大判例

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最高裁判所第一小法廷 平成2年(あ)890号 決定 1990年11月01日

本籍

東京都大田区山王二丁目二一番地

住居

同所同番一一号

会社役員

田中隆司

昭和一三年五月二五日生

右の者に対する所得税法違反被告事件について、平成二年八月一五日東京高等裁判所が言い渡した判決に対し、被告人から上告の申立があったので、当裁判所は、次のとおり決定する。

主文

本件上告を棄却する。

理由

弁護人上林博の上告趣意は、量刑不当の主張であって、刑訴法四〇五条の上告理由に当たらない。

よって、同法四一四条、三八六条一項三号により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 角田禮次郎 裁判官 大内恒夫 裁判官 四ツ谷巖 裁判官 大堀誠一 裁判官 橋元四郎平)

平成二年(あ)第八九〇号

上告趣意書

被告人 田中隆司

右の者に対する所得税法違反被告事件についての上告の趣意は、左記の通りである。

平成二年一〇月九日

弁護人 上林博

最高裁判所第一小法廷 御中

原判決の刑の量定は甚しく不当であり、これを破棄しなければ著しく正義に反する。

以下その理由を述べる。

一、原判決は、一審の「被告人を懲役一年六月及び罰金一億二〇〇〇万円に処する。」との判決に対し、これを破棄したものの「被告人を懲役一年二月及び罰金一億二〇〇〇万円に処する。」旨言渡し、再び被告人に実刑判決を言い渡した。

しかしながら、一審及び原審で認められた情状によれば、原判決は、当然懲役刑の執行を猶予すべきであつたものであり、実刑を言い渡した原判決の量刑は、著しく重きに失すると言うべきである。

二、1そこでまず、原判決の量刑についての判示について検討する。

原判決は、本件犯行が悪質であるとする根拠として、<1>逋脱額が巨額であること、<2>逋脱率が九九・七五パーセントと高率であること、<3>初めから計画して行つた犯行であること、<4>動機の点でも何ら斟酌すべきものは認められないことを挙げている。

しかしながら、右のうち、<3>の計画性については、その内容とするところは、最初から架空名義あるいは他人名義で取引を行ったということのみであるが、本件においてこれが唯一の所得秘匿工作であつて、これがなければそもそも逋脱犯は成立しないのであり、この点をとらえて特に「計画的」であると強調することは、誤りである。

従つて、結局本件犯行が悪質だとする根拠は、右<1>の逋脱額と<2>の逋脱率という二点であつて、一審判決及び原判決は、被告人に有利な情状が多々認められているのにもかかわらず、右二点をもつて実刑に処したことが明らかである。

2 脱税事件において量刑上逋脱額及び逋脱率が重要な要素であることはもとより否定するものではないが、これが決定的要素というわけではなく、種々勘案されるべき要素の一つと見るべきものである。

脱税事犯といえども、一般予防及び特別予防の観点から実刑に処すべきか、執行を猶予すべきかを判断すべきこと、当然である。

逋脱額についてみると、本件の四億九、〇八〇万円余というのは、相当高額であるが、脱税事犯に実刑が科せられるようになつた昭和五〇年代当時とは物価も上昇し、経済情勢を反映して格段に高額な事案が多発しており、昨今本件程度の事案は少なくなく、当然実刑を科さねばならないほど「巨額」とはいえないものである。

3 逋脱率についてみると、本件において九九・七五パーセントと高率になつたのは、株式取引による所得を申告しなかつたことによるのであるが、右所得は、本件当時、一定の要件に該当する場合にのみ課税対象となつていたものであつて、全額申告するかあるいは本件のように全く申告しないかのいずれかしかなく、他の一般の所得税のように一部をつまみ申告するということはないのであるから、株式取引以外の所得の少ない本件にあって、逋脱率が高率になるのは当然のことであり、逋脱率の大小を問題にすること自体見当はずれである。

4 要するに、原判決は脱税事犯の量刑にあたり、逋脱額、逋脱率を不当に重視する誤りを犯しているばかりか、逋脱額の評価、本件における逋脱率の特殊性を看過するという誤りをも犯したものであつて、全く画一的、形式的判断により不当な結論を導いたというべきである。

