最高裁判所第一小法廷 平成元年(オ)649号 判決 1993年3月25日
上告人
日本曹達株式会社
右代表者代表取締役
三宮武夫
上告人
日曹商事株式会社
右代表者代表取締役
花崎健
右両名訴訟代理人弁護士
横地秋二
大塚利彦
大野正男
吉川精一
被上告人
旧商号ユーゴリニヤ
クロアチア・ライン
右代表者代表取締役
ダリオ・ビューキイック
右訴訟代理人弁護士
窪田健夫
主文
原判決中上告人ら敗訴部分を破棄し、第一審判決中右部分を取り消す。
前項の部分に関する被上告人の請求を棄却する。
訴訟の総費用は被上告人の負担とする。
理由
上告代理人横地秋二、同大塚利彦、同大野正男、同吉川精一の上告理由第一点について
一原審の適法に確定した事実関係は、次のとおりである。
1 リベリア船籍の貨物船マーゴ号(総トン数八九五一トン)は、インド洋を航行中、昭和四八年七月九日午後二時五分ころその一番船倉で火災が発生し、同日午後二時四〇分ころ右船倉で爆発が起こったため、南アフリカ共和国のダーバン港に避難したが、同港において、同月一一日午後九時五分ころ及び同月一四日午前九時以降更に数度にわたり、右船倉で火災が発生し爆発が起こった(以下、右一連の火災と爆発を総称して「本件事故」という。)。本件事故により、マーゴ号の船体は損傷し、その積荷にも被害が生じた。
2(一) 被上告人は、船舶による物品の海上運送を主たる事業とする会社であり、昭和四八年四月一七日、パナビエロ・エス・エイとの間で、その所有に係るマーゴ号についての定期傭船契約を締結し、同年五月一七日に横浜港でマーゴ号の引渡しを受けて、本件事故当時、マーゴ号を貨物運送のために航行させていた。
(二) 上告人日本曹達株式会社(以下「上告人日本曹達」という。)は、化学製品の製造、販売を目的とする会社であり、本件事故当時、マーゴ号の一番船倉には、上告人日本曹達が製造、販売した六〇パーセント高度さらし粉(以下「本件高度さらし粉」という。)が積載されていた。
(三) 上告人日曹商事株式会社(以下「上告人日曹商事」という。)は、上告人日本曹達の一〇〇パーセント出資により設立され、上告人日本曹達が製造した化学製品等の販売を目的とする会社であり、昭和四八年五月ころ、本件高度さらし粉をテナント・トレーディングに販売した。
(四) テナント・トレーディングは、昭和四八年五月ころ、被上告人に対し、本件高度さらし粉の海上運送を依頼した。
3 被上告人は、昭和四八年五月一九日、横浜港において、マーゴ号に関し被上告人を代表する積荷監督デイミニックの監督の下で、マーゴ号の一番船倉の下部船倉に、まずヒノザン乳剤を収納した大型鋼製ドラム缶(二〇〇リットル入り)六六缶(総重量約43.7トン)を二段と一段に積み付け、次いで、右一段積みヒノザンドラム缶の上に本件高度さらし粉を収納した鋼製ドラム缶(五〇キログラム入り)四四五缶(総重量約24.5トン)をおおむね三段に積み付け、さらに、その上にヒノザン乳剤を収納した小型鋼製ドラム缶(二〇リットル入り)四六缶を一梱包として木製の枠で組んだ木枠組一〇組(総重量約一〇トン)を積み、それらの周囲には、透き間をふさぐ形でチューブ入りタイヤ一七五六本(総重量87.8トン)を積み付け、本件高度さらし粉とヒノザン乳剤の鋼製ドラム缶及び木枠組を鋼製ワイヤー・ロープで縛るなどして固定した。
4 本件事故は、荒天などの影響により、ヒノザン乳剤がドラム缶から漏れて本件高度さらし粉のドラム缶内に浸入し、又はヒノザン乳剤と本件高度さらし粉の双方がドラム缶から漏れて混触し、発火して付近に積まれていたタイヤに延焼し、二酸化炭素の注入により火災は一旦鎮静化したが、その後、タイヤに残存していた火種が新鮮な空気に触れて発火し、その熱により本件高度さらし粉が急激に組織分解して爆発的な燃焼を引き起こしたことによるものである。したがって、本件高度さらし粉が本件事故全体の原因というべきである。
5 高度さらし粉は、次亜塩素酸カルシウムを有効成分とし、その余の成分として塩化ナトリウム、塩化カルシウム、アルカリ類及びごく僅かな水分を含む化学薬品であり、常温でも緩慢な自然分解を続け、酸素を放出し熱を発生させるが、特に水分を吸収したとき、酸・有機物・還元性物質が混入したとき、加熱されたとき、強い衝撃を受けたときなどには、急激に組織分解を起こし、その放出する酸素と熱のために可燃物と共に爆発的に燃焼する性質を有している。また、ヒノザンは病害虫防除を目的とした農薬であり、マーゴ号に積まれていたヒノザン乳剤(有機溶剤のキシレンを約四〇パーセント含む五〇パーセントヒノザン)には自然発火の危険性はほとんどないが、これに含まれる揮発性成分のキシレンは、その引火点が摂氏二五度前後で、後記イムココードでは危険物の一つとして引火性液体のうち高引火点グループに位置づけられ、一般的にもその保管には火気厳禁とされている。
そして、本件事故発生当時、(1) 我が国の危険物船舶運送及び貯蔵規則(昭和三二年八月二〇日運輸省令第三〇号。以下「省令第三〇号」という。)では、高度さらし粉は「水又は空気と作用して危険となる物質」に分類され、船倉内に積み付けるときには上積みとし、その上部に他の積荷を積んではならない旨積載方法が規定され、(2) 国際危険物海上運送規則(国際機関である政府間海事諮問機関が作成した危険物海上輸送のモデル法規。以下「イムココード」という。)では、高度さらし粉は「酸化性物質」(容易に酸素を遊離し、他の物質の燃焼を刺激し、その火勢を増大させるおそれのある物質)に分類され、引火性液体等との隔離を初めとする積付け上の注意事項が詳細に規定され、(3) 危険物船舶運送の手引として国際的に権威のある英国の危険物船舶運送取扱要領青本(以下「ブルーブック」という。)も、酸化性物質と引火性液体との隔離積付けを指示していた。
