最高裁判所第一小法廷 平成元年(し)121号 決定 1990年10月24日
主文
本件抗告を棄却する。
理由
本件抗告の趣意は、憲法違反、判例違反をいう点を含め、実質は単なる法令違反、事実誤認の主張であって、少年法三五条一項の抗告理由に当たらない。
なお、捜査機関は、少年の被疑事件を家庭裁判所に送致した後においても補充捜査をすることができ、家庭裁判所は、事実調査のため、捜査機関に対し、右捜査権限の発動を促し、又は少年法一六条の規定に基づいて補充捜査を求めることができると解すべきである。
よって、少年審判規則五三条一項、五四条、五〇条により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。
(裁判長裁判官 角田禮治郎 裁判官 大内恒夫 裁判官 四ツ谷巖 裁判官 大堀誠一 裁判官 橋元四郎平)
別紙 再抗告申立書
少年 甲野一郎
右付添人弁護士 平田広志
同 石渡一史
同 古屋勇一
申立の趣旨
一、原決定を取り消す。
二、福岡家庭裁判所が、一九八九年二月二七日、少年に対してなした保護観察決定を取り消す。
三、本件を福岡家庭裁判所に差し戻す。
との決定を求める。
申立の理由
原決定には、憲法に違反し、若しくは憲法の解釈に誤りがあり、又は、最高裁判所若しくは控訴裁判所である高等裁判所の判例と相反する判断をしており、且つ少年法三二条所定の事由がありこれを取消さなければ著しく正義に反するものがあるので再抗告する。
尚、少年法三二条所定の事由(決定に影響を及ぼす重大な法令違反や決定に影響を及ぼす重大な事実誤認等)があって、これを取消さなければ著しく正義に反する場合と認められる場合には再抗告できるとするのが最高裁判所の判例である(昭和五八年九月五日決定。判時一〇九一-三)。
以下、詳述する。
第一章原審及び原々審決定の憲法三一、三七、一三、二六条違反と最高裁の判例違反
一 少年事件における捜査と非行事実の認定手続
1 検察官の証拠送付義務と家裁送致後の調査の主体について
(一) 検察官の証拠送付義務について
検察庁は、捜査を遂げた結果犯罪の嫌疑の認められる事件は、例外なく家庭裁判所に送致しなければならない(少年法四二条)。この場合において、検察官は「書類、証拠物その他参考となる資料があるときはあわせて送付しなければならない」(少年審判規則八条二項)と定められており、検察官の記録送付権限について右以外に定められていない。
従って、検察官は、家庭裁判所に事件送致の際にあわせて(同時に)記録等を、全部送付しなければならない義務がある。事件送致以後は捜査にタッチすることは原則として出来ない。
なぜなら、第一に、少年法四二条(捜査を遂げた結果とある)の規定により、検察官は、捜査が終了するまで、事件を送致できないから、本来、家庭裁判所送致の段階で、証拠は整っているはずだからである。
第二に、家庭裁判所送致により、事件は保護事件となって、刑事手続であった検察官の手から完全に離れる構造になっており、それ以後、検察官は全く関与できないからであり、以後の必要な捜査は後述するように家庭裁判所が主体になる構造になっているからである。
第三に、後述するように右規則八二条二項の存在等の理由で、家庭裁判所が公平な判断者として、送付された記録のみで非行事実の存在について確信をえられない場合には、家庭裁判所自らが積極的に証拠調べする必要はないとされているが、この点からみても検察官は事件送致段階で全記録を送致する義務を有するといえる。
(二) 家裁送致後の調査の主体
家庭裁判所送致後、非行事実認定をするのに証拠上問題がある場合があるが、真実発見のため必要とあれば証拠調べも出来るし(法一四条、一五条等)、調査が必要な場合は自ら行うべきである。この場合補充的に警察官等に援助させることが出来るが(法一六条等により出来ると解する余地がある)、調査の主体はあくまで裁判所である。しかし、それは後述するようにあくまで少年の利益のためになされるべきである。
(三) 憲法上の根拠
以上一、二のことは、憲法三一条、三七条(公平な裁判を受ける権利)、一三条、二六条(少年法の憲法上の根拠は、以上にある)から直接認められる。
従って、家裁(抗告裁判所も含む)は、検察官が記録を全部送付していないことが判明した以上、その送付を命じる義務がある。その義務を尽くさないのは、以上に挙げた憲法の各条項に違反する。
また、捜査機関は、家裁送致後は捜査ができないので、右捜査に基づく証拠を裁判所は受理できないし、受理した場合は憲法の右各条項に違反する。
