最高裁判所第一小法廷 平成10年(行ツ)104号 判決 1998年9月10日
東京都港区芝五丁目七番一号
上告人
日本電気株式会社
右代表者代表取締役
金子尚志
右訴訟代理人弁理士
後藤洋介
池田憲保
山本格介
東京都千代田区霞が関三丁目四番三号
被上告人
特許庁長官 伊佐山建志
右当事者間の東京高等裁判所平成七年(行ケ)第三一号審決取消請求事件について、同裁判所が平成九年一二月一八日に言い渡した判決に対し、上告人から上告があった。よって、当裁判所は次のとおり判決する。
主文
本件上告を棄却する。
上告費用は上告人の負担とする。
理由
上告代理人後藤洋介、同池田憲保、同山本格介の上告理由について
所論の点に関する原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らし、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。右判断は、所論引用の判例に抵触するものではない。論旨は、原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難するか、又は独自の見解に立って原判決を論難するものにすぎず、採用することができない。
よって、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 小野幹雄 裁判官 遠藤光男 裁判官 井嶋一友 裁判官 藤井正雄 裁判官 大出峻郎)
(平成一〇年(行ツ)第一〇四号 上告人 日本電気株式会社)
上告代理人後藤洋介、同池田憲保、同山本格介の上告理由
原判決には、以下に述べるように、実用新案法第三条第二項の解釈、適用を誤った法令違背があり、且つ、判例違背があり、これら法令違背及び判例違背が、原判決に重大な影響を及ぼしており、破棄されるべきである。
一、法令違背について
1.まず、原判決は、その判決理由2(3)<2>において、「原告の上記主張は、本願考案がシフトPSK変調方式であることを前提とするものであるが、本願考案は(a)の変調方式に限定して解釈することができないもの、即ち、シフトPSK変調方式以外の変調方式を含むものと解されるから、原告の上記主張は採用できない。」(原判決第三三頁、八-一二行)と、判示している。
しかしながら、本件考案が、シフトPSK変調方式に限られることは、後述するように、その請求の範囲から明らかである。したがって、上記した判示は、本件考案の要旨認定において、重大な誤りを犯している。
即ち、本件考案に係る実用新案登録請求の範囲における「複素振幅平面上に規定される信号点で、同一円周上等間隔で並んでいる2N(Nは2以上の整数)個の信号点について順次1個おきに取って得られる信号点の全体を第1の信号点グループとし、残りの信号点の全体を第2の信号点グループとし第1の信号点グループと前記第2の信号点グループのなかの前記送信ディジタル信号に対応する1つの信号点を、時間的に交互に選択するように前記2N個の信号点間を遷移する複素信号を直交座標平面上に表現した2次元ベースバンド信号」の記載及び「前記直交変調器の出力信号をほぼ線形に増幅する増幅器」の記載は、本件考案がシフトPSK変調方式、即ち、振幅が変動する変調方式に限定されることを明記しており、このことは、当業者には、明明白白な事実である。
しかるに、この記載実に一切言及することなく、シフトPSK変調方式以外の変調方式を含むと判示した原判決は、明らかに、シフトPSK変調方式に対する認識を誤っており、結果として、本件考案の要旨認定を誤っている。
2.また、上記した原判決第三三頁では、「本願考案は(a)の変調方式に限定して解釈することができないもの、即ち、シフトPSK変調方式以外の変調方式を含むものと解される」と判示しており、原判決は、(a)の変調方式と、シフトPSK変調方式とが同じであるとの認識に立っている。
しかしながら、シフトPSK変調方式には複数の変調方式があり、右の認識は全くの誤りである。即ち、単にシフトPSK変調方式と言っても、それには原告第二回準備書面第十三頁第八行乃至第十四頁第十一行又は被告第二回準備書面第五頁第十八行乃至第七頁第一行において記した(a)、(c)及び(f)の変調方式が含まれるのであり、原判決における(a)の変調方式とシフトPSK変調方式が同じであるとの認識は明らかに誤りである。
本件考案は、複数のシフトPSK変調方式のうち、(a)の変調方式に関するものであって、(c)及び(f)の変調方式によるシフトPSK変調方式をも含むものではない。このことは、原告が一貫して主張していることであり、本件考案に係る変調方式が、シフトQPSK変調方式のうち(a)の変調方式であることは、本件考案の実用新案登録請求の範囲の「2つの低域通過フィルター」の記載からも明確である。
