても全鮭連所属の組合員と被告人大倉常策との間に、本件四七屯の取引につき昭和三四年一二月中に売買契約が成立したと認めるに足る証拠はないのである。
二、本件さけ、ます流網漁業八四・六九屯の買主の氏名が何人であり、各買主の買受屯数がそれぞれ何屯であるかは、最終的には右買主ら次年度許可申請者がその申請書類(記録四二二丁以下)に添付した「許可屯数操作表」に記載され、それによつて初めて確定された訳であるが、右「許可屯数操作表」なるものは、磯野幸太郎の手元において、次年度許可申請の間際になつて漸く作成され、各買主に交付されたものであつて、本件取引の当時にあつては勿論のこと、次年度許可申請の間際に至るまで、磯野幸太郎、村山善蔵自身にすら、真の買主の氏名並びに各買主のそれぞれの買受屯数は全然判らなかつたのである。
これを証拠に照らして検討するに(但し、北海道漁業公社に対する売却分を除く)
(1) 全鮭連所属の組合員に売却した本件四七屯につき直接その取引の衝に当つた村山善蔵の第一、二審の証言によれば、右村山は専ら歯舞漁業協同組合の富山常務理事と交渉を重ねた結果(記録九一二丁)、本件四七屯を同組合所属の組合員に分割して売渡すこととし、全鮭連を通じて右代金の支払を受けたものであつて、当時村山としては買主である各組合員の氏名についても、各買主の買受屯数についても別段之を確めて居らず、また知らされてもいなかつたことがわかる。これは当時本件漁業が業界において極めて有望視されていたため、業者が争つて次年度操業権を獲得せんとして、とりあえず代金を前金で支払うことによつて権利を確保せんとしていた実情から、村山としては本件四七屯についても前記協同組合が所属組合員のため権利を確保して置き、後日組合内部で組合員に適当に配分するものと考えていたからである。
(2) 次に代金の支払の点であるが、全鮭連の専務理事として本件四七屯の買受代金の支払方を担当した金沢幸雄の供述書(記録五二八丁以下)によれば、昭和三四年一二月一日頃に支払われた二三屯分の代金は野口作雄が富士銀行築地支店の全鮭連の普通預金口座に、その余の支払代金は浜屋磯次郎が北海道拓殖銀行築地支店の同預金口座に振込んだものであることがわかる。即ち本件四七屯の代金の出捐者は右の二名である。
(3) ところが、前記「許可屯数操作表」によれば、右野口作雄の買受屯数は本件四七屯のうち僅か六・九二屯にすぎず、浜屋磯次郎に至つては買主の中に名を連ねて居ないのであつて、右四七屯の買主は野口作雄外六名と云うことになつている。
(4) 右のとおり、本件四七屯の取引については、相手方は前記協同組合ないしは同組合の富山常務理事であり、代金の出捐者は野口作雄及び浜屋磯次郎であり、買主は野口作雄外六名で、浜屋磯次郎は買主でもないのである。即ち本件四七屯の取引は、北海道漁業公社との取引の如く売主と買主との相対の取引ではなく、代金も買主から直接支払われたものではない。さればこそ、本件四七屯の取引当時、磯野幸太郎・村山善蔵自身にすら、真の買主の氏名や各買主の買受屯数が判らなかつたのである。磯野幸太郎の第一、二審における証言によれば、同人に対して本件四七屯の取引につき、各買主の氏名及び各買主の買受屯数が報告されたのは、昭和三五年三月頃、即ち同年度の許可申請の間際であり、磯野は右報告に基いて前記「許可屯数操作表」を作成し、之を各買主に交付したと云うのである。右証言は本件取引の実情に照らし、十二分に肯認されるところである。
前記金沢幸雄の供述書には、村山善蔵から徴した受領書は、その都度「本人」に送付した旨記載されているが、村山善蔵が各買主宛に各買受屯数に応じた代金領収書を発行したと認めるに足る証拠はない。従つて、右にいう「本人」とは出捐者である野口作雄及び浜屋磯次郎と解するの外はなく、また右領収書の宛名は村山善蔵の前記証言によれば全鮭連宛であつたと認められる(右出捐者宛の領収書及び各買主宛の領収書の如きものは、その存在すら認められない)。
なお、本件四七屯の取引について、各買主の氏名及びその買受屯数を明確にするものは、前記「許可屯数操作表」を措いて外に何もないのであつて、しかも記録上、買主たる各組合員及びその買受屯数が如何なる経過によつて、何日確定されたかは、少しも明らかでなく、また売買代金の頭初の出捐者と真の買主との間で、何日、如何なる方法で代金の清算が行われたかも明でない。しかし、この点は本件売買契約成立の日時を確定する上に、極めて重要な事項であることは云うまでもない。