6 ところで、マーゴ号に関し被上告人を代表する積荷監督デイミニックは、本件高度さらし粉のマーゴ号への積付けの際に、荷送人テナント・トレーディングの代理人ジャパン・エキスプレスから、「当該貨物(晒粉)は有機還元剤(油、カーボン、硫黄など)に接触させてはならない。」旨が記載されている危険物・有害物事前連絡表(以下「連絡表」という。)の交付を受け、被上告人の船舶代理店の訴外南海物産からも、さらし粉に関する注意として「強力な酸化剤。可燃性物質と接触すると急激な燃焼が起こる。」旨の注意事項が記載されている化学辞典の頁の写し(以下「化学辞典」という。)の交付を受けていた。そこで、同人は、本件高度さらし粉のマーゴ号への積付け当時、テナント・トレーディングから依頼された運送品が高度さらし粉であること及び酸化剤である本件高度さらし粉が発火の危険性を有することは認識していたが、科学的知識がなく、高度さらし粉を船積みした経験もなかったため、他の原因で火災が生じ加熱されたときに危険があるものと理解して、水や火のない場所に積み付ける必要を感じたに止まった。なお、本件高度さらし粉が積み付けられた当時、マーゴ号には、イムココード及びブルーブックが備え付けられていた。
また、上告人日本曹達は、原則として、工場からの出荷の段階で、高度さらし粉缶に危険物であることを標示するものとして、(1) 製品ラベル(<書証番号略>)、(2) 「水とあって危険」との日本語及び英語の注意ラベル(<書証番号略>)、(3) 「火気、熱、酸、グリース類、油、ボロ布、およびその他の可燃物と直接接触させないで下さい。」との日本語の注意ラベル(<書証番号略>)等の各ラベル(以下、右三種類のラベルを「各危険物標示ラベル」という。)を貼付することとし、各危険物標示ラベルが貼付されていない場合には、高度さらし粉缶の保管を担当していたジャパン・エキスプレスにおいて、これを補充して貼付するシステムが採られていた。そして、マーゴ号への積付け当時、本件高度さらし粉を収納した鋼製ドラム缶につき、各危険物標示ラベルが貼付されていなかった事実は認められない。
7 パナビエロ・エス・エイは「発火性又は危険性を有する貨物を船積みしないこと、これに反して船積みした貨物によりマーゴ号に生じた損害を賠償する」旨の定期傭船契約の約定に基づき、被上告人に対し、本件事故による損害賠償請求をし、昭和五二年六日一四日、ロンドンで、損害賠償金29万7843.09スターリングポンド及びこれに対する利息の支払を命じる仲裁裁定が下された。被上告人は、右仲裁裁定に従い、同日、右損害賠償金及び同日までの利息の合計36万9654.03スターリングポンド(同日の為替相場で、日本円にして合計一億七四一〇万七〇四八円相当)を支払った。
二原審は、右事実関係の下において、次の理由で、上告人らには、本件高度さらし粉の危険性の内容、程度及び適切な運搬、保管方法等の取扱上の注意事項をその流通関与者に対して周知させるべき義務に違反した過失があるとして、被上告人の上告人らに対する損害賠償請求を一部認容した。
1(一) 危険物を製造、販売する者は、その危険が現実化することを避けるために、その危険性の内容、程度及び適切な運搬、保管方法等の取扱上の注意事項をその流通関与者が容易に知り得るようにする義務、すなわち危険性及び取扱上の注意事項を周知させる義務を負うものと解すべきである。もっとも、一般人の知識水準に照らし、流通関与者が当然知っていなくてはならない事項については、周知させる義務の対象とはならないし、また、衡平上、現実に流通関与者が既にその危険性の内容、程度及び取扱上の注意事項を十分に知っている場合には、周知義務違反の責任は問われるべきではない。
(二) 本件高度さらし粉は、強力な酸化剤であって、不適切な取扱いによっては火気なしに爆発的な燃焼を生じて火災の原因になる危険性を有していたから、これを製造、販売した上告人日本曹達は、一般人が既にそれを知っていたといえない限り、その危険性の内容、程度及び運搬、保管方法等の取扱上の注意事項をその流通関与者に対して周知させるべき義務があったというべきである。
2(一) ところで、本件高度さらし粉がマーゴ号に積み付けられた昭和四八年五月当時、本件高度さらし粉輸出のための海上輸送の関与者の一般的認識において、本件高度さらし粉が、熱、有機物等との混触により急分解して発火し、ときに爆発的燃焼に至る事実はほとんど知られていなかった。
(二) また、被上告人の積荷監督デイミニックは、荷送人テナント・トレーディングから運送の依頼を受けた本件高度さらし粉が酸化剤であって、発火の危険性を有することは認識していたが、化学的知識がなく、高度さらし粉を船積みした経験もなかったため、他の原因で火災が生じ加熱されたときに危険があるものと理解して、水や火のない場所に積み付ける必要を感じたに止まるから、被上告人側が、本件高度さらし粉の危険性の内容、程度及び適切な取扱いのための注意事項を十分に認識していたとはいえない。もっとも、被上告人は、危険物としての本件高度さらし粉につき省令第三〇号に定める法令上の規制を遵守すべき義務があり、マーゴ号には、イムココード、ブルーブックが備え付けられ、被上告人側には連絡表及び化学辞典も交付されていたから、これらによって調査をすれば、本件高度さらし粉の危険性を具体的に知り、適切な積付けをし、あるいは危険物として積付けを拒否することにより、本件事故の発生を未然に防止することも可能であったとみることもできるが、これらの事実をもって、被上告人が本件高度さらし粉の危険性を知っていたのと同視することはできない。
(三) 以上によれば、上告人日本曹達は、流通関与者に対し、本件高度さらし粉の危険性の内容、程度及び運搬、保管方法等の取扱上の注意事項を周知させるべき義務を負っていたものというべきである。
