最高裁判所第一小法廷 平成2年(行ツ)43号 判決 1990年10月18日
上告人
渡邉和子
右訴訟代理人弁護士
岡村親宣
望月浩一郎
被上告人
岐阜労働基準監督署長山田明正
被上告人
岐阜労働者災害補償保険審査官浅見司郎
被上告人
労働保険審査会
右代表者会長
倉橋義定
右三名指定代理人
兼行邦夫
右当事者間の東京高等裁判所昭和六三年(行コ)第八五号療養補償給付等不支給処分取消等請求事件について、同裁判所が平成元年一二月二〇日言い渡した判決に対し、上告人から全部破棄を求める旨の上告の申立があった。よって、当裁判所は次のとおり判決する。
主文
本件上告を棄却する。
上告費用は上告人の負担とする。
理由
上告代理人岡村親宜、同望月浩一郎の上告理由について
所論の点に関する原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係及びその説示に照らし、正当として是認することができる。原判決に所論の違法はなく、また、所論引用の判例に違反するところもない。論旨は、採用することができない。
よって、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 大内恒夫 裁判官 角田禮次郎 裁判官 四ツ谷巖 裁判官 大堀誠一 裁判官 橋元四郎平)
(平成二年(行ツ)第四三号 上告人渡邉和子)
上告代理人岡村親宜、同望月浩一郎の上告理由
はじめに
本件事案の概要は、原判決の確定した事実によれば、次のとおりである。
一 一審原告秋鹿匡民(以下「秋鹿」という)は、一九六九年(昭和四四年)一〇月二五日に、訴外大建設計株式会社の労働者として勤務していた際、高さ二・五メートルの高さから転落し、頭部打撲挫創、頸部挫傷などの傷害を負った。秋鹿は、右事故後、永見市民病院、富山県立中央病院、高野整形外科病院などで療養を継続してきたものであるが、一九七八年(昭和五三年)九月二九日、主治医より症状固定の診断を受けた。
秋鹿は、右事故による負傷及び疾病は「業務上」の負傷、疾病であるとして、被上告人岐阜労働基準監督署長(以下「労基署長」という)に対し、療養補償給付(障害補償給付請求書に記載するために要した診断書料の請求)、休業補償給付及び障害補償給付を請求したが、労基署長は、一九七八年(昭和五三年)一二月二〇日、「本件疾病は業務上負傷に起因した疾病とは認められない」として不支給処分を行った。
二 秋鹿は、労基署長の右不支給処分を不服として被上告人岐阜労働者災害補償保険審査官(以下「審査官」という)に対し審査請求を行ったところ、審査官は、本件疾病は業務上の負傷に起因した疾病と認め、岐阜労基署長の不支給処分の処分理由は理由足り得ないと判断したが、岐阜労基署長の不支給処分の処分理由ではなく、富山県立中央病院における最終診療日である一九七〇年(昭和四五年)六月八日には治癒したとし、
<1> 休業補償給付は、治癒後の療養についての請求であることを理由に、
<2> 障害補償給付は、治癒五年間以上経過後の請求であり労働者災害補償保険法(以下「労災保険法」という)第四二条の時効により消滅したことを理由に、
岐阜労基署長が、右消滅時効につきこれを援用していないにもかかわらず、それぞれ不支給処分は妥当であるとして各審査請求を棄却した。
三 秋鹿は、審査官の右棄却決定に対し被上告人労働保険審査会(以下「審査会」という)に対し再審査請求をしたが、審査会は、審査官決定と同様の理由で、一九八一年(昭和五六年)一二月三日付で再審査請求を棄却した。
四 秋鹿は、東京地方裁判所に対し、原処分庁の不支給処分、審査官の決定及び審査会の裁決の取り消しを求め本訴に及んだ。東京地裁は、一九八七(昭和六二)年三月一九日に結審したが、その後約一年七か月の間本件訴訟を放置し、一九八八年(昭和六三)年一一月一七日に至り請求棄却の判決を下した。
一審結審後に秋鹿が死亡したため、秋鹿から本件訴訟を承継した上告人が控訴したところ、控訴後一年余り期日を指定せずに本件訴訟を放置し、一九八九年(昭和六三)年一一月二〇日の第一回口頭弁論期日だけにて結審し(なお、被上告人らの一九八九年(平成元年)一一月二九日付準備書面は結審後提出されたものであり陳述されていない)、わずか一か月後の一九八九年(平成元年)一二月二〇日に判決を言い渡し、上告人の控訴を棄却したものである。
なお、被上告人岐阜労基署長は、裁判段階においても、消滅時効の援用をしていない。
第一点 原判決には、労災保険法第四二条に定める労災補償給付請求権の「消滅時効」の援用につき、判決に影響を及ぼすことの明らかな法律解釈の誤りがあり取り消さるべきである。
一 労基署長が消滅時効の援用をしていないにもかかわらず、審査官及び審査会が上告人の本件各請求権が消滅時効により消滅したことを理由に審査請求及び再審査請求を棄却した違法があるか否かにつき、原判決は右違法はないと判示した。