三、次に、丸大漁業株式会社名義の廃業届について考察して見るに、本件四七屯の各買主が昭和三五年度さけ、ます流網漁業の許可申請をするに当つて、各自の申請書に右廃業届をそれぞれ添付していることは云うまでもない。しかし、右廃業届が各買主に対し、何日、如何なる経路を辿つて交付されたかは、記録上之を確認することを得ないのである。
通常の取引においては、買主の代金支払と引換えに売主から買主に廃業届が手交されるようであるが、本件取引は売主と買主と相対の取引ではなく、代金も買主から売主に直接支払われたものでないことは前記のとおりであつて、従つて売買代金を現実に支払つた全鮭連の専務理事金沢幸雄が代金支払と引換えに村山善蔵又は磯野幸太郎から前記廃業届を受取つたものと即断することは許されない。そして記録上もかかる形迹は認められない。同人の前記供述書にもその旨の記載が全くないのである。
よつて、買主である野口作雄外六名の各許可申請書(記録四二二丁以下)に添付された各廃業届を比較検討して見るに、野口作雄の分のものは日附欄が白地であるのに対し、菊田菊次郎外五名の分の日附はいずれも同一筆跡で昭和三四年一二月二二日附となつている。様式の点も野口の分だけが異なり、他は同一である。従つて、野口作雄の分と他の買主六名の分とは同時に作成交付されたものとは認め難い。また、菊田菊次郎外五名の分が筆跡・様式とも同一であり、野口作雄の分だけが異なる点から云つて、全鮭連の金沢専務理事が村山善蔵に売買代金を三回に分つて支払つた都度、之れと引換えに交付されたものでないことも明かである。しかも、菊田外五名の分の廃業届の日附については、何人が何日之を記入したかは、記録上全然明かでない。(なお、右日附は廃業届の本文に照らせば、年度を誤つていること極めて明かである)
恐らくや、これら廃業届は、各買主がその買受屯数に応じた代金を何人かに支払つた時に、それと引換えに各買主に交付されたものと想像されるのであるが、各買主が何日、誰に代金を支払つたかは明かでなく、従つて各買主に対し何日、誰から廃業届が交付されたか記録上之を明かにし得ないのである。して見ると、全鮭連の金沢専務理事が最終的に代金を支払つたのが昭和三四年一二月二二日頃であり、廃業届の日附が同日附(但し、野口作雄の分は除く)となつているからと云つて、その日附の日に野口作雄外六名の各買主に対しそれぞれ廃業届が交付されたと即断することはできない。蓋し、本件の場合は代金の出捐者と買主とは異つており、金沢専務理事が代金支払と引換えに買主に交付さるべき廃業届を受領したと認める証拠がなく、また廃業届の日附を何日、誰が記入(誤記)したかも明かでないこと前記のとおりであるからである。
本件廃業届の授受に関する証拠関係は以上のとおりであつて、右廃業届が昭和三四年一二月中に各買主に交付されたと認めるに足る資料はないのである。却つて、記録を精査すれば、本件四七屯の取引について、各買主及び各買受屯数が確定され、それが磯野幸太郎に報告されて、同人の手元で前記「許可屯数操作表」が作成されたのが、昭和三五年三月中であつたと認められること前記のとおりであるから、特段の事情の認められない本件にあつては、前記廃業届が各買主に交付されたのもその頃であると推認するのが相当である。
四、本件四七屯の取引の実相は以上のとおりであつて、記録上右四七屯の各買主及び各買受屯数が昭和三四年一二月中に確定し、売主側に報告されたと認めるに足る資料はなく、同月中に各買主が買受屯数に応ずる代金を支払い、之と引換に丸大漁業名義の廃業届を取得したと認めるに足る証拠もないのである。従つて、同月中に仲介者間において代金(前金)の授受がなされ、売主においてその一部を受領したからと云つて、右四七屯につき同月中全鮭連所属の組合員と被告人大倉常策との間に本件売買契約が成立したと認定することのできないことは多言を要しないところである。そして右売買契約が昭和三四年一二月中に成立したと認められない以上、本件取引の本質を如何ように理解しようと、また同年一二月中に仲介者間において代金(前金)の授受がなされたとしても、その事だけで本件取引による売却益を昭和三四年事業年度の所得とすることの許される筈はないのである。
然るに、原判決は
