大判例

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最高裁判所第一小法廷 平成2年(行ツ)116号 判決 1990年10月25日

上告人

学校法人倉田学園

右代表者理事

倉田キヨヱ

右訴訟代理人弁護士

白川好晴

被上告人

中央労働委員会

右代表者会長

石川吉右衛門

右補助参加人

大手前高松高等(中)学校教職員組合

右代表者執行委員長

天野滋

右訴訟代理人弁護士

田原俊雄

高野範城

右当事者間の東京高等裁判所昭和六三年(行コ)第四七号不当労働行為救済命令取消請求事件について、同裁判所が平成二年四月九日言い渡した判決に対し、上告人から全部破棄を求める旨の上告の申立があった。よって、当裁判所は次のとおり判決する。

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人白川好晴の上告理由について

所論の点に関する原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らし、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。論旨は、いずれも採用することができない。

よって、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 四ツ谷巖 裁判官 角田禮次郎 裁判官 大内恒夫 裁判官 大堀誠一 裁判官 橋元四郎平)

(平成二年(行ツ)第一一六号 上告人学校法人倉田学園)

上告代理人白川好晴の上告理由

原判決(その理由摘示は、第一審判決のそれをすべて引用しているので、以下においては、第一審判決を原判決として表示する)には、以下に述べるとおり、判決に影響を及ぼすこと明らかなる法令の違背があるので、破棄を免れない。

一 原判決には、労組法五条の解釈に誤りがある。すなわち、

原判決は、理由二において、労働委員会が労組法五条により法定要件を欠く組合の救済申立を拒否すべき義務は、国家に対して負うものであり、被申立人たる使用者に対して負うものでないから、仮に資格審査に手続上、内容上の誤りありとしても、使用者は、何らその法律上の利益を害されず、右を理由として救済命令の取消を求め得ないと判断する。

しかしながら、不当労働行為救済の手続は、法定要件を充たす組合にしてはじめてこれを利用しうるものであり、換言すると、この場合にのみ、使用者は右手続に強制的に関与させられ、引き込まれるものであるから、かような要件を充たさない組合によっては右手続に引き込まれ煩わせられないという利益を使用者は法的に保護されているものである。

原審の判断は、右の実体を無視するものであり、使用者は無資格の組合によって右手続が発動されてもその「法律上の利益を害されない」という結論を先取りするため、右資格要件を欠く組合の救済申立を拒否すべき義務を使用者に対しては負っていないなどというきわめて人為的かつ作為的な立論をしているものにすぎない。

さらに、労働委員会が、右のような義務を原審も認めるように、少なくとも国家に対して負っているのであれば、この点についての判断の瑕疵を何故救済命令取消の理由となし得ないのかも、原判決は必ずしも論理的に明確に説示していない。

二 原判決には、学園の団交応諾義務の範囲、履行の有無につき、その解釈に誤りがあり、又、重大な事実の誤認がある。すなわち、

1 原判決は、理由三1において、昭和五五年五月二一日の団交の席上においては、組合員の処分問題が話されたのみで、当年度のボーナス支給等の問題の交渉が行われなかっただけであるから、組合が後者の点につき団交権を放棄したなどとは認められないと結論するが、失当である。

学園は、右団交の席上、任意的団交事項である組合員個人の処分問題についてはこれを交渉する意図はなく、専ら当年度一年間の給与、ボーナス等についてのみ団交する用意である旨を事前に表明しそのように対応したが、組合は一方的に処分問題を持ち出し、これに固執し、給与、ボーナス等についての団交に入らず、意識的に右の団交権を放棄したものである。

2 原判決は、理由三2において、組合員全員が本件ボーナスを受領したことを以てしても、本件交渉事項は解決ずみとは言えないとしているが、失当である。

原審も認める如く、労使間においては、学園が一二月四日に提案した率のボーナスにつき組合が同月五日これを前渡金として理解する旨の回答をするなど当初見解の一致が見られなかったので、一応組合員への支給は保留することとし、その旨が組合側に伝達されたのである。

しかるところ、組合の天野委員長より同日の職員朝礼にて、組合側は受け取らぬとはいっていないなどとの意思表示があったので、学園側は、組合側が前記前渡金として受領するとの立場を撤回したものと理解し、同日非組合員と同時に組合員にも学園提案の率のボーナスを支給したものであり、このさい、組合員は前渡金として受け取るなどという意思表示は一切していないのである。