3(一)ところが、上告人日本曹達は、高度さらし粉の危険性を知っていたし、その危険性に対する流通関与者の認識が低く不適切な取扱いがされている実情も知り又は知り得たのに、これを周知させる努力をほとんどしなかった。また、上告人日本曹達が、本件高度さらし粉の出荷に際し、各危険物標示ラベルを鋼製ドラム缶に貼付していたとしても、各危険物標示ラベルは危険性に対する注意喚起としては不十分なものであった。したがって、上告人日本曹達には、本件高度さらし粉に関する周知義務を尽くさなかった過失がある。
(二) また、上告人日曹商事は、前記のとおり、上告人日本曹達の一〇〇パーセント出資によって設立された会社で、本件高度さらし粉を荷送人テナント・トレーディングに販売したものであるから、危険物である本件高度さらし粉の危険性をその流通関与者に周知させる義務を負っていたものというべきであるところ、これを怠り、本件高度さらし粉に関する周知義務を尽くさなかった過失がある。
4 他方、海上物品運送業者である被上告人は、危険物を船積みするに際しては、その危険性の内容、程度及びその適切な積付け方法について調査すべき義務があり、また、危険物の運送の規制に関する法令を遵守すべき義務もある。しかるに、被上告人は、本件高度さらし粉が危険物であることを認識していながら、何らの調査もすることなく、漫然と酸化性物質である本件高度さらし粉と引火性液体のキシレンを含むヒノザン乳剤とを上下に重ね積み付けたものである。したがって、被上告人にも、危険物である本件高度さらし粉の危険性についての調査義務に違反し、結果的に法令にも違反する極めて不適切な積付けをした過失がある。以上の事情を総合的に考察すると、被上告人の損害につき、五割の割合による過失相殺をするのが相当である。
5 そこで、上告人らは、被上告人がパナビエロ・エス・エイに支払った損害賠償金の合計額一億七四一〇万七〇四八円の五割に相当する八七〇五万三五二四円及びこれに対する右支払の日である昭和五二年六月一四日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払う義務がある。
三しかしながら、原審の右判断は、これを是認することができない。その理由は、次のとおりである。
1 海上物品運送業者は、危険物であることを知りながら、これを運送する場合には、船舶及び積荷等の安全を確保するため、当該危険物の危険性の内容、程度及び運搬、保管方法等の取扱上の注意事項を調査し、適切な積付け等を実施して、事故の発生を未然に防止すべき注意義務を負っている。したがって、右の場合において、海上物品運送業者が、通常尽くすべき調査により、当該危険物の危険性の内容、程度及び取扱上の注意事項を知り得るときは、当該危険物の製造業者及び販売業者は、海上物品運送業者に対し、右の事項を告知する義務を負わないものというべきである。
2 これを本件についてみるに、前記事実関係によれば、海上物品運送業者である被上告人は、荷送人テナント・トレーディングから交付された連絡表等により、本件運送品が高度さらし粉であって、発火の危険性を有することを認識していた上、危険物海上輸送に関し国際的に権威のあるイムココード等を参照して調査することにより、その危険性の内容、程度及び取扱上の注意事項を容易に知り得たものというべきである。したがって、上告人らは、危険物の製造業者及び販売業者として、被上告人に対し、右の事項を告知する義務を負っていたということはできない。
四そうすると、右と異なる解釈の下に上告人らには被上告人に対して本件高度さらし粉の危険性の内容、程度及び取扱上の注意事項を周知させるべき注意義務を怠った過失があるとした原審の判断には、本件高度さらし粉の製造業者及び販売業者である上告人らの注意義務に関する法令の解釈適用を誤った違法があり、その違法が原判決の結論に影響を及ぼすことは明らかである。この趣旨をいう論旨は理由があり、他の上告理由について判断するまでもなく、原判決中上告人ら敗訴部分は破棄を免れない。そして、前記説示に徴すれば、被上告人の上告人らに対する本訴各請求はいずれも理由のないことが明らかであるから、第一審判決中右部分を取り消した上、右部分に関する被上告人の請求を棄却すべきである。
よって、民訴法四〇八条、三九六条、三八六条、九六条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官味村治 裁判官大堀誠一 裁判官橋元四郎平 裁判官小野幹雄 裁判官三好達)
上告代理人横地秋二、同大塚利彦、同大野正男、同吉川精一の上告理由
まえがき 本件事故原因の概要と上告理由の骨子
一 原判決の認定した事故原因と告知内容の概要
本件の火災の原因には幾多の疑問が存在するが、当審においては、原判決の事実認定を前提とし、それとの関連において過失責任に関する判断を争うものである。
(一) 原判決の認定する事故原因
被上告人の傭船するマーゴ号の一番船倉には、ドラム缶入りの高度さらし粉の上下にドラム缶入りの農薬ヒノザン(毒物でありかつ引火性液体であった)が積載されていたが、荒天の影響により船体が揺れてドラム缶の蓋が外れ、高度さらし粉が漏れたか又は液体が入る程度にドラム缶の蓋があき、その上下につまれたヒノザンの缶の蓋が外れ、ヒノザンが漏れた。そして両者が混触して反応し発火して第一次火災となった(原判決四五丁裏)。
酸化性物質たる高度さらし粉と、毒物であり引火性液体であるヒノザンは危険物海上輸送の国際法規であるブルーブック、イムコ・コードの何れにおいても混載禁止とされていた(六五丁裏)。又高度さらし粉缶の上に他の貨物を積むことはわが国の「危険物船舶運送及び貯蔵規則」(以下省令三〇号という)で禁止されていた(七一丁表)。
(二) 原判決の認定する本件船長、積荷監督に対してなされた告知の内容