(1) 本件取引における各買主及び各買主の買受屯数が確定されるに至つた経過及び確定した日時
(2) 各買主の氏名及び各買受屯数の確定を売主側に報告した日時
(3) 各買主が何日、如何なる方法で買受代金を支払い、売主の廃業届を受領したか(本件売買代金の出捐者と真の買主との清算関係及び本件廃業届授受の経緯)
等につき、何ら十分な審理を尽すことなく、本件四七屯の取引につき昭和三四年一二月中に売買契約が成立したものと独断し、該取引による売却益を以つて昭和三四年事業年度の所得であると判定しているのであつて、この点において原判決は明かに審理不尽の違法があり、且つ証拠によらず事実を認定した違法があると云わなければならない。
原判決並びに第一審判決は、本件四七屯の取引につき、故ら昭和三四年一二月中に売買契約が成立したものと認定しているに拘らず、各買主の氏名及び各買受屯数を判示していないのであるが、記録に現れた前記の如き本件取引の実相に照らせば、それは決して故なしとしないのである。証拠上、判示し得なかつたものと断じて誤りないと思料する。
右原判決の違法は、本件有罪無罪を決する重要な事項であるから、原判決は之を破棄しなければ、著しく正義に反するものと思料する。
附記 原判決は、磯野幸太郎が村山善蔵を介し全鮭連専務理事金沢幸雄から売買代金の支払を受けた都度、少くとも昭和三四年一二月中に、被告人大倉常策に対し本件売買契約の成立を報告した旨判示しているが、当時買主及び各買主の買受屯数は未だ確定しておらず、売買契約の成立ありとするに由なきことは前記のとおりである。しかも、右報告のあつたことは同被告人が第一、二審公判廷において終始一貫否認しているところであつて、仮りに若しかかる報告があつたとすれば、磯野と大倉との間にどの買主の買受屯数をいわゆる「頭屯数」とするかにつき当然打合せが行われるべき筋合であるにも拘らず、かかる打合せがあつたと認めるべき証拠はなく、却つてその後北海道漁業公社に売却された二九屯が頭屯数とされたことに徴すれば、それ以前に全鮭連所属の組合員との間に本件売買契約が成立し、その旨報告がなされたとすることは、吾人の経験則に反するものと云わざるを得ない。
第三点 原判決は、本件売却益金三、四〇〇万円につき、該益金から当然控除さるべき損金を控除することなく、右損金を算定計上することの不可能な昭和三四年事業年度の益金として之を計上し、本件逋脱税額を判定しているのであるが、右は明かに法人税法九条一項(改正前)の解釈適用を誤つている。
法人税法第九条第一項(改正前)は、「内国法人の各事業年度の所得は、各事業年度の総益金から総損金を控除した金額による」と規定し、右所得の概念及び基本的な計算方法については、これを補充する国税庁長官の解釈指針として通達第二四九号が明示されている。
ところで本件操業権については許可の要件として、船主経営者は指定された屯数の船舶、当該漁業用漁網、当該漁業用機械器具等を所有しなければならないのであるが、本件操業権を譲渡した場合、その船主経営者は結局廃業することになるのであるから、当該漁業に投入した船舶、漁網、機械器具等の利用価値を著しく失することは、一般営業権譲渡の比ではない。すなわち、継続事業を前提として評価され、計算された当該漁業用固定資産はもはやその価値を失い、清算価値による評価額以下に低落することは極めて明らかである。ところが、この継続事業としての評価額と清算価値としての評価額との差損は、現実に具体的な数額として算定計上することは事柄の性質上、短期間内に容易にできることではないのである。殊に本件事業は、被告会社らの共有に属する操業権に基くものであるから、右廃業によつて生ずる損益を、本件共有者間にいかに配分負担させるべきかは理論上極めて解決の困難な問題であり、従つて事実上も容易に決定し難いのである(操業権は共有であるが、単純にその持分に応じて損益を按分する訳には行かないからである)。
しかも、本件取引の効果として、売主の廃業と云う効果が現実に発生するのは、昭和三五年三月末日を以つてその操業権の有効期間が満了し、買主が三五年度の操業許可を得た時であることは第一点に詳述したとおりである。従つて、右廃業による損金の額が具体的に確定するのも右の時期である。さらに磯野幸太郎等本件取引の斡旋者に対する仲介手数料その他廃業に伴う諸処理費用の如きも右の時点に至るまでは確定的に決定することができないのが実情である。従つて本件取引の損益計算の可能となる日の属する事業年度は結局昭和三四年事業年度でないことはきわめて明瞭である。
