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最高裁判所第一小法廷 平成16年(受)2030号 判決 2005年4月21日

上告人

同訴訟代理人弁護士

乘井弥生

有村とく子

被上告人

兵庫県

同代表者知事

井戸敏三

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人乘井弥生、同有村とく子の上告受理申立て理由について

1  原審が適法に確定した事実関係等の概要は、次のとおりである。

(1) 上告人は、自宅であるマンションに1人で居住していたところ、平成7年6月13日午前1時30分から2時10分ころまでの間、上記マンションの窓から侵入した男(以下「犯人」という。)にカッターナイフを向けられるなどして脅迫され、強姦された上、財布も強取されるという強盗強姦(以下「本件犯罪」という。)の被害に遭った。上告人は、同日早朝、兵庫県警察本部に対し被害申告を行ったので、兵庫県西宮警察署(以下「西宮署」という。)の警察官は、同日午後、上告人立会いの下で、上告人の自宅の実況見分を実施し、犯人の侵入箇所等からの遺留指紋の採取等を行い、指紋登録を行った。また、上告人は、同日から同月15日にかけて、西宮署の司法警察職員である警察官に対し、犯人が遺留した証拠物(カッターナイフの刃、ガムテープ、はさみ)と併せて、上告人所有に係る証拠物(上告人が被害当時に着用していたジーパン、シャツ、被害当時敷布団に敷いていたシーツ、犯人が犯行後にシャワーを浴びた際に使用したバスタオル及び上告人が犯人の精液をふき取ったちり紙。以下「本件証拠物」という。)を任意提出したので、同警察官はこれを領置した。上告人は、本件証拠物を任意提出した際、「左記目録の物件について所有権を放棄します。」と不動文字で記載された西宮署長あての所有権放棄書に署名押印して提出し、本件証拠物の所有権を放棄する旨の意思表示をしており、西宮署の警察官が上告人に対し、本件証拠物について捜査機関において捜査上必要がある限り保管する旨の約束をした事実はない。

(2) 西宮署の警察官は、犯人の体液、毛髪等が付着している可能性の高い本件証拠物について、写真撮影を行ったほか、犯人の血液型を捜査するため、兵庫県警察本部の科学捜査研究所に対して鑑定嘱託をした。平成7年12月上旬、上記の鑑定が終了し、本件証拠物は西宮署に返却された。西宮署の担当警察官(以下「担当警察官」という。)は、本件証拠物について鑑定が終了したことから、捜査上これを領置しておく必要性が失われたと判断して、同年末に本件証拠物を廃棄処分した。

しかし、本件証拠物の廃棄処分後も、西宮署は、本件犯罪について継続捜査事件として捜査を継続しており、本件証拠物の廃棄処分によって本件犯罪の捜査を中止したものではない。

2  上告人は、担当警察官により本件証拠物が廃棄処分されたために精神的苦痛を被り、上告人の人格権的利益が侵害されたと主張して、兵庫県に対し、国家賠償法1条1項に基づき、損害賠償を請求している。なお、前記のとおり、上告人は、本件証拠物を提出する際に本件証拠物の所有権を放棄する旨の意思表示をしており、本件訴訟においては、本件証拠物の所有権の侵害を主張するものではない。

3  本件証拠物の廃棄処分は、本件犯罪の発生時からわずか約6か月後のまだ捜査の継続中に、本件証拠物についての鑑定が終了したことのみを理由にされたものであり、適正な措置であったとはいい難い。しかしながら、犯罪の捜査は、直接的には、国家及び社会の秩序維持という公益を図るために行われるものであって、犯罪の被害者の被侵害利益ないし損害の回復を目的とするものではなく、被害者が捜査によって受ける利益自体は、公益上の見地に立って行われる捜査によって反射的にもたらされる事実上の利益にすぎず、法律上保護される利益ではないというべきである(最高裁平成元年(オ)第825号同2年2月20日第三小法廷判決・裁判集民事159号161頁参照)から、犯罪の被害者は、証拠物を司法警察職員に対して任意提出した上、その所有権を放棄する旨の意思表示をした場合、当該証拠物の廃棄処分が単に適正を欠くというだけでは国家賠償法の規定に基づく損害賠償請求をすることができないと解すべきである。上告人の請求を棄却した原審の判断は是認することができる。論旨は採用することができない。