その理由の第一として、原判決は、「行政事件訴訟法一〇条二項によれば、原処分の取消の訴えと原処分についての審査請求を棄却した裁決の取消の訴えを提起することができる場合には、裁決の取消の訴えにおいては、処分の違法を理由として取消を求めることができないとされ、裁決固有の違法事由を主張しなければならず、右裁決固有の違法事由とは実体的内容に関する事由以外の主体、手続及び形式に関する瑕疵をいうと解されるところ、消滅時効の判断は実体的内容に関するものであって、原処分取消しの訴えにおいて争われるべきものであるから、右裁決固有の違法事由に当たらないというべきである」との一審判決の理由説示を引用した。
そして、その理由の第二として、原判決は、一審判決の説示する
「時効の援用は、民事の裁判において時効により利益を受けるか否かを援用により利益を受ける当事者の自由意思に委ねる趣旨の制度であるが、労働基準監督署長は労災保険法第四二条所定の労災補償給付請求権の消滅時効の援用により利益を受ける立場になく、同条の規定は、請求書提出期間を定めたものと解するのが相当であるから、民法第一四五条の適用を前提とする原告の主張は採用できない」
との理由説示を「改め」て、次のとおり説示した。
「控訴人は、被控訴人岐阜労働基準監督署長が、時効の援用をしない以上、補償給付請求権の消滅時効の成否は、審査請求、再審査請求における審理の対象とはならないから、これを判断した点で本件決定、本件裁決には、それら固有の違法事由があるとするが、労災保険法四二条所定の時効については、会計法三一条一項の規定が適用され、その時効による債務消滅の効果は確定的に生じ、被控訴人岐阜労働基準監督署長の援用を要しないと解すべきであるから、右主張は前提を欠くというべきであり、採用することができない。」
二 労災保険法第四二条は、休業補償給付等を受ける権利は二年を経過したとき、障害補償給付等を受ける権利は五年を経過したときは、「時効によって消滅する」と定めているが、これは、被災労働者又は遺族が労基署長に対し補償給付の支給決定を求める請求権(以下単に「支給決定請求権」という。)の消滅時効を定めたものであり、一定期間の経過により請求権が確定的に消滅する除斥期間を定めたものではない。原判決は、一審判決の「請求書提出期間を定めたものと解するのが相当」との説示を取り消したが、それは、一審判決が明文の規定に反し除斥期間と解する誤った法律解釈を行ったがゆえに他ならない。
除斥期間は、継続した事実状態の有無を顧慮せず、一定の権利について法律の予定する存続期間である。消滅時効制度は、除斥期間とは異なり、権利の不行使又は損害及び加害者を知ったという事実状態の存すること及び右事実状態が一定期間継続することを要件とし、その中断があり、又、当事者の援用が必要である(除斥期間にはその中断はなく、又当事者が援用しなくとも裁判所はこれを基礎として裁判をしなければならない)。
従って、労災保険給付において労基署長は、本条による消滅時効の適用が不適当な場合はこれを適用せず、保険給付の不支給決定を行うことも法的に許されるのである(もし除斥期間であれば、これは許されず、もし労基署長が支給決定を行えば違法行為を行ったことになる)。
労働省は、再発認定が一旦不承認とされた後、死亡に基づく遺族補償給付が認められ、その後遺族から本人生前の療養・休業補償給付の申請がなされた事例について時効を援用せずに療養・休業補償給付を支給し(昭和四五年一二月二五日基収第五八七〇号)、ベンジジン曝露による膀胱腫瘍につき、ベンジジンの有害性が行政的に確認された「特定化学物質等障害予防規則」の施行日である昭和四六年四月二八日を時効の起算日とする特例処置を認めているが、これらは、労災保険法四二条が、除斥期間ではなく、消滅時効を定めたものであるが故に許されるのである。
三 ところで、労災保険法第四二条は、労基署長に対する補償給付の支給決定請求権の消滅時効を定めるものであり、労基署長の支給決定後の具体的に確定した給付金請求権(以下「給付金請求権」という)の消滅時効を定めるものではない。
支給決定請求権は、労基署長の各種補償給付の支給処分の決定を請求する権利であるから金銭債務ではなく、労基署長の支給処分によって具体的に確定した給付金請求権となり、この給付金請求権が金銭債権となる。
しかして、会計法第三〇条以下の消滅時効制度は、「国の権利義務を早期に決済する必要があるなど主として行政上の便宜を考慮したことに基づくものであるから、同条の五年の消滅時効期間の定めは、右のような行政上の便宜を考慮する必要がある金銭債権であって他に時効期間につき特別の規定のないものについて適用されるものと解すべきであ」り(最高裁判所第三小法廷昭和五〇年二月二五日判決、民集二九巻二号一四三頁)、会計法第三一条第一項の規定は、金銭債権であるところの「給付金請求権」には適用されるが、金銭債権ではない労災保険法第四二条が定める労基署長に対する「支給決定請求権」には適用されないものである。
右のとおり、「支給決定請求権」について、会計法第三一条第一項の規定が適用され、時効による債務消滅の効果が確定的に生じ、時効の援用を要しないと解することは許されない。
かかる解釈は労働省自身も承認しているところであり、同省は、支給決定請求権ではなく、支給決定によって具体的に確定した給付金請求権が、支給決定のあった日の翌日から公法上の金銭債権の時効に関する一般規定たる会計法第三〇条後段の規定により五年で時効消滅するとの通達(昭和四一年一月三一日付基発第七三条)を発しているのである。