されば、原審弁護人は、右の理由により本件売却益金は昭和三四年事業年度の所得として処理すべきでないと主張したのに対し、原判決は「廃業諸費用または廃業による損金は昭和三四年事業年度の収支として未払金勘定を起し、または、減価償却の方法によつて処理すべきである」と断定して、右主張を排斥している(九枚表)。しかし、前段説示のとおりこの時点では、廃業諸費用または廃業による損金の清算が事実上不可能であつたのであり、且つ現実に確定していなかつたものであるから、原判決の右の判示はその前提において誤りであることはいうまでもないところである。
ところで原判決は、右判示により明かなとおり「廃業諸費用または廃業による損金は昭和三四年事業年度の収支として……処理すべきである」と云うのであるが、本件逋脱税額の判定にあたつて、原判決は右損金につき少しも考慮を払うことなく、本件売却益金のみを同年度の所得に計上し、右損金を控除していないのは如何なる理由によるものであろうか。本件の場合の如く、昭和三四年中には廃業の効果は現実化せず、且つ廃業諸費用または廃業による損金を同年度の損金として申告期間内に処理することが事実上不可能な事案において、本件取引による売却益のみを損金と切離して同年度の所得として処理するが如きことは如何にも非常識であり、余りにも具体的妥当性を欠くものと云わなければならない(なお、本件の場合には買主が次年度許可を得られないときは、売却金は買主に返還しなければならないのである)。従つてかかる場合には売却益も亦損益計算の可能となる日の属する事業年度の所得として処理すべきものと解するのが相当である。さればこそ、被告人大倉常策が本件売却益を昭和三五年事業年度の所得として処理すべきものと信じていたことは、当然のことであるが、これは単に犯意の問題に止まらず、法人税法九条一項(改正前)の解釈適用の問題である。
原判決は、同法条の解釈適用を誤つた違法があり、これを破棄しなければ著しく正義に反すると思料する。
第四点 原判決が、本件売却益に対する法人税について、被告人に逋脱の故意ありと認定したことは、重大な事実の誤認である。
まづ第一に留意すべきは、云うまでもないことであるが、租税犯において、被告人に逋脱の故意ありとするためには、被告人において納税義務の存在を認識していたことを要件とすることである。資産売却益に対する法人税について云えば、その収益が法人税課税の対象となる収益であることを認識するのみならず、その収益が当該事業年度の収益に属することを認識していなければならない。すなわち、その収益の益金性を認識することを要するのみならず、損益帰属時期についても認識あることを要するのである。所得の益金性及び非損金性に関する錯誤並びに損益帰属時期に関する錯誤は、法律の不知ではなく、犯罪構成要件たる事実に関する錯誤として犯意を阻却するものであることは、学説判例のみとめるところである。
大阪高裁昭和二六・四・二八刑八判決(刑資九三号八二頁)
横浜地裁昭和二五・五・四判決(刑資五四号一四四頁)
東京地裁昭和三四・一〇・一〇刑一八判決
なお非刑罰法規の錯誤が犯意を阻却する事例として、
最高裁昭和二六・七・一〇判決(刑集五巻一四一一頁)
同昭和二六・八・七判決(刑集五巻一七九〇頁)
河村澄夫「税法違反事件の研究」(司法研究四輯八号五六頁以下)
同「租税犯における責任」(税法学五二号一九頁以下)
木村亀二 刑法総論(法律学全集)二一八頁
本件において、仮りに本件取引による売却益が原判示のごとく、昭和三四年事業年度に属するとしても(同年度に属すると解すべき何らの根拠もないことは第一点乃至第三点において縷述したところであるけれども――しばらく仮定を前提として)被告人大倉常策において、当時果してこのことを認識していたのであろうか。
同被告人は終始、右益金について昭和三五年度の益金に属するものと信じていたから同年度において申告するつもりであつたと述べている。
ここで留意しなければならないことは、被告人がこの点について認識があつたかどうかは、確定申告を為すべき時期――すなわち昭和三四年一二月から翌三五年二月頃までの間――における被告人の認識を基準としなければならないことである。被告人はその後三五年一二月国税局の査察を受けたときに査察の係官からこれは三四年度の収益に属する旨告げられて左様に思つたと述べているけれども、かかる認識の変更は本件逋脱犯の成否に消長を及ぼすものでないことは勿論である。