(四) 家裁送致後の検察官の捜査権限
なお、家庭裁判所へ事件送致後、検察官は、右審理に必要な限度で、なお捜査権限があるという説もあるが、この説は事件が裁判所に係属している以上、検察官は独自の判断で捜査することは許されず、あらかじめ裁判所の許可を受ける必要があるとする(小川正持「少年保護事件における職権証拠調べ」家月三七・七・一)。
従って、捜査機関は事件送致以後、裁判所の要請がない以上、少なくとも裁判所の許可を得ていない以上、捜査や記録等の送付は出来ない。それゆえ、裁判所も右の捜査に基づく証拠の送付を受け入れることは出来ず、受け入れた場合は、法令違反であるばかりか、前記憲法三一条、三七条、一三条、二六条に違反する。
2 裁判所の証拠調べ義務の範囲等について
(一) はじめに
ところで家庭裁判所(抗告審も含む。以下同じ)が、自ら調査や証拠調べが出来るといっても、何でも可能というわけではない。家庭裁判所は実体的真実の発見と共に、少年への人権保障への配慮から、適正な審判と、少年の利益のために公平な審判が要求されるからである。このことはそもそも、少年審判制度が少年の「利益」の為に特別の制度として刑事裁判制度と異なって作られたものである以上当然のことである。だからといって、憲法上の(被告人の)権利を有するものではないとは言えない。少年の利益を害さない範囲で、憲法上の(被告人の)権利を有することは当然である。少年であるからより配慮、保護されることはあっても、憲法上の基本的人権を制限されることがあってはならない。従って、適正手続(憲法三一条)、反対尋問権の確保(憲法三七条二項)公平な裁判を受ける権利(同一項)不利益供述強要等の禁止(同三八条)等の権利を有する。
最高裁判所はこの点に関連して、昭和五八年一〇月二六日、「少年保護事件における非行事実の認定にあたっては、少年の人権に対する配慮を欠かせないものであって、非行事実の認定に関する証拠調べの範囲・限度・方法の決定も…家庭裁判所の合理的裁量に委ねた趣旨と解すべきである」と決定した(流山中央高校事件。判時一〇九四)が、この決定は以上のことを述べているのである。
この問題を本件に関連していうと、イ、少年に不利な方向での証拠調べは出来るか、ロ、裁判所はどういう場合に反対尋問権を与える証拠調べをしなければならないか、ハ、裁判所は少年のため有利な証拠を積極的に調べなければならないか、という三つの論点がある。
(二) 少年に不利な証拠調べの可否
まずイについてである。反対論もあるが、次の見解が通説であって正しい。即ち、「少年審判においては、非行事実の存在に関する証拠(少年に不利な証拠)は、少なくとも警察などの捜査機関からの送致に関する限り、送致の際にあわせて送付されているべきであり(規則八条二項。なお、法四一条、四二条参照)、家庭裁判所は、公正な判断者としての中立な立場から裁判という形で公権的な判断を示すものであるから、送付された資料のみでは非行事実の存在についての確信が得られない場合には、家庭裁判所としては、原則として自ら積極的に少年に不利な証拠を収集する義務はな…」いのである(内園他「少年保護事件における非行事実の認定に関する証拠調べの範囲、限度及び方法」家月三六・二・一四九)(長島孝太郎「少年審判における職権証拠調べの範囲と制度」家庭裁判所論集三五一頁。三井明「否認事件の審判手続について」家庭裁判所の諸問題、下巻一三四頁等)。
右は証拠調べ義務がないといっているが、その全趣旨からみて、この場合、証拠調べをしてはならないと解すべきである(上記であげた三井論文では「証拠調べは少年の主張を真否を一応確かめる程度にとどめるべきであり…主張に不利な証拠を収集して、非行事実を認定するならば、正しく糾問手続の非難に値すべく、またその弊を免れないであろう」とする。他の論文も同旨である)。少年の防禦体制の不充分な少年事件の捜査の実態と、起訴状一本主義や証拠法則もなく、送付記録を全部裁判所が見るという構造からみて、審判手続においては、少年の人権保障、公正性がより強く求められるところから、このように解されるべきである。
それ故、裁判所は、少年に不利な方向で証拠調べは出来ないし、証拠の送付請求もできない。この点について、本件では少年に不利な証拠ばかり、それも裁判所の要請も許可もなく違法に捜査され違法に送付されているが、この点は後に詳述する。
尚、右説に反対し、少年に不利な証拠調べも出来るとする説もあるが、この説とて、少年が争う時は、次に述べる、証人尋問をし、反対尋問権を必ず保障しなければならないとする(小川前掲書)。
