最高裁判所第一小法廷 平成17年(オ)184号 判決 2006年12月21日
主文
1 原判決を次のとおり変更する。
(1) 第1審判決を次のとおり変更する。
ア 上告人は、被上告人に対し、479万3064円及びこれに対する平成14年10月30日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
イ 被上告人のその余の請求を棄却する。
(2) 被上告人の原審における追加請求を棄却する。
2 訴訟の総費用は、これを5分し、その4を上告人の負担とし、その余を被上告人の負担とする。
理由
第1事案の概要
1 原審の適法に確定した事実関係の概要は、次のとおりである。
(1) A(以下「破産会社」という。)は、平成10年2月13日、Bから、東京都港区芝▲丁目▲番▲号所在の鉄骨鉄筋コンクリート造地下2階、地上9階建ての建物のうち次のア~エの部分を各記載の賃料で賃借し、その引渡しを受けた(以下、併せて「本件各賃貸借」という。)。
ア 地下1階事務所部分(以下「本件第1賃貸借」という。)
月額賃料 248万0805円
イ 8階、9階居室部分(以下「本件第2賃貸借」という。)
月額賃料 388万6875円
ウ 駐車場部分(以下「本件第3賃貸借」という。)
月額賃料 49万円
エ 倉庫部分(以下「本件第4賃貸借」という。)
月額賃料 3万円
(2) 破産会社は、本件各賃貸借に際し、Bに対し、合計6050万8750円(本件第1賃貸借につき4961万5000円、本件第2賃貸借につき777万3750円、本件第3賃貸借につき294万円、本件第4賃貸借につき18万円)の敷金(以下「本件敷金」という。)を差し入れた。
(3) 破産会社は、平成10年4月30日、C銀行、D銀行、E銀行、F銀行及びG銀行(以下、これらの銀行を「本件各銀行」という。)に対し、破産会社が本件各銀行に対して負担する一切の債務の担保として、本件各賃貸借に基づき破産会社がBに対して有する本件敷金の返還請求権(以下「本件敷金返還請求権」という。)のうち6000万円につき質権(以下「本件質権」という。)を設定し、Bは、同日、確定日付のある証書により本件質権の設定を承諾した。
(4) 本件各銀行及び破産会社は、本件質権の設定に際し、その実行による本件敷金の配分割合を、C銀行262分の87、D銀行262分の65、E銀行262分の50、F銀行262分の30、G銀行262分の30とする旨合意した。
(5) F銀行は、平成10年9月24日、被上告人に対し、破産会社に対して有する債権(元本合計22億9063万5133円)を付随する一切の担保等と共に譲渡し、確定日付のある書面による債権譲渡通知を行った。
(6) 破産会社は、平成11年1月25日に破産宣告を受け、上告人が破産管財人に選任された。
(7) 上告人は、Bとの間で、以下のとおり、本件各賃貸借を順次合意解除し、本件敷金のうち6043万4590円を本件各賃貸借に関して生じたBの債権に充当する旨合意した(この合意を、以下「本件充当合意」という。)。
ア 平成11年3月31日、本件第2賃貸借を合意解除して居室を明け渡し、同年5月14日、未払賃料、未払共益費等合計777万3750円に本件敷金を充当する旨合意した。
イ 同年3月31日、本件第4賃貸借を合意解除して倉庫を明け渡し、同年4月25日、未払賃料、未払共益費等合計10万5840円に本件敷金を充当する旨合意した。
ウ 同年6月21日、本件第3賃貸借を合意解除して駐車場を明け渡し、同年10月14日、未払賃料294万円に本件敷金を充当する旨合意した。
エ 同年10月31日、本件第1賃貸借を合意解除して事務所を明け渡し、平成12年2月23日、未払賃料、未払共益費、本件第1賃貸借の終了に伴う原状回復工事及び残置物処理費用(以下「原状回復費用」という。)等合計4961万5000円(うち1021万3714円は原状回復費用)に本件敷金を充当する旨合意した。
(8) 本件敷金が充当された上記債権のうち、破産宣告後に生じた賃料、共益費、原状回復費用等(以下、これらを併せて「本件宣告後賃料等」という。)は、合計5207万3142円である。
(9) 破産会社の破産財団には、本件第2及び第4賃貸借が合意解除された平成11年3月31日現在で約2億2000万円の、本件第3賃貸借が合意解除された同年6月21日現在で約5億8000万円の、本件第1賃貸借が合意解除された同年10月31日現在で約6億5000万円の銀行預金が存在した。
2 本件は、被上告人が、上告人が本件宣告後賃料等を現実に支払わず、本件敷金をもって充当したことにより、破産財団が本件宣告後賃料等の支払を免れ、被上告人の質権が無価値となってその優先弁済権が害されたとして、上告人に対し、不当利得の返還を求めるとともに、選択的に、原審における追加請求として、上告人の上記行為は破産管財人の善管注意義務に違反するとして、旧破産法(平成16年法律第75号による廃止前のもの。以下同じ。)164条2項、47条4号に基づく損害賠償を求めた事案である。原審は、本件宣告後賃料等のうち、原状回復費用を除く賃料、共益費等(以下、これらを併せて「本件賃料等」という。)については、上告人がこれを現実に支払わずに本件敷金をもって充当したことは、質権設定者の質権者に対する義務に違反する行為であり、これにより破産財団が本件賃料等の支払を免れて法律上の原因なく利得したとして、被上告人の不当利得返還請求を一部認容し、その余の請求を棄却した。
第2上告人及び上告代理人及川健一郎ほかの上告受理申立て理由について