若し本件収益が三四年度に属するという原判決の解釈が正しいと仮定すれば、これを次年度の収益と考えていた被告人にはこの点について――すなわち損益帰属の時期について錯誤があつたものと云わなければならない。
ただ、被告人は本件売却益の一部(北海道漁業公社に売却した分)についてはこれを三四年度の収益として確定申告し、その他の分についてはこれを申告しなかつたことも事実である。しかし、これは被告人においては本件収益の帰属年度について明確な認識がなかつたために招来された過誤であることは後記のとおりであつて、むしろ本税逋脱の犯意がなかつたことを裏書するものである。
本件売却益の基礎たるいわゆる「操業権」の売買の本質については、第一審以来、検察官、弁護人、第一審裁判所及び原審裁判所において、それぞれこれが解釈、意見を異にして来たことは顕著であり、その本質を究明するには法律解釈上幾多の疑義難問の伏在することは既に第一点において説述したところである。そして、この本質の解釈いかんによつて、その売買から生ずる売却益がいづれの事業年度に属するかの点に影響することは、また第一点においてつぶさに攻究したところである。おそらく税法上、税務取扱上、本件のごときは最も難解に属する問題と想像される。現に第一審証人渡辺渡(国税局事務官)の証言からみても、その言うところ極めて曖昧であつて、税務当局においても確たる見解はもたなかつた、本件告発も暗中模策の域を脱していない、むしろいわゆるテストケースとして告発が提起されたかに思われるのが実情である。
第一審検察官は論告において、これを三四年度収益とみるべき税務慣行がある旨述べているけれども、かかる慣行の存在は立証されていない。却つて右証人渡辺渡の証言によれば本件のごとき事例は当時極めて稀有であつたことを知ることができる。すなわち同証人は、「漁業権」(いわゆる操業権のこと)が実際の申告に表われて来たケースについては二三事例を聞いている。この売買に関する告発事件は関東信越税務局としては今回が初めであり、「漁業権」の売買は私の知れる限り新潟県では初めてであると証言している(記録一一四八丁)。検察官主張の税務慣行のごときは到底みとめられない。
かような法律上、幾多の疑義難問を含む収益帰属時期の問題について、法律知識に暗い被告人がハツキリした認識を持たなかつたのは常識上当然である。すべては次年度の許可にかかるわけであり、全鮭連所属の組合員に対する売却益については特に後記の如き未確定の事項が含まれていたので漠然これを次年度に属するものと思つていたとする被告人の認識は、法律の素人としてもつともである。誰れが考えても、まことに無理からぬ考えというの外はない。即ち被告人のこの点に関する錯誤は客観的にも合理性あるものと判断せざるを得ないのである(そして、被告人のこの考え方が結局において、法律的にも正当であつたことに帰属することは、第一点乃至第三点において述べたとおりである)。
ところで、本件法人税については被告人大倉常策に逋脱の故意がなかつたとの控訴趣意に対し、原判決は
(1) 被告人が本件操業権を取得した際、農林大臣の許可前の日時にこれを資産として被告会社の帖簿に処理記帖したこと
(2) 北海道漁業公社に売却した二九屯の代金二、〇〇〇万円につき、被告会社の経理係をしてこれを公表帳簿に記帖させ、且つ右代金で本件操業権全部が売却され売却益金があつた旨経理させたこと
(3) 全鮭連より受取つた代金三、四〇〇万円については、磯野から入金の都度、少くとも昭和三四年一二月中に報告を受け、また同月中に代金の一部を受領し乍らこれを簿外処理したこと
を綜合すれば、被告人大倉が本件売却益を昭和三四年度の所得であることを認識していたことを認めることができるとして、之を排斥している。