従って、労災保険法第四二条の定める消滅時効について、会計法第三一条一項の規定が適用され、その時効による債務消滅の効果が確定的に生じ、労基署長による援用を要しないと解する原判決の誤りは明白である。
四 よって、労災保険法第四二条の定める消滅時効については、会計法第三一条第一項の適用はなく、その消滅時効による債権消滅の効果は確定的に生ずるものではなく、消滅時効制度の原則にたちかえり、民法第一四五条の適用があり(もしくは類推適用され)、当事者の時効の援用を必要と解するのが相当である。
一審判決は、「労基署長は労災保険法第四二条所定の労災補償給付請求権の消滅時効の援用により利益を受ける立場にな」いことを理由にこれを否定したが、労基署長は、時効の援用により被災者らの補償給付支給決定請求権に対し、それを理由とする不支給決定をする「利益」を有しているのであり、理由足り得ず、それ故にこそ原判決は右理由説示を取り消したものにほかならない。
しかして、労災保険法第四二条の定める消滅時効については、労基署長の援用が必要であるにもかかわらず、本件においては、被上告人岐阜労基署長は、これを援用しておらず、消滅時効制度の原則にたちかえり民法第一四五条の適用(もしくは類推適用)により、不服審査機関である被上告人岐阜労災保険審査官及び同労働保険審査会は、消滅時効を理由とした決定、裁決をなすことは許されないと解するのが相当である。
したがって、労災保険法第四二条の消滅時効を理由に上告人の請求を棄却した被上告人岐阜労災保険審査官の決定及び同労働保険審査会の裁決には、被上告人岐阜労基署長の不支給処分の違法ではなく、裁決固有の違法事由が存するのである。原判決は、「裁決固有の違法事由とは、実体的内容に関する瑕疵をいうと解されるところ、消滅時効の判断は実体的内容に関するものであって、原処分取消しの訴えにおいて争われるべきものであるから、右裁決固有の違法事由に当たらない」との一審判決を引用するが、裁決固有の違法事由とは、処分の違法を理由とする以外の裁決の違法事由をいい、これには、労基署長の消滅時効の援用がないにもかかわらず、これを理由とした労災保険審査官の決定及び労働保険審査会の裁決も含まれると解するのが相当であり、原判決の解釈は全く詭弁というほかない。
第二点 原判決には、労災保険法第四二条に定める労災補償給付請求権の「消滅時効」の起算点につき、判決に影響を及ぼすことの明らかな法律解釈の誤り及び判例違反、並びに理由不備の違法があり、取り消さるべきである。
一 原判決は、右「消滅時効」の起算点につき、「民法一六六条一項の規定を準用し、権利を行使することができる時から進行する」と解し、
「この点につき、原告は、民法七二四条を準用し、本件障害補償給付請求権については、原告が本件事故に起因する疾病である右症状の治癒を覚知した昭和五三年九月二九日から起算すべきであると主張するが、前認定のとおり、原告の残存障害である上肢の痛みとしびれは、本件事故前にはなく、本件事故直後に発症し、そのまま継続し、固定するに至ったものであるから、仮に、補償給付請求権の消滅時効について、当該疾病が業務に起因することを覚知したときから進行すると解する余地があるとしても、その事故起因性は、発症後直ちに原告自身に覚知されたものと認められ、客観的には治癒の時点から補償給付請求権の行使は可能であったというべきであり、この場合に、右消滅時効が、当該労働者において、その治癒を覚知しないかぎり施行しないものと解する見解には、現在その時効期間が五年とされ、相当の期間が定められている点にかんがみても賛成しがたい」
と判示し、
「そうすると、原告の本件障害補償給付請求権は、遅くとも疾病が治癒していたと考えられる昭和四五年六月八日の翌日である同月九日から消滅時効が進行し、請求時である昭和五二年一〇月二一日には既に五年以上を経過し、時効により消滅したというべきである。」
との一審判決の説示を引用した。
二 しかし、原判決は、労災保険法第四二条に民法第七二四条を類推適用しない理由については、何も判示していない。すなわち、「当該労働者において、その治癒を覚知しないかぎり進行しないものと解する見解には、現在その時効期間が五年とされ、相当の期間が定められている点にかんがみても賛成しがたい」との判示は結論であって、およそ理由足り得ず、理由不備の違法があるといわなければならない。
三 しかして、労災補償制度は、労働者と家族の生活保障を目的とする法定救済制度であり、保障給付の時効の起算点も右制度目的に照らし、合目的に法律解釈されるべきである。
ところで、消滅時効の起算点につき、民法は一般の債権については「権利を行使することを得る時より(民法第一六六条第一項)、不法行為債権については「損害及び加害者を知った時」より進行する(民法第七二四条)と定めるが、不法行為債権につき主観的要件を定めるのは、被害者保護の必要性があるからだとされている。