よって、裁判官泉德治の反対意見があるほか、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

裁判官泉德治の反対意見は、次のとおりである。

私は、被上告人に対し上告人への20万円の慰謝料の支払を命じた1審判決の判断が正しいと考えるものであり、これを破棄した原審の判断を是認することができない。その理由は、次のとおりである。

1  原審の認定によれば、西宮署の担当警察官は、本件犯罪の発生から約半年後の年末の不用品一斉処分の日に、本件証拠物を焼却したものであり、また、西宮署においては、本件犯罪につき、「証拠物件保存簿」及び「犯罪事件処理(指揮)簿」が作成されていなかった、というのである。

2  多数意見は、被害者が捜査によって受ける利益自体は、公益上の見地に立って行われる捜査によって反射的にもたらされる事実上の利益にすぎず、法律上保護された利益ではない、という。しかしながら、犯罪の被害者がその所有に係る証拠物について有する利益は、被害者が捜査機関の捜査によって受ける利益とは別個のものである。犯罪の被害者は、個人の尊厳が重んじられ、その尊厳にふさわしい処遇を保障される人格的権利を有するものであって、刑事手続における告訴権も、人格的権利の一部をなすものということができる。被害者がその所有に係る証拠物を捜査機関に提出するのは、犯人の検挙・処罰に役立てることを目的とするものであって、告訴権の行使の一内容、あるいは告訴権に類似する人格的権利の行使ということができ、当該証拠物が捜査機関において捜査のために有効に活用され、捜査上必要である限り適正に保管されることの利益は、単に所有権の一部を構成するにとどまらず、上記の人格的権利に由来し、法的に保護された利益というべきである。そして、被害者がその所有に係る証拠物を捜査機関に提出する際、所有権放棄書に署名押印しても、それは、当該証拠物が捜査及び公訴の遂行上で必要性がなくなった場合に、その返還を求めないということを意味するにとどまり、当該証拠物が捜査機関において有効に活用され、適正に保管されることの利益まで放棄することを意味するものではない。したがって、捜査機関が正当な理由なく当該証拠物を廃棄すれば、被害者の法的に保護された利益を侵害するものとして、国家賠償法の規定に基づく損害賠償請求の対象となるといわなければならない。

3  これを本件についてみるに、本件証拠物は、証拠物件保存簿にも記載されず、本件犯罪からわずか半年後に、年末の不用品一斉処分の一環として焼却されたというのである。本件証拠物についての鑑定の結果が出ているからといって、将来本件犯罪の犯人が検挙された場合に、その者が犯行を否認して鑑定の信用性を争うという事態になったときには、再度鑑定を実施することが想定され、また、犯人に対し、本件証拠物の現物を示して事実関係を確認する必要があるなど、本件証拠物は犯人性及び犯行の核心部分に係る事実関係の立証に極めて重要な証拠であって、血液鑑定の結果によって代替可能であるとはいえない。したがって、本件証拠物の焼却は、正当な理由によるものとは到底いうことができず、上告人の法的に保護された利益を侵害し、国家賠償法上違法であるというべきである。

4  そうすると、上告人が被上告人に対し、本件証拠物の焼却につき、国家賠償法1条1項の規定に基づく損害賠償として、20万円の慰謝料の支払を請求することができるとした1審の判断は、正当であるというべきである。

(裁判長裁判官・泉 德治、裁判官・横尾和子、裁判官・甲斐中辰夫、裁判官・島田仁郎、裁判官・才口千晴)

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