右のような見解を考えると、少年に不利な証拠を収集しないという裁判所の義務は、少年の反対尋問権とパラレルの問題であり、少年の右反対尋問権という憲法上の権利から来ていることが認められる。よって、少年の不利な証拠を収集しないという裁判所の義務は少年の憲法三一条、三七条一、二項の権利により認められるから、これに反した手続は右憲法の各条項に違反する。
(三) 反対尋問権を行使させなければならない場合
次に、ロの点である。これは先に掲げた最高裁判所の判例そのものである。一般的には、裁判所が直接調べることによって非行事実の存在について合理的疑いをいれる可能性があると客観的に認められる場合に裁判所に証拠調べ義務が出てくるといわれている(内園他「少年保護事件における非行事実の認定に関する証拠調べの範囲、限度及び方法」家月三六・二・一四九所収他)。
しかし、少年が供述書面等書面等を争う以上、原則として全て証人尋問する義務があるという説も多々ある(小川前掲書。少なくとも弁解の機会を与えるべきとするものに「新版少年法『第二版』ポケット注釈全書」二〇八頁)。
少年審判には伝聞法則がないと一般に言われているが、少年が争っている以上、少年に不利な証拠に関しては、憲法三七条二項で定められた反対尋問権を行使させなければならないと言うべきである。少なくとも行使させない以上少年に不利に採用してはならない。
(四) 少年に有利な証拠を収集する義務
さらに、ハ、少年審判においては、少年が未成熟で、防禦能力が不充分であることを考慮して、裁判所は少年の弁解を充分に聴取し、少年に不利な証拠は充分反論し得るように考慮し、少年に有利な証拠を看過していないか等についても検討し、有利な証拠が存在するにも拘らず捜査機関より送付されてなければその送付を求め、あるいは証拠調べする等少年に対して公平な審判を心がける義務を有する。少年審判では予断排除の法則の適用がなく捜査機関から送付されるものは全て裁判所の目に触れるから、その義務には強いものがあるが、これは、憲法三一条、三七条一項の公平な裁判を受ける権利から直接認められることである。
(五) 以下、右に述べた点について、それぞれの違反を述べる。
(1) 原審及び原々審には、少年らの主張に沿った調査の懈怠がある。
本件は家裁に送致された当初から、果たして少年が本件犯行を犯すことが時間的に可能であるかということが、重要な争点となっていた。従って、少年宅から現場までの所要時間、被害者がバスを降りてから犯行現場に至るまでの所要時間について検証により確認することが不可欠といえる事件であった。にも拘らず、原審、原々審ともかかる作業を行わないまま、少年の有罪を認定した。
また、被害者がバスを降りた時刻の特定は、一一〇番通報の時間と共に、本件における数少ない客観的証拠であり、また被害者が内野陽光台行きのバスに乗り早良営業所のバス停で降りたと述べていることからすれば、附添人が行ったようなタコチャート等によるバス到着時刻の確定は簡単にして不可欠な作業であったということができる。にも拘らず、原審、原々審ともかかる作業を行わないままに、少年の有罪を認定した。
(2) 捜査報告書の無批判な採用について
原決定の大きな特徴の一つは捜査報告書の無批判な採用にある。
原々審において捜査機関より審判開始後に送られてきた捜査報告書は、相当数に上っている。そればかりでなく、少年が否認に転ずるや、一一月二五日付「被疑者逮捕時の状況に関する報告書」(安武正勝作成)において、ただちに少年の自白の状況が自然であったことを書いて送付したり、また、実際は後に作成したにも拘らず、一〇月二九日付「強姦未遂事件発生報告書」(手島光芳作成)において、事件当時手島が会った少年が、被害者の述べる犯人像に、黒子が左頬にあった点も含めて酷似していたかのごとき報告書を作成したり、あるいは、一一月二三日付捜査報告書(西嶋庸夫・徳田哲郎作成)において、一一月八日付実況検分調書と距離が明らかに異なる、少年宅から犯行現場までの距離及び所要時間の報告書を送ってきている。これらはいずれも、少年を有罪とする方向の証拠であるから、本来、採用することが許されないものであり、採用する場合にも附添人の反対尋問を経るなど、慎重な対応が要請されるにも拘らず、原々審はこれらの捜査報告書をそのまま採用しているのである。
従って、原々決定には憲法三一条、三七条二項、前記流山中央高校事件に関する最高裁判所判例違反がある。