しかして、右労災保障(ママ)制度の制度目的に照らせば、被災者救済の必要性は不法行為と同様にあり、障害保障(ママ)給付請求権の消滅時効の起算点は、民法第七二四条を適用(もしくは類推適用)し、業務上の負傷または疾病が症状固定に至るもなお障害が残り、客観的には権利行使が可能となったというだけでは足りず、これに加えて、請求権者が右障害が業務に起因するものであること、及び症状が固定したことを知ることが必要と解するのが相当であり、これは、確立した判例法理である(高松高判昭四三・七・二〇[訟務月報一四・八・九一四]、富山地判昭五四・五・二五[下民集三三巻五~八号九八四頁]、名古屋高裁金沢支部判昭五六・四・一五[労働法律旬報一〇三六号五六頁]、岐阜地判昭六〇・四・二二[労裁集三六巻二号一九三頁]、名古屋高裁判昭六一・五・一九[労裁集三七巻二・(ママ)号二五〇頁])。
四 右名古屋高判昭六一・五・一九で支持された岐阜地判昭六〇・四・二二では、次のとおり判示している。
「まず、法四二条は、『障害補償給付を受ける権利は、五年を経過したときは、時効によって消滅する。』旨規定しているのであるが、右にいう時効期間は、はたしていつその進行を開始するものと解するのが正当であろうか。この点については当裁判所の見解は次に説示するとおりである。
(1) およそ、特定の権利に関して、その消滅時効期間の進行開始があるということができるためには、当該権利の行使が客観的に可能であることがその当然の前提要件であるところ、本件におけるがごとき障害補償給付が『労働者が業務上負傷し、又は疾病にかかり、なおったとき身体に障害が存する場合』に当該労働者の請求によって初めて支給されるべきものであることは、法一二条の八、労働基準法七七条の明定するところである。したがって、被災者である労働者において、自己の身体に残された欠損・機能障害・神経障害等に関して障害補償給付の請求をするためには業務に起因して発生した傷病がすでに治癒していることがその要件となるものであるところ、右にいわゆる治癒とは傷病の症状が安定して疾病が固定した状態にあり、もはや治癒の必要がなくなったという状態を指すものと解すべきことが明らかである(なお、この点についてはその成立に争いのない<証拠略>の記載を参照のこと)。それ故被災者である労働者は、自己の従事した業務に起因して発生した傷病が右にいわゆる治癒の状態になってもなおかつ当該傷病に基づいて自己の身体に欠損・機能障害・神経障害が残ったような場合に初めて右障害に関する障害補償給付請求権を行使することが客観的に可能となるに至るものというべきである。
(2) のみならず、障害補償給付請求権の消滅時効期間の進行開始の要件としては、その行使が右(1)に説示したように客観的に可能となったというだけでは足りず、さらにこれに加えて、傷病が治癒してからもなお障害の残った労働者においてその障害が業務に起因するものであることを知ることを要するのであって、この時期に至って初めて右障害補償給付請求権の消滅時効期間はその進行を開始するものと解するのが相当である。ちなみに、当裁判所の上記見解の主なる根拠等は、以下に説示するとおりである。すなわち、障害補償給付の対象となるべき障害の中にはその業務起因性が必ずしも明白ではなく、専門的・医学的な鑑別診断を経ることによって初めてその業務起因性を確認することができるという類いのもの(障害)もけっして少なくはないのであって、このことは、公知の事実ないしは常識というべきものである。そして、このような類いの障害については、被災者である労働者が当該障害の業務起因性を知るまでの間は、当該労働者においてこれに関する補償給付の請求をするがごときことは、現実的には全く不可能であるというのほかはない。このことは、不法行為の被害者において、加害者及び損害(加害行為の違法性及び加害行為と当該損害との間の相当因果関係の存在の点をも含む)を認識するまでの間は、その不法行為による損害賠償の請求権を行使することが現実には不可能であるのと同断である。そして、また、障害補償給付請求権は、なるほど社会保障制度の一環として労働者の生活保障を目的として設けられた公法上の権利ではあるけれども、他面、その実質において、民法七〇九条所定の不法行為に基づく損害賠償請求権と類似する性質を有するものであることもこれを否定することができない。これらのことをあれこれ総合考量すると障害補償給付請求権の消滅時効の起算日については民法七二四条を類推適用し、結局当該消滅時効は、被災者である労働者において自己の障害の業務起因性を知ったときからその進行を開始するものと解するのが相当であって、かく解することの方が、権利の消滅時効制度に関する一般的な法原則により適合するばかりでなく、さらに、被災者である労働者の救済とその生活の保障をその目的とする労働者災害補償保険法の趣旨にも合致することになるものというべきである。」
五 右岐阜地判昭六〇・四・二二が判示するとおり、障害補償給付請求権についての労災保険法第四二条の消滅時効の起算点については、民法七二四条を適用(もしくは類推適用)し、業務上の負傷または疾病が症状固定に至るもなお障害が残り、客観的には権利行使が可能となったことに加えて、請求権者が右障害が業務に起因するものであること及び症状が固定したことを知ることが必要と解するのが相当ある(ママ)。
なお、右判決では、労働者が傷病の業務起因性を知り得なかった事案であり、自ずと争点である障害の業務起因性の覚知を要するか否かについて中心に判示しているが、全く同じ理由から症状の固定の覚知をも要すると解すべきである。