三、1一方、被告人に有利な情状についてみると、原判決が指摘した点は、<1>被告人が犯行を素直に認めて捜査に協力するなど、本件について深く反省していること、<2>前科前歴のないこと、<3>本件逋脱が発覚した後修正申告をして、納税意思を明らかにしたこと、<4>本件により所得した一部、一億三、〇〇〇万円は、被告人が代表取締役をしている株式会社丸五技研に贈与されていること、<5>ある程度の社会的制裁を受けていること、<6>家庭や事業の関係、<7>一審判決を厳粛に受けとめて一層反省を深めるとともに、持株を処分し、あるいは銀行から借金するなどして、未納本税等五億六、一八四万円余を納付したことである。

2 しかしながら、被告人に有利な情状としては、まず、犯行態様という点で、本件が単年度の犯行にすぎないこと、所得秘匿行為として取引名義以外、帳簿操作、仮名預金、資産隠匿など通常行われる工作は全く行つておらず、所得秘匿行為として最低限の単純なものに止まり、到底悪質とはいえないことが指摘されるべきである。

また、犯行の動機として、脱税による利益を、自己が経営する前記会社の資金として投下して会社を維持しようと考えたためであつて、自己の資産を獲得するためではなく、前記のように動機において、「何ら斟酌すべきものは認められない」とする原判決の判断は誤つている。さらに、逋脱所得の使途についても、会社の増資の資金に充てられたことについて原判決は、被告人の特殊に割り当てられたとして、被告人に有利な事情として斟酌出来ないとするが、これも実態に反する判断である。前記会社は当時半導体不況で倒産の危機に直面しており、増資の資金は、会社の運転資金として使われて、危機を脱することができたのである。

形式上被告人の持株となつても、その実質は会社の費用として使われており、何ら被告人の個人財産が増加したというものではないのである。

さらに、実刑判決により被る会社の打撃という点も十分考慮されるべき情状である。社員従業員二〇〇名余りを擁する会社であるが、被告人が創立して日が浅く、被告人が実刑となり服役すれば、会社の維持は著しく困難となり、倒産して多数の従業員が路頭に迷い、多くの下請、取引先にも致命的な打撃を与えることは容易に予想される。

そのような重大な結果を招いてまで被告人を実刑にすべき必要があるとは、到底考えられないのである。原判決は、これら多くの有利な情状を無視、あるいは軽視したものであつて到底納得できない。

四、1ところで、本件量刑において、最も重視されるべきは、被告人が原判決までに、本税及び重加算税の全額五億六、〇〇〇万円余りを納付したという事実である。原判決は、この点を考慮して一審の刑期を軽減したのであるが、単に刑期の軽減にとまらず、当然執行を猶予してよい情状であつたのに、これを不当に低く評価したものである。

この点は、国の財産的被害が回復できたということだけでなく、被告人の反省がいかに深いか、また、被告人が経済的にも大きな刑裁を受けたという意味でも、量刑上重要な情状である。そして被告人としては、これ以上為すべきことはなく、最大限の努力を尽したのであり、それが実現できたのである。それが刑期わずか四ケ月を短縮するだけの情状に止まるのであろうか。

2 この点に関し、一審判決は「被告人の酌むべき事情も多々認められる。」としながら「何分その逋脱税額の未納部分があまり大きく、その将来の納付の見通しも楽観できないので、被告人に対しては、執行猶予を付するのは相当ではない。」と判示した。要するに逋脱税額の未納部分が大きいので実刑に処したというのであり、逋脱税額の相当部分を納付すれば、執行を猶予したと言つているのである。この判断は十分首肯できるものである。そこで、被告人は一審判決後、血のにじむ努力をして、他からの借入れなどにより資金を作り、本税未納部分及び重加算税の全部を納付したのであるが、原判決は一審の判示を無視し、被告人を実刑に処した。原判決は一審の右判示に一言も触れていないが、それが公平であるべき裁判所のとる態度であろうか。

裁判所のこのような判断は、被告人の当然の期待を裏切るもので、被告人としては、裁判所に騙されたという感じを抱いても無理からぬものであろう。

原判決は、一審判決より刑を軽減したとはいえ、その量刑判断においては、一審の方が遙かに優れているといわざるを得ない。

このような原判決の判断は、国民の司法に対する信頼、期待を裏切るものであり、最高裁判所におかれては、是非ともこれを正して頂きたいのである。

以上のとおり、原判決は、刑の量定が甚しく不当であり、これを破棄しなければ著しく正義に反するというべきである。

よつて、本件上告に及んだ次第である。

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