1 本件高度さらし粉のドラムには「カルシウムハイポクライチ(六〇%高度さらし粉)」と英文で表示した製品ラベル(<書証番号略>)と「水とあって危険」との日本語及び英語の注意ラベル(<書証番号略>)と「火気、熱、酸、グリース類、油、ボロ布および可燃物と直接接触させないで下さい」との日本語注意ラベル(<書証番号略>)が貼ってあった事実を否定できない(六〇丁裏)。
2 マーゴ号に対しては、本件高度さらし粉の船積みに際し、荷送人から省令三〇号に基づく危険品、有害物事前連絡表(<書証番号略>)が交付されたが、それには「カルシウムハイポクロライチ・ブリーチングパウダー」という英文の化学名の他、「晒粉」という和文の化学名及び「有機還元剤(油・カーボン・硫黄など)に接触させてはならない」等と注意事項が記載されていた。又同じく船積みに際し被上告人の船舶代理店から英文の化学辞典のさらし粉についての記載の写しが交付されていたが、それには火災の注意として「可燃性物質との化学反応により普通」注意事項として「強力な酸化剤、可燃性物質と接触すると急激な燃焼がおこる」と記載されていた(六四丁表)。
又、マーゴ号には危険物を国際海上輸送する場合の法規であるイムコ・コード(<書証番号略>)、ブルーブック(<書証番号略>)が備え付けられていたが、それらには何れも「高度さらし粉」は酸化性物質に分類され、その性質として「これ自身は可燃性をもたないが、他の可燃物を一層燃え易くし火災に包まれた際酸素を発し、そのため火勢を増大さす性質を有する。これらの物質と可燃性物質との混合物は容易に発火し、この発火現象は僅かな摩擦または衝撃によっても起こることがある。斯る混合物は爆発的な勢いで燃焼する場合もある」(ブルーブックより引用、イムコ・コードも同様)と記載されていた。
しかし積荷監督ディミニックは高度さらし粉が酸化剤であり発火の危険性を有することは理解したものの日本語は読めず、英文の化学辞典の写しについては、加熱されたときに危険があるものと誤解し、高度さらし粉の危険の内容、程度について十分認識していなかった(六五丁表)。
他方高度さらし粉ドラムの上下に積まれた商品名ヒノザンについては、危険品、有害物事前連絡表(<書証番号略>)には毒物の表示がされていたが、実際はキシレンという引火性液体が溶剤として使用されていた(三七丁裏、三八丁表)。しかし引火性液体を含むことやその取扱上の注意には何も触れられていなかったので、ディミニックはこれを単なる肥料と誤認し、また自らも連絡表の記載について調査することなく、ヒノザンのドラムを高度さらし粉ドラムの上に積み付けた(六六丁裏、六七丁表)。
二 本上告理由の骨子
右の如き本件事案において
(1) 海上輸送の専門業者であって高度さらし粉の危険性を既に知っていたか、或は当然知るべきであり、かつ容易に知りうる立場にあった被上告人に対する関係において、製造業者たる上告人日本曹達及び販売人たる上告人日曹商事に、高度さらし粉の危険性についての告知義務違反の過失が認められるであろうか。
(2) かりにその危険性についての上告人らの一般的な告知が十分でなかったにしても、高度さらし粉とヒノザン乳剤との混触による発火という本件事故原因との間に因果関係が存在するとはいえるであろうか。
右の二点が、本件上告理由の骨子であり、右(1)(2)の両点とも積極に解し、上告人らに本件事故の損害について二分の一の賠償責任を認めた原判決は民法第七〇九条の過失に関する法令解釈適用を誤った違法がある。以下にその理由を詳述する。
第一点 原判決は、民法第七〇九条「過失」の解釈適用を誤り、上告人らに本件事故の賠償責任を認めた違法がある
一 原判決は、上告人らの責任判断において、本件が、船長及びその積荷に関する代行者としての積荷監督を包含する企業体であって海上輸送の専門業者である被上告人らに対する告知義務の問題であることを看過し、流通経路における「一般人」に対する周知義務を基準として上告人らの過失を認めているのは誤りである。
原判決は、責任判断の冒頭(五三丁裏)に、危険物の製造販売者の流通経路における一般的な周知義務を認めている。
しかしながら、本件事故は被上告人の機関たる船長及び積荷監督の指示により混載及び上積積載違反という法令に反する積荷の方法が行われたために発生したものである以上、その積荷の方法を決定した船長及びその代行者である積荷監督を含む企業体である被上告人に対する関係において、上告人らに告知義務違反があるか否かが判断されるべき事案である。すなわち、混載と上積積載違反という事故原因を回避するための注意義務は誰が負っているのか、その危険分担は誰がしているのかという観点からなされるべきであって、消費者や一般人に対する製造物責任と同一に考えられるべきことではない。
ところが原判決は、「二 高度さらし粉の危険性について一般人の認識」として、本件の事故責任を一般人の認識を基準として判断すべきものとし、荷役担当者、作業員、安全委員等の危険性認識が十分でなかったことをあげ、海上輸送関係者の一般的認識において高度さらし粉が熱、有機物等との混触により急分解して発火し、ときに爆発的燃焼に至る事実はほとんど知られていなかったと推認すべきでありこのような認識を前提として上告人らの告知義務を考えるべきだとしているのである。
しかしながら、このような海上輸送関係の一般人の認識であったとしても、それを基準として、十分な専門的知識をもつことが法令上要求され、かつは高度の職業的資格要件が定められている船長を含む危険物海上輸送のプロフェッショナルな企業体である被上告人についてまで、右一般人の一般的認識のレベルで上告人らの告知義務の内容を判断するのは誤りである。