すなわち、障害補償給付の対象となるべき障害の中にはその症状固定の時期=治癒の時期が必ずしも明白ではなく、専門的・医学的な鑑別診断を経ることによって初めてその業務起因性を確認することができるという類いのもの(障害)も決して少なくはないのであって、このことは、公知の事実というべきものである。そして、このような類いの障害については、被災者である労働者が症状の固定=治癒を知るまでの間は、当該労働者においてこれに関する補償給付の請求をするがごときことは、現実的には全く不可能であるというのほかはないからである。
以上のとおり、原判決には、労災保険法第四二条に民法第七二四条を適用(もしくは類推適用)しない判決に影響を及ぼすことの明らかな法律解釈の誤り及び理由不備の違法がある。
六 しかし、仮に障害保障給付の消滅時効の起算点につき民法一六六条第一項の準用(もしくは類推適用)があると仮定したとしても、民法一六六条第一項の「権利を行使することを得る時」とは「単にその権利の行使につき法律上の障害がないというだけではなく、さらに権利の性質上その権利行使が現実に期待できるものであることも必要と解する」のが相当である。これは、最高裁判所大法廷昭和四五年七月一五日判決(民集二四巻七号七七一頁)で確立された判例でもある。
しかるに原判決は、「労災保険法は、その四二条に保険給付の受給権につき消滅時効の期間を規定しているものの右期間の起算点についての規定を置いていないところ、右起算点については一般原則である民法第一六六条第一項を準用し、権利を行使することができる時から進行するものと解される」を判示するのみであって、「権利の性質上その権利行使が現実に期待できるものである」時期がいつであるかについては何の判示もしていないのである。すなわち、原判決は、「単にその権利の行使につき法律上の障害がない」ことをもって、「権利を行使することを得る時」であると解しているのである。
従って、原判決には、民法一六六条第一項の「権利を行使することを得る時」とは、「単にその権利の行使につき法律上の障害がない」と解釈した判例に違背した法律解釈の誤りがあり、これは判決の結果に影響を及ぼすこと明らかである。
七 また、原判決には、民法第一六六条第一項の法律解釈につき判例違背の違法があるため、障害補償給付請求権について、「単にその権利の行使につき法律上の障害がないというだけではなく、さらに権利の性質上その権利行使が現実に期待できる」とは、具体的にどのような要件を必要とするのかにつき、判断の遺脱がある。
そもそも、障害補償給付請求権について、「権利の性質上その権利行使が現実に期待できるもの」というためには、
<1> 労働者が業務上
<2> 負傷し、又は疾病にかかり、
<3> なおったとき身体に障害が存する場合、
の三要件が客観的に生じ、かつ、右三要件の全てにつき被災労働者が知ることが必要であると解するのが相当である。
障害補償給付の対象となるべき障害の中にはその症状固定の時期=治癒の時期が必ずしも明白ではなく、専門的・医学的な鑑別診断を経ることによって初めてその業務起因性を確認することができるという類いのもの(障害)も決して少なくはないのであって、このことは、公知の事実というべきものである。そして、このような類いの障害については、被災者である労働者が症状の固定=治癒を知るまでの間は、当該労働者においてこれに関する補償給付の請求をするがごときことは、現実的には全く不可能であるというのほかはないからである。
八 本件もまた、「業務上」及び治癒時期の判断が極めて難しい事案の一つである。
(一) 「業務上」であるか否かについて、被上告人らは第一次的に、秋鹿の両上肢のシビレ、知覚異常、両手背骨間筋萎縮、握力の低下、両手指の開排力の低下、指のつまみ力の低下、各手指の巧緻性の低下等の障害については、業務外の「変形性頸椎症」「頸椎骨軟骨症」であるとして「業務起因性」を否定して争ってきたものである。すなわち、本件の業務起因性は、労災保険給付についての専門官が配置をされている被上告人らが、業務起因性を否定するような判断が困難な事案であることを被上告人自身が認めているものである。
(二) 労働者災害補償保険法における「治癒」とは、労災補償制度の前記目的に照らし、治癒とは、<1>症状が自然的経過によって到達すると認められる最終の状態(症状の固定)に到達し、<2>かつ当該被災者が職場復帰(もしくはそれが不可能な場合は社会復帰)可能な状態までに健康を回復し、<3>リハビリーテーション医療を含む治療の必要性がなくなった場合をいうと解するのが相当であり、「治療の必要がなくなった」とは、医療(リハビリテーション医療を含む)を継続しても、医療効果、すなわち、症状が軽快する可能性が全くなくなったこと、かつ、治療を打ち切っても、医療効果、すなわち症状の悪化を防止する可能性が全くなくなったことと解すべきであり、症状の軽快・悪化防止の可能性が全くないということを意味し、医師ないし医師と同程度の医学的知見なしには判断することはできない。
(三) 本件については、治癒日について次のような判断がなされている。