このように、原判決における本件考案の要旨認定は、原判決に極めて重大な影響を与える誤りを含む。したがって、本件考案は、実用新案法第三条第二項の規定に該当せず、よって、審決を取り消すべき違法な事由は認められないとする原判決には、同法同条同項の規定の解釈、適用を誤った法令違背があり、明らかに違法である。
このように、原判決は、本件考案の前提となるシフトPSK変調方式を完全に誤認し、この誤認は単なる錯誤とは認めがたいから、原判決には、全く承服できないので、ここに、上告し、再度の判断を願うものである。
二、判例違背について
原判決は、本件考案の属する技術分野における技術常識、並びに、当該技術分野の現場における実情を全く無視しており、この点において、リパーゼ判決(昭和六二年(行ツ)第三号判決、判決言渡平成三年三月八日)にも違背しており、したがって、原判決には、判例違背の誤りがある。本件考案の属する技術は、自動車電話、携帯電話、及び、PHS等、極めて需要者に身近になっている移動無線通信技術であり、このような技術に関する争訟は、今後ますます多くなるものと、予測される。このような状況の下では、技術官庁ではない裁判所と言えども、この種技術分野における技術常識等に目をつぶり、無関心であることは、技術立国を標榜する我が国においては、許されることではない。正直に言わせて貰えば、本件考案程度の技術を全く誤解して判決されるのであれば、今後ますます重要性を増し、複雑化するインターネット等の通信技術に対処できるのか、司法の権威、法的安定性の面で非常に不安である。
以下、本件考案に関する技術分野における技術常識を、原判決と対照して、より具体的に説明する。
1.原判決理由2(1)<2>(判決第二五頁、五行目乃至六頁最下行)では、本件考案に係る「ほぼ線形に増幅する増幅器」について、『「ほぼ線形に増幅する増幅器」を備えることは、増幅器に入力される直交変調器の出力信号が振幅変動の許された、即ち、線形変調方式により変調された変調出力であることを意味しているものとは認められない』と指摘している。
この根拠として、本願明細書第二欄の「線形変調方式はベースバンド信号を低域通過フィルタに入力したのち、変調信号入力とすることにより、変調は出力の信号スペクトルを容易に狭めることができる特徴がある」との記述を上げている。しかし、この記述は、振幅の変化する変調方式(線形変調方式)によって狭められた信号スペクトルを狭いままに維持して送信するには、線形増幅器の使用が必要不可欠であるという当業者の常識に反するものである。なお、出願人は、この当業者の常識を前提にして、敢えて線形増幅器について述べなかっただけである。
また、このことが技術常識であることは、原審において提出されている甲第三号証からも明らかである。例えば、甲第三号証の一一六頁右欄の一〇行目乃至一五行目には、「その結果として発生した振幅変動の大きさは、フィルタリングの厳しさに依存する。その後の変調もDPSKとDPEKとの中間的な物と考えられる。もし、削減されたスペクトル帯域幅を完全に維持しなければならないとすると、ほぼ線形な処理をする送信機が要求される。」と記述されており、振幅変動を伴う場合、ほぼ線形な処理をする送信機、即ち、増幅器が必要であることが明記されている。更に、「同じく甲第三号証の一二四頁左欄の最下行から始まる段落には、「IV-A3章での送信機及び受信機でフィルタリングを共有するという議論では、PA(電力増幅器)の非線形性が考慮されていない。その結果として、電力増幅器に起因する劣化を検討した時、選択された役割分担は最適とは言えない。」との記述がある。この記述の内、選択された役割分担とは、全体のスペクトラム狭帯域化を実現する際におけるフィルタリングと増幅器との間の線形性の役割分担であり、増幅器に線形性を有するものを使用した場合のフィルタ係数と同一のものを非線形性の増幅器と組み合わせたとしても、非線形増幅器において劣化が生じるので、最適にスペクトラムを狭帯域化できないことを示している。
このように、既に提出されている証拠の中でも、線形変調方式において、原理的に実現可能な狭帯域のスペクトルを実現するには、ほぼ線形な増幅器が必須であることが記述されている。したがって、狭帯域のスペクトルを実現するためには、ほぼ線形な増幅器を使用することが、当業者では常識であったことは明らかである。
原判決では、これらの証拠を全く省みることなく、「振幅の変化する変調方式(線形変調方式)によって狭められた信号スペクトルを狭いまま維持して送信するには線形増幅器の使用が必要である」と言う線形変調方式に対する当業者の常識を無視しており、また、このことが、フィルタからの出力を非線形増幅器を使用して変調、増幅する場合も、「線形変調方式と呼ぶ」との意味にも現れ、明らかに当業者の技術常識とは相容れない認定である。
更に、原判決理由では、「入力される信号の振幅が一定振幅を有する場合には、ほぼ線形に増幅する増幅器を使用することが電力効率の面で不利であるとしても、上記のような場合に、線形増幅器を使用することができないという技術的理由はない」と認定している。しかしながら、この認定も、この種、技術分野における技術常識とは、全く相反するものであり、認めることはできない。