特に、積載方法について決定権限をもつ船長は危険物の海上輸送について、法令上、危険物を安全に輸送するための危険物に対する調査義務及び法令に従った積付を行うべき固有の義務を有しているのであり(省令三〇号第六条一項後段、第一一条、第一二条、第一四条等)、又被上告人は海上運送人として国際海上物品運送法第三条第一項により「自己又はその使用する者が運送品の受取、船積、積付、運送、保管、荷揚、引渡につき注意を怠ったことにより生じた運送品の滅失、損傷又は延着につき損害賠償責任を負う」のであり、又同法第五条により「堪航能力保持義務」を課せられているのであるから到底これを海上輸送における一般人と同一視することはできない。
このことは本件を、危険物を海上輸送する際の荷送人の告知義務として考察するとしても、また、専門業者に対し物品を供給する場合の製造販売業者の告知義務として考察するとしても同様であって、右の場合の告知義務の内容は何れも、抽象的一般的に定められるものではなく、当該危険物の受取人の業務上の資格、専門的知識・経験、法令上条理上の調査義務等との関連において確定されるべきである。以下に右各観点から上告人らの告知義務の内容が、一般人の認識を基準として確定されるべきでないことを述べる。
二 原判決が海上輸送の一般人の認識を基準として上告人の告知義務を定めるべきであるとしたことは海上運送人(船長)の責任に関する英米の確立した判例法に反しており、わが国の法令民法七〇九条の解釈としても基本的に誤っている。
本件のような海上輸送上の事故に関する事案に関する判例はわが国においては極めて少いが、古くから海上輸送の発達した英米においては、危険物荷送人の海上運送人に対する告知義務につき多くの判例が存在し、いくつかの原則が確立している(この点に関しては原茂太一「危険物の海上運送における荷送人の通告義務と運送人の責任―英米法の理論を中心に―」海法会誌復刊第三一号(通巻六〇号・<書証番号略>)三九頁以下に詳しい。)。海上運送は本質的に国際的要素をはらむものであるから、本件の争点の判断にあたっては、これら英米法上の諸原則が十分参照されるべきである。しかるに、原審の判断はこれら英米法の諸原則から逸脱しており、わが国法令の解釈としても誤っていると考えられるので、以下これを具体的に指摘する。
(一) 本件責任論の主たる争点は化学製品のメーカーが海上運送人に対し当該製品の危険性につきいかなる告知義務を負うかという問題である。原判決はこれを専らメーカーの製造物責任の問題として論じ、海上物品運送における荷送人と運送人との間の法律関係に関する海商法上の問題としてはこれを明確に把握していない。
しかしながら、いうまでもなく製造物責任論は主として製品の製造者とその消費者との関係を律する法理論として発展して来たものである。この理論の実質的根拠は、製品から生ずる危険を回避する能力を持たず、また資力も保険等による損害回避の能力もない一般消費者を保護することにある。
危険物の運送を業とし、専門的知識と莫大な資力や損害回避手段を有する船会社が告知義務の相手方になる場合に、右の考慮をそのままあてはめえないことは明らかである。
のみならず、物品の海上運送をめぐる法分野は諸外国において一般民事法の分野とは異なる独自の発展を遂げて来たものであり、現に後述する英米の判例もアドミラルティの分野に属するものであって、このような海商法の観点を考慮して本件責任論を考察すべきである。もっとも、英米の判例は危険物の荷送人と運送人との関係に関するもので、本件の如く運送人と直接契約関係のないメーカー等の告知義務に直接関するものではない。しかしながら、英米判例法上荷送人の告知義務は運送人の安全運送義務との均衡を計る原理として問題とされてきたのであり、告知義務を負う主体がメーカーであってもこれを荷送人の場合と別異に論ずる理由は全くない。
(二) 荷送人の告知義務に関する英米法の原則
荷送人の告知義務に関する英米法の基本原則は、(1)荷送人は一般に積荷の危険性につき運送人に告知する義務を負うが、運送人が当該危険性を知っている場合又は相当の注意を払えば知ることができた場合には荷送人の右告知義務は適用されない、(2)さらし粉など従来から危険物として取扱われて来た積荷については荷送人はその化学品名を正確に告知することをもって告知義務を果したことになる、というものである。
右原則に関するリーディング・ケースは次のとおり、英国においても米国においても他ならぬさらし粉の危険性告知をめぐる事件であった。
1 ブラス対メイトランド事件(英国、一八五六年6 EL. & BL. 470)
これは英国のリーディング・ケースである。原告は船の所有者、被告はさらし粉の荷送人であった。原告は被告から樽入りの「さらし粉」と表示された積荷の輸送を引受けこれをロンドンからカルカッタまで輸送した。しかし、輸送の途中さらし粉が樽から漏出し他の積荷と混触してこれを腐食、全滅させた。原告は他の積荷の所有者に損害賠償義務を負ったので、その求償のため被告を訴えたのである。原告は、船長も他の乗員もさらし粉の危険な性状を知らなかった、被告は右危険性を知りながら原告にその告知をしなかったから被告は責任を負うべきだと主張した。しかしながら、裁判所は次のように述べて原告の主張を排斥した。
「もし船長が、さらし粉は石灰の塩化物から成っていること……(中略)……を知りまたは知る手段を有していたとき、そして右のことを合理的に知り得、または知るべきであったときは、……被告は明示的告知をする必要はなく、積荷がいかに危険な性状のものであったとしてもこれを船積したことにつき被告は何ら義務違反の責任を問われるものではない。右の前提に立てば、生じた損害は、船長及びその他原告の被傭者が樽を他の積荷を損傷するような場所に積んだという不注意と非行に帰すべきことになる。……(中略)……荷送人は、主張上積荷を引渡した船長が知り得、又は知るべきであったことを実際に知っているものと仮定して行動して差支えないのである。」(6 EL. & BL. 486-487)。