<1> 氷見市民病院の清崎克美医師は、「治癒年月日については退院時においてほとんど症状なし、推定できない」(<証拠略>)と判断している。
<2> 高野整形外科病院の高野昇治医師は、一九七八年(昭和五三年)九月二九日を治癒日と判断している。
<3> 綾仁医師は、富山県立中央病院を退院した一九七〇年(昭和四五年)六月八日を治癒日としている。
<4> なお、被上告人岐阜労働基準監督署長自身も、治癒日は第一次的には、氷見市民病院を退院した一九六九年(昭和四四年)一二月一日とし、予備的に富山県立中央病院を退院した一九七〇年(昭和四五年)六月八日と主張してきたものである。
(四) このように、秋鹿の治癒日については、医師の間でも判断が異なり、かつ、労災保険給付についての専門官が配置をされている被上告人らをしても予備的な主張をせざるを得ない判断が困難な問題なのである。
(五) 右判断が困難であることについては、被上告人岐阜労働基準監督署長の問いに対する高野整形外科の高野昇医師の「『治癒扱いとすべきでなかったか』との事であるが、当時労災患者として扱っていなかった当方としては何ら差支えのない事と思う。(労災として、治癒扱いとしなかったことについて)、しかし本症例が労災疾患としてのものであり、治癒扱いをする時点を、どこかに求めようとするならば、本設問の時期は一つとの解釈となり得ると思われる。但し、難治性長期療養を要する傷病についての労災としての治癒判定時期は、時代と共に少しずつ変化してきたように思われるので、小生のごとくその点を含めて規則や前例などを充分には知らない者にとって『治癒扱いとすべき』時期の決定は、明確には下し得ない」と回答していることからも容易に推測できるものである。
(六) 第一審で被上告人側申請の証人として証言をしている綾仁医師でさえ、治癒日を富山県立中央病院を退院した昭和四五年六月八日とした根拠につき、「高野整形外科病院の診療録の写を私は拝見しましたが、投薬された薬とか注射のあれはたくさん書いてあるんですけれども、患者さんの病状の変化というものがほとんどわからないもんですから、非常に苦労したんですけれども、大体富山県立中央病院の診療録を拝見しまして、大体変化がないように思われますので、この時点で症状固定としてもいいんじゃないかということでしたわけです」(同証人尋問調書第五七項)と述べ、判断が困難であること、また、治癒したか否か一義的明白な事実があるものでないことを認めているのである。
(七) このように、秋鹿の治癒日については、判断の困難な問題である。
しかも、秋鹿は、高野昇医師から一九七八年(昭和五三年)九月二九日を治癒日とする診断を受ける以前に、治癒の診断を受けたことはなく、治癒日を氷見市民病院を退院した一九六九年(昭和四四年)一二月一日とし、予備的に富山県立中央病院を退院した一九七〇年(昭和四五年)六月八日とする診断及び主張は、いずれも障害補償給付請求後、あるいは、本訴提起後の診断であり、主張なのである。
医師でもない秋鹿が、高野医師の一九七八年(昭和五三年)九月二九日の症状固定の診断前に、自身の両上肢のシビレ、知覚異常、両手背骨間筋萎縮、握力の低下、両手指の間排力の低下、指のつまみ力の低下、各手指の巧緻性の低下等の症状が、医療(リハビリテーション医療を含む)を継続しても、医療効果、すなわち、症状が軽快する可能性が全くなくなり、治療を打ち切っても、医療効果、すなわち症状の悪化を防止する可能性が全くなくなったなどと判断できる道理がない。秋鹿は、一九七八年(昭和五三年)九月二九日以前は、自身の傷病につき治癒したことなど知り得なかったものである。
九 以上のとおり、障害補償給付請求権について、「権利の性質上その権利行使が現実に期待できるもの」というためには、
<1> 労働者が業務上
<2> 負傷し、又は疾病にかかり、
<3> なおったとき身体に障害が存する場合、
の三要件が客観的に生じ、かつ、右三要件の全てにつき被災労働者が知ることがなければ、障害補償給付請求権の行使が不可能なものであり、本件については、高野医師の一九七八年(昭和五三年)九月二九日の症状固定の診断までは、「権利の性質上その権利行使が現実に期待でき」なかったものであるが、原判決には、障害補償給付請求権について、「単にその権利の行使につき法律上の障害がないというだけではなく、さらに権利の性質上その権利行使が現実に期待できる」とは、具体的にどのような要件を必要とするのかにつき、判断の遺脱があり、破棄されなければならないものである。
第三点 原判決は、被災労働者の業務に起因する疾病の治癒について、判決に影響を及ぼすことの明らかな法律解釈の誤りがあり、その結果上告人の治癒の時期に明白なる事実誤認があり、取り消さるべきである。
一 原判決は、「労災保険法における治癒とは、医療効果が期待し得ない状態に至ったものであり、疾病にあっては急性症状が消退し、慢性症状は持続してもその症状が安定して固定し、医学上一般に認められた医療を行っても、その医療効果がそれ以上期待し得ない状態になったときをいうと解される」と判示し、上告人の業務に起因する疾病については、富山県立中央病院における最終診療日である一九七〇年(昭和四五年)六月八日に「治癒」の状態に至ったと判示した。