しかし乍ら、北海道漁業公社に売却した二九屯分については、契約書も作成され、買主及び売買屯数その他契約内容が明確にされており、しかも右二九屯はいわゆる頭屯数として処分したものであるので、被告人としては別段深く考えることもなく、右代金をその侭記帖せしめ、本件操業権全部が売却されたものとして経理させた訳である。しかし、第一点に詳論したとおり右取引による売却益金を昭和三四年事業年度の所得として確定申告したことは、本件操業権を取得した際之を資産として直ちに処理記帖したことと共に、税務取扱上の過誤によるものであると云わなければならない。殊にこの二九屯については、之を頭屯数として処分したものである以上、売主は次年度において当然廃業することになるのであるから、右売却益金に対応する廃業諸費用または廃業による損金を益金から控除すべきものなるところ、被告人は当時損金額の確定ができなかつたこともあつて、これら損金は全鮭連所属の組合員に対し売却することになつた補充屯数の売却金から控除すれば足りると考え、頭屯数の売却金二、〇〇〇万円をその侭昭和三四年度の収入として記帖経理させているのであつて、この点においても被告人が税務に不慣れであつたことが肯認される訳である。
原判決は「廃業諸費用または廃業による損金は昭和三四年事業年度の収支として未払勘定を起し、または減価償却の方法によつて処理すべきである」と判示しているが、当時損金額が未確定であつた本件の場合、昭和三四年度の収支として如何に処理することができたであろうか、右判示は明かに失当である。
右頭屯数の売却の場合と異なり、全鮭連所属の組合員に売却することになつた補充屯数四七屯分については、当時その買主も、各買主の買受屯数も確定しておらず、明かにされていなかつたことは第二点において詳述したとおりであり、被告人は売却代金額すら明確には知らされていなかつたのである。原判決は磯野が全鮭連から代金を受取つた都度、契約の成立と代金受領の事実を被告人に報告した旨判示しているが、かかる事実の認められないことは第二点附記において指摘したとおりである。従つて、被告人としては右補充屯数の売却については、いずれ次年度許可の際にその内容が明確になることでもあるし、当時不明確であつた廃業諸費用または廃業による損金の額の確定(次年度許可があるまでは、現実の確定はあり得ないことにつき、第一点参照)と相まつて清算し、昭和三五年事業年度の収支として処理すれば良いものと考えていにすぎないのである。
右のとおり、全鮭連所属の組合員に対し補充屯数四七屯を売却した場合は、被告人が本件操業権を取得した場合や北海道漁業公社に頭屯数二九屯を売却した場合とは、契約締結事情の相異、契約自体の成否、並びに損金控除の要否など諸般の事情を異にしているのであるから、被告人が各場合の損益帰属の時期につき、別異の取扱をしたとしても、それは税務に暗い被告人として寔に無理からぬところであつて、この一事を以つて逋脱の意思を想定するのは失当である。
原判決は、補充屯数の売却代金三、四〇〇万円について、之を公表帖簿に記帖しなかつたことを特に指摘するけれども、これとても損金控除の清算が判明するまでの一時的処理にすぎなかつたのである(弁護人林隆行の控訴趣意書第一の二の(2)参照)。
以上の次第であるから、原判決の指摘する事実から直ちに、被告人において本件益金が三四年度に属することを認識し、しかもこれを逋脱する意思があつたと推認することは独断である。脱税犯について表面的な外形事実の存在のみから安易に逋脱の故意を推認することの許されないことは幾多の判例の教えるところである。
河村澄夫「租税犯における責任」(税法学五一号七頁以下参照)
殊に本件の如き事案における損益帰属時期の問題は、素人としてわからないのがほんとうである。かかる前提のもとに脱税の刑事責任を問わんとするは行き過ぎの甚しいものである。殊に本件は被告人としてはじめての経験であり、当時の業界としても、税務当局としても稀有の事例であつたことは前記証人渡辺渡の証言するとおりであり、未だ経済上確立された原則もなく、承認された税務慣行も認められない案件にあつて、いわゆる概括的故意ないし未必の故意の理論から逋脱の故意を推測する余地のないこともあきらかである。
これを要するに本件においては、被告人が当時本件収益が税法上昭和三四年事業年度に属することを認識していたという事実はこれを認むるに足る証拠はなく、従つて、被告人に逋脱の故意のあつたことは到底之を認めることができないにも拘らず、原判決は前記の如き論法を以つて、被告人に本件法人税逋脱の故意があつたものと認定している。これは明かに証拠の取捨判断を誤り、重大な事実の誤認を犯したものであつて、原判決は之を破棄しなければ著しく正義に反するものと思料する。 以上