この判例を理解するうえで極めて重要なことは、荷送人が船長に通告したのは積荷がさらし粉であるという一事だけで危険性については何も通告していなかったことである。それにもかかわらず、裁判所は船長及び船舶所有者がさらし粉の危険性を「知る方法」を有し、これを知る義務があったと判示した。これが一八五六年のことである。本件事故の発生したのはそれから約一二〇年も経過した一九七三年であり、危険物に関する情報は飛躍的に豊富になった時代であることに思いを至すべきである。
2 ザ・ラングーン丸事件、日本郵船会社対グレース・ブラザーズ(インディア)リミテッド。同上対W・R・グレース・アンド・カンパニー(米国一九二八年、27 F 2d 722)
これは、米国のリーディング・ケースである。ドラム入りさらし粉をニューヨークからインドに輸送中、塩素ガスが噴出してさらし粉が損傷を受けたという事実関係の下で、さらし粉の荷送人が積付不良のため事故が起こったとして運送人を訴えたところ、運送人が荷送人に反訴を提起した事件である。本件で参考になるのは反訴の部分であるが、このさらし粉の船荷証券には積荷の危険性に関し「十分な開示」がなされていなかったときは荷送人はあらゆる損害につき責任を負う旨の規定があったため、反訴原告(運送人)は右規定を根拠に反訴被告(荷送人)に損害賠償を求めたのである。これにつき裁判所(控訴審)は次のように判示して反訴原告の請求を棄却した一審判決を支持した。
「積荷の内容が開示されていたことは明らかである。ナカジマ一等航海士は積荷がさらし粉であることを知っていたと証言し、また船荷証券にもその旨記載されていた。のみならず、グレースが反訴原告の船でこの化学物質を輸送したのは今回が三回目である。さらし粉が危険で損傷しやすいことは著名であり、運送人の代理店は一週間ないし一〇日間も待ってからこの積荷を引受けたほどであった。このような事情の下で「十分な開示」の規定が当化学物質のもつすべての属性の詳細な記述や右物質の内部で生ずる可能性のあるすべてのことの説明を要求すると解釈するのは不合理である。」(27 F 2d 726)。
本件においても、荷送人が開示していたのは積荷がさらし粉であることのみであった。裁判所はこれだけで積荷に関する告知は十分であると判示したのである。これも運送人には自ら積荷の危険性を調査し、適切な取扱方法を採用する義務のあることを当然の前提としたものである。
3 また、詳述は避けるが、右ザ・ラングーン丸事件以外に米国のインターナショナル・マーカンタイル・マリーン・カンパニー対フェルズ事件(一九〇八年164 F. 337)(「固形フェルズナフサ」の蒸気が爆発した事件)においても、ハンセン対イー・アイ・デュポン・ド・ネムール・アンド・カンパニー・インク事件(一九二五年8 F 2d 552)(無煙火薬、コルダイトが爆発した事件)においても、積荷の品名が正確に告知されていれば荷送人の義務は尽くされるとされた。
(なお、前掲原茂教授論文が引用する英国判例中、アカスト対バーンズ事件(一八七八年3 Ex. D. 282)及びトランスオセアニア・ソシエタ・イタリアナ・ディ・ナヴィガシオーネ対エイチ・エス・シップトン・アンド・サンズ事件(一九二二年1 K. B. 31)においては、ブラス対メイトランド事件多数意見が荷送人の告知義務の根拠とする荷送人の黙示的担保の存在そのものを否定して運送人側を敗訴させている。また、バムフィールド対グール・アンド・シェフィールド・トランスポート・カンパニー・リミテッド事件(一九一〇年2 K. B. 94)は、荷送人が積荷(硅素鉄)を「一般雑貨」とのみ申告し、正確な品名を告知しなかったため荷送人敗訴となった事件であり、ミッチェル・コッツ・アンド・カンパニー対スティール・ブラザーズ・アンド・カンパニー・リミテッド事件(一九一六年2 K. B. 610)は、米の荷送人が揚地において積荷(米)の陸揚に政府の許可を要することを告知せず、運送人においてこの事実を知り得なかったと認定された事件である。
さらに、グレート・ノーザン・レイルウェー・カンパニー対エル・ティーピー・トランスポート・アンド・ディポジトリー・リミテッド事件(一九二二年2 K. B. 724)では積荷が危険性を有する過酸化水素であったにもかかわらず、荷送人がその品名を"Oxygen Water"と不正確にしか告知しなかった事例である。これらの事件でもいずれも前記ブラス対メイトランド事件の原則が確認されている。)
(三) 前記のことは単なる法理論上の「たてまえ」ではなく、わが国においても現実に行われているのである。現に原判決も認定している通りわが国の大手船会社の場合に危険物輸送の受入れの際にその危険性、関連規則の規定等を具体的に調査するシステムを確立しているのである(七〇丁表)。
右システムは各社必ず一様ではないが、証拠により例示すると概略は次のようなものである(町居孝義証人調書四丁裏〜一四丁裏、<書証番号略>)。
1 支店、営業所が荷主から危険物の輸送を受注すると、当該貨物の品名、積出地、揚地、容器、包装、イムコ・コード上のクラス別、国連番号、港則法による制限等の諸事項を確認する。もし、荷主が危険物明細書を提出していなければこれを提出させ、かつ記載事項に不備があれば訂正させる(例えば単に商品名しか記載されていない場合には、イムコ・コード上の品名等正確な品名を記載させる)。
2 支店又は営業所は、右の諸情報を本社海務部及び本船に伝達する。海務部及び本船で当該危険物の法規上の分類、危険性、取扱注意事項、標札、積載場所、積載方法等を調査、確認する。この際省令三〇号、イムコ・コード、CFR等をチェックし、かつ必要に応じて化学辞典等他の文献を参照する。また、文献的に不明な点があれば日本海事検定協会、メーカー等に問い合わせる(右のチェックは本船、海務部の両者で行われる場もあり、また一方が主たる調査を行い他方は補助的調査のみをする場合もある)。