しかしながら、労災補償制度の前記目的に照らし、治癒とは、<1>症状が自然的経過によって到達すると認められる最終の状態(症状の固定)に到達し、<2>かつ当該被災者が職場復帰(もしくはそれが不可能な場合は社会復帰)可能な状態までに健康を回復し、<3>リハビリテーション医療を含む治療の必要性がなくなった場合をいうと解するのが相当である。
二 原判決は、右「治癒」の法律解釈を誤ったため、秋鹿の「治癒」は真実は一九七八年(昭和五三年)九月二九日であるにもかかわらず、富山県立中央病院における最終診療日である一九七〇年(昭和四五年)六月八日をもって秋鹿が治癒したとする誤った判断をしているものである。
これは、秋鹿の症状の推移を、
<1> 医療(リハビリテーション医療を含む)を継続しても、医療効果、すなわち、症状が軽快する可能性が全くなくなったこと、
<2> 治療を打ち切っても、医療効果、すなわち症状の悪化を防止する可能性が全くなくなったこと、
の視点から検討すれば、明白である。
(一) 氷見市民病院
昭和四四年一〇月二五日~一二月一一日入院加療
(1) 入院時には、頭部打撲、挫創、両手のシビレ感の所見があり、入院直後に頭部打撲挫創の縫合処理がなされ、同月三一日には抜糸され、創処置は翌一一月一日をもって終了している。
入院後直ちに、頭部、頸部、左腕前腕のレントゲン写真を撮影している。
(2) 秋鹿の症状は看護記録上、疼痛と手のシビレ感である。
疼痛について、入院直後には強く訴えていたが、一一月一四日に「疼痛殆どなく手を暖めながらマッサージ等をしている」との記載があり、一一月一六日に「早朝着物の襟がずれるとシビレ感と痛みを感ずるとの事」との記載がある外は、特段の訴え、変化はないとされている。
(3) シビレ感については、入院後しばらくは何の記載もなかったが、一一月三日に「両上肢シビレ感及び疼痛を訴え、翌日からはゼノール湿布を中止し、右上腕前腕のレントゲン写真を撮影している。
一一月一一日、一二日、一四日、一七日にシビレ感を訴えており、一七日に「相変わらず両上肢のシビレ感(+)」と記載されてからは、「著変なし」、「格変なし」、「訴えない」などと記載されているだけであり、シビレ感が軽快している記載はない。
(4) 一一月五日からはパラフィン浴を、一一月七日からは上肢マッサージを、一一月八日からは機能訓練を、一一月一七日からは頸椎牽引をそれぞれ開始し、いずれも退院時まで継続している。
(5) 秋鹿の握力は次のとおりである。
一一月一四日 右一九、左七
一一月二五日 右二一、左一一
一二月三日 右一七、左一五
左手の握力は次第に改善されてきてはいるものの、成年男子の握力としては、左右共に極めて弱い。
(二) 富山県立中央病院
昭和四四年一二月二三日~昭和四五年一月一八日 通院加療
昭和四五年一月一九日~同四五年一月三一日 入院加療
昭和四五年二月一日~同四五年六月八日 通院加療
(1) 初診時には、両腕のシビレと疼痛を訴えており、レントゲン所見上では頸椎四―五間に骨棘形成が認められ、頸椎間孔四―五―六が狭いとされている。一月五日の診察時は、浮腫が軽度認められるも知覚障害はなかったが、一月九日の診察では左尺骨正中神経領域に軽い痛覚鈍麻が認められている。
一月五日に「変形性頸椎症」の診断がなされている。
(2) 一月一三日の診察で両指先にシビレ感があり、左拇指球に筋萎縮を認めたため、一月一九日から同月三一日まで入院して治療を受けている。
入院中は、頸椎牽引、ホットパックをする一方、抹消血管拡張剤(ロニコール)等の投与を受けている。
(3) 退院後は通院をしているが、二月一六日の診察では、右橈骨神経領域の知覚鈍麻が、四月一日の診察では両指先にシビレ(ピリピリする)が認められたが、四月二〇日の診察では巧緻運動が可能とされている。
(4) しかし、五月一九日には、指先にシビレ感が増強し、反射は正常であるも指の運動は右側がやや障害され、骨間筋萎縮、右橈骨神経領域の感覚鈍麻があり、肩のコリが著明であるとしている。
レントゲン所見上では、頸椎四―五間に骨棘形成があり、頸椎間孔四―五―六間の椎間板が非常に狭くなっており、バルソニー氏病(項靱帯石灰化症)の所見を認め、入院しての頸椎牽引をし、これの効果がないときには頸椎の固定を検討している。
この日から、複合ビタミン剤の静脈注射、牽引、ホットパック等がなされたが、症状の変化の記載がないまま、六月八日の転院に至っている。
(三) 高野整形外科病院
昭和四五年六月九日~昭和五三年九月二八日通院加療
(1) 初診時のカルテは現存していないが、両腕にシビレを訴えて受診していると推定され、「頸肩腕症候群」と診断されている。
(2) 昭和四六年一月二五日には、「両手のシビレがあったりなかったり」「両上肢反(一)」、同年一一月八日には、「右栂・指示、左栂指ダルイ・シビレ」「右前腕筋、握痛」「右手栂指球骨間筋萎縮」が認められ、握力は「右二五、左二二」である。昭和四六年一月から同年一一月の間は、頸椎牽引、パラフィン浴をし、抗炎症剤(ボンタール)、筋弛援剤(トランコパール、スパントール)、抹消血管拡張剤(ベナラ)等の投与を受けている。