例えば、乙第一号証において、第五五頁左欄の下から二一行目からのパラグラフには、「一方、送信機においては、変調信号はC級増幅器で増幅される。即ち、信号伝送路において、非線形操作を受ける。この影響を避けるため、変調信号の包絡線は一定であることが要求される。」と言う記述があり、一定振幅の変調方式と、送信機におけるC級増幅器、すなわち非線形増幅器の使用が密接な関係であることが、当業者において常識であることは、被告から提出されている証拠からも明らかである。
原判決では、この証拠に全く言及することなく当業者の常識とは異なる誤った認定を行っている。
更に、本件考案は、前述したように、移動無線通信技術に関連しており、この移動無線通信では、低消費電力化による長寿命化が要求されており、長寿命であることが、携帯電話ではセールスポイントとなってさえもいるのである。このような状況の下で、振幅が一定である入力信号を、非線形増幅器によって低電力で送信できるにも拘らず、わざわざ電力を要する線形増幅器を使用して増幅することは、無謀且つ非現実的であって、当業者の技術常識を無視したものである。
一方、本件考案の一部を構成する送信機は、低域通過フィルターにより振幅が変動する信号を得、当該振幅の変動をも忠実に送信するために線形増幅器を用いているのであり、このように、低域通過フィルターと線形増幅器の組み合わせることは、本件考案に係る送信機が、(a)の変調方式に限られることを明記していることにほかならない。
これに反し、原判決は、低域通過フィルターと線形増幅器との組み合わせを論ずることなく、この組み合わせに関する既に提出されている証拠の記述さえも無視しており、この点でリパーゼ判決に違背している。したがって、認定手続上大きな誤りがあると同時に、本件考案の内容を誤解していることは明らかである。この結果、原判決は、本件考案の登録性について誤認しているから明らかに違法である。
2.次に、原判決理由2(1)<3>は、甲第7号証の記載をもって、「本願考案におけるNの値が偶数であることを裏付けるものとは認めがたい」(判決第二七頁、一九行乃至第二八頁、一行)と、認定しているが、M=2kの式のkの値として、正整数を代入しても明らかな通り、Mの値は偶数になることは、当業者でなくとも、自明のことである。このことが、原告によって主張されず、また、甲第七号証に記載されていないからと言って、原審において不明であるとは、当業者ならずとも、原判決に対する不信感を拭い去ることはできない。
更に、原判決では、「Nが2及び4以外の変調方式はおよそ用いられるものでないことが、本願考案の出願当時における当業者の技術常識であったことを認めるべき証拠はないこと」と認定している。
しかし、原判決は、前述したように、通常のPSK変調方式と、本件考案に係るシフトPSK変調方式との区別さえ十分になされていないことからしても、原判決が、シフトPSK変調方式の技術常識について、認識しているとは到底認められないから、上記認定には承服できない。
本件考案は、前述したように、あくまでも、シフトPSK変調方式の技術に関するものであって、このシフトPSK変調方式については、本件考案に係る明細書並びに甲第三号証をもって、本件考案の出願当時の技術常識であるといって何等差し支えないのである。
更に、原告は、甲第三号証において、N=4の場合、本件考案に係る明細書において、N=2又は4の場合が、それぞれシフトPSKN変調方式の当業者の技術常識であることを明記している。然るに、原判決では、シフトPSK変調方式において、N=2又は4以外の場合について、何等、証拠をも上げていない。このように、実際に明記されていることを無視すると共に、何等の証拠を上げることなく、「常識とは言い難い」との判示は、技術常識を無視したものである。
このように、原告は、シフトPSK変調方式について、証拠を上げて主張しているにも拘らず、何の根拠、証拠も上げることなく、また、シフトPSK変調方式に関する技術常識を考慮することなく、「Nが2及び4に限定して解釈されるべきであるともいえない」との原判決の一方的な判示は、シフトPSK変調方式に関する当業者の技術常識を全く無視しており、上記したリパーゼ判例に違背していることは明白である。
以上述べた通り、原判決は、上記したシフトPSK変調方式の常識を無視したものであるので判例違背である。また、判例に従い、シフトPSK変調方式の常識に基づいて実用新案登録請求の範囲を解釈したのであるならば、当然に、(a)の変調方式に限定して解釈されることは明白であり、また、(a)の変調方式に限定されれば、本件考案は登録性を有していることは明らかであるから、原判決には、実用新案法第三条第二項の解釈、適用を誤った法令違背があり、破棄されるべきである。
以上