最高裁判所第一小法廷 平成2年(オ)1828号 判決 1993年12月16日
上告人
池田英明
同
池田文明
同
池田博明
右三名訴訟代理人弁護士
田村裕
被上告人
池田公明
主文
原判決中予備的請求に係る上告人ら敗訴部分を破棄し、右部分につき本件を高松高等裁判所に差し戻す。
上告人らのその余の上告を棄却する。
前項に関する上告費用は上告人らの負担とする。
理由
上告代理人田村裕の上告理由について
一原審の確定した事実関係の概要は、次のとおりである。
1 原判決別紙不動産目録記載の土地(以下「本件土地」という。)は、池田芳馬の所有であった。
2 芳馬は、昭和五八年二月一日付け自筆証書によって、本件土地の北一五〇坪を上告人英明の所有地とし、南一八六坪を被上告人及び上告人文明の折半とする旨の遺言(以下「芳馬遺言」という。)をした。
3 芳馬は、昭和五八年四月一日死亡し、その法定相続人は、妻である池田作幸枝、長男である被上告人、二男である上告人博明、三男である上告人英明及び四男である上告人文明である。
4 右芳馬の相続人らは、昭和五八年八月一四日、芳馬遺言が存在することを知らずに、本件土地を作幸枝が単独で相続する旨の遺産分割協議(以下「本件遺産分割協議」という。)をした。上告人ら及び被上告人は、各自が法定の相続分を有することを前提に、芳馬から生前本件土地をもらったと信じ込んでいる作幸枝の意思を尊重するとともに、作幸枝の単独所有にしても近い将来自分たちが相続することになるとの見通しから、作幸枝に本件土地を単独で相続させる旨の本件遺産分割協議をした。
5 作幸枝は、昭和五八年八月二七日付け公正証書によって、財産全部を被上告人に相続させる旨の遺言(以下「作幸枝遺言」という。)をした。
6 本件土地につき、本件遺産分割協議に基づき、作幸枝を所有名義人とする昭和五八年九月二六日受付所有権移転登記がされた。
7 作幸枝は、昭和五九年一月七日死亡し、その法定相続人は、上告人ら及び被上告人である。
8 本件土地につき、作幸枝遺言に基づき、被上告人を所有名義人とする昭和五九年二月二一日受付所有権移転登記がされた。
9 上告人博明は、昭和五九年一一月ころ、芳馬遺言の遺言書を発見した。上告人らは、同じころ、作幸枝遺言の内容を知り、同六〇年二月七日、被上告人に対し遺留分減殺請求をした。
二上告人らは、主位的請求として、芳馬遺言の趣旨により本件土地につき上告人英明は一一一〇分の四九五、同文明は一一一〇分の三〇七の共有持分を取得したと主張して、被上告人に対し、本件土地につき右割合による更正登記手続を求め、予備的請求として、本件遺産分割協議の成立を否認するとともに、仮に成立したとしても要素の錯誤により無効であると主張して、被上告人に対し、本件土地が芳馬の遺産であることの確認及び本件土地につき上告人らの持分各一六分の三とする更正登記手続を求めた。被上告人は、上告人らの右主張を争い、本件土地は本件遺産分割協議により作幸枝が相続したと主張した。
原審は、前記一の事実関係に基づいて次の判断を示し、上告人らの予備的請求のうち本件土地の更正登記手続請求につき上告人らの持分を各八分の一とする限度で認容すべきものとし、主位的請求及びそのほかの予備的請求を棄却すべきものとした。
1 上告人らは、法定の相続分を有することを知りながら、芳馬から生前本件土地をもらったと信じ込んでいる作幸枝の意思を尊重するとともに、作幸枝の単独所有にしても近い将来自分たちが相続することになるとの見通しから、本件遺産分割協議をしたのであるから、上告人らが当時芳馬遺言の存在を知っていたとしても、本件遺産分割協議の結果には影響を与えなかったということができる。したがって、上告人らが芳馬遺言の存在を知らなかったからといって本件遺産分割協議における上告人らの意思表示に要素の錯誤があるとはいえない。
2 本件土地は、本件遺産分割協議により作幸枝が単独で相続したから、上告人らの主位的請求及び予備的請求のうち本件土地が芳馬の遺産であることの確認を求める部分は理由がない。
3 上告人らが本件作幸枝遺言についてした遺留分減殺請求により、上告人らは本件土地につき各八分の一の持分を有することになるので、予備的請求のうち更正登記手続請求は右の限度で理由がある。
三しかしながら、原審の右1の判断は是認することができない。その理由は、次のとおりである。