1 債権が質権の目的とされた場合において、質権設定者は、質権者に対し、当該債権の担保価値を維持すべき義務を負い、債権の放棄、免除、相殺、更改等当該債権を消滅、変更させる一切の行為その他当該債権の担保価値を害するような行為を行うことは、同義務に違反するものとして許されないと解すべきである。そして、建物賃貸借における敷金返還請求権は、賃貸借終了後、建物の明渡しがされた時において、敷金からそれまでに生じた賃料債権その他賃貸借契約により賃貸人が賃借人に対して取得する一切の債権を控除し、なお残額があることを条件として、その残額につき発生する条件付債権であるが(最高裁昭和46年(オ)第357号、同48年2月2日第二小法廷判決・民集27巻1号80頁参照)、このような条件付債権としての敷金返還請求権が質権の目的とされた場合において、質権設定者である賃借人が、正当な理由に基づくことなく賃貸人に対し未払債務を生じさせて敷金返還請求権の発生を阻害することは、質権者に対する上記義務に違反するものというべきである。
また、質権設定者が破産した場合において、質権は、別除権として取り扱われ(旧破産法92条)、破産手続によってその効力に影響を受けないものとされており(同法95条)、他に質権設定者と質権者との間の法律関係が破産管財人に承継されないと解すべき法律上の根拠もないから、破産管財人は、質権設定者が質権者に対して負う上記義務を承継すると解される。
2 以上の見地から本件についてみると、上告人は、被上告人に対し、本件各賃貸借に関し、正当な理由に基づくことなく未払債務を生じさせて敷金返還請求権の発生を阻害してはならない義務を負っていたと解すべきところ、前記事実関係によれば、上告人は、本件各賃貸借がすべて合意解除された平成11年10月までの間、破産財団に本件賃料等を支払うのに十分な銀行預金が存在しており、現実にこれを支払うことに支障がなかったにもかかわらず、これを現実に支払わないでBとの間で本件敷金をもって充当する旨の合意をし、本件敷金返還請求権の発生を阻害したのであって、このような行為(以下「本件行為」という。)は、特段の事情がない限り、正当な理由に基づくものとはいえないというべきである。本件行為が破産財団の減少を防ぎ、破産債権者に対する配当額を増大させるために行われたものであるとしても、破産宣告の日以後の賃料等の債権は旧破産法47条7号又は8号により財団債権となり、破産債権に優先して弁済すべきものであるから(旧破産法49条、50条)、これを現実に支払わずに敷金をもって充当することについて破産債権者が保護に値する期待を有するとはいえず、本件行為に正当な理由があるとはいえない。そして、本件において他に上記特段の事情の存在をうかがうことはできない。
3 以上によれば、上告人の本件行為により本件敷金返還請求権の発生が阻害されたことによって、破産財団が法律上の原因なく本件賃料等4185万9428円の支出を免れ、その結果、同額の本件敷金返還請求権が消滅し、質権者が優先弁済を受けることができなくなったのであるから、破産財団は、質権者の損失において上記金額を利得したということができる。したがって、上告人は、4185万9428円の262分の30に相当する479万3064円につき、これを不当利得として被上告人に返還すべき義務を負うというべきである。これと同旨の原審の判断は是認することができる。論旨は理由がない。
第3上告人及び上告代理人及川健一郎ほかの上告理由について
民事事件について最高裁判所に上告をすることが許されるのは、民訴法312条1項又は2項所定の場合に限られるところ、本件上告理由は、理由の不備をいうが、その実質は単なる法令違反を主張するものであって、上記各項に規定する事由に該当しない。
第4職権による検討
1 原審は、被上告人の不当利得返還請求を認容するに際し、上告人が悪意の受益者であることを前提に、上告人に対し本件充当合意の日から年5分の割合による利息の支払を命じた。
2 しかしながら、原審の上記判断は是認することができない。その理由は、次のとおりである。
民法704条の「悪意の受益者」とは、法律上の原因がないことを知りながら利得した者をいうと解するのが相当である(最高裁昭和34年(オ)第478号同37年6月19日第三小法廷判決・裁判集民事61号251頁参照)。これを本件についてみると、上告人の利得が法律上の原因を欠くことになるのは、本件行為によって破産財団の減少を防ぐことに正当な理由があるとは認められず、本件行為が質権者に対する義務に違反するからであるが、上記正当な理由があるか否かは、破産債権者のために破産財団の減少を防ぐという破産管財人の職務上の義務と質権設定者が質権者に対して負う義務との関係をどのように解するかによって結論の異なり得る問題であって、この点について論ずる学説や判例も乏しかったことや、記録によれば上告人は本件行為(本件第3賃貸借に係るものを除く。)につき破産裁判所の許可を得ていることがうかがわれることを考慮すると、上告人が正当な理由のないこと、すなわち法律上の原因のないことを知りながら本件行為を行ったということはできず、上告人を悪意の受益者であるということはできないというべきである。そうすると、原判決中、上告人が悪意の受益者であることを前提に本件充当合意の日以降の利息の支払請求を認容した部分は、判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の違反があり、破棄を免れない。そして、上記説示によれば、被上告人の上記利息の支払請求は、訴状送達の日の翌日以降の年5分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があり(なお、被上告人の上記利息の支払請求には、訴状送達の日の翌日以降の遅延損害金の支払を求める請求が含まれると解される。)、その余は棄却すべきである。また、上記説示によれば、上告人が本件行為につき善管注意義務違反の責任を負うともいえないから、不当利得返還請求と選択的にされている旧破産法164条2項、47条4号に基づく損害賠償請求に基づき本件充当合意の日以降の遅延損害金の支払請求を認容することもできない。したがって、以上と異なる原判決を主文のとおり変更するのが相当である。
よって、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 涌井紀夫 裁判官 横尾和子 裁判官 甲斐中辰夫 裁判官 泉徳治 裁判官 才口千晴)