原判決は、<1>一二月五日の職員朝礼のあと職場大会で組合が前渡金として受領することを確認したこと、<2>同日の支給組合が学園に対しボーナスにつき団交開催を迫っていることなどをあげて、組合が学園の提示条件でのボーナス支給を了解したと解すべきでないとしているが、右<1>の事実がかりにありとしてもその事実はボーナス支給のさい学園に知らされておらず学園が関知しないことであり、又<2>の事実は、ボーナス支給後のことであってこのことのみを以て、ボーナス受領のさい組合がいかなる立場をとっていたか直ちに判断し得るものではない。

むしろ、原判決も認める如く、各組合員は、前記の経緯からして、前渡金として受領することを明示しなかった点において非難を免れ得ない(原判決書二八丁表五行~七行)のであって、本件の事情の如き場合、学園の立場にある者としては組合ないしは組合員が従前の前渡金として受領するという立場を撤回、変更して、学園の立場に歩みよりこれを受領することに踏み切ったものと考えるのが当然であって、又、組合も当時そのように決断したものと考えるのが自然である。

もし、組合が、その主張する如く、一貫して前渡金として受領する立場を変更していなかったというのであれば、受領時直前の天野委員長の言動、受領のさいの組合員の態度は、まさに、あたかも学園提案に同意しているかのような誤った印象を学園に与えることを意図して、学園を錯誤に陥れ、ボーナスを支給せしめたものであって、きわめて悪質であり、信義則上、後になって、その外観に反し、実は学園提案には同意していず前渡金として受領するつもりであったなどと、主張できない性質のものである。

3 原判決理由三3について

(1) 原判決は理由三3前半において、昭和五六年一月一四日の団交において、学園が団交義務を尽くしていないと判示するが失当である。

原審も指摘する如く、学園は、専ら公費補助を受けている学園は財政事情のいかんにかかわらず県立校並み以上にボーナスを出すべきではないという立場をとっている関係上、冬季ボーナスに関する団交と学園の財政事情とは関係がないとの見地から組合の右説明要求等を拒否したものである(原判決書三〇丁裏)。

そして、右学園の立場はきわめて正当なものであり、これを正当化する公費補助の事実自体も社会的に顕著な事実である。したがって、例え原判決摘示の如く、組合が右学園の立場に疑問を持ち、組合の立場から財政事情等の資料提出を求め、その説明を求め、かつ、これが組合の立場からいって無理からぬことであっても、そのこと自体から右学園の立場の正当性が損なわれるわけでなく、単に組合が学園とは異なる立場、しかも、前記学園の立場とは相容れない立場をとっていたということを意味するにすぎないものである。

本件事案は、このように、単に労使双方が相容れない立場を団交においてとり、互いにその立場に固執したというだけのことであり、原判決の如く、学園のみがその立場に固執したもの、したがって、団交を拒否したものと判断するのは、全くの片手落と評せざるを得ない。

原審の如き、立場をとれば、本件の如き、団交の行き詰まりの場合は、すべて使用者側が自己の立場に固執したためということに帰してしまうであろう。

(2) 原判決は又、理由三3後半においても、学園が昭和五六年三月一一日の団交にて団交義務を尽くしていないかのように判断しているが、これも又失当と言わざるを得ない。

上告人も勤評が原判決摘示の如く、公平かつ適正に行われるべきであること自体は争うものではないが、問題は、人事評価一般に内在する裁量性、秘密性をどう扱うかということである。原判決も、職員個人の考課表の公表の拒否自体には正当性、合理性を認め(原判決書三三丁表)又、学園が評定事項(勤評の柱、定性的部分)につき詳細な説明をしていることをもそれなりに評価はしている(同丁裏)ようではあるが、評定事項の重要度(定量的部分)につき学園が説明していない点等を批判し、この点からして学園が充分団交義務をつくしていないとするもののようである。

しかしながら、評定事項の重要度の説明などというものは、右重要度が一般に数量化し得るならともかく、このようなことは人事評価に要求される裁量性、弾力性と真正面から衝突する要請であって、かかる重要度をそもそも設定(あるいは数量的に説明)できるかがまさに問題であって、原判決は、あたかも、それが容易に可能であるかのような幻想にとらわれた机上の空論を述べているにすぎない。