相続人が遺産分割協議の意思決定をする場合において、遺言で分割の方法が定められているときは、その趣旨は遺産分割の協議及び審判を通じて可能な限り尊重されるべきものであり、相続人もその趣旨を尊重しようとするのが通常であるから、相続人の意思決定に与える影響力は格段に大きいということができる。ところで、芳馬遺言は、本件土地につきおおよその面積と位置を示して三分割した上、それぞれを被上告人、上告人英明及び同文明の三名に相続させる趣旨のものであり、本件土地についての分割の方法をかなり明瞭に定めているということができるから、上告人英明及び同文明は、芳馬遺言の存在を知っていれば、特段の事情のない限り、本件土地を作幸枝が単独で相続する旨の本件遺産分割協議の意思表示をしなかった蓋然性が極めて高いものというべきである。右上告人らは、それぞれ法定の相続分を有することを知りながら、芳馬から生前本件土地をもらったと信じ込んでいる作幸枝の意思を尊重しようとしたこと、作幸枝の単独所有にしても近い将来自分たちが相続することになるとの見通しを持っていたという事情があったとしても、遺言で定められた分割の方法が相続人の意思決定に与える影響力の大きさなどを考慮すると、これをもって右特段の事情があるということはできない。
これと異なる見解に立って、右上告人らが芳馬遺言の存在を知っていたとしても、本件遺産分割協議の結果には影響を与えなかったと判断した原判決には、民法九五条の解釈適用を誤った違法があり、ひいては審理不尽の違法があって、右違法が判決に影響を及ぼすことは明らかであるから、この趣旨をいう論旨は理由がある。
四芳馬遺言の内容は特定の遺産を特定の相続人に相続させる趣旨のものではなく、芳馬遺言が存在することによって上告人らが本件土地につき各主張に係る共有持分を取得するとはいえないというべきであるから、上告人らの主位的請求は主張自体理由がないというべきである。したがって、右主位的請求を棄却した原審の判断は、結論において是認することができる。
五よって、原判決のうち予備的請求に係る上告人ら敗訴部分を破棄し、右部分につき錯誤の成否について更に審理を尽くさせるため原審に差し戻し、上告人らのその余の上告を棄却することとし、民訴法四〇七条一項、三九六条、三八四条、九五条、八九条、九三条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官味村治 裁判官大堀誠一 裁判官小野幹雄 裁判官三好達 裁判官大白勝)
上告代理人田村裕の上告理由
第一、一ないし二(2)(一)<省略>
(二) 上告人らは「右単独登記にする旨の合意の当時、実際は亡芳馬の遺言及び亡作幸枝の遺言が存在していたのにもかかわらず、上告人らはその存在を全く知らないままに、亡作幸枝の単独名義にする旨を合意したものであるから、本件土地を作幸枝の単独名義にする旨の合意は『要素の錯誤』であって無効である。」と主張してきたが、これに対し原判決は、「上告人らは本件土地につき相続分を有することを前提として作幸枝に単独相続させたのであるから、上告人らが当時たとえ右遺言書の存在を知るところとなったとしても、作幸枝の希望を容れて同人に相続させたという動機から勘案すれば、分割協議の結果には影響を与えることにはならなかったと推認できる」として上告人の主張を排斥した。
しかし亡芳馬は、遺言により本件土地を含む遺産全体について、相続人のうちから相続すべき者を定めるとともに遺産の分割方法を指定し、亡作幸枝の公正証書遺言その内容は、被上告人のみに相続させるという内容のものである。
すなわち、
(1) 亡芳馬は特定の相続財産を特定の共同相続人に取得させる旨の遺言をしており、これは遺産分割において特定財産を当該相続人に取得させるべきことを指示する遺産分割の方法を指定(民法九〇二条、九〇八条)をしたものであるところ、右遺言が亡父の遺言だという影響力の強いものであることと考えるとこのような具体的な指定が全遺産についてあったならば、本件田にだけについて将来の相続を見越して亡作幸枝の単独名義にするなどということはなかった筈であり
(2) しかも亡芳馬の遺言によれば亡作幸枝の取得分は全く存在せず、また亡作幸枝の遺言によれば同人の遺産全部を被上告人公明のみに取得させる内容のものであり、右両遺言を考え合わせれば、本件田は右亡芳馬の遺産の一部であって本件の田の名義を亡作幸枝名義にすると必然的に被上告人公明のものとなる。原判決摘示の如く上告人らには、自己の取得分があることが判っていながら、上告人らはこれを放棄したという意味で亡作幸枝の単独登記に応じたのではなく、亡芳馬が作幸枝に相続させない意思であること、また、亡作幸枝の遺産(固有のものはなく亡芳馬からの相続分のみ)が被上告人公明単独のものとなることを前提にしないで亡作幸枝単独登記に同意したものであって、上告人らがそのことを知っていたならば亡作幸枝に単独登記をすることはなかった筈である。
右登記のなされたあとに、亡芳馬の遺言と亡作幸枝の遺言の存在が判明したというのであってこれが要素の錯誤でなくて何であろうか。原判決は全く誤った前提にたっているものといわなければならない。