3 海務部又は本船は右の調査、確認に基づき、船積を承認するか否かを決定し、承認する場合には、更に積載場所、他の貨物との混載の可否、積載方法等を決定する。
4 右決定に従い、本船の現場において、貨物の状態、標札、固縛等を確認のうえ船長又はその代行者が立ち会って積付作業を行う。
船会社が現実に右のような危険物の性状、積載方法等をチェックしているという事実は、前記英米判例法の原則の妥当性を裏づけるものである。
(四) 本件への適用
これを本件についてみれば、前記のように本件高度さらし粉についてはドラムに英文で「カルシウム ハイポクロライテ」という正式な化学名称の英文ラベルが貼られ(<書証番号略>)、更に「火気、熱、酸、グリース類、油、ボロ布および可燃物と直接接触させないで下さい」との日本語注意ラベル(<書証番号略>)が貼ってあり、船荷証券(<書証番号略>)には「カルシュウムハイポクロライテ60%」と明記されていたのであるから、被上告人は、右の正しい告知に基いて、更に必要な情報を備付の法令等により容易に入手できた筈であり、現に危険物として高額の輸送料を受領し、化学辞典等も入手していたのであるから、右英米の危険物海上輸送の判例に徴しても、又現にわが国で行われている危険物海上輸送の実情に照らしても上告人らの被上告人に対する告知義務の違反があるということはできない。
しかるに、原判決は、後述のように、被上告人の積荷監督ディミニックが化学辞典等の記載により「高度さらし粉が酸化剤であること、発火の危険性を有することについては理解したことが認められている」と認定し、さらに、イムコ・コード等は「酸化性物質と可燃物との混合は容易に発火し爆発的に燃焼することもあることを明らかにし、引火性液体等との隔離を初めとする積付上の注意事項について詳細に規定し」ていたから、被上告人がこれらを調査すれば、「本件高度さらし粉の危険性を具体的に知って適切な積付方法をし、あるいは危険物として船積を拒否することにより本件事故を未然に防止することも可能であったと見ることができる」と認定したにもかかわらず、被上告人が高度さらし粉の危険性を現に知っていたとはいえないとの理由で上告人らに告知義務違反があると判示したのである。
これは、荷送人は積荷の正式な化学名称を告知すれば足りるとする原則から見ても、運送人が知ることができ、または知るべきである事項については荷送人は告知義務を負わないとする原則から見ても、全く誤った判断であり、かつ海運界の慣行に照らし実務的にも極めて妥当性を欠く判断であるといわなければならない。
三 原判決が、一般人の認識を基準として被上告人に対する上告人の告知義務を判断していることは製造物責任論としても誤っている。
(一) 既述のように製造物責任論は製品のメーカーと一般消費者との間の法律関係を律する法理論として発展して来たものである。従って、この理論を一般消費者以外の者との関係で適用することを認めるとしても、その適用にあたっては一般消費者の場合とは全く異なる考慮をしなければならない。就中、製品を使用したり取扱ったりする者、即ち当該製品の危険性告知の相手方が一定の専門的知識を有するか、これを有すると期待される者である場合には、メーカーの危険性告知義務が適用されないものと解すべきである。
(二) 右のことは、製造物責任論が極めて発達し、メーカーの責任を極めて厳格に解している米国において確立した原則となっている。
米国の不法行為に関する判例法上の原則を集大成した不法行為リステイトメント(第二版)第三八八条は、次のとおり規定している。
「他人の使用に供するため物品を直接又は第三者を通じて供給する者は、次の場合には、当該他人の同意を得て当該物品を使用するか又は当該物品の使用により危険を受けることが予測される者に対し、当該物品の使用により生じた物理的損害につき責任を負う。
(a) 右供給者が当該物品をその使用目的のために使用することにより危険が生ずることを認識しており、かつ
(b) 右供給者において、当該物品の供給を受けた者が当該危険を認識すると信ずべき理由が存在せず、かつ
(c) 右供給者が当該危険又は当該危険を生じさせる可能性のある事実につき告知するための相当な注意を払わなかった場合。」
右規定はやや分りにくい嫌いがあるが、リステイトメントの各条項の公式解釈を規定した「コメント」中に右規定の(b)項につき明確な規定が存在している。即ち、右第三八八条に関するコメントKは、製品の瑕疵(危険性)に関する告知は製品の供給者において、「当該製品を使用する者が当該危険を認識(Perceive)しうるための専門的知識を有するものと信ずべき理由」が存在するときは適用されないと規定しているのである。
この原則につき、ロバート・ハーシュ・ヘンリー・バリー共著「アメリカン・ロー・オブ・プロダクツ・ライアビリティ」第二巻(一九七四年版)は次のように述べている。
「上記原則(引用者注、使用者が製品の危険性を現実に知っていた場合には警告義務はないとの原則)の系として、使用者が知るべきであった製品の危険性、即ち、現実の認識とは区別された意味での、使用者の当為的認識の範囲にあると合理的に云いうる危険性(例えば、製造者の持つ情報と同様な情報を入手しうる専門家を雇傭しているため買主が危険性を認識しているとみなされるような場合)については警告義務が存在しないとの原則がある。」(一七八〜一七九頁)。
右著者は、警告不要とされた事例として、経験豊富な大工がガスストーブの傍で可燃物を使用した場合の危険性を当然知っているべきであったとした判例、薬品メーカーが熟練した専門医に対し製品が麻痺を起こす可能性を警告する必要はなかったとした判例、一般にメーカーは専門家に対しては一般に知られている危険性を警告する義務はないとした判例等を引用している(前掲)。