又、補助参加人組合も、以上の点を意識しているからこそ、勤評の説明を求める、とくに、評定事項の重要度の説明を求めるなどと称して、その実、本件不当労働行為救済手続を手段として自らのかねてより主張してきた勤評撤廃運動を推進せんとしているものにすぎない。

三 原判決には、学園の団交拒否の正当性の事由の範囲、その有無につき、解釈上の誤りがあり、又重大な事実の誤認がある。すなわち、

1 原判決は、理由四1において、学園が多忙を理由として団交に応じなかったことは相当でないとするが失当である。

原審も認定する如く、問題の昭和五六年一月二六日より同年三月一一日までの期間については、中学校、高等学校の各入学試験、高校三年生の大学入試、学年末定期試験、卒業認定会議、卒業式等の例年行なわれる各行事が目白押しに並んでおり(原判決書四丁裏)、その他地労委、地裁係属事件への対応等の仕事があって、学園理事者側は繁忙をきわめていたのであり、昭和五四年、昭和五五年の同じ期間に数回持たれた団交も以上と同様の状況あるにかかわらず学園が無理をして団交に応じたものであるから、昭和五四年、五五年の実績を理由として、学園の主張を理由なしとすることは出来ないと言うべきである。

2 原判決理由四2について

(1) 原判決は、理由四2前半において、団交は学園役員および教職員のみで行なう旨の口頭了解があったとは認められないとするが、失当である。

原審も認めるように、当時の組合書記長であった岡好孝すら学園の申入れに応じて組合が右口頭了解を成立させたことを認めているのであり(原判決書三八丁表)、そのさい組合側では労組法六条の趣旨を没却しないことを条件としたということはなかったものであり、かりに右条件が付せられていたとしても、右口頭了解は何ら労組法六条に抵触しないから完全に有効というべきである。原審の判断は以上の点につき重大な誤りがあると言わざるを得ない。

又、海野は当時雇止めにより学園教職員たる資格を喪失していたものであり、現在に至るも仮処分その他により右雇止めの効力は停止されていないのであるから、同人が交渉委員の資格を有しないことは前記口頭了解の解釈上当然のことというべきであり、これに反する原判決の判断も失当というべきである。

(2) 原判決は又、理由四2後半において、海野につき、同人の粗暴な態度等を理由としては同人を交渉委員からは排除し得ないとも判示するが、これ又、失当である。

原審も認定する如く、海野は当時常軌を逸する組合運動をくり返し率先して指揮実行する一方、団交の席上においても、大声で怒鳴ったり机を叩くなど目に余る行動に度々及んでいたものであり(原判決書三九丁裏~四〇丁裏)、勿論これらの挙動は度重なるその都度の学園の注意、警告を無視して敢行されて来たものである。

かかる人物は最早、労使間の相互の信頼に基づく節度ある団交に本来ふさわしい者とは言えず、その出席自体が円滑かつ平穏な団交遂行の阻害となるものと言うべきである。

かかる場合においては、原判決が示唆するが如き、事前の勧告、途中での同人の退席要求、学園の交渉打切等の手段(原判決書四二丁裏~四三丁表)はその効果を十分に期待できないものであり、残された有効な手段は、唯一つ、同人の団交からの全面的排除以外にないものと言わざるを得ない。

3 原判決は理由四3において、学園が団交の場所を学外に固執することなく団交に応じる義務ありと判示するが失当である。

そもそも、団交の場所としては偶々学内の大会議室が使用されていたが、団交場所につき労使間にその旨の協定があるわけでもなく、これが労使慣行になっていたものではないから、組合としてはその使用を要求しこれに固執する権利などあるはずがないのである。

大会議室は、単に学園が便宜供与としてこれを団交場所に提供したにすぎないものであり、施設管理上好ましくない影響がある場合その他、学園としては何時でもその供与を中止しても何ら非難されるべき理由はない。

本件の場合、学園としては、大会議室の利用の供与を中止する一方、団交に実質上の不便があってはならないので、近くの銀星旅館を使用料は学園持ちで団交の場所として提案したものである。又、この結果、組合に何らの実質上、経済上の重大な負担も生ぜしめたわけでもない。

このような場合は、むしろ組合側こそ、団交の開催場所を学内とすることに固執する正当性がないと言うべきである。

以上

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