(3) 昭和四六年一二月以降の診療経過の詳細は不明であるが、労災保険障害補償給付支給請求書の裏面の診断書では、次のとおり診断されている。
<1> 傷病名
頸肩腕症候群
<2> 障害の部位
頸・肩・上肢
<3> 治癒年月日
昭和五三年九月二九日
<4> 療養の内容及び経過
安静・薬物並物療を行う(頸椎牽引、温熱療法等を施行)、経過、症状の好転遅々、症状固定に至ったと判断される。
<5> 障害の状態の詳細
両上腕中央部より抹消指尖に至るシビレあり、右側に強度である。触覚の鈍麻ありて、橈側に強度である。痛覚は前腕よりも抹消がより過敏を示している。両手背骨間筋萎縮あり、栂及小指球部萎縮あり、握力右一一kg、左一二kg、指のつまみ力の低下あり(別記)、指の開排力も弱く、又開排の度も少ない。即ち、栂指尖と小指尖間距離は右一四cm、左は一四・五cmである。各指の巧緻性の低下も著明で、ボタンをはめたり外したりし難い。コインをひろえない。書字しにくい。箸は持てるが、麺類、豆類、こんにゃくなどはつまめない。紐結びや解くこともしにくい。タオルを絞ることも充分出来ない。右上腕囲二六cm、左上腕囲二二・八cm、前腕囲は右二三・四cm、左二二・〇cmである。
指のつまみ力(kg)は、栂指と示指間右二、左四、栂指と中指間右一・五、左一、栂指と環指間右二・五、左一、栂指と小指間右二・〇、左一・五である。
(四) 症状の推移のまとめ
(1) 秋鹿の症状は、受傷後一〇日余のうちに頭部の創処置は終え、疼痛については受傷後一か月余の内に軽快したものの、頭部の創処置が終了した頃から両上肢のシビレ感を訴えるようになり、看護記録上は、シビレ感が軽快している旨の記載はなく、清崎克美医師の意見書(<証拠略>)では、「転院時ほとんど症状なし」とされている。
しかしながら、富山県立中央病院に転院後は、一貫してシビレ感が認められ、昭和四五年五月一九日には指先のシビレ感が増強し、高野整形外科に転院後もシビレ感は「あったりなかったり」など、軽快することなく推移している。
(2) 知覚障害については、氷見市民病院では、全く認められず、富山県立中央病院に転院後の昭和四五年一月五日にも、知覚障害は認められなかったものの、同年同月九日には、左尺骨正中神経領域に軽い痛覚鈍麻が、同年二月一六日及び同年五月一九日には、右橈骨神経領域の知覚鈍麻があり、昭和五三年九月二九日には、触覚の鈍麻があり、橈側に強度であるとされ、痛覚は、前腕よりも抹消がより過敏を示すとされ月日の経過と共に増悪の傾向にある。
(3) 筋萎縮については、氷見市民病院では全く認められていなかったが、富山県立中央病院では、昭和四五年一月一三日に左栂指球に筋萎縮が認められ、五月一九日には骨間筋萎縮が認められている。高野整形外科病院では、昭和四六年一一月八日には、右手栂指球骨間筋萎縮が、昭和五三年九月二九日には、両手背骨間筋萎縮、栂及び小指球部萎縮が認められ、月日の経過と共に増悪の傾向にある。
(4) 両手指の巧緻運動については、氷見市民病院では異常所見はなく、富山県立中央病院でも昭和四五年四月二〇日には、巧緻運動可能とされ同年五月一九日には、指の運動は右側がやや障害される程度であったが昭和五三年九月二九日には、指のつまみ力の低下、指の開排力の低下、開排度の低下、各指の巧緻性の低下著明で「ボタンをはめたり外したりし難い。コインをひろえない。書字しにくい。箸は持てるが、麺類・豆類・こんにゃくなどはつまめない。紐結びや解くこともしにくい。タオルを絞ることも充分出来ない」とされ、月日の経過と共に増悪の傾向にある。
(5) 右のとおり、秋鹿の症状は、治療にもかかわらず症状は軽快することなくかえって増悪しているのである。これは、富山県立中央病院退院時には、「慢性症状が安定し、固定」していないこと、この時期に治療を続けることなく打ち切れば、症状がより増悪しているものであり「医療効果がそれ以上期待し得ない」状態でないこと明白である。しかるに、原判決は、原告の治癒の時期について、
「原告のしびれ感や痛みは氷見市民病院退院時にはほとんどないと判断されるまでに軽減し、残存症状も富山県立中央病院退院時の昭和四五年一月三一日には更に軽減したようであるとされていることからすると、右時点における症状の程度は軽いものと考えられるうえ、氷見市民病院、富山県立中央病院及び高野整形外科医院における原告のしびれ感及び痛みに対する治療は、類似の理学療法及び類似の効用を有する薬物療法であって、その間にはほとんど差異がなく、また、その治療の時期及び期間を考慮すると、高野整形外科医院での治療が富山県立中央病院での治療に比べるより有効なものであったとは考え難いものであって、そうすると遅くとも富山県立中央病院の最終診療日である昭和四五年六月八日には原告の症状は安定して慢性化し、治療を継続してもその効果を期待できない状態になり、治癒していたものと考えるのが相当である。」
と判示した。
従って、原判決は、「治癒」の判断基準につき、前記のとおり誤っ律解(ママ)釈をしたため、治療方法の類似性を指摘するのみであり、その治療により、秋鹿の症状がどのように変化しているか―治療にもかかわらず増悪している部分を看過し、治癒の時期につき明白な事実誤認をしたものである。
以上