本件では、被上告人は経験豊富な輸送専門家であるのであるから、右の判例の原則が適用される。後述するカネミ油症事件の福岡高裁判決も同様な考え方に立っている。
(三) 我が国においても、いわゆるカネミ油症事件において、メーカーの専門業者に対する危険性警告義務が問題になったが、福岡高裁判決(昭和六一年五月一五日判決、判例時報一一九号二八頁)はメーカーたる鐘淵化学工業株式会社(以下「鐘化」という)の責任を否定し、最高裁も実質的にこの立場を支持した。これは福岡高裁及び最高裁が前記米国判例理論と同じ立場に立ったものと解される。
周知のように、この事件においては、カネクロールのメーカーたる鐘化がカネクロールを使用してカネミ油を製造したカネミ倉庫株式会社(以下「カネミ」という)に対し、カネクロールの毒性及び金属腐食性等につき充分な警告を与えていたか否かが争点となった。即ち、右事件でも警告すべき相手方が一般消費者でなく専門業者であったのであり、その意味において右事件は本件と基本的に類似している。
右事件において前記福岡高裁は本件審理のうえでも極めて注目すべき判断を示している。まず、同高裁は鐘化がカネクロールの危険性についてカネミに与えていた告知としては次のようなカタログの記載があったとのみ認定した。
「カネクロールは芳香族ヂフェニールの塩素化物でありますので、若干の毒性を持っていますが、実用上ほとんど問題になりません。しかし下記の点に注意していただく必要があります。(1)皮膚に付着した時は石鹸洗剤で洗って下さい。もし付着した液がとれ難い時は、鉱油か植物油で洗い、その後石鹸にて洗えば完全におちます。(2)熱いカネクロールに触れ、火傷した時は、普通の火傷の手当で結構です。(3)カネクロールの大量の蒸気に長時間曝され、吸気することは有害です。カネクロールの熱媒装置は普通密閉型で、作業員がカネクロールの蒸気に触れる機会はほとんどなく、全く安全であります。もし匂いがする時は装置の欠陥を早急に補修することが必要であります。」(判例時報一一九一号四四頁)。
右認定を前提として、同高裁は次のとおり判示した。
「そこ(前記カタログ=引用者注)にはヂフェニールの塩素化物としての「若干の毒性」として経口毒性に代表される人体にとっての有毒性が示されているほか、経皮的な毒性や蒸気を吸込むことによる経気的な毒性までが言及されていて、当時のPCBの一般的な特性認識をほぼ反映する表示がなされていると認められる。ただその文脈が、「若干の毒性」を有するけれども「実用上ほとんど問題」がないという続き方になっているため「実用上問題になるほどの毒性ではない」という誤読を招きやすいといえないことはなく経皮的毒性についての表示も皮膚に付着したまま放置した場合生ずべき障害を示していない点において、軽視を招きやすいことは否定できない(しかし、カネクロールの蒸気の有害性は明示されている)。その意味において語調が危険性の露骨な警告には必ずしもなっていないとは言えるけれども、その客観的な意味は前示のとおりであって、通常の食用油製造業者がカネクロールを熱媒体として使用するについて必要最小限の注意事項は、右カタログに記載されているといわざるを得ない。……(中略)
それゆえ、一審被告鐘化にカネクロールの特性の告知ないしその安全性の限度について警告義務の違背があったということはできない。」(前掲四五頁)。
ここで注目すべきことは、鐘化が行った前記警告にはカネクロールがカネミ油症という重篤な障害を引き起こす可能性については一言も触れられておらず、単に「カネクロールの大量の蒸気に長時間曝され、吸気することは有害です」との抽象的警告がなされていただけであるという事実である。右福岡高裁はこの表現で専門業者であるカネミ倉庫に対する警告としては過失があるとはいえないとし、後述のように最高裁もこの立場を是認したのである。
これを本件についてみるに高度さらし粉については、国際的法規のうえですでに「強酸化性物質であるから、木材、綿、わら、及び植物油のような有機物と接触すると発火することがある」とか、高度さらし粉等酸化性物質と可燃性物質との混合物は「容易に発火し」、「爆発的な勢で燃焼する場合もある」との具体的警告がなされているのである。被上告人はこのような法規の規定さえも知らなくて当然であるかの如く主張しているのであるが、右カネミ油症事件判決の立場に立てばこのような主張が到底認められないことは明らかである。
その後、右事件は最高裁において昭和六二年三月二〇日和解により終了した。右和解に際しては最高裁が和解条件の第一項として、
「上告人ら及び別紙利害関係人目録一ないし三記載の利害関係人らは、本件カネミ油症事件について、被上告人に責任がないことを確認する。」(傍点引用者、被上告人は鐘化)
との条件を提示し、上告人らがこれを受諾したものである(<書証番号略>)。このように、カネミ油症事件における鐘化の責任は最終的に否定されたのである。
(四) 以上のように、製造物責任理論としてのメーカーの告知義務は、当該製品を取扱う者が専門的知識・経験を有し、その製品の危険性を認識しうる者である場合には適用されないのである。
本件においては、前述したとおり、被上告人は海上運送人として固有の調査義務、安全輸送義務を有し、かつ船長はその履行者として高度の法令上の義務と権限を有していた。しかも、本件高度さらし粉の品名、性状が正しく告知されていた結果、積荷監督ディミニックは高度さらし粉の酸化剤としての発火危険性を認識していた(六四丁裏)のであるから本件事故の原因となった混載を回避するための告知は少くとも高度さらし粉についてはなされたというべく、上告人に告知義務違反があるとした原判決は誤っている。
第二点<省略>