尚、前述のように、少年に不利な証拠についても裁判所は証拠調べ出来るとする見解もあるが、この見解の場合、少年が、少年に不利な書面を争った場合には、原供述者を喚問して反対尋問にさらし、その信用性を直接裁判所が吟味する義務があるとする(小山正持「少年保護事件における職権証拠調べ」家月三七・七・一)。従って、この見解によっても裁判所は原供述者を直接喚問して証拠調べする義務があったものである。
(3) 少年には、実質的な反対尋問の機会が保証されていない。
乙川春子は、昭和六三年一一月二九日付員面調書六丁裏、及び同年一一月三〇日付検面調書において、少年が以前、白の無地のチャック式ジャンパーを着ているのを見たことがある旨証言している。しかし、原審第四回審判において、(答)「昨日検察庁で白いチャック式のジャンパーだったと話しましたが、その後良く考えたらジャンパーじゃないかもしれないと思えてきました」(証言四項)(答)「全部真っ白だったのは覚えていますが、スーツかジャンパーかは覚えていません」(一二項)、(問)「白いチャック式のジャンパーを着ていたのを見たことはないですか」(答)「ないと思います」(一九項)。
乙川春子の警察官に対する供述は、原々審第四回審判期日である昭和六三年一二月一日の前前日の一一月二九日、検察庁に対する供述は審判期日の前日になされている。ところで、この乙川春子の供述は原審において、少年が白い無地のジャンパーを着ていたことを示す唯一の証拠として使用されているのであるが、少年が無地の白いジャンパーを着ていたかどうかは、少年と犯人の同一性の判断において最も重要な事項である。そうだとすると、この供述調書の採用は、まず家庭裁判所が少年に不利な証拠調をすべきでないという原則に反する。そればかりでなく、仮に反対尋問権の保障のもとに、少年に不利な証拠の取り調べ自体は許すとしても、<1>審判廷で、証人は附添人と会ったこともないのに(二七項)、調書での供述を否定してること、<2>捜査機関は、有罪の観点で証拠収集を行ってきていることに照らせば、反対尋問のなされていない員面調書・検面調書を採用したことは、附添人の反対尋問権を実質的に奪ってしまうものといわざるを得ない。
二 原原決定及び原決定の採証法則違反
原原決定及び原決定は、いずれも少年の自白被害者の供述のみを評価し、物証は全く無視しているがこれは、採証法則違反であり、憲法三一条、三八条に違反し、最高裁判所昭和五七年一月二八日判決(鹿児島夫婦殺人事件。判時一〇二九-二七)に違反する。
近代裁判では自白や供述証拠の証拠価値は低く、まずなにより物証が評価され、自白や供述証拠の検討の前に物証が検討される。ところが、原原決定も原決定も、いずれも、自白や供述証拠をまず評価してから物証を検討しているので物証が全く評価されない。
即ち、本件においては、被害者が脅迫されたナイフ、犯人より持ち去られたパンティという重要な物証のいずれもが発見されていない。また、被害者の犯人が着ていたと証言するジャンパー、ズボンは、いずれも少年が事件当日、着ていたものと異なり、少年が犯人でないことを示している。にもかかわらず、原審及び原原審は供述証拠の中でも危険とされている被害者の目撃証言を無条件に信頼して少年の有罪を認定している。
また、少年が自宅を出るときに放映されていたというドラマのシーンは、少年が自宅を出た時刻が、原審及び原原審が認定する時刻より後の時刻であることを示している。また、被害者の内野陽光台行きのバスが早良営業所に到着した時刻は、タコチャートにより明白である。一一〇番通報の時刻が間違いないものであることも疑いをいれない。そして、この三点と少年宅から、早良営業所バス停まで、及び早良営業所から犯行現場までの距離が客観的証拠といえるものである。にも拘らず、原審及び原原審は、これらの客観的証拠ではなく、被害者の供述を初めとする、供述証拠に依拠して、少年が犯行を行う時間的可能性についての議論を組み立てているのである。
なお、可能性がないことの立証は悪魔の証明であり、そもそも挙証責任の一切ない刑事、少年事件において、少年側に挙証責任をおしつける極めて問題のあるものであり、前記各憲法条項、前記五七年鹿児島夫婦殺人事件に関する最高裁判所の判例の趣旨にも反する。
原決定は、その他の点についても可能性があるとして、少年に不利益に判断しているが、これも、可能性の存在を否定する証明を少年がしないかぎり、不利益に認定するということで、挙証責任を少年側に課している。
よって、原原決定及び原決定は先ず、物証を評価し、その後に自白や供述証拠を評価するという採証法則及び挙証責任についての採証法則を誤ったが、これは前記のとおり、憲法各条項、前記鹿児島夫婦殺人事件に関する最高裁判所判例に反するものである。